Count it all joy, my brothers, when you fall into various temptations. (Jacob 1.2)
2012年7月31日火曜日
1422:ブログ再開
2週間前に無事に帰国した。T航空のビジネスクラスはいいね。快適だった。機内で、4時間の長さの映画・ゴッドファーザーを見た。70年代見てからざっと40年後に見ると細部がよくわかる。たぶん、ノーカット版だろうか。10代と50代とでは理解度が全然違う。英語も98%理解できたのも40年のお勉強の成果。無駄に歳は取っていないんだね。字幕がない状態が一番いい。
さて帰国後だが、ずっと宿題作成で、ブログはちょっとお休みだった。
早速、次の案件の準備が始まる。
最近、本ブログのアクセスもIWRMの関連の記事に対して多くなったのに気づく。誰かさんがお勉強しようとしているのかな。とてもいいことだと思う。ただ、ブログは単にドアを開けた程度。その奥に膨大な情報が隠されている。
アフリカでは、マラウイとナイジェリアで水セクターMPが実施中だからか。マラウイも4月から作業開始で、そろそろ4か月が過ぎようとしている。第1回のプログレスレポートが出てきたころか?うまくできているだろうか?
日本のコンサルもIWRMを熟知し、うまく対応するプロは意外と少ない。じっくりお勉強する機会がないのだろう。場当たり的な対応ばかりだと無理だ。コンサル会社で管理職になると技術的には失速するのはどこも同じだからだ。そういう管理職が団長を務めると惨めな結果が待っているのが普通だ。いい参謀がいるといいが、今の時代では無理。30代の精鋭がいた時代はもうない。50代の団長、40代の副団長、30代の中堅で構成される精鋭部隊はもう最大手でも難しいのだ。ましてや、JVでの混合部隊ではね。
マラウイもナイジェリアもいい成果が出てくることを期待しているが、担当のコンサルの力量次第だね。
最大手コンサルのMさんやTさんあたりなら無条件で信頼できるが、他社だと誰がプロかは不明だ。
さて、私の次の案件はどこでしょうか?
お楽しみというところ。今年は1月からずっと働いてきたから、夏休みでも取りたいが、いい案件に呼ばれると無視できない性格。
元気のでる、エーグルスを聞きながら、作業に入ろう!!
2012年7月14日土曜日
1421:いよいよ帰国
首都から移動しヨーロッパ側の商業都市から成田へ直行する。18時間後に成田着だ。
1か月程度だあっという間の出張だが、貴重な情報は最後の数日で得ることができた。
16年ぶりの当地も様変わりしたが、今の状態にリセットしてこれからのお付き合いを大事にしよう。
一期一会、とはよく言ったものだ。コンサルタントは海外で常に経験する。
また当地に来るかは、インシュアラーだ。
いつになっても当地の食事や人々は素晴らしい。文明文化がある。
アフリカは子供のような人が多く無邪気でいいが、この国に比べると奥が浅い。
16年たって、英語ができる人が増えた。これもいい傾向。
ある大学に行ったら、カウンターパート機関の元総裁がおられた。幸運の出会い。
元職員と総裁がいる大学のレベルは高い。実務と研究が一体になっている。最終日にお会いできるのは幸運以上のものを感じた。
戦前の資料から最新の資料まで頂いた。すごいよね。こういう時系列で過去の実績を整理できるのも実力があるからだ。この事実を日本に持って帰ることになる。
表面的な調査では絶対に入手できない代物である。
さて、そろそろチェックアウトしましょうか。
2012年7月13日金曜日
1420:いよいよ明日が最終日
今日は午前午後と協議があり動き回っていた。
しかし、昼ごはんはいいところで頂いた。初代大統領のお気に入りのレストランだ。メニューを開くと、彼が初代副大統領兼外務大臣とにこやかに食事をしている写真が載っている。
客層はやはりそれなりにお金がありそうな人が多い。
以前ここに来たことはないが、手前の数軒の中に以前2回ほど来たレストランを見つけた。
当地の人でもなかなか食べられないテスティ・ケバブを出すお店だ。ケバブと野菜を焼き物の中で煮込み、お客の目の前で焼き物を割る。取り出したケバブをお客のお皿に分けてくれるという特別なケバブ。
初代大統領のお気に入りのお店では、今日はタンドゥル・ケバブを頂いた。午後はコンサルとの協議なので、今回初めて昼ごはんにビールを一杯頂いた。
この首都も都市化が進み広大なオープンスペースがなくなっているが、さすがに初代大統領の旧家がある地域は開発はない。
午後、最大手コンサルに行って情報収集。アポなしで不安だったが、幸運にも社長に会えた。
その社長であるイスマイルは、20年前に一緒に調査をした本人。彼も僕と同じ58歳だが、さすがに社長的な貫禄があった。今日の午後避暑地での休暇に入る寸前。うまく会えたものだ。
それでも偉ぶるわけでもなく、会話は弾んだ。まさに旧友である。
その彼曰く、「もうすぐ引退する。今までできなかった趣味をしたい」
ピアノ、絵画などやってみたいということらしい。ちょっと引退は早いんじゃない、と聞いたが、35年働き続けたからもういいんだ、と。
昔のイスマイルの話し方や笑い方がよみがえってきた。
避暑地では、イギリスにいる長女も合流するらしい。
こういう生き方ができる彼らがうらやましいけれど、僕も65歳を過ぎたらちょっと考えてみよう。
いよいよ明日が最終日。
2012年7月11日水曜日
1419:帰国まであと4日
アルジャジーラを見ている。結構面白い。洗練されている。
8時までホテルのプールサイドで夕飯を食べていた。世銀とか欧米のコンサルとかが多い。
最後はナーネで閉めようかと思ったが、ナーネはなく、バナナリキュールで閉める。
この国の仕事もあと3日で終わる。16年ぶりの当地での仕事もエンジョイした。昨日は首都を離れM海の工業地帯まで遠征した。片道3時間。途中、海をフェリーで渡った。なかなかいい経験だ。
今日は県の機関で協議。所長はすこぶる知識がある。技術的にはトップレベルと感じた。この国もほかの国の例にもれず、個人の力量や知見に大きな差がある。
できる人を捕まえるセンスが必要だ。他の2人のコンサルは疲れ果てていて「老人」のようだ。こんなコンサルが本格調査に来たら最悪だね。お爺さんのような質疑応答。この1か月で疲れ果てている。
参ったね。
これがコンサルの実情だ。精鋭ではない。
紋切り型の質問じゃーね。相手の度肝を抜くよう質問がないとね。心に響く会話がない。
アジア的じゃー、無理だ。
最大手コンサル以下はこんな程度なんですね。
今日は久々商社マンと会った。こういう出会いは久しぶりだ。昔は必ずと言っていいほど商社マンと連携したものだ。
しかし、今の商社マンは情報取集がうまくはない。こちらから情報を提供したほどだ。昔の商社マンの力量は今はない。
日本の経済の低迷はひどい。コンサルだけでなく、ゼネコン、商社もプロがいない。ひどいねえ。
まあ、それだけこちらの商売の機会が増えるからいいか。
あと3日。調査の総括に入る。気を抜かずに行きましょう。
2012年7月8日日曜日
1418:日曜の買い物
ずっと仕事なので買い物の機会が少ない。今日は帰国間際のためお土産を買いにショッピングモールに出かけた。
出勤途中に並ぶショッピングモールのうち最大で高級感のあるアラマダ。10時に入ったが人はまばら。高級店しかないので、さすがに買い物客は少ない。スーパーがあるといいのにね。
まずは、VAKKO。本店より高級感がない。本店はお金持ちのお店。ここのモールは少し高級感が下がる。シルクのスカーフを買う。背広もいまいちかな。
次は、ボディーショップ。石鹸、シャンプー、ハンドクリームなどすべてギリシャからの輸入品。かなり高級感がある。値段は聞かず、店員さんのおばさんの奨めでまとめ買い。ヨーロッパの香りとセンスがある。石鹸は、ケーキのように大きく、切って量り売りのところがいい。うちの奥さんが喜びそうだ。ちょっと買いすぎたか?でも日本じゃ買えないからね。
ガラス製品はいまいちなので、今度バカラのクリスタル専門店に行ってみよう。
下町に移動。アダナ・ソフラスはまだ開いていなかったので、1949年創業の老舗に。アダナケバブはかなり辛くて最高。タクシーでホテルに戻る。
モールで買った地図で明日行くところを再確認。まあ日帰りでも大丈夫でしょう。
メールを開くとクマさんからメール。僕のメールを喜んでくれた。知人はほとんどお悔やみや心配のメールばかりで、僕の励ましのメールは気に入ってくれたようだ。奥さんのためにも強く生きることが大事だね。くよくよしていては天国の奥さんに怒られる。
彼も東京に来ることがあるようなので、会って朝まで飲むことにしよう。あるいは僕も暇だから京都まで行くかも。
さてと、昼寝でもしようか。
1417:明日はちょっと遠出
最後の日曜の朝。今日は5時おき。
朝ごはんでオムレツを食べて戻る。今日はのんびりしよう。
明日は早朝から車で移動。4時間ほどで調査対象地域に。高速道路ができて快適だろう。20年前は結構時間がかかった。
工業地域。石油精製、化学工場など、この国で最も大きいプラントが20個以上ある。やはり実際に見てみないといけない。
運転手が教育があり、助かる。彼も定年後運転手として働いている。英語・フランス語ができる教養人。お父さんは陸軍大将。すごいよね。
彼と昼ご飯を食べるのが習慣になった。いろいろうまいケバブを食べさせてもらっている。運転手との連携って非常に大切。現場や関係機関の場所を覚えてもらうまでが一段階。そこまで覚えてもらうとその後が効率いい。機転の利く運ちゃんだともっといい。
当地一番のVAKKOの背広も買いたいが今度にしよう。1200ドルでシルク入りのいいウール生地でできているのがいいね。日本だったら25万円以上するかも。前にも書いたが、背広はコンサルタントにとって制服。みじめな背広は着てはいけない。もちろん、シャツ、ネクタイ、靴も同様。
なんだかんだで、あと1週間で帰国だ。次の案件もいくつかあったが、今年も1月からずっと仕事。帰国したらちょっと休もう。夏休みだ。ただし、重要案件が出れば無視はできない。今年はいい案件が目白押しなのだ。具体は言えないけど。
さてと、CNNかBBCでも見ようか。
2012年7月7日土曜日
1416:クマさんのこと
土曜の作業も終わった。
5時。
20年前に調査に参加した、クマさんのこともこちらの水文屋が覚えていた。実際、クマさんは水文専門ではなかったが、いろいろ雑用にも対応してくれた。彼は農業土木の専門家。
当時社内の権力闘争があり、国内部門が海外部門を凌駕していて、海外農業部門がとばっちりを受けていじめで大変だったのだ。彼も水資源の案件に出されるという悲惨な状況だった。
彼はいいやつでね、当地の調査でもいろいろ場所を変えて毎晩飲んでいたのだ。彼も今から15年前に会社を辞めて奥さんの実家の近くで無謀にも農業を始めた。ある程度の成功を収めたのだが、今年のお正月に奥さんを失った。相当落ち込んだと思う。息子さんも農業を手伝うことになったが、やはり良きパートナーを失うのはつらいはずだ。
彼のブログも久々今日見たが、何とか気を取り戻した様子が見て取れた。
彼のところにもずっと行きたいと思って入るのだが、なかなか行けないのは残念だ。ブログで状況を知る程度しかできない。
今日は彼と20年前に行った当地からメールを送った。彼も懐かしく感じているかもしれないしね。帰国したら久々お米を頼んでみよう。
1415:最後の土日
木曜、金曜と20年ぶりの旧友と連ちゃんで会うことになり、ラクの飲み過ぎだ。20年前は調査団の若手中堅3人組と毎晩夕食後に飲んでいても平気だったのだが、やはり歳には勝てない。
木曜は、国家水利庁の伝説的な方とこのホテルで会って飲んだ。話は弾み最後の数十分の記憶がない。お金が減っているから食事代は払ったのだろう。
彼も今は73歳。ラクが入ると話は進んだ。彼も15年前に引退し、自分の会社を設立。この数年はその会社の仕事からも離れたという。3つのセカンドハウスを持っていて、季節ごとに移動しているそうだ。優雅ですねえ。
今は国家水利庁は水力発電事業は行わない。民間に任されているようだ。さびしいかぎりだ。次に来ることがあれば彼のセカンドハウスにお邪魔しよう。
さて、昨日は仕事で国家水利庁に再度行ったが、元電力調査庁の知り合いをあらためて探した。同庁はすでに廃止され国家水利庁に多くの職員が吸収され移動している。20年前に一緒に仕事をした仲間も移動していて20年ぶりに会うことができた。そこで水文調査部の部長の電話番号を知ることができ、早速連絡。なんでも、彼の息子さんが1年半ぶりに中国から戻ったので今日パーティーをするので来ないかというお誘い。前日の飲みすぎで相当参っていたが、やはり20年ぶりなので無理しても行くことにした。
彼の家はかなり中心部から離れているが、今は住宅街で大型ショッピングモールもある。彼の家に行くとご家族が迎えてくれた。彼の友人もいて、11時まで飲むことになった。20年前は赤ちゃんだった女の子も今は21歳。男の子は25歳ぐらいか。僕の子供と同じぐらいだね。
所謂、ここの家族料理がフルコースで出されて、おなか一杯になったが、パストゥルマ(羊の肉でできた生ハム)の味は最高。奥さんの顔はやっと思い出した。奥さんも同じ職場で働いていたのだ。長男も3歳ぐらいでオフィスで会っている。
彼の場合は、勤続25年で引退する制度だったので、52歳で退職している。今は63歳だからこの11年優雅な引退生活をしてきたようだ。ビジネスセンスもあったので土地の売買で儲かったのかな?!長男が2か月後に北京に戻るようなので、ぜひ東京にも来てねと伝えた。
僕自身58歳になってもずっと働いている。いつ引退するか今のところ分からないが、彼らの優雅な引退生活を聞くと日本は厳しいことが分かる。僕の親父は天下りもあり実質60数歳で引退し年金暮らし。それすら期待できない昨今の状況は深刻だ。65歳ぐらいまで精一杯働かないと生活が成り立たない。まあ何とかなると思うが、どうでしょうか。
さっきMIGROSで買いものをしてきたが、16年前位に住んでいた高層マンションも全面的な修復工事が行われている。それくらいの時間が流れたのだ。
2012年7月5日木曜日
1414:難しい案件だね
ここはアジアなんだけれど、違うんだなあ、他の国とは。
やればやるほど、案件の難しさを知る。
ただし、自分なら何とか乗り切ることは感覚的に分かる。ここの人の性格を知り尽くしていればいいのだが、アジア的なコンサルにはたぶん無理であろう。
イランやサウジなど中近東の案件を経験した人ならわかるかもしれない。
そういう精鋭はもうコンサル業界にはいないかもしれないね。さびしい限りだが。
自分自身、この国の経験は6件。8年間だから全体で2年ぐらいは駐在したかもしれない。
最初に当地に来たとき、三菱商事の方とフランクフルトから一緒だった。ルフトハンザからはビジネスクラスでは我々2名だけ。彼の話はすごかったね。僕は2度国外追放になっていましてねと、誇らしげに彼は言っていた。商社マンの精鋭だ。僕は初めてだったが、商社マンはすごいなと単純に感心した。
それから8年間、ずっと当地の案件に係った。電発さんも引き上げた。NKも今は案件がなくなった。今は当地の日本のコンサル事務所はない。さびしいもんだね。
それだけ、この国が成長したんだね。支援するものがない。
しかし、まだ支援案件はあると思う。そのために自分は今ここにいる。常にニーズに対応して成長だ。
しかしねえ、本格調査でどのコンサルが受けるんだろうか。それを受けて、成果が出るコンサル会社は見出せないかもしれないね。お人よしコンサルではねえ。
今の日本に、精鋭がいるかなあ??
僕もほかにいろいろ案件があるから、この国に固執する必要はないけど、やはり来なければという思いは「ちょっと」はある。
どうなりますかねえ。この分では、今の案件は、アジア的な感覚では乗り切れないね。
まあ、少し様子見をしよう。
2012年7月3日火曜日
1413:今日も不思議なパーティー
先日、このホテルには相応しくない若者が集まった。聞けば、フランス系のインターナショナルハイスクールの卒業記念パーティーだとわかった。所謂、アメリカのプロム。でも、会場はこのホテルの地下のスペース。一般のパーティー会場ではない。
僕の見解では、地下であればパーティー自体が外に漏れないからある意味自由な環境が提供される。この国も開放的とはいえやはりイスラム国。外国系のハイスクールのプロムの会場はそれほどない。
今日はまた不思議な団体が地下のパーティー会場に入る。
政府高官、軍関係幹部、大使館関係者などなど。たぶん政治的なパーティーであろう。それにしてもこんな質素で小さいホテルで開かれる不思議はない。大臣級や大使もいるのだ。
あんまり公にできないパーティーが開かれているのだろう。察するところだが。
当地にもシェラトンやスイスホテルなど5星以上のホテルはたくさんあるのだが、こじんまりして外部にわからないこの環境がいいんでしょうな。
小生は地下のパーティー会場の上のプールサイドで夕食を一人で取る。
もうギャルソンベイにはおなじみの客となった。
最後のナーネリキュウルで閉める習慣も同じだ。チップをはずみ、彼もいい気分。
こんな小さなホテルでも面白いことが沢山あるのは楽しいね。
さてと、明日はまた協議。いろいろ情報が集まり情報分析が楽しい。堂々としたコンサルタントとして生きる活力がみなぎるな。これこそまさにコンサル冥利。最大手コンサルでもこういう伝統を継受しているのかな。今の活動ができるのも先人たちに感謝だ。とはいえ、団塊の世代は失格者が多いが。昭和一桁の世代は最高だったね。
1412:16年ぶりの再会
今日は午前午後関連機関を回り、午後遅くローカルコンサルの最大手会社に行く。
本調査にも関連するので行くことにしたが、今まで時間の余裕がなかったため今日になった。
16年前と20年前に一緒に仕事をした国家水利庁出身の方々だ。
まず会ったのは元国家水利庁長官。彼はいったい何歳なのだろう。たぶん80歳は超えているだろう。広い部屋にどっしりと座っていた。眼光だけは鋭い。元長官だけある。久保田豊会長とも新入社員のころ面談したが、眼光は鋭かった。
元長官も最大手コンサルの顧問か何かなのであろう。
次は、元職員でコンサルになった水文専門家。彼も僕よりは年をとっているいるだろうから、60歳を数年超える程度か。彼もパートナーとして働いている。中央アジアのトゥルキメスタンから戻ったばかりだ。
そして、元計画局長。彼も68歳だが元気だ。彼特有のしゃべり方は今でも変わらない。
こういう60歳以上の専門家が今でも現役でコンサル会社で働けることはいいね。日本では稀だ。NKのT技師長はそんな感じで今でも働いているね。
16年の月日の長さはあるが、彼らと雑談しているとすぐ昔の雰囲気に戻った。2週間後に帰国だが1度ぐらいは食事をしたいところだ。
この会社もこの20年で急成長。今では一等地に本社を構えている。目の前がスウィスホテル。
この会社も単なるローカルコンサルではなく中央アジアや中近東で国際的な活躍をしている。ただし、今の僕の専門には対応できないそうだ。やはり、最大手コンサルでも対応できない分野はあるわけだ。
しかし、古い友人ら会えたことはうれしい。せめて70歳ぐらいまでは仕事を続けることができれば幸いである。元長官の80歳には届かないけれど。
2012年7月2日月曜日
1411:エフェス・エクストラを頂く
夕食にはずっとラクを飲んでいるので、たまにはと思い、エフェソをスーパーで買った。エフェソもいろいろあり今回はエクストラでアルコール度は7.5%ある。
2005年から6年まで数回中央アジアに行ったが、その時に飲んだ旧ソビエト時代からあるビールを思い出した。結構効く。
おつまみはおなじみのドリトス。これはアフリカ、南米などどこにでもある。
BBCはボツワナ特集だ。アフリカもどんどん変わるね。去年まで行っていた国の大統領も変わった。そうそう南米の赴任国でも大統領が失脚したね。
話はそれるが、南米でお世話になった通訳の加藤君からメール。なんでも、田舎に行って人生初めてのデング熱にかかってしまったとのこと。つらいねえ。デング熱をもたらす蚊は普通都会なんだけどね。彼もかなりデング熱には詳しかったが、とうとうかかちゃったか。もう行きたくないと言っていたけど、行かないと仕事にならないから困ったね。
彼とよく行った首都の中華屋(ハッピースター)にも全然行っていないそうだ。一緒の専門家が昼飯は近くで済ませるタイプらしい。僕に付いていたときは、毎回レストランを変えていたし、時々は運転手を入れて3人でカフェにも行った。もちろん仕事はしたが、そういう仕事以外の楽しみにも付き合ってくれた。彼も31歳ぐらいかな。彼のお蔭で4か月の出張もいい評価を受けたのだ。感謝だね。
日系人入植地では3人で飲んだものだ。いい感じだったね。いい出会いもあるんですね。
今回の出張ではあんまり同行者がよくないので一人で食事や飲むことが多い。しょうがないね。いつも快適な人間関係ではない。
エフェソ・エクストラも効きがいいのでいいね。5%ぐらいでは酔わないからね。
このホテルでの夕食もシシケバブとラクが定番になっているが、最後はここの伝統的な食後酒ナーネで閉める。ボーイさん(当地ではギャルソンベイという)がまた来たかといつも迎えてくれるので心地いい。昨日は最後にミックス・フルーツ。一人での夕食もあんまりおもしろくないけどしょうがないね。
うちの奥さんと一緒だったらさぞ楽しいのにね。仕事を離れて観光でも来たいね。海外の仕事に嵌っちゃったことも観光旅行をしない理由かな。奥さんにはちょっとごめんなさいだ。
2012年7月1日日曜日
1410:ロジクールのスピーカーはいいね
午後1時。お昼はぬいた。さっきまで奥さんとスカイプで雑談。アフリカよりいいが、南米よりは悪い、そんな状況だ。スカイプの状況でその国のITのレベルが分かる。
南米の出張からパソコンの外付けスピーカーはロジクール製にした。左右一体型で賞状入れよりちょっと小さいサイズ。持ち運びも便利。USBだから電源も要らない。音質もまずまずだ。
ここ中近東でもまずはエーグルスから。英語の世界は快適だ。南米では苦労した。ここはまずまずの状況で、会う方の3分の1ほどは会話が成立する。
スピーカーがいいところは外部との遮断がないことだ。ヘッドフォンもスカイプ用に持ってきてはいるが、聞いていると外部と遮断してしまい苦痛だ。アフリカのホテルでヘッドフォンで聞いて作業していて、突然目の前にボーイさんが現れることがよくありビックリ仰天がよくあった。
1409:テレビチャンネルがすごい
今までの出張で一番テレビチャンネルが多かったのは、中央アジアのタジキスタンだったであろうか。100以上だからいい番組を見てもそれがどのチャンネルかすぐ忘れた。多すぎるのも不便だ。UNDPの宿舎でウォッカを飲みながら見ていた。
南米でも多かったが何せスペイン語のチャンネルがほとんどで見る気もしなかった。見ていたのは、日本のNHKと民放。ホテルオーナーの二男がネットに詳しく、日韓台の民放が見られるようにしていた。
当地も20年以上前は国営3局とCNNぐらいしかなく、民放は20年ぐらいから徐々に増え、16年後の今は100を超えている。すごいよね。このホテルではNHKは英語だけだから設定の問題もあるかな。ホテル側の対応の問題だ。
昨日あたりから暇が出てきたので、テレビもつけっぱなしにしている。CNNやBBCも久々だ。南部アフリカではBBCだけが世界情勢を見る唯一の放送だった。
しかし、情報量が多すぎるのも困りものかもしれないね。膨大に集めた資料も昨日あたりから精査しているが、結果として重要文書は10分の1程度だ。しかし、発散して集めない限りいい情報は引っかかってこない。これが情報収集分析のリスクである。
当地での最高クラスの研究者は知っているが、まだ会えていない。同僚の先生から連絡があり、彼は今はEUの仕事でイタリアにいてすぐには戻ってこないという。彼とはメールで交流することとなった。
さて、今日も感受性を研ぎ澄まして頑張ろう。
1408:リスク管理の課題
我々水セクターに係っていると当然自然災害に係ることになる。
水資源管理の範疇と認識している。 JICAさんでも水資源と防災が一つの部になっている。
これまで、洪水、渇水、豪雨、土石流といった自然災害に係ってきたが、南米では人為災害にも係った。森林伐採が土砂侵食や流出をもたらすケースである。環境汚染やダムの崩壊による洪水も人為災害の例だ。アメリカではダムブレイクもちゃんと人為災害として定義されている。 自然災害はその発生確率や規模・位置をシナリオとして設定しやすく、解析手法もほぼ確立している。
一方、人為災害の方はまだまだ一般的ではなく、ハザード、脆弱性、リスクの評価に標準的な事例はない。自然災害が人為災害を引き起こす事例もある。福島の例もそうだ。 地震が津波を引き起こし、最終的に原子力発電所の人為災害を引き起こした。人為災害が単独で発生する確率は大変低いが自然災害にトリガーされると被害は甚大になる。
コンサルも単純な課題を取り扱う機会はどんどん減っていて、複合的で複雑系の課題に取り組まなければならなくなった。歳を取るとお勉強は大変だが、そうした複雑系のお仕事を頂き、評価されることを期待して頑張っている。 日本の例も大事だが、世界の潮流にも留意したいところだ。
リスクの認識も4番目にはハザードモニタリングと予測というエレメントも入ることが持続性を高めることになる。洪水で考えるとわかりやすい。 さて、帰国まで2週間。当地での新しい友人たちとの共同作業が始まる。
水資源管理の範疇と認識している。 JICAさんでも水資源と防災が一つの部になっている。
これまで、洪水、渇水、豪雨、土石流といった自然災害に係ってきたが、南米では人為災害にも係った。森林伐採が土砂侵食や流出をもたらすケースである。環境汚染やダムの崩壊による洪水も人為災害の例だ。アメリカではダムブレイクもちゃんと人為災害として定義されている。 自然災害はその発生確率や規模・位置をシナリオとして設定しやすく、解析手法もほぼ確立している。
一方、人為災害の方はまだまだ一般的ではなく、ハザード、脆弱性、リスクの評価に標準的な事例はない。自然災害が人為災害を引き起こす事例もある。福島の例もそうだ。 地震が津波を引き起こし、最終的に原子力発電所の人為災害を引き起こした。人為災害が単独で発生する確率は大変低いが自然災害にトリガーされると被害は甚大になる。
コンサルも単純な課題を取り扱う機会はどんどん減っていて、複合的で複雑系の課題に取り組まなければならなくなった。歳を取るとお勉強は大変だが、そうした複雑系のお仕事を頂き、評価されることを期待して頑張っている。 日本の例も大事だが、世界の潮流にも留意したいところだ。
リスクの認識も4番目にはハザードモニタリングと予測というエレメントも入ることが持続性を高めることになる。洪水で考えるとわかりやすい。 さて、帰国まで2週間。当地での新しい友人たちとの共同作業が始まる。
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