2013年11月30日土曜日

1946:土曜のお昼は中国製インスタントラーメン

成田を出発して丁度4週間。

さっき三洋のラーメンポットで中国製インスタントラーメンを食べた。

「康師傳」というメーカー。どこの省かは不明。

3種類あるうちの一つで辛さは一番弱い。

紅焼牛肉面という。英語だと、roasted beef noodle。

牛肉がないので、オランダのZWAN製のチキンのホットドッグソーセージを4本入れた。

うまいね。その辺のレストランで食べるのよりもいける。

安いしね。貧乏コンサルには丁度いい。これは冗談だけれど。兎に角、優雅に暮らせるけど一人じゃレストランの食事は楽しくないし、面倒くさい。

「康師傳」には、香辣牛肉面があるが、こちらはもうちょっと辛みのパンチが効いている。

さてと、作業に戻りましょうか。

1945:喜福会

先日、BBCで中国系アメリカ人小説家のAmy Tanが出ていた。

彼女の有名な小説に、「The Joy Luck Club」がある。

首題は、中国語での表現だ。1993年に映画化され、僕も以前南アのDSTVで見た。いい映画だった。サンフランシスコに在住の4人の主婦。麻雀を4人で楽しむ仲間。それぞれ、中国大陸から違った事情で移民した過去を持つ。それぞれ娘を持つ。
 
4人の中国での壮絶な経験。4人の娘の問題と母親との葛藤。
 
 調べると、Amyは加州ベイエリアのオークランド出身だと分かった。日本人にはSFは有名だが、対岸のオークランドはあんまりお馴染みではない。
 
あそこの港の近くにもチャイナタウンがあり、SFのチャイナタウンとはまたちょっと違った風情がある。観光地化していないので泥臭い中国人街が小規模に形成されていて、とても面白いのだ。
 
あそこでいつも頂いていた中国料理。懐かしいね。

1944:世界トップエリートの基本だってさ

ゴールドマン・サックス、マッキンゼー・アンド・カンパニー、ハーバード・ビジネス・スクールの共通点は、

 「基本に徹する」ということだそうだ。

トップエリートたちは、下記の4つの「基本」に従って動いているという。

1. 人との「つながり」を大切にする
2. 「自分磨き」を一生継続する
3. 「日々の成果出し」に強くこだわる
4. 「世界的な視野」を常に意識する

当たり前だね。それができないから難しい。

 
僕はエリートじゃないが、よく考えれば実践しているかな。

1.特に社外の人脈で生き延びてきた。社内の人脈は社内だけの出世だけだからね。定年になったら終わり。

2.確かに専門性を深く、広く、長く、磨いてきたね。磨かないと新たな課題に対応できないからだ。

3.成果、成果が問われるコンサルでありますね。それで報酬を頂いている。

4.国際開発管理コンサルタントの現場は世界だもんね。世界観がないとね。

エリートには縁がない愚鈍なコンサルなんですが、基本はしっかりしているようだ。



1943:6か月ぶりのSwap会議参加

朝から小ぶりの雨。

午前は、首記会議に参加。半年ぶりだ。

当然、議事進行はポ語だ。

図々しくも議長の隣に座る。丁度、ドナーやNGOが居並ぶ席の対面。僕が如何にもCP機関のインハウスコンサルタントとして重要な役割があるような位置になる。

そこしか空いてなかったのだが、ドナー側にはCP機関の顧問のように見えたようだ。

隣国でもインハウスコンサルのような活動を2年間していたが、ドナーたちからは一目置かれるような雰囲気を感じた。実際、ドナーらは正式会議じゃないとCP機関の責任者らとそう簡単に会って話はできない。僕の方は内部に執務室があるし、時間がある限り、大臣、事務次官、各局長と自由に話せる立場だった。

今もそう。

ポ語もよく理解できないのに、ずいぶん大きな顔をしているね。自分が。

ただ、6か月ぶりにポ語の説明、プレゼン、Q&Aを何気に聞いていると重要なキーワードがどんどん耳に飛び込んでくる。幼稚園並みだが、赤ちゃんからは成長したらしい。頂いた文書は確立した翻訳機で十分英文化できるしね。衛星放送のポルトガルTVC1映画でポ語のお勉強も役に立っているしね。

知り合いの方々も参加していた。WBのWSP、オランダのSVN、元CIDAコンサルの人。SVNのヒューゴは、来年からのSWAp事務局は日本なの、と冗談を言っていた。彼とは別途協議をすることになっている。スウェーデン政府の高官がくるのだ。3人で非公式会議。これは英語だから良かった。

6か月の成長が少しありました。風邪を引いたらしいので残業はなしだ。

2013年11月29日金曜日

1942:One Dollar Shops

午前7時45分。出勤前である。

昨日からの雨も断続的に降っている。こりゃ、雨季かな。

あさ飯でレストランに降りると4人くらいの日本人グループがいた。コンサルさんだろうね。地方選挙が終わったので入国が再開されたのか。

BBCでNYからのビジネスニュース。大井さんじゃなくて、印パキ系のはきはきした女性。大井さんの登場を期待したいところだ。

彼女の報告は、アメリカ経済の停滞。消費者も消費を抑えている。

典型なのが、日本の100円ショップと同じ、

One Dollar Shop

丁度100円くらいのお手頃価格。アメリカでも人気らしい。これを聞いたら、100円ショップ大好き人間のうちの奥さんは大喜びだろう。

80年代はなかったからね。

僕はどちらかというと一点豪華主義。小物の文具や道具もLOFTや東急ハンズ。でも、100円ショップの品物を見るのは好きだ。市場調査。

生協と成城石井の違いと同じだね。

そうだ、成城石井の小豆島の黒豆はまだ奥さんは食べているかな?

1941:雨季の到来か?

午後9時過ぎ。

BBCを見ている。今日の作業は先ほど終えた。ホテルは僕の第2執務室だ。09年の隣国での派遣からの習慣である。

頗る効率的だ。

朝早くから夜遅くまで、土日も含めるとかなりの作業量になる。9時5時のオフィスだけの作業では到底仕事は終わらないのだ。

会社員だったころは、残業とか土日出勤は当然嫌いだった。残業代稼ぎにはなるが、意味のないダラダラ残業は精神的に良くないし、必ずしも効果的ではない。

それが、09年からのこうした業務では、残業代はゼロだが、率先してしている。面白いんですね。仕事の内容が。

今は計画調査を一人で熟しているので大変だが、これが結構気持ちがいいのだ。

雨音が外から聞こえている。朝からの雨はまだ続いている。やはり、雨季の到来か。

蚊の発生も多くなったので、殺虫剤を使う段階になった。

さて、BBCを見続けて眠くなったら寝よう。いい映画はTVCもDSTVもなさそうだ。こういう時にBBCはいいんですね。それにしてもまだ大井さんは出てこないね。

2013年11月28日木曜日

1940:Jack Reacher

午後9時。

ちょっとした作業を終えて、夕飯食べて、読みかけの小説の最後を読んだ。

Jack Reacherシリーズの1冊で、前回の出張時に長女がくれたもの。子供に貰った本は今まで記憶がない。初めての経験。「面白いと」と言われた。

日本語のタイトルは、「アウトロー」上下。

読み始めて、あれーこれ前回の出張時にTVC1で見た。トム・クルーズ主演。女弁護士役は、ロザムンド・パイク。この女性については映画見た時に書いた。なかなか魅力的な女優だね。とっぽい表情もいい。

さて、やはり英語でも読みたくなるほどのいいテンポで話が進む。推理小説の最低条件でもある。昔は、ロス・マクドナルドが好きだったね。それも以前書いたかな。

原作から映画では当然ながら筋書きが大幅に変えられている。映画の方は残酷シーンがない。登場人物も半分ぐらいに省略されている。

今度は原作をペーパーバックで買って、次の出張時に持参しよう。

それはともかく、3番目の長女もあっという間に20歳になるんだね。好きな小説の面白さを共有できる幸せはないね。結構映画の趣味が一致したりね。

帰国したらまた家族全員で飲み会したいね。

1939:BBCのアンカーで誰が好きか

2009年からこれまで南部アフリカでBBCを見ているが、一番好きなMCは誰かというと、

Tim Willcox

感じがいいんだよね。チリの落盤事故の実況では、専攻したスペイン語がものを言ったし、福島にも、最近では比国ヴィサヤからの報告もしていた。

元々ジャーナリスト。経験を積んでBBC。

イギリス人って、仕事上で多くを知っているが、いい印象を受けた人は少ない。WBのウェブスター氏は好感が持てたね。

Timは1963年生まれらしい。僕より11歳も若いとは思えないけど、MCの力量は良く伝わってくる。嫌味じゃないんだよね。ハードトークとかビジネスニュースに出てくる二人はあんまり感じが良くない。品がないというかね。

女性のMCでは、結構みなさんいいね。それはまた書こう。というか、以前このブログでも書いたかな。インパキやアラブ系のイギリス人でオックスブリッジを出たような人はいいね。教養と美貌を持っているしね。

アジア系やサブ・アフリカ系のMCはまだまだ修行が足りないかも。

さて、そろそろ夕飯にしよう。

1938:Pressure-free education?!

クライアントとの協議を終え、ホテルに戻る。

6時半。今はもう外は暗い。

奥さんとメールしたら、長女が僕の自宅の机で課題をやっていると言っていた。和文英訳らしい。

その中で、出てきたのが、主題の英語訳。

ゆとり教育の英文訳らしい。他の辞書でチェックすると、

education free from (of) pressure

education with latitude (relaxation and hope)

education without cramming

lighter curriculum

unhurried (flexible and liberal, relaxed style of) education

いろいろでてくるね。

ゆとり、という言葉を教育に当てはめる感覚が日本的なんだろうね。

英語的に考えれば、lighter curriculum

がよさそうだ。他はすべて奇異な印象を受ける。英語としてね。

実際、単位数が減っているわけだからね。

僕が最近聞いた英語の造語。

monster-in-law

mother-in-lawに引っかけた表現で、モンスターのような義理の母という意味。

言葉って面白いね。






2013年11月27日水曜日

1937:シャンプー、どれにしようかな?

昼休み。

モールで買い物。気晴らしにもなる。

いつも買う、味付のポップコーン(日本にはない)、ガム(MENTOSでこれも日本ではない)、ペプシ、そしてシャンプー。以前買ったニベアの「2in1」がないので、迷う。

ポ語だとどういうシャンプーなのか理解できない。それにしても多様だね。気分で買った。

Liso e Suave

英語だと、

Smooth and soft

Niveaの製品だ。リンスは省略。

ポ語の理解力が向上すると膨大な文献を前にしても怯むことがなくなった。59歳で新しい言語に仕事上挑むのは結構パワーとエネルギーがいるのだけれど、図々しさで乗り切っている。

こういう図々しさが子供の時からあったらずいぶん人生も変わっていたであろうが、それは望んではいない。今この挑戦ができることに感謝したい。

1936:駐日アメリカ大使・ケネディーのスピーチ全文

解説は後で。というか、とにかく読んでいただきたい。簡素でしゃれていて東部アメリカ人のエスプリと良心が感じられるね。こういうスピーチができれば、あなたも国際人ですよ。



Ambassador Caroline Kennedy
Hotel Okura, Tokyo

November 27, 2013

AMBASSADOR KENNEDY: Thank you. Thank you so much. Thank you all for coming - I know everybody here is very busy, so I'm very honored that you all chose to come today. And thank you, Ambassador Fujisaki, for the beautiful flowers you sent me on my arrival and for all you've done over the years to benefit the people of Japan and the United States.

Thank you to the ACCJ and the America-Japan Society for inviting me here to speak and learn from all of you, and mostly thank you for the warm welcome and the birthday wishes. I have never had a party this big.

I would like to introduce my husband Ed Schlossberg who is here with me, as well as my colleagues from the Embassy. My Deputy Chief of Mission Kurt Tong I'm sure many of you know well and his wife Mika. Public Affairs Counselor Mark Davidson and his wife Kuniko. Also here are my Chief of Staff Debra DeShong Reed, Political Minister-Counselor Donna Welton, and Economic Minister-Counselor Jessica Webster among others from my team. Maybe you guys could just stand up briefly? John Nylin is here - stand up.

This lunch is just the latest in a series of events over the past week - each of which has really been incredible in its own right, but also symbolic of the larger U.S.-Japan relationship as well.

I'm honored that President Obama asked me to serve as his Ambassador to Japan. It couldn't be a more important moment as the United States rebalances to Asia. Relations are at an all-time high; we are making real progress in key areas of our alliance; and the partnership is truly a global one. Just before I left home, this message was emphasized in meetings with the President, the Vice President, Secretary Kerry, Secretary Hagel and National Security Advisor Rice. As everyone in this room knows well, Japan is our most important ally in the region, and Japan has no truer friend than America.

We are bound by a common history and common values. Our countries have overcome a difficult past to embrace a promising future. There are deep and profound economic, strategic, and cultural ties, and our societies share a commitment to freedom, democracy and the rule of law.

Japan and America are partners in diplomatic and humanitarian efforts around the globe. We're working together to solve the difficult challenges in the Middle East, and most recently Japan's Self Defense Forces and American military jointly delivered food, water and medical supplies to thousands of people in the Philippines whose communities were devastated by Typhoon Haiyan.

Over the course of the past week, I have seen the same spirit of trust and commitment made visible in less dramatic but equally profound ways.

First, my presentation of credentials to His Majesty the Emperor. I think everyone was amazed by the number of people who came out to welcome me. I know that my Embassy colleagues, Japanese political leaders and journalists, and certainly people back home were all surprised - even my children were impressed.

But more striking than the number was the warmth and excitement that seemed to animate the crowd. It was a great tribute to the relationship between our countries, and I know that it was also a tribute to the family legacy that I am proud to represent.

President Kennedy worked hard to strengthen the U.S.-Japan relationship at a difficult time, and my mother often spoke of his wish to be the first sitting President to visit Japan. As a child, it made a deep impression on me that my father's PT boat had been sunk by a Japanese destroyer, yet just 15 years later he was proud to invite the Japanese commander to his inauguration as President and excited about the possibility of uniting the crews of the two vessels on his future state visit.

That's a great parable for our larger relationship and a reminder that when we focus on the things that unite us instead of those that divide us, when we look to the future instead of the past, we truly can create a better world.

Change takes work. It takes courage. And it takes perseverance. Those are all qualities I saw in the people of Japan when I first came with my Uncle Teddy in 1978. We went to a Hiroshima hospital and spoke with women who had been burned in the attack. We laid a wreath to honor the past, but my uncle also talked about the future we could build together. I saw then, as I saw for the next 30 years, that he never gave up. He never stopped trying to improve the lives of others.

That lesson is one we can all remember in our own lives, and it's important in relationships between nations as well. Our parents and grandparents built the United States-Japan Alliance through countless acts of reconciliation, friendship, courage and commitment. Now it's our turn to continue this work so that we can pass this Alliance on to our children even stronger than it is now.

It was especially meaningful to me to be embraced by the people of Japan during this week of remembrance when I was far from home and family, and I will always remember the comfort and strength it has given me.

That thoughtfulness came not just from the crowds but from political leaders and countless individuals who sent me flowers, have written or spoken to me as I walked Tokyo. The Emperor himself offered sympathy and spoke of President Kennedy with admiration.

Respect for ritual and tradition, and the ability to infuse a formal ceremony with warmth and humanity, are qualities that I admire greatly, and I feel privileged to have been given these gifts by the people of Japan.

Two days after I had the honor of meeting the Emperor, I flew with Lieutenant General Sam Angelella, commander of U.S. Forces Japan and the 5th Air Force, to Yokota Air Base where his headquarters is located. As the military helicopter rose over Tokyo, I saw the giant shape of Mount Fuji in the distance reminding me where I was and how little time we each have in the shadow of something so timeless.

United States Forces headquarters is located in a nice, non-descript three-story U-shaped building from the 1970s. Right in the middle of the "U" where a parking lot used to be now stands the brand new state-of-the-art headquarters of the Koku Jieitai's Air Defense Command, commanded by Lieutenant General Nakashima. It's an impressive facility with great capability, the nerve center of Japanese air defense in a tense and potentially dangerous part of the world - monitoring the Senkakus and the DPRK. Right next to General Nakashima sits a chair for the American commander.

Throughout the day, I was impressed by how closely the American and Japanese military are working together. They have common equipment, they train together, and the senior generals have built lasting personal and professional relationships over many years. This mutual respect and close communication are vital to our strategic partnership and evident to every visitor. That's why this relationship has underwritten the peace, security, and prosperity of the Asia-Pacific region for more than six decades.

That close working relationship was underscored during the recent 2+2 meeting with Secretary Kerry and Secretary Hagel held here in Tokyo for the first time. Work is under way to revise our Bilateral Defense Guidelines for the first time since 1997 and expand the scope of our mutual cooperation. We support the evolution of Japan's security policies as they create a new National Security Strategy, establish a National Security Council, and take steps to protect national security secrets. We are committed to the realignment of our bases and proceeding with the Futenma Replacement Facility.

Additionally, we are committed to conducting joint exercises and training so that American and Japanese forces can be ready partners in the defense of Japan, as well as continuing to work together in humanitarian assistance, disaster relief, economic development and peacekeeping operations around the world.

At the same time, as Winston Churchill said, "We arm to parley." In dangerous times, the United States has always stood for the principle that disputes should be resolved through diplomacy and dialogue, and we are ready to assist this process in every way we can.

As Secretary Kerry said last weekend, we hope to see a more collaborative and less confrontational future in the Pacific. Unilateral actions like those taken by China with their announcement of an "East China Sea Air Defense Identification Zone" undermine security and constitute an attempt to change the status quo in the East China Sea. This only serves to increase tensions in the region.

Japan has shown great restraint this past year, and we urge them to continue to do so. We encourage Japan to increase communications with its neighbors and to continue to respond to regional challenges in a measured way. We will continue to consult especially closely with the Japanese government on these issues. And I know Vice President Biden will be underscoring these messages on his visit next week.

Most importantly, every American should take pride in the patriotism, the level of excellence, and the commitment our service members and their families have to the U.S.-Japan Alliance. The Japanese can see every day that America is here for them as a partner in the defense of Japan. And Americans can take satisfaction in knowing that their forward deployment helps keep America safe, and Asia peaceful and more prosperous.

Speaking of prosperity in Asia, it's time to talk about Abenomics, Womenomics and TPP. As everyone here knows well, this is a moment of opportunity. Japan is enjoying political stability, economic renewal and is eager to increase trade and investment with the United States. Our economic ties are broad and deep, and our economies are closely intertwined. For example, American products, like the Boeing 787, consist of a large percentage - 35% - of Japanese components, and U.S. companies provide half the parts for the new Mitsubishi regional jet. Insurance, energy, healthcare all represent important sources of future trade and investment. And just this week Bloom Energy and Softbank announced an exciting joint venture.

The Japanese sent a large and enthusiastic delegation to the recent SelectUSA summit, and the entire Asia-Pacific region is poised to benefit from the passage of TPP. This comprehensive, high-quality trade agreement was greatly enhanced by Japan's participation. It's complex and difficult yet critical to our overall Asia-Pacific rebalance both economically and strategically. A strong Japanese economy is in the U.S. interest, and TPP is an important lever in Prime Minister Abe's domestic policy agenda as well.

Ambassador Froman and his negotiators are getting down to the tough issues, but they are optimistic and the Japanese are fully engaged. President Obama is committed to a tight timetable, and I have a feeling that Vice President Biden will deliver that message forcefully next week as well.

But once again, we can't leave everything up to government. It is up to all of you in this room to make sure that people at home also understand the positive aspects of this landmark agreement, and work to ensure its passage. We must also get ready for implementation so that TPP's benefits can be widely felt without delay. Our Embassy team is committed to helping you make that happen.

I was impressed that Prime Minister Abe used our first meeting to showcase and discuss his commitment to Womenomics, just as he did on his recent visit to New York. Americans know, and the world has seen, that when women are empowered, the entire society benefits. The IMF estimates that if Japan increased the numbers of working women to the level of other developed countries, its overall GDP would rise 4%.

I believe the prime minister understands that this is not just a women's issue. It's a man's issue. It's a family issue, an economic and a national security issue, and it's a moral issue.

In the United States, we still have a good deal of work to do, but I am proud that President Obama's first act as President was to sign the Lily Ledbetter Fair Pay Act removing the barriers to fighting pay discrimination. And as the first woman to serve as United States Ambassador, I am also proud that the political and economic minister-counselors and our Army, legal and press attaches, as well as my chief of staff are women - and I'm looking forward to learning more about the workplace dynamics here in Japan.

Lastly, over the past two days I visited the Tohoku region where I was deeply affected by the scale of the destruction yet inspired by the strength and resilience of the people there. I was humbled to follow in the footsteps of the U.S. military and my predecessor, Ambassador John Roos, whose deep personal commitment to providing help and hope through Operation TOMODACHI is still being felt every day by the people of the region.

We visited the coastline, where one miracle pine tree remains out of 70,000 that used to be there - evoking the powerful symbolism of the single pine tree in Japanese painting. At the Mangokuura Elementary School, students were amused by my calligraphy attempts and even tolerated my left-handedness.

I brought home little "ambassadors of hope" in the form of knitted creatures made by a group of grandmothers who understand that creativity and community are often all we have in times of loss. Not only does the crocheting help them focus on the present rather than the past, the women also treasure the letters they have received from people around the world who have bought their eco-friendly pot scrubbers. I will be hanging them on the Christmas tree at the Embassy and sending them to friends to remind them of the spirit of Tohoku.

Finally, I was able to donate books to a library dedicated to the memory of Taylor Anderson, an American JET volunteer who taught English there before she was killed in the Tsunami. And when I looked at the list of books that had been selected, I noticed that my Uncle Teddy's children's book, called "My Senator and Me" was one of them. It brought a smile to my face to think of how much he and his dog Splash (who is the actual author of the book) would have loved knowing they were big in Mangokuura.

It was two days that Ed and I will never forget. Like the travel and U.S. homestay programs in which 10,000 young people have participated, this visit brought to life the vital role that the TOMODACHI initiative plays in connecting these communities to the broader world. For those of you in this room who have supported the TOMODACHI programs, I hope you will take great satisfaction in the impact that your contributions have made, that you continue to support these efforts, and maybe that you will go and visit the people there who are benefitting from your generosity so that they can thank you in person. I bet you would come back with even more great ideas for programs to help.

Our young people have so much in common. It might start with anime, but it can become Astronaut Wakata, commanding NASA astronauts on the International Space Station. It might start on a back lot in Osaka and end in the greatest triumph in 86 years as Koji Uehara pitched the Red Sox to victory at Fenway Park. Now that the world is interdependent and international, those of us in positions of seniority in this Alliance need to make sure that young people have opportunities for collaborative composition that are varied and meaningful - in the arts, science, education, sports and business.

President Kennedy and Prime Minister Ikeda established CULCON 50 years ago to address similar issues. Fifty years later, we must build on that work, meet the goals of doubling international student exchange by 2020, increasing language study and travel so that 50 years from now, people can look back with the same sense of gratitude that we feel today.

My father admired Uesugi Yozan, an 18th century daimyo from the Tohoku area known for his good governance and sacrifice for the public good. Yozan introduced democratic-type reforms, encouraged people of different social classes to join and serve their communities together in new ways. He lived simply and invested in the future - building schools and starting businesses. In ways that resonate with President Kennedy's famous call to service, he wrote: "The domain is inherited from our ancestors, to be passed on to our descendants. It must not be thought of as our personal possession. If you put your mind to it, you can do it; if you do not, you cannot. That is true for all things. When something is not done, it is because someone has not done it."

So now it's up to us. As we prepare to celebrate Thanksgiving tomorrow, I am grateful for so many things - most of all this opportunity to serve my country, to learn from you, to work with you and with the people of Japan, to bring our two great nations even closer together.

Thank you very much.

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最後まで、すらっと理解できたら、まずは実務的英語力はありとお考えください。おめでとうございます。

1935:もう11月も月末だ

いつも書いていることだが、渡航して1か月はあっという間に過ぎる。

日本の生活や仕事から全く違う環境だからそう感じる。

朝7時半。曇り。朝ごはんを終えて部屋でデルタ・コーヒーを飲んでいる。レストランから2杯目のコーヒーを部屋に持ち帰る普段の習慣だ。

あと4日で12月。あと3か月と10日で帰国となる。結構長いね。ずっと首都だし。前回は5州周ったので移動移動の連続で最初は大変だった。2回目からは順応した。

いよいよ本チャンの仕事が開始される。クライアントやCPとのブレイン・ストーミングが重要だ。

ウィキペディアから下記引用。

ブレインストーミングの4原則

判断・結論を出さない(結論厳禁)
自由なアイデア抽出を制限するような、判断・結論は慎む。判断・結論は、ブレインストーミングの次の段階にゆずる。ただし可能性を広く抽出するための質問や意見ならば、その場で自由にぶつけ合う。たとえば「予算が足りない」と否定するのはこの段階では正しくないが、「予算が足りないがどう対応するのか」と可能性を広げる発言は歓迎される。
 
粗野な考えを歓迎する(自由奔放)
誰もが思いつきそうなアイデアよりも、奇抜な考え方やユニークで斬新なアイデアを重視する。新規性のある発明はたいてい最初は笑いものにされる事が多く、そういった提案こそを重視すること
 
量を重視する(質より量)
様々な角度から、多くのアイデアを出す。一般的な考え方・アイデアはもちろん、一般的でなく新規性のある考え方・アイデアまであらゆる提案を歓迎する。
 
アイディアを結合し発展させる(結合改善)
別々のアイデアをくっつけたり一部を変化させたりすることで、新たなアイデアを生み出していく。他人の意見に便乗することが推奨される。
英語では、このような感じだ。英語表現はやっぱいいねえ。

  1. Focus on quantity: This rule is a means of enhancing divergent production, aiming to facilitate problem solving through the maxim quantity breeds quality. The assumption is that the greater the number of ideas generated, the greater the chance of producing a radical and effective solution.
  2. Withhold criticism: In brainstorming, criticism of ideas generated should be put 'on hold'. Instead, participants should focus on extending or adding to ideas, reserving criticism for a later 'critical stage' of the process. By suspending judgment, participants will feel free to generate unusual ideas.
  3. Welcome unusual ideas: To get a good and long list of ideas, unusual ideas are welcomed. They can be generated by looking from new perspectives and suspending assumptions. These new ways of thinking may provide better solutions.
  4. Combine and improve ideas: Good ideas may be combined to form a single better good idea, as suggested by the slogan "1+1=3". It is believed to stimulate the building of ideas by a process of association.

今回の仕事は新しい手法だから、ブレイン・ストーミングによる共同提案プロセスが大切なのだ。みんなで作り上げていく過程だね。クライアント、CPと僕の協働作業に入っていく。

MPやFSなど開発計画を作るのとはかなり違うね。これが管理計画なのだ。

2013年11月26日火曜日

1934:午後5時前、ホテルにて

今日ものんびり。いろいろ新情報を得て、計画書の修正加筆の段取りをする。まだまだ時間はたっぷり。徐々に行きましょう。ネタは山ほどある。小出しにしているわけではないが、徐々に計画書を作り上げた方が間違いは少ない。

さっき、久々ゆっくりと奥さんとスカイプ。ホテルのWIFIも復帰したのできれることもなかった。

兎に角話が尽きないので、いいね。他の夫婦は知らないが、もう30年以上こういう馬鹿話が笑いながら続いている。いいことだね。

同室のレナート君も最近は積極的に情報をくれる。彼自身あんまり英語が得意じゃないけれど、専門的な知識と経験は部長が信頼しているくらいだ。彼の引き出しにいろいろ新事実や状況が隠れているのだ。それを出してくれることにまず感謝。

味方が多くて安心だ。

敵がいるわけではないが、味方でもないという方もいるしね。そういうことへの対応にも実際難儀するが、味方の応援あっての仕事だから、総体としてはいい環境にある。

さて、夕刻からの作業に入ろう。



1933:朝のコーヒー

昨日早く寝たせいか、今日の朝は5時前に起きた。シャワー。

今はコーヒー(モンカフェ)のアンティグア・ブレンドを飲んでいる。グアテマラ、コロンビアなどのブレンドらしい。

クリエイティブな作業に入ったせいか、いいアイデアが次から次に出てきて、洪水のようだ。この半年は基礎情報の整理まとめで頭がいっぱい。

やっとコンサルの一番おいしい作業に入った。

ポ語も最近はそんなに苦ではなくなった。ポ語の文書を全部読むのではなく、キーワードに沿って読むといい。

来週月曜が一つの山。それまでは比較的ゆったりと経過する。

それにしても、ドナーの質もそれほど高くないことが徐々に分かってきた。だから、彼らが実施した類似の調査結果を出さないのだ。もう概略は分かったので、あえて出せとはもう言わない。読んでも内容は大したことないことが分かっている。CPも最近は正直ベースで対応してくれる。こちらの実力や成果がやっとわかってきたようだ。

昨日も偶然UNICEFの方とばったりオフィスで会ったが、対応の違いを感じたね。百戦錬磨のコンサルですから、「私、失敗しないので。」というセリフが出そうになるね。

それと、もう何か月も会っていなかったCP機関の総責任者である総局長と結構会っている副総局長とばったり。総局長は女性。簡単に進捗説明。彼女もいつも大体海外出張でいない。こういう偶然の出会いでしっかりアピールするのも重要。1分、5分、15分、30分、1時間、3時間。時間に応じて説明できるセンスもコンサルには大切なことだね。

自信過剰は良くないが、十分な調査と真の課題に挑む忍耐とセンス。これはコンサル現役30年選手の賜物である。

所長や団長、部長、海外本部長、取締役など会社の管理者だけになったら、こういう技は時間と共に消えていくのだ。副団長任せの団長ってたくさんいますからね。団長は名誉職ではないのだ。

技師長だらけの会社はダメだね。それと、40代から50代前半のバブル世代のコンサルの劣化が目立つ。20代30代がコンサル業界から逃げていくのは当然だね。

朝飯まであと1時間。BBCではタイの混乱を伝えている。


1932:ゆっくり案件の業務プロセスを概観

今日は朝から夕方までのんびり過ごした。

これまでいろいろ雑用もあり、朝から晩まで、土日も含めて作業続き。

業務全体を落ち着いて概観し、今後の作業計画を精査した。何か不都合なことはないか、作業工程はいいのかなど。。。

いろいろ変更すべき点も多々散見された。プログラム管理のプロセスは当初からは大分具体的になってきたし、作成すべき文書の内容も固まってきた。

来年のワークショップの日程や内容も徐々に明確になった。5州を前回は1回ずつ周ったが、来年は3回ずつで、計15回。移動での国内線利用は30回。落ちないといいね。

日程設定と調整、航空券予約、ホテル・レンタカーの予約、それと受け入れ側の体制・準備など、結構大変だが、楽しそうな仕事だね。前回の5回の出張でもう練習ずみだしね。

作成する文書は大きく2つある。内容はここでは書けないが。今までに全く作ったことのないものだが、これまでの業務で経験した文書の集大成のようなものかな。

水衛生セクターでは、世界的にないものだと思う。たぶんね。保健や教育セクターは水衛生よりずっと進んでいるが、それでもない。

あるのは。。。。あと数年したらこのブログでも紹介しよう。成功すればね。

久々、中国製の香菜辛辣味噌ラーメンを頂いた。いいねえ。パンチが効いて稼業効率が上がる。

午後6時前。まだまだ時間はあるね。

2013年11月25日月曜日

1931:1963.11.22

先ほどまでBBCのドキュメンタリー番組を偶然見ていた。

1963年11月22日。ダラス。

今からちょうど50年前になる。

当時の記憶は全くない。ケネディー大統領の就任式のプレゼンの画像は、確かCBSが制作していたTBSの「これが世界だ」で見た記憶だけはある。

さっき見たドキュメンタリーは2009年のもの。ナショナル・ジオグラフィック制作。

全編すべて当時の画像や音声で構成され、現代のコメンタリーはない。それが全体の臨場感を伝えていていい。

あれから50年。当時小学生3年生だった僕も、今はケネディーの47歳を12歳も超えている。

2001号のブログとして何を書くか迷っていたが、書くにはちょうどいい番組だったね。

暗殺には陰謀説が付物だが、そっちの方が正直正解のようにも思える。何から何まで、警備が薄いし、オズワルドの暗殺もしかり。映像というのはとりあえずCGがない時代には嘘はつかないと思う。あのひ弱なオズワルドだけ仕業ではないね。プロのスナイパーは、標的者が左右に移動するより前後に移動する場所を最適とするのが常識なのだ。

さて、6時半になったら久々カレーでも食べに行こう。もちろん、マトン。



2013年11月24日日曜日

1930:投稿2000号達成(番号の間違いで2000号はまだ70回先と判明)

2008年の11月にこのブログをある思い付きで開始した。

前の会社をそろそろ離れる準備を始めた矢先のことだったと思う。5年前のことだ。

当初は、IWRMが全盛のころでもあり、限定した内容であったが、徐々にIWRMの話題から逸れて、2009年4月から今の会社に移籍して直ぐ、南部アフリカの仕事が舞い込み、2年間の滞在で書き込みも活発化した。

5年で2000だから、年間平均では、400回。大体1日当たり1回のペースでしょうか。丁度、日記のように変わってきた。海外出張時は、うちの奥さんとメールやスカイプでやり取りするが、詳しいことはブログで書くようになった。海外ではメールやスカイプがネットの調子でできないこともあり、ブログで無事を確認する手立てとなるのだ。

それと、コンサルの仕事って意外と知られていないし、若手諸氏は将来に不安だろうし、出来の悪い先輩からの活動(54歳を過ぎて)も何かの参考にもなるかもしれない。

最も大事なことは自分自身の備忘録でもあるし、突然亡くなった時の遺言でもある。縁起が悪いが、海外では何が起こるか分からないことも多い。乗継の飛行場で書いて、次の便が落ちたりすれば、最後のメッセージは残るね。

病気にかかって健康状態が悪くなれば、その過程もレポートできる。

このダサいブログでも2000回も書いていると、検索で一般の方への情報提供にもなる。これが案外無視できないほどの検索数なのだ。

来年の9月まではここの仕事だが、来年の11月以降はまたどこかに赴任することもあろうし、それ以降何年コンサルを続けられるか神のみぞ知るだが、最後の一日まで書き続けていきたいね。

宿題を今日終えたので、明日からまたちょっと知的な作業に入る。

1929:映画満喫

午後は休憩で映画を2本。

ポルトガルのTV1がなぜかTV2に変わる。

最初の映画は、

Take Shelter

で、次が、

The Owl and the Pussycat。

話は書かないが、最初の映画はサイコスリラー的だが、最後まで動きがない。最後の数秒で、決まる。この最後でカンヌ映画で受賞したようだね。

次は、バーバラ・ストライサンド主演。1970年の映画だから懐かしいね、あのころのアメリカ文化。題名からもうかがえるが、知的な中年男と蓮っ葉な若い女性との掛け合いが実に見事。バーバラってなんかロマンス満載のつまらない映画しかないと錯覚していたけど、実に蓮っ葉加減がうまい。掛け合いの英語の見事さは凄い。めちゃくちゃ早い。特にバーバラ。早いから分かるってあるんですね。要は、リズム感。

3本目はスペイン語だから見るのやめた。BBCに切り替え見ている。

映画を見ていると落ち着くね。

当地にいる水衛生専門家のおじさんからメールが来た。LinkedInの方だ。彼の経営している会社のウェブも見たがなかなか面白いことをやっているね。会って話がいろいろ聞けそうだ。調べたら彼はスウェーデン人だ。

この国にはかなりの欧米人が移住して定住している。こういう方々が見えない底辺を支えているのは面白い。

ローカルコンサルが政策からプロジェクトまで作成支援しているからね。すごいよ。そういう達人との人脈は大事にしよう。

2013年11月23日土曜日

1928:午後2時、計画書完了

午後2時。いい天気だ。数日前には大雨だったが、まだまだ本格的な雨季ではない。

先ほどある計画書の素案ができた。内容はちょっと言えない。

さて、次の作業に入るが、ちょっと休憩だ。

今書きあげた計画書は本案件の根幹に係る最重要文書。

次の作業はアペンディックスに入れて置く程度のもの。

こういう作業工程はプロとして考えにくいが、ご指示には従いましょう。お客様は神様です。

さて、お洗濯を終わらせよう。

1927:土曜朝9時、作業中

BBCが見られないとある種のストレスを感じる。BBCをつけながら作業というのも非常にいいのだ。集中しないという方もおられるだろうが、僕は好きだ。気になるニュースがあれば、作業を止める。

さて、本ブログもいよいよ2000号に近くなった。野球じゃないから大したことはないが、小さいころから何事も飽きっぽく長続きしなかったので、ある意味奇跡に近い。

大した内容でもないが、死ぬまで続けそうだ。ある時、ブログが途切れ、音信不通。そういう終わり方もいいね。伝説にはならないね。書き込みなかったら、どれくら保存されるのだろうか?

さてさて、LinkedInも5か月ほど続けているが、おかげさまでコネクションは500人を超えた。500人以上は数字が出ないので正確な数は分からない。

今日コネクトできた方は凄い人だ。現在最も会いたい人。

彼はヨーロッパ人の水衛生専門家。偶然にもこの首都にいる。もう70歳を超えているが現役のコンサルで、以前はUNDPや世銀で働いていた方だ。お隣の国でも活躍されていた偶然もある。

こういう先人の素晴らしい方の経験知見をお聞きするのが最も好きだ。そういう方が徐々に減ってきている。

早速メールし、今度この首都で会いましょうとご提案した。今の僕の仕事に直結した情報や逸話を聞けることだろう。隣国の経験も共有しているしね。

兎に角、LinkedInはコネクトしたくても相手のご判断次第。コネクトしたいと思わなければ人脈は広がらない。

さて、作業に戻ろう。

1926:午後9時、仕事終わり

朝から作業。今日の仕事もこの辺で終了とする。

ある計画書を作成。あと3分の1だから、明日完成だ。明後日に次の作業があるので、どうしても明日中にこの計画書を完成しないといけない。無事にできると思う。

地方の州の同業者の方に無理をしてある情報を頂くようにお願いしたが、今日中に届くとは思わなかった。期待した通りの情報が届いた。これがある条件設定の根拠になる。ありがたいですね。南米出身の日系の方だが、日本に戻ってきた人だ。いい人でね。前にも書いた。

日曜にやる作業は単純な作業。ただ、提出日をちょっと早くしてしまったので仕方がない。自分の書いた和文を英文にするだけ。今書いているような知的な作業ではない。

しかし、コンサルの仕事は知的な作業はごくわずか。今の作業なんて楽しくてしょうがない。計画を立てるほど楽しい作業はないのだ。コンサルの醍醐味だね。前段の準備は知的だけども忍耐力が必要。材料が揃えば、後は知的そのもの。全体の作業量でいえば、数パーセントでしょうね。

団長、副団長、いくつかの専門家、そして業務調整。5人分くらいの仕事を一人でするのは結構大変だと思う。

僕は、すべての担当をこなしてきたから、いつだって団長の担当にも対応できるし、今でも新入社員がするような業務調整も喜んでする。

雑多な仕事も楽しい。知的な仕事も愉快。そんな気持ちでいられれば、コンサル稼業も持続的に続けられる。

競合者は数人だもんね。こんな競争なしの仕事はそうはない。なぜかって、誰もやれない。

人の嫌いな仕事を選ぶの人生の選択。

評価分析とか環境影響評価なんて、すごい競争。勝ち負けが半端ない。

さてと、またBBCが消えたのでつまんないね。

2013年11月22日金曜日

1925:BBCの大井さんは出てこないね?!

午後11時前。そろそろ寝ますかね。

さて、当地に来て断続的だがBBCも見れるようになった。

そこでだ、あの日本人の大井さんは出てこないのだがどうしているのか?NYからのビジネス関連ニュースを担当していたが、今はインド系とイギリス人の二人で代わる代わる報告している。あの大井さんが登場しないね。

かなり辛辣なコメントもしているが、出てこないとどうしちゃったのと、ちょっと心配する。あの中国人キャスターも相変わらずエネルギッシュな報告を続けているしね。

何とかフィリピン人のリコと同じで頑張ってほしいものだ。

悪いところがあるというのはいいところもあるということだ。英語自体はかなりいいのだしね。後はどれだけスマートにゆとりを持ってプレゼンできるかが勝負の分かれ道。

年期というのもあるしね。40代過ぎないといいプレゼンはできないかな。

どんなお姿でどんなプレゼンをしてくれるか楽しみである。

さて11時、寝ましょう。

1924:午後8時40分、作業終了

朝からバタバタしていて本チャンのお仕事が停止。そのバタバタした混乱も解決した。

混乱を紳士的なブレインストーミングで乗り切り、結果として良き方向に向かった。クライアント、カウンターパート機関、コンサルの三者協働を尊重しないといけない。

合意形成の必要性はまだまだ続く。これからが本当の勝負なのだが、マイナーな事柄で信頼を少しでも取り付ければ、それはそれで結構なことだ。

余談になってしまうが、新しい案件に従事する場合は、関係者の経歴などを徹底的に調べることが普通だ。これは元いた古巣の会社の上司に教わった。

クライアント、カウンターパートや昔いらっしゃった作業監理委員の方々など関係者すべてだ。昔と違って、今は意外と簡単なのだ。

ネット検索が重要。

年齢、出身地、学歴、職歴、性格、噂など様々な情報をネット検索や人脈から入手しておく。

意外なときに役に立つのですね、これが。

ネットってバカにできない。知りたい方の学生時代の活動状況まで出てくるのだ。研究室や修士論文も然り。お名刺を頂いたらすぐ検索にかける。

しかし、あんまり悪い使い方をするといけない。昔、赤門出身の取締役がある案件の団長でしたが、作業監理委員さんに向かって、先輩づらして、「何年卒ですか?」など失礼な物言いをしたそうだ。結果として色んな理由もあろうが、団長を解任され、さらに会社を辞めることになったそうな。

クライアントやカウンターパートを自然に喜ばすような使い方をしないとコンサルはダメですね。彼らは我々コンサルのお客様なのであるから。媚びる必要はないのですが。一流の芸者なのです。

1923:再発見と再認識(2)

今日は凄い投稿を検索してくれる人がおられる。1276:2011年8月23日の投稿だ。ガーナの出張から帰国したころだろうか。パラグアイに行く前だね。この投稿も2年経っても同意見だ。現場で苦節10年とかの経験を持った後輩がエネルギー開発部の部長になったが、結局ねえ、革新的な施策はなかったようだね。苦労しないようにしないとね。効率の悪い仕事ばかりじゃ、苦労人(風な)人だけが出世する悪循環はなくならないのだ。

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1276:コンサルもその場しのぎ症候群か?!
ここ何年かコンサルの質がどんどん低下しているように思える。

どの会社も経営体質が悪く人材育成や研究開発に投資する余裕はない。研究所があっても海外のプロジェクトに適応した研究が殆どない。

社長以下役員や管理者も雑多な時ごとの処理で忙しく将来を見越した経営戦略を練り実践する力もない。ただただ忙しくするだけだ。その場しのぎ的な仕事が増え、その処理で喘いでいる。逆にそれが管理者の仕事と勘違いしている。哲学など持ったコンサルなど期待されない。

さて、こうしたその場しのぎ症候群についてネット記事があった。記事のポイントだけ示そう。

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その場しのぎ症候群の症状、

(1)「その場しのぎ」でむしろ充実感さえ味わい、結果的にこれでよしの認識に陥っている、

(2)「その場しのぎ」が習い性になってしまい、例えば部長・課長・係長共に大きな問題が発生した際には部下に任せていた中小問題について、大きな問題がない時につい手を出してしまう、

(3)あまりにも時間に追われるため、根本対策を考えて実行する発想が頭から消えている、

(4)そして何よりも、「その場しのぎ」が社内認知されているということだ。

さて、「その場しのぎ症候群」の処方箋だ。

(1)問題に優先順位をつける(R.E.ボーン:一部の問題は放置することを覚悟の上で、問題発生時点で問題を取捨選択する)。これは、軍医学からの応用だというところが面白い。

(2)問題をグルーピングして、まとめて根本的に解決する。

(3)「その場しのぎ」に報奨を与えない(R.E.ボーン:最悪の窮地から組織を救った人は英雄視される。しかしその人は、問題が発生した時にはどこで何をしていたのか。何故問題が大きくなる前に、先手を打って行動しなかったか)。確かに陥りがちな罠は、「その場しのぎ」で縦横無尽の活躍をする者をつい優秀な人材とみなし、評価してしまうことだ。それでは、「その場しのぎ」は決して無くならない。

(4)さて、最も根本的な処方箋だ。まず大前提として、何が何でも「その場しのぎ症候群」を根絶するのだという強い意志を全社に浸透させ、企業文化として定着させなければならない。それをブレークダウンして示せば、

・「その場しのぎ」は罪悪であるという認識を社内に植えつけ、社長方針に明記し、あらゆる機会に経営者はそれを復唱する。さもなくば、「その場しのぎ」人は「やり手」と誤解され、本人も間違った充実感を持つからだ。これは、経営側の課題だ。

・「その場しのぎ」に参画しないと、疎外感さえ持つ。その「その場しのぎ」習い性から、意識的に脱出する努力をする。中小問題を振り切る冷たさと思い切りを持ち、空いた時間で根本策を練る努力をすべきだ。これは、その場しのぎ実行側の課題だ。

・「その場しのぎ」の実績を「登録」し、その後フォローアップして根本策を実施したという「報告」を義務付ける制度と、それを監査するシステムを整備する。

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その場しのぎは、現場の管理者もそうだ。それをこなし、現場で苦労した経験で出世することになる。そんな幹部ばっかりではこれからのコンサル会社は意味ないとクライアントから飽きられるだろう。

2013年11月21日木曜日

1922:再発見と再認識!!

2010年10月に南部アフリカで投稿した832をここに再投稿する。3年前だが、ますます同感だから。どなたかが久々検索してくれたおかげ。感謝。

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832:中年と云う過渡期
ネットでの情報にも中国の新聞情報が入るが、時どき興味深い記事もあって面白い。今日は、中年よ頑張れという意味合いの記事があり、55歳で数日で56歳を迎える自分自身にも当てはまるのでここに転記する。08年の論文でネットでダウンロードできるの原文に興味のある方は読んでみて。ハーバードビジネスレビューもこういう論文を載せるんだなと感心。

40歳前後のコンサルさんはこれからの人生をよく考えて、会社に残って沈むか、あるいは去っていい人生を送るか、良く検討してほしい。20代、30代は、兎に角経験と知見、そして社外の人脈形成を高めていくしかない。40代で国際機関の案件や団長をいくつか経験したらもう大会社で得るものはサラリーマン的な出世しかない。

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中年危機なんてウソ!豊かな人生は中年期から始まる=「若者に無限の可能性」は幻想―米経済誌

2010年1月23日、羊城晩報は、イスラエル・テルアビブ大学心理学部のカルロ・ストレンゲル教授がハーバードビジネスレビューに寄稿した論文「中年期変化の存在の必然性(The Existential Necessity of Midlife Change)」を紹介、かつての「中年の危機」という概念が時代遅れになっていると論じた。

同論文は、一般的に40歳を境に中年危機を迎えると考えられてきたが、平均余命も伸び、より充実したライフスタイルを享受できるようになるなかで、「中年の危機」よりむしろ「中年という過度期」という呼び方がふさわしい、と指摘する。それまでの半生で積み重ねてきた人生経験を残りの半生で生かそうという意識があれば、非常に豊かな人生が送れる、という。

結婚、住宅の購入、そしてビジネス。どれもが難しい決断を迫られる人生の転機だが、それらに向き合いながら、何にも縛られない自由な生活を楽しむこともできる、とグレンゲル教授。若い時に人生のあらゆる局面から教訓を得、年齢を重ねるごとに次々と起こってくる問題や困難に、それまでの経験を生かしながら立ち向かっていくことができる。

「年齢とともに人生の可能性もしぼんでいく」。これは誤った仮説から導き出された観念だと同教授は指摘する。「若者には無限の可能性がある」といのは錯覚に過ぎず、この時期に理想主義的な思考から脱却して、受験、学位取得、就職など直面する課題をクリアしながら一歩一歩進んでいくなら、それにともなって必要な能力が開発され、中年期までに自己を確立することができるという。
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2013年11月20日水曜日

1921:不思議な発見

朝から作業。休日とは言え、ぼーっとしている暇はなさそうだ。

さすがに午後はちょっと休憩。読みかけの本を読む。

秋尾沙戸子著

ワシントンハイツ
GHQが東京に刻んだ戦後

新潮文庫

前回の渡航時に持参した本だが、読む暇もなく今回読んだ。以前からこのワシントンハイツには興味があったが資料もなく、この本を見つけた時は喜んだ。

今の代々木公園の敷地がワシントンハイツというアメリカ駐留軍家族住宅だ。戦後建設され東京オリンピック開催前に接収解除された。

解説は、僕の好きな片岡義男さんが書いている。彼も日系3世だからワシントンハイツには行っている。彼のおじいさんのことは彼も書いているが、日系2世のお父さんのことはほとんど書いていない。軍関係者だと思うのだが、確証はない。ただ、片岡さんのエッセイか何かでお父さんから軍用の腕時計を貰ったとある。下記に片岡義男の経歴を整理すると、

1940年昭和15年)、東京都生まれ。4歳まで東京で過ごし、戦時疎開で山口県の岩国に移り、5歳で終戦を迎える(広島に投下された原爆のきのこ雲を目撃、記憶している)。10歳のとき広島県のに移り、合わせて9年間瀬戸内で過ごして東京に戻る(13歳)。のち都立千歳高校を経て、早稲田大学法学部卒業。
祖父の片岡仁吉は山口県の周防大島出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は日系二世で、片岡義男自身も少年期にハワイに在住し、当地で教育を受けた経験がある。

日系2世のお父さんは戦前と戦後、どこで何をされていたんでしょうね?結構不思議なことなのだ、僕には。13歳からハワイに行って、16歳で日本の高校に入るたった3年余りで英語がネイティブ並みに身につくのだろうか?、とかね。かなりミステリアスな記述なのである。


本の中で、意外な事実を三つ知った。

一つは、我々国際開発コンサルタントにとっても関係するパシフィックコンサルタンツ創始者の一人であったアメリカの建築家アントニン・レーモン氏が、東京などに投下した焼夷弾の有効性検討のための日本家屋を立てていたこと。戦後すぐ、日本に戻り建築家として再開、パシコンの創始者にもなったのだ。秋尾さんの本にはそこまで書いていない。

二つ目は、ジャニーズ事務所の前身は、ワシントンハイツに住んでいたジャニー喜多川氏が近所の4人組と野球チームをやっていて、その縁からジャニーズ事務所を始めたらしい。喜多川氏も日系2世だ。

三つ目は、東京タワーの鉄筋材料は、朝鮮戦争で使われなくなった戦車のものを再利用したということ。知らなかったねえ。

次に読む、見る、本は、戦後GHQが摂取した建築物を扱った写真集。

ちなみに、僕の住むさいたま市の近所には、自衛隊の大宮駐屯地があるが、

昭和15年に陸軍造兵廠大宮製作所(光学レンズの製造・組立てなど)ができ、昭和20年の敗戦により米軍が進駐し、昭和32年に陸上自衛隊が駐屯を開始している。

場所に歴史ありだね。

1920:水曜日、朝

6時過ぎに起床。シャワーを浴びて、BBC見ながらメールチェックして、さてこれから朝飯。

お腹もすいた。

昨日も作業をしていていいアイデアが出てくる。歳を取ると、こういう論理的な思考力が高まってくるんだね。世界の最先端の考え方を学んだ。ネットに感謝。漠然と考えていたプログラム管理の改善案の対象が明確になってきた。要するに、プログラム管理計画の最も脆弱な事項を探査し、分析し、改善策を作成すること。悪く言えば、弱みに付け込むことが大事だ。

余談だが、1999年ごろかなあ、イランのダム現場に強制的に島流しにあって、気のふれた所長が、「君は人の弱みに付け込むのか?」と叱咤したことがあるが、彼の弱みが見透かされた思いがあったのだろう。イラン人との交渉などで精神障害を起こしていた方だったから、今思うと彼を支えられなかったのは残念だった。弱みからまず対処しないと全体的なプログラムはうまく進んで行かないのだ。

彼の名言:一目見て断面積が違う導水トンネルの二つの図面を示して、「君、どっちの断面が大きいかね?」とお聞きになった。当然見て分かるので、こっちですと答えると、「計算もしないで分かるのか?」とおっしゃった。他にも、建設省が長年検討したある評価指標を示したら、「建設省の検討を精査しないでうのみにするのか?、ともおっしゃられていた。完全に、イラン人の悪い性格が乗り移っていたね。悪意に飲み込まれて、深い悪意の穴に落ちてしまったのだ。そのため、原因不明の腰痛発生。心身ともに劣化して行った。

仏教には、「成道」という考え方があるが、逆境時には大事な教えだね。彼らの悪意ある判断で僕の人生も大きく変わったが、良くも悪くもいい方向に行ったことは確かだ。神様の御意思は、身近な相手にも宿っているのだ。

さて、次男からメール。就活も精力的にやっていて成果がある様子が分かる。早速メールして財政支援。親としてできることはその程度。

BBCでは、ビサヤのタクロバンからビジネスニュースのMCであるフィリピン人のRicoが現地報告で出ていた。

彼の起用は何なんでしょうね。ひょうきんな感じでビジネス関連ニュースを担当するのはいいのだが、台風被災地の現地報告には向かないね。彼の後ろで、DPWHのTシャツを着た清掃員が道路に散乱する残骸を整理してたね。

朝起きてBBC、作業中にBBC、そして寝る前にBBC。これが海外のホテル生活のパターンだから、BBCがこのホテルで復帰して良かった。持続してほしいな。

さて、朝飯だ。

1919:BBC復帰

午後8時前。

少し蒸すのでクーラーを入れた。

今日は作業上有用な情報が二つ入った。

一つは、過去3年間のプログラム管理計画の中間評価報告書。

二つ目は、既存マニュアルのすべてのリスト。

いずれも5月に調査開始した際、入手しなければならなかった情報だったが、アフリカという事情柄5か月以上もかかってしまった。これは仕方のないことで、当地での調査経験もなくポ語もできない小生に対してここの職員が全面的に協力するわけがない。当方の実力、調査目的や内容も分からず、ただ言われたままに積極的に支援するのは期待できないのだ。

その後、ポ語の報告書も出され、スタッフ一同僕の調査結果も読んでいただいている。昨日あたりから、彼らの僕に対する誠意ある対応が急激に高まったのだ。

これが誠意に対する誠意だね。辛抱強く彼らと連携したおかげだ。年の功でもある。彼らが当然のごとく僕に協力するはずだ、と思ったら信頼関係は構築できない。こちらの誠意、積極的な活動など示さなければいけない。

上記の重要文書の入手は彼らの誠意の結果である、と思っている。いい感じに進んでいる。

隣国での2年間の類似案件の経験も活きているね。

最近は、僕がオフィスで食べているガムやお菓子を頂戴と言ってくるおばさん事務員さんがいて面白い。多めに買っておき、おすそ分けできる体制も整った。こいうのがいい職場なんだね。

上記の情報はいずれもポ語。ポ語も業務上問題なく対応できる体制も整った!!

さて、久々BBCを堪能しよう。

2013年11月19日火曜日

1918:クレメンテさんのサングラス

一人用のコーヒーを入れた。モンカフェ。うまいねえ。

オフィスで、隣の部屋のクレメンテさんがサングラスをかけている。真っ黒いのね。どうしちゃったの、と聞いたら、白内障のオペ後なんでサングラスだと申された。

欧米人は、サングラスが似合うねえ。歳をとってもだ。日本人にはまねのできない一例でもある。

彼とは、これまで親しくしていただいて、暇なときには彼の部屋に行って雑談。彼も時々やってくる。

喫煙組なので喫煙所でもよく出くわす。そこでも雑談。話が尽きないのだ。彼は定年までUNICEFでローカルスタッフとして働いてきた経歴を有する。

独立前、独立後の話。この国の秘話。現状の分析。話題に事欠かない。

そういう点では、黒人の人にはあまりいない。英語に不自由だからかな。白人のアフリカ人。南アにも多いね。レソトでもそういう方と仲良しだった。

兎に角、海外で雑談ができる人は貴重だ。いろんな話が出てくるからね。

そういう話題満載な方々も以前は日本の会社にも大勢いたものだ。余裕があったんだね。今はたぶんいないね。

今の会社でも話好きの人が多いが、赤門出身者が多いので聞いていてもつまらない。我が強いというんでしょうかねえ。ああいう性格は枯れても治らないんですね。

僕もサングラスが似合う老人になりたいものだ。

1917:午後8時作業終了

首都の気温も落ち着き、最高気温は30度ぐらいであっただろうか。快適だ。

朝から宿題の作業で午後までかかった。昼飯抜き。

ホテルに戻り、予定していた作業を開始し、先ほど終えた。

そろそろ現地貨もなくなってきたか。明日換金しよう。現金も米ドルで13,000ドル持ってきた。まだ相当あるね。安心だ。ホテル代に消える予定だが、雑費にも使うので、ホテル代の一部はクレジット払いとなる。JALカードからANAカードに変えたいね。JALはもう乗らないし。

BBCはまだ見れない。設定がおかしいのだろうか。その代り、ホテルのWIFIが復旧したので今使っている。タダだしね。USBより速度も速い。

あと2週間で、具体の作業方針が決まる。いろいろ調整があるが、何とかなるだろう。いつもそうだね。合意形成、根回し。。。

月末には、月例会議がある。ポ語の案内状のメールにもポ語で返事を出す余裕が出てきた。赤ちゃん程度のポ語の能力だが、大分慣れてきた。59歳とは思えないほどの柔軟性だね。自画自賛。アウェーの環境がとても快適だ。アウェーからホームに変わってきて作業環境はずいぶん改善されたが、アウェーの方が緊張感があっていいのだ。安心安定は面白くない。不安定な環境下でどう生き抜くか、そういうドキドキとしているのもプロのコンサルにとっては気合が入る。

さて、寝るまでどうしましょうかね。タダのWIFIで動画でも見ましょうか。

2013年11月17日日曜日

1916:アポカリプス終了

ナショナル・ジオグラフィックのシリーズの黙示録がさっき見終えた。6回で第2次世界大戦の始まりから終わりまで貴重な映像でまとめたドキュメンタリーだ。

全体で6時間。欧州戦争と太平洋戦争を並行して描いている。非常に為になった。映像というのは凄いね。今まで見たこともない残酷な事実を映像で知ることができる。

ポ語のお勉強にもなる。

milhões e mil。これはポ語の100万と1,000を意味するが、英語ではmilは俗語で百万ドルを意味し、いつも使っているので最初は混乱。もう慣れたけど。

黙示録もポ語ではapocalipseでyがiになる。これも衛生という意味のhygieneがポ語ではyがiになるのと同じ。西語はyだね。こういうちょっとしたスペルの違いは面白い。

まだ11時半。お昼まではまだあるね。

BBCがまた停止したので、当分ポ語のお勉強を続けましょうか。テレビの英語からポ語への翻訳が非常に簡素で、動詞も英語に繋がるものを選んでいるので、理解しやすい。

こういうお勉強の仕方もあるんですね。ポ語は西語より英語に近いんじゃないかな。あと1年頑張ってみますかね。ブラジルの案件応札にも効果的になるかもしれないしね。

パラグアイの案件もそのうち公示されるかもと担当者に言われているので、来年末か再来年公示されると期待している。現地がブラジルの国境だしね。

さて、お昼ご飯でも考えましょう。

1915:11月17日、朝6時(曇り)

今日で再渡航して第3週目に入る。早いねえ。

作業も順調で、これから2週間かけて主要業務の内容と工程案を作成し提出する。もう概要は協議して、概ね合意されているし、内容も頭に入っている。書くだけだ。

別の追加業務も提案して、その方向で進むよう政府側から了承されている。もしかすると予定されていなかった隣の州に行くかもしれない。ウガンダで成功したUNICEFの事例報告書もポ語に訳す必要も出てきた。面白くなってきた。

昨日は、うちの奥さんのある講師としての活動がネットに載っていたので、メールで報告。本人は知らなかったので。ネットで名前が公式に出るようになると益々活動が活発化してくるね、と励ました。いいことだね。これからのニーズが高まるのは必然だ。

コンサルは忍者や影武者なので、業務上名前がネットに出るようなことはほとんどない。大きな案件やミャンマーとかホットポイントの場合は責任者の名前が時々出てくるね。知り合いの名前も出たりして、活躍度が分かるね。

昨日の夜からホテルは断水。先ほど復帰した。何が原因かは不明。残してあった洗濯物を洗った。

昨日から、一人用のフィルターコーヒーを部屋で飲み始めた。まずは、モンカフェ。そのうち、スーパーで挽いたコーヒーを買って来よう。紙じゃないネットを使ったHARIO製の一人用のフィルターも買ってきたので、それを使い始める。少しずつ、ホテルでの快適性を高めていこう。

くしゃみ2回。風邪ひいたかな。

2013年11月16日土曜日

1914:Intercostal neuralgia

土曜の午後2時半。いい天気だ。気温も27度。丁度いいね。

さて、胸の痛みもずいぶん和らいできた。内臓の病気でないことは、心臓や肺の異常がないことからわかった。さて、じゃー何?

うちの奥さんがいろいろ心配して調べてメールで情報を送ってくれる。

どうも、肋間神経痛、という観測だ。

首題は肋間神経痛の英語訳。ポ語では、2語を逆転させる。

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余談だが、医学用語は日本人の大人なら結構知っているが、英語でも知っていると尊敬される。フィルピン人でもよく知っている。比国で、英語の医学用語で冗談を言ったら結構受けたことがある。傍にいた元いた会社の若手(徳島大卒の松井君といったかな)はきょとんとしていたね。そんなレベルじゃ国際開発コンサルじゃないね。せめて、英字新聞ぐらいごく自然体で普通に読めてほしい。そういうコンサルはたぶん全体の数%にも満たないんじゃないかな。TOEIC900点ぐらいで満足しちゃプロとして失格だね。技術士もそう。世界最高レベルの技術を常に目指さなきゃいけない。アジ銀や世銀に鞍替えした彼らもそうだね。どうせ専門知識もないのに、肩書だけで専門家気取りじゃね。バウターの定年後は惨めなものだ。日本人よりはちょっとましかもしれないが。

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59歳になって、初めて、何々神経痛という病状が自分に発生。歳をとった証拠だね。

重たい荷物を海外の赴任地に運んだり、パソコン入りのアタッシュケースを常用したりと、日ごろ重たいものを持つことも多かったが、ついに神経痛か。今はパソコン2機入れているから普段よりはかなり重い。

それほどひどくはないが、たまたま別のこととも重なって最悪のことを心配してしまったのだ。海外で一人というのも結構精神的にはつらいものもあるのだ。特に病気の時はね。

アフリカでは、まずマラリア蚊対策が重要で、対策は常に万全としているが、神経痛になるとは想像していなかったね。改善されて一安心ではある。

腰痛とかも大変だね。僕はまだ経験ないが、ストレスが原因もいうも結構ある。この5年仕事上のストレスは全くない。それだけでも健康にはいい。

来年今の仕事が無事に終わるとちょうど60歳。いい感じで誕生日を迎えたいね。それまでちょうど11か月。3次渡航からの帰国はドンペリ抱えて成田に着きたいね。こういう発想がバブル時代の名残でもある。

1913:ナショナル・ジオグラフィックの番組

前回渡航時もちょっと見たが、ナショナル・ジオグラフィックで面白いシリーズは、

「80年代はどういう時代だったか」というシリーズと第2次世界大戦を扱った「アポカリプス」。

前者は、特にいいね。何がって、自分も経験したいい10年だったから。

僕の場合は、

60年代:小学・中学生
70年代:高校・大学・院生
80年代:コンサルとしての最初の10年

だったし、80年代は日本もバブル、アメリカも当然バブル。必要性より欲しいから買うという時代。

先日も郡山で大学同期と飲んだが、あのバブルを経験していない40代の経営者は物足りないと、こぼしていた。行き過ぎはあるにせよ、あの時代を生きた経験はやはり真逆の今の時代でも活きるのだ。バブルで身を滅ぼした土建業者も多かったらしいね。同期の友人はそういう一世代上の失敗を見ていたのだ。反面教師としてね。

バブル以降の90年代、21世に入ってからの10年、どんどん委縮して行ってるね。組織とか社会が。

アフリカなど途上国は逆に好景気の現代。バブリーな時代を経験したからこそ、冷静に見られると思っている。

「アポカリプス」は、第2次世界大戦の全貌がよくわかるいい番組だ。6回だったかな。あと2回ある。

2010年から20年まで、ちょうど東京オリンピック開催までだ。どういう10年なのかね。もう3年過ぎたけど。2020年までコンサルとしてこうして海外で仕事しているとまずは幸せかな。



1912:ポップコーンの新製品

海外に出るとポテトやコーンのスナックを選ぶのが楽しい。

コーン系とポテト系でまず迷う。

コーン系だと、筒状に入っているのとか、日本のカールのようなものとかがある。ポテト系では、Lay'sがポピュラー。いろんな味もあるしね。

最近、オフィスのお隣のモールのスーパーに新製品が登場。

南ア製で、Jumpin Jackという。

ポップコーンだが、いろんな味が付いている。アメリカで流行っているね。

Lay'sと同じで、

Cheese and Green Onion

White Chedoar

などがある。今はこれに嵌っている。

他には、比国マニラからのJack and Jill製の

Chippy(コーンチップでバーベキュー味)

Piattos(ポテトクリスプでサワークリームとオニオン味)

でも、やっぱポップコーンの味付が最高だ。

軽いし、歯ごたえがいいね。

ガムもまた多様性があって面白い。これはまたの機会に。




1911:中国製インスタントラーメンの評価結果

先々週購入した中国製ラーメンの総合評価を記す。

このブログで写真を載せたとおり、8個購入した。

うち、みそ味が4種、塩味が2種、後の2種がちょっと変わった味。

味噌味が総合的に見てうまい。特に香菜と辛辣味噌が入ったものは一押し。また買いたいと思うね。

塩味は、チキンとシーフードの2種。日本の塩味系に近い。これらもまた買おうと思う。

最後の変わり種。中国風の青菜の塩漬けみたいなものが入っているものは、ちょっと味が辛いだけかな。もう1種は、タケノコの刻んだものが入っている。2つとも物足りない感じ。また食べたいとは思わないかな。

結果として、8種のうち、みそ味系の4種全てと塩味2種の6種は今後買っておこうと思う。

いずれ日本から持ってきたものも切れるが、切れて買うのではなく、適当に順繰りに食べたいね。中国製はパンチが効いていて元気が出る。韓国のただ辛いのは買わない。韓国人的で、ただただ辛いのはちょっとねえ。あんな単純に辛いものを食べている韓国人の味覚は理解不能だ。

1910:再渡航して2週間

11月2日に成田を発って2週間が過ぎた。あっという間だね。12月ももうすぐだ。そして、クリスマス、年末年始、成人式。。。

長女が成人式だ。早いもんだね。20年。彼女も大学2年生。サークルやバイトで社会勉強中だ。社会が子供を育てることも多い。僕もそうだったね。

BBCもやっと見られたと思ったら、また解除された。契約上何か制限があるのだろう。まあいいや。ローカルテレビとポルトガルの映画専門局でポ語のお勉強を続けよう。たった5,6か月でもポ語の理解は進んでいる。やはり、西語を4か月パラグアイでやったおかげと、英語のラテン語系の言葉を結構知っているのでそれが幸いしているかも。昨日の会議でも僕のポ語の進歩を部長が褒めてくれたね。59歳でも勉強する価値はある。ただし、英語と同じ能力には絶対に及ばない。40年やっている英語だもんね。

ネットのニュース。東電の早期退職者計画。当然だね。1000人ぐらいでいいんでしょうか。どうせろくな社員はいない。高学歴で安定志向で入社した人ばかりだからね。人生、一度は途方に暮れることもいいことだ。それによって人として成長する(かも)。50歳以降はちょっと辛すぎるかな。プライドは異常に高いのに無知、無能、横暴、小心。。。人として最低な方々だからねえ。まあ他人事だ。知り合いにメールしても返事をくれるのは同期の一人だけ。そういう状況である。社長を見ていても分かるね。

さてと。まだ朝7時半。今日の予定は立てていない。

昨日の会議で作業工程と内容がほぼ確定したのでゆっくりしますかね。

後は根回しだ。



1909:Linda Yuehも出世したね

今、BBCの

Talking Business

を見ている。中国の経済状況をパネル3名で論じている。

MCは、中国系のLinda Yueh

彼女がどこで生まれて育ったかは不明だが、英国人の経済専門家であることは確かなようだ。年齢は不詳。数年前はロンドン大学の非常勤講師かなんかの肩書でBBCで出ていた。

学歴はくらむぐらいすごい。エール大で学士、ハーバード大で修士、オックスフォード大で博士。一流だねえ。それでも教授にはなれないから学者も大変だ。

ビックリ、今はMCとしてTalking Businessという自分の番組を持っているね。

昔の写真を見ると痩せていたが、今はかなり太り気味だな。40歳は過ぎているだろう。

アジア系ではBBCのMCは初めてだね。まだMCも慣れていないようで、目がパチパチ。緊張しているね。

大井さんはまだ見ていないが、今のお姿はいかがでしょうか?

これからまた、BBCのことも書いていこう。

さて、情報マニアの小生だから、彼女の経歴をある極秘情報から調べた。

「1995年時点で、23歳。5歳の時に台湾台北から両親と共にアメリカに移住。従って、1972年生まれで、現在41歳ということが分かる。昔の写真は痩せていて美人だったと書いたが、ミス・メリーランドになりそこなっている。ワシントンに住んでいたことを隠していたらしいので失格。」

なるほど、だから、そういう嫌な過去は絶対に明かさないんだね。野心家だけは確かだし、40歳を過ぎてBBCのMCとして、23歳の時の美貌を取り戻したいだろうね。残念。

大井さんのような高校生のような感じじゃ、到底彼女には勝てないね。世界レベルでの競争は大変だ。でも、LindaのMCもまだまだ素人。MCとしての力量はまだですねえ。





2013年11月15日金曜日

1908:Return of BBC

11月第2週の金曜日午後ホテルに戻る。

ずっと要求しなかったテレビのBBC復帰をお願いした。すぐにBBCが戻ってきた。何だー、簡単じゃない。誰も要求しなかったんだね。結構、英語圏の客も多いのに。もっと早く言えばよかったが、仕事優先だし、ホテルのことは二の次。

今日は、部長以下と今後の業務計画の協議。部長も満足して、今後の業務内容や提案事項を了承してくれた。彼らにとって持続的で意味のあるアドバイスを心掛けたことが成功のカギ。

2週間後に具体の業務計画を披露する。

他に、プロジェクト的に重要な提案も2つ用意した。実は、そっちの方が彼らには興味ありなのだ。実プロジェクトが動くことの方がプログラム管理より実があることは現実である。

残念ながら、上記の具体は守秘義務で書けない。

さて、BBCでも見ながらゆっくりしよう。

来週は地方選挙。オフィスは休日。ホテルで過ごすことになる。首都は混乱はないだろう。以前行ったある州は反政府勢力が活動中なので大変だろう。

BBCは比国台風被害を伝えている。そうなんですね、これを見たかったんですね。日本のニュースはここまではフォローしない。

世界の動向にやっと近づいた。

2013年11月14日木曜日

1907:読書をする余裕

前回の4か月は、長い期間とは言え、初めての国であり、仕事環境も首都と5州を行き来するなどあり、持って行った余暇の読書用書籍は全く読んでいなかった。そういう精神的なゆとりがなかった。テレビは意外と見ていて映画もかなり見たと思う。

今回は、着いてすぐ読書を開始した。作業進捗もいいし、これから4か月の工程も時間的には十分だ。そういうことと、生活仕事両面の環境もかなり慣れているからだろう。

曽野綾子さんの本はすでに2冊読み切った。今は、日本史と日系二世部隊の本を並行して読み始めた。日本史といっても変わった本で、「夜の日本史」というタイトル。文春で紹介されていたので直ぐアマゾンで入手。奈良平安から近代まで、さまざまな歴史上の人物の性癖を面白おかしく書いた本だ。お堅い日本史の教科書の何倍も勉強になるね。記憶に残る。

曽野綾子さんの本も今売れているらしいね。それで読んでいるわけじゃないけど、概ねご主張には賛同している。同じことが何回も書かれていたり、アフリカの現状をお書きになったりしているが、どうもその辺には異論あり。特に、アフリカと日本を比べてもあんまり意味がないし、アフリカも54か国あり、どこの国の首都はかなりの都会。若者は日本人の若者とそう変わりはない。

この分だと、他の本を読み切るのも時間の問題だ。

それと、やはりBBCが見られないのが、本を読むきっかけかもしれないね。BBCが見られれば、朝から晩までずっとかけっぱなし。

あと1週間ほどで、地方の市長選挙日だ。首都での混乱はないだろう。首都での誘拐事件も多発しているが、狙われるほど裕福とは思われないから心配はない。

2013年11月13日水曜日

1906:外地での病気

僕も1982年からざっと32年間海外出張を続けている。外地(といういい方もあんまりしないが)で病気にかかることは時々ある。

デング熱
インフルエンザ

がポピュラーで、それ以外の大病は今のところない。肺炎で1か月というのも1度あったかな。後は、精々風邪をこじらせたぐらいか。フィリピンでは、3度入院もしている。

先輩や上司では、過去には、

劇症肝炎
心臓発作
自殺
交通事故

などで可哀そうにも外地で亡くなられている。外地で亡くなることはごく普通にあることなのだ。

幸いというか、お蔭で、これまで無事に生きている(生かして頂いている)。

今回、大荷物を自宅からここまで運んだせいか、あばら骨付近に痛みがある。内蔵の病気なら、当然生活仕事にも影響あろうがそこまでには至っていない。海外では、常に自分の体調に留意しているので、ちょっとした異常にも敏感だ。今のところ、筋肉痛のように思える。

うちの奥さんとはスカイプしているし、症状を伝えて、逆に心配させてしまったが、奥さんも心配だけでなくいろんな情報も送ってくれる。同じキリスト者だから対応は心配だけではないのだ。

以前は、海外で病気になって入院しても、奥さんに伝える手段(大体は事後報告)は電話ぐらいだし、心配させるほどの状況にはならなかったが、今はスカイプで毎日話したりできるし、日本にいるのと同じような共感が何となくできるから、心配もしちゃうよね。

それと、もう60歳も間近。歳のせいもあろうかと思う。これから10年のコンサル活動を続けたいしね。健康という課題も真剣に取り組もう。もう若くはないのだから。

協議でよくJICA本部にも行くが、受付で待っていると、結構白髪交じりの老人風のコンサルもたくさんいるね。彼らが一体何歳なのか分からないが、まあ想像だけど60代かな。70代も若干いるように思える。彼らを見習って頑張ろう。そういえば、うちの会社も60代から70代の人が結構いるね。赤門出身の困ったちゃんも多いけどね。



1905:4か月ぶりにプログラム管理計画書をレビュー

午後はクライアント事務所に行き、IDカード申請書作成をした。写真4枚も提出。

これで長期滞在者のIDを作り、ヴィザの延長を行うことになる。あと1年ほどいるわけだからIDを作る利便性は高い。

さて、4か月ぶりに意識して読まなかったプログラム管理の計画文書をじっくり読み返す。4か月前には頭に入らなかった内容がほぼ全部理解できた。

これはいつもするわけではないが、荒業。事情の知らない国の膨大なプログラム管理計画は知らないことが多すぎて、最初からは絶対に理解できないのだ。よそ者には理解しがたい内容が満載なのだ。

この4か月で膨大な文書や各州での聞き取り調査などで、こまごました事柄が色んな角度から少しずつ整理され頭に入っている。そうした段階になって、4か月ぶりにプログラム管理計画書を読むと固有名詞も含めてほぼ把握できる。細かな注釈もOK。

危ない方法論だが、今回は提案したTORに沿って順調に作業が進んでいるので、あえてそうした。まずは成功であった。これまでの業務プロセスは間違っていなかったことが認識できた。具体には書けないけど。

いよいよ来年3月までの第2段階の作業に入ることになる。論理的な筋道を整理して、想定しているある文書の作成を目指そう。なんのこっちゃ読者には分からないけどね。守秘義務。

水衛生セクターでは世界的にも前例のない文書だから、じっくり攻めていきましょう。



2013年11月12日火曜日

1904:雨の首都

昨日は、昼に続き夕飯もコンサルと。

丁度ブラジル研修に同行して出張していた日本のコンサルさんと久々の食事となった。一人の生活が基本だが、偶然にも昼夜会食となった。それ自体はうれしいことだ。

アフリカから日本に研修というのもあるが、実情が違いすぎるので第3国研修も多い。

地方部の治安が悪化しているので、プロジェクトが中止される可能性もあり、ちょっと心配されていた。辺境州だからたぶん中止はないとお伝えした。

食事はホテルの傍のインド料理。1か月ぶりに食べたが、昼をビュッフェで一杯頂いたので、あまりおいしくは感じなかった。風邪のせいもあり食欲はなかったかな。

そのコンサルさんも今日は4時半に空港に向かったはずだ。6時半発というのも結構つらいよね。

さて、比国レイテの台風30号の被害状況がローカルテレビからも報道されている。かなり悲惨だね。邦人も連絡取れずらしい。僕自身はセブやレガスピなどには行っているが、レイテには行っていないから状況が想像しにくい。兎に角情報が乏しい。

CP機関の責任者が韓国から戻ったので、今日初めて協議に入る。とは言え、直ぐにはできない可能性が高い。なぜ韓国?たぶん、首都の上水道関連で韓国勢が係っているので検査などの理由で行ったのだろう。中国、韓国の勢いがすごいね。日本勢はまだまだだ。来年首相がやってくるので、勢いをつけてほしいね。

2013年11月11日月曜日

1903:ローカルコンサルとの昼飯

前回の出張時には、ローカルコンサルのザビエルさんと同室だった。

専門家が個室を与えられるのは普通だが、ここでは職員とローカルコンサルと3人で共有だった。それを良しとするかは専門家次第だが、僕はそれを好機と考えた。

お蔭で、最初の段階からいろんな情報を得たし、執務室に訪れる関係者とすぐに知り合いになった。コンサルの方、ザビエルさんは、アフリカ開銀の案件の工事監理を任されており、以前は政府機関の職員で、僕のいる機関の歴史を誰よりも知っている貴重な方だった。

今日は祭日代休日であったが、彼から電話があり、では一緒に食事でもということになった。僕のいるホテルから歩いて15分のところにあるCホテルで会食とした。

12時から2時間たっぷりと話ができた。一応5星だから、会食のビュッフェも豪華だ。一人4000円ほどか。

組織や職員の話題も出たし、有意義だったね。

もう59歳だからビュッフェのごちそうをたっぷりと頂く容量はないけれど、おいしいものを少しずつがいいね。最後はエスプレッソ・デュプレで閉める。

彼も次は環境省の世銀の案件に参加する予定だという。

また、気が向いたら誘ってねと、言って別れた。こういう方との出会いがあることの幸運に感謝したいものだ。

1902:衛生の定義(その3)

以前、sanitationとhygiene

の違いを主に活動から解説したことがある(本ブログ1336参照)。西語やポ語を使っている人は自然に理解していることも述べた。英語圏の人も両者の違いを理解している人は少ない。

下記に、両者の活動を支える施設・器具を述べる。これで理解して頂けると思う。給水も参考に入れている。

The range of water, hygiene and sanitation services and products to be promoted includes, but is
not limited to:

Water: the water supply service itself, whether managing the pump or transporting it to the closest
storage tanks for remote households: spares, maintenance and repair of the pump, products for
transporting or storing water in jerry cans, barrels, harvesting rainwater, carts that carry jerry
cans, etc.

Hygiene: soap, utensils for washing hands, a place to store dishes and pans, basins for washing
hands, chlorine, water scoops, plastic containers, etc.

Sanitation: different types of latrines, toilets, septic tanks, soak pits, rubbish pits, latrine emptying
services for a group of villages, etc.

以前解説した時に、hygieneはソフトでsanitationはハードと安易に言ってしまったが、極端な言い方だった。hygieneの活動にもハード的な施設(というより器具だね)が要し、エチケットというのも頷けるね。

sanitationには、最終的にトイレの排泄物を定期的にバキューム車で排出する必要が当然あるが、これが途上国、特にアフリカ諸国の田舎ではなかなか難しいのだ。抜本的な改善策は今のところないのが普通であり、この改善方法も今回検討する考えだ。UNICEFが一歩リードしている。



1901:「テツandトモ」に学ぶ

今日のネット記事の抜粋を下記に転記する。

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テツandトモ。

伸び伸びとしていて、芸への自信と真摯さを同時に感じる。今は地方営業が彼らの主戦場なのかもしれない。
 
一方で、精神面では「テツandトモ」に学ぶことがある。いじけない、だ。
 
サービス精神に溢れていた。目の前のお客さんにきっちり向き合うと次につながる可能性が高まることを体験的に知っている人たちだ。
 
その積み重ねによって、地方営業の分野において確固たる地位を得ることができたのだろう。
 
今日の仕事が自分にとって揺るぎない現実であり主戦場なのだ、と腹にすえて働けるか。唯一無二のプロフェッショナルとして安定的に稼げるようになれるか否かの分かれ道だと思う。

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テレビに出ていたころより今の方が稼ぎがいいらしい。コンサルもそうですよ。会社に寄生依存するよりフリーの方がずっと稼ぎがいい。ただし、テツandトモのように、どんなささやかな仕事でもプロの仕事をする覚悟が必要だ。

その積み重ねで安定した受注を維持できるのだ。

1900:ガソリンスタンドのキオスク利用

2011年末から2012年3月まで、パラグアイの首都アスンシオンに4か月ほど滞在した。初めての南米で西語と奮闘したいい思い出だ。

日系人の経営する下町の「内山田ホテル」に長期滞在した。土日となると近隣の商店はほとんど閉まってしまうし、大型スーパーまでは遠いし歩いては昼までも危険だ。

そんな時は、歩いて数分のガソリンスタンドのキオスクが便利。兎に角、土日を過ごすのには問題ないほどのものが売っている。4か月間ずいぶんとお世話になったものだ。

さて、今のホテルの傍にガソリンスタンドがありキオスクも併設しているのは以前から知っていたが、土日用のものは金曜にオフィスの隣の大型モールで買っていたので、そのキオスクには行ったことがなかった。

今回、3連休ということと再渡航していろいろ雑用もあり、土日に必要なものを初めてキオスクに行って買った。なるほど、かなり生活用品はそろっている。ビール、タバコもあり、一番必要な食器洗い用の洗剤もあった。早速購入。

今日も3連休だから、後で行くことになる。

海外途上国は国や場所によってさまざまな環境の違いがあるのは以前から書いているが、幸運に任せて過ごしているのが実情だ。あるものに感謝し、不足はあんまり気にしない方がよろしい。何とかなるものだと楽観する。

キリスト者としての認識でもあるね。劣等生だけれど。

1899:南スーダンよりはマシですが

月曜日。昨日が首都の記念日で今日は代休で政府機関もお休み。こういう経験は別の州都でもあった。

それで3連休となる。

知り合いからメール。彼もモンゴル、南スーダン、そしてこの国にそのうちやってくるとのこと。治安悪化で気を付けて、と書いてあった。まあ、南スーダンと比べれば大違い。南スーダンに行く方から心配されるのも奇異なコメントだ。

彼の会社の新社長もまだ決まらないらしい。まあそうだね。現社長が創立者で主要案件の団長を掛け持ちでこれまでずっとやっていたわけだから、設立して18年で後継者を今頃探すのは無理がある。現社長も今頃になって若手を育成する段取りだが、コンサルが自立できるのには最低15年から20年かかる。素人同然の若手の育成の成果は数年では出ない。残念。経営者としては失格。

設立して18年ぐらいになっていたら、会社として永続させるには今の社員数では無理がある。50代から20代までを含む数十人体制を作り上げないとね。アイシーネットや地球システム科学なんかが組織としてはいい線いっている。従業員の満足感が維持できるかどうかが課題だが。

当然、社長は経営に専念し、団長とか個々の案件には係らないのが当たり前。大体、企業というのは何が起こらないか分からないから、社長はここの事案の責任者になってはいけないのが常識。

会社経営なんて興味なしの自分だが、組織の有り様というのは興味津々だ。

2013年11月10日日曜日

1898:比国台風の被害

比国のABS-CBNテレビのネット情報を下記に転記する。日本のニュースでは詳細が分からない。

100人が、1000人、そして今日は1万人の死亡者と報告されている。過去に例のない台風被害だ。高波発生による被害が大きい。別のビデオを見たが、悲惨な状況が分かる。

適宜、フォローする。

'Yolanda' kills at least 10,000, official says

Posted at 11/10/2013 9:55 AM | Updated as of 11/10/2013 10:40 AM
A view of destroyed houses after super Typhoon Haiyan battered Tacloban city in central Philippines. Photo by Erik De Castro, Reuters.

TACLOBAN, Philippines - (UPDATE 2) One of the most powerful storms ever recorded killed at least 10,000 people in the central Philippines province of Leyte, a senior police official said on Sunday, with coastal towns and the regional capital devastated by huge waves.
Super typhoon Haiyan destroyed about 70 to 80 percent of the area in its path as it tore through the province on Friday, said chief superintendent Elmer Soria, a regional police director.
Most of the deaths appear to have been caused by surging sea water strewn with debris that many described as similar to a tsunami, which levelled houses and drowned hundreds of people.
The national government and disaster agency have not confirmed the latest estimate of deaths, a sharp increase from initial estimates on Saturday of at least 1,000 killed.
"We had a meeting last night with the governor and the other officials. The governor said, based on their estimate, 10,000 died," Soria told Reuters. "The devastation is so big."
Haiyan, a category 5 typhoon that churned through the Philippine archipelago in a straight line from east to west, packing wind gusts of around 275 kph (170 mph), weakened significantly before hitting northern Vietnam on Sunday.
Leyte province's capital of Tacloban, with a population of 220,000, bore the brunt of Haiyan, which was possibly the strongest storm ever to make landfall.
The city and nearby villages as far as one kilometer from shore were flooded by the storm surge, leaving floating bodies and roads choked with debris from fallen trees, tangled power lines and flattened homes. TV footage showed children clinging to rooftops for their lives.
"From a helicopter, you can see the extent of devastation. From the shore and moving a kilometer inland, there are no structures standing. It was like a tsunami," said Interior Secretary Manuel Roxas, who had been in Tacloban since before the typhoon struck the city, about 580 km (360 miles) southeast of Manila.
"I don't know how to describe what I saw. It's horrific."
City officials said they were struggling to retrieve bodies and send relief supplies to survivors. They also reported widespread looting as authorities struggled to restore order and repair shattered communications.
"There is looting in the malls and large supermarkets. They are taking everything even appliances like TV sets, these will be traded later on for food," said Tecson John Lim, the Tacloban city administrator.
"We don't have enough manpower. We have 2,000 employees but only about 100 are reporting for work. Everyone is attending to their families."
Lim said city officials had so far only collected 300-400 bodies, but believed the death toll in the city alone could be 10,000.
"The dead are on the streets, they are in their houses, they are under the debris, they are everywhere," he said.
International aid agencies said relief efforts in the Philippines are stretched thin after a 7.2 magnitude quake in central Bohol province last month and displacement caused by a conflict with Muslim rebels in southern Zamboanga province.
The World Food Programme said it was airlifting 40 tonnes of high energy biscuits, enough to feed 120,000 people for a day, as well as emergency supplies and telecommunications equipment.
Tacloban city airport was all but destroyed as seawaters swept through the city, shattering the glass of the airport tower, leveling the terminal and overturning nearby vehicles.
Airport manager Efren Nagrama, 47, said water levels rose up to four meters (13 feet).
"It was like a tsunami. We escaped through the windows and I held on to a pole for about an hour as rain, seawater and wind swept through the airport," he said. "Some of my staff survived by clinging to trees. I prayed hard all throughout until the water subsided."
(Reporting by Manuel Mogato; Additional reporting by Rosemarie Francisco; Editing by Stuart Grudgings and Nick Macfie)

1897:日曜日、曇りの朝

ルーティーンどおりに6時過ぎに起床。土日も同じスケジュールで起きる。7時の朝ごはんは若干準備が遅れている。

8時前。デルタコーヒーの2杯目を部屋で頂く。

奥さんはお友達と筑波山。今頃は麓でBBQを楽しんでいるようだ。筑波山の山頂は濃霧。だけど、紅葉はかなり進んでいる様子が送られた写真で分かる。秋から冬だね。

今日の奥さんのタイムマシンハガキは、「コスモス」の絵柄。さりげない花だけれど、宇宙的な花だ。メキシコが原産だとのこと。

今回の再渡航では、前回まで5年使ってきた37リットルのエディー・バウアーのデイパックは修理後、家に残した。新しく購入した、イギリス陸軍が採用しているカリモール社45リットルを代りに持ってきた。両側には12.5リットルの補助バックが2個ついている。もちろん取り外しOK。合計で70リットル。非常事態が起きても対応可能だ。無いと思うけど。

残したものを今日奥さんが筑波山散策に使っている。奥さんの常用はカリモール社の小さなもの(女性・子供用)だから、今回は僕ので、ずいぶん詰め込めたようだ。あんまり詰め込むと重たいよ、と助言。10キロぐらいで壊れてしまうのは実証済みだ。

丁度8時。

日曜の作業でも始めますか。海外の調査では、朝夕のオーバータイム作業や土日の作業は当たり前だ。それをしないといい報告書はできない。一人調査団だしね。好きな仕事だから何の苦労もない。むしろ楽しんでいる。いい報酬も頂いているしね。

59歳でこんないい仕事ができるなんてコンサルとしては最高だ。



2013年11月9日土曜日

1896:荷解き後の整理

早いもので再渡航日から1週間が経った。最初の1か月はものすごく速く感じるのだ。

今回は地方への移動がないので、最後までこの部屋(211号室)が第2のオフィスになる。生活の場だが、仕事場でもある。

食品類、薬、衣類などを整理した。トランクもほぼ空っぽにして、外出時のアタッシュケースを入れるスペースを作る。もうこのホテルの従業員らとは知り合いになっているし、ホテルの安全はある程度信頼しているが、だからと言って、大事な貴重品をそのまま不用心に置いていくことはしない。2重3重の防護体制を維持する。カギのかかった大型トランクを盗む輩はいない。

パソコン用USB対応の外付けスピーカーも買え変えた。同じLOGICOOL製。コンパクトだが音はいい。

作業机は、通常なら1m2ほどあれば機能する。携帯プリンターを置けるスペースを入れてもだ。コンサルは頭脳労働者だから、こんなもんでいいから助かる。

今日はホテルのWIFIは停止中だ。3GのUSBで対応している。値段がちょっと上がって、1か月で3Gバイトまで有効。接続時間に関係ないところがいいね。これで20ドル。安いもんだ。

お馴染みのうちの奥さんからのタイムマシン型週刊お葉書も大量だ。クリスマスなど対応の厚みのある封筒もあるね。こういう奥さんの心遣いは感謝ものだね。なかなかいないと思う。

うちの愚妻がさあ、なんて言っているようじゃ、男の価値は低い。なんてね。

1895:「半沢直樹」第2部を見た

金曜、午後9時。

昨日今日で、「半沢直樹」の第2部5話全部を見た。

原作2作とは内容が若干違うとのことだが、原作がいいので、何とか2部も見続けられた。第2部はちょっと先が読めてしまったが、それは仕方のないこと。

最後は、やはり出向という筋書きか。続編を意識してのことだろう。ただ、続編には原作がないのでいい作品になるには、いい脚本が必要だね。結構、難しいと思う(あとで調べると、ロスジェネの逆襲という3作目があるそうだ。)

ネットでテレビが見られることが分かったので、今度は再渡航後の「ドクターX」も見てみよう。確か、第1回から第4回ぐらいしか見られなかったので、先が見られなくてがっかりしていたのだ。

「半沢直樹」がリアルタイムでやっていた時や終わってからの評判の場面も聞いてはいたが、言われている印象的な場面も実際見たが、なるほどとは思わなかったね。

何気ない場面で面白かったのは、

常務の大和田が、自宅で小津安二郎の「東京物語」のビデオを居間で見ているシーンかな。

さて、半沢が、子会社の証券会社に出向することになるが、その会社については前段で大和田がさりげなく言っていたね。頭取の辞令がその会社だったのはどういう意味があるのか。

ドラマは脚本が命だから、脚本家の真骨頂が期待される。

それにしても、日本人は帰属意識が強いね。会社に残れるとか出向から戻れるとか、そんなに大したことないのにね。結局、給与の違いが大きいからか。

T電の40代、50代の知り合いたちも今頃はどうしていることでしょうね??彼らのほとんどは小心者で勇気というものを全く持ちえない人たちだったね。

ご愁傷様。

2013年11月8日金曜日

1894:中国製ラーメンの味

昨日ひとつ食べました。うまかった。

香菜の強いかおりと辛い味噌が凄くマッチした、中国独特のラーメンです。他のも似てると思う。広東はちょっと違うかな。東南アジアでもよくでてくる味ですね。

今回日本から持って行ったのは麺の良さを強調したものだから、スープとしては薄いかな。麺は普通のあげた麺がインスタントラーメンにはいいかもしれない。CMでは強調されているけど、やはり生麺には遠く及ばないと感じました。

海外の場合は野菜とか追加でいれることが難しいので、スープの良さが期待されるかも。いい勉強になったし、こちらでは中国製が何十年分もあるので助かります。

経験してみないと分かんないものだねえ。

香菜の香りと辛い四川味噌の味は、日本ではあまり受けないかもしれない。

淡泊な薄味を好む日本人と香辛辣味のエネルギッシュな味を好む中国人のアフリカでの活躍状況をラーメンの味が比喩的に示してくれるね。

1893:中国製インスタントラーメンの数々

お昼は、歩いて5分の中華屋へ。

食事後に、1階のスーパーに行き、ラーメンの市場調査。

前回渡航時にも確認していたが、今回は詳しく見た。中国人も多いし、何しろ沿岸の港町でもある首都だから、品数がすごいし、カップめんも大量にある。

日本製との味比べができるほどだ。前回の隣国の時もおいしくいただいた思い出がある。その時のものとはまた違う会社のものだ。

中国語の漢字は日本の漢字と表記が違うので、理解しがたいので、下記に買った9個の写真を載せましょう。これでうちの奥さんもちょっとは雰囲気伝わるね。


と、こんな感じのインスタントラーメン群です。

牛肉というのが多いね。まずは左中段の何とか肉面から頂きます。

僕の持ってきた日本のラーメンは、味が薄いからバランスとれるね。

味の方はまた今度書く。

2013年11月7日木曜日

1892:遅ればせながら、見ちゃいました

夜11時。そろそろ寝る時間だ。

昨日今日とに分けて、例の「半沢直樹」をネットで5話まで見た。

途中時々途切れるがまあ大した障害ではない。アフリカのWIFIも早くなったね。

さて、内容の感想。

リアルタイムで放送されていた時は、ちょうど当地に出張中で、ネットでも大騒ぎ。ひねくれ物の小生はあまり関心はなかったし、帰国してもわざわざネットで見ることもなかった。

世間が落ち着いてきたので、当地で見ることにした。

まず脚本。原作の出来が頗るいいんでしょうね。キャスティングもまあまあだ。

要するに、といういい方はおバカないい方だが、

1.親の仇を討つ時代劇(剣道での剣術も入れている)
2.私立探偵の犯罪もの(国税庁を小ばかにしているね)
3.銀行組織の社会ドラマ(まさしく組織中の組織である銀行)

の要素を混じ合わせて、さらに回を重ねるごとに主人公を出世させ、事件を大きくしているのが、漫画の「課長島耕作」や「サラリーマン金太郎」的だね。

次回を見たいという欲求には答えられているね。

まだ、5話だから、まだ数回あるので、また明日から見てみよう。

僕は、「ドクターX」のファンだから、そっちも見てみたいところだ。

「わたし、失敗しないので」という文句は最高だね。専門家としてのコンサル業にも相通じるところがある。医者や弁護士には、遠く年収は及ばないけどね。

組織のサラリーマンの悲哀はあんまり好きじゃないんですね、実際。組織に執着しないフリーランサーなんで。

2013年11月6日水曜日

1891:昼休み

今日も快晴で気温はかなり上がっている感じ。

オフィスも冷房が入っているが、気温は30.6度。それでもひやっと感じるから外は数度高い。

午前は、ポ語版の報告書の最終化。非常に優秀な翻訳者で翻訳自体何の問題もないが、書式がかなり崩れてしまったし、ちょっとしたミスもあり、最終的にチェック、修正を施し、昼前に完成させた。

昼休みにモールで軽いショッピング。ホテルでの作業の補助的スナックなど。ラーメン用の卵もあるが、生ものはできるだけ買わないようにしている。

昨日の夜は、不注意で蚊に刺された。部屋に撒くスプレーはしたが、アフリカの蚊にはあんまり効かないようで、朝方数か所刺された痕を発見。早速、オフィスに置いておいた体に吹き付ける蚊防止用のスプレーをホテルに持って帰る。ちょっと気が緩んでいるね。

さてと、作業開始だが、協議は来週まで待たないといけない。お話相手が海外出張中。

雑用でも片付けておこう。

1890:Katy Perryって知らなかった

当地に来て2作目の映画。

Katy Perry: Part of Me

兎に角、まだBBCが見られないのでつまらない。

何気にTVC1を見たら、音楽番組かと思っていたら、歌手のドキュメンタリー映画。

いま世界で大人気のアメリカの歌手らしい。知らなかったねえ。うちの長女に聞いたら知っているかも。

もうミュージックシーンには疎くなったか。

この映画も世界中でリリースされたが、日本での公開はないそうだ。

結構歌がうまい。客席の女の子たちが一緒に歌っているのは凄いね。

見た目の印象は、お人形さん的だけれど、歌唱力は抜群にすごい。

結局、最後まで見てしまった。

さて次はと期待したが、フランス映画でポ語の翻訳だから、見ないでパス。



2013年11月5日火曜日

1889:ホテルに戻る

夏ですねえ、南部アフリカは。気温は30.5度。

ちょっと汗ばむくらいが作業的にも丁度いいね。夏大好き人間。

お昼に、USBタイプの3Gを更新。1か月で3Gバイト。

ホテルに戻るとWIFIが復帰。こういうことあるね。まあ2つの方式があること自体はいい。

オフィスも明日からWIFIが設置されるとのことで、LANは無線へと変わる(はず)。いろんな国の政府機関で無線LANへと移行しているが、去年のトルコのAFAD事務所以来の改善である。アフリカでも当たり前のようにIT技術は進んでいる。

今日のテーマは、文書管理と報告書の配布の状況のチェック。以前からの課題だったが、本格的に調査に入る。

まずは、我が国の案件から。通常、プロジェクトが終われば、完了報告書が作成され、英文あるいはポ語など東京から相手国のCP機関に送付される。その後の配布は中央政府機関の判断に委ねられる。

具体には、2年前にある州で実施され終了した案件の完了報告書を探す。中央政府機関では、発見できなかった。さて、実施州政府事務所では、と関係者に電話したが、州政府事務所の担当は、見たことがないという。

これが実態なんですね。僕自身は、その案件の和文の完了報告書を見ているが、同じ内容でポ語で書かれていれば、プロジェクト完了後、その実施州の技術移転に大きく貢献する内容と判断している。

まだもう少し調査する考えだが、たぶんポ語の完了報告書は正式に事務所に登録はされていないのではないかと危惧している。

文書管理の徹底は、隣国での業務でも痛切に感じていたが、ここでも同じ状況なのだ。

プログラム管理上、まずしなければならないのが、文書管理。

政策や戦略など上位のことを支援しても意味がない。まずは、基本中の基本の文書管理支援を進めていかないといけないね。

1888:シンガポール航空のクレーム対応の素晴らしさ

業務開始して2日目。

汗ばむほどの快晴である。

5時過ぎに起きて、シャワーを浴びて、ロビーでネット対応。まだ部屋でのWIFI接続は不調である。

シンガポール航空から先日のクレーム対応のメールが届いた。対応能力が頗る良い。感心したのでここに転記する。

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X Y 様

平素より格別のお引き立てを賜りまして、誠にありがとうございます。

また、この度もビジネスクラスにてヨハネスブルグ往復をご予約、ご搭乗賜りまし
てどうもありがとうございます。

下記、X Y 様からのフィードバックを拝読致しました。
成田-シンガポール間での乗務員の接客で大変なご迷惑をお掛けいたしまして、
誠に申し訳ございませんでした。深くお詫びを申し上げます。

ご指摘いただきました乗務員の個々のサービスがどうであったかの以前に、頂きま
した全てのコメントを本社客室乗務員部署長に報告させていただきます。

小さい事が重なった、とX X 様は仰って頂いておりますが、'scotch with ice and water' とご丁寧に仰って頂いておりますのに、氷が入っていない、又、ご一緒にスナックをお申し出頂いたにも関わらず、スナックはなく、後でサテーをサービスします、とはビジネスクラスの対応ではございません。仰いますとおり、スナックも搭載致しております。又、そのサテーのサービスのし忘れ等、言語道断でございます。

暖かいおもてなしをモットーと致します、弊社のサービスの理念と離れる対応でございました。名前を頂戴しました当該職員には然るべき者からカウンセリングを受けさせ、再教育を徹底させていただきたく存じます。日本支社名で抗議とサービスの向上を強く要請いたします。

今回の事例を基に、同様の接客態度でお客様にご迷惑をお掛けしないよう全力で事
にあたらせていただきます。

X X 様には大変なご迷惑をお掛けいたしましたこと、深くお詫びを申し上げ、今後多くのお客様に喜んでいただけるようサービスの質の向上に向け努力を続けさせていただきますので、何卒ご寛容頂きますよう、心よりお願い申し上げます。

貴重なお時間を頂戴し、Eメールを頂きまして大変ありがとうございました。どうぞ、またのご利用を心よりお待ち申し上げております。

シンガポール航空
旅客サービス部

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人為災害のリスク管理専門家でもあるので、現場の問題をどう中央にフィードバックするかは重要ですね。SQの本社の改善に期待しましょう。

2013年11月4日月曜日

1887:シンガポール航空のミス

首都の朝。気温は25,6度だが、汗ばむ。曇り。

1か月ちょっとぶりに定宿で朝飯。

果物を食べた後、コーンフレークを食べる。食べ始めてゴキちゃんの子供が数匹入っている。コーンフレークを重力式で出す容器に入っていたようだ。ウェイターが気付いたのでさりげなく注意。それでおしまい。ホテル側に正式にクレームしたら、当然誰かが首になる。だから正式なクレームはしない。アフリカだしね。容認しますよ。

さて、主題。

SQは僕の大好きなキャリアであり、何年も続けて最高のサービスに満足している。アフリカのヨハネスまではSQで決まり。

特に、前菜に出される、サテ(特にカンビン)をお代わりするぐらいエンジョイしている。

成田を飛び立って、飲み物、前菜、主食へと続くが、まず飲み物でミス。

スコッチの水割りに氷が入っていない。ご親切にも、「スコッチに水と氷」と頼んでいたのだが。氷なしを伝えてやっと入れてもらう。

ミックス・ナッツを頼むと、すぐにサテがでるので無いという。実際には大量にある。

当然、サテが運ばれる段取りだが、出てこない。スキップしたようだ。

これで、正式にクレームする段階になった。

シニア・キャビンアテンダントを呼んで、事情を説明。ミスした関係者すべての名前のリストの提出を要請。

この段階になると、さすがに関係者全員が詫びに来る。もう手遅れ。

誰にもミスはある。しかし、3回も連続しての発生は、世界最高水準のサービスを提供すると自認するSQには有ってはいけないことと判断。会社全体の問題となり得る。問題点を会社としてフィードバックしないといけない。

A380の2階席は巨大なビジネスクラスだ。ジャンボと違ってビジネスクラスへの対応が限られたCAでは大変なんだろう。事情は分かる。しかしねえ。

シンガポールに到着して、すぐにSQ本社に正式に報告した。

シンガポールからヨハネスまでは夜行便なのでサテはでないが、サービスで提供すると言われたが、丁重にお断りした。

昨今は、最高のサービスを提供する企業の杜撰な行為が目立つ。ホテルとかね。

コンサルにも当てはまる。国交省の優秀な参事官さんに当たり前のことで怒られていて怯えていたコンサル各社も参事官さんの交代で今はほっとしているようだが、猛省して技術力を上げないといけないね。

サービス業の本来あるべき姿を忘れてはいけない。お金を頂いているのだから。

1886:ホテルで爆睡

午後何時ぐらいだったろうか。やはり疲れが出たせいか、ベッドに入って寝入ってしまった。起きたら、夜の10時過ぎ。6時間ほど寝てしまったようだ。

パソコンを見ると、WIFIがつながっている。このホテルの第9番アクセスポイント。さすがに速度は遅いがこれで一つつながったようだ。

まずは安心。USB接続の3Gを追加すれば何とかなるだろう。オフィスはOKだし。

このホテルの事情に慣れるしかない。常につながっていないと心配というのはもう辞めよう。

寝る前に、3年ぶりに海外でのラーメンポットを使ってインスタントラーメンを頂いた。今回は、

ラ王

正麺

など新製品を持ってきた。それと中に入れる乾燥野菜。4か月間はもたないが、60食以上ある。中国系や大型スーパーでもインドミーや中国・シンガポール製のインスタントラーメンもあるし、何とかなるだろう。三洋のラーメンポットも今は生産中止で、小さな会社しか作っていないようだね。

今は午後11時半。これから寝られるか分からないが、明日は朝9時にクライアントに表敬予定。それからドルを換金し、執務室に向かう。

今現在の室内の気温は、26.4度。冷房なしで丁度いい。蚊もいないね。

BBCが見られないので、ちょっとがっかり。明日レセプションで聞いてみよう。

ポルトガルのTVC1で面白そうな映画が始まった。アメリカが北朝鮮に攻められるやつかな?

Red Dawn


また映画三昧も始まった。

2013年11月3日日曜日

1885:ホテルに安着

ヨハネスにはシンガポールから10時間余り。最初の半分で爆睡。おかげで時差ボケもなしに、ヨハネスに到着。時間がなかったので、ブログは、今南部アフリカの赴任先で書いている。

部屋のWIFIが不調なのでロビーで書いている。奥さんとのスカイプもまだ先だ。

ヨハネスからの南ア航空便で混乱があり、搭乗に時間がかかった。幸い乗れたが。荷物も無事に届く。

11月に入って大分夏らしくなった。暑い。日曜だから作業は明日から。まずは荷ほどき。前回国内出張があり11回ホテルで荷解きしたので大分慣れた。

あとはWIFIの受信状況次第で部屋を変えることになる。

ヨハネスでのトランジットは前回と違って到着便があまりなかったせいか、順調。ただし、この国の空港では、ドバイからの便と重なり、入管など時間がかかった。相変わらず中国人が多いね。

また、4か月ほどの作業が開始される。ブログも活動開始だ。日本に居るとあまり書くチャンスも減るから、外地で挽回だ。

乞うご期待。

2013年11月2日土曜日

1884:シンガポールに安着

今日は4時半に起きて、6時過ぎのリムジンに奥さんと一緒に乗り成田に。

結構混んでいる。連休のせいか。

7時間でシンガポールに到着。ラウンジにてネット接続。SQのラウンジはいつもながら快適である。ここであと6時間以上待つことになる。

お酒の飲みすぎか、ちょっと二日酔い気味だ。

コーラを飲んで酔いを冷ます。

A380の機内でちょっとしたトラブル発生。詳細はまた書こう。SQらしくないサービスの劣化。問題分析結果は、後でSQ本社に出してみよう。機内ではチーフパーサーから丁重に謝られたが、それで済むわけにはいかない問題だ。関係者はかなりビビッている。致命的なキャビンアテンダントのミスだから。

最近は機内持ち込み手荷物も2個となったね。1個余分に預けたが無事にアフリカに届いてほしいものだ。ちょっと心配。

さてと、何か食べるものでもいただこうか。



2013年11月1日金曜日

1883:明日成田へ

いよいよ南部アフリカへの再渡航は明日。

A380に乗るため午前のシンガポール航空にした。4時半起床となる。こういうのは比律賓行きのケース以来だ。

幸い、自宅から車で10分のところに成田行きリムジンの発着所があり、便利になった。

荷物のパッキングは夕食後になる。

渡航先もテロやデモなどが発生しており、現地からかなりの情報が来ている。普段から慎重だから特段警戒はしていないが、用心に越したことはない。

クリスマスや年末年始はパラグアイ以来の現地となる。

さて、午後の協議の準備に入ろう。