2024年12月15日日曜日

2965:部下をどう育成する?

11社目の会社に入って約4か月過ぎた。前職は3年間新事業の事業計画をやっていて、要は海外事業と経営企画の半々かな。すごく面白かったね。答えの出ない課題に取り組むのはコンサル冥利に尽きる。 関わる社員は、社長、執行役員2名、事業本部長、部長、研究開発チーム、海外チーム、現地雇用者数名かな。結構事業に関わる人も多かったか。僕は3年でもうやり尽くしたので、あとは社員に任せてさようなら。もうあとは正社員ができるしね。たぶん。彼らが事業実施に向けてどうするかを気づいていればね。無ければだめでしょう。それらを彼らにある程度指針として残したけど、本質を理解しようとか、すべきことを気づいたかで決まり。当然、正解は分からないので、会社を去るときはなにも残していない。 まあそんな感じで過去の10社も同じように関係者への育成はなし。無責任かと思われるが、人材育成の限界を知っているので、先生的な指導はいない。 じゃーどうしたのか?部下の気づきしかない。いろんなパターンがあるけど、やる気とか熱量、それとスキルで4分割する。 1.熱量はあるし、スキルも十分:ほっておく。適宜モニタリングでオーケー。 2.熱量はあるけど、スキルがいまいち:OJTで頑張ってもらう。 3.スキルがあるけど、やる気がない:先輩とか同僚とかとペアワーク。 4.どちらもない:最悪だけど、徹底的に管理・指導が必要。 僕自身は、過去44年間大学院卒で入社以来1.の対象者だったので、上司や先輩から指導された経験はないし、ペアワークとかOJTもなし。1982年に会社のルールでOJTでヨルダンに現場に行ったが、実際はOJTではなく、junior structural engineerとして報酬も得ていたのでOJTで来たと言わないように所長に言われた。35歳で行き成りPMとなったが、何となく上記の4分類は感じていたかな。コンサル会社は院卒も多く、多くは1.に属している。それだけ優秀だ。 さて、今の会社。1.の人はあんまりいない。結構、4.が多いかな。最悪な状況である。VUCA世代だしね。気付きをしてもらう前に数年で辞めちゃうし、離職率も高いしね。 適応課題に関してはモンスターの経営者の志向・考えをどう社員に気づいてもらったらいいんでしょうね。エヴァンジェリストとして??

2024年11月17日日曜日

2964:自己肯定感と自己効力感

このタイトルで以前ここで書いたか忘れた。Facebookだったか。まあいいや。 この違いを分かる人は少ない。僕だって自分の人生を整理して分かったこと。日本の普通の教育システムでは前者を育成する。でも後者はあんまり強調されない。小学校から後者を延ばす学校もあるけど、あんまり効果ないんじゃないかな。例えば、前者がない子供さんに英語をマスターさせようって、かなり危険。おかしな日本人になっちゃう。 前者は、言わば一階部分。一階をちゃんと作らないと、二階部分の後者は築けない(気づけない)。 前者は現在、後者は鍾愛忍耐して抱く感情。自己評価ね。 偏差値を評価基準とする学校教育は前者を高める。学校では後者の育成は無理だね。 なんか根拠ないけど、将来こんな風になりたい、僕ならできそうだ。これが自己効力感。根拠ないところがミソ。 僕は前者がかなり不足、だから中高大も伸び悩み。勉強が嫌い。浪人、留年。大学院は奇跡的には入れた。そこから好きな勉強が進み、奇跡的に就職できたのは、自己肯定感より、自己効力感を見抜いてくれた「工営の久野一郎さん」のおかげだ。人生の恩人だね。 転職だって、前者の繰り返しではキャリアアップにはつながらない。後者を持ったうえでの転職は持続性があり、転職ごとに成長する。やりたい魅力ある仕事に溢れているからね。スタートアップ企業だと、後者を持った人が多数派じゃないと成長しない。大企業からスタートアップ企業に来ている人もいるが、会長・社長の期待には否定派が多い。だってさ、彼らに将来に向かっての挑戦なんて思ってもいない。第2の職場として現状を続けてくれないと生活できない。それが転職の目的。今の日本の大企業に成長は見込めない。その会社の社員に再スタートできなっすね。 人事関係者もこうした自己肯定感と自己効力感に興味を持ってほしいね。人事は、社会心理学を学ぶべし。内省的実践者には先生は要らない。創業者なんてそうだよね。借金までして創業するんですよ。自己効力感がない人は社員だけで自己肯定感だけで終わる。 さて、明日からまた会長の突然の要請を楽しみに出社しよう!!

2024年11月10日日曜日

2963:5年ぶりの今川中学校21期同期会

昨日はお茶の水に5年ぶりかな、行ってきました。埼京線から乗り換えの新宿駅もバカ混み。コロナ中から渋谷・恵比寿での乗り換えだったから新宿は久々。さすがに世界一の駅だね。お茶の水駅もあれーなんか変。駅の改良工事真っ盛り。ここも久々だ。東京の変化はすごいね。今の会社のある高輪ゲートウェー駅も大改良。だけどねえ、品川と違うからどれだけ人が集まるかはかなり微妙。 さて、5年前の同期会も2019年11月だったから、コロナの直前。ラッキーだったね。外資系の半導体工場建設(ドイツのEPC会社とアメリカの施主)に関わり2年ぶりに広島から東京に戻り、日本のコンサル、スペインのEPC会社、日本のゼネコンと短期で連続転職。今は外資系日本法人に属しているから2018年から6社か。1981年から院卒で11社目。あんまり自慢できそうな数字じゃないけど、僕自身は意外と気に入っている。組織と人材の開発が僕の専門だしね。日本の企業の場合は、海外事業展開を進めたい、外資系の場合は、日本でビジネス展開を進めたい。その両者の支援が僕の使命。バイリンガルで良かった。 大体、新しい会社に入社すると、1日でその会社の課題と成長可能性が分かる。外から見る戦略経営コンサル会社はある意味無能。そとから見たって分かりません。自分なりに見本を示したり、プロジェクトを形成したりとするけど、数年するともうだめだね、という気分になる。会社の成長ベクトルに社員が同期していないし、現状維持バイアスがあるので、チャレンジする意欲もスキルも足りない。 そんな感じでいると、もっと魅力的な会社をイギリスとかシンガポールのリクルート会社から進められて転職。だからいろんな会社の組織人材開発の能力が高まっていくという自分の自己効力感が高まるという好循環。ある意味会社を踏み台にして自分が成長かな。会社自体は5年、10年経っても変わらない。日本の会社の衰退はじわじわ来ているね。 さてさて、話はそれた。同期会会場は5年前と変わらずの明治大学所有の宴会場。安くていいね。3時間くらいだったかな。55歳の時は、1次会、2次会、3次会のカラオケ。60歳もそんな感じ。65歳の時はどうだったか。たぶん、秋葉原で2次会だったか。70歳の今回は1次会のみですと、幹事さんのはがきに明記されてた。そりゃそうだよね。 ちょっと話を戻すと、なんでこういう同期会に参加できたということ。1997年、フィリピンのピナツボ火山防災MPのPMしていた時、今川中学の同窓会ってあるのかなとネットで調べてみた。当時、43歳。 調べると第22期の同期会幹事の人が幹事総会にでていて、その方のメルアドがあった。それで、彼にメールを出して21期の幹事を教えてほしいと連絡した。ご親切に、21期の幹事F君を紹介してくれた。早速F君にメールを出し、将来同期会があったら連絡くださいと依頼。それが1997年だから、実際に同期会が開かれたのは12年後の2009年。それから5年おきに開催でしたね。 中学時代当時、AからF組まであり、一クラス40名ちょっととすると、全体で240名強か。幹事さんの弁によると、連絡が取れない場合が多く、連絡が取れるのは100名強程度だと。そのうち参加は50名以下。今回は47名で、最高らしい。大体半々で女性がちょっと少ないかな。それでも多いでしょう。幹事さんたちの貢献だ。今回は初めて故人のリストが配られた。17名。男性13名、女性4名。連絡が取れない人が多数だから母数は分からない。まあそんな感じかな。リストの中には、知っているやつもいた。過去のリストなんでもう亡くなったことを知っている人もいたが、特に優秀だったS君が入っていた。彼がどんな人生を送っていたかは興味あってネットで調べてもなかなか出てこない。唯一、ある業界新聞社の彼の名前があっただけ。田舎から出てきた僕にとっては男女ともに大人びていて言葉も都会風、賢い。今から思うとそうじゃないことが分かるんだけどね。 僕の中学時代は最悪で、特に3年間ストレスで十二指腸潰瘍で悲惨だった。朝夕はとくにひどかった。片道2時間半の通学もあったし。効率的な勉強方法も知らない無知。実際、試験勉強方法ね。本当の勉強は大学院からかな。社会人になって44年間ずっとお勉強だけど、中高の偏差値をあげるだけの勉強の不毛さは当時分からなかった。 同期会には、55歳の時に出席されていたK先生来られていた。元気だねえ。92歳だって。老人ホームにおられているようだけど、スピーチはうまい。先生だしね。彼から学んだのは、モノに対する洞察力かな。抽象度を上げればどう見えるか、解像度を上げるとどうみえるか。同じ対象をね。いまだからそう思えるんだけど。当時は宿題の多さに霹靂。 僕はあんまり友人関係を持たない中学校時代だったか、親しかった友人はまったく参加していない。だから会場の奥のほうで全体を見通せる位置に座っていた。僕の前に座られた方を当然知らなかったけど、いろいろ聞いたら、なんと大学学部が一緒。僕は土木で彼は機械。知っているゼネコンに長らく勤務、僕の行ったコンサルも当然彼は知っているので、すぐに話が盛り上がった。彼は70歳で初めて同期会にご参加とのこと。話は同じ建設関係だからよかった。 お隣に来られた女性も初めて話をしたら、彼女の中学生当時の面影を思い出した。地元神田の方。ちゃきちゃきの江戸っ子。お茶目さも変わんない。当時は全く話をしなかったけど、さすがに70歳だからすぐに盛り上がったかな。彼女のご性格もあるね。 全員の短いスピーチもいいね。1分半だけど、それぞれの人生が垣間見える。外観、話しぶり、声の質、話の内容などなど。どうもコンサルタント的な見方かな。反省かも 幹事さんチームも大変らしい。開催準備とか。まあFaceBookとかで同期会サイトを設定してやれば、5年に一回じゃなくて、参加者が少なくても小規模でできるんじゃないかな。地方の進学校なんかだとそういう方法を取っているしね。東京・大阪での分会もできるし。今の方法だと5年後の75歳。まあご時世だと平均寿命的には若いからまだまだできるけど。 気になる女性というテーマもあります。当時通学の東武伊勢崎線で見かけたマドンナ的なYさん、中1から美貌のKさん、アメリカ在住の才媛のKさん。70歳になられてもいまだ健在ですね。コンサル的にはいろいろお聞きしたいけどね。まあ5年ごとにお会いするだけでよろしいでしょう。僕には6歳下の帰国子女の奥さんで限界です。男性でも興味ある人もいるんですが、小児科のお医者さんのH君とかさ。 K先生にお送りした寄せ書き。日本的でいいね。僕のメッセージは単純。 Go the distance. これはフィールドオブドリームスという映画で主人公が言っていた言葉で、達成するぞ(しよう)というアメリカ人なら誰しも知っているモットー。まずは75歳でも現役のコンサルだ!!

2024年11月3日日曜日

2962:韓国雑感

29日から4日間滞在した韓国。と言っても、行ったのはプサンと近郊のみ。前回は空港から直接工場に向かったので、対岸の都市部は行っていなかった。帰りも空港近くのホテルだったし。 まずは、空港から2時間の距離にあるグミ市。前回は昼飯・夕飯で繁華街のレストランに行ったが、人口40万人程度の町なんで、日本で言えば浜松程度。このグミは経済特区でできた工場でもっている町。外資を含め多くの工場がある。日本からも東レとか。我々の会社もアメリカが本社で、上海工場から日本向けは韓国工場で生産することになり、前回に続いて2回目の工場立会検査となった。 町はそれなりに賑わっているが、一戸建ての住居はほとんど見かけない。高層マンション群と工場、商店のみ。不思議な感じの町だね。歩いている人も自転車・バイクもいない。子供も遊んでいないし。学校から家まではスクールバスか親の車での通学か。飲食店などが入っている雑居ビルが多いが、それも半分は空き部屋。経済がいいんだかどうだか不明。 さすがに韓国料理高級店の韓国焼肉は最高。韓国ビール、焼酎、大量のお肉、多彩なキムチ。。。キムチはその数でいい店かどうかが決まる。 2,3日目は、偶然昼飯でフグ専門店でした。フグの鍋、フグの天ぷら、カニの甘辛煮、なんか。韓国でもフグは人気らしい。隣では、東レの関係者が15人ほどの宴会。歓迎会かね。 3日目昼過ぎにはプサンの繁華街のホテルに移動。高速道路はほぼ日本と同じかな。ハングルと英語の表記。川に沿って、里山に沿って快調に戻る。日本車は全く走っていない。日本と逆。ヒュンダイ、KIAばっかで、ドイツ車も少ないかな。 途中の町も高層マンションだけ。民家はどこだ?あとは農地のビニールハウスが目立つ。プサン直前で高速を降りて、田舎道を走る。民家がない。小規模な店舗が続く。さすがにプサン都心部に入ると大都会。人口は400万人くらいか。ちょうど横浜市くらい。それくらい都会だ。高層マンション群が続く。ホテルは空港から20分程度の繁華街。まるで新宿歌舞伎町のど真ん中にあるようだ。ハングルのド派手なネオンサインばっか。怪しげな店もあるけど、行く元気もないね。残念。長期滞在ならいくけどね。 プサン・成田間は大韓航空を利用。まあまあのサービス。2時間ちょっとで行けるから観光でもいいね。美容品の専門店はすごい。安いしね。若い女性が韓国に行く理由が分かった。韓国製の美容品はホノルルのモールでも大好評だったな。すごいですな。 韓国も経済とか人口減少とか問題だらけ。あのマンション群も20年したらどんなことになっているか?

2024年10月26日土曜日

2961:JICAフルボ酸詐欺の顛末

2958で紹介したJICAフルボ酸事件のその後だけど、国土防災技術の責任者は取締役を解任され、首ではなく、社長室付きの嘱託だってさ。適当な処分だね。自社で開発した製品を販売価格で見積もり、通常は仕入れ価格なんだけどね。意図的。 詐欺じゃない。あまい処分だね。 責任者のT取締役の下で働いていた部長と社員はとっくに会社を辞めました。3人とも知っているけど。Tさんは胡散臭い、部長は博士号を持っているだけの素人、社員は元海外青年協力隊。まあよくも素人ばっかり。 こういうコンサルは結構いるんです。ピンからキリまでの会社でね。 ご安全に!!安全第1、品質第2、そして利益第3。

2960:29日から韓国へ

2日後の火曜日から韓国出張。コンサルじゃないんで、4日間。それに韓国の釜山から2時間のグミ。所謂工場検査である。日本の顧客の立会検査に同行。この韓国工場の立会検査も2回目。前回は入社2週間で会長命令で行きました。まだまだ会社の状況も分からずの行き成りの命令なんでちょっと戸惑いがあったが、そこは百戦錬磨のコンサルタント。特段問題もなく終了。韓国本場の焼肉も満喫。 今回は、お客さんと一緒。それでもまあ楽勝でしょう。お客さんの方も海外経験ほぼなし。うまく誘導しましょう。 アメリカの本社もいずれ行くことになるでしょうが,その準備はすでに終了。日本の事業計画はもう作成済み。これはプロダクトマネージャーの仕事。同じPMでもプロジェクトマネージャーの仕事も兼務。両方するのはあんまりいないかな。アメリカでは日本の経営企画という部署はない。プロダクトマネージャー経験者がいずれ社長になるシステム。僕はもう70歳だから経営には興味もない。経営者を助ける立場。 プロジェクトマネージメントはもう20年以上の経験があり、プロダクトマネージャーの経験は3年ほどかな。まあ11社目なんで、何でも来いだ。図々しいね。コンサル、発注者、個人事業者、外資系、ゼネコンを渡り歩いた結果だ。今はメーカー。なんとまあいろいろ関わっているね。 自己肯定感じゃなくて自己効力感を高めないといけませんね。日本の会社の人は後者がないかな。会社の成長戦略なんか関係なし。現状に満足、定年まで安定、その後は年金で。。。 まだ僕は70歳だけど年金はもらっていない。企業年金はもらっているかな。あんまり興味なし。チェックもしないし。貧乏暇なしが続く。 韓国出張後の9日には中学校の同期会。5年ごと。皆さんお元気かな。楽しみである。人生最悪の3年間でした。こういう最悪の時代を思い出すのも気持ちのいいものだ。

2024年10月19日土曜日

2959:11社目の会社

8月中旬から11社目の会社に行っています。今日から3か月目かな。転職すると最初の数か月は慣れるまでが大変。会社の習性とかね。まあ慣れたかな。これまでの会社は概ね土木。今度は土木から電気設備関係。プロジェクト管理的には概ね同じだし、技術営業的にもほぼ同じ。 僕の仕事は、プロジェクトマネージャー。でも実際入るとちょっと違う感じ。会社経営的な仕事も含むね。経営企画とか。そうだとするとPMでもプロダクトマネージャー。プロジェクトとプロダクトの二つのマネージャー。外資系でアメリカに本部がある。先日は韓国にある生産工場に行ってきた。また一〇日ほどで2回目の出張。 11月九日には、5年ぶりの今川中学校21期の同期会があるので、幸い行けることができた。5年ぶりというと2019年11月。ちょうどコロナが蔓延する前だね。あれから5年、同期の人も70歳。 僕は貧乏暇なしで70歳になってもサラリーマン。75歳までは居られるけど、さてどうなりますか。

2024年8月3日土曜日

2958:JICAフルボ酸詐欺事件

先週ですかね、JICA民間連携事業で不正事件が明らかになった。前から知っていたけど、やっと公開された。この民間連携事業は10年前から実施されていてこれまで1400件。年間で100件以上だね。通常はJICA事業はコンサルタント会社に委託されているが、中小企業を中心として民間企業の海外事業展開を支援する事業だ。 これまで不正事件はあった。日本原料という水処理会社が水処理の触媒に関する不正会計を行った。今回は国土防災技術というコンサル会社だ。フルボ酸を利用して植物活性剤としての実証を行うという。日本ではフルボ酸のビジネス化実証はほとんどやられていないが、海外ではもう普通のこと。 国土防災の実証試験はパラグアイで行われたが、結果は素人的。写真で利用前利用後の植物の成長の違い程度。それもフルボ酸液剤を500倍に希釈するだけ。作物の違いに希釈量を変える検討はなし。作付け工程のどこでどれだけ散布するかもない。追加コスト、人件費、機械、水などの検討もなし。これでは、経済財務分析はないといっていいだろう。JICAさんも知らないことだから、詐欺的調査は見抜けなかった。 どこかでチクられたんじゃないかな。責任者は開発者でもある。部下の部長や社員もすでに退職している。現地の知り合いからも情報あり、責任者の悪行に堪えられなくなり現地での支援を途中で辞めたそうだ。その人曰く、「天罰が下った」。 責任者は国土防災技術の取締役だが、社内通達で本部長を解任された。まだ取締役は続いているがいずれ解任されるだろう。 コンサル会社がこのような不正をするのは大変遺憾だ。コンプライアンス完全無視。彼のことは知っているが、第1印象は、「詐欺師」。民間連携事業の問題を浮き彫りにさせた事件であった。

2024年8月1日木曜日

2957:本日からフリー?!

昨日はこれまで3年間お世話になったゼネコンさんを退職。いろいろゼネコンさんならではの経験をさせていただきました。コンサルとは全く違うね。今日から休暇です。というかフリーですね。70歳なんで年金を満額いただきながら個人事業者として悠々自適でやっていきますと会社には伝えました。 実際は、お盆明けからある会社に行きます。契約は7月30日で退職1日前。スリリング。今度の会社はいい会社。社長と会長と会食面談で飲んで、決めていただきました。麻布だったかな。 これで、日本工営から11社目。財産的な転職経験です。いろんな事業にいろんな会社で実践してきました。中でもプロマネの経験は文句ないほど。自分で言うには恥ずかしいですね。ということで、18日間の休暇です。 「水から光」とでも言っておきましょうか。具体はまた落ち着いたら。アメリカの外資系の会社。本社のアメリカや工場のある上海にも行くでしょうね。途上国の仕事がこれまで44年間の場でしたが、日本、アメリカ、中国でのお仕事ですね。75歳まで続けられる契約です。まあ1年ごとの契約ですが。 プロジェクト管理の専門家としての仕事は面白いし、ビジネスモデル、事業計画策定など魅力あるお仕事になります。特にアメリカ人の会社なんで英語が久々使えるので楽しみ。乞うご期待。

2024年7月13日土曜日

2956:近況

今日は暑さも落ち着いてきた。外気温は朝9時半で27度。まあまあだね。蝉も疲れて鳴かないね。 3000回を目指しているが、Facebookへの投稿が主体なんでなかなか進まない。70歳の10月誕生日までに達成は無理かな。 11月には中学校の同期会が開かれると幹事さんからお知らせがあったが正式なお知らせはまだない。55歳から5年刻みで過去3回開かれているが、今回は70歳。5年に1回というのも随分開きがあるがねえ。毎回40人くらいの参加者でしょうか。さて今回は何人か。以前も書いたが、中学時代は人生の最も最悪な3年間。そんな中学の同期会に参加もおかしなものですが、世界的な仕事を目指せたのも中学のおかげ。埼玉の田舎から2時間かけて神田まで通ったことで世界が広がった。あれが、地元の中学高校だったら、就職は埼玉県とかね。それじゃつまらない。 さて、ぜ年コンも不況ですね。人材もいないし、人件費や資材の高騰でどこも大変だ。うちも赤字かな。某国の水処理案件に専従しているけど、これも事業化、収益化、持続性に大きな問題を抱えている。結局は、情報の非対称性、限定的な合意性、強者弱者の戦略とかあんまりビジネス感覚がないんですよね。サラリーマンが対応できる案件ではない。 ある会社からお誘いがあり、来週その会社の会長さんと会食面談。第2次面談が会食とはね。そういう面談があるのは知っていたし、過去に経験ある。東電グループの会社に入る前にその会社の海外事業本部長、副本部長、部長3人だったかな。そのころは東電も優良会社だったから、鼻持ちならない輩だったね。今は東日本大地震のによる福島第1の事故で社会的に没落。その会社も4年居たけどねえ。今も成長できていない。 これまでピンからキリまでいろんな会社組織に在籍したが、大成長を遂げた会社はほぼなし。そりゃそうだ。バブルがはじけて成長する会社はVCだけだ。 昭和の時代、東電、新日鉄、東芝は最優良企業。今は?すべて没落。あのレナウンも廃業だってね。 さて、会長との会食面談。入社の面談で行き成りの会長だが、会長は女性。その業界では有名だ。さてどうなりますか。まあ今の会社もいいので、気楽な面談。そういう余裕が必要だね。失業中では落ち着かない。その会社は実際外資系。アメリカでは85%のシェアーを誇る。日本ではまだまだだ。プロのプロマネを欲しいんだってさ。当然英語はバイリンガル並みでないとアメリカ本部との調整はできない。プロマネの役割として英語力は最高度。そんな人材はいないよね。大企業にはいそうだが、彼らは会社や優秀な部下たちに守られてプロマネをやっている。一人じゃできない。英語力もない。60歳過ぎた人はいるが、プロマネの条件を満たせない。 どうなりますか。気楽に行きませう。

2024年6月18日火曜日

2955:JICAさんも大変だ(組織と人材)

昔々、いつだったか、2006年ごろか。中央アジアの某国の地方給水の無償事業の事前調査に参加した。この事前調査も3回目。相手国政府の対応が悪く、必要条件をなかなか満たせない。通常は団長は本店課長とか現地事務所次長とかなんだけど、なぜか本店の次長さん。当時は無償部という強力な部があって、次長でもとんでもない権力を持っていました。その次長さんだからびっくり。 ウズベキスタンのタシケントまでインチョン経由だったか夜行便。その次長さんは着くまで一切寝ていない。どうして?と気になったが、無事に到着。 次の日の早朝、タシュケントから四駆で移動。対象国の第2の都市で一泊。予定では空路で首都に移動。前日の夜は盛り上がってビール、そしてウォッカ。。。次長も楽しくなってきたのウォッカをお飲みになった。 さて、次の日、空港行く時間まで余裕があったが、次長さんがお見えにならない。業務調整の若手職員があたふたしている。次長さんが心臓麻痺のようだと。 緊急事態だ。3つの選択肢。一つはローカルの医者が勧める特効薬を打って第2の都市で入院。二つ目は、陸路で次長さんだけタシュケントに戻って入院。3つ目は、予定通り首都に空路で移動し、到着次第入院。 結局第3の選択肢を採用。無事に首都に着き緊急入院。その後退院され現在もお元気だ。 さて、彼がどうしてそういう気落ちしていたかだ。実は彼が告白したのは次の通り。 彼もイケイケの次長さん。当然、次は部長と考えていたが、上司の部長からそれは叶わないといわれたそうだ。さすがにこわもての次長さんも落胆された。大体、JICAも民間企業と同じサラリーマン組織。50歳前後で出世するかしないかの瀬戸際になる。 彼は結局定年前の何年か子会社の事務局長に収まり、定年直前で監査室長、そして退社。退社後はあるコンサルの非常勤顧問で現在に至っている。69歳ね。彼に対する待遇は悪くない。プライドを失うことないしね。 次のケースは、最近のこと。南米の流域管理の技プロ。前段で僕が案件形成調査を3か月やった。担当者曰く、どうも林野庁が官の技プロでやりたいと。コンサルのほうが成果出ると思ったけどね。その後プロジェクトが進んだ。2年経って、流域管理計画と浸食堆砂の2つの専門家が派遣されるとのこと。あれ、それまでの2年間はなんだったの?素朴な疑問だね。 実際、団長はJICAの職員。定年まで4年。だからそれを終えたら定年だよと。。。 彼も非常に優しい親切な人。ただし、流域間に関してはまったくの素人。僕が失った2年間を何とか取り戻した。彼もつらかっただろうけど、プライドは傷つかなかったね。まだいいほうだ。 最近、ある事業で定年前と定年後のお二人に会った。定年前の方の肩書は専任参事役、定年後の方は企画調査員。変な肩書。前者は課もなくお寂しい肩書だ。後者はもっと厳しい。企画調査員というのは通常外部者で公募で選ばれる補助員。お二人とも輝かしいお仕事をされているのは知っていたので、経歴と実力にマッチしない雑用要員の立場に同情を感じたね。 独法も省庁の子会社。省庁の方は天下りの機会があるが、子会社はかなり難しい。ほとんどないんじゃないかな。準公務員とか言われて現役時代はいいが、定年前定年後は大変だね。 もっと自由な方もいて、定年前にあっさりJICAを辞めて、ボランティアをやっている人もいる。内心どうかは不明だが、まあいいんじゃない。 僕なんかコンサルの渡り鳥。いつ引退できるか不安です。次から次へとヘッドハントされるのもやめるタイミングが難しい。今はプロマネが非常に不足しているので70代でもオーケーだとさ。それだけ50代の経験値が低いということだね。

2024年6月6日木曜日

2954:2953号の続報(面白いよ)

前号で、面白い事業のリクルート状況を書いたが、さらに面白い展開になっている。この事業も例にもれずコロナ後の物価高騰で事業費が膨れ上がりコロナ前より2倍以上上がったようだ。国内の大手銀行から追加融資を得て事業再開。 これは通常のこと。問題はプロマネチームの力量であった。リクルート会社からはシニアプロマネのご紹介だった。一本釣りということで公募はなし。早速、本社のフランス人と面談。結局、年齢的なことでなしとなった。前任者も65歳ということで定年で離れたと言っていた。なるほどね。 それからのリクルーターの複数化に関しては前号で述べた。 ところが、2番目のリクルートが更新されたのだ。1回目は60人ほどの応募者があり、僕も応募した。それが1週間ほど前に停止。やっと決まったかと思ったが実際はそうではなかった。第2回目の公募が発表されたのだ。対象はシニアプロマネだが、若干の変更有。その公募でも40人以上の応募がある。 なんか変な動きだね。大体、数十人いれば決まりそうなんですが。 どうせ、LinkedInなら見ている人は同じ。 どうして決まらないんでしょうね。と、思っていたが、ある理由の一つが分かった。 期待される新人のシニアプロマネだが、前任者は今年の1月に辞めて他の会社のプロマネをしている。定年という方だが。それと、もっと調べるとプジェクト管理チームは事業者の日本法人で5人いるが、もう一人のプロマネが今年の4月に辞めている。 なんだ、事業者のプロマネチームの崩壊だ。結局、外資系の事業のプロジェクト管理ができていないチームなのだ。それじゃ、シニアだけ交代しても解決しない。だからといって、日本語のプロレベルの能力を持っている外国人はそうはいないし、見たことがない。 僕は面白いので2回目の公募にも応募した。選ばれることはないと思うが、2回目のリクルーターは熱心だ。どうなりますか。 そんな中、また別のリクルーターから面白いプロマネのご紹介があり、会社幹部の反応待ちだ。今の会社もいい環境なんでいいけど、また違った環境でのプロマネも受かれば行きたいところ。 神様の期待に沿っていきませう。乞うご期待。

2024年5月10日金曜日

2953:ヘッドハンティング後日談

新しい事業が6月から開始予定。1年4か月続くことに。ということで、あるプロジェクトのプロマネのお誘いはなしにした。フランス人の幹部との面談も1時間に及んだが、プロジェクト自体の難しさを痛感した。外資系の会社が日本で建設事業を実施するのは実際大変なのだ。 2018年から約2年間、東広島のマイクロン半導体工場の新設事業に参画したが、毎日が地獄のような混乱状況だった。僕の所属したドイツのEPC会社は、半年ほどで事業者から最後通牒をでて、ドイツ人のプロマネは解任、そして1年後にはEPC契約も解除され、参加していた20名以上の職員は解雇。僕もその中にいたが、事業者内の多くの知り合いの推薦を得て、事業の最後まで事業者のインハウスコンサルタントとして無事に工事を終えた。そういう経験はあまりないものだ。 実際、日揮とか大手プラント会社出身の人もいたが、日本での外資系企業のケースには経験が乏しい。会社や部下が助けてくれるしね。日本での外資系事業は大変なのだ。文化、価値観、技術などなど。。。 お誘いのプロジェクトも同じようなご事情と面談での情報で確信した。資金ショート、日本人と外人とのコミュニケーション、工事の進め方、事業者サイドの管理能力、コンサルの調整能力など問題が山積。このような状況でプロマネが辞めたとのこと。それで新人のプロマネを投入しても到底問題解決はできない。 管理組織全体を見直さないとね。東広島のケースでは、事業者側のプロマネも数回交代していたが、最終的には無力。結局、数人の幹部で曖昧な形で工事管理したね。 さて、リクルーターも大変で、僕は一本釣りだったが、それではいい人材がいないということなのか、公募に切り替えた。2週間ほどで40名以上の応募があった。しかし、その後、別のリクルーターが公募開始し、さらにまた3番目のリクルーターが公募。こんなの珍しいね。結局、第1番目のリクルーターの公募は消えた。今は2,3番目の公募がまだ消えていない。さてさて、誰を選ぶんでしょうね。フランス人に選定する能力があるかどうかも疑わしい。彼らだって管理者の一員だし、現場に行かないで本部で管理している。だれも事業者内では責任を取りたくないのだ。だから外部から?無責任な話だ。自分たちができないことを外部から探すのは滑稽。 まあそのうち結果が出るでしょうが、プロマネが現地入りしたらさぞびっくり仰天でしょう。こんなはずではないと!! 外資系企業の日本での建設事業は鬼門だ。

2024年3月9日土曜日

2952:新事業の開始とヘッドハンティング面接

いよいよわが社の新事業展開が始まった。調査計画というコンサルのお仕事なんですが、やはりトンカチゼネコンさんは苦手の分野。それでも自信ありげでやっているから笑っちゃいます。調査項目も最終的な事業計画の材料としてどう料理するかを方法論として理解していないから、調査項目と実施内容もあやふや。 これから先が危ぶまれますね。経験知見の不足と甘さ。 さて、別途イギリスのリクルーターからヘッドハント。毎週いろいろあるんですが、今回は大事業のプロマネ。面白そうなんで対応したら、1次面接でご招待。 事業内容はすでに情報収集しているので、いろいろ事業がうまく行っていないことは承知。事業が始まって1年経って、新しいプロマネを探しているのは危機的な状況が発生しているのでしょう。新規だったらいいんですが。。。 事業者の弱みを熟知しているので、大胆な発想で面接には望みましょう。70歳でこんなおいしいプロマネの仕事はないですからね。 ただし、数年前に経験した民間事業と同じように大変な状況。地獄でしょう。そのプロマネをするのは大変なお仕事。悪い面といい面の両方があります、新プロマネの立場わね。 面白おかしく面接して、大勝負に出ましょう。今の会社も面白いしね。失業していないので気楽です。

2024年2月28日水曜日

2951:フルボ酸のビジネス化事業の顛末

フルボ酸は植物活性剤として世界中で応用されている。歴史は結構古いと思うし、マーケットもものすごく広いし、競合する会社は世界中に広がっている。通常は、フルボ酸を使った場合のFS調査を実施して、ビジネスモデルを作成し、損益分岐点などを精査し、持続性のある利用を明らかにする。当たり前のFS調査ですね。 ところが、JICAの民間連携で実施された2つの調査はまるで素人的な内容でがっかりした。 世界の市場とかまるで無視。技術的な適用性とか、フルボ酸の有無の違いを生産高、利益などなにも精査していない。 これでビジネス実証したと思っているところが無知。 このような商品や技術を海外でビジネス化していくプロの検討調査が期待されるところだが、それに合格したと思われる事案は非常に少ないのが実情だ。

2024年2月1日木曜日

2950:村落給水と技術イノベーション

3000号まであと50。まだまだですね。Facebookにいろいろ書いているのでこっちはなかなか書けません。海外出張中だと一日1件は書けるからあっという間に進むんだけどね。 さて、首題について。 このテーマはJICAでも2018年ごろにまとめられているんだけど、具体的には一向に進んでいない。 先日あるセミナーでのこと。青年協力隊の水の防衛隊がいろいろ工夫がみられているので、コンサルさんも参考にしてと助言されました。なんとも言いようがない。我々はプロのコンサルタントで、青年協力隊の彼らがいかに専門性があろうとも、コンサルにはねえ劣る。JICAさんも随分コンサルを低評価しているね。 村落給水に対する技術イノベーションに関してはある国際機関が優れた評価報告書を出している。JICAさんやコンサルも見習うといい。 この1年ほどこの問題に取り組んでいて、具体的な事業を受注したので、これから進めていくことになる。 世界的にはもうこの20年でかなり成長している分野。JICAやコンサルももっと現実を直視してほしいものだ。偏見やご都合主義なしでね。 事業の成果は1年4か月後に出るが、実際、事業性、採算性、持続性の詳細に関してはもう調査済みだ。