2011年4月30日土曜日

1213:L for learner

連休中の作業が続く。あと数日かかる模様だ。

ウィリアム王子の結婚式もちょっとだけ見た。イギリス中が盛り上がっている。BBCで見たかったね。

さて、面白かったのは、式の後ウィリアム王子が運転するアストンマーチンへの仕掛け。

JU5T WED



Lのプレート。

前者は直ぐ気づくけど、Lは見落とすも。日本のニュースではやはり前者だけが取り上げられた。Lも重要なシャレである。ニュースでは初心者と言っていたが初心者は運転免許を得てからですね。

自動車運転の教習車はLが貼ってある。ウィリアムとケイトも新婚だから教習中だね。

昨日は、馬国である大型のダム工事が間もなく始まるとのメールが来た。いよいよKLから現地に乗り込だ。最近は殆どダム工事案件がないからうらやましい。いずれ知り合いが所長になったら遊びに行こう。

2011年4月29日金曜日

1212:中村仲蔵を正蔵で聞く

686:一コンサルタントって?

でも書いたが、中村仲蔵の落語を久しぶりに聞いた。アマゾンで頼むと直ぐ来るね。

正蔵の、「淀五郎」はかなり気にいっていて、南部アフリカ滞在中でも数10回以上は聞いている。なんか聞いていると仕事に対する意欲が増すんだね。

686で書いた中村仲蔵はWOWOWの番組で立川志の輔で聞いたが、やはり正蔵の中村仲蔵は期待通りの出来である。落ちは違っていた。正蔵の歌舞伎ものはいいね。歌舞伎の醍醐味が良く分かる。

それに、淀五郎で出てくる仲蔵の若い時の話だから、話が繋がっているように感じる。

今日も「落語で学ぶお師匠」というブログを見た方がおられた。日本工営の久野一郎という検索キーワードでだ。

コンサル業界でもお師匠様と云える大兄がもういない。さびしい限りだ。

出来の悪い56歳の私だから、既にお師匠様と思う方が既に業界にいないのは当然だ。自分が師匠になることもなくなった。

仕事に対する真摯な気持ちと云うのも最近のコンサルには通じない。ボーっとして現地にやってくる人ばかりでは話にもならない。怒ればふてくされるしね。子供だね。

せめて、落語で師弟の話を感動するしかないんでしょうね。最大手コンサルのホームページで紹介されている諸先輩の話も薄っぺらですね。読んでこの会社は凄い、コンサルを一生の仕事にしようと思う青年はいないだろうし、書いた技師長に会いたいなんて思わないね。まあ僕自身彼らの本性を良く知っているからかもしれないけど。

1211:連休中の作業開始

今日から連休だ。と云ってもどこかに出かける予定はない。

まだアフリカ出張の宿題が残っていて、連休中に終わらせる必要がある。NJのエッジウォーターラジオ局の軽快な音楽を聞きながら作業中だ。

先週は1回だけ飲み会が設定されていたが、相手のご都合で延期した。創業者である有名な会社の社長さんがお亡くなりになったので知人も親族と云うことでお葬式優先だ。

今日は英国王室の結婚式があるが、BBCは見れないので日テレで見てみよう。夜7時からか。

作業は全て和文作成である。日本語の訳も専門用語が多いので簡単ではない。英語的思考を日本語に変換するのは意外と大変なのだ。自分で書いたものでもである。まあ時間をかければできることだから我慢しよう。

昨日は人生最初の精米をした。この辺は田舎だから精米所がある。大分から入手した玄米を、

上白米
標準

の2種類で精米した。まだ味わっていないが、自分で精米する楽しさを得た。

水も別途地下水を購入しているが、いつまでやらなきゃいけないんでしょうかね。野菜も京都からだし。

なるべく早く海外に行きたい気分だが、どうなりますか。

2011年4月28日木曜日

1210:1978年4月

今TBSでキャンディーズの引退コンサートを特番でやっている。

78年4月らしい。丁度、留年した年だ。確か、数単位だけ不足していたから5年目は殆ど学校に行っていない。夏ごろから稲毛の土木研究所に通って卒業論文を書くだけだったと思う。稲毛は遠かった。

入学同期の数人がキャンディーズファンだった。彼らは結局2年留年したのかな。

彼らも今は叔父さんだ。多分今テレビを見ているだろう。ある大学の学長になったS君はどうかな。大学経営は大変だ。

そのうち、また同期会でもやろうか。最後の同期会はもう3年以上前だと思う。まだ歌舞伎町も活気があった。

郡山のS君(大体大学って、あいうえお順で実験などをするので、仲間はS君ばっかだ)も郡山の復興で忙しくしているに違いない。そのうち遊ぶに行こう。

大学院と違って学部の同期は大物が多い。また同期会で4次会ぐらいをやってみたいね。前回は3次会でトルコのラクを飲み過ぎ記憶を失った。

キャンディーズを見ているとやぱりミキちゃんの歌唱力が一番良かったんだね。

33年前ってすごい昔だね。将来に対する不安なんてまるでなかった気がする。

新橋のお馴染みの広場でも大画面で放送を流している。東電の知り合いもどうしているかね。と云っても、中々メール出して聞けないほど深刻だ。

1209:久々のIWRM関連研究

最近はIWRMに関する最新情報は殆どないが、珍しく日本の研究機関からの情報が入った。

京都にある「総合地球環境学研究所」の新研究だそうだ。IWRMの評価もきちんとやってほしいものだね。IWRMありきで研究が進むと全く意味がない。言葉が躍らないように気をつけてほしいものだ。

水土の知は、農業屋さんが良く使う言葉だ。今後の進展をフォローしてみよう。

コアメンバーにいるRAMPISELA, Agnes(ハサヌディン大学)はあのアグネスですかね。確か京都大学でドクター取った女性だと記憶している。ハッサンヌーディン大での評判はいまひとつだったね。まだいたんですか。以前南スラベシでの調査でハッサンヌディン大学の協力を得たが彼女の評判が悪いので、別のまともな先生を通じて調査を行った。お陰で最高の調査ができた。彼女を通したらまず失敗し、成果もなしだったかもしれなかった。日本の大学でドクター取った外人はやはり程度が知れている。これは小生の偏見だが、世界的に最高の学者になっている方があまりにも少ない。

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統合的水資源管理のための「水土の知」を設える

地球研第 I 期の水資源管理や流域管理に関する複数のプロジェクトの成果を検証することで、地球環境問題の解決策の一つとして“地域レベルの資源共同管理のあり方”をデザインする必要性が見えてきました。この基幹研究プロジェクトでは、世界のさまざまな水文や水利の地域において、水管理の《功罪》とあるべき姿を、農業生産性、水収支と水質・水環境、水管理の制度と組織、利水の行動と意識などの観点について、歴史的な評価を含めて総合的に調査研究します。研究成果は、人類生存のための「水土の知」としてまとめ、地域レベル水管理システムの基本構造や整備のガイドラインを提言します。

研究の背景と目的

人口増大や経済成長に伴う水需要の増加は、地球の水循環に大きな変化をもたらしています。洪水や干ばつなど、水に関わる災害も、気候変動の影響下において、ますます深刻になることが予想されています。そうした中で、統合的水資源管理(IWRM)は地球環境の喫緊の課題となっています。しかしながら、この統合的水資源管理はこれまでのところ、十分には展開されておらず、とくに具体的な管理の実効を評価する手法の確立は遅れています。このためには、流域や広域的な水資源管理の根幹であって、さまざまな水利用の現場である地域レベルの水管理のあり方を見直し、整えて行くことが求められます。地域レベルの水管理の実践は、地域の社会経済や環境に直接的な影響をもたらすからでもあります。

プロジェクトの目的は以下の2点です。

1)世界の地域レベル水管理の意味を歴史的に、また環境の視点から評価します。これは、未来可能な社会の構築に向けて、統合的水資源管理を検証しながら、地域レベル水管理の理念と基本方向を提示することにつながります。

2)地域レベル水管理システムの基本構造をデザインします。水利システムの機能形態だけでなく、利水者や関係機関の参加を前提にした共同的管理組織の枠組みと機能も対象とします。

2011年4月27日水曜日

1208:元いた会社の同期会

昨日今日と風が強く、帰国して2週間しか経っていないのに花粉症の症状がでてしまった。以前より軽い症状だ。和文作成も順調に推移。何から何までするのが大変だが、2年間の成果品だし、元々一人での作業には慣れている。

我々がコンサルとして会社勤めを開始した1981年ごろは、日本のコンサルもいよいよ全国的な水資源開発マスタープランが実施できる時期だったから、入社して直ぐ調査団の末席として参加できた。いい時代だったね。それだけ上司や大先輩の期待も高かった。業務調整なんかはないし、最初の出張もOJTではなく報酬も得ていた。

6月に元いた会社の30年勤続の同期会があるが、幹事役もアクションが早く帝国ホテルの予約も完了だ。

当時は、海外コンサル部門がエリートだった時代だが、新入社員は海外部員の技術職で何人いただろうか?

設計部:2名
計画調査部:2名
技術開発部:1名
プラント技術部:2名
建設管理部:2名
農業水利部:5名
営農部:2名

合計で、16名かな。営業とか業務・企画の女性・男子は含まないで15名だから多い方か。国内コンサルにもいたが名前も数も忘れた。国内コンサルは海外とは別世界だ。

16名の内、まだ30年経ってもいるのは、ざっと8名かな。5割が退職している。農業関係の退職は1名しかいないと思う。電気や機械は全員辞めている。やはり土木全盛だったね。

さっき幹事に退職した別の奴のメルアドを知らせた。業界はかなり狭い。

女性陣も何人かは来るようだ。30年経ってまだおられる女性は多分全体で2,3名だろう。

6月中旬に海外出張がないことを祈るが、どうなりますか?案件があれば当然それを優先する。

2011年4月26日火曜日

1207:和文報告書半分終了

帰国するといろいろテレビが見れていいね。ただし、ダラダラした内容が多いので飽きるけど。

前回ブログにコメントがあった。昔々良く行っていた四ツ谷・新道通り奥の「バブルスバブル」のことだ。

会社は違うが、皆さん同じような状況だったんだね。

会社を去ると意外と中の情報は伝わってこないしね。ただ、僕は今でも同業者で競争相手でもあるし、仲間も残っているから断片的な情報は入っていた。いい情報はまずないし、予測した通りの変化が起きているから面白い。

50歳になるまでに会社を去ることを推奨しているが、中々実現できる人は少ない。出る人はやはり実力がある人が多い。中には、どんどん劣化して行き、ついには同業者としての存在が消える方もいる。

落語の死神じゃないが、運も尽きることもある。自分の運がどれだけ残っているかは分からないけど、この8年はそれまで運がなかったので、意外と運が続いていた。これからあるかは分からない。

死神という落語じゃないが、最後に自分の運を消してしまうのはいけないね。

そうそう、30年勤続同窓会は、幹事が出来るやつだからいいアイデアがありそうだ。帝国ホテルで開催も考えているらしい。いいね。

2014年には今川中学校21期の5年ぶりの同窓会が帝国ホテルで開かれるようだし、第2の人生を送るいい起爆剤になるね。第2の方が結構いい感じだね。第1はある意味修行だと思っている。

和文報告書はやっと半分終わった。

2011年4月25日月曜日

1206:30年勤続の同期会

昭和56年入社というのは、時期的にもバブルが始まる数年前だったように記憶する。

1,2年先輩の従弟たちは石油ショック以後の不況で早稲田や慶応を出ただけではいい会社に入れなかった時代だったが、幸いと云うか、浪人留年後大学院に行ったお陰で就職では苦労はしなかった。

コンサルの最大大手2社に簡単に内定をもらった。元々は1社しか想定しなかったが、最終幹部面談で胡散臭い幹部の態度が気にいらず内定を断った。直ぐに別の最大手のコンサルの会社説明会に出て偶然評価されてそのままその会社に入った。教授推薦を受けて内定をもらった最初のコンサルは既に不祥事を起こして会社が消えた。

30年前に同期だった仲間も今年30年勤続で表彰されるようだ。良かったね。

僕は23年でタイタニック号から下船し大海にでて、修行を経て今は悠々自適の仕事環境にある。

同期会があると云う知らせが来たので、途中退場だが参加することにした。残る地獄の様子も聞きたいしね。

四ツ谷界隈にクライアントとの協議で行くが、時どき彼ら同期たちと道でばったり遭遇するが、はつらつとした方は非常に少ない。暗い表情を見るのは忍びないが、人それぞれの人生があり、しょうがないね。

彼らも上で57歳(浪人・留年・大学院卒)、下は高卒の女性で49歳ぐらいか。

別途電力会社系コンサルの社友会のお知らせも来たが、こちらは非常事態で今年は中止となった。来年以降も多分ないと思うし、会社がなくなる恐れもあるかな。

移民を考える事態は想定してないが、どうでしょうか?

2011年4月22日金曜日

1205:新パスポートをゲット

10年前のパスポートもついに切れた。受領した年は、例の9.11があり最初の出張先であったインドネシア・北スラベシのマナドで更新ヴィザを得た。

あれから10年。激動の10年でもあった。

2年後に退社し、コンサルじゃない会社でコンサル活動を継続した。最初の会社は電力会社の子会社で親会社からの出向者との関係も苦しかったね。傲慢な彼らも今は震災後の事故で最悪な状況だ。

4年後、別の会社に移り、海外コンサルタント活動の事業展開支援した。ここでもつらい毎日。常識が全く通じないつらさがあった。今から思うといい修行だったね。

最近の2年は最高の会社環境。まさに水を得た魚だ。コンサルほど面白い仕事はない。

2021年までのパスポートにこれからどんな国が出てくるか楽しみだ。

歳で言うと56歳から66歳までの10年間だ。

健康なら66歳までコンサル活動を続けていることだろう。

心身共健康である幸せに感謝だね。

これからのパスポートで妻とともに観光で海外に行きたいね。

2011年4月21日木曜日

1204:S君も辞めたんだ

昨日は会社の帰りに中華屋に寄った。

以前も書いたかもしれないが、コンサルを去年辞めて奥さんと一緒に中華屋を開店したK君のお店がどうなっているか気になったので行ってみた。会社から数分だ。

この大震災で閉店かと危惧したが、開いていた。安心。

彼も元気そうだが、70%程度の売り上げがなったそうだ。日光や鬼怒川、那須高原など観光地は10%程度に落ち込んだそうだが、東京の中華屋はまだマシだろうか。中国人の調理長は中国に帰ったそうだ。

帰ってもそのうち日本に戻るとは思うが、従業員がいなくなるのはつらいね。

さて、彼と雑談してたら、また知り合いの後輩がコンサル会社を辞めて地元の市役所(山口県庁国際課だそうだ)に転職したそうだ。どんな理由がそうさせるかは分からないが、辞めるやつはみんな優秀な奴ばかりだ。

辞めたS君は、京大大学院卒で、解析能力が抜群に高い。英語は大したことないが、他の京大卒と同じで努力家。TOEICも記憶力だけで900点を超えたからすごいね。実際は使えないけどね。

彼も入社して10年以上は経っているだろうかね。30歳後半か。副団長のころだね。

地元の市役所ですか。海外志向も地獄の環境で夢も希望もなくなったようだ。

残った人がクズとは言わないけど、知っている若手で将来性なる人は殆ど辞めているね。

これじゃー、調査団を形成することができないし、折角10年以上経験のある人材が根こそぎバイバイじゃ会社も危うい。国内のクズを集めても足手まとい。

旧帝大大学院卒だけが優秀じゃないが、8,9割方のAクラスの人材はその辺から出てくるからね。そういう人たちが30歳過ぎておさらばじゃね。

アンサンブルキャスト方式の会社を設立しようかね。マジですね。

1203:連戦戦勝に自惚れるなかれ

会社でシリアスな会話が聞こえた。

どうもある方がクライントに虐められて、愚痴を言っている。

おバカさんだね、と思った。

いくらコンサルが専門家でもクライアントに嫌われている状況は異常なことだ。専門家と云ってもクライアントに雇われている身分だ。年を取ってくると頑固になり、嫌みな性格を持っている人は普通にしていても嫌われる。お客さまに嫌われては仕事はまずない。

愚痴を言っている方はもう60歳は過ぎているだろうか。既にクライアント側から100%毛嫌いされている。もう当分は仕事はいただけないだろう。それでも愚痴のオンパレードだ。

人ごとではない。別の連戦連勝の女性も最近大きな案件を失注したが、失注した理由を理解していない。その方は連勝のため自分の都合で出張時期を遅らせたりわがまま放題だったようだ。また別の方は役務ばかりをやってきたが、仕事の質が劣化したようだ。それに気づいていない。

人間だれしも失敗を人のせいにするが、専門家はたちが悪い。自分のせいで失注したとは考えないようだ。

これら3人の方は当分受注は出来ないだろう。反省のない専門家は惨めなものだ。

別の会社にもそういう方が多くおられる。

専門家というのは学者ではないし、官でもない。

所詮、出入り業者に過ぎない。専門家として正論を語っても、その態度が横柄では嫌われるだけだ。

専門性プラス調整能力がないとクライアントの信頼は得られない。

時どき失注して大反省するぐらいで丁度いい。

さて、和文作成にかかろうか。

2011年4月17日日曜日

1202:ゼロから始まる

3カ月ぶりに日本のテレビを満喫する。元々テレビっ子。ACのCMだろうがなんだろうが映像は何でも見る。原発関係は特に目立った情報はない。

くだらない番組がいい。ウチくる?っていう番組が好きでいつも見てしまうが、今日の風間トオルも良かったね。

岡本喜八映画監督のおかみからの手紙がいいね。

俳優というのは引き出しが多くてはいけない。いつもゼロから始まることが大事で、異常な役もこなす必要があるから日常は常に正常心を保つことが大事。

コンサルにも適用できる名言だ。途上国の仕事もある意味異常な状況。

仕事も生活も。

日本にいる時は常に平常心とやはりお勉強が必要。

確かに30年もコンサルやっていれば引き出しは多いが、次の仕事は常にゼロから始まる。そういう意識で取り組むことが大事だ。プロポーザル作成もそういう真摯な気持ちで書く。

ヴェランダに残した名も無き花も冬を越したようだ。妻がお水をあげていたからだが、ご主人様のお帰りでちょっと元気になったようにも感じる。

さて、明日から仕事モードに切り替えよう。

2011年4月16日土曜日

1201:「仁」に間に合った

14日は予定通り成田着。週末ではないので成田に宿泊せず、まっすぐ自宅に。バスを待っていると、かなりの数のバスが遠方まで行くようだ。箱崎行きなんて云うのはもうないようだ。

1時間半ほどで大宮に到着。車庫まで行くと自宅に近いが、大宮駅からタクシーで帰宅。タクシーの運ちゃんと雑談。

15日はパスポートの更新など朝から雑務をこなす。1週間で新パスポートができるのは有難い。早速新案件で出張するわけではないが、パスポート所持はいつ何時でも出国するためには大事だね。

明日あたりまではゆっくりしよう。

月曜から作業開始である。2週間の和文報告書作成で終了である。プレゼンは英文をそのまま使おう。

大震災から1カ月、関東での生活面での変化は特に感じないが、テレビからの情報はやはり詳しい。逆にリビア情勢は全くやらないね。

家族全員みんな元気だ。下宿中の次男が戻ったら感謝会でもしよう。久々お酒をシンガポールで買ったので祝杯をあげよう。シンガポールで買ったバレンタインの30年ものとドンぺリのロゼ11年ものはその時飲もう。お酒も既に日本で買っても安いから免税で買う価値はないけどね。お酒2本は重たかった。

一番の楽しみは明日からTBSの「仁」が始まることだ。前回まではずっと長女と見ていたしね。

5月末までは取りあえず出張なしと考えている。しかし、いつどんな案件が出てくるかは分からないから、いざ鎌倉という感じで待機である。

早めに実家の両親にも会いたいね。電話では二人とも元気な様子だが、一杯飲みながら話もしたい。親子の会話というのも久々だ。

2011年4月14日木曜日

1200:新嘉坡着

ヨハネスからは10時間ちょっと。ヨハネスからもサテーがでた。ただし、チキンだけでカンビンはなし。まあそれでもうまいね。成田まででカンビンが出てくると思う。

SQのラウンジは大変宜しい。サービスのきめが細かいね。

お土産は大方買った。プラダが見つからないので長男用の財布はまた違うところで買おうか。バリーもいいかもね。

まだ1時間あるので探そう。

化粧品は女性たちが多いのでついつい沢山買ってしまう。ランコムだけで800ドル。おまけがいつも通り付いてくる。長女も最近はランコムご利用だ。

今回もお酒はなしかな。どうも重たいものは買うのが最後で結局買わないと云う結果に。

さて、もうひと頑張りしよう。

2011年4月13日水曜日

1199:いよいよ空港へ

朝から2時間ほどにこにこ動画を見ていた。流石に南アのブロードバンドは快調だ。

2時間の電力会社社長さんの会見。

マスコミさんの質問も凄味がないね。1点だけ聞けばいい。2,3点聞くから焦点がぼやけてしまう。

相手の弱みを証拠を基に最大限掴んで、徹底的に連続して追及し追い詰めていく力がなさそう。質問者が答えを自分で言っているのは論外。喋り過ぎだね。自分が目立ちたいのか。追及者という立場が弱いね。

これではピューリィッツアー賞は無理だ。

まあいい時間つぶしになった。後1時間でチェックアウト。

シンガポールまでSQだから快適だ。お酒でも飲んでゆっくり寝られそうだ。

南アももうしばらくは来ないだろうね。

1198:食の多様性は文化だね

10度目のヨハネス。

CNNも見られるし、ホテルも快適だ。決してファイブスターではないが朝飯の多様性にはビックリする。特にアフリカの最貧国から来るとつくづく感じる。あまりの多様性でお腹いっぱい。少なめに食べてコーヒーカップ片手に部屋に戻る。

CNNのローズマリーも相変わらず。さっきこのブログにも彼女のことを書いたブログにアクセスがあったね。

朝は習慣で5時起き。妻とスカイプで1時間ほど話した。早く帰ってあげたいね。いろいろ不安なことも多いし。流石にヨハネス、ブロードバンドの速度がまた日本に近くなった。

後4時間ほどで空港に向かう。

今日は水曜日。JICAさんの公示を見た。いろいろ案件があるね。知り合いの保健衛生専門家も連戦連勝だったが久々負けた。彼女もがっかりだろう。勝ったり負けたりで成長するのだ。偶には負けて反省するのもいいかも。2度連続負けるときになるけどね。まだそういう経験はない。

ヨハネスはちょっと寒さを感じた。夜明けもちょっと遅い。でも文明国だ。

シンガポールでの買い物が楽しみだ。4000ドル以上現金が残ったのでいろいろ大人買いをしよう。もう免税店とも馴染みだからおまけを期待している。

日本の政治家や社長らも本当に国際感覚がない。英語で世界に発信しないと信頼されないね。何をしていいか分からないのだろう。移住を考えるまではいかないが、そう云う国になりかねない。

さて、ホテルを出るまでCNNをエンジョイしようかね。

1197:ヨハネスに到着

無事ヨハネスに到着。

ザンベジ川は増水していて川幅が広がっている。流石に大河は凄い。一度地上で見てみたいものだ。

ホテルは定宿。4度目である。

早速CNNを見た。アメリカ英語は心地よい。

原発のニュースはやはり噂通り辛辣だ。グリーンピースの放射線測定結果など扱っている。BCCはそこまでしないね。

明日は午後2時半に出発するので、ホテル発は昼ごろだ。

タクシーも近くても乗車拒否しなくなった。チップをはずむ。

さて、少しゆっくりしよう。

2011年4月12日火曜日

1196:レベル7ですか

この1カ月大震災後のニュースはネットとBBC。

CNNは今日ヨハネスのホテルで見ることができるが、BBCに比べて辛辣だと聞く。今日のBBCでも原発事故の状況がレベル7になったとひっきりなしに紹介している。

1カ月経って収束に向かうのが事故対策の常識だが、悪化するとは酷過ぎる。そういう状況で帰国するのも初めてである。

せめて家族の協働を最大の目標にして行くことにしよう。政治や大組織なんかを信じて生きることを止めよう。良識ある個人の知見とか正論を見つめていきたいね。

日本社会の激変が起こりそうな予感がする。

1195:いよいよ帰国の途に

最後の朝食を食べる。480個(??)目のオムレツを頂く。このホテルもサービス業として従業員の教育訓練がいまいち悪かったが、2年間で少し改善された。ユニフォームを変えたことも一因かも。

ファイブスターホテルではないから朝のビュッフェは味気ないが、こうして粗末なビュッフェもいい経験だ。サイゴンのシェラトンで5カ月間滞在した時は良過ぎてダイエットにならなかった。

50歳を超えたら粗食が健康に良い。

あと2時間余りで空港に移動。いよいよ3日間の長旅が始まる。4回目だから新鮮ではないが、快晴だし、途中の河川が眼下に見られる。ザンベジ川も当分見れないね。

流石に4月に入って乾期の様相だ。朝も寒々し始めた。これで関東に移れば丁度暖かさを得られる。

余震や放射能など家族と不自由を共感できないストレスもこれで解消される。苦労を共に経験することは良いことだ。

部屋もきれいさっぱり、気持ちがいい。

下宿を離れる感じでもある。

帰国したら和文作成にかかる。2週間程度かな。

自宅の前の公園の桜も見ごろである。久々のお花見としよう。

1194:JICAとGIZの連携(続報)

今日は南部アフリカ出張の現地最終日。

南アの衛星放送で行き成り「送りびと」の映画が映ったのでびっくり。年数回だが日本映画も登場する。

Departures

が英語のタイトル。今日が出発日だが永遠の旅立ちでない。

さて、アフリカの水と衛生に関するニュースが配信されるが、今日はJICAさんとGIZの連携に関してウガンダ、ザンビア、そしてケニアの3カ国での事例が紹介されている。

英語でのJICAさんの活躍貢献は意外と少ないのでもっともっと広報してほしいと思う。

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East Africa: Germany and Japan harmonising efforts in water and sanitation

Posted: 11 Apr 2011 01:14 AM PDT

GIZ and JICA have signed an agreement to collaborate in water and sanitation in Zambia, Uganda and Kenya. The Deutsche Gesellschaft f醇в Internationale Zusammenarbeit (GIZ) GmbH and the Japan International Cooperation Agency (JICA) have agreed to plan, implement and evaluate their projects collectively in future. There are plans to extend the cooperation to other countries as well.

Zambia
In Zambia, GIZ works on behalf of the German Federal Ministry for Economic Cooperation and Development (BMZ) in Zambia, providing advisory services to the government and urban water providers. JICA implements infrastructure and technical assistance projects, in both urban and rural areas. The two agencies have not set a time limit for their cooperation, but they have agreed biannual evaluations.

In Zambia, for instance, GIZ has cooperated with the government to develop a new concept for supplying water to slum areas, which concentrates on ‘water kiosks’ public sales points connected to the mains water supply. These have so far opened the way to clean drinking water for more than 600,000 people. Now, assisted by GIZ, JICA will use this approach for wider application in other parts of the country. At the same time, GIZ will help spread the use of a maintenance system for rural water supplies, which was developed with Japanese support, to other regions of Zambia. This will benefit about 500,000 people.

Uganda
Here GIZ and JICA are working together improve sanitation in schools and poor urban areas, and in climate adaptation measures for water supply.

Kenya
In Kenya, both agencies are collaborating to reduce water losses in distribution networks, are helping promote more effective use of scarce water resources by the state.

2011年4月11日月曜日

1193:さてと、後は電話で

事務次官との最終協議や省でのご挨拶が早く済んだので、後は関係者に電話してさよならを言おう。

ホテルの片付けも終わりパッキングも終了。

二つの水公社も午後にでも行ってみようか。彼らは日銭を稼ぐ機関だから経営手法にも活気を感じる。民間化した公社の勢いを感じるね。

こうして2年間の活動をするとかなりの数の関係者との協働作業があり、非常にいい経験だ。これくらい広がりのある業務もいいね。

昔から数知れず調査を経験しているが、組織強化や人材育成は初めから興味があった。しかし、調査計画の業務は報告書を作成することが主体であり、形式的に技術移転が明記されていても中々作業的には達成されない。

これからは技術移転が主体の調査計画になる必要があると心から思っている。

そのためには、やはりモデリングが必要であり、再現性のある計画手法の移転が主目的になる必要がある。

もの作りも必要だが、人作りのプロセスをどうすべきかコンサルも真剣に考えなくてはいけないね。

コンサル会社が自分の会社の経営で問題を抱えているようではいけないね。

1192:Mission complete

事務次官は朝から会議が連続あり、最後の協議は7時40分。幹部会会議を遅らせて時間を作って頂いた。

実力があり細やかな気遣いをされる次官であり、最後の協議はご挨拶程度であった。小職のささやかな貢献も評価して頂き有難い。

丁度小職がいた2年間は水セクターが大きく変わる時期だったので、いいタイミングでの派遣であったかもしれない。新規案件も6つ進んでいる。これが非常に大きいね。実弾がないとやはり目に見える貢献度が低い。

次官とのお別れが済むと、各セクションの職員にもご挨拶して無事終えた。執務室も整理し鍵をかける。

チーフクラスも2人副局長に昇格し、今日から副局長室に移った。彼らの今後の活躍に期待したいね。

明日は南アまで2時間半の行程。ヨハネスからシンガポールまではおよそ10時間半。シンガポールで数時間待って、成田までは6時間ぐらいか。成田着は夕刻5時過ぎ。大宮までバスで2時間半。自宅到着は14日の夜10時。

取りあえず、自宅の夕食はビールと餃子と生麺のラーメンでいいや。

パスポート更新は残りがあるので直接センターで更新できるので楽だ。

次の派遣先はどこでしょうね??

2011年4月10日日曜日

1191:3カ月ぶりのルームサービス

もう自炊する食材も無くなったので、3カ月ぶりにルームサービスを取った。

現地貨もわずかだから調整の必要がある。

インド料理で、マトンカレーとバターナン。かなり辛いが味は良い。毎日食べるものじゃないね。これでは太ってしまう。もう粗食に慣れてしまったか。

画像の乱れがあった現地放送も「大統領日記」という番組だった。実況だから長い。2時間以上もやっている。途上国らしい番組である。もう見ることもないかもね。

さてまだ午後1時。朝4時から起きていると一日が長い。朝方ちょっと寒くなってきているから確実に乾期になっているのだろうが、雨はまだ若干降り続いている。小降りだが。

現地貨もあと20ドルほどだ。空港までのタクシー代は別に取ってある。使いきって帰りたいが、コインだけは1枚小銭入れに入れた。ラッキーコインでまた来れることを期待する。おまじないですが。

さて、お昼寝の時間だが部屋の掃除がまだなのでもう少し待ってみよう。掃除係りも何人かいるが皆さん人柄がいいのでチップは必ずあげている。安全と云う意味合いもあるが、盗難はまずないホテルだから、町のホテルと違って何かが盗まれる心配は2年間なかった。別のホテルではかなりの盗難のケースがあるようだ。ご本人の注意不足もあるようだ。

さてさて、衛星放送が不調だが、南アのインド人向けチャンネルで我慢するか。SONYチャンネルという名前は何なんでしょうね。

1190:パスポートの更新

今日のスカイプは良好で妻の携帯と1時間ほど雑談していた。

会話の尽きない夫婦なので1時間でも短いが、スカイプとしてはまずまずの状況だった。

ただし、衛星放送の調子はいまいち。今は現地の放送を見ている。画像は最低の状況だが、最後の現地放送だからいいか。お馴染み大統領の地方巡業。

さて、パスポートだが、更新では戸籍謄本などは要らないことがネットで分かった。そりゃそうだろうね。現パスポートがあるのだから。

01年更新した時もそうだったのだろうが、10年前のことは忘れてる。01年はインドネシア出張から始まっている。マナドでの調査だった。9.11の時だ。

これから10年のパスポートだと2021年まで有効だ。56歳から10年で66歳。

それまで仕事で海外に行き続けたいね。丁度シニアボランティアで数年行って70歳。いい感じのタイミングかもしれない。出来れば、当地に新しくできたある大学の水資源管理の講師で行ければ最高だ。

この間その大学の先生と会ったが、教授クラスが少なく支援が得られれば助かると申されていた。

40年で積み上げた経験と知恵、大量の専門書・文献など大学に寄贈することも出来るね。

2年ぐらいで水資源開発管理のテキストでも作成できれば最適だ。

そんな10年計画を思い浮かべている。それまで専門家として最先端と最前線で続けられるように精進したいものだ。

1189:お花見日和だね

妻が桜の写真を送ってくれた。これまで自宅前の公園の桜だったが、まだつぼみ。

今日あたりはかなりの桜がお花見できる状況のようだ。

自粛ムードも自粛しないと日本中が沈滞してしまう。活気がでないといけない。

添付した桜は浦和高校のそばのカトリック北浦和教会内のもの。帰国日まであと4日、何とか見ごろに間に合えばいいね。15日は戸籍謄本を取りに三軒茶屋までいくので東京の桜も見れるかも。上野とかね。

三軒茶屋のカトリック教会も懐かしいし、近くの桜並木も見ごろだといいね。

1188:最後の日曜日

土日のBBCはつまらない。なぜかと云えば、再放送が多すぎるからだ。日本の大震災後のニュースも殆どなくなった。災害のニュースはそういうものだ。

これまでの2年間でも、多くの災害が扱われた。ハイチや中国の地震、パキスタンなどの洪水。世界的に見ればどこでも起こっている。日本で発生しないと考えること自体に無理がある。

内戦や政治的な混乱も同じ。

さて、今日が最後の当地での日曜日となった。土日は当然お仕事だったが、去る前は何もない。と言って、観光する気にはならないから、基本的に不精なんですね。

そろそろ夜が明けてくる。

自宅の家族は大震災後ごミサに出かけたとメールがあった。当地もカトリック国だが結局2年間で一度も教会に行っていない。車が利用できないことがいいわけだったが、何とかして行くことも可能だったのだが、行かなかった。

お土産を当地で買うのも今回はなしだ。意外とないのである。大体、南アヨハネス空港のお土産が喜ばれる。シンガポールは当然魅力的なものが無限にある。

こうして係った案件が終わり、次の案件へと移っていく。まだ具体の案件はないが、そのうちでてくるでしょう。偶然ではなく必然的なものを感じてしまうのは私だけだろうか。

今回の案件も50代半ばを過ぎ、コンサルとして第2の人生を歩む最適な案件であったからだ。

若いコンサル諸君も目先のことだけでなく、50歳を過ぎてどうコンサル活動を快活に行っていく段階まで考えておく良いかもしれないよ。敢えて断定はしないが。

勿論、お勉強は必要である。我々に問われているのは、

moving targets

をどう的確に掴まえていけるかだ。

いずれ、世銀など国際機関との連携協働が進んでいく兆しがある。そうした時について行けないセンスと経験知見ではいけないね。

さて、朝飯まで2時間、どうしましょうかね。

2011年4月9日土曜日

1187:インド人の大パーティー

昨晩は外出時に会議場などが全て会食用に設定されていてビックリ。

聞けば、当地のモスレム系インド人コミュニティーの大夕食会だそうだ。総勢400人。

僕自身の夕食会から戻るとホテルの駐車場は満車。老若男女のインド人でごった返ししている。

モスレム系の祭日なのか、あるいはコミュニティーの年会かもしれない。南アのインド人移民は既に120年の歴史がある。周辺国でも多くの商業活動に従事している。当地も例外ではない。

モスレムだからお酒は出ないし、音楽もなかったようだ。

朝朝食に食堂のチーフに、

「昨日は凄かったようだね。」と尋ねると、

みんなお金儲けの話だよ。

とコメント。彼らもインド人経営のホテルで働いてはいるが、心から尊敬してるわけではなさそうだ。

しかし、100年以上経っても自国の宗教や習慣、言語を捨てないインド人は偉い。

日系人にはそういう点はほぼゼロである。

2年間食べ続けた朝のオムレツもあと3回で終わりだ。

1186:帰任まであと3日

昨日は最後のプレゼンを終え、後は月曜の事務次官との協議で業務終了となる。

局長クラスは研修や休暇で不在のため最後のご挨拶はできないし、大臣は地方出張中だからこれも駄目。

事務次官も毎日忙しいため、月曜は7時40分とアポが取れた。秘書が急に交代で、前任者はカナダに研修にいくらしい。新任の秘書の方が細やかで最後のチャンスを設定してくれた。秘書の能力にも差があるので注意する必要がある。組織と云うのは秘書の能力にも支えられている。

そろそろ夜が明けてきた。朝ぶろも残り後3回だ。バスタブだけは大きい方がいいね。

最後の段階での土日は時間を持て余す。和文でも作り始めてもいいけれど、やはり帰国後でいいやと怠け癖。

移動日が3日あるのもアフリカ出張らしい。海外出張も距離によってかなり差がある。比国のマニラだったら1日内の行程だが、南米やアフリカは途中どこかで1泊するのが習慣になっている。中には途中止まらずに2日行程にされる方も多いが、僕は出来る限り途中で1泊が気にいっている。日本までのワンクッションが欲しいのだ。

南アのヨハネスでもそれなりに文明があるので今度の出張では4回とも1泊している。流石に町までは行かないが。

帰ってから直ぐパスポートを申請する。01年からあっという間に10年経った。公用パスポートが常であった時代もなくなり、赤パスでの出張が多いためか、今のパスポートももうスペースがなくなった。

コンサルにとっては、このパスポートの束が勲章だ。

引退するまであと何カ国業務国を増やせるかも楽しみの一つである。30年でまだ20数カ国しか達成していない。

2011年4月8日金曜日

1185:ホテルの部屋の片づけ

日本からのネットニュースを概観するとどうも日本人全体に集団性のストレスが蔓延しているようだ。

議員が違法にボートを運んでいたとか、

テレビの報道班が半そでで動き回っているとか、

この非常時に不謹慎だ、という見方・クレームらしい。

何か変だね。戦争中の統制のようだ。贅沢は敵だ、というのに似ている。日本人の悪いところがでてきている。集団パニックから個人へのパージへと進むのは危険だ。

さて、少し早いがホテルの部屋を片付ける。既にいらない資料は全て捨てた。残った少量の食品も捨てた。

残していくものはないが、別の専門家が来た場合に役に立つものは省の執務室に置いておく。

飛ぶ鳥跡を残さず、といったところか。

まだ金、土、日、月の4日間あるので洗濯は必要だ。ラーメン類はまだ数食分ある。

この部屋ももう2年ずっと使っているので何となく自室だね。この2年で改善し続けているからこのホテルでは最も快適な部屋になった。

後は省から借りている書類を返して、執務室も空にする。明日と月曜だね。

自費で付けた鍵4つはどうしようか。信頼のおける職員に預けよう。

さて、今日は映画でも見て元気を貰おう。

2011年4月7日木曜日

1184:駄目だこりゃ

2日間の大会議が終わった。結局成果なし。

3年目のSWAPも劣化するばかり。省側にやる気が全くないのが原因だ。国民性に合わないのか、水セクターに問題あるのか。

アフリカ開銀、UNICEF、NGOらは熱心に介入する意図は分かる。弱小だからSWAPがないと発言権が薄れる。

EUや世銀は流石にお金持ち。SWAPなんかにかかわってなくても余裕だ。今まで世銀が係る意思がない理由が良く分かる。

省の良識的な人はもう参加する意識もないようだ。何度やっても夢物語だから。毎年リセットだけで進まないことを知っている。

SWAPに効果がないなら止めた方がいい。絶対にする必要性はないのだ。IWRMと同じ。

計画局も全くの体たらく。責任者が出て来ない。次官も仕方なしに出ている感じだ。

世銀の代表と会って密談したが、意見は同じだった。これじゃあ、幼稚園だね。

これから協働してやっていきたいねと同意。彼は中々物分かりがいいし、アフリカ開銀の現地担当と違って良識を持っている。アフリカ開銀も担当者はこの国の人間だから存在感を示せるSWAPで活躍しないと首になる。

UNICEFの担当者も契約で来ているイギリス人。彼の立場もそうだ。NGOもそうだ。彼らの仕事を続けるためにSWAPの発展に力が入っているにすぎない。以前のCIDAと同じ発想。CIDAは流石にSWAPが進展しないので撤退してしまった。インドネシアと同じだね。持続性に欠ける。

世銀からコンサルを紹介してもらた。このコンサルは前回書いた戦略アドバイザリー会社だ。アトキンスとこのコンサル会社と連携するのが現実的だ。アメリカ人だから英語が気持ちがいい。彼らと名刺交換したの僕だけじゃないだろうか。今後役に立ちそうだ。

Reality

Myth

やはり、この国のSWAPは後者だったね。

国際機関の連中は職員の持続性のためにやっている場合があるから注意したい。NGOも同じ。NGOがかなりやばい感じを受ける。

次官がいいことを言った。

「省や水公社の人員が少ないのは分かるが、国際機関やNGOに行ってしまうからじゃないの。この会場にも沢山いるね。」

これには、笑えた。

1183:戦略アドバイザリーコンサルタント会社登場

この国の水セクターはやたら戦略計画が多い。

ざっと、4つある。1つでも実施が大変なのにだ。

そういう無駄なことが認識されていない。分かっていながらもドナーがタダでやってくれるからか。依存症としか言いようがない。

さて、今度新たに水セクター投資プログラム策定調査がアメリカの会社によって始まる。世銀の無償である。

一番まともそうな戦略計画になりそうだ。既にある4つの戦略は絵に書いた餅的なものだから。

それにしても戦略アドバイザリー専門のコンサルがあるのだ。名前は伏せる。

DCにあるという。80年代に設立された会社である。ウェブも見てみた。中々専門性が高そうである。日本で言えば差し詰め野村総研とか三菱総研だろうか。

インセプションノートの書き方がいいね。インセプションレポートの前段。英国人と違ってアメリカ人は分かりやすく書くね。だから好きなんですね、アメリカ人は。

イギリス人は紳士面しているけど、かなり狡猾である。

これから出てくる報告書は別途手に入れよう。また来るか分からないから。

歳を取ると、こうした政策・戦略的なものに興味がでてくる。明日は彼らのプレゼンがあるのでじっくり聞かせてもらおう。

2011年4月6日水曜日

1182:成田到着まであと1週間

今日は会議参加。明日もある。

最後に大臣にご挨拶するアポを取りに大臣秘書室に行く。大臣は既に出張中で来週の火曜日に戻るらしい。最後のご挨拶は出来なかった。最終報告書を秘書に預け大臣に宜しくと告げた。

次官も忙しいが、秘書官に何とか金曜か来週月曜にアポよろしくと告げた。自分だけならアポなしでいいのだがちょっと事情がある。

さて、いよいよ成田着まで丁度1週間になった。里心が出てくるね。日本も大変な事態だから自宅や実家のサポートも必要だ。

妻から送られてくるマンションの桜の開花が進んでいる。着くころまでに散らなければいいが。

日本全体が暗くなると良くないね。こういう有事の時こそ頑張らねばいけない。

妻への感謝の気持ちを込めて、イーグルスの曲を書き留めておこう。

No more cloudy days

Sitting by a foggy winter
Starring at the pouring rain
Falling down like lonely teardrops
Memories are love in vain
These cloudy days, make you wanna cry
It breaks your heart when someone needs and you don’t know why

I can see that you’ve been hurting, maybe I’ve been lonely too
I’ve been lost at your searching, looking for a girl like you
Now I believe the sun is gonna shine
Don’t you be afraid to love again, put your hand in mine

Baby, I would never make you cry
I would never make you blue
I would never let you down
I would never be untrue

I know one place we can go where true love will stay
There’s no more stormy nights, no more cloudy days

I believe in second chances
I believe in angels, too
I believe in new romances
Baby, I believe in you
These cloudy days coming to an end
And you don’t have to be afraid to fall in love again

Baby, I would never make you cry
I would never make you blue
I would never turn away
I would never be untrue
I know one place we can go where true love always stays
There’s no more stormy nights, no more cloudy days

また、シンガポールで沢山お土産を買って帰ろう。今度はいいお酒もね。

1181:アンカラからの久々のメール

お昼過ぎに最終プレゼンのパワーポイント資料を終えると何となく熱っぽい。

知恵熱か?

作業がほぼ終了してホッとしたためか。

数時間寝て寝汗をかいた。体温も下がり、ホッとした。食欲もある。

さて、メールチェックをすると、なんと4年ぶりにアンカラのMETUの元教授からのメールだ。彼女は助教授のころ南東アナトリア計画調査の現場にやってきた。当時はまだ40代後半か?5年ほど前に定年して、音信が途絶えた。学校のメルアドが使えないなら知らしてくれてもいいのにね。

今回の大震災で思い出したのだろう。この頃はメルアドがないと文通すらしないからメルアドの更新は大事だ。彼女も定年したがまだMETUで研究活動をしているようだ。

もう相当なおばあちゃんだろうね。元気そうなメールだった。

二人の知り合いの消息も伝えてくれた。もうトルコでコンサルサービスをすることはまずないだろうね。

一期一会だね。

さて、熱も下がり、もうひと頑張りするか。と言っても明日明後日の大会議の資料を印刷するだけ。

余談だが、風邪の時は直ぐ寝ること。ゆっくり休めといい信号だと思っている。風邪で無理するといけない。

来週の今日は既に今頃はヨハネスのホテルだなあ。

2011年4月5日火曜日

1180:Angel hair

今日は最終報告書を両面コピーして無事印刷完了である。

何から何まで、全て自分でするのも4回目。慣れたもんである。部下のパソコン君とプリンター君も付いてきてくれている。今回はインクカートリッジも余りあるほど持ってきているので危機感はなし。何千ページでもOKだ。

午後はちょっと疲れたので昼寝して、最後のプレゼン原稿を作っていた。最後数枚あるが、明日にしよう。

夕飯は、残ったパスタに明太子味の粉末を入れて完成。高地のため沸騰温度が低いせいか、今回は細いパスタを持ってきている。

所謂、

天使の髪と言われる、angel hairである。俗語で合成のヘロインと云う意味もあるから注意。

ちょっとしゃれたいい方だ。

プレゼン資料はパワーポイントだが、2年間の総括なので枚数がどうしても増えてしまう。いろいろ工夫を入れているし、後は現場で調整しよう。Q&Aセッションもあるし。

今日ローカルの奴が、「地方開発事務所の所長が、本庁の副局長になったね。」と言ったから、

実は、彼女は大統領に近い人なんだよと言ったら、彼と周りのローカルが数人がこちらを向いた。こういう情報は省の中にいないと分かんないんだよね。実際、彼女は今の局長の選定の時も候補に上がっていたのだ。これは大統領内閣府からの情報だ。今の局長の選定では最初3人候補だったが、5人にしろと大統領内閣府が指示を出している。

2年経つとローカルの人間より情報通になってしまったのか。

いずれ大統領にも会ってみよう。会うのは実に簡単だ。具体は言えないが、へえーそんな手があったかというほどシンプルだ。商社なんかに頼むような姑息なことではない。

さて夜のお風呂にしよう。

2011年4月3日日曜日

1179:村長さんの危機管理と英断

過去の経験や言い伝えと云うものは重要なんだという素晴らしい事例が読売に紹介されていた。

過去の津波が15mだったという先人の言い伝えを村長さんが真剣に受け止め、万里の長城と言われ非難されたが15mの防潮堤と水門を完成させていたという。

頑固一徹なんでしょうが、先人の言い伝えを守り、それに基づき(将来を想定し)建設した英断だね。

危機管理におけるトップの統制力は重要で、国を繁栄させるか滅ぼすか大きな分かれ道となる。

我々国民はそういうトップの選択にどう係っていくかが問題だね。

最近は優しさが求められて、厳しさや頑固さ、正義感は毛嫌いされる。

考えさせられる事例だった。

1178:最終報告書完成

日曜の午後3時。これからお昼だ。

やっと予定通り最終の報告書作成が終わった。イーグルスの音楽を聞きながら快調に進んだ。

兎に角、最後の提言はこれまで2年間の総括的なものだから、ある種の覚悟みたいな気持ちで書いた。そうそういい加減な提言は出来ない。根拠を積み上げての提言だと思っている。

実際、自分が任されれば確実に出来る内容になっている。

2年間と云う長丁場。やっと帰国が見えてきた。

しかし、まだ1週間あるので気を引き締めよう。

取りあえずは、報告書の精査。みっともない間違いだけはしたくない。

さてお昼にしよう。

1177:いよいよシーバフ横田基地に到着

95年サリン事件を切っ掛けにアメリカ海兵隊にCBIRFが出来た。英語での説明文は下記。

The Chemical Biological Incident Response Force (CBIRF) is a unit in the United States Marine Corps responsible for countering the effects of a chemical, biological, radiological, nuclear, or high-yield explosive (CBRNE) incident.

日米の協力が実を結ぶことを願っている。

さて、明日で作業は終わる。

帰国したら家族などへの支援が始まる。仕事は当分お休みするか。でもね、案件があればやはり応札したくなるのがコンサルの宿命だ。

お金じゃないんですね、これが。

今日は久々次男が下宿先から戻っている。みんなもう大人だねえ。今頃は深夜の談義が始まっているだろう。

参加までもうしばらくの辛抱だ。

2011年4月2日土曜日

1176:アフリカの生活で健康が促進?!

日本から持ってきた食材の整理をしていた。当然インスタントラーメンなどは完売。みそ汁の素、スープの素、ふりかけ、醤油などがまだまだ残っている。残った物はあと9日で消費するか、現地の人にあげようかと思う。

この2年ホテルの毎朝同じメニューで飽き飽きしていたが、最近は悟りかどうかは分からないけど、無理なく食べれるようになってきた。まずは感謝だね。今日も生きて朝飯に与れた。そんなシンプルなこと。

今日は試しにお醤油5ミリグラムをオムレツにかけてみた。なるほどうまいねえ。うまみ成分というのは日本人にとって重要なんだね。こういう味付けは昔トルコでやっていた。ケバブのお醤油、ソース、マヨネーズなどを適当にかけて食べていた。ただこういうことは長続きしないし、現地での味でもいいやと思うようになって、今回のアフリカ2年でもしていなかった。食欲という気持ちを押さえていたからだ。

この2年でなんか前より心身ともに健康になったような気がしている。

まずは、細かいことをいちいち気にしないことでストレスがなくなった。数年前からちょっと白髪が出てきたが、それも消えた。薄毛治療の錠剤を毎日飲んでいるかもしれないが、ハゲも消えた。見かけは10年から20年前に戻った感じだ。

粗食であることも効いているかもしれない。朝はホテルで食べるが、昼夜は自炊で適当だ。今までの調査団だったら、必ず昼夜レストランで豪勢に食べ、夕飯にはお酒が付きもの。週何回かはカラオケで深酒。

この2年外食は本当にわずかで精々送歓迎会に呼ばれる時だけ。ホテルでのビールやワインも最近は飲まない。

視力が低下していたが、最近はクロノグラフの時計の小さな表示がしっかり見えるようになった。また、以前は運動不足で時どき腰や背中が痛かったが、そういう痛みなども一切ない。

勿論栄養剤は欠かせない。

ブルーベリーエキス
グルコサミン
セサミン
DHA
発酵熟成野菜粒
マルチビタミン剤

これらは適宜飲んでいる。

だから何が効いているかは不明だが、やはり粗食と自然体の生活習慣が大事なようだ。

それと、朝夕のお風呂も関係があるかも。早寝早起きもいいのだろうか。

お陰で体重も軽くなり動きが機敏になった。

要するに、日本での生活は良過ぎるのだ。おいしいものがあり過ぎる。ストレスも多いしね。

日本に帰っても粗食と自然体の生活を続けようと思っている。

1175:アフガンはODAの最前線

6時近くなって夜が明けてきた。曇りのせいか夜明けが遅い。

原発は一進一退で、まだまだ収束の気配はないようだ。

アフガンでは北部のマザーシャリフのUN事務所が襲撃され国連職員も殺害された。国連もかなり激しい非難を行っている。外国人が殺される事態はかなり深刻だ。

多くの国際機関が活動しているし、これ以上治安悪化が進むと撤退と云うことも視野に入ってくる。アフガンには一度行ってみたいと思うが、最近は中々案件がないので中々行くチャンスがない。

カブールではそれほどの危険はなさそうだが、行動も制限され精神的にはストレスがありそうだ。国境を越えたタジクの最前線には行っているが、緊張感は全くなかった。UNDPの宿舎に泊った。

さて、あと9日で当地を離れる。もう彼これ2年間係ってきたが、取りあえずこれで最後だ。既にホーム化しているのでアウェーの緊張感は全くない。後はお世話になった方々へのお別れのご挨拶が残っている。

大臣、次官、局長・副局長ら、チーフから若手まで。一体何人いるのか?

来週、大会議が2日間開催されるので他の機関からも多数参加されるので都合がよろしい。5つの水公社や国際機関職員とのお別れもそこでしよう。流石にまだ大統領には会っていないがまたいづれ。

朝飯まではまだ1時間もある。

雲が消えて快晴だ。高原の乾期がやってきた。

2011年4月1日金曜日

1174:今日の作業も閉店3

朝早いせいか、予定の作業は午後3時には一応終了した。

まあ深夜までやってもいいのですが、あんまり無理な行程は苦手で、提出日ぎりぎりまでやることはしない。完成し、査読までする余裕が必要だ。自分で査読すると結構間違いを見つけることがある。

南部アフリカはもう乾期の兆しだ。雨もここ数日降っていない。今日は一日快晴だった。

明日明後日の土日で完成かな。

書いた文の資料やデータなどはどんどん片付けていく。ハードコピーは大体捨てる。随分周りも資料がなくなってきた。いい感じだね。

概ね書くことは決まっているが、最後初めて挑むのは、

気候変動を考慮した水資源政策及び組織に対する提言だ。これはまだ過去経験がない。

資料は既に揃っているが、この国の状況に合わせて提言することとなる。その前に、まず水資源管理体制への提言がある。これは既にアイデアが固まっている。どこまで書くかがポイント。数ページかな。

一番おいしい仕事だ。誰もやっていないことだから。内容はここでは書かない。

さっき、今川中学21期という検索でアクセスされた方がいたね。出水操先生のことを書いたところにアクセスされていた。21期だから出水先生のことは忘れないでしょうね。いい思い出になっていただければ幸いである。

さて、BBCでも見よう。

1173:いよいよ最終段階

毎度のことだが、報告書の最終段階である。

提言である。

後は細々な作業がある。お化粧ですね。

今度の土日あたりで完了か。

来週はまた大会議が2日あるので、今週で纏めないと帰国できない。

と、いつも緊張感を持って対応している。小心なのですが、武者振るいでもある。

最後はプレゼン用資料もまとめ。これも大事だが本文が終わらなければ全ては書けない。

コンサルじゃないコンサルは初めからこのプレゼン用パワーポイント作成にかかるから問題だ。コンサルなんて単なる出入り業者だと思っている。本文書かないで、サマリーだけ書くと云う大失態もする。

そういう輩も沢山いるが、持続的に受注できないから、コンサルタントの仕事には不向きだということを分かると思う。精々批評だけしてればいいのにね。

彼ら(具体には言えないが)もこれから大変だろう。会社組織がおかしくなってはどうすることもできない。アンサンブル・キャスト方式を以前から推奨しているが、これから益々個人の能力や経験が問われることが予想される。会社の看板に依存していたらコンサルは衰退していくに違いない。

いよいよ激動の時代の到来である。