2022年12月1日木曜日

2942:アメリカ在住34年??

僕は映画好きなんですが、映画評論も好き。特に、町山智浩さんはなかなか物知りで知らなかった映画の事実関係を教えてくれるので感謝です。 彼は「アメリカの今を知るTV」というBSの番組をやっていて、YouTubeでもたまに見ています。 さっき見たのは、「LAの日系人向け老人ホーム」の特集。10分程度の取材ですね。その名も「Sakura Gardens」。 管理人の説明では、70%が日系1世という。映画会もあって昔の日本映画が好まれるし、食事も和食中心とか。部屋は127室で、料金は月4000ドルから4500ドル。職員の半数はバイリンガルで日本から来ているらしい。 二人の入居者のインタビュー:一人目は91歳の日系2世(男性)で、もう一人は89歳の女性で日系1世。 ここから私の分析: 男性は91歳だから、第2次大戦終了時には14歳。日本語を忘れたくないというコメントあり。なるほど、彼の両親は日本語教育をしていたのだろう。日本語を忘れたくなくて入居したとのことだった。女性のほうは89歳で、24,5歳のころアメリカ人と結婚して渡米したとのこと。結婚時は、1958年か。在米は64年ですね。 この老人ホームは1970年に日系人向け老人ホームとして設立されたが、もともとは1900年初頭にできたユダヤ人向け老人ホームだったらしい。LAのリトル東京のそばだからか。1970年ごろだと、戦前の日系2世の中年だった方々が70年代になって増えてきたのでしょうね。たぶん、日系2世のご老人でいっぱいだったかも。2000年代になれば、日系人で戦争に行った人たち世代が入り始めたでしょう。それから22年。彼らも亡くなり、入居者もたぶん減ったと思われます。 今入居している方々の70%は戦後アメリカに渡られた方が7割とのことだし、映像を見ていると女性が多いことが分かる。前述の女性のようにアメリカ人と戦後結婚して渡米し、旦那さんが亡くなり、入居されたと想像。 さて、これでなるほどねえ、と終わってしまえばそれだけなんですが、コンサル気質ですからなにか変だなと感じて深堀しました。 まずは、Sakura Gardensのホームページから。でてきました。案内が。当然英語のサイトです。でも一切日本的なものはない。でてくる画像も白人や黒人だけ。これが日系人向け老人ホーム??それで、次はFaceBook。ありました。これも英語ですが、画像を検索したところ、やっと日本人入居者の活動があり、概ね女性が多そう。 7割が日系1世とのことですが、やはりこれから入居者を募集している対象はアメリカ人ということなんですね。それは当然で、戦後の花嫁渡航の女性ももういなくなるし、戦後生まれの日系2世も日本語全く知らない。和食にこだわる日系人もそんなにいないしね。 ということで、町山さん取材の番組もちょっと事実関係が甘いかな。彼自身、在米34年とのことでさぞかし英語力が半端ないかと思っていましたが、まるで普通の日本人の英語だし、ふんふんという反応しかしない。26歳で渡米し、34年で60歳。アメリカにどっぷりつかっている日本人とはちょっと信じがたい。

2022年11月22日火曜日

2941:ブログアクセスへの妨害??

昨日くらいからか、ブログの一つが開けなくなった。なんででしょうね。ほかのブログはオーケーなんだけど。なんでもフィッシングされるということでブロックされていた。そこでブロックされている内容をコピー相手2940として再投稿しました。 何か誰かさんに不快にさせたんでしょうか。久野さんは僕の一番に尊敬する人。ご遺族とかに不快感あたえるような内容じゃないけれど。まあガールフレンドから聞いたことなんかを書いたけど、久野さんが退職後フランス語を学んでいた時の同級生。それでガールフレンドと表現したんだけれど、それがいけなかったか。 まあ2940がまたブロックされたら、内容を点検しませう。

2940:久野一郎さんの思い出(再投稿)

最近はFaceBookで書いていることが多いので、久野さんとの思い出をそこから転記する。

日本工営の久野さんが亡くなられた。90歳。入退院を繰り返されていることは彼のガールフレンドから聞いてました。
工営23年間で、最もお世話になった方です。合掌。
久野さんとは、1980年会社説明会の面接で初めて会いました。設計部長の元気いっぱいのころ。TOEFLの結果を知って「うちにはこれ以上の英語力を持っているのはいねえんだよ。」江戸弁。隣にいた高橋さんも江戸っ子。いい時代だねえ。
結局、PCIを蹴って(八十島先生の推薦だから、本当は失礼なんですが、八十島さんはよかったねえと。この方も大物)、工営に入ることになったんだけど、実は推薦も何にもないので試験受けた。10人以上いたかな。大方は試験なしの学校推薦組。
午後結果を見たら、僕だけ不合格。そりゃそうだ。交通工学専攻だしね。水屋じゃない。言い訳。
次の日の朝がた、人事部の徳舛さんから遠慮がちな電話。「不合格でしたが、最終面接に来てくれませんか?」と。
その当時は、海外コンが人事権を持っていて、人事の判断をひっくり返すことができたんですね。久野さんの引きがあったと思う。その面接でも、国内海外どっちが行きたいかという質問があって、国内、海外◯と回答した。徳舛さん曰く、両方◯の方がいいですよとアドバイス。無視してそのまま。
面談で、今井さん(のちに社長、海外から国内に飛ばされたころだね)が君はPCIと工営どっちにいきたいんだね、と。僕の答えは、「入ってみなければいい会社なんてわかりません」と即答。
結局、海外コンの技術開発部に所属した。これにも久野さんのお働きがあって、3月までかみそり佐藤と呼ばれた久野さんのライバルがいて、技術開発部長でした。4月から比国マニラに移籍。それで、設計部から技術開発部に急きょ変更。
あの時、技術開発部に入らなければ、今頃ダム屋で終わっていたかもね。久野さんの好意に感謝だね。
25年ほど前に久野さんが役員定年され、久野さんの私物を片付けることがあったけど、僕の立場も低く(最後まで末席でした)、久野さんに感謝の気持ちを伝えることができなかった。それ以降、久野さんのガールフレンドと知り合い、時々近況を伺っていたが、結局お会いすることもなかった。いろいろ聞きたいこともあったねえ。本当に、土木の方は過去を話さないねえ。本も書かないし。
今日は久野さんを偲んで、飲むこととします。

久野さんとの思い出
久野さんの部下として最初にJICA案件で団員になったのは、トルコ・エルメネック水力発電のFS。
その前段で、南東アナトリア地域計画MPを世銀から受注し、その勢いで当時電発の牙城だったトルコに進出した2件目でした。勢いがあったねえ。
久野さん団長、RECS社長の橋本さんが環境影響評価、僕は最下位の水文担当。
思い出1:アンカラの飲食街でよくご一緒したが、彼曰く「ビンドクズ、セキサン、セキズってよく聞くけどなんという意味?」。1988年をトルコ語でそう言うんですよ、と回答。あれから32年たっても、それだけは覚えている。
思い出2:彼がしている時計がディズニーのミッキーマウスの絵があるもの。彼のお嬢さんがJALのCAで、お土産だと嬉しそうに見せてくれたね。お茶目。それにちなんでいるわけじゃないけど、今の僕の時計はシチズン製で東京ディズニーランドのお土産。内の奥さんは、ペアじゃないけど、ミニーの絵があるもの。久野さんのよりはちょっとお高い。
思い出3:彼が手解きしてくれた技術は一つ。残差マスカーブの書き方。それだけ。その後、最適手法(動的計画法など)を一切使わずに貯水池運用を最適化する手法へと発展した。これを知ったある東北電力の方が絶対にできるわけがないと豪語したとかしないとか。新入社員で入った瞬間、久野さんが当時進行中の馬国水資源MPの補助員として僕を参加させた。すぐに団員の報告書のチェックと直し、追加文章作成を開始。新入社員ね。
後はまたいつか。

久野さんのこと(その他雑談)
JICA案件で全国レベルの水資源MPはマレーシアが最初だと思う。それまでは、FSとかじゃないかな。工営は韓国での業務をやっていた時代があった。漢口の奇跡だっけ。FAOが実施した水資源MPがあって、久野さんは水文担当だと思う。当時、工営には過去の膨大な報告書があり、技術開発部時代は研究開発中心だったのでそれら膨大な報告書を読み漁っていた。その中にFAOの報告書もあり、久野さんらの専門家の名前もあった。多分、そこで身に着けた技術をJICA馬国MPで開花させたのだろう。その技術はヨーロッパからアメリカに伝わった技術で、一方ソ連にも伝わっていた。日本ではまだ未知のもの。だから工営としては無意識に日本ではない欧米の技術を取り入れたのだった。意識はしていないと思う。文献調査で知ったことだ。
久野さんはFAOから学んだ技術を工営内の若手に伝えたことになる。話はズレるが、60年代にチェコからカナダに亡命したヴィット・クレメシュ博士もその流れにいたが、彼の弟子として僕は今に至っている。久野さんとクレメシュ博士が繋がってるね。
JICA以前の組織は、OTCA。海外技術協力なんたらという組織。その頃はMPの団長は学者さんで、その下にコンサル各社から選ばれた専門家がいた。エジプトの開発計画MPの団長さんだった八十島義ノ助先生は僕のお師匠さんだが、コンサル行くんだったら、工営かPCIと言い切っていた。正解だね。
久野さんも僕の指導教授が八十島さんと聞いてびっくりしていたね。それも入社に大きく影響しているね。そういう時代でした。
久野さんだけだけじゃないけど、昭和一桁の人は寡黙だね。お嬢さんのことは褒めるけど、男の子のことは一切言わない。山口さんもそうだったし、ほとんどね。僕もそうか。
終戦時にもうちょっと歳が上だと結構話好きが多い幹部がいたような気がする。海軍予科兵学校とか陸軍予科士官学校の出身者も工営の幹部にいて、ラオスの世銀融資の水力ダム工事監理の所長が確か海軍で、本社の幹部が陸軍だったか。当時世銀とうまくいっていなかった所長に、「貴様はそれでも海軍軍人か?」と叱咤激励したと聞いている。嘘か真か。久野さんは昭和一桁だから旧制じゃないし、怒ることってあんまり経験ない。兎に角、寡黙。もっと下の高柳さんとは喧嘩したとも聞いているけどね。高柳さんとはもう18年交流が続いている。
話がズレまくりだ。兎に角、僕の人生のお師匠さんたちが次々と亡くなるのは寂しい限りだね。僕のことを思い出す後輩はいないでしょうね。残念。人徳ないしね。

以前建設コンサルタント会社の国内海外の差異を書いたが、久野さん全盛のころ(80年代)は、それまで主流であった設計・工事監理部門からいよいよ調査計画部門に主流が変わっていた。実際、設計・工事監理部門の方が受注額も高いし会社的には貢献していたのだが。
だけど、調査計画の方がかっこいいし、設計工事監理はダサいイメージが幹部にあった。
それがバブル崩壊のころからちょっと変化し始めた。ODAが減り始めて調査計画案件が徐々にだが減ってきた。今なんかMPやFSすらないからね。技術指導の技プロだけ。
そんなわけで、今まで辛抱していた設計工事監理屋さんが台頭してきた。そのころの部課長がだんだん設計工事監理屋さんになり、僕など調査計画屋を軽視し始めた。しょうがないね。
また、国内コンも台頭してきて、調査計画屋は肩身の狭い思いをするようになってきた。
そんなこんなで、僕もイランに飛ばされた。現地で雇用しているイギリス人が、君本社でなんかやらかしたの?と聞く。なんでと聞くと、彼曰く、だってさここに飛ばされた人の多くはあんまり厳しい現場なんで皆さん会社を辞めたよ。なるほど、ここは辞めてほしい人材の最果ての地なんだ。自己都合で辞めてくれれば退職金も少なくて済む。賢い判断。
僕は会社以上に図々しいので自己都合では辞めなかった。会社都合での退職。会社もこの制度をすぐ止めたね。当然だよね、優秀な人材がどんどん辞めて、お金もかかる。
会社の判断って面白いね。もう海外コン自体が国内コンに吸収されるねえ。。。

2022年10月18日火曜日

2939:価値の提案

今日は在宅。雨が降りそうかな。ゼネコンに来て1年2か月。コンサルと違い、売り物の商品というのがあります。工法でもいいか。建設資機材もある。これらを海外でどううまく展開させるか?これが大きなテーマ。 コンサルとしては、SWOTという整理があります。 強味、弱み、機会、脅威。 これは自分だけでなく、会社全体、部署、客先、なんでも適用可能ですね。コンサルとしてうまくこれで整理整頓できればいいね。 ゼネコンだとちょっと難しい。相手、すなわちお客様が存在する。 自社の開拓した商品が果たして客先のニーズに適しているか?競争相手も多数あるし、対象国の違いもある。 英語では、 Value Proposition Canvas を作成します。詳しくはネットで検索してね。 これで各商品や工法を整理。まあ大体把握しているんですが、これで整理するとみんなで共有できるし、議論の材料にも使える。

2022年7月27日水曜日

2938:副総括採用で自動的に2点加算はいけません

JICAの調査案件をご存じの方は分かると思いますが、調査団に副総括を入れると自動的に2点加算されます。そのため、1位と2位の差が2点以内だと、2位の会社に副総括がいて、1位の会社にいないと、勝敗は逆転され、2位の会社が1位指名となります。 実際、JICAさんとしては善意(?)でそういうシステムを採用したと聞いています。すなわち、人材が不足気味のコンサル会社で経験の浅い中堅を副総括にさせて経験を積ませるという発想でしょうか。 しかし、実際は上記のような勝ち負けの道具に使われているのが実情です。困ったことですね。 ある大手コンサルの場合、ある中堅社員を複数の副総括に任命し、首尾よく受注したのですが、突然彼が退社し、その影響が複数の案件実施にでて、JICAさんから怒られたとのこと。当たり前ですよね。 そんなことばかりしていると、会社的に信頼を失います。 僕自身が参加した案件では、堂々とプロポを作成し、いい団員を当て、副総括を設定ませんでした。競争会社は当然2点を目当てにして副総括を配置しましたが、我々は2点以上の評価をいただき、2位の魂胆を撃破しました。さすがですよね。これがコンサルというもの。

2022年7月26日火曜日

2937:水文・気象・水理

この3つの専門性は、水を扱うコンサルタントにとってまさに三種の神器。 通常はコンサルに入って30歳代まで続く専門だ。僕なんか30代を過ぎてもやっていた。世銀とかでね。 JICAなんかでは、若手の専門だが、世銀やアジ銀のコンサルタントでは、シニアでも立派な専門家だ。それだけ重要な項目。 さて、これらの解析を間違えると計画も狂ってしまう。 ちょっとだけ、過去の重大な失敗例を思い出してみよう。僕がやらかした事例ではない。大先輩の失敗事例。 某国某案件だ。 1.流出率が1を超えた! 通常、雨量と流量の関係を年単位で評価し、流出率が1を超えなていないことをチェックする。超えていたら、間違いで、雨量の推定が間違っている。逆もありかな。流量記録が少ないと起こるかもね。実際、昔々、ある大御所の上司がやらかした。流出率が1を超えるような解析を行い、計画に適用した。あとで幹部に怒られたそうだ。やり直したかねえ。たぶん。 2.年平均使用流量を過剰で計画! これはかなり重大な事件。ある会社のことだが、この事実を知っている人はもういるかいないか?もう定年でいない。 アルミ工場って24時間一定量の電力が必要。ある国のあるところでアルミ工場を立地。そのため河川にダム発電所を築き、そこから一定量の電力を得る。その河川の上流には巨大な湖が存在。そりゃいいね、いうわけで、その対象河川の流量記録を解析してダム湖の貯水量を求めた。90m3/s程度の一定利用水量が得られると計画。 そこまではよかったが、後日利用可能水量が80m3/s程度しか得られない。なんでやねん? 実際、僕も精査して分かったことだが、流量を自然に戻さないと起こってしまうのだ。上流の自然湖の貯留のおかげで、アウトレット後の河川流量は自然の流量ではないのだ。 そこで自然に戻し、改めて貯水池オペレーションをやってみると、可能な利用可能流量は80m3/sだった。 これを公にするわけにいかない。 ある天才が思いついた。それだったら、上流の湖に10m3/s流入させればいい。でも河川ないね。 彼は考えた。そうだ、上流に小河川がたくさんあり、それらを集めて、トンネルで導水し、同時に発電しましょう。それなら意味がある。 その後は大変。10個以上の小河川の水量調査。トンネル、地下発電所の設計。その後、建設。建設から完成まで10年以上かかったんじゃないかな。地質が悪く、地下水がトンネル内で噴出。 建設現場に所員として参加した後輩は、ずっと現場にいて、最後は所長。すごいね。今は海外部門の最高幹部。 水文推定の失敗を天才的な発想で克服した良例である。かな?? 最近は、水文気象や水理を専門する人材育成が遅れている。その影響がJICAの案件でもでているね。取水施設が洪水や渇水で被害を受けている。開発調査案件もほとんどなく、技プロばかり。これでは基本的な水文・気象・水理の技術が衰えるね。残念。

2022年6月13日月曜日

2936:この2年間余りは日曜のごミサはYouTubeで

「We can rejoice, too, when we run into problems and trials, for we know that they help us develop endurance.And endurance develops strength of character, and character strengthens our confident hope of salvation. 私たちは問題や試練に出遭うときに喜ぶこともできるのです。それは私たちが問題や試練が忍耐を育てると知っているからです。」 上記は新約聖書の一節。ローマ人への手紙(パウロ)の第5章3節でしたかね。 昨日は関口教会のごミサ。主任司祭の説教はなかなか良かったね。彼が引用していた箇所でした。 苦難は忍耐を 忍耐は練達を 練達は希望を生む、というキリスト者としてのプロセスですね。 でま、これって一般論の人生とか仕事でも言えそう。あんまり子供の時から実践はしていなかったけど、ここ20年ほどは実感したね。 67歳半で、気づくのは遅すぎだね。でもまあこれも人生。どんな苦難でもどんとこい、というのがこのブログのサブタイトルでもあります。

2935:まだ仕事をしてました!

2010年ごろに書いた「コンサルにはAB型が多い」というブログが最近アクセスされていて、何かいただろうかと見てみた。 当時56歳で、先が読めていなかったのか、65歳で引退と考えていたようだ。しかし実際は68歳でもコンサルしているね。まあゼネコンだが、仕事の中身はエンジニアリングなんでコンサルと同じ。ゼネコンも本社はエンジニアリングで、支店とかは建設という風にしているようだ。 だから67歳でも雇ってくれるんだね。ありがたいことです。 では現在67歳半。いつ引退かな?予想がつかないね。 70歳じゃ近すぎるし、80歳は遠い。では75歳まで現役のコンサルということで!!

2022年3月28日月曜日

2934:水資源管理戦略の階層?

イギリスの地政学者コリン・グレイによると、戦略の階層は「①世界観、②政策、③大戦略、④軍事戦略、⑤作戦、⑥戦術、⑦技術」といった7つの階層に分けて戦略を考えるためのツールである。 水資源分野だと、 1.ビジョン 2.政策 3.戦略 4.アクションプラン 5.戦術 6.技術 かな。5.戦術は、調査計画でしょうか。最後の6.技術に前回書いたモデルなどが入ります。 水資源開発管理計画を策定する場合、最も重要なのが最後の技術です。 合意形成を図るためのモデルの選定が大事になってきます。これが弱いと、進めません。 一方、戦略の上位に政策があることに異論がある場合があります。逆だと。でもねえ、やはり政策が戦略の上位が常識だと思います。

2022年3月19日土曜日

2933:前回の続き:水資源開発管理のモデル

前回紹介したセミナーで、アメリカ人の専門家がアメリカにおける水資源開発管理モデルについて解説したが、JICAの専門家とかコンサルもほとんど理解できていなかったようだ。だから質問もなし。ただJICAの専門家が無知な質問をしていたね。 「ところで、水資源管理上の合意形成のモデルってなんですか」だって。 彼もJICAの専門家なんだけど、これまで20年近くやってきて、やっとこさ水資源管理で博士号を取ったけど、無知なんだね。彼の学位のテーマは確かアフガニスタンでの水資源管理の合意形成だったかな。所詮事例研究か。たぶん東大の中山先生の研究室でしょう。あそこの人は文系もいたりで、理系で水資源計画も知らない人ばかり。 水資源計画管理のモデルって、歴史ありで、1960年代からのテーマ。 最初はシミュレーション、次に70年代からは最適化手法の適用、そして、80年代前後から多目的計画手法の適用。 90年代から2000年代に入って、管理の重要性が出てきた。 セミナーの発表者が言うように、いくらコンサルがモデルを作成しても利害関係者には所詮ブラックボックス。それじゃ―、出てきた答えも評価できない。 彼が言うように、モデルはデータ、手法すべて理解されないと認められないね。 コンサルが去ってしまったらモデルの再現性はだれもできない。5年後新しい水文気象データ、ディマンドも変わればモデルの再構築しないとね。政府関係者だってできないわけだ。 セミナーで無知をさらけ出したJICA専門家とはアフリカで出会っているが、彼の技術仕様書はそうしたことがわかっていなかったね。モデルの再現性がわかっていない。合意形成に多目的計画手法を取り入れるセンスもなかった。そういうのがJICAの専門ですからね。困ったことです。 モデルは必ず再現性がないと、数年後には忘れ去られる運命。 日本では、せいぜいシミュレーションだけだね。最適化手法も多目的計画手法も見過ごさられている。勉強が足りないんだね。 と言ってももう無理かな。 僕が最適化手法や多目的開発手法を実際のプロジェクトで適用したのは世銀融資案件。もう1988年だから34年前。 シミュレーション技術もかなり進化した。 JICA案件の低レベルにはこうした背景がありますね。コンサル頑張れ!!

2022年3月3日木曜日

2932:IWRM関連のセミナー参加

IWRMも2002年以来フォローしてますが、もう廃れたかと思っていました。僕自身、もうIWRMなんていう発想はないし、水と土、すなわち、water and land resources management and planningという発想で流域管理に取り組んでいます。それが住民参加の一番いい方法。 水だけだと土地利用が関わらないのでね。森林や農業とかさ。 昨日のセミナーはアメリカ人の専門家でした。アメリカ工兵隊の研究所の人。彼のボスも2008年にセミナーしてましたね。 彼の経歴を調べると、コーネル大出身で水文学を学んでました。なんだ同業者だね。 セミナー参加は50名ほど。僕以外コメントや質問はなかった。当たり前なんだけど、アメリカの水資源管理の歴史や実際を知らないとやすやすと質問コメントはできないね。それだけコンサルも質が落ちている。せいぜいJICAさんの案件で指示書に基づいて調査計画するだけ。 発表者の内容を理解して疑問点を指摘はできない。特にモデルの話と住民参加の段階ね。 モデルは再現性がないと管理できないんですね。コンサルが作成してあるオプションを提示しても、関係者には所詮ブラックボックス。だけも信用しない。それと時間が過ぎるとデータも変わる。その時にモデルを動かそうにもコンサルなしじゃ無理ね。そこが重要なんですね。持続性の。 日本のコンサルの実力が明らかになっただけでもいいかな。IWRMより水資源と土地資源の持続的な開発と管理という発想がないと続かない。。。 僕ももう67歳ですからね、40代から50代のコンサルももっとお勉強しないといけません。 昔、20代から30代の前半までに、1960年代からアメリカの専門誌、Water Resources Researchを読破して、さらにハーバードの学者が書いた、Design of Water Resources Systemも読んだね。 こういう基礎的な知識の積み上げがないとアメリカ人の専門家のセミナーを聞くだけで終わるね。残念ですねえ。

2022年2月16日水曜日

2931:3000号まで達しなかったね

20年6月に書いた投稿で、もうすぐ3000号だから頑張るぞ、と威勢のいいことを言ってました。 結局は、この1年8か月で40投稿程度で、まだまだ70投稿少ないですね。 これもFaceBookに切り替えたこともあるし、コロナ禍で海外出張もないしという事情の反映か。 当時から半年ほどで外資系EPC会社にちょっと移り、その後すぐにゼネコンさんからお声がかかり今に至っています。 今はゼネコンなんですが、技術的な支援もコンサル的なことですね。海外の工事案件の場合は、ゼネコンにとって 最重要な工法の適用性。国内の再エネ事業の場合は、外資系EPC会社対応ですね。 いずれも英語力が必須なんで、お誘いがあったという事情です。 去年からずっと在宅勤務が80%程度かな。会議もリモートなんで出社する意味合いがないんですね。 このままずっとゼネコンさんでも全くいいんですけど、やはりコンサル稼業も41年。現場調査がないと摘まんないこともありかな。 まあ事情が変わったら考えませう。

2022年1月4日火曜日

2930:2022年仕事始めはリモートで

昨年以来2回目のリモートでの仕事始めです。コロナで作業環境もだいぶ変わりました。 年末年始の飲み会もなく、仕事納めや仕事始めの会での会食もなし。 というわけで、年末年始の作業はリモートです。 2021年は、防災のコンサルから、再エネの外資EPC会社、そしてゼネコンに移籍と3社でしたね。まあヘッドハントされるのはいいのですが、組織自体が脆弱で、外から優秀な人材を入れる資格のない会社もありますねえ。困ったことです。3社目でやっとまともな会社に落ち着きました。前社2社でも自分なりに技術的に得たものはたくさんありましたから損ではないのですが。 しかし、会社経営者のレベルの低さを見る機会でもありましたね。それでも会社は潰れないのですから、建設業というのは不思議な分野でもあります。 2022年はどうなりますか?まあのんびり行きましょう。 Fortes fortuna adjuvat. 運命は勇者に味方するという意味のラテン語です。