1996年初めて南アに行って、小型機でレソト王国の首都であるマセルに向かった。ヨハネス空港もあの当時は暗くて、治安の悪さにさすがの僕もおどおどしていた。レソトに荷物が届いたのは次の日。
世銀が融資したレソトハイランド導水計画のモハレダムDDに参加するためだ。詳細は以前書いた。あれから17年。すでにダムは完成した。
さっき、モハレダム貯水池の写真を入手したので、記念に載せておく。懐かしいね。
南アの中にあるレソト王国。本ダムのDDでは、水文と水理を担当した。豪州のSMECを幹事会社とし、有名な米国ハウザー、南アコンサル連合、そして日本最大手コンサルのJVだ。日本から小生が一人だけ参加。
水文水理担当というと、日本では若手がまず調査で最初に参加する専門だが、欧米は違う。生涯水文水理をシニアとして専門する。それだけ重要な専門だ。
過去の様々な既往調査を徹底的にレビュー評価する。流域面積(過去では4つあった)の最終決定から始まって、水文観測所のdischarge rating curvesの精査、PMP、PMFの最終評価と続く。
当時、所属会社とSMECがヴェトナムの案件でJVし、SMECの勝手な営業活動で両者の関係にヒビが入り関係悪化。しかし、すでに決まっていたSMEC幹事のモハレダムのアサインは変更できず、SMEC側は仕方なく受け入れた、行く当人にとっては非常に不遇な状況だ。
さらに悪いことに、SMECに雇われていたアイスランド人の副所長は、その日本の会社とドイツ・ラーメーヤー社とのJVで以前イランのカルンダム建設のドイツ側現場所長として雇われていたが、トラブル発生で、解雇された過去を持ち、その日本の会社に異常なほどの恨みを持っていた。
それらは小生とは全く関係ないことだったが、結果として悪い影響を受けた。当然だね、人間だから。嫌味で陰険な豪州人とアイスランド人だし。
このことはこのブログでも書いたが、また書こう。
そういう最悪の環境下で1か月半を過ごした。だから痩せたんだね。うちの奥さんからも心配して日本から電話があったほど。当時はファックスもなかったかな?
それでも何とか成果を出し、レソトを南アの都市まで陸路で行き、無事に脱出したのだ。会社は全く助けてはくれなかったね。誰も英語力がないのでSMECと戦えない。それ以来、おバカな会社上司には頼らないことにした。後でしっぺ返しが来たが、そんなの関係ない。むしろ今思えば決裂の前哨戦だったね。彼らはもう会社にはいない。ただの老人だ。
さて、写真を見ると、レソト高原に、満々と水を湛えているね。余水吐きの規模も適切だ。僕がやったからね。このブログに以前イランのカルンダムの全景を載せたが、異常なほど余水吐きが大きい。過大な洪水量だと思う。僕は余水吐の一部を設計したが、洪水量はラーメーヤーのFSをそのまま採用。DDでは全くレビュー評価しなかったようだ。案外いい加減にDD、SVに進んでいる。
上記モハレのように徹底的にFSをレビューし精査し最終化するのがDDだ。なぜならそこから先は作るだけ。推定量の変更はできない。設計や工事監理が専門の人は、計画論を知らないから、すべての推定量をgiven conditionsとする傾向がある。そういう方々がやったMPやFSのレベルは低い。またそういう方々が部長とかになってしまうと最悪だ。調査計画部門のレベルが悪化してします。これについても以前書いたが。今のコンサル会社はどうなっているんでしょうね。
さてさて、ダム下流には、流量測定だけのための低い堰があり、水理的な断面を作り、流量測定の精度を上げていた。見事な水位流量曲線が得られる。
今いる、この国の首都から車だと数時間で行ける。行くことはないが、近くに来たなあとしみじみ思う。
もう、これから大ダムの調査計画に係ることもないだろうね。去年太平洋州の島の給水計画に係ったが、毎秒30リットルの利用水量で、ちっちゃな取水堰だったね。
最近の自分は、水政策・戦略・プログラム管理とどんどんソフトな方向に進んでいるようだ。時代のニーズ逆らわずに行きましょう。
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