Count it all joy, my brothers, when you fall into various temptations. (Jacob 1.2)
2025年8月11日月曜日
3002:新領域分野の対応事例比較
大学院を終えて、1981年26歳で日本工営に入社した。すでにPCI(パシコンの海外事業会社)に内定していたが、儀礼的なPCIの幹部と面談した。誰だっけかな。澁谷氏だ。彼もPCIの部長以上の立場だったかな。「君ねえ、英語できるだけじゃダメ、技術力の基礎から初めて、ハードを習得してソフトに」と言われて、これはだめだと感じて、工営の会社訪問に行った。専門は交通計画だったので、当然PCIだよね。海外志向だったし。実際、指導教官の八十島義之助教授の紹介だから受かるの当たり前。彼の名刺に、「S君をよろしく」と書いてあった。それで合格。
数日後、工営の会社訪問会場へ。面談担当は、久野設計部部長と高橋部長(すでに国内コンに移っていたかな)。久野さんが僕のTOEFLの成績見て、「すごいね、工営にはこれ以上の点数を取っている社員はいないよ」。彼の評価は英語力だったかな。工営は何といっても海外がエリートコース。水資源や電力開発が主体。交通なんてねえ、やっていない。
僕にとっては、工営の水と電力は専門外。PCIと違って、大学推薦はなし。当然試験を受けた。推薦組は内定だから、試験を受けたのは何人いたかな?午後に合格発表。僕だけ落ちた。当然だよね。交通に関係ない。ただ、英語の成績は良かったらしい。大学院室に戻って、普通なら同期と飲みに行くんだけど、その日は普通に帰宅。朝方、お袋に起こされた。工営の人事部の徳升さんさんからだと。彼曰く、試験は落ちたんだけど、役員面接があるので出社してねと。あれま、何なの?行ったら、当時のOB室で面談。人事部長の中禮さん、海外から国内に飛ばされた、誰だっけ、社長になった人。彼曰く、「君は工営とパシコン、どっちに行く気なんだね?」僕の答えは、「入ってみないと分かんないです。」まあパシがもう受かっているから強気だね。結局、工営も合格した。試験で落ちてのおちこぼれ入社。
パシには辞退を伝えた。八十島先生にも事情を話したけど、まったく怒っていなかったね。大物。そんなわけで、長くなったけど、就職からして新領域だ。これがその後のコンサル人生を大きく変えたね。
22年工営にいたけど、一杯新領域の仕事したね。調査、設計、工事監理など。最先端の新領域分野だと以下かな。
1.1988年:トルコ南東アナトリア地域開発マスタープラン、水資源開発のキャパシティ・エクスパンション計画の最適化担当。まだ日本では実践されていないシステム分析。アルミ製のトランクに蔵書をいっぱい詰めて行った。まだ何をどうするか分かっていない状況。兎に角英語の参考書、ソフトを持ち込んだ。オフィスの隣にいた廣瀬さん(のちに工営社長になったねえ)がびっくりしていたね。ちょっとした図書館だねえ、と。これがまず最初の新領域の経験。研究レベルの実務への実践という意味ね。
2.夜遅くなったので、明日以降に追記予定。さて、続き開始。次は1996年から1997年のレソトとインドネシア。96年はまず南アフリカの中にあるレソト王国の世銀案件。詳細設計だった。普通の案件だが、チームの体制では初参加。オーストラリアのSMECというコンサルがJV幹事。その下に南アのコンサル、工営が参加。ただし工営からは僕だけ。あと二人ほどアサインされていたけど、逃げた。そりゃそうだ、全員外国人のなかに一人で行く人はそうはいない。僕だけだったね。業務は通常だったけど、工営という日本最大のコンサルなのにJVサブで外国人チームに一人参加は新領域だろうね。当時ある問題が発生。僕のSW外の作業を要請されたので、これは違うだろうということで、本社にファックスで相談したが無視された。本社の部課長には英語で反論できる人はいない。あれは、畑尾部長、伊藤課長だったかな。それ以来、二人の嫌がらせは高まったね。別の事情があった。一つはSMECに参加していたアイスランド人はレソトに来る前にイランの水力発電の現場にいた。ドイツのラーメーヤーの借り上げ。JV幹事は工営。彼は工営の指示などに不満を持って辞めた。二つ目は、ヴェトナムで工営の営業とSMECの営業が揉めた。それでSMECは工営をよく思っていない。こうした事情も僕の立場に悪い影響を与えたかもね。この時、工営の海外事業はグローバルに展開はしないだろうと予感。30年経って事実化したね。そうそう、新体験は、レソトから帰国するんだけど、途中トルコに寄れと本社からの指示。レソトでちょっと遅れたので、次のトルコのアサインが迫っていた。まあいいか、成田行きのエアフランスのチケットをイスタンブール、アンカラに変更。アンカラで作業中、ルーマニアのある案件の現地調査せよとの命令で何日だっけ、1週間かな、行って調査。レソト、トルコ、ルーマニアの3か国の仕事を成田に戻らず達成。これもアサイン上の新領域か。
3.上記の1997年を忘れた:1997年にはまた新領域の仕事。世銀のT/A案件。やっぱ、新領域は世銀案件が多いかな。JICA、JBIC案件は保守的。挑戦的な案件はあんまりない。1980年代に工営が実施したインドネシアハイドロインベントリマスタープランの第2弾調査。アメリカで開発されたEGEASというソフトを利用。だれも全国レベルで使える人がいなかった。僕も最初だったけど何とか終了。それ以降他の後輩が使えるようになったと聞く。上記1.では、混合整数計画法でアメリカから手に入れたLINDOを用いたけど、今回は動的計画法だ。前者は数学モデルで後者はシミュレーション的だし、データは膨大。まあなんとかやったね。これも新領域だ。
4.工営での最後の新領域はまた世銀のT/A。IWRM適用のちょっと前。水資源と土地資源の開発計画。僕が団長であとは全員外国人。すごいねえ。上記2.とは真逆。たぶんそういう構成はないんじゃない。当時の澄川専務が、君は外国人が好きだからねえ、だって。こういう極端なアサインはまれだし、僕にとってはアサインの新領域。これで工営時代の新領域はすべてかな。
5.2002年以降は、工営を卒業して、他社での他流試合。あんまり新領域はない。JICAの専門家派遣では結構面白い経験ができたから、僕にとっては新領域。マラウイでは、ODAの案件を精力的にプロモートして、6件くらいかな、総額で22億円。マラウイ側からは大臣、事務次官、局長など感謝されたね。まさに技術営業だ。いい経験だった。パラグアイでは、初めての流域管理計画の準備調査、本格調査に参加。本格の技プロではJICAではたぶん初めて同じ案件で二つの専門家を兼務。ありえないアサインだったね。流域管理計画のマスタープランもJICAでは最初だと思う。
6.2018年以降は、ODAから離れ民間事業へ。新領域では、半導体工場建設の工事監理で超純水・再利用プラント。そして、太陽光発電調査、ゼネコンの新事業計画、アメリカのスポーツ照明の日本での事業計画、業務改善、プロジェクト管理かな。全部僕にとっては新領域。プロジェクト管理という括りでは一緒かな。でも技術的には最初は大変だったね。
7.そして、2025年8月:来週からまたまた新領域の始まりだ。なんか海外の初めてのプロジェクトに行く前の感じに似ている。かなりお勉強はしている。マイクログリッドはかなり情報もあり、事例が多い。国策でもある。半導体とかスポーツ照明とかあんまりネット上に情報ないんですね。今回は膨大。英語の資料も豊富。AIという優秀な部下もいる。
以上がざっと44年間の新領域分野の総括。次の案件に関しては、現場も行くし書くこと多そう。ただし、民間企業なんで具体はあんまり書けないかな。ワクワクドキドキの心境だ。
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