2010年3月31日水曜日

615:運用マニュアルの書き方

報告書の作成に取り掛かって3日目になる。目次案を多少修正加筆しながら進んでいる。今のところ予定通りの進捗である。

今度の金曜から始まるイースターの4連休は、最も重要な運用マニュアルの作成に当てている。

報告書はまあ普通の書式でよろしいが、マニュアルとなるとそれではいけない。マニュアルというものは運用上の指針でありそれだけ格調高くなくては誰も使わない。勿論、使って実務的に役立たなくては意味が無い。そのためにも報告書とは一味違った書式にする。

コンサルタントの仕事ではあんまり運用マニュアルを書くことは少ないし、久しぶりである。ただ、参考となる良質なマニュアルの参考例は膨大にもっているので、今回の目的に合致した書式を使うことにした。既に決めている。

それは、ある開発銀行の運用マニュアルである。書式として非常に格式高いのだ。定義から始まり、運用方法が法律のごとく続く。まあ技術スペックと同じである。揺るぎが無いことが肝心である。「定義」のないガイドラインやマニュアルはまず使い物にならない。

実は、昨年小生が実施した案件形成作業の全てのプロセスをカウンターパート機関職員に伝授することを目的としている。小生がいなくなっても同様の作業ができ、且つ、いい成果がでるように作る。

だから、成功事例を持続的に生み出す手順と知恵が満載することになっている。省の職員はあまり興味がないが、日銭を稼ぐ水公社の職員は反対に興味津々である。彼らは案件実施に非常に熱心である。5つの水公社の競争もある。

案件実施を可能にする実践的な「傾向と対策マニュアル」である。

プロジェクトが無ければ管理なんて成熟しないよね。開発と管理は両輪であるから。

2010年3月29日月曜日

614:水の四字熟語(臨機応変という意味)

今日は首都の水公社を訪問した。地方は全て行ったが、首都を忘れていた。トップ以下3人とオランダ人のインハウスコンサルタントも一緒だった。

内容は言えないが、オランダ人はあるオランダの公共機関から来ている。民間の水ビジネス会社も世界で活躍しているが彼の組織は100%公共機関とのこと。

そういえば、日本でも水道局が海外に水ビジネスへの関与を目指しているのだ。彼の立場は全く同じである。いつでも相談に乗るよと言ってくれた。オランダ人はあんまり気が合わないが彼は非常に好感が持てた。公共機関が海外で水ビジネスに係れる先輩的な助言が得られる。

日本勢も最初から民間を目指さず、まずは組織内に海外援助チームを作るべきであろう。彼の組織名はここでは伏せておく。アジア、アフリカなどでかなりの数の経営支援をしているらしい。いい人脈を見つけた。

さて、見つけたと言えば、水の四字熟語を纏めたウェブがある。日本を代表とする水の専門家集団である、水資源機構である。

小生が目指す臨機応変な水資源管理に係る四字熟語を見つけた。下記を参照、ただし難しい漢字が2つあり活字が表現できない。興味のあるかたはJWAのウェブをご覧あれ。

れい浅掲
(しんれいせんけい)「深ければ(れい)し、浅ければ掲す」という。
川の水が深いときは、着物を帯の上までまくしあげ(れい)、浅ければ膝の下まで持ち上げ(掲)て渡河する。その時と場所に応じて適切に対処すること。
(出)『詩経』はい風(はいふう)・ ほう有苦葉(ほうゆうくよう)(類)臨機応変。故常(こじょう)を主とせず。

あんまりガチガチの水管理を目指すと海外での違った環境ではにっちもさっちも行かなくなる。要は実情に合わせて調整するセンスが必要である。

613:In the Shadow of the Moon

僕が月で君が太陽だね、と妻に言ったことがある。いいコンビである。

さて、本日分の作業も終わったので久々映画鑑賞。途中から見たのだが、直ぐ引き込まれる。アポロ計画に参加した宇宙飛行士のインタビューを中心に纏めたドキュメンタリー。07年のイギリス映画だそうだ。

月着陸は本物と確信した。それより、インタビューに出てくるおじいちゃんのいい顔していること。アームストロングは参加しなかったらしく映像は以前のものらしい。皆さん、スピリチュアルな印象を受けるね。映画の内容は誰にでも見てほしいから割愛。下記に07年のニューヨーク・タイムスの評論を転記する。いい文章ですね。流石、The Cityである。以前書いたアームストロングの有名な言葉についても別の理解があるようだ。SSBだから聞きとりにくいだね。

70年前後、アポロとの交信の最後に「ピー」と発信するのを真似て、いろんな人がアマチュア無線で使っていたのを思い出した。SSBの音質もいいね。今じゃあり得ない。

Film Takes Us Back 38 Years, to That First Walk

September 4, 2007

They are old men now. That much is obvious from the tight camera shots. Nonetheless, it is hard to fathom: has it been 38 years since the first of them set foot on lunar soil?

The documentary tells the story of the Apollo space program.
“In the Shadow of the Moon,” a documentary that premieres this week in New York and Los Angeles, tells the story of the Apollo program and the race to reach the moon, as President John F. Kennedy declared in 1962, “before this decade is out.” And so, on July 20, 1969, we did.

Note the “we.” It is from one of the most powerful, lump-in-the-throat moments of this exceptional film. Michael Collins, who orbited the moon during the Apollo 11 mission while Neil A. Armstrong and Edwin E. Aldrin Jr. took their lunar module down to the surface, said that after the flight, on the around-the-world tour that NASA sent them on, “Wherever we went, people, instead of saying, ‘Well, you Americans did it!’ — everywhere, they said, ‘We did it! We, humankind, we, the human race, we, people, did it!’ ”

His voice breaks slightly in the telling, and he says: “I thought that was a wonderful thing. Ephemeral, but wonderful.”

The film, by the British director David Sington, has the backing of Ron Howard, the director of “Apollo 13.” It tells a story that has been told before, of course, in books and movies like the miniseries “From the Earth to the Moon.” The stories will be told again in the coming documentary, “The Wonder of it All,” which takes a similar, in-their-own-words approach, and in others that will surely arrive as the 40th anniversary of the first moon landing rolls around the summer after next.

Astronauts make tough reviewers — they tend to prefer accuracy to drama — but three Apollo astronauts interviewed for this article had praise for Mr. Sington’s work.

Alan L. Bean, an astronaut on Apollo 12, said reaching the moon “has implications for young people, so they see what they can do, what their generation can do.”

Mr. Bean continued, “This is a nice thing — this is what our generation can do. What is your generation going to do? It’s got to be better than this. Maybe it could be an inspiration.”

Harrison H. Schmitt, the geologist astronaut who made the last landing on the moon in 1972 with Eugene A. Cernan (and who later served a term in the United States Senate), said, “I’m not a good judge of entertainment filming and programming; I would do all of that differently, and go broke.”

But, Mr. Schmitt added, he would have liked to see a greater focus on the scientific benefits of the missions, including advances in geology and the rapid improvements in existing technologies like microelectronics that were pushed by the program.

In the film, the personalities of the less famous astronauts come through. Mr. Collins is funny and engaging, and Mr. Cernan is both precise and passionate. Charles M. Duke Jr. is eloquent in talking about how he felt being the capcom, or capsule communicator, on Apollo 11, as well as about his experiences on Apollo 16. Edgar Mitchell, who flew on Apollo 14, speaks with an almost mystical awe about his flight.

The astronauts also talk about seeing “the whole circle of the Earth” at once, as Mr. Duke puts it. “That jewel of Earth was just hung, up in the blackness of space,” he says, holding his hands out, cupped, as if to cradle the sphere.

Will the film appeal to those who did not experience the thrill of having watched the first steps on the moon live on television? Mr. Aldrin said he hoped the documentary would catch on. “I am looking for things that are going to stimulate the American people” to find the value in space exploration, he said, “the inspirational, the innovational and just the human quest to discover.”

Of the surviving moon walkers, only Mr. Armstrong declined to go on camera. That is not unusual, since he is known to avoid the spotlight. Mr. Sington exchanged a few e-mail messages with Mr. Armstrong, who explained, as Mr. Sington recalled, that “if you want to talk to me about my personal experience, walking on the moon, you’re missing the point.”

After all, Mr. Armstrong had said, “One small step for a man,” not “one small step for me,” Mr. Sington recalled. “He represents everybody.”

And so, Mr. Sington said, he came to accept Mr. Armstrong’s decision, and to have Mr. Armstrong’s as the only face that is not updated. “He’s the one astronaut who stays young,” he said. “Somehow, to me, that’s satisfying.”

Is there in that, perhaps, a tiny bit of rationalization?

Mr. Sington laughed. “If he’d said, ‘Yes, I’ll do an interview,’ I’d have been delighted,” he said.

2010年3月28日日曜日

612:報告作成工程

昨日今日といい天気が続く。雲も厚いが雨は降りそうもない。

昨日から目次案に沿って作業工程を考え一応できた。空港を飛び立つ最終日の午前まで1日ごとの作業計画が終了した。その通りに進むことは絶対にないが、でも作っておかないと作業進捗のM&Eができない。

団長や副団長だと団員の管理もあるが、一人調査団だから全て自分の作業だ。目次作って団員に投げればそれで済む時代も過去のことである。自分自身が団長になったころには団長が総括だけというのんきな時代は過ぎていた。だから一人調査団は寧ろやり易い。

ルームサービスを頼んで休憩だ。お馴染みのチキンウィングと卵ピラフ。バックグラウンド音楽はジャズにしている。昼寝しないよう気をつけよう。土日の作業はホテルだから静かでいい。イースターの連休もホテルに缶づめですな。

前回はポータブルプリンターのトナーが日本から届かなかったが、今回は十分すぎるほど確保したので安心だ。最新式のトナーはまだアフリカまで普及していないのだ。

5つの水公社の内大事な1つを忘れていた。首都だからいつでも行けると先延ばしにしていたが、明日行くことにした。担当者は日本に研修で行った方だから電話でも日本語を言っていた。感じはいいね。

ウガンダのSWAPとJSRについては一応成功例と認識されているので資料を大量に集めた。やはり10年続いた成果はすごい。これも比較・評価してみよう。

さて、まだルームサービスが届かない。と思っていたら来た。

2010年3月27日土曜日

611:ホテルの雰囲気の変化

ここ数日ホテルの客層がいっぺんに変わった。

今までは客数の変化が激しく、時たま自分を入れて数人で3階は一人だけということもあった。セミナーが開催されると一挙に客が増え朝飯のビュッフェが不足気味になる。

では今回の変化は?

大きな国際会議がもうすぐ当地で開かれる。その前段の事務協議が始まったようだ。それで各国から事務官が大量に来ている。どこのホテルも満員だ。ここではカメルーンとウガンダ要人用にバスが来ている。特別な登録ナンバーが張られている。でもそんなにものものしい雰囲気が無いのはアフリカ第2位の治安の良さがあるからか。

さっきR君のタクシーで買い物に行ったが、彼の雰囲気がいつもと違う。聞けば、奥さんが二人目の出産で病院にいるとのこと。早く買い物を済ませて病院に向かわせた。彼も言葉足らずでね。

朝飯のレストランの雰囲気も違ってきた。アラビア語が飛び交う。白人も多い。ロビーで無線LANで作業する人も多くなった。いいね、このインターナショナル的な雰囲気は。今まではどこか修道院的な静けさがあったから。それはそれでいいのだが。ブラザー・フランシスコの感じで。

買い物してたら大使館の方とばったり。大使がお待ちしてますよ、と言われた。あれー、大使からのご質問は別の書記官の方を通じて既にお伝えしたはずだが。誤解されないうちにクライアントと相談してみるか。

610:雨期も終わりか?!

日本ももうすぐ4月で新学期。

妻からメールが来て田園調布からだった。あんまり馴染みのない場所ですね。カトリック田園調布教会で助祭になる叙階式という盛大なお祝いのごミサがあり参加したとのこと。日本では中々見れない素晴らしいごミサだったらしい。

フランシスコ会だから以前お世話になったドイツ人のウルバン神父にも会ったそうだ。その後自由が丘でお買い物だそうだ。25年以上前はよく妻とデートした懐かしの町だ。長女も気にいったそうだ。さいたま市とは流石にセンスが違うよね。まあヨーロッパやアメリカの上品な町に比べたら負けるけど。

さて、次のメールはサウジ水資源関係。3年前から水資源管理開発計画調査が続いている。何とか最終報告書が出されるようだ。土方的な設計や施工監理がお得意のコンサルだったから計画調査のセンスはいまいち。だから水資源管理計画なんかは全く理解できていなかった。クライアントさんもこういうコンサルしか出てこないのでご苦労が多い。前社長、常務、水資源部長が総がかりでも体たらく。まあやっと終わったようだ。相当な持ち出しで赤字だろう。まさに社名を賭けてのお仕事だ。

しかし、再提案の計画があるそうで、何でしょうね?サウジ水電力省の事務次官さんも交代と聞いている。彼に直接メールして聞いてみよう。彼とは個人的な信頼関係があるし、計画部長も馴染みの方だ。事務次官さんはCSUでグリッグ教授の下で勉強していた。最終報告書は図書館でそのうち見られるだろう。見れば成果があったかどうかは一目瞭然である。

下品な仕打ちも甘んじて受けよう。その方が結果的にいい方向に行く。悪魔的な方々に反抗しても意味はない。緒方さんも透明性を高めよと申されている。その通りだと思う。いい指導者がいると組織は向上する。

計画部長から団長を交代させたいと事務次官が考えているけどどうしたいい?と相談を受けたのがそもそもの事件の始まりだった。最大手コンサルだったら直ぐに交代するが、規模が小さい会社はそれができないから、どんな汚い手を使っても阻止する方向で走った。これが最大の間違い。コンプライアンスなんて全くない会社である。結果、会社的に大きな痛手を受けることになる。経営的には致命的な失敗である。

一方。ジッダで起こった洪水の死者は150人以上だと知った。サウジはお金持ちだが水関連事業への財政支出は3%程度。ちょっと少ないね。サウジに行くことも多分ないと思うが、水電力省の幹部にメールでもしてみよう。いろいろ裏話が聞けそうだ。

そろそろ当地も雨期が終わろうとしている。さて、買い物に行って、それから報告書作成に入ろう。

609:いよいよ報告書作成に

南部アフリカに再渡航して約3カ月経った。いよいよ報告書作成に入る。

いつもながら目次作成には苦労するが、目次案ができると一安心である。これまでの成果がうまく目次で整理されればもう終わったも同じである。

と言っても、まだ書き上げるまで3週間を要する。途中別件に係るので中断期間を考慮することになる。勿論その作業も含まれるのだが。

今回はプロジェクトベースの仕事ではなく、政策及び戦略、IWRM、SWAP、M&Eといった政策ベースに係る内容であり、これまでの経験ではあまりなかった内容になる。当地の水セクター管理状況はあまりいいとは言えず、ドナーやNGOの連携も強くない。

従ってそれらを強化する支援は困難を極める。といって数カ月でも成果がでるようにするのがプロである。具体のことは言えないが、できることから進める臨機応変のアプローチを取り入れた。

できそうにない夢物語やおねだりリストをいくら美文で並びたてても実務で使われることはまずない。使えば利があると思われるものを提言するつもりである。勿論、何がまずいのか、どうすれば少しでも改善するのか、というヒントや指針が入っていなくては使われない。

結果はお楽しみといったところである。

長男、次男の受験も無事終わったのでお父さんとしては一安心だ。高1の長女も予備校に通い始めた。まだまだ海外の出稼ぎの仕事は続く!!migratory consultantだね。季節や期間が不定期ですが。

5月には日本に帰れそうかな。前回は急きょ1カ月延長を要請されたので、現金がなくなりクレジットカード2枚でATMから引き出す事態だった。取りあえず、帰国日のヒルトン成田は予約した。

2010年3月26日金曜日

608:インドや中国に援助を求めるか?!

また中国語のコメントが入ったようだ。グーグルに対する攻撃が続いているのだろうか。早速消去した。

久々、計画局長にお会いした。というか隣の部屋でSWAP専門家と雑談していたら入ってきたので、お久しぶりですねえ、インドはいかがでしたか?、と聞くと、どうして知ってるの、とビックリしていた。

省内のことはまあ大体情報が入るのですよ、とお答えした。何でインドなのと、聞くと、今後インドや中国の援助を期待してると申された。水やかんがいセクターへの支援だ。中国の進出もすごいしね。

この国も財政不足が深刻だし、SWAPによってドナーや国際機関、NGOの援助に依存するしかないが、中々援助額も限られてる。

そこで、中国やインドに接近だろうか。あまり詳しいことは聞かなかった。こういう話はまた内密に聞き出そう。中国が出てくるとドナー会議も混乱するし、SWAPは壊滅かな。実際、ウガンダの水SWAPを模したSWAPもドナー側や政府側にもう1年で意欲がなくなっている。CIDAは09年のドナー側代表だったが、カナダ政府の方針で撤退してしまった。まだ正式には次の代表機関が決まっていない。持ち回りじゃ駄目なんですね。CIDAのプログラム支援もインドネシアのソロや北スラベシで見ているが、数年やって突然撤退するので困りものである。持続性が足りない。カナダの国境のない技師団はいいけどね。

政府側も人材不足でドナーや国際機関を説得させるような逸材がいない。保健セクターは随分うまくいっているが、保健と水では全く違うセクターだからとても真似はできない。ウガンダではデンマークが10年もずっと支援しているし、政府側も現実的な実行計画をうまく示してる。この国では、あり得ない実行計画を子供のように出してくるから、当然計画案全てがキャリーオーバーで何年続くか分からないほどである。

財政、コモンファンド、プロジェクトなど支援のモダリティーがあるが、まずはSWAPが調整と意思決定そしてM&E機能をしっかり持ってほしいものだ。一方、ここの主要NGOは後ろに援助国政府がついているからとんでもない政治的な動きをする。大臣にベンツを送ったり、食事をしたとか油断ならない。ゼネコンみたいだ。

日本としてはプロジェクトベースで粛々といい案件を実施するのがいいかもしれない。

2010年3月23日火曜日

607:World Water Day 2010

今日は世界水デーである。もう10年ぐらいやっているのだろうか。今まであまり意識してなかった。世界水委員会、WaterAid America、UNESCOからお祝のメールが配信されている。

当地でも毎年各県持ち回りで開催されたてきた。

水省の大臣、副大臣、事務次官などが列席し開催されている。省の女性職員によるダンス、開催県の民族ダンス、県都の中等学校のクイズ合戦などがあった。

大臣以下、事務次官、局長、地方事務所職員、水公社職員などお馴染みの方々がいるのでご挨拶が忙しかった。

要は水関連機関職員のお祭りだ。

8時から開始予定だったが、実際は9時半過ぎにやっと開始だった。このようなイベントの実行能力を見るために7時半には会場に行ったが、まだ設置準備中だった。近くのホテルで待機し8時過ぎに再度会場に入ったがやっと席だけは何とか並べられたが、参加者は全く来ていなかった。責任者とちょっと話して適当に時間を潰していると三々五々参加者が入ってきた。ドナーはアフリカ開銀だけで、他はシカト。

これがアフリカなんだね。日本風に考えたらストレスが溜まってしまう。アジアなどでもこれほどひどくはない。いい勉強になった。

いろんな民族ダンスを見せてもらったが、太鼓の響きがなぜか魂を揺さぶる。日ごろオフィスで見かけろ秘書のおばさんたちもダンスがうまいんだね。

アフリカはあせらずじっくり取り組まないと駄目だなと痛感した。

緒方さんが、「Warm heart and cool head」と言っておられたが、アフリカではまさにそうだね。

2010年3月21日日曜日

606:国内コンサルも大変だ

久々国内でコンサルを経営している知人からメールが来た。

彼によると今年度は国内コンサルもまあまあだったそうだ。しかし、来年度は公共投資が10%削減されるが、実際の工事予算は25%程度落ち込むという。これはコンサルだけでなくゼネコンも大きな影響を受ける。

T建設とS建設の合併話も再浮上するかもねと言っていた。まあ業界の再編成と統合はいいと思う。

海外コンサルも人がいないし、国内から多少人材の流入があるといいね。中々仕事の質が違うので慣れるまで時間がかかるが長い目で見てみるしかない。

知人も海外コンサルへ再登場するようなのでご助言していこう。まずは英語でAクラス、そしていい協力会社を探すことですね。

さて、明日は世界水デーだ。

2010年3月20日土曜日

605:サリン事件からもう15年か

ちょっと代わりにヴェトナムからのお客さんの食事会に行ってくれない?と言われて銀座のJV相手の本社に行って、その日から家に数日帰れなくなった。

ヴェトナムで初めて開始される水力発電の関係者の歓迎会だった。当時の上司は酷いもので、自分がアテンドするのが面倒くさかったせいか、実際のアテンド行程を言わずにいた。

食事会に行くとJV会社からこれから宜しくアテンドお願いしますと言われ、食事後直ぐ地方の現場に同行してくださいとのことだった。ビックリして本社に電話すると、宜しくね、だった。ひどい話だ。実際、このころから会社の雰囲気がおかしくなっていた。

まあ、海外からのお客様をアテンドすることは好きなのでそれ自体はいいのだが、上司の無責任さには呆れた。

それが丁度15年前の3月だった。研修生はなぜか北千住の研修所みたいな施設に宿泊していた。サリン事件当日は日比谷線で銀座に向かう予定だったが、彼らの宿舎まで行って銀座まで同行した。多分1時間ほどの違いで難を逃れたと記憶している。

ゼネコンの現場、電力会社の現場、既存ダム発電所の見学など3か所ぐらい回ったし、当時のJBIC本店にも表敬したと思う。

現場での宿では初めてヴェトナム人と交流し、ウィスキーのまわし飲みを経験した。水文の教科書はソ連時代のクリッキー・メンケル共著の本がヴェトナム語に訳されて使っているとも聞いた。

その後、日本の支援でもう一つ水力発電プロジェクトが建設されたが、それで日本の支援は終わったようだ。04年にはD/Dを無償で支援して、それ以降のS/Dはヴェトナム側で進めることになった。彼らの成長は早い。10年で卒業した。07年にはADBのT/A案件に団長として応札したが、残念ながらJVのドイツのコンサルの不手際で失注した。取れてたら今のような幸せなコンサル人生はなかったかもしれない。

ヴェトナムの水力案件に係ることはもうないんでしょうね。

604:強盗と交通事故

以前から一度会って話さないといけない人がいた。国家水開発プログラムのPMU事務所のKさんだ。

彼女は元々かんがい専門家で日本にも研修で行った経験がある。彼女も世銀融資の案件担当だから相当忙しく中々事務所にいない。やっと一昨日連絡が取れて会いました。

この国の水行政の問題点を厳しく率直に切り込んでくれる。男性は紳士的だが正直ベースで話してくれる人は少ないが、女性は率直でいい。小生の見方も賛同を得た。

そんな話が進むうち、パソコンの中の情報(世銀融資のT/A案件のTOR)が中々見つからない。どうして、と聞くと実はと語ってくれた。

自宅に強盗が入り、省の公用車とパソコンなど取られたらしい。生きていただけで良かったと語るが、我々にとってパソコンの中身は命の次に大事だ。

外人が被害に会うとは聞いていたが、現地の人でも被害が結構あるらしい。

一方、交通事故も多発してる。この間も省の若手と同行したが、二日前に事故でなけなしの金で買ったトヨタの中古車が廃車になったとこぼしてた。長旅をした時はあんまり事故が多発する感じではなかったが、都市部周辺で起きているのだろうか。

犯罪や事故もあんまり統計が出て来ないので原因が良く分からない。

今BBCでパパ様の公文が発表されている。例の聖職者の性的暴行の件だ。随分異例の発表だがそれだけ深刻なのだろう。

603:深刻な電力不足

今週はドナー会議だったが、どうも参加するドナーも少なくなり低迷している。水セクターのSWAPも始まった当初はいつもながら調子はいいが次第に凋んでいく。ドナーと水省幹部の会議もSWAPの低迷に従って活動が鈍る。去年の最初の会議参加から感じていたが、何の進展もない。

当然のことである。SWAPが投資案件の整理をし無駄なく効率的進めて行くだけの権限がないからだ。世銀やアフリカ開銀支援の全国水資源開発プログラムの方が資金もあり活動が活発である。当地のSWAPは6年ぶりに再開したが、結局また2年で衰退する可能性が高い。主導的に支援していたCIDAも撤退した。

さて、今日は朝から停電が断続的に続いている。町は常習的だそうだ。それほど電力事情が悪化して経済活動にも悪影響を及ぼしてる。当地はアフリカでもっとも停電が多く、商業活動のロス率は10%で断トツの第1位。事業所の自家発電施設設置率は70%でこれもアフリカ第1位。

最貧国であり二百億円以上の建設コストを貸してくれそうなドナーはない。そこでPPPの導入を電力公社が検討していると聞く。小生は水屋だが、水力や電力計画もやっているので興味があるし、クライアントのご質問にも積極的に回答する考えである。いずれ、この国の電力計画にも係るかもしれないから。それ以前に、興味があるし。実際、この国には発電用のダムは一つもないのだ。全てROR。ピーク対応は全くできない。具体の名前は言えないが、いくつか有望な水力ポテンシャルはある。F/Sまで進んでいないのが実情である。

丁度映画を見ていたらまた停電。最後10分のクライマックスを逃した。こういうストレスは直ぐネットの映画ウィキペディアでチェック。今日のは、Fractureで07年の法廷ものの殺人事件である。

こういうジャンルは、

Legal/Crime Suspense

と定義されているらしい。

コンサルも論理的な議論をする必要があるが、こうした法廷ものは見ていて参考になる。

この国の水SWAPは全く論理的でないので困っている。じっくり取り組もう。

602:アフリカ版おれおれ詐欺メール

もうずっと以前からアフリカからの嘘の投資詐欺メールが入ってきた。そんなうまい話はないので気にはせず消去していたが、今回はちょっと巧妙な詐欺メールが来た。

宛名もなくおかしいなと思ったが、一瞬どうしようかと迷ったぐらい巧妙である。よく読めば不審なメールではある。下記ご覧あれ。

Hope you get this on time.Sorry i did not inform you about my sudden trip to Kent Dover UK for a program.I am presently stranded here and urgently require your kind favor soon.I hope you come to my aid.Last night,i got mugged at gun point on my way to the hotel where i lodged.They went away with all have got including my wallet where i have all my cash and credit card and also my cell phone.I wasn't injured because I quickly complied.
My traveling documents are been apprehended by the hotel management because of my inability to pay bills.I reported to the police and they only asked me to write a statement about the incident and later referred me to the embassy.I contacted our embassy here but they are not responding effectively to the matter.I am confused and so full of panic right now.For now,i do not have a phone where i can be reached.All i have got here is my mail.I also have limited access to the computer.
Please I need you to Kindly loan me about (1,820 Pounds) to sort-out my hotel bills and other expenses incurred here and get back home soon as i do not feel safe here anymore.I Promise to refund your money immediately i return home.I will explain full details to you when i get back.I will appreciate any amount you can quickly arrange and send to me via Western Union or Money Gram with the details below.

Receivers Names: 小生の知ってる名前
Receivers Address/location:19 New Dover Road,Canterbury
Dover Kent,CT1 3AH, United kingdom

Write to me the full details of the transfer or scanned copy of the transfer receipt so that i can receive over here quickly.Let me know if you can be of any help soon because you are the only person i can reach at this moment and the next flight back home departs in about few hours.
Get back to me ASAP.

Kind Regards

多分小生の知人のアドレスのパスワードが読み取られ使われてたと思う。本人は知っているのだろうか?彼は今南アにいるのでおかしいなと思い、別の職員に電話して確かめたが、同じような詐欺メールが省内の複数の職員にも来たそうだ。

お金の余裕のないアフリカ人が自費でイギリスに行くわけないのであるが、もしやと一瞬は考える心理はあった。最後のパラグラフが詐欺的だと思わせる。ATMならまだしも手間のかかる送金方法では効率はあまり良くないが、そういうところがアフリカらしい。

2010年3月19日金曜日

601:ICHARMさんの凄さ

コンサルの低迷の中で、ICHARMさんの国際貢献には目を見張るものがある。

日本の高度な技術、竹内先生の国際感覚と指導力・情熱、外国人研究者の積極的な雇用などを総合的に活かして、見る見る世界的に成果がでている。2年ほど前からADBのT/A案件を実施することは知っていたが、そのニュースがUNESCOのニュースレターで知った。下記が詳細である。ADBのT/Aは本来コンサルが受注することが通例だが、こうして高い技術でT/Aを実施することはもうコンサル会社にはできなくなってきているのはさびしい。

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ICHARM はアジア開発銀行(ADB)と共同でアジアの水災害軽減に関する地域技術協力連携プロジェクトを始めるため協議を続けてきました。その結果、プロジェクトとして正式に開始することが決まり2009 年11 月13 日(金)にフィリピン・マニラにあるADB 本部において関係者による調印が行われました。ADBからXianbin Yao 地域・持続可能な開発局局長、土木研究所からは坂本忠彦理事長と竹内邦良ICHARMセンター長が出席し、プロジェクト協定書へのサインが行われました。プロジェクトの正式名称は「Regional
Technical Assistance (RETA) 7276:Supporting Investment in Water-Related Disaster Management( 地域技術支援7276:水災害管理における投資の支援)」、期間は2011 年の4 月までとなっており、プロジェクトの概要はADB のホームページ(http://pid.adb.org/pid/TaView.htm?projNo=42110&seqNo=01&typeCd=2)でご覧いただけます。

なお、このプロジェクトに関してADB は総額200 万ドル(約1 億8,000万円)の資金を用意しており、必要経費としてその内の一部が土木研究所へ提供されます。このプロジェクトでは水災害に苦しむアジアの中で特にインド・バングラデシュ・インドネシア・メコン河下流域(ベトナム・カンボジア・ラオス)に焦点を当て、各国が将来行う防災関連の投資が円滑に進むような技術協力をICHARM が行うことにしています。国ごとに規定された主な活動を以下に紹介します。

1)人工衛星情報を活用した洪水予警報システム-統合洪水解析システム(IFAS)-モデル適用(インドネシア・ソロ川流域)
2)コミュニティ主導の水管理のモデル実践(バングラデシュ及びインドネシア)
3)洪水早期警報システムのレビューと将来に向けての提案(バングラデシュ)
4)洪水及び渇水脆弱性指標の開発(メコン河下流域)
5)ICHARM で組織する、地域防災計画強化のための研修参加を通じた人材育成(バングラデシュ
及びインドネシア)
6)様々な知見の共有のための地域ワークショップの組織

ICHARM のメンバーは協定締結後各国を訪問し、情報収集と今後の活動内容を詰めるための協議を行いました。またバングラデシュとインドネシアからICHARM での研修に招へいし、人材育成を行いました。今後、約1 年にわたって各国や日本で活動を行っていきますので、折に触れて本欄でもご紹介していきたいと考えています。

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そのうち、水資源管理に係るT/Aもコンサルじゃない機関が実施するかもしれないね。

2010年3月17日水曜日

600:Loughboroughって読めないよね

イギリスのWEDCからメールが来た。以前から開発途上国の水と衛生に関する資料を頂いていたが、今回は全面的な情報公開を決定し、彼らが過去40年に亘って蓄積した知識ベースを開放するという。

願ったり叶ったり。タダとのこと。そうだよね。今時論文とか有料というのはセコイ。

早速登録してOK。いいねこういう団体は。これこそ情報の共有化である。

WEDCはイギリスの大学の機関である。主題の名前が大学名。さあ、どう発音しましょうか。

片仮名表記だと、ラフバラ、と読むらしい。とても最初からは読めない。土木工学科もあるらしい。

WEDCはあまり日本では知られていないが、スイスのSKATと同様村落の給水とか衛生に係る技術的な資料や論文が多く、大変お勉強になる。

暇な時にでも知識ベースにアクセスしてみよう。

イギリスやアメリカはタダで情報公開している大学や機関が多く実務上助かっている。洪水情報データベースではアメリカのダートマス大学が有名。以前、中央アジアの調査があって、おバカな団員は現地で殆ど洪水情報を手に入れることができなかったが、団員でない「ゴーストライター」の小生は現地に行かなくてもダートマス大からちゃんと頂いていた。

現地に行っても情報を得られない事態を想定することもプロのコンサルタントの必須条件である。現地でデータがありませんでしたとクライアントに言うようでは何年たってもプロとは言えない。

599:アフリカ中古車輸入事情

今日は久々地下水部門のK君に会った。別件で知りたいことがあり彼に聞くことにしたからだ。彼も道路公社とかコンサルを渡り歩き水省に入っている。勉強熱心で、且つビジネス感覚もあり公務員でありながらコンサル会社を経営している。これは暗黙で許されているらしく、別の職員も兼業だ。

水省の給与も低いからそうせざるを得ないらしい。保健省に務める4歳下の彼の奥さんの給与は彼より高いそうだ。何で、と聞くと、面白い答えが返ってきた。なるほど。医者や看護婦は海外でも就業可能だから、南ア、ヨーロッパ、北米でも歓迎されるらしい。政府も医者や看護婦の海外流出を防ぐため若干給与を上げているらしい。水省の3割増しだそうだ。教育省は相当低いらしい。いくら英語ができても外国ではノンネイティブだし教師としては価値が無い。なるほどね。最近はエンジニアが海外に流出しているらしい。

そんな彼が就業中に夢中でパソコンに向かっているので、何してるのと聞くと日本の中古車輸出業者と交渉中とのこと。トヨタの中古車で気にっているものがあり、価格は全部で7000ドルだという。この値段が適正かと聞くので答えた。

10年で7万キロ。写真の感じだとまあまあだ。しかし、日本の中古車市場では、6000ドルから10000ドルの幅がある。日本では中古車といえども再整備するので、輸出経費込みでタンザニアまでのコストを入れて7000ドルでは安い。

しかし、安過ぎじゃない、とコメントした。どんな状態で来るかは不明だ。買う買わないかは彼の判断だがリスクはある。まさか盗難品じゃないだろうか、と言わなくてもいいコメントもした。

彼も迷っているらしい。少し他社もあたってじっくり考えた方がいいよと伝えた。

兎に角、この辺ではトヨタの10年ぐらい経った中古車が多い。うちのイプサムもそこらじゅうで走っている。まだハイブリッドはない。ハイブリッドの中古車はここで整備修理できるんでしょうか??

598:お兄さんそっくり!!

さっきちょっと妻が送ってくれた文藝春秋を読んでいた。ある記事に俳優の方の文章と写真があった。

そう言えば、この方の弟さんが会社にいたことを思い出した。彼は会社の大先輩で時どき社内の会議でお会いする。中々貫禄のあるエネルギッシュな語りとまなざしがあり、存在感のある方だと思っていた。どこかで見たようなお顔だし。

その第1印象から大分経って、「お兄さんと似ていらっしゃるからよく間違われるでしょう?」と別の方が彼に聞いている場面に遭遇した。「そうなんですよ」と彼は答えていて、兄貴は10歳年上だけれと最近特に似てきて、と話されていた。お兄さんはあの有名な俳優さんだと分かった。

あごひげも同じだし風貌はまさしくそっくりさん。

彼も最大手商社マンからコンサル的な活動をされていて、当地南部アフリカでもご経験が豊富である。ただ、情報が古いので今の当地とは若干事情が違う。まあ大先輩の言うことにいちいち反論しても意味ないので黙ってお聞きしている。当地には思い入れがあるのだろう。

さて、当地の水関連事業もこれから益々増えるだろう。来週はWorld Water Day 2010のセミナーがあるらしい。WWCからもパンフレットが送られた。WWCのパンフからもIWRMやintegrated water resources managementは消えた。その代わりsustainableが随所に見られる。定着したから使わないのか、時流じゃなくなったから使わなくなったのかは不明である。2年後のマルセイユ第6回世界水フォーラムにはぜひ参加してみよう。

2010年3月14日日曜日

597:海外志向は2割以下?!

このホテルも昨年から定宿だが、省に歩いて5分というのが決め手だったので、食事のサービスの悪さは気にしないことにしていた。ただ、最近従業員も入れ替わりが激しくサービス教育が徹底していないのかその劣化が目立つようになった。サービス業を生業にする立場だからお客さまに対するサービス精神の低下が気になっていた。新人の質の低下では、まず挨拶ができない、サービスの不備に対する謝罪もなくなった。年のせいでしょうかね。賃金が安いのでやる気がでないのだろうか。

この国の人は一見穏やかに見えるし、部族間の争いから内戦になることもなかった。だからと言って純朴かというとそうではないらしい。日本人と同じで感情を出さないことが美徳のようだ。ある人から「根に持つ人が多いから注意した方がいい」と助言はされている。

さて、今日のネットのニュースではベネッセの調査報告があった。高校生までの調査で、海外で活躍するという夢や願望は2割以下だそうだ。この結果をどう見るかはいろいろあると思う。まあこんなもんでしょう、というのが小生の考えである。うちも子供3人いるが、親父が海外でなにしてるかという強い関心はあんまりなさそう。ただ、職種は違ってもいずれ海外に行きたいという考えはあるみたい。その程度でいいんじゃない、と思う。

だから、今の日本で2割程度の学生が海外で働きたいというのは寧ろいい線なんじゃないかな。海外は観光でいくところと思っていても問題はなさそうである。内向きといういい方もネガティブに聞こえるが、平和な日本でより良い生活を目指すのはおかしくはない。

欲を言えば、学生の1割でもいいから海外志向を真剣に考えてくれればいい。今BBCで比国の観光振興の番組をやっているが、フィリピーノは海外でしか働けない宿命を持っているのだ。それに比べれば日本は幸せそのもの。セブの特集だが、地元のジャーナリストの女性はエスパーニャ。名前からして知事さん一族の方かな。エスパーニャだから美人ではある。

話が逸れた。

小生の場合は、海外で人が嫌がる仕事が好きなので何とか生活が成り立っている。人が嫌がることとが寧ろ好きだと云う人は精々1割程度でいいんじゃない。みんなが好きになったら実力のない小生は生きていけない。

大学の就職率も80%だという。これも80%経済と同じである。みんなと同じことを目指してたらつまらないし競争に巻き込まれてしまう。

競争社会で生き抜くには競争が成立しない骨太で唯一な専門性を追求すると持続的な人生が得られる、と思いたいのだがいかがであろうか。

2010年3月13日土曜日

596:The Quiet Americanを見た!!

作業の合間にテレビをスキャンしてたら、いい映画が始まっている。オスカーの影響か、南アのDSTVも過去にオスカーにノミネートされた名作を立て続けに放送している。

静かなアメリカ人というとどうしても日系人を想起してしまうが、有名な小説でもあるし、58年と02年に映画化されている。見たかったのだが、やっと機会が来た。

50年代初頭、フランス統治下のヴェトナム・サイゴンを舞台にしている。イギリス人ジャーナリストとアメリカ人(民間支援団体だがCIAのようだ)の戦いだ。表面的には政治的な対決だが、内実はヴェトナム人女性との三角関係。詳細は伏せるが、男の嫉妬というものの恐ろしさが分かる。男の嫉妬は不気味ですね。

アジア人女性の虜になってしまった物語は、サマセット・モームでもあるし、この映画でもうまく表現している。マイケル・ケインは適役であった。

(余談だが、先日見たWarという映画でケイン・小杉がチョイ役ででていた。印象が薄いね。ロッキー青木の娘さんもでていたが不気味な日本人を演じていた。)

さて、ヴェトナムを扱った映画は結構ある。ロンリ―プラネット社のベスト10では、

Michael Caine struggles, Marlon Brando snaps, Robert De Niro survives. This is the best of Vietnam on celluloid.

Indochine (1992) Stunning cinematography sells 1930s love story - if this doesn’t make you want to go to Halong Bay, nothing will.

The Lover (1992) Taboo tryst in French colonial Saigon (Ho Chi Minh City).

The Quiet American (2002) Michael Caine caught in a love triangle and political turmoil at the Hotel Continental in 1950s Saigon.

The Scent of Green Papaya (1992) Beautifully shot coming of age story in 50s’ Saigon.

Apocalypse Now (1979) Martin Sheen and Marlon Brando deliver probably the most-quoted Vietnam War movie lines.

The Deer Hunter (1978) Small-town America feels the after-effects of the Vietnam War.

Platoon (1986) The first of Oliver Stone’s Vietnam trilogy and the highest-ever-grossing film about the Vietnam War.

Good Morning, Vietnam (1987) Robin Williams provides comic relief for troops as a wartime radio announcer.

Cyclo (1995) A young cyclo driver’s struggle with Ho Chi Minh City’s violent underworld.

Three Seasons (1999) Harvey Keitel plays a veteran returning to Ho Chi Minh City to look for his daughter.

サイゴンという名前には特別な魅力があるようだ。古びた家々には静かな亡霊がいるそうだ。。。

595:BBC新番組

以前食生活という視点で海外途上国の事情を紹介する番組があり面白かったが、段々ネタが切れて来たのか終わってしまった。

最近、BBCワールドサービスで世界の都市生活などを地元の有名人が紹介する番組が登場した。これも結構面白い。

ブエノスアイレス、香港、そして今日はレバノンのベイルートである。

残念ながらベイルートには行っていない。ヨーロッパからシリアのダマスカスに入ると地中海に面するベイルートが眼下に見える。ギリシャからヨルダンのアンマンに向かうときも見たような気がする。

90年ぐらいまで内戦があり、ベイルートと言えば戦場。とても行く気がしなかった。ヴァンさんはまだベイルートにいるんでしょうかね。東京レストランの女将である。彼女の話は以前書いた。

いいね、地中海は。リゾート気分に浸れる。そのうち行ってみよう。ギリシャ、トルコ、レバノン、そして聖地エルサレム。

そのうち、東京が出てくるのを楽しみにしている。どんな方が紹介するのかも興味ありだ。

594:コンサルの経験年数と件数

クライアントの案件公示を見ると経験年数が提示されている。最低で8年から最高で28年ぐらいかな。一般的には13年から17年という指定が多いと思う。団長とかだと最高クラスが要求されることになる。団長のレベルが落ちてきたとクライアントから聞いているけど。

では、8年の経験で受注できるかというと、それはかなり難しい。競争の世界だからそれ以上の経験を有する方が受注してしまうケースが多い。

13年から17年のケースでも実質30年の実務経験者が多く応札するので、学卒15年程度では勝ち目はなさそうである。25年以上の経験を有することができれば何とか受注確率が高くなる。だから、45歳ぐらいまではたくさんの案件にどんどん参加して輝かしい業務実績を確保する必要がある。会社の評価とクライアントの評価は全く違うと思わないといけない。

小生の場合だと、88年ぐらいから海外案件に参加し始め、22年後の現在約50件の案件に参加している。水に係る広い領域に跨る。国際機関のお仕事は世銀団長など8件になろうか。その辺の事情は以前書いた。

調査団として参加する場合は個人の評価があまり分からないので、相当年を取るまで自分の実力や経験がクライアントからどれだけ評価されているか分からない。自分自身も03年まで経験がなかった。会社という看板に頼らない場合は落ちるか受かるかはその人だけの力量が分かってしまうので結構大変なのである。落ちたらみっともないし。経験した案件の業務を1件1件きちっとまとめておくのもいい。自分の業務実績のM&Eだ。業務実績の過去、現在、未来を有機的に結び付けておく。過去の経験を捨てるといつまでたっても実績が軽くなってしまう。

もし若いコンサルの方に助言するとすれば、団長経験を経て20年から25年ぐらいの経験を持ったら、早いところ大組織から脱出して「独立的」に活動すべきだと思う(独立ではないので注意)。それまでは修行だから何とか我慢して兎に角経験と知見と社外の人脈を作ることに務める。40代後半から独立的な活動の機会を慎重に検討し、行けると思ったらさっさと組織から脱出することだ。今のコンサル会社で50代を心身ともに充実して乗りきることは至難の業だから。定年したら抜け殻になってしまう。

これが国際開発コンサルの「苦行と成道」だと思う。確信はないが。でも20年以上辛抱するのは結構大変だ。奥さんのサポートと理解があるといいね。勿論、勉強は一生続くし、健康第1である。それとクライアントさんには常に誠実に接すること。虐められてます、だなんて死んでも言ってはいけない。コンサルの甘えである。

593:環境省はこんなとこにあったの!

今日は蒸し暑い一日だった。金曜ということで今週の雑用の纏めである。

まず村落給水地点マッピング情報の整理。省内に2か所の情報源があり、UNICEFも別途データベースが存在する。いずれ1個所に統合しないといけない。日本が今度支援する2県の情報の確認を終えた。

次は、市役所に遊びに行く。首都都市計画調査団が作業をしている。行ったら作業の最終日だそうだ。歩いて5分だが今まで一度も伺えなかった。部屋には団員が何人だろう。最終日というのに10人はいたかな。クライアントから虐められていると言ってた。実際はそうでもないんでしょうが、やけに深刻な作業部屋だった。

フランスのNGOが午後来ると言っていたが全く電話もなくシカトされた。まあいいか。フランスだし。

市役所から省に戻る途中で環境関連省の看板があったので、入り口で女性に聞いてみた。河川流域の持続性を担当する幹部を紹介してくれると言う。他省とはずいぶん違ってオープンな雰囲気。彼女は日本に研修生で1カ月行っていたとのこと。こういう偶然もいろいろ助けになる。担当官と話して別途また来ると告げて帰った。今まで環境省関連は行きたいと思っていたが他に大事な機関もあるので伸ばし延ばしになっていたのだ。なんだ歩いて2分ですか。水資源マスタープランの件では連携が必要になる可能性もある。

水供給局長と会って地方出張のご報告といろいろお世話になったお礼を述べる。彼も久々歓迎してくれた。僕と同世代でしょうね。省内1の切れ者である。だから政治的な動きはあんまり好きじゃないようだ。地方事務所の整備の必要性とか唯一の工科大学の拡充とか話が進んだ。インドネシアやケニアでも工科系大学の技術支援プログラムもあったし、ちょっと案件化してみようということになった。

そんなこんなで西日で蒸し風呂になっている部屋からホテルに退避。それでも作業は続く。省の隣がホテルだからホテルも第2作業室である。こういう環境はいいよね。半径500mで殆どの機関に歩ける。

大使館から技術的なコメントを求められ直ぐメールで回答。コンサルはフットワークが軽くないといけない。内容は重たいが、大使や外務省関係者の方々全てが理解できるように簡素で論理的な記述が望まれる。何とか書き上げ送付。お昼は環境省の一階のレストランで遅い昼食。初めて行ったところだが、ビーフシチューがうまかった。コーラと一緒で400円弱かな。時間が2時だからガラガラ。

土日はまた別の整理ごとがあって作業である。帰国まで2カ月を切った。報告書の骨格と内容はほぼ頭の中にある。後は2週間ぐらいで仕上げる過程にいつ入れるかが問題だ。今月かな。来月は別件が入り2週間は取られるし、また別の調査も開始される。自分のことは結局優先順位が最後になるが、これを怠ると自分の首を絞めることになるので注意。報告書だけがコンサルの成果であるから。一生懸命やってました、というのはコンサルの成果の証明にはならない。文書、文書、文書。。。

夜は妻が送ってくれた文藝春秋かオール読物でも読もうか。それとも映画か?!

2010年3月12日金曜日

592:無事首都に戻る

また中国からのグーグル攻撃があったのだろうか。コメント管理したら中国語のコメントが入っていたので消去した。

昨日は無事に首都に戻った。事故もなく幸いである。事故は運転手の判断ミスとかが切っ掛けで起こることが多いと感じる。トルコでも雪道で滑り危うく急流に落ちるところだったが何を逃れたことがある。サウジでも2件の事故を目の前で見た。バングラからの運転手はあれはサウジ人だから、と笑っていた。今回の運転手も長距離の運転の雇用は初めてだったが、疲れとともにいらつく性格が出てきて勝手な判断で行動する傾向が見られ注意するとよりいらつくので、これからは通常の市内の運転でも雇用しないことにした。間違いを認めないことも散見されたし要注意である。運転手は沢山いるしスペアーを数名確保しているので問題はない。

今日は水資源委員会事務局にお邪魔した。今回見た各流域の感想を述べコメントを頂いた。概ね小生の観察は間違っておらず、追加的な助言を得た。そんな中、委員会事務局のキャパビリの話がでて、日本側に支援の可能性はないかと聞かれ、早速準備作業に入った。


もうひとつ面白い成果を彼らから頂いた。UNICEFの協力で作ったある県の水供給アトラスである。28県で最初に作成されたという。データ自体はそれぞれの県であるが、GISを使ったアトラスとしてまとめられたのは初めてである。こうした成果も省としては公式に発表されないので、時どき各局などにお邪魔しないと出てこない。

こういう情報やコミュニケーションシステムを円滑にするのも小生の任務ではある。最近はそうした行動が各局で認められてきたので、彼らの方からアプローチがでてきた。いいことである。

当地の滞在ももう去年からのべ7カ月。やっと信頼関係が形成されて来たのだろうか。これがないと何も進まない。持続性とは要は忍耐である。あんまり高い目標を掲げても直ぐ頓挫してします。セミナーや会議ばっかりじゃ一過性なんですね。

2010年3月10日水曜日

591:二つのデジャブ

何かに気になると別の形でそれがでてくることが良くある。霊感とは違うが、よくあることである。デジャブというんでしょうか。

久々ホテルの音楽チャンネルを見たら、定宿で見たチャンネルだったので、ラブソングのafternoon delightがでてこないかなあと期待したが何十曲もあるのでそうそう簡単には順番が来ない。そこで映画を見ることに。懐かしのスタスキー&ハッチのリメイク版。ある場面でafternoon delightを主題にした映画の主人公が出てきて、その後お待ちかねafternoon delightがかかった。タイミングが良すぎる。スタスキー&ハッチも75年ぐらいから4年ほど続いた人気テレビ番組。マイアミバイスの前ですね。

次のデジャブはEOD。Explosive Ordance Desposal(所謂、爆発物処理班)ですね。アカデミー賞を総なめした作品ハート・ロッカーの部隊ですね。アバターに勝ちました。地元のテレビを見てたらアメリカ国内のEOD車両が突然出てきてビックリ。これもデジャブかね。

余談ですが、Hurt Lockerはスラングだそうで、小生も知らなかった。調べたら下記が出てきた。中々参考になる。

The title is slang for being injured in an explosion, as in "they sent him to the hurt locker", or for "a place of ultimate pain." It dates back to the Vietnam War, where it was one of several phrases meaning "in trouble or at a disadvantage; in bad shape."

へえー、面白いね。こういうくだらないことが気になる性分はコンサル向きだと思う。興味なければ、計画や管理なんてできない。

突然仕事の話だが、今日は北部州都の水道施設を見て回った。まずは貯水池ダム。93年完成したアースフィルダム。ダム高は25メール程度。スピルウェーは横越流式である。もしかしてこれもラーメーヤーの設計ですかと聞いたらやはりそうだった。浄水場も見たが、人口増加で増設工事が行われていた。新規ダムも計画しているという。北部の開発が課題だが、既に州都の人口も増え水が足りない。北部は広いため、他の町や市場センターの水道施設は見られなかった。次を期待しよう。

明日は首都に帰る。ルートは山から湖経由に変える。代表的な河川流域の河口をみることになる。湖は広すぎて見ただけでは意味ないが、見ることだけでも重要だ。現場百遍だね。

2010年3月8日月曜日

590:神の警告?まさかね!


気候変動と渇水・洪水との因果関係は定量的に解明されていないが、将来の気候変動の影響を水文気象に分析し水資源開発管理計画に活かすことは価値があることだし、直近の課題でもある。

さて、上記の写真はナショナルジオグラフィックスからの転用である。

ヴェネズエラで85年に建設された水力用の貯水池の水位が下がり、湖底に水没していた教会の塔が湖面に出てきたようだ。シンボリックな写真なので気を引くが、冷静に渇水現象を検証する必要がある。

貯水池水位の変動については以前キルギスのトクトグル貯水池の水位低下に関して本ブログでも述べた。計画の範囲で水位が最低水位まで低下することは想定内である。10年とか20年に一度最低水位になることを想定していたのに、それ以内で急激に水位低下が起こったのかを降雨などの変動とも関連し分析することが必要になる。

もちろん、利用水量が6%に落ち込むと水力発電的には大変な事態だ。ヴェネズエラは水主火従で水力の割合は7割弱と聞く。異常事態であることには間違いがない。

ただ、こういう写真が気候変動で異常渇水が起こったと一般市民に理解されると詐欺行為に繋がるとちょっと心配してしまう。

湖面ではなくラハールによって土砂に埋まった無残な教会の塔は比国ピナツボで多く見ているが、近くには人間の骨もたくさん埋まっていることに比べればそうシリアスな風景ではない。

589:ICDB(国際子ども放送の日)

当地の現地テレビ放送もあるが、定宿のホテルでは見られない。最初に来たときに今の国営ホテルに2泊したがその時ちょっと見た。それ以来見るチャンスがなかった。今日は久々見たが、意外と新鮮で面白い。

今日はICDBということで子供が中心の番組が多い。先ほどは、アフリカ国別対抗大学クイズ大会をやっていた。ガーナのガーナ大学とタンザニアのアル―シャ大学の対戦。ガーナ大が断トツで勝ち抜いた。問題は高校生程度で、多分日本の高校クイズ王なら問題にならない。しかし、英語の出題だから、有名校でも対応できないだろう。このことが日本の国際戦略のネックである。

ガーナ大もアル―シャ大も英語はできるが、知能程度はまあまあである。英語ができてもね、とういうのが第1印象。


この番組はZAINが提供している。アフリカ各国で普及している携帯電話の会社である。賞金は大したことないが、参加者の他に大学にも寄付金が提供される。中々、戦略的な広告している。


さて、知能は高いが英語力が無い日本の英語教育はどうすべきか、いう課題に気付く。小学校程度から英語での教育をしている途上国と同じにしたら日本語が崩壊する。かと言って、このままだといつになっても世界最低のままだ。

どうしたらいいんでしょうね?答えはまだない。

588:北部州都にやってきた

首都から車で5時間。北部地域州の州都にやってきた。快適なドライブであった。この辺は木材の伐採が多く州都付近は集積加工地のようだ。

標高がやや高いせいか気温がちょっと低い。一番高いホテルに泊まる。とは言え、100ドルほどか。治安のこともあり事情の知らないところだからそれに決めた。昼はラムチョップを久々食べる。肉質があまり良くないが羊特有のいい香りがする。日本を出る前に大宮の有名羊専門店で親子3人で食べた羊は最高だった。ところ変わればだから質は問わない。ビール小瓶2本で気持ち良く昼寝ができた。

ホテルのお知らせが気になった。水道水は水公社の技術的な問題のため以前よりきれいじゃありませんとかいてあった。微妙な表現である。飲めるとも飲めないとも書いていない。早速、明日水公社で事情を聞いてみよう。まさかホテルで最初の水質情報を得るとは思わなかった。

部屋の位置がホテルのディスコ(??)の近くなので音楽の音がうるさい。生演奏なんだろう。行く気にはならないので、どうも年を取ったか、あるいは一人だからつまらないんだろうね。当地も行けば飲み屋はあるんだが、どうも気が進まない。

ネット環境はまずまずである。携帯電話回線を使ったプロバイダーも調子がいい。田舎のせいかユーザーが少ないか。最初に行った大学都市は2日目で不通になってメールの処理ができなかった。ここもあと2日もってほしい。

MMSのニュースが入った。ミラクル・ミネラル・サプリメント。囚人でテストした結果らしい。何でも効くということだが、どうなんでしょうね。まだマスコミでは取り上げられたのを見てない。

6時過ぎそろそろ日が暮れてきた。ゴルフ場のとなりのせいか環境はいい。競技場でもあるのだろうか、遠くから子供の声がまだ聞こえてくる。

そろそろ映画鑑賞の時間だ。

2010年3月7日日曜日

587:砂はなぜ溜まるのか?

当たり前の疑問なのだが、ダムに砂が溜まってもダムは機能するはずという設計者の安易な考えが問題なのかもしれない。このことについてはこのブログでもインドネシアの例を上げて何回かしつこく書いた。ゲート操作でRORの堆砂は排砂できると考えるし、ダムの場合は100年間はOKと確信してしまう。

今回の調査でも、当地の流れ込み式水力発電のバラージの設置位置が堆砂しやすい地形なのだ。上流にも滝があり、下流は直ぐ滝があり、水力発電にはもってこいの場所である。しかし、二つの滝の間の河道は緩やかであり、滝の直上流に頭首工を作れば、当然流速がさらに減じられ砂は溜まる、という当たり前の話なのである。勿論、上流域の著しい土地利用変化で土壌浸食が進んだことが主な理由である事例もある。マレーシアのキャメロンハイランドが最悪な事例である。しかし、堆砂を全て上流の土壌侵食のせいにするのはいかがであろうか。

プロのダム屋なら常識なのだが、経済性を優先して堆砂のことは次の段階であるO&Mで何とかなるだろうと逃げてします。そして、ドレッジングが永遠に続くことになる。浚渫する量は微々たるものだから滑稽なくらいな作業である。

ダムの「持続性」というものを慎重に考えれば、100年堆砂を比較的吸収できる貯水池を上流に置き、下流には流れ込み式を設置するのが安全策である。大規模貯水池のポテンシャルが無い場合はかなり対応は難しい。流れ込み式で堆砂が起きにくくするには、上下流の河道勾配に大きな変化がない場所を探し、落差は直下の滝で稼がないで、他の河川などに転流して稼ぐ。そういう地点をいくつも計画したことがあるし、建設後堆砂の問題が発生したと聞かない。勿論、転流先の河川の環境も考慮する。それができない場合はRORのピーク発電は諦めた方が賢明である。経済性重視が度が過ぎてしまうと危険だ。

インドネシア・スラべシや当地の場合は、頭首工地点で河道が上に凸になっており、必然的に堆砂が起きてしまうのだ。当地の場合は100%流れ込み式なので堆砂はそれほど深刻ではないが、スラべシはピーク発電をするため遊水池を設けているから排砂を効果的にする流速が得にくい構造になっている。かなり上流まで堆砂しており、一度堆砂して固まった砂はそう簡単には排砂できないのだ。洪水時に堆砂層に爆破でも仕掛けますか。

スラべシの堆砂問題解決の唯一の方法は、上流に100年堆砂を想定した貯水池式のダム発電所を新規に建設すれば下流のROR水力施設の持続性は確保されるのである。それ以外に解決方法はない。遊水池の再設計は絶対にしてはいけない。自然に無謀に立ち向かうことになる。RORのピーク発電は慎重な計画設計が要求される。

スラべシの調査は終わっただろうか?他人事だが結果をお待ちしている。

586:帰国まで2カ月

無事定宿に戻ったが、また明日から北部に行く。さらに北方に行きたいが日程上難しくまた今度とした。

これから本業以外に二つほど仕事があり、そちらもフォローしないといけない。報告書の方はまあ何とかなるだろう。全体の骨格や中身の材料も揃ってきた。数カ月で完成する内容ではないので、次に持ち越しとなる可能性がある。人が絡んでいるので、普通の調査計画とはいかない。組織強化とか人材育成には何年もかかるので長期的な対応は別途提案しよう。M&Eが流行っているが、何のためのM&Eかが曖昧なものだ多い。特にモニタリングだけが強調されて評価手法が未熟である。評価の指標も十分ではない。それと、だれが評価し、だれが意思決定するのか、どのような人的コミュニケーションが必要かも重要だ。自分は関係ないと思っている、あるいはただ定期的にモニタリングシートを作成する職員が多い。地方に行くと事態はさらに悪化していることが分かった。モーティベーションを高めたいが、時間はかかりそうだ。

さて、1週間分の洗濯をして、明日からの準備もほぼ終えた。幹線道路は概ね状態は良さそうだ。交通事故が起きやすいというのは実感が湧かないが、多分ドライバーの運転技術のせいではなかろうか。用心深い運転手なので安心だ。

今月は、世銀とアフリカ開銀のミッション帰国後、省と協議して、来月は、復活祭の休み後、別案件のサポートがある。その間に、報告書を纏めてと。結構忙しい。残業と土日作業は不可避ですね。

我が家でもないが、定宿に戻るとほっとして眠くなった。まだ7時だというのに。

車での大移動は大好きである。絵巻のように風景が記憶されるから。いろんな情報が連続的に入ってくるので効率的でもある。車の移動で眠ってしまうのはコンサルとしては失格かもしれない。

2010年3月6日土曜日

585:本ブログの意外な検索結果

本ブログも毎日書くことを目標にしてきたが、08年の11月からだから1年3カ月になる。ブログ名にしてはコンサル稼業の日常や嫌味で辛辣なコメントが主体で、持続的開発に係る高尚なことはかなり減っているかもしれない。

でも持続するということはそんなものかもしれない。大上段に大袈裟に取り組んでも直ぐに3日坊主になりかねないし、嘘をつきたくないし。

そんなこんなで、ちょっと本ブログのキーワード検索をグーグルしてみた。ヤッフーでは引っかからないからだ。結果は以下の通り。ランクが低い順に整理した。

11位:持続的開発(当然だよね、それでもこの位置なの?)
04位:統合的水資源管理(意外ですね、この研究や実践の発信はないんですかね)
03位:IWRM(これも意外な結果)
03位:IWRM+ガイドライン(ガイドラインは普及してないの、あるいは反応はないの?)
02位:IWRM+持続的開発(これでですか)
01位:IWRM+統合的水資源管理+持続的開発(えええ?)
01位:持続的開発+統合的水資源管理(言葉がでない???)

小生はこれらのキーワードを極める専門家じゃないんですけど、一体どうなっているんでしょうか。大学、専門機関などこれらに係る発信は頻繁ではないんでしょうか。

隠れブログとしてささやかに書いているつもりですが、これだけ上位に検索されて出てきては恐縮というか、日本での発信はどうなってるの、と逆に問いたい。英語じゃないし。

単純に、こういうキーワードを頻繁に使っているので引っかかると思いたい。中身がこれだけ貧弱じゃ見る人に申し訳ないよね。

ただ、死ぬまで持続して書き続けることだけは確信しているけど、これでは「あるコンサルの独り言」とでも名前を変える必要があるね。正真正銘の専門家のご登場を願う。

584:明日は首都に直行

明日は定宿のホテルに戻る。去年からだからもう7カ月になるか。同じ部屋を確保しているのでもう何か自分の部屋のようだ。100ドルが長期滞在で70ドルになっている。食事とか不自由だが、食べ物は二の次と考えているので、日当たり、部屋の広さ、バスタブの大きさなどが気にいっているので、多分またこの次があればここだろう。50代も半ばになると食べ物は良すぎると太るので避けたいところである。粗食がいい。

さて、明日はお昼からお食事会が設定されているので、ここは7時に出る必要がある。距離は首都まで300キロぐらいだろうか。あんまりスピードを出すと事故につながるので4時間を設定している。海外で命を落とす覚悟はあるが、なるべく事故で死にたくはない。

以前も書いたが、途中は国境沿いを走る。国境には何もないので、極端な話越境できるし、道路の端でおしっこすれば隣国に流出する。隣国との諍いが無い証拠だ。

ちょっと余談。

日本の会社の社長から時どき情報らしきメールが来る。有難いのだが、情報は殆ど承知しているので役には立たない。逆にこちらからコメントをすることになる。社長さんにお説教はしないが、辛辣なコメントである。それでも一生懸命送って下さるので有難い。もうコンサルも30年ですけど、こうして大先輩からメールを頂くのはそれはそれでいいのかもしれない。うちの親父と同じ感覚かな。

さて、本論に戻る。

明後日は首都から北方へ。3日間の予定で、行き帰りで山地と湖岸の両ルートを通る。コーヒーの産地だ。ゲイシャブランドがあるらしいので探してみたい。北部はドナーの支援が少ないだけあって、本調査の対応は一番良かった。ただ、ネットへのアクセスが悪そうなのでちょっと心配でもある。取りあえず一番いいホテルを予約したので何とかなるかな。

そういえば、水供給局長は北部出身と聞いた。彼も高校生のころ青年協力隊の製図の先生に感動したそうだ。70年代だろうか。そういう人が結構いる。40年の歴史には重みがありますね。コンサルばっかりがODAに係ってるわけじゃないことを感じますね。生活環境も悪いしマラリアや交通事故で亡くなられる隊員も多いと聞く。コンサルは結構守られているからね、贅沢かも。

小生も65歳ぐらいになったらシニアボランティアでどこかに赴任したものである。後10年である。

2010年3月5日金曜日

583:沈まぬコンサル?!

今日は60年代に設置されたポンプ場と浄水場を調査した。もう50年も経っているが何とか運用している。イギリス、インドなどの機材が多い。独立以前イギリスが作ったものだ。良くできている。

ただし、直下流に水力発電所用の堰が作られたため、堆砂問題が深刻である。上流700mにインテイクがあり水中ポンプが4基あるが砂の影響が深刻だ。

インドネシア・スラべシの流れ込み式水力発電所と全く同じ問題が生じている。滝の直上流に堰、発電用インテイクから滝の下流に発電所である。滝の上流は砂が溜まり易い。インドネシアほど深刻ではないが、ドレッジングは永久にしないといけない。

水公社の所長は20年も所長を続けているそうだ。それならここの王様ですねと、御世辞を言ったら、言葉をそのまま受け取ったからビックリした。施設の構造や容量、問題点は文書で知っていたので、適当に施設を見せてくれればいいので、説明は要らないと言ったのだが、この独裁的な王様は細かな数字を暗記している通りに説明。もう20年も見学者に同じ説明をしているから、見せるだけじゃ満足しないのだろう。

オフィスに戻っても説明を続けるので、もういいです、と言ったら不満そうだった。こういう同じ現場だけに20年というのも問題だね。

名刺をくれというので、忘れましたと断った。今後のことは公社総裁と協議するから何かあったら総裁の指示に従ってね、と言うと、やっと怖気づいてきた。裸の王様である。

さて、本題です。

日本アカデミー賞で沈まぬ太陽が3冠だったらしい。首相が、JALは沈んじゃったと、コメントしたそうだ。この映画の主人公に感情移入はない。首にはならなかったし、テヘラン、カイロ、ナイロビ、と結構楽しんでいたんじゃないかな。首にならないだけ幸せだと思うから。

コンサル会社も社員や下請けを虐めるとそのうち沈んじゃうよ、と言いたいのである。2ちゃんねるのコンサル関連を見ると悲惨な状況が分かる。実際、もっと凄いことがあるんですけど、書かないでおこう。コンプライアンスじゃないコンプライアンス室から恫喝されるので。

582:みんな同窓生??

当地は南部アフリカの小国だ。人口も1600万人ぐらいか。統計が正確じゃないのでよく分からない。

大学の数は押さえていないが、どうも相当少ないようだ。例えば、工学系は1つしかない。かんがいなど農学系も1校。理系も多分1校だ。

人口が少ないからそうなんだろうね。工学系の大学は60年代後半に独立とともに設立されたと聞く。例えば土木工学科は20、30人ぐらいが1学年の定員らしい。40年で約1,000人。しかしHIV/AIDSなどの影響で随分亡くなっておられるから卒業生は何人生きているか?

従って、水省や水公社などの水関連の専門家は同じ大学土木の卒業生である。地方の水公社でも全てそうだ。日本では考えられないことである。学閥がないということになる。大学院はないので皆さん隣国や南ア、イギリス、アメリカに行く。日本の大学院に行った人は今のところいないようだ。

ある若手から日本の大学はいくつあるの、と聞かれて、多分500校以上じゃないの、と言ったら、ビックリしていた。

ここ商業都市の水公社は市街地に近く貯水池に設置されている。水公社ビルの写真を取っていたらマシンガンを持った兵隊に咎められた。テロリストを警戒しているとのこと。他の水公社ではいない兵隊が常駐しているとはびっくりだ。

明日はザンベジ川の支流に行く。水流と物流の大プロジェクトの対象河川である。交通計画を学んだことをいずれ活かしたいものである(これは前号に関連)。

581:専門の発展性と持続性?

就職のことを数回前に書いた。事務系の場合は知らないが、技術職の場合は大学か大学院の専攻である程度就職先が限定されてくる。取りあえずどこかに就職することになる。

自分自身は交通に係る土木計画専攻だったが、コンサルへの就職で水分野担当になった。交通計画を捨てたわけではないが、海外コンサルになりたかったので全く違和感はなかったし、計画論的な観点からみれば水の方がずっと面白いと感じ始めた。今でも交通計画は興味ありだ。

会社に入ると、まずは水文、水理の担当から始まり、案件参加に従って、河川及び砂防、水力及び電力、水資源開発及び管理、水供給(村落及び都市)へと専門性はどんどん広がる。

また、企画及び案件形成、計画(M/P及びF/S)、設計及び入札、工事監理、管理などプロジェクトのそれぞれの過程に係ることになる。

年を取るに従って、副団長や団長といった総括的なポジションにつくので、調査団全体の専門もカバーせざるを得ない。ハードからソフトまでものすごく広範である。

そういった過程で過去の専門性を捨てたことは一切ないし、今でも水文や水理も担当できるし、しても全く自尊心を失うことはない。過去、現在、将来が取りあえず何とか繋がっているし、寧ろそれら全体の経験や知見が今の自分を形成している。この間も特殊な水理計算をした。

あまり人のことを批判するのはいけないが、専門性をどんどん変えていく仲間がいる。仲間と言っても同期入社の仲間だ。その一人の最近の専門はPCMである。いつからそうなったかは知らないが、ここ7年ぐらいか。彼の専門もころころ変わった。それぞれの立場で熱っぽく語るので面白かった。

ダムの設計
海外営業事務所での技術営業
港湾の設計・工事監理
コンサル自営業
PCM専門家
PCM・NPO会員と大学院博士課程在籍

華麗なる転身だが、どうも変わるごとに過去を捨てている感じがする。過去が全く関係なかったようなことを語るのだ。ダム開発でアサインされたのに一切作業せず、PCMをしてたと当時の団長からクレームがあったようだ。

僕にはそういう華麗なる転身はできないな。欧州開発銀行のエコノミストになった人もそうだ。過去を捨てている。まあいいんだけどね。それで本人が満足であれば。

しかし、どこか突っ張っているんだね。長い人生でゆっくりと専門性を広げ、且つ掘り下げていくと、過去、現在、将来のアクティビティーが矛盾なく、そんなに突っ張らなくてもいいんだけどね。

自分を正当化するするつもりはないけど、専門の持続性と発展性って重要だと思う。そのたびに年収が上がってくれば幸いである。これが中々難しいのだが。

2010年3月4日木曜日

580:久々のCNN

夕飯はどうしようかと考えたがピザを食べてなかったのでホテルの中になるピザ屋でmeat loversの小を頼んで部屋で食べた。結構イケるね。インド系の経営だが中々うまい。気にいった。アフリカはこうしたホテルの敷地にレストランがいろいろあると便利だ。特に車がないと。今回は車があるが、夜は運転手を開放しているので使えない。5,6分歩くとステーキの最高級店があるが、行くときは昼にしよう。やはり強盗は避けたい。

さて、主題である。

CNNを初めて見たのはもう30年弱前のことだと思う。ホテルオークラに泊った時だろうか。それからずっとお世話になっている。BBCが見れてもやはりアメリカ英語は心に響くからどうしてもCNNだ。

ここアフリカの定宿はBBCしか見せてくれないので仕方ないので見ているが見ていると慣れてくるので不思議だ。今日は出張中のホテルだが久々CNNを見ることになった。

最近はどちらも似たような構成だから昔のような差は感じないが、やはり発音の違いは大きい。でも結構CNNもイギリス英語を話すアンカーが多いのでBBCにかなり接近しているね。

知り合いのある大兄(大手ゼネコンの勇者)はイギリス英語ぞっこんで米語を毛嫌いしていた。大兄も今すい臓がんと戦っている。彼も英語での教養があるし、また外地で仕事を一緒にしたいものだ。英米人との会話で日本人が混じると違和感を感じてしまうが、彼がいると話が全体として盛り上がる。そういうコンサルは意外と少ないのだ。

CNNやBBCはどっちでもいいけど、普通に理解して楽しむコンサルがたくさん欲しいね。英米人と話し始めて専門的なことだけで20分で話題が切れるようでは社長として駄目だよね。社長だけじゃないけど。意外と皆さん無理して海外の仕事してるんだよね。役員定年したらそれっきりという人多いしね。海外の仕事で結構ストレス感じていたんだね。大兄の回復を願っている。

579:就職難か

ネット情報でも毎日昨今の就職難の記事が散見されている。状況はかなり悪そうだ。正社員を取らない会社がほぼ5割とか。

確かに生涯賃金で比べれば正社員の方が非正社員より数千万円高いと統計上はある。でもそんなことを考えて小学校から大学まで気にしていたら何のために仕事をするのかが分からなくなる。

有名大学でても就職できないのだから、もっと根本的な人生設計をする必要があるんじゃないの?

と言いたいところだが、実際はできない。人生は不確実性の最たるもの。何が起こるか予想できない。

自分のことを振り返っても、浪人、留年、大学院と無駄が多い。中学以来まともに受験勉強をしたことなかったし。結婚も同様。神様のしゃれた計らいで運命的な出会いで結婚したし、子供の誕生も同様だ。

子供は3人いるがまだ勉学の真っ最中。就職ということになれば大変だが、まあ何とかなるんじゃないかと心配はしていない。就職してもいい会社でいい仕事ができるとも限らない。自分自身の経験だと徐々にいい仕事に繋がっていくと期待している。海外コンサルの場合は兎に角経験と知見しかない。技術士とか英語の資格とかあんまり評価されないし。会社の幹部になりたいのなら別だが、専門家になるのなら一生勉強が続く。

子供たちのなりたい職業はそれぞれだし、それは自分で見つけてほしいが、勉学の支援だけは何とかしたいとだけ考えている。実際3人いると大変だけどまあ何とかなるんじゃないかと考えるようになった。自分も26歳まで学生だったし30歳まで実家から通って給料は使い放題。子供に意見言える立場じゃない。

面倒をかけた親ももう二人とも80歳を超える。母親の80歳の誕生日会を妻が主催してくれるそうだ。有難いですね。そういう妻に巡り合えたことが人生の幸せということかも。

そんなことをアフリカの奥地で思った。3人の子供の仕事も大事だけど、いい人に出会えれば、と祈っている。こればっかりは何ともしがたいしね。

2010年3月3日水曜日

578:久々の現地調査(1)

28日に出発して今日で4日目である。昨日までは水供給用ダム、浄水場、地方給水施設などを見てきた。首都と違って緑が濃い。雨が多いせいであろう。世銀やアフリカ開銀の融資で2000年以降建設された施設である。

ダムはロックフィルタイプでダム高は45メーター。ドイツのラーメーヤーが計画設計工事監理を担当。4年でダムと浄水場を建設したそうだ。余水吐きの設計が面白い。スピルウェーと薄い分水ピアーの間に高さ数センチの三角形突起構造になっている。分水ピアーへの配慮だろう。こういう設計は始めてみた。浄水場は山の中にあるため、貯水池からの流速を減じる施設がある。マグネチックによる流量計があった。コンパクトな設計である。機器はドイツ製。水質検査室も覗いたがしっかりやっている。計器が一部作動していないようだが。

地方も人口が増え、ハンドポンプ付きの深井戸では対応しないので、人口数千の市場センターや数万人レベルの町でもレベル2及び3の水道施設が設置されている。アフリカ即ちハンドポンプ付き深井戸という先入観は止めた方がいい。量水計はフランス製だ。CWPがあったが、蛇口の盗難があるようだ。vandalism and thiefという途上国の主要な課題である。日本の援助では意外と無視されている。相手国側の責任なのでコンサルも軽視する。

明日からは人口80万の商業都市及び周辺を調査する。水道局、省地方事務所、気象局などを回り、主要な施設を調査する。ゾウさんやカバさんがいるようだ。楽しみである。

昨日はネットの調子も悪かったが、流石に大都市だから直ぐ繋がった。お昼は中華だったが、まあまあの味。明日以降は有名なステーキハウスに行く予定だ。牛もいいが、ラムチョップが最高。

ホテルの会議場ではHIV/AIDSのセミナーが開かれ、数人のシスターがおられた。洋服がカラフルでいいね。日本のシスターはやはり地味だ。