2012年6月30日土曜日

1407:土曜の昼

近くのコンビニ(というか小規模のスーパー)MIGROSで買い物を済ませる。コーラ、ビール、タバコ、スナックなど。タバコは結構高い。ひと箱で300円以上か。政府の主導で公共施設内は絶対の禁煙。ホテルも部屋だけだ。もう中進国なのだ。 ビールはあまり飲まないのだが、アルコール度が高いエフェソを買う。 ホテルに戻って、久々の洗濯。ここでは洗剤が液体なので、仕方がないので石鹸で。南部アフリカや南米の出張でもしていたが、今回は毎日する時間がなかった。乾燥地帯だからすぐ乾いていい。 これまで3週間の面談記録を精査した。まずまずの成果は得られている。これから収束に向かう。発散から収束の過程が面白いのだ。 20年前にお世話になった国家電力庁計画部長のソイサル氏と電話連絡をする。彼は今地中海の避暑地にいるそうだ。来週月曜には首都に戻るので、それ以降に再度電話して会うことになった。97年に引退され15年になるが、お声の感じでは元気そうだ。60歳で定年とすると75歳ぐらいであろう。先日、現計画部長にあったが、ソイサル氏は当然超有名であった。この国のすべての河川を熟知していたのだ。現部長は僕より若い感じを受けた。 20年前は僕も計画局副局長のお部屋を借りていたのだ。局長と一緒にVIPの所内レストランで総裁らと毎日昼飯を食べたことが懐かしい。その頃の局長は今は当地最大手のコンサルに移籍し、今は中央アジアらしいと言っていた。この国のコンサルもサウジや中央アジア諸国の事業に係っているのだ。単純なMPやFS、DD、SVでは、もう日本のコンサルが必要にはなっていないのだ。コンサルも新しいニーズを模索しなくてはいけないね。 お隣のアフガニスタン大使館にハトが群がっている。南部アフリカで見た、カラスの集団はここにはいないようだ。

1406:土曜の朝

帰国まで2週間となった。情報収集項目が多いので大変だが、相手政府機関のお友達(上から下まで)もできて信頼してくれるので助かる。 不思議なことに日本人とは仲良くなる機会が少ないが、外国に行くと状況は全く違う。 日本語と英語のセンスの違いがるのかもしれない。 英語であれば積極的になれるのだ。不思議だね、これって。 この国の人とは24年前からの付き合いだが、大方の人とすぐ打ち解ける。20年も前のこともしっかり覚えてくれる。すごいよね。 これから20代の新人たちと共同作業を開始する。たったの2週間だが、一度は飲み屋にでも誘ってみよう。英語ができるからなおさらいい。 部長以上の幹部も軍人ような厳つい人(元々軍関係だったかもしれない)もいるが、小生の少しの現地語を聞き、いかつい顔にほほえみを浮かべていた。 来週月曜から政府機関のオフィスに常駐し、詳細な情報収集が始まる。周りの日本人を気にする必要がないのでストレスがない。 2003年まで一応精鋭チームで仕事をしていたが、03年から09年まではある意味素人集団をけん引していたころは大変だった。 最近は一人調査が多いので苦はなかったが、今回はちょっとね。 まあいいか。 当地の人たちとの協議は面白い。雑談もかなりあるが、それもまたいい情報につながる。 いまでも英語ができないコンサルも結構海外案件には多いのだ。クライアントには申し訳ないが、これがコンサル業界の実態だ。

2012年6月29日金曜日

1405:いよいよ活動開始

今日は無事に合意文書にサインでき一安心。これはクライアントサイドの安心。 我々コンサルはこれからが勝負。 あと2週間滞在する。すでに相手国政府機関の内部に侵入し、お友達も多い。 この組織では、僕の子供の世代が中心になっている。彼らとも話が進む。 僕自身は世代が違っても関係はない。要するに、組織が機能するためにはどうしたらいいかという課題を解決するだけだ。 熱意が必要だし、堂々としたコンサルの威信を出すしかない。と言って、威厳だけでは受け入れられない。 ここがコンサルの勝負どころ。 経験とセンスが問われる。 とは言え、クライアントにはわからない。コンサルの誠実な意識があるかないかだ。 ここは、アジアとは違う国。中進国だ。 ここでの滞在が続くかまたあるいは他国かはわからない。 一期一会の意味が深いね。 今日は突然のこの国の国歌を歌る機会があったが、僕が歌っているとさすがにこの国の人はびっくりしていたね。外国人がこの国歌を歌えるとは想像を超えていたのだろうね。 そういう、はなぜ技ができるのもプロのコンサルの一面かもしれないね。これはちょっと自画自賛だね。 でも大事なことかもしれない。コンサルの活動がこの国の人の心に響かなければ意味がない。国歌が歌えるかはは違うけどね。 心にずっしりと残るコンサルになりたいね。

2012年6月27日水曜日

1404:ホテルのパーティー

今日の作業も終了。帰国までまだ20日ほどあるが、ある意味重要な段階まで来た。 相手国機関の能力が全くないので心配だが、コンサルとしてはいかなる課題にも対応する立場なので、一応の成果が出るヒントは多い。プロですからね。 さて、夕刻になると着飾った若者のグループがホテル内に続々と入ってくる。 なんだろう?? ははー、高校の卒業記念パーティーだ。 アメリカで言えば、プロムだね。知っている人は知っているね。 フランス系のインターナショナル高校の卒業生の集団だ。ここのホテルは地下にパーティー会場を持っている。一応イスラムの国だから若者の開放的ななパーティー会場は少ない。隠れ家的だ。 近所に迷惑をかけないから丁度いいのだろう。 女の子も男の子も正装だ。男の子はやはり幼い。 当地では、アメリカンスクールもあるが、フレンチスクールもある。アッパーミドル以上の家庭の子弟が多い。 当地でも一般人とお金持ちの格差はかなり大きい。 こういうアッパーミドル以上の実態はなかなかつかみにくいが、偶然垣間見た諸相は貴重である。 僕の方は、プールサイドで一人遅い夕食を取り、ラクを2杯。最後はナーネ・リキュウルで閉める。ナーネリキュウールで閉める習慣も今はかなり少ない。外国人がナーネを頼むのはビックリ仰天なのだ。正式な夕食でしか想定しない。 昔のお仲間に感謝だ。 さて、宿題は明日の早朝にしようか。眠い。

2012年6月26日火曜日

1403:首都に戻る

昨日は夜遅く首都に戻った。故郷に帰ったようだ。 アフリカ南部の知人からメールあり、3年間の任務を終了されたようだ。 さて、これからホテルを出て会議に参加。 なかなか支援先のガバナンス能力が把握できず、支援内容の確定が難しい。 コンサルにとっては課題がなんであれ、技術的な支援はできるが、ボランティアではないので、我が国の支援政策に合致しなければC評価となってします。 我々コンサルはC評価になった案件をA評価にする役割もあり、成功例は数知れない。案件形成の初期段階から要請書作成にコンサルが係るとまずC評価になることはない。 対象国と我が国の橋渡しがさりげなくできれば一人前のコンサルと言えるのだ。 これが案外難しい。30年ぐらいの経験と知見が必要となる。20年程度ではまだまだひよっこである。 さて、そろそろ出発準備。

2012年6月25日月曜日

1402:B市調査最終日

B市調査の最終日。 夕刻に首都に戻る。 これから知事に会い、ある地域の実態調査に向かう。 こちらの職員は大変熱意もあり好感が持てる。 ただし、対象が新しい領域のため基礎的な作業プロセスと手法が全く分からないようだ。必要とされる技術支援内容が明確になった。詳細は書けないが。 まだ課題もあるが、それはコンサルの決定ではないので提案だけである。コンサルは意思決定者ではないのだ。あくまでオプションを考えること。それが重要である。 昨日の昼は当地名物のイスケンデレム・ケバブを頂く。うまい、うますぎる。 おかげで夕食はほとんど残してしまった。 首都の本部職員ともじっくり話せたのでよかった。えらいさんだけでは詳しい情報は入らない。コンサルは実質的な情報が最も大切なものである。

2012年6月24日日曜日

1401:B市の朝

当地は温泉で有名である。O帝国の最初の首都でもある。 このホテルは1935年にできたこの町でも古いホテルで、温泉スパで有名。ラマダンが7月20日ごろから始まるのか、夏休みか中東のお金持ちが集まっている。サウジの家族連れも多い。 朝は7時に朝食を取り、タクシーで町に行き買い物。 免税店で買ったタバコも尽きて、現地で最初の煙草を買う。ホテルには置いていなかったからだ。 この国の禁煙運動も徹底している。タバコもかなり高めになっている。 BBCを見ていると、直近に行ったP国の大統領が失脚したとのこと。元神父でもある大統領だったが、政策実行に成果がなかったのだ。 当地では隣国との関係が悪化しつつある。ダマスカスにも行って食生活などエンジョイしたが、もう当分行くこともないだろう。 さて、現地調査の準備にかかろう。

1400:B市での夕食

このブログも1400回を迎えた。2008年の11月からだ。3年半で1400回まで書いた持続性に感謝しよう。実際はもう少し書いているけれど、都合の悪い回は削除した。 このB市も約20年ぶりだ。I市向けの導水案件の調査で来たことがある。あの時は、国家水利庁の第1管区庁最高幹部も一緒だった。彼の名前は忘れたが、ライオンという意味だったと思う。 彼が僕と握手したら、突然、「あなたの手にはすごいパワーがある」と言っていた。へえー、そうなんだ。そんなことがあったっけ。 ホテルは最高級。レストランのヴェランダで一人ラクを頂き、ラムチョップを食べ、最後にナーネ・リキュウルを頂き、ギャルソンが、最後はトルココーヒーで閉めましょうと言ってくれた。チップははずんだ。 ラムチョップは、あんまり最高じゃなかったけれど、まずまずであった。これだけ長いことイスラム諸国で仕事をしていると羊の肉質は分かる。 ホテルは高台にあり、もうちょっと低い位置にあるレストランでは結婚式らしいパーティーがあり、ポップな音楽が聞こえてくる。 いい感じだね。こういう感じを満喫してこそ、この国での仕事の満足感があるのだ。 今晩は、ラクを2杯飲んで、終わりとする。 明日は遅いスタートだ。それまでお仕事をしよう。次の案件のこともあるし。 それにしてもコンサルにもピンキリがあり、どうしたもんでしょうね。この国で成果を上げるコンサルはいるんですかね、とやや悲観してします。堂々たるコンサルがいなくなっている。姑息な人ばかり。 当地はアジア諸国とは大違いなのだ。アフリカとも違うし南米とも大きな相違がある。アンビバレンスの国だ。 まあ、いいか。あんまり人のことを批判してもしょうがない。 わが道をクライアントの評価のもとに進もうではないか。 余裕のない状況ではいいアイデアも浮かんでこない。クライアントも正念場である。ただし、それについては批判はしない。 コンサルがクライアントを超える仕事を淡々とすればよろしい。そう思っている。 明日また頑張ろう。

2012年6月23日土曜日

1399:ホテルで待機

さすがに午後3時を過ぎ、ホテルのロビーも暑くなってきた。 あと1時間で空港に向かう。首都からB市までの距離は数百キロ。30分程度で着いてしまう。昔は車で行った。 ロビー用のネット接続パスワードをもらって、暇つぶし。 奥さんから情報ももらった。B市のホテルも良さそうだ。 ホテルのロビーから外が見えるが、高層マンションは16年前短期だが滞在したことがある。この辺は当時と変わらない住宅街。 このホテルも以前はアパートメントホテルで、長期滞在者用の建物だった。JICAの長期専門家が住んでいたことを思い出した。16年前はJICAさんの事務所も開いていなかったのだ。 あと45分ほどで空港に向かうか。空港までは土曜だから1時間かからないだろう。飛行機に乗っている時間が精々30分だから、それまでの待ち時間が退屈だ。 いろいろ調べると今回の調査対象に係る技術は1980年代にはこの国でもそれなりにやっていたようだが、それから25年。あまり成果とか実績が見えてこないのが不思議だ。 国家政策との係りもあろう。事業がなければ技術も進まない。それと、これまでの行政改革などで人材が離散した可能性もある。大学研究機関の成果も見えてこない。 不思議なことと言える。 90年代の国際機関が作ったガイドラインに、この国での80年代の成果が載っていて判明したのだ。 さて、B市に行ってなにか出てくるだろうか??

1398:B県に移動

ホテルでチェックアウトを済ませ、荷物の保管をお願いしてきた。3日間B県での作業があり今日から移動する。 B県は20年ほど前に行ったことがある。当時I市の渇水問題があり、180キロの導水計画のFSを行った。国家水利庁の第1管区庁の方と現地入りし、B市でもお世話になった。 今は国内空路も発達し、飛行機で行くことになった。高速鉄道もあり、そっちの方がいいと思うのだが選択できる立場ではない。 知事さんとも会うようだ。 パイロットプロジェクトの対象県であるのだ。山と海に恵まれた県だ。大規模自動車工場もある。ルノーだったかな。日本車は隣の県で作っている。 いろいろ現地で新情報も入るでしょう。 もっと田舎の県の状況を見たいので、別途お願いしてみよう。大都会や豊かな県だけでは全国の状況がつかめない。 2時にレイトチェックアウト。そのあと2時間半ほどはホテルで待機だ。 夕刻の便のためこうなった。 そろそろお昼の時間だ。またシシケバブかな。うまいので飽きない。

2012年6月22日金曜日

1397:コンサルにとって通訳とは

金曜午後5時。今週はあっという間に過ぎた。進捗はいい。 明日から3日間は地方都市に。この国の第4,5番目の大都市である。 さて、本題に入る。 当地で8年間6件のプロジェクトに参加したが、一切通訳を使うことがなかった。確かに通訳がいれば役に立つこともあるが、実務上翻訳以外通訳は使ったことがなかった。 今回クライアントの計らいで通訳がついている。どうも本格的なプロの通訳らしく、大学卒業後大学院で通訳を専攻した人だけである。2時間たつと交代という規則らしい。 南米でも日系人の通訳を使わせていただいたが、どうも今回と比べると実に効率的であった。今回も一見効率的だが無駄な面もある。機械的な翻訳では相手の真意とか行間の含みとかが伝わってこない。通訳の正確さだけではコンサルの仕事はできないのだ。片言でも英語で話してくれる方がコンサルにとっては情報収集がしやすい。 南米の時は、通訳といってもプロではなく失業してテンポラリーに通訳をしているにすぎない。何となく自信なさげだから、彼ともずっと雑談をして打ち解ける状況を作り出した。コンサルというのは情報収集活動だから、質問のセンスが問われる。単純で表面的な質問では本質には迫れない。徐々に彼がその感覚をつかんだようで、面談後に隠れた状況を説明してくれるのでずいぶん助かった。文献の翻訳はスペイン語だから機械翻訳で英語にすれば十分であったのだ。彼も最終的にコンサル的な感覚を身に着けたようだった。 さて、当地のプロの通訳はどうかというと、正確に通訳した内容は、通訳後ほとんど覚えていない。それがプロの通訳だそうだ。そこから得られる情報のつまらないこと。当地の人は多少は英語ができるから、8年間問題なく仕事ができたのだ。通訳の存在がうざいと感じ始めている。 ある時、2か所の面談を比較すると事実関係が違っている。通訳の人にどうして、と聞くと、通訳が仕事なので内容にコメントはしないのがルールだそうだ。 そんな通訳はもういらないと感じ始めている。 あと1週間ほどで3人のコンサルが別行動に入る。通訳の方からは、通訳必要ですか?、と聞かれているが、要りませんと答えている。 今日もEUと面談したが、別の国際機関では当然通訳は要らなかったのだが、クライアントの了解でついてきた。案の定、通訳は必要なかったが、EUの担当に名刺をあげて営業活動をしていた。 英語を専攻し、プロの通訳になることに異論はないが、主張や意思を失うことは、僕にはできないと思っている。 南米の通訳の人も今はまた違う日本人についているだろう。彼も意思があり主張ができる人だから、彼が担当する専門家がいい人であればいいなと期待している。人の意思を精神的に抹殺してしまう傲慢で不遜な専門家もいるので気を付けたいところだ。

2012年6月18日月曜日

1396:日曜の作業終了

夏時間ということも関係してか、8時半すぎて日が暮れてきた。 作業も終了。エフェスビールを飲んでいる。昼飯にタンドゥルケバブを鱈腹食べたので夕食は抜く。食事制限しないと太ってしまう。 このホテルも小さなホテル。お客も少なくていい。中庭に面しているので、プールサイドのレストランも見える。隣にはアフガニスタン大使館がある。いい環境だね。 20年前に完成したアタクレというタワーも寂れに寂れている。東京ではありえないのだが、中東の人にとってはタワーというのは厭きられるのだろうか。廃墟みたいだ。 この町も郊外に広がっていて、中心街は空洞化しているのかもしれないね。車文化だし、駐車場のないところは行かないのかもしれない。 でも、本当の下町は相変わらず人が多い。貧しい人には変わらない町であろうか。 車に関しての疑問が解けた。以前見かけた現地の車が消え、欧米および日本車や韓国車だけになっていたのでびっくりしたが、この国の現地生産車が無税で輸出できることから、ほぼすべての車が外国車名になったようだ。 逆に現地の財閥に対して現地車ブランドを復活して出してもいいんじゃないとお誘いがあるようだ。コチ財閥という。消費者が買うかどうかは分からないが。 16年以前のむかしにこだわらず、今の事情から慣れて行こうと思う。過去を懐かしむほど年寄ではないしね。 新しい友人関係も形成しよう!

2012年6月17日日曜日

1395:首都の散策2

さて、どこから始めようかと思案し、まずはシェラトンホテルに行こうと考えた。 地球の歩き方を持ってくることを忘れ、急遽奥さんから情報をもらった。いい連携だね。 シェラトンは堂々と立ってはいるが、なぜか閑散としている。お客もあんまりいない。20年前の感じはすでにない。ここは周辺地区に飲み屋が多くまずはシェラトンというのがタクシーで行くところだったのだ。 シェラトンからクズライ方面に歩いていくと、VAKKOが新本店を開いていた。本通りは高速道路化が進んだため、ここに本店を開いたようだ。なかなか高級感ある店構え。 紳士服も当地では最高級で値段が安い。20年前にはセルッティ1881の背広を買ったが、ウールにシルクが入っている背広が12万円だった。日本だと2倍はしたか。今でも当然着ている。 今はVAKKOのオリジナル製品が並んでいる。当然、シルク入り。値段も10万円程度。魅力的だね。また来よう。 VAKKO本店を過ぎると、16年前に開店した当地の最初のモール。KADEM。今は閑散としている。郊外にたくさんモールができているから日曜は寂しげだ。たぶんいつも閑散としているのだろう。 さらに下っていく。あんまり思い出せない通り。フランス系のスーパーで買い物。シャンプーを買う。これも成田で取られたから。 タクシーでホテル近くまで戻った。運ちゃんは1985年生まれだそうだ。もうそういう世代だね。 ウルファケバブ店で、今日はコンヤのタンドゥルケバブを頂く。本場のうまさは出ていないが許せる。今はどこのレストランでも食事の終わりにギャルソンが手にかけてくれたオーデコロンはなく、ウェットナプキンに変わっている。伝統的な習慣はなくなったか。 奥さんが教えてくれたお店も今度行ってみよう。まだうまい魚料理を食べていないのだ。B海峡沿いのシーフードは最高だったのだが、一人で行くのもねえ。今度は奥さんと来ようかね。

1394:日曜の朝

これで今度の出張も5分の1終わったことになる。1週間はあっという間だ。 去年はガーナの大学を回ったが、今回はこの国の地方の大学もまわる。 ガーナの大学も立派だが、世界的な水準では、ランクなしに等しいが、教授陣もプライドだけはあるらしい。研究者も野心家が多いから仕方がない。この国でも同じ。世界ランキングでは100位には遠く及ばない。アメリカあたりで博士号を取って帰ってきて英語のできる若手研究者もいるが、所詮2,3流のアメリカの大学だから知れている。 これまで30年ほど天才的な世界的な学者とお付き合いをさせていただいているので、ガーナでもこの国でも2流以下の研究者の下品さが見えてしまうのは困ったことだ。世界的に著名な学者ほど上品で穏やかなのだから。 ガーナでもこの国でも、精々ケンブリッジ、ハーバード、MITなどの出身者なら認めるけどね。ノースキャロライナとかコロラド州大、東大・京大とかじゃね。偏差値が40から50程度ですかね。彼らを見ていて、すごくみじめで哀れを感じてしまう。 日本ではポスドク問題もある。ドクターとっても日雇い労務者でしかない。 ドクターより、まずは人格形成が大切だ。クレメシュなんかは博士号なんて朝飯前だし、ドクター取ってから膨大な論文を書いているし、世界的な学会論文集に毎年採用されていたからすごい。彼の弟子で本当によかったよ。品性という共通項があったのだろう。 この間、関西だったかの大学が、Water Resources Researchにやっと載ったと大学全体で喜んでいたが、その程度では世界ランキングは30位止まりだ。 せめて、ドクター論文がアメリカ土木学会誌に載ってほしい。それが最低線。今は没落した国際水資源協会程度ではドクター論文として認めたくないね。N社の後輩がコロラド州大で博士号を取って、その論文を国際水資源協会の論文集に出したがたぶん適当な査読だったと思う。WRRでは査読に1年ほどかける。クレメシュとかコーネル大のラウスなどは毎年1度は載っていたからすごい。クレメシュはある意味哲学者だったしね。 ポスドクを救うなんて無駄だと思う。下野する覚悟で実務で頑張ればいい。まあ、それができないのが博士取得者の深刻な病気なのだが。博士号を取るまでの努力や時間を無駄にしたくないのだろう。医者や弁護士と同じだ。悲惨だね。 ガーナで思い出したが、R社が間抜けにも見事に失注した中部の都市計画の調査も進んでいるだろう。あそこも行ったが一目で都市計画の必要性を感じた。コンサルも頑張ってほしいね。違法で廃業したP社の残党がいるオリ社が取ったとか。

1393:ウルファケバブを食す

ウルファでのあの辛いケバブを食べたのは何年前だろうか。88年から89年頃まで滞在したので、23年前か。 アダナからディアルバクルあたりまでケバブの味付けは辛い。だから中部から西部の人はあんまり食さないのが普通だ。アダナケバブの支店はあったが、これほど南東部の味付けを主体にレストランが増えたのはどうしたことか。 さっきまでホテルのそばのウルファケバブの店にいた。コンヤのタンドゥルケバブもおいしそうだったが、ラムチョップを辛い味付けで頂いた。 うまいね。 お決まりのサラダ類も食べきれず、肉だけ全部頂いた。 ただ、住宅地のためかお酒がでない。ラクかエフェソが飲めれば最高なのだけれど。 コンビニでエフェソの缶ビールを買ったのでまあいいか。 成田で取り上げられた歯磨きのチューブがないため、機内でもらったもので過ごしていたが、さすがに1週間経ったので買った。 洗剤もほしかったが見当たらなかった。液体だけで洗剤の粉がない。 ウルファケバブ店のそばにはピデ屋さんもある。この国独特の小さなピザだ。もちろん普通のピザ屋もあるが、伝統的な小さなピデも昼飯には最高である。 一人というのもさびしいものだ。奥さんがいればねえ。最高なんだけれど。 とりあえず、1週間が過ぎた。体調はすこぶる良い。 ラクを飲みすぎるほど以前のような悪友コンサル仲間がいないのはさびしいが、年相応の動きをしよう。 20年前はこの国もインフレで国が潰れるかと思ったが、デノミをして、今はかなり景気がよさそうだ。 そういう国に援助をするのはもうそろそろ終わりになるかもしれない。 水力発電、地域開発、給水、防災と援助の中身が推移してきたが、それら全部に係った幸運はない。

2012年6月16日土曜日

1392:初めての散策

当地に来て最初の土曜日。 午後から町に出た。タクシーでケントホテルに。以前の定宿。20年ぶりだ。経営者が変わったと聞いていたが、ロビーは同じ感じが残っている。もう外国人が泊まるようなホテルではなくなったようだ。 なぜここに来たかというと、この定宿からクズライのレストラン街に行っていたルートを辿ろうということ。道の感じは思えている通り。当然店はほとんど変わっている。 20年ぶりに出所して町に出たのと似ているかな。 途中のCDショップでセゼン・アクスを買う。もうユーミンと同じような大御所だから、当然若い人には買われないからひっそりとあった。 クズライに来たらもうこれ以上は行けないので、タクシーでホテルに帰る。ホテルのそばの売店でコーラと水を買う。雑貨は50メートル先と教えてもらった。 レストランの種類で新種なのは、地方のウルファ・ケバブのお店が多い。それとガジアンテップ。昔は南東の田舎の料理を売りにしてはいなかったのだ。これもこの首都で南東部の人が増えたためか。単なる流行か。日本で沖縄料理が流行るのと似ているのか?この町の売りはドネル・ケバブだったのに。 このホテルの先にもあるので、今日行ってみようか。 レストランも店内での喫煙が全面禁止のため、屋外にテーブルを並べてあるのが多い。冬の寒いときにはどうするんだろうか。タバコ好きのこの国の人には不便この上ない。店の営業にも影響するだろう。 マックは萎み、バーガーキング全盛のようだ。KFCはない。 さて、明日は昔よく行ったシェラトンホテルに行ってみよう。

1391:アジア側首都に戻る

同行者との夕飯は不快なので一緒には食べていない。 さて、これから首都に戻る。やはり商業大都市よりは首都の町が過ごしやすい。 土日は頭を整理て、月曜からの協議に臨む。 いまのところ懸案事項はない。問題点はすべて報告してある。 守秘義務があるので具体のことは一切書けないが、いい案件になるように全力を尽くしたいと思っている。 これまで、何件か要請内容の不備があり、案件形成をストップさせたこともあるが、今回はどうか? 多少の修正は必要かもしれないね。 さて、そろそろ移動の用意でもするか。

1390:I市での調査終了

2日間のI市での調査を終えた。大学が2つと県及び市の本部との協議であった。 収穫は多い。 事前の文献調査で大方のことは知っていたが、会えばやはり知らない事実が見えてくる。 ヨーロッパ側とアジア側を結ぶ橋梁を渡るのは久しぶりだ。アジア側の大学は帝国時代に設立された由緒のある大学である。なかなか面白い話が聞けた。 展望台からの眺めも最高。海峡全体が見渡せる。気兼ねのない親しい仲間がいれば魚料理店に繰り出すのだが、残念なことに同行者との会話に心地よさが感じられないので彼らとの食事はしないことにした。 明日は昼には首都に戻る。土日はこれまでの調査の概要をまとめる。 首都に戻ったらケバブでも食べに行こう。あるいは魚かな。

2012年6月13日水曜日

1389:16年の長さ

午前から単独行動に入る。 やはり知った土地での行動は一人に限る。タクシーも使えるし、日本人の同行者に気を使う必要もない。 まず、郊外のある機関に行く。電力調査庁。残念ながら組織改革で水力や水文調査部門は別の国家水利庁に統合されたし、人員は水省にも移ったと聞いた。 タクシーで国家水利庁に向かう。 ここの建物も外見上は変わらないが、セキュリティーチェックもあり、また内装がよくなった。日本人ということでまずはえらいさんの秘書に連れて行かれた。そこからさらに気象関連部門に行く。 まだ、だれも知らない。そりゃそうだ。20年も前の仲間だ。ある気象関連部門の管理者と会うと、僕のことを知っているという。話を聞けば嘘ではない。 そうこうしていると、だんだんその当時の知り合いの名前がでてくる。彼が早速行先などを捜査しはじめた。何人かはさすがに定年で辞めている。若手も退職しコンサルとかやっている。 一番知りたかった元計画局部長のことが分かった。97年に退職し引退していた。彼と電話がつながり話ができた。来週以降に仲間を集めて会うことになる。中堅の技術者の家に遊びに行った時のかわいい女の子は今は大学卒業したそうだ。当時は英語ができなかったが今はできそうかな。 雑談をしていると面白い話が飛び込んだ。その話を今回の調査で知りたかったのだ。次の訪問時は総裁などえらいさんを通じて面談することになる。 16年ぶりの国家水利庁も省内は禁煙。外で吸っている職員には酷だね。 女性のキャリアも多く、当地では女性の社会進出が目立つ。午後の会議でも参加者の半分は女性管理職。顧問の大学教授も女性。聞いたら、彼女の指導教授は僕の知り合いの名誉教授だった。世界は狭い。 明日は早朝からヨーロッパ側に行く。ある工科大学や市庁などと協議予定。2泊して戻る。 いろんな省庁で協議をしているが、やはり国家水利庁の職員ほど気心が知れた方々はいない。土木工学を専攻した共通項は偉大だね。地質とか都市計画とか専攻している方々とは今一つ心が通じないのはなんででしょうね。 省庁の雰囲気というのはマクロに見ていると大きな違いを感じることに驚く。

1388:中東の夏

当地の標高は800メール以上であるので、朝夕は涼しく快適だ。昼間はさすがに気温も上がるが、湿度が低いため汗まみれにはならないから助かる。とは言っても、背広は着ていないしネクタイもしない。 今日の会議も朝から夕方までかかった。効率的にすれば3時間程度で終わるのだが、通訳を入れているので倍の時間がかかるのだ。 同業者の質問がだらだら続き、1時間半経っても終わる気配がない。一人で午前一杯使う気だ。英語力がないし質問内容も全く整理整頓されていない。一体何時間かかるんですかと聞いたら、逆切れした。前から彼の性格のいやらしさは同業者から聞いていたが、なるほどこれか、と思った。業界で有名な困ったチャンなのだ。 ちゃんと考えてやってますと、彼はいきり立って言うが、事前の説明や合意形成が全くない。独りよがりだし、人の話は鸚鵡返しでしかしない。会議のいい状況を作り出していくセンスが全くない。彼独自の質問もなし。これでよくコンサルが務まっている。個性も独自性もなく、人の話に不必要に割り込んでいる。一言で言えば、うざいのだ。 彼も会社を辞めて3年前に自分の会社を設立したようだが、受注率は高くはないそうだ。原因と結果がよく分かっていないようだ。自滅していかないことを祈念する。JVサブの経験で育った方に多いんだよね。幹事会社の経験がないとうまく会議を仕切っていく経験が非常に不足しているのだ。人として尊敬される力量と存在感がないのだ。 お馬鹿さんとは喧嘩しないと決めているが、こちらに不遜に介入してくる態度は100%叩かせていただく。実力のない人がやたらと仕切りたがるのはコンサルには向かない。T電の出向者にも同じような方が非常に多かったことを記憶している。 中東の夏を楽しく過ごせることだけを考えよう。人柄の良さでは定評の現地の方々との交流をエンジョイすることで乗り切ろう。

2012年6月12日火曜日

1387:首都の変貌2

昨日は夕食を食べに下町にタクシーで行った。昔だったら精々15分の距離だが、倍の30分以上かかった。首都の人口は16年前の250万人からたぶん400万人くらいになっているだろうか。のどかな200万人都市も住みづらい都市へと変貌した。 確かに、道路も整備され一見高速道路化しているが、人口増と車の増加には追い付いていない。元々、7つの丘に囲まれた町。最大都市のI市のようになってしまったようだ。地下鉄も整備中だが、機能していない。 さて、下町のレストランは24年前に初めて行ったロカンタシだ。小さなホテルの隣と理解していたが、レストランらしき店は見当たらない。ホテルの人に聞くと、行きたかったレストランは閉店し、その跡地にホテルができたそうだ。別の若者が手振り身振りで、子供のころに在ったが今はないことを教えてくれた。 さてどうしよう。以前定宿だったケントホテルの近くにアダナケバブの本場の味を守る店に向かった。ここは営業中と事前にチェックしてあったので、安心して向かった。店構えが変貌。公共の場での喫煙が禁止され、喫煙者向けのスペースを入り口の外に作ってあった。ケバブを焼くかまどのそばに座り昔の感じを懐かしんだ。 アダナケバブ、カブルガ(羊の骨付き肉)、サラダ、そしてラク。最後はナーネリキュールでしめる。16年ぶりの味は最高だったね。店の人も変わった外国人と思っていたが、すぐに打ち解けた。英語ができない人たちだが最高のギャルソンぶりを発揮してくれた。アルカダシだね。 朝5時半。大学の専門家から早速協議の日程についてメールが入る。なかなかやる気がある。来週の協議が楽しみである。 ラクを飲みすぎたが、幸い二日酔いもなく快調だ。朝飯までまだ1時間半あるのでBBCで見ようか。

2012年6月11日月曜日

1386:トランク到着

午前中はある有名大学で協議。当地では理系では有名大学の2つのうちの一つである。元々英語での教育を進めているだけに英語での協議ができる。通訳が暇そう。センター長は女性で若い。元気がいいね。ただし、研究的な成果はまだ出ていないのが実情である。しかし、元気がいいのは期待できるかも。 もう一人の女性は、知り合いの名誉教授の教え子で当地で博士号を取ってから東大でもう一つ博士号を得ている。お二人とも女性的なチャームを持っているのでいいね。日本人だと博士号を持っている女性はチャームを失っているのが普通だ。 担当分野で会いたい先生はいなかったので、別途コンタクトをお願いした。 次の協議はカウンターパート機関。予想した通り基礎的な知識はあるのだが、実務的な業務はなしに等しいことが分かった。本格調査ではゼロから進めることになろう。それもやりやすいという発想もある。国際機関の影響はまだなさそうだ。この機関でも女性の職員が多い。以前から多いことは承知していたが、16年でさらに女性の社会進出が進んでいるようだ。大学と同じように女性のチャームを感じる。日本人のようにキャリアウーマンは気取っていないのがよい。なんででしょうね。うちの奥さんは大変チャームがあるが、他の日本人女性でチャームを持っているのを見たことがない。 16年脳の奥底に閉まっていた現地語が湧き出てきた。 この国では通常英語が通じないことが課題であったが、この分では以前のように通訳なしでも行けそうだ。 現地に入りまだ初日。時差も感じないので楽だ。やはり16年ぶりにやってきたことが高揚感を高めているようだ。 さて、今日は初日ということもあり、連れの同業者をお連れして下町のロカンタシに行く予定だ。 飲みすぎないように注意しよう。 ホテルに帰ると重たいトランクが空港から届いていた。まずは安心。

1385:16年ぶりの首都の変貌

昨日夜首都に到着。 不運にもトランクが届かず。今日中に届けばと期待。積み残しがあったようだ。南部アフリカと同じ経験だが、ここは中進国。ありえない話でもある。 ホテルも小さいが快適そうだ。ホテル前の通りから50メートル行ったところのマンションに数か月住んでいた。今はもう引退した最大手コンサルの社長・会長になった方と住んでいた。彼も社長になりたいがために当地の所長をすぐ部下に交代し、そそくさと本社に帰ったのだった。その後会長にまで上り詰めたので一応成功だったようだ。小生が帰国する時に彼に小言を言ったら、小心者の彼は重たいトランクを玄関まで運んだっけ。あれから16年。 夜だったため、空港からホテルまでの景色ははっきりしなかったが、昔のような閑散とした風景はなくなった。道路、下町や山の手の雰囲気も見違えるほど改善されている。 トランクを取り戻さないと本格的な仕事はできないが、徐々に進んで行こうか。 鸚鵡のように、他の人が言ったことを繰り返し同じことしか言わないやりにくい同業者と一緒なのでストレスがたまる。実力も経験もないのに、仕切りたがるので困る。徐々に落ち込んでいくだろうが、嫌な人と一緒になったものだ。 さて、朝5時。朝ごはんの7時まで待つとしよう。トランクが無事に届くことを祈って。

2012年6月9日土曜日

1384:パッキング終了

最終的な日程表が届く。 先ほどトランクおよびバッグのパッキングが終わった。いつも通りなのだが、今回はちょっと事前の収集資料が多いので、他を簡略化した。 食料もなしに等しい。若干の夜食のインスタントラーメン。これも要らないのだが緊急用だ。 事前の資料も125編になった。厳選した資料だけハードコピー化して持っていく。 さっきテレビで2時間ほど今度行く国の特集があった。奥さんへの説明ができたが、基本的に扱う事象がワンパターンで、8年間で2年も滞在した国の魅力を紹介しているまでにはいっていない。 ネットで以前行ったレストランを検索したら、また1軒出てきた。下町のレストランで88年最初に訳も分からず行ったときに先発隊の方に連れて行ってもらったところだ。中近東も81年最初に行ったヨルダン以来2か国目で食事にも慣れていなかったころだ。その店に連れて行ってくれた方もずいぶん前にガンで亡くなった。彼は40歳前後で結婚間際に亡くなっている。熱血漢ということだけ覚えている。 首都の下町もずいぶん変わったことだろう。ホテルに着くのが夜の9時過ぎ。近くの飲み屋で一杯ぐらい飲めるかもしれないね。

1383:タクシー予約

バブルのころ、成田までは自宅からタクシーだった。経費として認められていたころだ。3万円くらいだったか。それが箱崎までとなり、最後はタクシー利用は認められなくなった。 この3年は奥さんが成田まで車で連れて行ってくれていたが、今回はリムジンバスとした。とはいえ、自宅から10分のところにリムジン出発点があるので便利だ。自宅から車で行き、駐車しておけばよい。今回は車の利用ができないためタクシーを予約。 タクシーの運ちゃんには申し訳ないが、経費節減のためだ。経費として計上してもよいが、やはり昨今3万円以上のタクシー代は無駄という意識になっちゃった。さびしい話だ。 バブルのころのどんぶり勘定というのも懐かしいものである。そういう気持ちのゆとりがあったころは、技術開発も盛んだったし、その成果としてコンサルサービスも最高級だったように感じる。88年に初めて本格的に出張したころは、トランクいっぱいに専門書を詰めて40キロの重さだった。現地のオフィスで専門書を並べるとちょっとした研究室。隣にいたHさん、今は最大手コンサルのただの社長、が「おー」と叫んだくらいの圧巻だったのだ。数か月の出張で成果を上げ、当時最先端の最適化手法を適用しモデルを完成させた。 今はネットの利用もでき、PDFファイルもあり、トランクいっぱいの資料を持っていく必要もなくなった。技術レベルが高まったかは疑問だが、荷物が軽くなったことは事実。 今回は事前の情報分析のおかげで、担当分野に関しても現地情報に関しても十分と考えている。あとは現地での確認。 明日は雨にならなければいいな、という心配だけだ。現地のホテルも以前住んでいた高層マンションの隣だし安心だ。 現地のタクシーの利用は快適だからいいね。

2012年6月7日木曜日

1382:コンサルの年齢的限界か?!

知人の地域計画系コンサル社長があと3年後の65歳で実務を離れるとのコメントが気になり、社員の取締役に聞いてみた。実務から離れる理由は体力的に団長は65歳が限界とのことだった。社長業に専念することもあるかもしれないが、実務を離れるとは社長職も辞すことなのだろうか。社長曰く、もっと大きな領域で国際開発に貢献するとのことだった。具体には知らない。社長が常に団長をしていては大変だ。次世代に引き継がせる勇断がないようだ。ご自分がトップでないと気が済まないし、自分を凌駕する優秀な社員は雇わない人だからね。この辺が、地球システム科学と大きく違う。社長と団長を兼務じゃね、会社は伸びない。 また、国際開発に評論は要らないと思う。実務にどこまで係るかがプロと思っているのは小生だけではない。日本工営にはT技師長が居られるが、彼はすでに74歳ぐらいか。嘱託として他の人にはできない専門職を熟している。 65歳はまだ若いはずだ。何か健康問題があるのかもしれない。親父さんが日本工営の社長だったから、社長とか団長という権威とかに固執しているのかもね。そういうのが本当のコンサルじゃないんだけどね。 コンサルの社長になって、辞職後に、実務の専門家的な仕事に復帰する人はまずいない。コンサルに社長職など、創業者でもない限り、要らないのである。 今の時代、久保田豊のような人はいないんだね。 数年先を行っている団塊の世代の生き方も様々だ。反面教師としていい勉強になるが、同じような「ザマ」にはなりたくないね。

1381:Sezen Aksuを聞きながら

かの地での音楽はまさに日本の演歌と同じであった。 中でも、Sezen Aksuは一番好きだった。今まさに彼女の音楽を聴きながら作業をしている。3日後にかの地に向かう高揚感が高まっている。 イスラム的な旋律と彼女独特のハスキーな声。 彼女は1954年生まれで僕と同じだ。80年代後半では、まさに絶好調だった。 それから16年今でも人気は落ちていないことが分かった。ユーミンと同じだ。 クズライ、チャンカヤの飲み屋は変わったであろうか。 調べたら、シーフードで有名だったヤカモズは健在だった。あそこのお魚は最高。 当時、日本人がよく来ていて、カイロのJBICさんも来ていたね。JICAさんはまだいなかった。 Sezenの歌声を聞いていると現地語が次々によみがえってくる。 悪友のOさんやN君が一緒だっらさぞ愉快な旅になるんだけれどねえ。今回は一人で行くことになりそうだ。

1380:あと3日

いよいよトランクに入れる荷物の選定だ。今回はちょっと紙の資料が多いので注意。現地で捨ててくるので、帰りはお土産を入れる。昔買った紅茶グラスを買おう。繊細なものだけに、昔のものはすべて破損してない。 さて、昨日は知り合いの先輩からメールあり。 情報によるとこれからミャンマーの案件が多くなりそうだ。ODAの再開である。今年の秋ぐらいから徐々に案件がでてくるようだ。NKとオリコンの勝負であろうが、オリコンが先陣を切っているようだ。PCI系のイケイケコンサルが復活してきたか。NKもジャングルファイターがいないようだ。 それにしても彼のメールは意味深い。あと数年でODAからおさらばするような書きっぷり。彼もあと3年で65歳になるが、年金生活にでもなるのか。 彼も会社設立して17年だから、あと3年で20年。もうODAも厭きたのだろうか。 あるいは健康に問題があるのだろうか。 いまどき65歳で引退はもったいないが、個々の人生もあろう。 小生はクライアントから受注できなくなった時が引退と考えている。

2012年6月5日火曜日

1379:あと5日で出発

出張準備も大方終了。あとは買い物かな。薬、若干の食糧、衣服を買うことになる。 昨日は奥さんと一緒にそば屋に行く。車で30分。A駅から直ぐだが、自宅からは車でないと無理。12時前だったがお客はいなかった。12時を過ぎるとほぼ満席。元々酒蔵だったようだ。ビールを飲んだら、冷酒も飲みたくなりグラスで一杯。なかなかうまい。2杯目は大吟醸を10年寝かしたお酒。グラスで1700円はいい値段だが、さすがにワインのような味わい。 出張前には、時間のある限り奥さんと外食。歳を取ると日本食もいいね。今度行く国はケバブが最高のところなので日本食を懐かしむ暇はないが、こうして日本食を味わう余裕も出てきたということか。歳なんだね。 午後はお昼にお酒を飲んだせいか、お昼寝の時間になってしまった。まあいっか。現地ではのんびりする時間もないからね。 とはいえ、現地のお酒ラクも最高だから飲みすぎることがないよう気を付けよう。ケバブだけでなく、お魚もうまいのだ。バルック。いぼカレイが通のお魚。値段も張るが、3,4人で食べると量もちょうどいい。 食前酒のナーネというリキュールもあったね。知っていると現地の人からビックリされるのだ。ヒルトンホテルのラウンジで飲む31年物のスコッチもいい。 34歳から42歳までの8年間を技術的にも生活面でもエンジョイした国に、57歳で出かけるのも奇遇だ。 1996年は出張国のオンパレードで、シリア、南アフリカ、レソト、トルコ、ブルガリア、タイ、と6か国を駆け巡った年であった。42歳ぐらいはそういう働き盛りだった。97年からは比律賓で2002年まで続いた。国を選べないコンサルでもあるが、今は行きたいところを選べる自由度がある。まさにコンサル冥利である。 かの地では、知り合いの大学の教授ももう名誉教授。新人の技術者らも出世しているかもね。 16年ぶりの出張で、彼らとの再会もあるだろう。今からお楽しみである。

2012年6月3日日曜日

1378:1週間後に成田発

70編の資料も結局気になることがあり100編に増えてしまった。本格調査並みだ。 最終的には担当分野の世界最先端の領域まで来てしまった。現地大学でもそれなりの成果が上がっているので安心だ。担当教授にもたどり着けた。 これで何とか当方の調査の成果もでることが確認された。準備周到なのが癖でね。 特に、キーワードは大事だ。今回もキーワードの連携で最新技術まで到達した。日本ではまだ誰も知らない。クライアントも。 最近はすべてのセクターで課題の複雑系化が目立つ。今回も一見違う領域がある言葉でつながった。感覚的には分かっていても、世界的な学問的な潮流が分からなかったが、先週の最後の資料収集で判明したのだった。 来週の今頃は、中国領内の空の上だ。成田のビジネスラウンジはANAのラウンジだと思う。あそこはJALより断然快適な空間だ。今から楽しみである。 今度行く第2の故郷の変貌もどうであろうか。1996年以前の定宿はまだあるようだが、クライアント決定のホテルは高台。土日でも散策して定宿付近を歩いてみよう。近くには、ケバブの有名店がまだあるのだ。カブルガを久々食べたいね。