1996年は出張の移動がすごかった年だ。
まずは南アの中にある山岳国であるレソトで総工費1000億円の越境導水事業のD/Dに参加し、帰国途中でトルコに寄り、総工費500億円の水道事業のD/Dに係り、その作業中にルーマニアに立ち寄り港湾事業のプロポ作成資料の収集と現地調査を実施した。
要するに、南アから帰国せず、三つの仕事を片付けて帰国したことになる。効率的だったな。
レソトは南アに囲まれているので、2度ほど南アの地方都市に行っている。それがブルームフォンテ―ンであった。オランダ系住民の多い都市である。レソトからは数時間かかったと記憶している。高原ではヒマワリ畑が広がっていた。町は小さく、のどかで危険は少ない。南アの司法首都であることも関係しているかも。トルコに向かう時は同都市の空港に行きヨハネスまで国内線を利用した。
今はサッカーの試合で注目が集まっているのは奇遇だ。町にはオランダ語の看板もあり、オフィスを意味するカントールはインドネシア語にもなっているから面白い。
帰国後はタイの大型導水事業のF/Sに参加した。だから、96年は、三つの大型水道事業に参画したことになる。最後の案件は2000億円が事業規模だったから、三つ合わせて3500億円となる。レソトとトルコはほぼ完成したが、タイはF/S以降D/Dには至っていない。タイの導水事業はちょっと粗雑な計画だったが、幹事会社ではなかったので良案は言えなかった。JVサブの遣りにくさをしみじみ感じたね。
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