2009年7月31日金曜日

337:蟹工船

公に発表されているコンサルタント会社の年収を比較すると唖然とする。

残業あり土日出社あり、しかし残業代なし、パワハラありの過酷な状況も各方面から聞いている。国内も下請けさんをいじめているからだんだん離れて行くので若手社員の負荷が大変らしい。

下記が大雑把な年収比較である。

中小コンサル会社:平均年収600万円(+-数10万)
大手コンサル会社:平均年収800万円(+-数10万)

大手と中小では200万円の差がある。この差は大きい。平均年齢の42,3歳では子供の教育費もばかにできない。一人っ子ならいいが2、3人もいると大変だ。海外手当をため込んでも精々年間100万ぐらいか。

一方、大手ゼネコンはどうかというと、

平均年収は900万円(+-数10万)となる。何とか生活できるレベルか。

大雑把に言って、40歳過ぎて20年以上の経験を有する専門家であれば、平均8カ月は稼働できそれに対する報酬が頂ける。月250万ほどの報酬であれば年間では2,000万円ほどになろうか。12カ月現地で働けば3,000万円に達する。

しかし、年収は精々800万円。稼ぎの2分の1以下から4分の1強程度である。

昔、歯に衣着せぬ大先輩がこれでは売春婦より実入りが悪いとこぼしていたが、状況は今でも変わらない。

せめてゼネコンさん程度の年収が確保されなければ魅力のない業界になってしまうかもしれない。仕事が面白くてしょうがないという時代もあって、自分自身年収の低さに何の劣等感も違和感も感じなかったが、今は昔の価値観かもしれない。実際奥さんができた人で、「こんなんじゃ生活できません。」と愚痴は言わなかったので助かった。

賢い方はできのいい奥さんを見つけてダブルインカムをしているらしいし、できのいい若手はさっさと転職して実入りのいい企業に転職しているらしい。

20年以上の海外経験はコンサルとして立派なCVである。輝かしい経験と知見で再出発するのもいい選択肢かもしれない。ただし実力がなければ地獄である。

残る地獄と去る地獄。

蟹工船からの脱出は難しい判断である。船がタイタニックだと尚更だ。

336:Facebookという媒体

Skypeは2年ほど前から使い始めている。中央アジアに05年に調査した際長年の友人が使っていて日本にいる奥様と電話連絡していた。

なるほど。便利だし安い、しかもSkype同士なら何時間しゃべってもタダである。世界で900万ぐらいは利用しているか。最近は経営の悪化したコンサル会社も導入し国際電話コストの削減を図っているらしい。

笑っちゃうのは、会社でみんなが利用する姿だ。電話局のオペレーターのようにヘッドフォンをつけてやっているのであろう。コンサルが電話局のオペレーターでは不似合いだ。

さて、そのSkypeも便利だがプリペードや電話回線では不自由であろう。やはり無線LANやイントラLANでないと遣りづらい。小生もサウジでは使ったが今は携帯で連絡している。普段はメールだ。

最近はFacebookが流行し、試しに参加した。どこからともなく知り合いの紹介が出てくる。どんなシステムで知り合いなのか分からなかったが徐々に謎が解けてきた。

要するに、メルアドを検索して知り合いを探すシステムが備わっている。なるほど。

知り合いからのお誘いに従順に従ってお友達になった。こちらもアドレスファイルをアップロードして検索すると結構知り合いがFacebookに参加していることが分かった。

特に多いのが、フィリピン、中央アジア、トルコなどで日本人の参加はまだない。世銀や国際機関の職員も利用していることが分かる。

これだけお友達関係が増殖するとプライバシーも危うい。諜報機関の絶好のターゲットにもなり得る。イランではかなり問題化していると聞く。

自分の交友関係があからさまになるので注意が必要かもしれない。単なる友達ならいいが、仕事がらみではちょっと気をつけたいところである。

ただし、人探しには便利かもしれないし、ある意味コンサルの情報収集活動には絶好の道具になり得る。どうするかは言えないが。

2009年7月30日木曜日

335:ブログタイトルの変更

昨年11月から思いつきで始めたブルグだが、これまで2回ほどタイトルを変えている。

IWRM(統合的水資源管理)からWRM(水資源管理)へと主題を変えている。これまで書いてきてどうも水資源管理は道具であるし目的ではないのでテーマとして向かっていくこともない。

ここで02年ヨハネスブルグのWSSDの原点に戻り究極の目標に向かっていこうと思う。水だけでは片手落ちであるし、面白くない。IWRMという言葉もこの7年で錆ついてきた。

実際、持続的開発とその政策論自体も、下記の地球環境の諸問題という括りでは多くのテーマの一部だ。

Agriculture
Air pollution
Biodiversity
Biotechnology
Chemicals
Climate change
Environment and Health
Environmental Information Services
Environmental Technologies
Forest
Land use
Marine ecosystems
Natural Hazards
Noise
Risk assessment
Soil
Sustainable Production and Consumption
Sustainable Development and Policy Assessment
Sustainable Mobility
Urban Environment
Waste
Water

そのうちまたタイトルが変わるかもしれないが、まずはSustainable Developmentに向かってコンサルの立場でどう取り組んでいくか考えてみる。

当然、くだらない英語雑学、映画や音楽から見える社会的諸相、日常のコンサル生活の思いも書いていこうかなと思う。80歳まで続けるには水資源管理では続かない。

334:442とMIS

今でも水文屋の端くれだから数値解析は得意な方である。寧ろ好きだ。また、水資源にはいろいろ略語があって、MISと言えば、

Management Information System

と理解する。

しかし、日系人に対する思い入れがなぜか異常に強い小生にとっては、

442という数字を見れば、勇敢なアメリカ日系人の第442連隊を思い出すし、

MISを見れば、

同じく戦中戦後のCIAの前身であるMilitary Intelligence Service

を想起してしまう。

第442連隊の勇猛さと貢献は戦後直ぐアメリカで評価されたが、MISで静かに活躍された日系人は70年代まで表に出ることはなかった。「二つの祖国」という小説はMISに従軍した帰米2世(日本で教育を受けた日系人のこと)の悲劇を描いている。

MISは主に諜報活動を主体とするので部隊には属さない。戦後の日本での活動も秘密事項だ。彼らのお陰で太平洋戦争の終焉が2年早まったと言われている。

コンサルタントは良く「暗躍」とか表現される。ゼネコンや官の方々と違ってあまり表に出ることがない。久保田豊さんぐらいになると有名だが、その後輩たちでもその活躍に比べると世間には殆ど知られていない。不正とか悪いことが発覚すると建設コンサルタント暗躍とマスコミに登場するぐらいか。プロジェクトXでもわずかな事例しか扱われなかった。PCIと片平だけか。(蛇足だが、今は無きPCIも比国だとpacific commercial internationalと同じ略称だから、元PCIの方もそれを見ると考え深いだろうね。会社が無くなるのはさみしいものであるから。)

第442連隊のモットーは、「Go for broke」でありハワイのピジン英語から戦後の映画化で一般的な用語となった。そういう勇敢さはコンサルも必要とするが、情報を集め、きめ細かい分析と調整が重要でもある。

自分自身、go for broke的な局面も多く経験があるが、やはり情報の収集と分析・意思決定支援・提言という側面が重要だと思う。体育系と文化系の違いか。営業屋は無知だから行け行けどんどんだけだ(失礼)。

人知れず末席でいい仕事をしているという「実感」を味わうこともいいことなのだ。

442とMIS

あなたはどちらの人生を選びますか?勿論、第3の道もあるけど。政治家はやっぱ442なんだろうね。

2009年7月29日水曜日

333:I trust you

昨日あたり一仕事が終わり、第1段階終了である。

守秘義務があるので書けないが、まずはほっとしている。

本省の事務次官とはアポなしでも会ってしまうので、

今回の件で、「公式文書のサインありがとうございます。」、と伝えると

I trust you.

と一言言って事務次官室に消えた。協議しなくても暗黙のうちに了解していただき感謝である。偉い方はめちゃくちゃ多忙であり、無駄口は控えている。

任せるよ!!と言って頂ければ、それでいい。トップに立たれる方は流石だよね。

局長は3人いるが性格はそれずれ違うので、適宜案件ごとに協議対象者を選んでいる。3人でも対応できない場合は事務次官さんに直接相談する。日本だったらいけないのだろうが、超トップダウンの国ではしょうがない。局長には一切根回ししない場合もある。

3人の局長の比較(前にも書いたが)

1.町内会の会長さん(ボーっとしているようで、要所要所いい判断する)
2.切れ者の社長さん(省内1の弁舌と理論家だが、話が長く聞く耳がないかも、判断力不明)
3.神経質な番頭さん(意思決定能力ないかなー、不可解な言い回し多用、良く分からない)

4人目もいるが、関係ないので会わない。

この国では局長が事務次官になることはなさそうだ。政治的な判断でよその省から横滑りがある。従って局長はそれ以上はあり得ない。従って60歳を超えている場合もある。彼らは年齢不詳なので一体何歳なのか調べないと分からない。20年前の公式文書でもサイナーだったりしているの20年もトップやってるかいな、とビックリ。

日本社会では、頼りにしてるよ、君に任せた!、と言うこともなかったし、言われたこともない。だから海外なのかもしれない。

2009年7月28日火曜日

332:結婚24年目

24年前の今日は結婚式であった。

四ツ谷のバブルスバブルで会ってから3年目になるか。

もう27年のお付き合いである。あっという間でもあるし、長いとも言える。何しろ平均半年は海外単身赴任であるし船乗りと同じ環境である。

子供の成長も半分しか見ていなことになる。これから恩返しである。といって海外勤務が無くなるわけではないのでどうしようか。

長男が生まれ3カ月でユーゴスラビアに旅したことがある。スイスの空港ではシスターに引率された団体がいて声をかけた。バチカンか聖地巡礼のどちらかだったか。

あなたたちはどこに行くの?と聞かれて、

メジョゴリア、と答えてもそれどこですか?と聞かれたので、ユーゴスラビアでマリア様がご出現したところです、と答えた。まだ日本では知られていなかった。今でもそうかもしれない。

旧ユーゴも内戦などあり、各国に分断。メジョゴリアはクロアチアであろうか。最初の入国はサラエボかな、そこからスプリットまで国内線で飛び、そこからはレンタカー。モスタールという町で一泊。モスタールのローマ時代からの橋も破壊されたと聞く。モスタールからは車で1時間ほどか。メジョゴリアの教会にご出現のしるしなどが保存してあった。

その時、長男は3カ月の幼児だったけど良く行ったなーと今でも感心する。帰りにベオグラードだったか、パンパースを空港職員に盗まれた。あれもどこかの赤ちゃんに使われたんだろうね。空港で食べたビーフステーキは天下一品だった。

あれからもう23年。子供も3人になり家も手狭だ。家族全員で海外に行ったのが97年だし、もう12年も行っていない。

来年は結婚25年。ちょっと暇を見つけて海外旅行でもしてみるか。仕事べったりの四半世紀だったのだ。仕事と生活のバランス。コンサルタントの難しい調整である。

330:pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis

なにそれ?って言われそうだが、ちゃんと意味がある。塵肺病を意味する。

pneumono(肺)
ultra(超)
micro(微細な)
scopic(見る)
silico(石英)
volcano(火山)
coni(ほこり)
osis(病気の状態)

縮めると、coniosisだったかな、あんまり長いんで。

何を言いたいかというと、英語でラテン語やフランス語から派生した単語は覚えやすいということである。寧ろ、大和言葉的な表現の方がよっぽど覚えにくい。

英語で最も長い単語はなに、の答えはなぞなぞではsmilesで最初から最後まで1マイルあるから、というのがポピュラーだが、本当に長い単語を知っているネイティブは多分かなり少ない。別に知らなくてもいいけど、知っているとヘエ―と感心される。

しかしもっとためになるのはラテン系の言葉の方が覚えやすいということである。専門用語ほど簡単である。この長い単語も高校生ぐらいの時に百万人の英語だったっけ、それで教わり記憶しているぐらいだから。頭の記憶力が論理よりまさっているころに徹底的に暗記というのもいいかもしれない。

今は論理性が勝っているので暗記的な覚え方が難しい。

What did the autopcy reveal as a cause of death?

という言い方も確か「燃えよドラゴン」のセリフであってそのまま記憶の中にある。全体が一つの単語のような感覚で。一方、英会話で子供でも言えるようで、でも理屈じゃ覚えられない日常会話は、70年代のセサミストリートとか映画のシナリオを読んだりして感覚的なセンスを身に付けた経験がある。

シルダリアの調査のことを思い出すと腹立たしくなるので少し忘れよう。あまり書きすぎて「恫喝」されると怖いので。

2009年7月25日土曜日

325:市場の動きってすごい

昔話だが、終戦直前のある新聞に闇市関連の広告があって、終戦後の事業拡大を予想して闇市場が大きく動いていたとか。目敏い商人の感覚だろうか。戦前戦後の軍需品の取引で大儲けした人もいたんだなと感心したのを覚えている。

さて、政権交代がほぼ決まりそうだ。政治には関心がないが市場の動向には実直な商人の一人として注目している。

公共事業の更なる削減が予想され建設業は大変だ。国内コンサルの知人からもメールを頂くが厳しい状況と今後を示唆されていた。なるほど、国内コンサルも大変なんだ。大手建設会社の合併のうわさも聞いた。一方の会社の知り合いにメールを出したが返事無しだ。これはどうも??

一方、ODAはどうだろうか?

少しは上向きになるか変わらずであろうか。コンサル会社も総合から専門化に動くのではないかと期待している。大所帯を維持する状況ではないし、プロしか雇わないと決めれば済む。今時、新卒を教育訓練するのも非効率的である。

ネオ・コンサルタント会社の到来を期待している。

324:ContinualからContinuousに

当地はアフリカで最も治安の良い国の一つである。紳士的だし皆さん親しみのある方ばかりだ。

さて、水資源管理だがここ10年の管理流行りで開発が遅れている。ウガンダでは確か98年ごろからSWApが始まり現在に至るまで毎年実施されている。SWApの優等生である。

当地では02年に最初のSWApが実施されたが、2度目は去年である。6年のブランクがある。ドナーの係り方も違うし、行政組織も政治的な情勢に左右され一概に比較できないことは確かだ。

しかし、SWApに対する熱意と持続性に大きな差があるようだ。

前者は、continuous SWAp

後者は、continual SWAp

である。

下記は参考で、意味の違いを述べている。

"Continuous" and "continual" are often used synonymously but they should not be; they differ semantically in ways that are not at all subtle. Continual means "repeated" while continuous means "unbroken," e. g. a hum may be continuous (unbroken) but a knocking is continual (repeated).

水資源管理の一つの課題に対するヒントをゲットした。紳士的な会議もいいが、形式的なイギリス風の会議進行は少し改善の余地がありそうだ。まあ内政干渉にならない程度に刺激を与えるかな。

323:何でAir Supplyなの?

80年代初頭の洋楽ではAir Supplyのヒットは忘れられない。さわやかで涼やかなボーカルの声はいい。81,2年はマレーシアの全国水資源開発計画に没頭していて、当時出始めのウォークマンで聞きながら土日の作業をしていた。忙しかったが楽しかった。

新入社員だったが団長命令で水文解析補助を命じられ、他社の水文担当が集めた資料の段ボールを日本橋の会社からタクシーで運んだ。その会社はその当時海外室ができたてのころで水文担当が団長に絞られ責任能力が果たせなかったのだ。お気の毒であった。新入社員であったが、最終報告書には作業のお恥ずかしい成果が載っている。新人に無理をさせるすごい会社だと思ったが、団長の状況判断と意思決定手法を学んだ。いい時代だった。

さて、当時の音楽だが、

中でもAir Supplyは気にいっていた。透き通るような歌は今でも聞こえてくると懐かしい。All out of my loveとか。カラオケでは歌えない音域なので十八番(おはこ)にはならないが。

さて、water supplyは専門だが、air supplyとなると全く領域が違ってくる。給気はビルの設備屋さんの領域か、あるいはトンネルや地下工事でも給気は重要だが給気計画という大がかりなものはないだろう。

water borne
air borne

と言えば、二つの意味があり伝染病の伝搬経路と輸送の経路の違いである。

コンサルとしてairに係る仕事はあんまりない。今日のBBCでは水不足がテーマだった。いずれ石油と同じように水も経済価値が増し商社あたりがビジネス参入してくるだろうし、水で紛争や戦争が勃発する恐れもある。water supplyに係る検討もretro-fittedだけでなく、淡水化、排水再利用、海上輸送(タンカーやウォーターバッグ)、海底パイプラインなどのオプションを現実的に想定すべき段階に来ている。

322:Always on my mind

海外での楽しみと言えば飲み食い以外は大体カラオケと相場が決まっていた。勿論ゴルフ派も多く東南アジアではゴルフ派とカラオケ派に分かれるだろうか。どちらも大好きという方もおられるが。

カラオケも日本の技術が高くなるに従って海外でも徐々に日本に近づいた。マニラ、セブ、アンへレス、ジャカルタ、スラバヤ、バンコック、ペナン、KL、サイゴンあたりがカラオケ天国であったか。調査団として入ると週に2回は行くことになる。

最初にカラオケで英語の歌を歌ったのは89年のKLだった。その当時はマレーシアもイスラム原理主義が台頭していなかった。85年にもKLに行ったがその時はカラオケではなくエレクトーンの伴奏だった。このスタイルはバンコックの高級クラブでも確か96年にあった。演奏者のおっちゃんがうまくて感心した。

KLで歌ったのがウィリー・ネルソンのAlways on my mindだ。

70年代初頭の歌手はプレスリーだったが、80年代のウィリー・ネルソンがいい。カントリーだし彼の南部なまりが素敵だ。最近は夜の映画三昧も残業でできないので音楽チャンネルをバックで聞いている。偶然入る懐かしの曲はちょっと仕事をさぼって聞き入ってしまう。

Maybe I didn't love you
Quite as often as I could have
And Maybe I didn't read you
Quite as often as I could have
If I ever made you feel second best
Babe(後日girlだった) I'm sorry I was blind

But you were always on my mind
You were always on my mind

Maybe I didn't hold you
All those lonely lonely times
And maybe(後日guessと判明) I never told you
I'm so happy that you're mine
Little things I should have said and done
I just never took the time

But you were always on my mind
You were always on my mind

Tell me - tell me that your sweet love hasn't died
Give me - give me one more chance to keep you satisfied
I'll (I'llはなかった)keep you satisfied

Little things I should've said and done
But (Butもなかった)I just never took the time

But you were always on my mind
You were always on my mind

But you were always on my mind
You were always on my mind

(後日聞くと記憶は悪かったのが分かった)

カラオケがアフリカに来るのは何年先になるだろうか?或いは来ないか?

on my mindで思い出したが、サザンの「いとしのエリー」も十八番だが、歌詞には

笑ってもっとbabyむじゃきにon my mind
映ってもっとbabyすてきにin your sight

がある。エリーを奥さんの名前に変えて歌うときは相当酩酊してしていたかも?!

321:社外の人間関係を形成しよう!!

サラリーマンというのはどうしても社内の人間関係を強化してしまう。愚かなことだ。

右肩上がりの社会ではいいのだが、昨今の社会情勢では中々難しい。上司や幹部を仲人にしたところで大した影響はない。大体、コンサルが会社で出世しようという意識がさもしい。

コンサルとして個人の力量が問われる時代である。その集団である会社が成長すべき時代である。

前回でも述べたが、個人として力量がなければチームワークの成果は望めない。売上高が上がっても利益率が高くなければ会社として存在理由はゼロである。今、コンサル企業は断崖絶壁に立たされているといっていい。

個人の生活が確保され、充実した仕事に従事できる環境が望まれているのである。

それを満足できるコンサル会社は一体何社あるのだろうか?

小生は社内(以前の)の評判は全く悪いが、社外での信頼は不思議なことにある。それで随分助けていただいた。自分のお師匠様を知っている方がいたり、知人に助けられた方とか。

今日は世銀のミッションと協議したが、リーダーは小生の同僚の部下だった。そんな関係も初めてあった方と信頼関係になる近道である。

社内の人間関係ばかりに囚われると世界的な活動には広がりが持てない。どうか、若きコンサルの方々は世界の幅広い人間関係を形成していただきたいと思う。だからと言って、適当なおべんちゃらで信頼関係は作れない。プロとしての素養があってこそのことだ。

コンサルが係る人脈はそれほど広くない。意外と狭いものである。国際機関や研究機関もそれほど多くはない。ぜひ日々努力されて自分を磨いてほしい。そうすれば自然に人脈は広がってくる。その広がりの中で素質も磨かれてくると思う。

20年くらいは聞く耳を持ち、賢者の知恵を吸収することが良い。自分の意見が影響力を伴って言えるには20年くらいは必要だ。そこから80歳まで頑張れば、神様はきっと力を与えてくれる。そう思っているんだけど。

320:ペンテコステだった

この数カ月ビルの狭間の中庭でキリスト教の礼拝が毎日行われている。非常に音楽を重視するので気になっていた。黒人の教会はどんな宗派でも音楽が中心だが、昼食の時間のこの礼拝は特にそうである。

どう見てもカトリックではないと思っていたが、今日分かった。

Pentecostal

という宗派であった。プロテスタン系で発祥はアメリカらしい。というのも、昼食から帰って、省のエレベーターホールで聖書を持ったご婦人を見掛けたので、

「あなたも中庭の礼拝に参加してるの?」

と聞いたら宗派のことを教えてくれた。あなたも参加する?、と聞かれたのだ。

彼女の行き先を確認すると大臣室だった。なるほど大臣秘書であったか。これも後で小生の秘書に確認した。

さて、何が言いたいかだが、

まず、ペンテコステはギリシャ語で50を意味する。聖霊降臨はキリスト教徒にとって重要だが、イースターから50日目に聖霊降臨がある。そんなことを言ってもキリスト教徒以外には関係ないか。

重要なのは秘書との交流である。秘書はボスの行動の「ほぼすべて」を把握している。従って、われらコンサルにとっては各部門の秘書と親しくなることは、重要人物とのアポなし協議やちょっとした情報を入手するためには非常に重要な役割を果たす。そのため海外で秘書に嫌われたらお終いである。

当地では大臣からチーフクラスまで秘書がいる。これらの方々全員とお知り合いになるのに2カ月はかかったか。

しかし、この忍耐強い活動が後に大きく作業効率に影響してくる。秘書同士の関係もあるし。

今は事務次官から以下はほぼアポなしで会える。秘書様方のお陰である。大臣秘書はペンテコステ。さて、どう切り出そうか。当地は大体カトリックであり、副局長も小生がカトリックと知り突然好意的に変わった。

さて、来週月曜のお昼はどうなるであろうか?

2009年7月23日木曜日

319:統合から臨機応変

Merrey氏の論文のサマリーを紹介したついでに彼が係ったIWMIの07年の論文を読んでみた。2年前から統合から臨機応変の水管理を提唱していた。いつもながらIWMIはインパクトがある。

ダブリン原則やIWRMのコンセプトを元に国家水政策・戦略、そして末端の水管理まで上から下に適用するのではなく、実現可能な水政策、適応可能な水戦略をまず策定し、課題を抽出して臨機応変な水管理の実務的な運用計画を作り、さらに流域単位で実践した経験を元に国家水政策までフィードバックしていくという考え方である。そのプロセスの中でIWRMとの整合性を確認する。まあ大雑把にいうとそうなる。

なるほど、実務家には理解しやすいし、おバカな小生でもできそうだ。特に財政難で人材もなく組織も未熟な開発途上国ではできそうな気がしてくる。大上段にIWRMを掲げてもねえ、とみんな思っているが批判できないのである。

This paper examines management responses to
environmental and hydrological change related to
growing water scarcity. It draws on experiences in
the catchment of the Great Ruaha River in
Tanzania to reflect on the theory and process of
creating effective and workable goals and
strategies for river basin management. We find
that various gaps occur in the pursuit of normative
‘integrated water resources management’ (IWRM)
that can be attended to by applying a focused
expedient approach to address identified problems
in three states of the water availability regime:
‘critical water’, ‘medial water’ and ‘bulk water’. In
exploring this expedient approach, the paper
presents an adaptive framework for river basin
management and considers some implications for
the science of river basin management as a
whole. We suggest that while IWRM provides a
language to describe river basin management, it
does not readily generate the necessary responses
to deal with identified problems. Moreover, we
argue that the heart of this framework both fosters,
and is comprised from, rigorous social and
technical learning.

IWRMのハンドブックやガイドブック片手にちょちょいのちょいでIWRMが実践できればいいのだが、コンサルとして開発途上国で実践しようとすると半歩も進まないのが現状である。

当地でも05年以降IWRMは廃れてしまった。臨機応変の水管理をお勧めすることにしようか。

IWRMではなくEWRMか??Eが何を意味するか分かった方は幸いである。

2009年7月22日水曜日

318:足立さんに敬意!!

本日のメインはIWRMではなく、足立さんのブログだ。

いつも冷静沈着な足立さんのブログはもう何年も読ませていただいているが、今日のブログでのカンボジア電力開発についてのコメントは感激であった。

カンボジアの電力事情については詳しくないが、差し迫った現実的なニーズに対するアクションの重要性がひしひしと伝わってくる。

我々も「開発が悪」という呪縛をそろそろ拭い払って、対象国の真のニーズに答える熱意や努力をし続ける必要がある、ということを足立さんのブログで考えさせられた。

足立さんが懺悔することもないのであろうが、そうしたお気持ちを真摯に受け止めたい。

諸先輩方の思いや情熱を受け継いでいく覚悟を決めないといけない。まさに修道士だ。

317:南アからの現実的なIWRM論

第5回世界水フォーラム以降さっぱり本格的なIWRM論議はないが、どっこい世界には待ってましたとばかりいい論文がでてくる。お勉強って楽しい。

お馴染み南アからの論文である。まさに言わんとしていることを言ってくれている。流石だ。下記はアブストラクトで本文はまだ読んでいない。それでも内容はジワリと伝わってくる。

IWRMの全面批判はせず(ビスワスのように)現実的なアプローチを特に貧困で喘ぐアフリカ諸国などを対象として書かれている。総花的で総論ばかりでは今そこにある問題は解決しないのである。

コンサルとして不幸にもIWRMに立ち向かうに人には絶好の参考論文と言えよう。特にトンカチ土木しか知らない団長さんは救いになるかもしれない。実際、水管理に全く経験なくて団長や副団長をされている不幸な方が多いのだ。サラリーマンだからしょうがないが、実にお気の毒である。社内的には幹部であっても専門家として実力がないのはかわいそうだ。サラリーマン的なコンサルからはそろそろ卒業してほしいものである。

Is normative integrated water resources management implementable? Charting a practical course with lessons from Southern Africa

D.J. Merrey

Director of Research, Food Agriculture and Natural Resources Policy Analysis Network (FANRPAN), Pretoria, South Africa

Abstract

At the seventh Waternet/WARFSA/GWP-SA Symposium, Lewis Jonker described the “perceived failure of implementing IWRM in South Africa.”

This paper starts from Jonker’s observation – which can certainly be defended – and argues that attempts to implement full Integrated Water Resources Management (IWRM) are doomed to failure and disappointment. The paper therefore offers a more practical ‘expedient’ solution.

The paper is based on research done in Tanzania (Ruaha Basin) and South Africa (Olifants Basin) that is further informed by a growing literature critical of the IWRM paradigm as currently understood and practiced.

As a guide to actual policies and their implementation in developing countries, IWRM has led to mis-guided priorities and paralysis of development programmes. An alternative approach is one in which basin managers identify priority problem areas, and focus specifically on finding solutions to these problems within an integrated framework, rather than starting with a broad set of principles and trying to implement these.

The paper proposes that a shift away from IWRM as a normative concept is now overdue, and argues for realism and action by focusing attention on and prioritizing the critical needs of poor people in Africa.

People cannot wait forever.

じっくりと現実的なIWRMはどうあるべきか各国で自分流に考えてほしい(お酒でも飲んだ方がいいかもしれない)。さてそろそろ残業に入ろう。

2009年7月21日火曜日

316:パンパンガからの手紙

フィリピンからの手紙といっても旧日本軍兵士の手紙ではない。

1年ぶりぐらいか、ルソン島パンパンガ河流域のIWRM計画調査が始まるとの情報が入り、早速情報収集に入った。パンパンガ河上流域の地元大学のIWRM研究者A博士とコンタクトが取れてまずは第1段階。次にヨーロッパのIWRMに特化したコンサルと連携する体制を確立し受注に向けて準備を進めた。応札したら受注できたはずだった。

A博士ともたびたび情報交換したが、結局自分自身が会社を変えたためそれっきりとなっていたのである。最終的にCTIとNKがJVで受注した。今はプログレス1の纏めの時期かと思う。

A博士から1年ぶりでメールが届き、あれから案件はどうなったとのご質問。もう調査がが開始され地元でも知れ渡っているかと思ったが意外と知られていないようだ。コンサルの動きは活発ではないようだ。マニラに事務所を設置したからか。現地に入らなければいけないのだが。

パンパンガは何と言っても上下流問題が最大のテーマである。どちらかというと下流域の開発が進んでいて上流域はほっておかれている。ADBもIWRM対象としたが難しいので他に移った。状況はインドネシアのチタルム上下流問題が参考になる。NKのお得意だ。

CTIとNKの「精鋭」が実施していることだから、きっといい成果が期待できそうである。

A博士からは適宜情報を得て進捗を見守っていこう。比国は英語がお得意なので政策や戦略、法律は簡単に「書く」ことはできるが、実施することは不得意であるので辛抱がいる。比国でのIWRM成功例はない。

315:NGOとのお付き合い

当地に来て数カ月になるがNGOの活躍が目覚ましい。というかかなり政府から評価されている。

ドナー会議にも主要なメンバーだし。当地ではイギリス系、フランス系などとお付き合いがある。カナダ系もあったかな。

イギリス系のNGOは関連省大臣に車両を無償で提供するからすごい。優秀なコンサルも雇っている。その一人がカナダの国境のないエンジニアから派遣されている。名前からしてイラン系カナダ人である。ウォータルー大出の中々好人物だ。

フランス系のNGOとは最近仲良しになった。フランス訛りの英語も貴族的でいいし、情報提供も開放的で気にいった。今度彼らの活動を見せてもらうことにした。

イギリス系のNGOはずっと省幹部の信頼を得ていてドナー会議でもアフリカ開発銀行の隣の上座に座るぐらいである。多少偉そうだが、敵にまわすと怖い。

まだ日本のNGOの方はいない。これだけ欧米各国から来ていると入る隙間もないのであろうか。

もう資料もあり過ぎて消化できないが、フランス系のNGOからメールで大量の情報を頂き閉口している。多少商売っ気もあるのだろうか。

NGOとじっくりお付き合いしたのは確か比国のメトロセブである。比国だからNGOといってもやや政治的でやりずらいが、神父様の大学教授が主導しているNGOもあり、まさかプロジェクトレベルで神父さまとお話しするとは想像していなかった。プロジェクトのことで告解するわけにもいかないし。

コンサルとしての価値とか報酬は市場で決まると思っているが、NGOの場合はどう理解すればいいのかまだ分からない。ボランティアなのか、それとも??

314:Isolation of Crowds

「孤独は山になく、町にある。」と誰かが言ったが、最近のニュースで、町にもなく、トイレにあるらしい。これも都市伝説的だが。

若者、特に学生がトイレで食べる、所謂「便所飯」という都市伝説らしい。あるアメリカ人記者も配信していた。本当かね、と疑ってしまう。孤独感というより一人で食べるところを見られたくないので仕方なくということか。それでもその心理は分からない。

孤独感は嫌だが慣れると楽しい。隠遁修道士のようだし、食べないでいたりすると閃きもある。だからトイレで隠れて食べなくても、食べなければいいではとお勧めするくらいだ。

自分自身もお昼を職場のお仲間と食べる煩わしさはもうとっくの昔に解決した。お弁当を作ってもらうか、あるいは出社時にコンビニで買っていく。お昼まで一緒というのはどうも苦手だ。一人で食べても誰も気にはしないということも分かってきたし。

社会が歪になってくると奇妙な都市伝説が生まれるのか。

当地では忙しいと昼はチョコバー程度で済ませるし、外食する時は1時過ぎに行って閑散としたレストランで頂く。

当地の便所飯はすごいだろうな。ゲロ吐きそうだ。トイレがきれいだからできるんでしょうね。日本は平和である。

2009年7月20日月曜日

313:ボツワナからのIWRMマスコミ情報

南部アフリカ諸国の共同体であるSADC会議の報告記事が出てきた。ボツワナの水関連省大臣の参加報告である。ザンベジ川の内陸水運事業も動くといいが。

PHK Kedikilwe returns from SADC water meeting

by Ms. Kefilwe Ramohube
20.07.2009 10:33:12 A

The Honourable Minister of Minerals, Energy and Water Resources, Ponatshego Kedikilwe, attended the Southern African Development Community (SADC) Ministers of Water Meeting held at Joaquim Chissano International Conference Centre in Maputo, Mozambique on 9 July 2009. This annual meeting convened to:

* Review progress made on the implementation of the Regional Strategic
Action Plan on Integrated Water Resource Management (IWRM), which is
SADC’s blue print for the implementation of water related projects in the
region,
* Review status on decisions taken at their 2008 Meeting in Tanzania.
* Recommend issues for consideration by SADC Council and Summit
scheduled for August 2009.
Preceding the SADC Ministers meeting was the meeting of Ministers responsible for water from the Zambezi riparian states on the 8th of July 2009, which Hon Kedikilwe attended.
The Zambezi Ministers met to discuss issues relating to the river basin mainly:

The ratification of the Zambezi Watercourse Commission (ZAMCOM) agreement which is designed to help the riparian states unlock the potential of the basin in contributing to the socio-economic development of the participating Member States and the region as a whole. They also discussed the establishment of the Interim Secretariat to pursue operationalising of ZAMCOM Agreement.

Ministers deliberated on various issues. Among other things,
The Ministers responsible for water noted the progress made on the SADC Hydrological Cycle Observing System (SADC HYCOS) project.

They approved the project’s phase three working document. The SADC HYCOSS project is aimed at fostering greater regional cooperation in IWRM through hydro-meteorological monitoring by collection, processing and disseminating information, including the development and operation of an IWRM resource website and database, as well as the development of hydrological products.

Since approximately 70% of the SADC population relies on groundwater, the Ministers approved the operationalisation of the Groundwater Management Institute of Southern Africa (GMISA) as a subsidiary institution of SADC that will contribute to knowledge and information on groundwater through research.

GMISA will be established at the University of Free State in South Africa in line with the SADC Subsidiarity Principle and will further contribute to continental processes through the AMCOW Groundwater Commission.

Following a request from the Ministers during the Tanzania 2008 meeting on the implementation of the Regional Strategic Water Infrastructure Programme, the Ministers endorsed the creation of a fund for small infrastructure projects in Water Supply and Sanitation, designed to assist member states in the development of small scale infrastructure projects.
To improve the capacity challenges that the Water Division in the SADC secretariat is facing, the Ministers endorsed the proposed structure of a Programme Management Unit for the sector and directed the SADC secretariat to continue engaging International Cooperating Partners (ICPs) to support the unit while nurturing SADC’s overall capacity building approach through organic growth.

The Ministers considered a report on the assessment of the status of IWRM in the SADC member states conducted by Global Water Partnership Southern Africa (GWPSA) with support from Africa Development Bank. They endorsed the way forward which among others suggests water weeks in all Member States targeted at water using, impacting and impacted sectors especially finance and economic planning. Ministers further endorsed the convening of a joint meeting of SADC Ministers responsible for Water and Finance and Economic Planning and other relevant sectors in order to further create a common understanding on the contribution of water to national economies and the socio-economic development of each country.

Regarding the Zambezi River Basin, Ministers noted progress in establishing an Interim Secretariat while awaiting the conclusion of the ZAMCOM agreement. The Ministers urged those countries that have not yet ratified the ZAMCOM agreement to do so as a matter of urgency in order to ensure that the commission is fully established as this will help unlock the opportunities the Zambezi has to offer. Ministers committed themselves to ensuring that this agreement is ratified by December 2009.

A similar challenge was noted for Limpopo basin, where Zimbabwe is still to ratify. Ministers noted and applauded progress made in respect of Permanent Okavango River Basin Commission (OKACOM) and Orange-Senqu Watercourse Commission (ORASECOM) in strengthening river basin organizations.

Zimbabwe offered to host the next SADC Ministers of water meeting in 2010. The Honorable Minister Kedikilwe arrived from Mozambique on Friday 10th July 2009.

Thank you

Ms. Kefilwe Ramohube
For Permanent Secretary

312:トルコもいよいよ全面禁煙とか

当地はたばこの生産で有名らしく日本のJTのたばこにも大体ブレンドされているらしい。ということはもう30年以上お付き合いがあったということか。

以前は飛行機やレストランでも喫煙席の設定があったわけだが、それもなくなってきたのが世界の潮流である。飛行機の禁煙はもう慣れてきた。

さて、トルコだが、トルコ人も喫煙人口が高くカフェー、バー、レストランではモクモクの状態だった。今日のBBCでは公共機関以外でもカフェーなどでの全面禁煙が法令化されるらしい。もうトルコには13年行っていないので特に問題は感じないが、お酒好きでお喋り好きなスモーカーも多いのでどうなるのか。地方などは多分OKかと思うが、イスタンブールやアンカラでは規制が激しそうだ。

トルコはEU参加が国家的な悲願であるから、いろんなところでEUに準じる法規制がでてくるのだろうか。水管理でもEUの基準に沿った活動が行われているのは以前書いたと思う。

もう13年も行っていないから随分変わっただろうな、トルコも。88年から96年までの8年でも相当変化したと思う。またアウェーの状態で行ってはみたいが、全面禁煙ではビール、ラク、ケバブ、イボガレイを飲み食いしながら生演奏のトルコ音楽を聞き、そして踊る楽しみはなくなるのであろうか。さみしいね。トルコは四季があるし、地方地方での食べ物も違いがあって面白かったのだ。人もいいし。

今頃はくそ暑い屋外のカフェーのどこかで昔の友人たちも楽しく飲んでるんだろうな。こちらは暫くホテルで残業だ。

2009年7月19日日曜日

311:コペンハーゲンに向けて

CCSが注目されているらしい。

Carbon Capture and Storage

日本語では、炭素地下隔離技術、炭素回収貯留とか訳されている。排出炭素を分離して地中とか海中に隔離貯留する技術だそうだ。この推進が12月に予定されている国連のCOM会議のアジェンダになるらしい。

今日のBBCワールドディベートの主題だった。

前回の再生可能エネルギーよりは比較的穏やかなパネラーだった。エネルギーは水資源と違っていろいろ電源があるし技術的な進歩も期待できるのでややこしくはないが、技術力も格差がありビジネス的な思惑があるので競争も激しい。

水でもエネルギーでも日本は優位性があると国内では言われているが、なぜか国際的には取り上げられない。今回も日本からはパネラーはない。流石にインドや中国は批判されるのを恐れてか参加なし。

ワールドディベートの内容はBBCのウェブでもフォローできるので興味があれば見てほしい。これから12月のCOMコペンハーゲンに向けていろいろ動いてくる。

コンサルも水素エネルギーといった何十年もの先の技術を述べるのではなく、CCSなどの技術開発を研究すべきである。水分野では、ROや排水再利用技術もフォローしてもらいたいものである。

310:ジュディー・フォスターの「英語」?!

久しぶりの映画ネタだが、内容でなくて英語の発音について。

イギリス人やアメリカ人の俳優でも両方のアクセントをうまくこなせる人は中々いないと思う。それだけ違うんだなと思う。

今日偶々見た「アンナと王様」ではイギリス人教師役でジュディー・フォスターが出ていた。王様と私のリメイクらしい。

途中からみたのでそれと知らずに見ていた。タイの王様と、「英語のような米語」をジュディーが話しているので混乱していた。物語が進むにつれ「王様と私」のリメイクかなと思ったぐらい、ジュディーの英語はモゴモゴしていて分かりにくい。イギリス人から見ればおかしな英語だと思うし、逆にアメリカ人から見ればまあ良くイギリス人を演じていると感じるであろうか。関西人の標準語のような感じである。まあ王様役が中国人だからいいことにしよう。

やはり、ジュディー・フォスターはFBI訓練生のクラリスの米語がいい。

Siamという昔風の言い方で、昔Air Siamというタイの民間航空会社があったのを思い出した。70年代アメリカに渡った時利用した。帰りが混んでいて乗れない。LAには知り合いがなし。何とか知り合いからLAの日系宗教団体支所を紹介してもらって泊めて頂いた。何日泊めていただいたか思い出せないが、リトル東京の二世カーニバルに連れてってもらったり、ディズニーランドも行ったか。だから多分4,5日はいたのだろうか。2回ほど空港に行きキャンセル待ちして、やっとホノルル経由で帰った。帰るころには皆さんと親しくなり、中にはこっちで暮らしたらとお誘いもあった。あんたなら大丈夫だよ、とそんな感じだったか。

流石に丁重にお断りしてお礼を言って別れれた記憶がある。あれからもう30年以上ぐらいか。「仮に」そのままいたら多少は英語力の進歩があったかもしれない。その代わり日本語がおかしくなっていたかもしれない。実際、パサディナに本社のある環境系の大手コンサル会社に長くおられた日本人の重役さんは既に日本語が殆どたどたどしかったのを覚えている。

脱線の連続だが、イリノイから来ていた日系3世の医者の卵は職を求めてハワイに渡ると言っていた。戦後東に向かった2世の息子が今度は西の果てに向かうのも面白い。

言葉というのはやはり現地滞在で磨かれるものだと、ジュディー・フォスターの「英語」を聞いていて思った。小生のお得意なインド人英語もインドで一度磨いてみたい。

2009年7月18日土曜日

309:環境政策のための科学(最新情報)

ECが提供する首記のメルマガから3つの話題をピックアップ。いつもながら興味深い内容である。

このところ水管理に関する仕事が主体で、政策への科学的なアプローチの重要性を強く感じているし、自分も解析や評価に係りたいと思っている。入口程度の情報だが良くまとまっている。ちょっとしたヒントになる。これ以上知りたければ、ドアは開けてくれて、更なる詳細はどうぞという仕組みである。

水管理もそればかりではつまらない。やはり科学的、技術的なアプローチによる開発計画が両輪のように進める必要がある。

1.Renewable energy boosts economy and brings new jobs

Renewable energy policy aims to decrease greenhouse gas (GHG) emissions whilst stimulating the economy and employment. The first study to assess the economic effects of supporting renewable energy indicates that meeting the EU renewable targets could provide about 410,000 new jobs and 0.24 per cent additional GDP for the EU.

In December 2008, the EU passed the Renewable Energy Directive to set Europe the goal of reaching a 20 per cent share of renewable energy in energy consumption by 2020. This had three aims: to combat climate change, increase security of energy supply and promote economic growth and jobs. This peer-reviewed study, conducted on behalf of the European Commission, investigates the third of these aims.

The study used several economic models to analyse how renewable energy policies affect the EU's economy and job market. It also looked at impacts on sectors including the traditional energy sector, households and the hospitality industry.

The results demonstrate that renewable energy is already important in terms of employment and economy. In 2005, the sector employed 1.4 million people and contributed 0.58 per cent of the EU Gross Domestic Product (GDP). The future impact of the renewable energy sector was also investigated by comparing three scenarios:

a) all renewable energy policies are abandoned

b) business as usual (BAU)

c) national renewable energy policies are strengthened considerably so they are consistent with reaching 2020 targets

All scenarios used data for future energy demand, fossil fuel prices and the price of CO2 in the EU Emissions Trading Scheme are taken from 'European Energy and Transport Trends by 2030.

The BAU scenario led to only a 14 per cent share of renewable energy in final energy consumption in 2020. Alongside this would be a 0.11-0.14 per cent increase in GDP and a gain of between 115,000 to 201,000 employees. In comparison, the stronger renewable energy policy scenario would reach the EU target of a 20 per cent share of renewables by 2020. Alongside this would be a 0.23 to 0.25 per cent increase in GDP and a gain of between 396,000 and 417,000 additional employees (without affecting employment levels in other sectors of industry). The variation was due to different estimates of rising energy costs.

Reaching the 20 per cent target with the stronger policy scenario is estimated to result in 2.8 million jobs in total in the renewable energy sector in the EU-27, assuming moderate levels of renewable energy export to the rest of the world.

The report suggests that policies should promote innovation in wind power, solar photovoltaic and solar thermal technologies. Sectors such as biomass, which currently produces over 60 per cent of the renewable energy sector's impact on employment, will lose its economic significance over time. In addition, the report suggests that innovation will in time reduce the costs of technology.

The figures do not consider the value of renewable energy in terms of their contribution to the environment and security of supply. The report suggests if these external costs were included the economic benefits could be even higher.

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2.Mapping groundwater flooding for the EU Floods Directive

In the coming years the EU Floods Directive will require Member States to produce flood hazard and risk maps. Taking the UK as a case study, new research highlights the need for advances in data collection, mapping and groundwater flood warning systems to meet EU requirements for maps and management plans.

Although often occurring less frequently than fluvial (river) flooding, the effects of groundwater flooding can be as devastating, if not more damaging. Groundwater flooding is caused by water emerging from underground, for example, from areas underlain by chalk and aquifers in contact with the sea. Groundwater flooding can cause flooding of basements, ground floors, farmland and roads and can leave areas submerged for months.

The EU Floods Directive requires Member States to carry out a preliminary assessment by 2011 to identify areas at risk of flooding. Member States must draw up flood risk maps by 2013 and establish flood risk management plans by 2015. In the UK, data collection and collation on groundwater flooding has been locally focused and conducted gradually, area by area. This research summarises possible data and techniques that could be used to produce groundwater flood maps and flood management plans by examining existing data on groundwater flooding in the UK.

Before Spring 2006, there was no single organisation responsible for monitoring groundwater flooding in the UK. However, some valuable data were collected during the groundwater flood events of 2000/2001 and 2002/2003. The lack of consistent records of groundwater flooding indicates a need for a database that captures information on flooding from all sources to enable a joined-up approach to flood risk management.

Records of groundwater flooding are a source for identifying susceptible areas. However, under-reporting and uncertainty make it difficult to assess the likelihood, as well as the possible depth, of flooding. The study suggests that a more comprehensive approach would be to apply our understanding of flooding mechanisms in areas where flood risks exist, such as chalk valleys.

Hazard maps developed for these areas could assess the frequency of drivers such as rainfall or prior groundwater levels. They could also assess surrogates (or measurements that can represent flooding levels) such as spring discharge rates or flows from rivers draining aquifers. The combination of drivers and surrogates could also be examined.

Alongside hazard maps, risk maps should indicate potential adverse consequences on population, economic activity and vulnerable buildings.

To further meet the requirements of the EU Flood Directive, the study recommends a UK information service to assist in the preparation for potential groundwater flooding. This includes making data and maps available to the public, helping develop community action plans and expanding the existing fluvial flood warning service to communities at risk from groundwater flooding.

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3. Climate-driven changes in German floods

A recent study suggests climate change has increased flooding in many regions in Germany, but that flood patterns vary across the country. When planning protective measures, regulators should be aware of the behaviour of flooding in specific areas of the country.

Severe flooding has occurred in Germany over the last few decades, causing loss of life, displacement of people and livestock and heavy financial losses. For example, severe damage was caused in the Rhine river basin in 1993 and 1995, the Odra basin in 1997, the Danube basin in 1999, 2002 and 2006 and the Elbe basin in 2002. There is growing concern that climate change is to blame for increased flooding.

The researchers studied water flow measurements for the period 1951-2002 from 145 gauge stations across Germany to detect trends in the number and size of floods. The study used eight flood indicators, including annual, winter and summer maximum discharges and flood peak measurements, particularly in the large catchments of the Danube, Rhine, Elbe and Weser rivers.

Significant changes and trends in flood behaviour were found for the major catchment areas, suggesting that flood hazards have increased for large parts over the last 50 years. Findings include:

a) Most indicator measurements had increased over time in western, southern and central areas (Danube, Rhine, Weser river basins) of Germany, particularly annual maximum discharges

b)Smaller changes occurred in the northeast of the country (Elbe basin)

c)Winter floods dominate the Rhine and Weser catchments

d)More sites are affected by summer flooding in the Danube catchment than the Rhine and Weser catchments

e)A cluster of gauges showing decreasing summer floods was detected in the Elbe and Weser basins

g)The frequency of floods increased, especially along the River Danube

The clustering of flood sites and seasonal floods suggest that the changes have been driven by the climate. The researchers compared their results with other studies that have looked at changes in climate, particularly in the circulation patterns in the atmosphere. Such patterns appear to be related to flooding in Germany. The frequency and duration of atmospheric circulation patterns above Europe is suspected to be linked to floods.

For example, during the winter, increasing westerly circulation patterns have caused greater rainfall and for longer periods. This can cause saturation of the ground over a large scale with subsequent faster run-off. Moreover, winter temperatures have risen over the last 100 years. These climate change findings are consistent with, for example, the upward trends of the maximum discharges detected in the Elbe and Weser catchments in the winter. The researchers suggest the milder winters and intensified rainfall may have increased flooding.

In summary, flooding behaviour has increased in Germany over the last five decades. The pattern of flood changes varies significantly on a regional scale although this appears to be driven by wider-scale climate change.

308:Renewable Energy

お馴染みBBCのワールド・ディベートである。今回は再生可能エネルギー。気候変動や防災と同様重要なテーマで、今回で見たのは3回目である。

パネラーは、

1.デンマークの女性大臣(環境や気候変動担当か、日本にも来たことがあった確か講演を聞いたことがある、やり手の政治家だ)
2.中国国家エネルギー政策担当官(この方も若い女性、アメリカ帰りの秀才だ)
3.グリーンピース代表(NGOらしい理想論者)
4.シンガポールのインド人学者(LKY大学か?、シニシズムがお得意らしい)
5.アメリカEPRI代表(女性、スマートなキャリアウーマン風)

BBCの司会者も女性(エチオピア出身か?)だから、6名のうち4名が女性だ。中々面白そう。アフリカなど最貧国からの方はいなかった。

さて、内容は温暖化を軽減するための再生可能エネルギー政策についてである。先進国と開発途上国の立ち位置が鮮明。中身はお察しの通りだから省略。

何が問題か?ここでも最新技術を持つ日本からのパネラーは出てこない。何でやねん、とまたがっかり。前回の防災でも出てこない。やはり招待されていないのか。中国人は確かにエネルギー政策関連機関の方だが若い女性である。中々賢そうだが経験不足は明らか。日本にも経験豊かで国際人はいるのであろうが。

エネルギー政策に詳しい足立さんあたりのコメントを伺いたいところである。

水と同じでエネルギー政策もまさに世界的な課題だが各国の立ち位置が違いすぎて話にならない、というか各国の宣伝だけで落とし所が難しい。

水もエネルギーも地域や世界の政治問題化することだけは明らかである。

日本人もこうした機会に出てBBCにきてほしいが、中々ね。学者、電力会社、省で40、50歳代で英語の達者な方は確実におられるのであろうが?!或いは意識的に招待がないのであろうか?

2009年7月16日木曜日

307:SWAp

アフリカではIWRMを推進する国とそうでない国があって面白い。南アは推進国の優等生である。随分お勉強させていただいた。

国によってはIWRMが全く考慮されていない場合もある。ウガンダとかマラウイがそうだ。その変わりではないが、

SWAp

というアプローチが適用されている。南アやレソトはIWRM戦略の中にSWApが適用されている。ウガンダはSWApの成功例として認識され、マラウイなどはウガンダまでお勉強に出かけている。ウガンダでは2001年から毎年SWApがJSRと共に行われている。NGOのWaterAidも熱心である。

SWAp (Sector Wide Approach)
JSR (Joint Sector Review)

いずれも水と衛生に係るものだが、アジア諸国ではあまり適用例を聞かない。アフリカでも前述の4カ国ぐらいで他国ではそろそろ適用されるかといった具合である。まだ成功例という事例の評価は時期尚早だろう。

詳細に説明しないが、セクター全体の開発や管理を利害関係者やドナーが連携して重複や無駄をなくそうというアプローチである。当たり前の話だがプロジェクトベースで各ドナーやNGOが勝手気ままに支援することを避けようとする考え方である。

毎年JSRを協働で実施モニターと評価を行い、セクター全体をバランスよく開発・管理する格好である。

ご存知IWRMは水資源セクターを超える概念だが、SWApと連携して進めIWRMをエンハンスし、シナジー効果を高める動きが最近目立っている。

南アやレソトはそういう動きが顕著である。

ECもこの動きに熱心でワーキンググループを支援している。こうした動きに少しでも関与するべくECが支援するワーキンググループに参加許可を申請して最近認めていただいた。まだ40人ぐらいだがGTZとかNGOとかの参加がある。まだ世界的には認知されていないが中々面白いので参加した。EC以外の国からの参加も認めてくれる懐の深さを感じている。IWRMももうあまり意識しないが、SWApは水資源以外でも適用されていてフォローの価値はあると感じている。

2009年7月15日水曜日

305:アフリカもちょっとホーム化か?!

13年ぶりのアフリカもかなりのアウェー状態から出発したが、数か月でやっと少しホーム化してしてきたか。

最初の会議でのアフリカ人(特に、国際機関のアフリカ人)の英語の訛りに霹靂したが、やっとこさ慣れ親しめるようになった。話すことより聞くことに集中してきたおかげかな。

ちょっと分析してみよう。

1.話の中身が過去の会議の参加や背景を前提としていて、過去の経緯など全く知らない自分には略語の多用で意味がうまく掴めなかった。内容について行けず、ちょっと自信を失った。
2.アフリカ人の特徴的な発音と発想・論理に慣れていなかった。異星人に会った感覚。


まあこんなところか。これをどう克服したかと言うと、

1.ここ数か月で水に係る過去の資料をわんさか読んで、多用される略語やその背景を徹底的にお勉強した。
2.当地の方はいいが、他のアフリカ諸国出身の国際機関職員(代表はウガンダ人のマシンガン英語)の論理的な癖に慣れてきた。子供みたいなところは可愛い。
3.SCOANという宗教団体がナイジェリアにあって、エマニュエルTVで24時間放送している。黒人の教祖様のお説教など聞いていてもよく分からないが、幸い英語のダイアログが出てくるのでアフリカ人英語の癖を理解できてきた。ネイティブにも良く分からないらしい。アフリカ人は分かったいるらしいから不思議だ。この放送以外には南アやナイジェリアのメロドラマもいい訓練になる。

こんなところか。彼ら(教祖様は違うが)の話の中身がほとんどないというのが最大の成果である。だから早口になる。

水資源に係る組織・人間関係、各サブ組織の立ち位置と考え方、水政策・戦略・計画・実施事業やドナーの係りの変遷も次第に分かってきた。

ドナーのローカル担当たちが数年前まで省や水道局の職員だった。何だ、みんなお仲間か!!これじゃあ裏でみんな繋がっている。

こうして少しホーム化すると気が緩むので要注意である。彼らが把握している情報以上の「ネタ」でこれから勝負することとなる。バトルではないのは当然のことだが。

早口ウガンダ人のいい発言に、

It will be a golden indicator. と褒めたら、

尽かさず、彼も、Platinum. と切り返してきた。こういう技は国際機関職員の特技である。まあそれしかないのではあるが、彼だけは外国人だからまあましか。

2009年7月14日火曜日

304:マスコミのIWRMニュース(フィージー)

フィージーからIWRMプロジェクトの開始のニュースが入った。お馴染みSOPACの支援である。フィージーと言えば地方電化での日本政府の支援が続いている。

IWRM Project to begin soon
14-Jul-2009 10:07 AM

A MEMORANDUM of Understanding was signed yesterday at the Ministry of Primary Industries Headquarters in Suva, between SOPAC and the Government of Fiji for a common aim in the furtherance of sustainable water resources and wastewater management in the country.

Speaking at the signing ceremony, Permanent Secretary for Agriculture, Dr.Richard Beyer said that the Government was grateful to the executing agency SOPAC, the United Nations Development Program (UNDP) and United Nations Environment Program (UNEP) as the implementing agencies for the Global Environment Facility (GEF) initiative in implementing the Integrated Water Resource Management (IWRM) project for the Nadi River Basin.

The Ministry’s Land, Water and Resource Management Division is committed to the principles of participatory human development and for Fiji, the IWRM project will be in the Nadi River Basin.

The aim of the project is to improve flood preparedness and integrate land and water resource management planning within the Nadi River Basin using an integrated flood management approach.

“The project which costs around US$500,000 as seed funding for the five year project is a first ever project where we will be able to undertake run-off modeling and flood forecast modeling, apart from establishing a benchmark for river water quality and mangrove health levels,” explained Dr.Beyer.

“Whilst the Government has a number of short term initiatives such as dredging and construction of flood retention dams to address the flooding problems in Nadi, I am confident that the integrated water management demonstration project will be able to put in place long term Flood Management Plan for Nadi,” he added.

Dr Beyer added that lessons learnt will be exchanged with other Pacific Island nations in developing a sound Integrated Flood Risk Management Plan.

Implementation phase of the project are expected to begin by the end of this month.

今後も成り行きを見て行きたい。現段階では特段のコメントはない。久々のIWRM関連ニュースであった。

303:ホテルの残業もこのへんで

今日は朝から省内の幹部が殆ど世銀との会議で出払っている。一人の副局長は遅れて参加でちょっと雑談した。彼も昔は水文屋で今は出世して水供給局の幹部だ。

彼は中々優秀で、昔は日本のコンサルやゼネコンとも付き合いがあったらしい。局長との繋ぎや情報収集にも手伝ってくれる。多分省内で一番役に立つであろう。聞く耳を持っているし、各地方局とのパイプが太い。局長は切れ者だがちょっとしゃべり過ぎで演説が好きなようで、ひとつ質問すると10分はしゃべる。また質問して10分の講義。先日はこれが1時間半続いた。お陰でrural water supply 101の講義を1回で終了した。これも忍耐だ。シャープなしゃべりでは省内1番らしい。精神分析的に観察すると心の奥底に弱さが見え隠れする。あんまり、「切れ者」だとか「カミソリ何とか」とか言われるのは意外ともろいかもしれない。別の局長はどうみても町内会の会長さんに見えるが、これがなかなかの食わせ物で、これぞというところで好い判断をされるのだ。

今日の省と世銀の会議も長く、8時過ぎから1時半まで5時間半という長丁場だったらしい。AfDBの関係者も出るらしく局長室でばったり。彼も世銀とくっついているから大変だ。世銀のミッションリーダーは日本人の女性でファイナンシャルスペシャリスト。1時半過ぎ長い会議にワシントンから着いてすぐ参加したのだろうが、流石に疲れたお姿をちらと見てしまった。

世銀もAfDBももう今は開発には積極ではない。管理支援中心だが、流石にもうIWRMとは言わないでWRMだけである。01年ごろはこの国でも頻繁に利用されGWPが05年くらいにCIDAと一緒にプロモートしたが内閣承認は降りていない。

既にIWRMのIは取れてしまっているし、IWRMを口にする人は皆無だ。

さて、今回でこのブログも303号。途中不都合なものは消去したので270個ぐらいか。今のホテルの部屋が303号室だから記念すべき回か。

ホテルの照明も足りず、先日ダウンタウンまでタクシーで20ドルかけて買ってきたが、1個3ドルだった。中国製だがまだ何とか使っている。しかしもうこの辺で残業も終了である。

日ごろ残業や休日作業はしない主義だが、海外は致し方ない。プリンターの出番はまだ先だが、日本からのプリンター・インクタンクの到着を心待ちにしている。何とか無事着くといいが。

2009年7月13日月曜日

302:大御所からのメール(パート2)

前回コメント頂いた大先輩(といっても会社は違うが)からのメールにも英語に関する他の事例が紹介されていたので、大兄にはご許可なしでここに記します。いい話だし記録として貴重である。

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商社やコンサルタントの社員で英単語の理解が不足していた例では “Qualification or Reservation” が入札などの”条件” を意味し、Pre-qualification の “qualification” と本来は同じ意味なのですが、和訳すると異なる言葉になることです。相当な方々が前者を”資格”と解釈していました。

他は、”to swear” が四文字の汚い言葉を使うという意味を知らず、”宣誓” と思い込んでいた為、パーティーで爆笑を呼んだこともあります。

道路関係では “metalling” は “砕石舗装” で、英国では当たり前の使い方ですが、日本人はおろかスイス人まで理解できず(・・・というか、辞書を引いても見ない)、とうとう、当方が諦めて “crushed stone paving” か何かに変更したこともあります。

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こうした面白い事例を纏めるとかなりのものになると思う。先人の方々の経験談は宝物である。

できの悪い若輩から追記的なコメントをさせていただくと、

swearは確かに一見真逆の意味があって混乱するが、キリスト教徒からみるとそうでもない。神の名をみだりに使うことが転じて真逆になったと想像できるか。日本語でも手前(てめえ)とか貴様(きさま)とか本来の丁寧語が卑語に変わっちゃったのと似ているかな。

南アからの映画もJesus, God, damn をののしりに使っている場合は音声が途切れます。アクション映画ではあり過ぎで見ていて疲れますが。

昔のことで正確ではないのですが、マークトゥウェインの小説か何かで、

When angry, count four, when very angry, swear.

というのがあり、swearの真逆の意味を知ったことを覚えています。オーヘンリーとか短編は良かったな。

また、dareというのも使い方に二つあり。

Who dares wins. (勇気ある者が勝利する、というイギリス特殊部隊のモット―)

How dare you say! というと、良くもそんなことが言えるな!とちょっと意味が変わってくる。

海外での英語の使い方の失敗例や面白実話を纏めると結構いいかもしれない。ただし、A氏のようなかなり優れた土木屋はそうはいないのである。

301:英語の大御所からのコメント拝領

海外で活躍する土木屋は何もコンサルだけではない。ゼネコン、プラントなど建設業全般で活躍されてきた。そうした活動の詳細はあまり知らない。

偶々イランでお会いした元K建設のA氏は工事契約や監理のみならず英語力の点でも抜群であった。イギリスびいきで小生のアメリカびいきとは真逆であるが、コンサルごときの英語力とは雲泥の差であった。

さて、このA氏から早速precipitationは降雨ではなく降水ですよね、と有難いコメントを頂いた。precipitationを説明すると長くなるのであえて雑駁にrainfallとさせていただいたのだが、確かに降水でもいい。

気象学の観点からprecipitationを論じると結構面倒だが、雪やあられも降水だ。もっと専門的に言うとそれらはfrozen precipitationである。precipitation, snowfall, snow depthが関連するが、水に換算しないと降水量にならない。precipitation gaugeは雨量計、降水計どっちでもいい。

こんな議論をしていると化学屋さんから、

「沈殿」もあるよ!

とコメントがくるかもしれない。

大先輩からいろいろ叱咤激励を頂ける幸せはない。

300:時代は動いたのか?!

さっきまでNHKのサイトで選挙速報を見ていた。新聞各社のサイトは即時性と結果の詳細な表示がなく面白くなかったので、昔から信頼性の高いNHKのサイトにアクセス。

流石にNHKは選挙速報のプロだ。開票結果が見やすい。自動更新機能もあり海外からでもテレビを見ているようだ。

自民党が都議会の第2党になったのは65年から69年ぐらいか。あの頃は確かに低迷してた。美濃部さんが知事だったか。

これで総選挙の前哨戦は終わったか。さて。

政治には興味がないしエンターテイメント的な感覚でとらえている。イランも統計数理研の技術を取り入れて日本の選挙のようにすれば何の混乱もないのだが。

明日あたりの日本のテレビを見たいところだがネットだけで我慢しよう。これから時代が動くのであろうか。

これから2つ3つ大きな動きがあるように思えるがいかがであろうか?!

2009年7月12日日曜日

299:英単語のお勉強方法(おまけ)

水資源分野では、

precipitation

という単語は当たり前のもので、

rainfall

とほぼ同意語で「降雨」を意味して、頻繁に使い、日本人の若手コンサルでも当然知っている。知らなかったら転職しよう。

では、下記は直ぐ理解できるだろうか??

"His precipitate decision to climb the precipitous precipice precipitated his demise."

何だか謎解きだが、この1文だけで前後のつながりもなく、すんなり理解できれば「合格」である。最後のdemiseが分かないと無理かな?分かれば東大合格もOKだ。英語の点で相当稼げるはず。英語の勉強はきょうからでも止めていい。

ネイティブでも案外すんなり理解できる人は少ないのだから、日本人としてはA++だ。トンカチ土木屋でも経験20年以上はこのくらいは理解したいもんだ。precipitationしか知らないのは、大変失礼だが、専門バカである。

ネイティブのパートナーとの夕食会に会社の幹部と同席したが、精々専門的な会話で20分しか持たない。時間を惜しむような会話の広がりがない。取締や社長になっても会話が20分しか持たないのは単語力ではないが社交術より教養や話題に欠けているのだろう。単語一つでこんだけ広がりがあるのである。もっともっとお勉強しないといけない。トンカチ土木屋の大問題なのである。

英単語は派生語や似たような言葉を関連して覚えることがいい。とは言え興味がないと無理だが。

50代過ぎてもこんなことに毎日「10分」ほど考えているのも愉快だが、いつまで経ても飽きないのが言葉のお勉強だ。

298:硫黄島からの手紙

海外出張時の自宅との連絡手段の移り変わりについては以前書いたと思う。

携帯やインターネットによってお互い24時間対応の連絡が取れるので大変便利だ。今日も妻からグアカモーレのレシピーにあるシアントロは何かメールで教えてもらった。所謂コリアンダーと。アジア各国でも使われる頻度が多く、ドリアンやケバブと同じで日本人には好きか嫌いかはっきり分かれる。ベトナムでもそうで、小生は大好き、ある人は大嫌いであった。彼はついにベトナム人やベトナムまで嫌いになってしまった。残念なことだ。食べ物の恨みは恐ろしい。

電話やメールでのやり取りも便利で好いが、手紙というのもいいものだ。書いてエアメールで送って、返信をもらうまで1カ月ぐらいだったか。このブログもそうした昔手紙に託した日々日常の思いもこめて書いていることもある。

昨日は作業中の休憩で見た「硫黄島からの手紙」に見入ってしまった。先日はアメリカ側からの視点で描かれた「父親たちの星条旗」を見たので丁度いい。3時間以上の長編だったが、変な日本語を話す二系アメリカ人も登場さず安心して見られる。内容は省くが、アメリカ人に好意的な士官を二人登場させることでアメリカ人にも理解されるように工夫している。

日本兵25000人の内生還したのが1000人だったらしい。アメリカは250000人。それでも5日で陥落できずに1カ月もかかった。それだけ軍事的な要所だったのか。二宮君が演じていたパン屋は大宮出身と描かれていた。地元だから気になる。全編日本語だが、英語訳もまずまずニュアンスが伝わると思う。クリンスイーストウッドにはピーターの法則は適用できないらしい。いい映画だった。

今日は休憩なしでいきたいものだ。ただし、大宮からのメールは見逃さない。

2009年7月11日土曜日

297:Water Jigsaw Puzzle

海外の調査計画案件ではいつものことであるが、3月経っていよいよ報告書の作成に入っている。

3カ月で資料も何千ページになったか。いくつ資料があるか数えられないほどだ。以前だとハードコピーやオリジナル資料しかなかったが、今はご存知のようにPDF、ワードなど様々な電子媒体がある。前頁読んだわけではないが、ほぼ内容の概略は把握した。

ジグソーパズルでいえば、部分部分で多少の広がりができ、さらにそれぞれのまとまった集合間の関連性が見えてきた感じか。

ある地域のある国の水資源という壮大なジグソーパズルである。

資料も大量だが、作成された年代や作成者も全く様々だし、信ぴょう性も必ずしも高くはないことがある。違った資料である事象で矛盾することもあり、整合性のとれたデータも少ない。いつも緊張しながら武者震いしながら進んでいく。50代過ぎてもちっとも変わらない作業プロセスだ。

何十年前だと団長は、目次を作って団内外の調整して指示するだけで良かったが、最近は団長でも業務調整も多々あり、専門家としての任務もあり大変だ。以前、団長だけでなく二つの専門を持ったことがあるが、それはそれは大変だった。指示してやらせる若手がいないのだ。団塊世代以後の世代のつらいところだ。いつになっても補助員はパソコンしかない。情けない状況だが、修行にはなる。

今は洪水ハイドログラフでいえばピーク前の段階であるが、あと2週間もすれば最盛期に入り、その後2週間で洪水の終焉をむかえることとなる(はずだ)。危機的な状況もいつもあり多少パニックになったこともあるが、何とかソフトランドする快感と安ど感はいつ味わっても楽しい。

最初から100点は目指さない。まずは60点、少し余裕で70点、最終的には85点ぐらいか。勿論これは自分自身の採点だ。クライアントの採点は勿論それ以上を期待するし絶対的な使命である。

最近の水資源も管理計画という難問を抱えてどこの国際機関も往生している。水資源開発と管理は国や地域で全く事情が違うし両者のバランスがとても重要である。そうした更なる複雑なジグソーパズルを解くのは至難の業である。

ずっと土日の作業が続いていたが、これからはちょっと夜の映画も楽しめないか。海外出張を無事終え、ビジネスクラスでワインを楽しみ、成田空港に着陸し、帰途に向かう。行きもいいが、帰りはもっと格別である。

成田まで空路も様々で面白い。特に面白かったのは北京からのイラン航空。長崎あたりから入り、瀬戸内海を眼下に見ながら紀伊半島、名古屋、静岡と進む。日本の自然の豊かさを思い知らされる。

水というジグソーパズルも「ポテンシャルと利用」という関係で見ないと事実が見えないので要注意だ。

2009年7月10日金曜日

296:Guacamoleって何ですか?

グアカモーレ・サンドはうまいと叫ぶ映画があって、何のことかと調べたらアボガドベースのサンドであった。メキシコ料理ではトルティーヤに包んだり、生野菜のディップでもある。

当地での食生活も非常に地味で単調であり料理とかお酒とかの多様性がない。どうもそういう精神状態を反映してか食べものやお酒に関心が行ってしまう。

レシピーなど関心がなかったが、レシピーをつくづく見ると技術的マニュアルの基本である誰にでもできる作業過程が丁寧に書かれていてお勉強になる。

Guacamole, a simple mashed avocado dip, is originally from Mexico, dating back to the Aztecs, where it was revered for its high vitamin and fat content. Avocados, which were originally mashed with a type of mortar and pestle called a molcajete to make guacamole, are rich in lots of healthy ingredients including vitamin C, E, B6, potassium, and heart healthy mono-unsaturated fats, so there's no reason to feel guilty when enjoying some rich, creamy guacamole with your favorite Mexican food.

Guacamole is delicious as a dip for tortilla chips, as a filling for fresh tortillas, and as a topping for tacos, burritos, and tostadas. With the ability to calm down spicy foods, it's a natural with a wide variety of Mexican dishes and is even delicious spread on a turkey sandwich. Guacamole is so easy to make, there's no reason not to enjoy it often. I've gathered a couple of my favorite easy guacamole recipes here for you to enjoy.

The key to these easy guacamole recipes is using perfectly ripe avocados. You'll want to use Hass avocados, the dark greenish brown kind with the rough, bumpy skin. Check for ripeness by gently pressing the avocado with your thumb. If there is no give, the avocado is not ripe enough. If there is a little give, the avocado is ripe and perfect for your guacamole. If there is a lot of give and it squishes beneath your thumb, the avocado is probably past ripe and already turning brown inside.

Remember to use these easy guacamole recipes only as a guide, and to season it to suit your tastes and preferences. Feel free to adjust the amounts and add or delete ingredients as you see fit. However, the one ingredient that shouldn't be left out is the fresh citrus juice, since in addition to providing bright flavor, it helps prevent the guacamole from turning brown. And don't over mash the avocados - the best guacamole is slightly chunky.

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Easy Guacamole Recipe

3 ripe avocados
1/4 cup chopped cilantro
1/2 cup diced red or white onion
2-3 jalapeno or Serrano chiles, stemmed, seeded, and finely diced
2-3 tablespoons fresh lime or lemon juice
Salt and pepper to taste

Cut the avocados in half and remove the pit. Scoop the flesh out with a spoon into a medium size mixing bowl. Mash the avocados with a fork until chunky. Add the remaining ingredients and stir well to combine. Enjoy immediately or cover with plastic wrap placed against the guacamole's surface and refrigerate until ready to serve.

Easy Guacamole Recipe Variations:

*Add 1/2 cup plum tomatoes, seeded and diced
*Add 1 clove garlic, minced

帰国したらぜひ作ってみよう。技術協力では時どき技術移転用のマニュアルを作るが、見習うべき点が上記のレセピーには隠されている。それにしてもグアカモーレ・サンドはうまそうだ。

295:東大のすごさ(コンプライアンス)

東大の科学系の先生が補助金の不正流用のニュースがあった。匿名と自己申告で分かり公表したという。

流石だよね。こうした些細な不正でもきちんと対応している姿勢が流石だと感服する。自己浄化能力が高く長期的なコンプライアンス戦略がしっかりしているのだと思う。

さてコンサル会社はどうかというとこうした自発的な公表はない。従って最悪の事態になることが多い。町の治安を守るのは落書き程度の些細な荒廃から浄化していくことが最も効果的だそうだ。組織でも同じである。

海外案件の受注の際には、「決して過去に不正はしていません」という誓約書を書かせると聞いたが本当であろうか。

凛とした組織の体質は東大を見習うべきであろう。

294:やっぱ、粗食はいいのかな?!

今日の読売新聞からのニュース。

粗食は長寿、がん・心疾患・糖尿抑制…サルで実証
7月10日14時24分配信 読売新聞

カロリー摂取量を大幅に減らすと、がんや心疾患、糖尿病など加齢に伴う病気の発症を抑えられることが、アカゲザルを使った20年間の追跡調査で明らかになった。

霊長類で、こうした効果が実証されたのは初めて。米ウィスコンシン大などのチームが、10日付の米科学誌サイエンスに発表した。

チームは、7歳から14歳の大人のアカゲザル(飼育下の平均寿命27歳)を30匹使って、1989年に研究を開始。94年には46匹を追加した。二つのグループに分け、片方のカロリー摂取量を30%減らし、血圧や心電図、ホルモン量などを測定。死んだ場合は、解剖で死因を詳しく調べた。

カロリー制限しないグループでは、5匹が糖尿病を発症、11匹が予備軍と診断されたが、制限したグループでは兆候は見られなかった。がんと心疾患の発症も50%減少した。また、脳は加齢とともに、萎縮(いしゅく)することが知られているが、制限したグループでは、運動や記憶などをつかさどる部分の萎縮が少なかった。

白沢卓二・順天堂大教授(加齢制御医学)の話「カロリー制限が、長寿や高齢者の認知機能維持にも役立つ可能性を示すもので、大変興味深い」

アカゲザルも今度見てみよう。それにしても加齢制御医学があるんだね。

海外で年はいくつと聞かれて、「いつくと思う?」と逆に質問すると、

平均的には、40歳前後に見えるらしい。当地南部アフリカでは37歳と言われた。実際より18歳若く見えるのもいい面と悪い面があるが、悪い気はしない。冗談で若返りの秘薬を毎日飲んでるんだよ、というと急にまじめになって真剣に教えてくれと言われる。さて、これからは何と答えて見ようか。

2009年7月9日木曜日

293:Lynn Forester, Lady de Rothschildと呼ばれる大物女性実業家

今日は世銀ミッション関連情報のことでちょっと早めに起きた。4時過ぎだからちょっと冷え冷えする。

お陰で早めに情報が日本の知人(世銀出身)から入りまずは安心。朝起きも年のせいで苦にならないところが不思議だ。いよいよ中年から老人へと向かうのか。マルガリータなんぞ飲んでる年でもないか。

され、主題である。

BBCの番組はいろいろ多様で面白いが、中でもHARDTalkは世界の要人が出てきて激しい論争が繰り広げられるので面白い。かなりきつい質問を大物がどううまく切り返すかが見ものであり自分自身にも大変参考になるからだ。

リンという女性の名前がまずすごい。貴族でもない方だが流石にロスチャイルド家一族の奥様であり、当然実業家。エコノミスト誌の取締もしてたかな。最近はクリントンの支援者でも有名である。確かマケイン候補を応援していた。お姿を見るのは初めてであった。オバマをエリート主義者と言っていたか。

世界の女性実業家の頂点にいる方であるから服装も洗練しているし、知的でチャーミングである。嫌味な質問もさりげなくにこやかに切り返している。

彼女は54歳。ニュージャージー出身。生まれ、育ち、教育も申し分ない。生まれながらの実業家である。2度の結婚を経て3度目にキッシンジャーの紹介でロスチャイルド家の奥様に。すごいよね。

男勝りであろうが、女性としての品格と「チャーム」を持っている。このチャームには世界の大物は参ってします。女性実業家はこうあるべきという見本のような方だ。どんな美人でもチャームがなければだめだ。

数年前のお写真と比べるとややお太りになられたか。女性の体形は座っているところをやや斜めから写すと年を感じさせる体形が分かってしまうので注意が必要だ。BBCのカメラマンはそうした変化を見逃さない写し方をするからHARDだ。椅子の形と設置の仕方が巧妙。カメラはある意味残酷である。

中年男も同じだ。小生も昨年自分の肥満を真剣に考えるようになり1年以上ダイエットを続けている。何とか12キロ程度は体重を落としたか。流石に学生当時には戻らないが軽い足取りが戻った。

性別を問わず、50歳を過ぎたら体形に注意したいし、健康維持の原点だ。

292:Frozen Margaritaの思い出

海外での楽しみは何といっても食事と飲み会である。特に夕食は飲み会の前哨戦だ。調査団の平均年齢が低く遊び好きで好奇心のある若手が多いと楽しい。次々とおしゃれなお店が増えてくる。

中でもO氏とN君とのトリオでの夕食とその後の飲み会は楽しかった。92年のトルコである。今では3人とも別々の人生を歩いている。アンカラやアダナといった町でたくさんの名店を毎日探り当てた。

中でもケバブのお店やバーやナイトクラブの散策は思いで深いが、フローズン・マルガリータの飲み比べは今でも忘れられない。各自が多分10杯は飲んだであろう。トルコは元々「ラク」という水を注ぐと乳白色になるリカーが有名だが一時はフローズン・マルガリータにはまった。チャンカヤ地区からシェラトンホテルの傍を上がって直ぐのこじゃれたカフェが行きつけだった。メキシカン風が売りだった。

彼らも独自の道を歩んでいるが、今でもトルコの話はでる。お酒を一緒に飲んで騒いでつぶれた経験はいいものだ。

さて、フローズン・マルガリータを初めて飲んだのは確か76年だ。サンフランシスコ湾に突き出るようにして建てられた海上レストラン。シャープな辛さと甘さと冷たさが心地良かった。

次が82,3年の自由が丘。当時こじゃれたカフェが流行し始めていた。三軒や二子と同じでまだファッション化されていない前かもしれない。その後は、86年のオークランドのクレアモントホテルかな。隠れ家的なホテルだが高級ホテルだ。日本人は絶対に来ない。

その後はとんとご無沙汰で前述のトルコのアンカラ。それからずいぶん飲んでなかったが、先日妻と娘と三人で浦和のメキシコ料理屋へ。昼間だったが久々フローズン・マルガリータを3杯。ドスエキスにすればいいところだが、やはりテキーラがあればフローズンだ。妻のお許しを得て。

お酒に飲まれたことはないが、後で突然効いてくるテキーラやウォッカは格別である。ウォッカの思い出はまた別の機会に。

Frozen Margarita recipe

2 tsp coarse salt
1 lime wedge
3 oz white tequila
1 oz triple sec
2 oz lime juice
1 cup crushed ice

Place salt in a saucer. Rub rim of a cocktail glass with lime wedge and dip glass into salt to coat rim thoroughly, reserve lime. Pour tequila, triple sec, lime juice, and crushed ice into a blender. Blend well at high speed. Pour into a cocktail glass.

自分で作るほどではないが、正式なレセピは難しいのだ。triple secを知っていれば流石である。

291:Top-downとBottom-upのキャパビリ実践

開発途上国では概ねトップダウンによって組織が動いている(ように見える)。従って最高位に居られる方に働きかければいいかというとそうでもない。

トップにおられる(例えば大臣、事務次官、局長クラスだったり)方はやはり信頼する特定の部下がいる。コンサルとして組織全体を動かすことはことは難しいが、上から下までの命令系統を察知し、適宜下からも働きかけることが重要なことになる。

最高位の考えや思いをさりげなく信頼されている部下(副局長、部長、課長クラス、さらにチーフクラスまで)に追加情報として伝えておく。どこでどう間違うか、あるいはサボタージュされるか心配だからである。

この作業が中々大変である。自分がそう考えるという段階まで理解度を上げてくれればしめたものである。

時どき数段階飛び越えて優秀なチーフクラスが局長に最も信頼されている場合もあり組織内の人脈は複雑である。通常の公式協議だけでなく日ごろのあいさつや雑談がここで活きてくる。

変な言い方だが、ボトムアップやトップダウンの両面でで多少のアイデアを差し上げて各自が自分の考えにしてもらえば幸いと考えている。

この数カ月は挨拶と雑談が主だったが、いよいよ協議や交渉・調停ごとまで話の内容が熟してきた。アウェーからホームへの段階に入ってきたか。こういう信頼関係が築けるのがコンサルの醍醐味であり病みつきになってしまう原因でもある。

当地の方々は意外とWBやAfDBの内部資料を全く持っていないので適宜差し上げている。当然トップからボトムまで。こうして上から下まで主要な関係者の共通認識と協働作業意識を高めていただく。

今日は黒ビールで乾杯だ。

2009年7月8日水曜日

290:海外出張の必需品?

過去の調査案件での1回の平均出張期間はどのくらいであろうか。記録は全部システム手帳にあるが、大雑把に言って3カ月ぐらいか。最低で3日というのがあったが非常に疲れた。

昔はPDFファイルがなかったので資料だけでもトランク1個で25キロはあったか。ここ10年は電子データで持っていくので流石に2個のトランクはない。資料のあるなしで作業の効率が違ってくることもあるので昔は兎に角詰め込んだ。ただし資料の選定のセンスが悪いと最悪である。ある種のひらめきが頼りだ。

トランク1個に食料品を一杯入れて持参することもまれにある。首都から離れた辺境の地の場合はそうであった。中華屋もないところはインスタントラーメンや味噌スープは生命線だ。アジア、中近東あたりは問題ないがアフリカではかかせない。

薬も大事なもので、特にカゼ薬や胃薬は全期間もつようにしないといけない。自分の常備薬に匹敵する薬を購入することが難しいからである。

缶切一つで苦労することもあるのでスイスアーミーナイフも必需品であろうか。今回忘れて大失敗。

さて、作業環境だが調査団として行く場合と一人で行く場合もあり必需品の選定は難しいが、やはり最低限持参したいのはパソコン、小型プリンター、スキャナーであろうか。ちょっとしたミニオフィスをホテルの部屋に開くこととなる。オフィスでは問題ないにしてもホテルなど休日の作業がある。ただし、インクタンクとかは予備をたくさん持っていかないと無くなった時パニックに陥る。

衣料品の選択も難しい。個人差があるので他の方の助言も参考にならない場合もある。宿舎かホテルかの違いもある。クライアントなどへの挨拶に背広が必須な場合もあるし、ネクタイなしでもいいこともある。正装1式でも荷物の量は違ってくる。

最近は正規ビジネスクラスで行ける機会も少なくなり、エクセスにも限りがある。上記のような状況を総合的に考えて荷造りするのが毎回大変である。出張の前日深夜までかかることが普通である。

それでも現地で調達できることも多いので致命的な失敗をしたことは殆どない。

さて今回だが、久々のアフリカでセンスが鈍ったらしい。現地調達度が予想外に低く、

1.食料品の消費が意外と進み1.5カ月で在庫切れ
2.常備薬も2カ月で底をつく
3.インクタンクの予備がない

の問題が発生。プリンターが最新のためアフリカにはないのだ。食料品はスーパーで購入可能のためOK。常備薬もカゼ薬と胃薬なので購入可能。インクタンクだけは日本から国際航空小包で送ってもらうことにした。

エクセス代の節約では解決方法が見つかった。今回はデーバックの大型(エディーバウアー)でトランクに入らないものを全て詰め込んだ。中々使い勝手がいい。背負えるし、機内に持ち込めるのも利点である。

パソコンは常用のドイツ式のソフトブリーフケースにすっぽり入るし鍵がかかるので安心である。ホテルの部屋を出るときは空っぽのトランクにケースを入れてトランクの鍵を常に掛けて外に出る。

今は朝と夜にゆっくり入浴するので入浴剤があればなーとちょっと反省している。お湯がちゃんとでてくるホテルも海外では5つ星以外は中々ないのである。

今までで最も環境のいいホテル生活はサイゴンのシェラトンに5カ月間滞在したことであろうか。そういうことはもう2度とないであろう。

2009年7月6日月曜日

289:開発コンサルとして活躍された3人の日系人

先人たちの中でやはり日系人の人生は気になってしまう。子供のころからの気持ちで、ずっと忘れない。日系人というのはアウェーの最たるものだからだ。

海外で開発コンサルタントとして活躍されていた日系人と一緒にお仕事をさせていただいたのはお一人しかいない。ある会社には3人の勇者がおられた。

一人はベトナムの日系人で戦前ハノイのリセを卒業された方で、久保田豊さんが50年代にベトナムでの活動した際には大きく貢献された小田親さんだ。今もご健在で茨城県の海外実務のマニュアルにも登場しベトナム人への支援を行ったり、月1回ベトナム研究会を主催されているという。リセと言ってもピンとくる方は相当のお年だと思う。フランスの国立高等中学校で日本の旧制中学のようなものである。彼とは一度もお話したことがないが、ベトナムの戦前・戦中・戦後を知る生き証人のような方だ。

他のお二人はご兄弟でありハワイ出身と聞いている。どんなことがあってお二人が日本に来られ日本のコンサルタント会社に入られたかは全く知らない。設計や施工監理がご専門であるため現場でのご一緒は叶わなかった。確かご兄弟のどちらかには飲み屋でご一緒したが、日系人を感じさせるお言葉はなかった。他の日本人もおられたから遠慮されたか。

実際に一緒に仕事をした日系人はアメリカ本土のご出身で地域計画をご専門としていた。彼も相当なお年だったが、この方も殆どしゃべらない。

何で日系人はおしゃべりしないのか?と思ったが、これがまさに大方の日系人の姿なのだ。

以前も書いたが、

Quiet American

という本を読めば、日系人の性格である穏やかで物静かさが分かる。例え、英語、フランス語、ポルトガル語をしゃべろうとも日本人の美徳で、おしゃべりは少ない。若者でもそうなのだ。

彼らのご貢献も纏めてみたいが、何せ語ってくれるかが大問題である。

288:Hack Watchと片岡義男のお父さん

片岡義男を久々思い出したのでいろいろネットで検索した。もう69歳だった。ご健在で写真家としても活躍が伝わってくる。いいお顔をされている。服装もかっこいいね。早速奥さんにメールで送る。

彼の随筆は多いが、お父さんのこともわずかながらある。お爺さんがハワイの日系1世、お父さんは2世で英語しか話さなかったらしい。逆にお母さんは日本語だけだったそうだ。日本からの花嫁かな。当時結構写真だけでハワイに花嫁として渡ったご婦人が多い。何しろ同じ県出身じゃなくてはだめだというのもあった。

片岡さんのご出身高校は都立だし、大学は早稲田の法学部なはずだ。

お父さんは日系人として戦後日本に駐屯されていたのかは不明だが、当時兵隊が支給されていたハミルトンのハックワッチを子供の時もらったと随筆にある。彼の説明では兵隊用語とある。確かに当時は兵隊のスラングで呼ばれてはいたが兵隊用語ではない。

ハックワッチとは、ミリタリーウォッチとして現在でも人気の高いハミルトン社の「カーキ」を代表とする時計の総称だ。第二次世界大戦にアメリカ軍へ腕時計を供給していたハミルトンは、多くの兵士が身に着けていた。戦場で兵士たちが時刻を合わせる際に、リューズを引いて秒針を止めてHackの掛け声と共に秒針をスタートさせるこの行動から「ハック・ウォッチ」と親しまれていたという俗説もどこかにあった。このハック・ウォッチと一緒に帰還することが、共に戦った名誉であり誇りでもあったのだ。

しかしこのhack watchというのはdeck watchとも言って「甲板時計」を意味するずっと昔からある海事用語であり、天測時の時間合わせに利用するところからきているときいている。日本軍やドイツ軍などにも同様に古くから存在する。

片岡さんのお父さんもハックワッチを持っていたということは無事戦火を潜り抜け生き延びた証だったと想像するし、息子の片岡さんに記念の時計をいろんな気持ちを込めてさしあげたのだろう。片岡さん自身はお父さんの気持ちについては語ってはいない。

コンサルにとっては海外で時計をハックすることはないが、日本に残っている家族のことを思い、時差を気にすることは多い。今の時差はプラス7時間だ。ちなみに小生のハックワッチはドイツ軍の流れを継承するタグホイアーである。

287:英単語ってどれくらい必要なの?

と聞かれる。答えは簡単。

1.自分と同年代或いは同じ教育レベルのネイティブと同程度

2.自分と同じ仕事をしているネイティブと同程度

かな。これが「最低線」でこれ以上は無限大である。そのほかに特別な嗜好があればそれを勘定にいれる。

昔、片岡義男さんが言っていたが英語で小説を書こうと思えば20万語は必要だそうだ。なんとなく覚えている。54歳の末席コンサルである私はどの程度の単語力があるのだろうか。数えるほど暇がないが、簡単なテストで評価する方法はないものだろうか?

多分東大に合格するための英単語数は5、6千語ぐらいであろうか。ちょろいものだ。海外で活躍するコンサルではどうか。社会経済分野でも2万語もいかないだろう。トンカチ土木屋では、多分、東大生以下でも大丈夫だ。日本人が書く報告書を解析すれば多分必須レベルでは5千以下かも知れない。ネイティブの大人で5,6万語いったら大したものだし、英字新聞で2,3万語あれば何とか読めるか?全く頓珍漢な当てずっぽだが。

以前、トルコでダムの調査計画に参加したが、融雪による出水が時間単位で変動があり日内の変動を捉まえる必要があった。

1日の内で変動することを英語ではズバリ

diurnal

という。意味を知らないのか、知りたくないのか、使いたくないのか、いやみに思ったのか、副団長の方は消してしまった。小生も得意げに使ったわけではないが科学技術英語として当たり前の英単語だと思ったのだが。

片岡さんのいう20万語はとてもないが、せめてコンサルは国際機関の英文報告書と同等の英語力があれば最低線として合格か。

自分は死ぬまで新しい言葉を覚えたいという強い願望があるので切りがない。

それを英語では

Proclivity

という。いい言葉だ。

Definition: A strong, inborn preference or fondness for something.

Usage: "Inclination" implies a mild interest in something. "Proclivity" indicates a strong interest or fondness. "Fetish" implies an unusually strong, even unnatural proclivity toward an object.

Suggested Usage: The word "fetish" is both mis- and overused, so bring "proclivity" into play when speaking of strong but comprehensible preferences. "He has a proclivity for peanut butter and guacamole sandwiches" or "She has a proclivity to overstate the historical importance of her ancestors."

Etymology: Latin proclivitas, from proclivus "inclined, sloping downward" from pro "forward" and clivus "slope.

こんな言葉もメルマガから毎日配信されている。東大を目指す諸君は日本の将来がかかっている。世界の頂点を制することを目標にして英単語も少なくとも数万あたりから上を目指してほしいものだ。

286:コンサル会社の若手事情と将来

アフリカにまで来て最近の若手コンサルの事情を聞くとは思わなかった。

偶々お会いした方も50代だが、話がコンサル会社の給与のことになり、所帯を持っている若手は大変ですよねと聞いたら、そうでもないらしい。

全般的に上司にも従順で拍子抜けするほど手ごたえがなくなっているという。キャリアの奥さんとかと結婚したり経済的には奥さん依存型だ。子供は一人。ダブルインカム・ワンキッドか。

なるほど、そういうことでこの経済的な難局を乗り切っているのか。お勉強になった。

一方、実力があって組織の中で悶々としている若手や中堅はどうしているのだろうか。住宅ローンや子供の教育費もばかにできない。年収も下がるばかりだ。奥さんのパートではとてもカバーできるわけではない。

経験20年から30年ぐらいあれば何とか独立系で食べられるがこれも実力があってのこと。組織の中で「井の中の蛙」状態に浸っていては難しい。とてもタイタニックから下船する勇気と先見性はないだろう。

しかし時代の流れからいって、そういう独立系コンサルタント集団のミニ会社も非常に希望があると思う。さっき(バブルスであった)奥さんから読売新聞のIC(独立請負人)の紹介記事が送られてきた。なるほどアメリカでは普通らしい。日本でもジワリジワリと増えてくるのではないだろうか。

2009年7月5日日曜日

285:Ross McDonaldとの出会い

音響的な効果はすごい。懐かしの曲を聞いていると、過去の思いが走馬灯のように蘇ってくる。年のせいか。

高校1年のときにはニューズウェークを定期購読していた。生意気な高校生だ。中学の子供じみた英語には飽き飽きしていたし、将来はNHKの海外特派員を夢見ていたころだ。

流石にお勉強的な英語にも飽きてきたころ、映画で「Drowning Pool」という探偵物を見た。原作に興味を持って、作者であるRoss McDonaldをペンギンブックスかなにかで探した。神保町だったか銀座だったかは忘れた。兎に角、原作でまた魅かれた。英語の生きた文章にだ。

映画を見ているような文章の流れがあり、LAあたりの光景が目に浮かぶ。Ross MacDonaldはそれ以前のダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーに次ぐハードボイルド小説の大家であるが、やはり戦後派だから文章はやさしい。

1950年代から60,70年代まで書いていただろうか。自伝もずっと後に読んだ記憶がある。

兎に角、歯切れのいい会話。無駄のない表現と豊かさ。しゃれた言い回し。いろいろ学んだ。英語でどう女性の心を捉えるかという技もだ。事情聴取術もだ。流石に口説くのは実践していないが。

元副社長で軽音楽部部長のY氏は中々上品な方であったが、ある時飲み屋で一緒になり探偵小説の話で盛り上がった。彼はハメットやチャンドラーは知っていたが、ロス・マクドナルドを知る世代ではなかったが、中々おちゃめな方だ。育ちがいいのだろう。その時は、高級な九州の焼酎を飲ませていただき、朝の4時まで飲み続けても泥酔しない私も流石に泥酔してしまった。あの時は、尊敬する設計のプロのH氏がインドネシアのダム現場で休日のオリエンテーション参加中倒れて亡くなられた直後だったからか。

H氏のようなプロで頑固な先輩諸氏が少しづく会社から消えていなくなってきた90年代半ばのころの話だ。

284:バブルスバブルという名のバー

仕事と映画鑑賞の毎日で何か忘れていた。

日本での作業では音楽が欠かせないが、ここのネット環境では速度が遅すぎてとても音楽鑑賞は無理だ。といってCDは持参していない。

偶然気に止めたTVの音楽チャンネルをそのままにしている。ラブソングが延々と流れて続けているので感傷的になってくる。赤ワインのせいもあろう。この何カ月は音楽が不足していたのだ。映像と音楽の連携もいいが、音楽だけのインプットも頭脳の活性化には栄養剤だ。nutrition to the soul

失われた10年のさらにもっと前の80年代初めにBubble's Bubbleというカウンターバーがあった。バブルの崩壊とともに92年ごろか閉店となった伝説的なお店だ。まさに予言的と言ってもいい。オーナーの智ちゃんもバブルで複数のお店を何軒か展開してたが今はどうしているんだろう。

元々、会社の軽音楽部(そんな同好会が会社にあったことも不思議だが)の飲み会で最初に訪れた。人事部の2次会のお店でもあったが、新入社員であった我ら悪友たちが頻繁に出入りし始めたため,だんだん新入社員が独占するようになった。日本テレビも近くにあったからよくTVで見かける女性アナウンサーもいたりしていた。

週何回行っていただろうか。いろんな事件もドラマもあった。くわしくは言えないが。ネットで誰かが語っていないかと検索しても出てこない。懐かしむ人はいないらしい。

カウンターで一人飲んでいた人事部のT氏ももう役員定年で去ったし、人事部長で社長になられたC氏も一回バブルスでお会いしたことがあった。不思議な方で私にだけそっと、「久保田さんは女性にもてたんだよ」、と言われていたが、どこでどうもてたのかは言われなかったのを今でも覚えている。なぜもてるのかは今は良く分かるが、当時はそれ以上突っ込まなかったのは残念だ。コンサル会社の繁栄としてはまさしくピークであった。夢と希望で満ち溢れていた。いい時代だ。

今は当時のお店のビルは解体され跡形もない。店に至る新道もどこか寂れている。

大学生だった妻とはバブルスで運命的に出会い、3年後結婚することになる。最初の会話は英語だったっけ。

283:アイスクリームのデザートという都市伝説?

土曜の残業もやっと終わりにして映画を見ようとしてもドリームガールズだったのパス。もう何度も見ているし。とチャンネルを変えるとさっきまで口ずさんでいた歌が音楽チャンネルから飛び込んできた。殆ど止まらないチャンネルだが初めて止めた。

何せさっきまで口ずさんでいた曲だからビックリ仰天。

1976年7月ビルボードトップ100で1位となってそれ以来アメリカでもっとも人気の曲として世代を超えて歌われている名曲、

The Afternoon Delight

である。一発屋で終わったStarlight Vocal Bandの曲である。見事なサウンドとハーモニーは忘れようとしてもつい口ずさんでしまう。何とも透明感のある歌である。

さて、歌詞であるがネイティブでも本当の意味は聞いていても分からない。日本人の自分にも分かるわけがない。実は中々セクシーな歌なのである。

この曲を聞きながら北カリフォルニアのハイウェイを飛ばすと爽快だった。76年の21歳の夏。サウサリートから北上しぺタルマヘ。アメリカン・グラフィティーのロケーション地。丁度映画の中でパトカーが急発進し車体が壊れる場所も確かに確認したっけ。同行した都市計画専攻の奴はオハイオ州に行ったはずだ。FM東京では「気まぐれ飛行船」のチャーミングな安田南と片岡テディー義男がいたころだ。古い昔の思い出が過る。深夜放送を夜中3時すぎまで聞いていたから、子供に説教はできない。

歌の歌詞は省くが、作詞をしたご本人は後日、

Contrary to many urban myths and politically correct interpretations, the song is not about a ice cream based desert, but is about carnal knowledge in the afternoon.

歌詞の意味を説明していたという。今は流石にわかるよね。

そんなことも当時分からずいい気になっていた自分が恥ずかしいし、お前馬鹿かと片岡さんに笑われる。安田南は亡くなったと聞くが、片岡さんは元気なのかな。尊敬するハワイのロコボーイだ。

282:BBCディベート(災害リスク軽減)

1ヶ月振りだろうか、BBCの恒例ワールドディベートである。

今回は災害リスクの軽減について。UNISDR、イタリア公共事業担当、リスク専門家、そしてあの有名なフィリピンのレガルダ上院議員である。次期大統領候補といわれる彼女だがdisaster risk reductionに係るUNのchampionだそうだ。

へえ、という感じ。事情はよく知らないが、専門家に交じってごく普通の常識的な発言であり専門家からは政治家の発言だねというやや冷ややかな反応。映像だから直ぐ分ってしまう。彼女も早口で反論するが、言えば言うほど政治討論会のようだ。フィルピンの女性は中々チャーミングで好きだけど大統領候補になるような女性はちょっと避けたいところだ。

さて、災害リスク軽減対策といえば、日本が世界最先端を行っているし、参加者の出身地であるフィリピン、バングラディッシュなど相当の技術支援を行ってきた。ジュネーブで開かれたとはいえ、なぜ日本から専門家が出てこないのか???

あらゆる自然災害に係るリスク軽減策の先進国であり海外途上国の技術支援でもUNの比ではない。

お誘いはなかったのだろか?やはりこういうディベートにはぜひとも出てきてほしいものである。パネラーの方2人が日本の事例を紹介していたし、自信を持って主張できるはずである。比国の災害リスク軽減ではどれだけ大きな貢献をしたか分からない。そういう支援のことはレガルダ上院議員は一言も言わないのだ。

2009年7月4日土曜日

281:今週のIWRM情報

今週はIWRM関連機関からのメルマガがいくつも届いたので纏めて整理する。

1.SfEP

ECが発行しているお馴染みSfEPから面白いクイズが紹介されている。

Test your knowledge of environmental science and policy

Following the success of the Science for Environment Policy quiz at this year's Green Week, we are delighted to announce that it is now available online for all to test their environmental expertise. To take the test, please visit: http://ec.europa.eu/environment/integration/research/newsalert/quiz.htm

EU諸国に係るクイズなので正解は難しいが面白い。

2.WWC

第5回世界水フォーラムの総括的な要旨がでた。GWPとINBOが纏めたIWRMのハンドブックのことがちょっと載っている。あまり全面的には紹介されていないところが気になる。

3.CAP-NET

6月号の記事は以下の通り。

Testing the Knowledge gained from the River Basin Management training;
IWRM and Climate Change: Towards a Strategic Adaptation in Latin America;
Gender and Water in Lusophone Countries;
Focus on a network member;
Fourth South Asia Water Research Conference on Climate Change in Kathmandu, Nepal;
Training for school teachers on IWRM in Sri Lanka
Pilot training on Water Integrity and Accountability
Upcoming Events in July 2009

気候変動も主要なテーマになってきた。

4.INBO

越境国際河川流域機構で有名なセネガル川のOMVSの主催で次期INBO世界大会がセネガルで開かれる。ここでも気候変動がテーマである。

FLASH !
The event of 2010!
The next World General Assembly of the International Network
of Basin Organizations will take place in Dakar–Senegal
from 20 to 23 January 2010, at the invitation of the Organization
for the Development of the Senegal River (OMVS).
www.omvs-soe.org/

" River Basin Management:
the appropriate tool to adapt
to the hydrological effects of climate change ! "

IWRMという略語もだんだん使用頻度が下がっているように思えるがいかがであろうか。それに代わり、水資源に係る気候変動の影響というテーマがどこでも多い。科学的なアプローチの必要性を感じている。環境政策への科学という言い方も大変興味深い。セネガルでは気候変動の水文学的な影響にどう適用するかという問題が議論されるようだ。

280:The Notorious Bettie Page

当地での最重要資料も入手し一段落である。物的な証拠がないと事情聴取も空回りする。

さて、主題の映画だが05年のアメリカ映画である。notoriousを和訳する難しさがあるらしく、日本では単にベティ・ペイジとなったようだ。「あ騒がせ」と訳した例があったが最悪な訳である。

50年代に彗星のように登場し7年間で消え去ったピンナップガールの半生を描いている。おおらかで天真爛漫な南部女性の話である。ナッシュビルというところが素直な女性というイメージが伝わってくる。

50年代のアメリカだからまだプレイボーイやペントハウス誌が登場する前である。ポルノ写真の制作の裏側がコミカルに描かれている。反面、社会からの反発は厳しく、ピンナップガールを転職としてしまったベティの受難と回心をテーマにしている。

ほぼ全編白黒で表現され50年代の雰囲気を再現している。カラー部分もあるが如何にも素人が8ミリで撮影している手法を採用している。

一見ふしだらな女性であるが実際は敬虔なクリスチャンであり、回心後の場面では伝道者としての彼女の活動で終わる。

彼女はnotoriousではないのだ、と言いたいがためにわざわざこの言葉が使われている感じがする。faithとはなにかを考えさせるエピソードであるが、こうした宗教的な意味合いが日本での題名に繋がっていかないもどかしさを感じる。

脱線だが、フィリピンのマニラやタイのバンコクには悪所がたくさんあり日本人も「単純に」エンジョイしているが、赤坂や銀座の高級ナイトクラブのような旧式のお店に行くとベティのように信心深い方がたくさんいる。確かに水商売は毛嫌いされる商売だが、天職だという職業的なプライドもあり教養もある。

マニラには「果林」という以前は日本人のママさんがおられた有名なお店があり、カラオケが繁盛する中でピアノバーを細々と続けていた。昔々はあの若王子さんも来ていた。赤坂あたりのクラブと同じで、コンサルや関連の商社やゼネコンも集まってしまうところだった。

流石に今では日本人ママさんも帰国され経営者も変わったため、カラオケ化している。閑散としているピアノバーフロアーが好きでカラオケのフロアーには行かないので、一人で占領状態である。いろんな女の子から様々な話が聞ける。何のために飲み屋に行っているかと反するが、彼女たちの日常、故郷の家族、ボーイフレンドとの関係、大学での勉強、芸能界情報、日本人客の噂話など、聞く一方の情報収集で表に出てこない貧困層のさまざまな諸相が分かる。飲んでエンジョイする場所だけではないのだ。何といっても一応まともな英語だからいい、これがインドネシアやヴェトナム、タイだと会話が成立しない場合が多い。脱線終了。

ベティも1950年代のMary Magdaleneであろうか。

2009年7月3日金曜日

279:貴重な資料にワインで乾杯!!

アウェーでの現地作業はまず資料探しから始まるが、これがいつでも大変な作業である。1,2カ月掛けても収穫なしの場合も多い。

このブログでもデータや資料収集の困難さやある種の「奇跡」も紹介しているが、今日も奇跡みたいなことがあって最高にうれしい。

テータ探しの苦労話は切りがないが数例ご紹介しよう。

1.インドネシア・北スラべシ州の案件では地方事務所の水文班のデータシステムはすでに崩壊し、データ台帳は洪水の浸水で見るも無残な状況。CIDAが6年実施した技術プロジェクトの成果が唯一の頼りだった。誰も使っていない倉庫のような部屋にCIDAの6年の成果が眠っていた。2カ月掛けて精査。何とか計画に活かせるものにしたが、実データの入手はさらに困難。現場の電力公社支社やそのジャカルタ本店の研究所を回って実測データをゲット。3カ月目であった。

2.英語の資料がないといわれたダマスカスの水道公社では奇跡的にも担当部部長の個人書庫からソビエトの調査計画レポート英語版が全巻発掘され、後に繋いだ。これがないと調査団全体の作業が全滅。

3.サウジでは担当部長が世銀の水政策報告書をお願いしても出さない。休暇でドバイにいる副大臣にメールして直接懇願し、次の日には担当部長が渋々出してくれた。超トップダウンのお国柄。

4.中央アジア諸国やマーシャル諸島では現地政府機関では全くデータや資料が得られず、国際機関からの資料で何とか乗り切った。マーシャルでは現地での情報はローカルのゼネコンからだけだったが、鹿島建設の方のご紹介がなければ不可能だった。

5.マレーシアでは商社の方が資料収集にあたったがやる気なしで期待薄。独自に大学研究所から貴重な資料をゲット。商社マンは口と飲み屋のアレンジだけ。

6.レソトでは最新データ入手が困難で、幹事会社のSMECから「作業が終わるまで無償で作業せよ」、との恫喝があったが、南アのコンサルの協力で乗り切った。南アのイギリス人移民はやさしい。

7.トルコではクライアントのDSIからデータが得られず頓挫しそうになったが、別の政府機関の友人の協力で乗り切った。飲み仲間の人脈である。

8.別のインドネシア案件では既存ダムのF/SとD/Dの設計比較が主眼であり、いずれも同じコンサルが実施したため同コンサルのジャカルタ事務所の資料室を調べたがあまりにも古い資料のため見つけられなかった。さてどうしよう。現地の地方事務所の崩れかけている資料室でカビの生えている資料を汗をかきかき捜索。数時間後にやっとF/SとD/Dの図面が見つかった。頼んでもだれもそこまではしないだろう。

9.比国では地方事務所の過去の大事な資料はすべて倉庫に雑然とほったらかし。特に磁気データはカビが生えている。東京の専門家に聞いても古すぎて対応できずとのお答え。マニラの測量会社にお願いしてテープの解析をお願いした。2カ月してやっと水文データをゲット。これがなければ調査計画は崩壊しただろう。世銀の案件だったが、最悪な事前調査だ。

まだまだ事例はあるが兎に角いつもこうした苦労が毎回続く。人に頼めないところが難点である。自分で探して見つけ出すしつこさが必要である。刑事にでもなった気持であるが、ある種の快感でもある。

さて、今回は?2カ月経っても公式には何も資料は出してくれない。国際機関や個人的な関係から大分出てきてはいる。しかし、最重要資料が出てこない。

今日は省内で誰も使っていない計画局直属の閉職である資料室をやっと発見。以前から資料室はないかと他局に聞いてはいるが誰も教えてはくれない。管理部の人から聞いて早速探索。それにしても全く整理されていない。大臣から事務次官まで存在を知らないらしいし、計画局長も全く無関心らしい。悲しい組織だ。

良く調べるとこの国の水セクターの歴史的な宝庫だ。膨大にあり過ぎて一瞬困惑したが、次々に重要資料を発見。最新の省外未公開資料は係りの叔父さんが印刷したてのものを内緒でくれた。

1時間ほどおじさん(と言っても同じ年だそうだ)と雑談し、省内の人間関係、組織の問題など内部情報が得られた。外国人には中々省内のご事情など話してくれる人はいない。省内資料は一応この資料室に集まり地方支局まで配布されるらしいが、それだけらしい。

整理されていないので利用するする人はいないが、小生からみるとまさに宝物である。国際機関もまだ入手していないものが手に入ると最高にうれしい。この資料室は印刷物配布機能を持っているらしい。だから一般職員は殆ど入ることがなく、ドアには資料室などという名称はないのだ。

今日は大変な収穫日であった。南アの赤ワインを買ってホテルに戻る。目ざとくワインを見つけた省の水文地質屋が今度飲もうねと誘ってくれた。レソトでは毎週金曜の夕刻はfriday meetingといって豪州、アメリカ、南アの各コンサルが集まって飲み会が開かれていたのを思い出した。日本人は一人だけだったが。やっぱ、飲み会は必要だ。

278:ダム決壊解析

日本ではダムは決壊しないという想定のもとでダムの安全を検討している。

Failure in safe

という概念である。

これに対して、海外ではダムは決壊する可能性があり仮に結果した場合どういう現象が起こり下流に対してどのような影響があり、下流住民を安全に避難誘導する対策を事前に練ることが必須である。

これは、Safe in failure

という概念に基づく。

従って日本が行う技術支援にはdam breakを対象とする調査や計画はない。途上国では通常ダム開発のEIAでダムブレイク解析と住民に対する警報・非難誘導対策が検討され、小生もインドネシアやマレーシアのダム開発で実施に参加したことがある。

中央アジアではウズベキスタン政府が主導し、地域国の河川構造物の安全に関する技術開発を進めている。ソ連崩壊後のダムなど河川構造物の劣化が深刻なのである。

さて、最近中国のダムの決壊が深刻になっている。設計など技術的な側面より建設に係るコントラクターのごまかしで施工に不備があることが原因となっているかと聞いている。

インドネシアなどではダム貯水池内の堆砂が問題であることが多く、設計洪水量を調整する貯水池容量が激減し、大洪水の際にダムを越流しダム決壊の危険性が高まっているケースも見られる。堆砂そのものを経済的に処理する方法は中々ないが、追加のスピルウェーを設置するしかなさそうである。しかしその際にダム決壊の解析を実施することはない。

一方、アフリカでも規模の小さなアースダムがかんがいと村落給水用としてコミュニティーレベルで作られているのはあまり知られていない。ダム高は数メートルである。こうしたcommunity-based small earth damsに対して日本の援助が可能かと言うと中々難しい。壊れるかもしれない恒久性の低い河川構造物への支援は説得力が欠けるのである。と言って、大ダムではコストがかかり過ぎ実現性は乏しい。

地下水開発は井戸を掘るだけなので比較的容易だが、こうした小規模なダムや取水施設も村落給水の水源として重要であり、どのような支援ができるかの検討が必要であると感じている。設計基準、施工水準、実例の検証、コスト、O&Mなど調べることは多そうだ。

277:海軍か陸軍か

別に戦争の戦略を論じる気はないのである。確かに戦記物とか軍事的な戦略論は随分好きで、アマゾンで纏めて20冊以上を大人買いをしたこともある。

さて、主題だが、昔の大先輩達の中には戦前旧制中学を卒業後、陸軍士官学校や海軍兵学校に進学されたかが多くおられた。海軍兵学校などの名簿を見れば、存じ上げている諸先輩のお名前を見ることができる。74期のある方は以前ある機構のオフィスで2度お見かけしたが、何でお前がこんなところにいるんだ、と言われそうで逃げてしまったことがある。

昔々、アジアの某国で世銀融資で大ダムが建設され、日本のコンサルが工事監理を請け負っていた。設計まで受注したかははっきり知らない。世銀の融資案件のコンサル業務は今では中々受注できないのだから、昔は威勢が良かったのだ。1ドルが360円の時代である。数年か海外にいると家が建ったとうわさされた。

世銀からはカナダ人だったかの専門家が常に進捗を審査していたらしい。その方が厳しかったために問題が浮上し、現場所長が本社に支援を求めたのか、あるいは本社から視察に来ていたのかは不明である。

その時の所長に対して本社からの幹部の叱咤激励の言葉をどこかで聞いたことがある。飲んでいたので正確さはかける。

「貴様はそれでも帝国海軍軍人か」

と言ったか言わなかったか、そんな意味合いである。幹部は陸軍士官学校出身であり、所長は海軍兵学校出身と聞いている。中々豪快な言葉である。くどくど言わなくても一撃のコメントである。

小生も随分諸先輩に叱咤されたが、一理あると思ったし、ある時期まで一度でも不快に感じたことはなかったが、21世紀にはいるころから大分状況が変わってきた。貧すれば鈍するなのか。

叱咤される(パワハラ的ないじめだが)ことに納得がいかなくなってきたのである。不正、技術、人格など切りがないので具体の事例は上げないが。

逆に自分が後輩や部下を叱咤激励するのも難しい。やさしさが求められるのであるが、緊急事態になっている時にサボタージュするには流石に激怒した。しかし組織とは愚かなもので、内容よりも怒ることに問題があるらしい。これではまるでPTAだ。子供が親に言いつけするのに等しい。

怒ったり怒られたりすることで自己を内的に磨いていくのは映画だけになってしまったか?!

2009年7月2日木曜日

276:Faith likes potatoes

ザンビア、ジンバブエ、マラウイの3カ国は以前は1つの国であり、それ以前はイギリスの統治下に置かれていた。だからイギリス人の移住者も多くいたらしい。

独立後の紛争などでイギリス人の農民も南アに移住する者もいたようだ。

首記の本はザンビアから南アに移住したスコットランド人農夫が88年に書いた物語らしい。06年には南アで映画化された。

ずっとポテトにこだわりがあり、昨年の国際ポテト年を知ることで取りあえず落ち着いたかと思いきや、最後のワンプッシュがこの映画である。

06年の映画だし、まさかポテトのプロモーション映画ではないだろうが、題名の意味を知りたくて見てしまった。

南アは以前はポテト栽培は不可能といわれていた。主人公のAngus Buchanが本格的にポテトの栽培に着手し広めたらしい。何十年も前の話である。アパルトヘイト終焉前であろう。

映画の最後にこのタイトルの意味が分かるようになっている。ご存知の通り、ジャガイモは地中にあるため収穫してみないと豊作かどうかは分からない。彼がクリスチャンとして深い信仰心を持つまで様々な過程を経ている。単に洗礼を受けたかといううわべの「資格」の問題ではない。

Faith likes potatoes

信仰はポテトと同じように収穫するまで見えない、と言っている。

ポテトに気になっていたこの数カ月は、ポテトのお勉強ではなく信仰を深めよというメッセージであったようだ。神様も時どき粋な計らいをするようだ。まさにprestageである。

この6年間はまさにコンサルの真価が試される修行であったが、やっと50代半ばにして少し光が見えてきた。まだ80歳までは遠い道のりである。

275:United States of Africa (USA)

現在リビアでアフリカ諸国が参加するAfrican Unionの会議が開かれているとBBCのリポートがあった。

そこで議長のガダフィー大佐が提唱しているのが、

United States of Africa

である。

アフリカ諸国内での貿易は全体の5%程度であるという。アフリカ諸国が協働して農業開発などを実施し関税なども無くせば確かにメリットは高い。この提言も00年、07年と今回で3回目となるらしい。53カ国でひとつの軍隊、通貨、旅券を共有するという大構想である。USAという略語も使うらしい。

何年後に実現するか楽しみではある?!

アフリカ開発銀行はAfDBとするが、アフリカではADBである。アジアも担当する人間としては混乱する。USAfでは間が抜けているか。

274:オフィスの静寂

今日は朝から4Fのオフィスに全く人がいない。隣のセクションにはいるのだが。

お昼が過ぎ午後4時になっても誰も現れない。2時過ぎまで会議が続くことがあっても秘書や事務員まで全員がいないことは流石になかった。

同局の隣のセクションの秘書に聞いたところ、チーフのお母さんが昨日亡くなり全員お葬式に参列しているという。小生も偶々オフィスが同セクションにあり、省内3局を対象としているのであるが、連絡が遅れたのであろうか、当方には一切知らせは無かった。遠慮されているのであろうか。

昨年は交通事故で隣のセクションの副局長が部下数人と一緒に亡くなられている。別の省でも突然亡くなられた副局長もおられる。

病気の場合はマラリアであることが多いそうだ。昨日もオフィスがあるセクションの副局長がマラリアで頭がふらつくと嘆いていた。蚊に刺されないで生きるというのは大変なことなのである。

新生児の平均寿命は約50歳である。大体大人でも取りあえず40歳まで生きて一安心という国だそうだ。

アフリカでは保健・衛生の改善が急務なのだ。それしても日本であれば業務上のことを考えれれば誰か一人はオフィスに待機させるのであろうが、アフリカでは業務より大切なことがあるのだ。

2009年7月1日水曜日

273:日本人シスターの英語力

小生も日本人の英語力をかなり貶し過ぎたので、この辺で、罪滅ぼしながら、先人の素晴らしい英語力を紹介したい。さらに80歳を超えておられる大先輩のお書きになった普段着の英語であるから尚更素晴らしい。

話は長くなるが、下記の自己紹介記事は日本でもおなじみの聖心女子大学の母体であるカトリック聖心会の東洋管区長であられた「シスター速水彌生」のものである。昔は、管区長クラスであればシスターではなくマザーという称号が与えられていたが、1967年(?)の第2バチカン公会議の刷新によって全てシスターとなった。マザーテレサはそれ以前既にマザーになっておられたのである。東洋管区も多分今は日本管区と名前は変わっている。これについては下記に述べられている。

さて、フランスの聖心会本部では当然のことながらウェブサイトを持っていて、世界の各管区のシスターの自己紹介を載せている。偶々、シスター速水の自己紹介があり、ここに転記する次第である。

なぜなら、実にすばらしい英語であるから。失礼ながら多分80歳は超えておられる。

デジタル化するに当たって1か所間違いがあるが、これは本部側のミスであろう。FijiとあるのはFuji(不二)の間違い。所謂「不二聖心」のことである。

さてじっくりご堪能ください。

My name “Yayoi” is a classical Japanese word for March, and its Chinese character was contained in the names of Grandfather and of my parents so that it is a part of my name. I am the eldest daughter and I have two younger sisters. When I was about two years old, I was given a cake bought at a bakery. In running upstairs to show it to Father, I fell over the railing onto the garden below. I was told later that Father dashed out of the house barefoot and picked me up in his arms. Though our family had no Christian connection, my father, who was a painter, decided that I should go to Sacred Heart kindergarten, the only reason being that it was near our house. This was the first of God’s plans for me. At the Kindergarten, I began to cry as soon as I saw nuns in black habits. Since then, even after going up to the primary school, I cried everyday for a couple of years. When I was in Primary 3rd Year, my homeroom teacher said that it was bad training on the part of my parents. From that time on, I stopped crying so as not to cause embarrassment to my parents.

Father lost one leg in his youth. When he was jammed between a streetcar and a motor car, it flashed in his mind that as long as his head and hands were uninjured, he would be able to go on painting. He protected his head and hands and he was able to lead the life of a painter. He traveled in Europe and Egypt to study paintings. It was only on the last day of the journey that his artist friend was so surprised to discover that he had only one leg. He was a man who did not bother to think about himself.

Towards the end of World War II, incendiary bombs hit our garden but as people on the property were in the shelter, no one was hurt. When the War ended, the general thinking was that it would be wise to study English. I had English lessons with an American lady living near by. I was then a student of Sacred Heart Senmongakko which girls who desired for higher education after high school attended. When Sacred Heart University was opened, Senmongakko became part of the University according to Japanese Educational Law.

I was very much impressed when two students received Baptism. One of them was Sadako Ogata. I was baptized the following year as the third one to be baptized in the University Chapel. On the campus, there were no buildings other than three Quonset huts and the house that belonged to Prince Kuni, the preceding owner of the property. What gave me joy was that I discovered my Father’s painting in the ceiling decoration. It had been presented to the Imperial Family with those of other painters.

I admired Mother Britt, the President of the University, and her utter devotedness led to my vocation. I worked as her secretary for five years. Finally the time came for me to enter the novitiate and it was Sr. Keiko Iwai, who was then a High School student at Fiji Sacred Heart School at Susono, met me at Numazu Raiway Station. The novitiate at Obayashi had recently been transferred to Susono where buildings were of simple wooden structures that housed many novices and nuns.

After my first vows, I taught English at Susono for some time. Then I was sent to Tokyo to be home room teacher for the two classes of High School 2nd Year at Sankocho. Sr. Yamagata and Sr. Shinjo in their high school days were in my class. It seemed that they sympathized with me because I was teaching 20 hours a week besides classes in Senkoka (finishing school) and looking after nearly a hundred boarders. It was too much and I was sent to Obayashi the following year. At Obayashi I had classes in the annex of Sacred Heart University. After a while I was down with tuberculosis, probably due to hard workload at Sankocho and had to be hospitalized at Christ Roix. However, I became well enough to return to Obayashi to take charge of the boarding school.

I was to go to Probation in 1985 and I was told to go to Ireland instead of to Rome because I tended to overwork. I was really disappointed! But in Ireland I was much struck by its beautiful nature and the warmth of the people. Now I feel very grateful for the precious time in Ireland. On the way back to Japan, I visited Rome. After some time in Obayashi, I was sent to Sapporo.

At that time, it was decided that probation would be in Japan. What was my surprise when I was told to be one of the probation directors. In order to prepare for the work, I was sent to Canada and to Joigny. Two groups of probanists had their probation in Japan. The team of directors was Sr. Joan Faber, Sr. Brigitte Tribot-Laspiere and myself. All three of us had a hard time because of differences in culture. We had fierce discussion everyday but now that has become a sweet memory. Father Okumura (Carmelite) gave a workshop in spirituality and Buddhist priests and nuns were invited to talk to the probanists. Ecumenical liturgy was introduced. Finally we experienced life at Koyasan Zen Temple, reciting Sutra and taking meals in Zen style. This is written in “Reflections – The Japanese Spirituality Workshop.”

Another bolt from the blue for me was being nominated provincial. The province was going through a difficult stage for it consisted of four countries, Korea, Taiwan, Philippines and Japan which had to be organized into one – a most difficult task.

After finishing my mandate as provincial, my desire that I had nursed for many years was realized. Since Japan Province was founded from Australian-New Zealand Province, I wanted to do what I could to show my gratitude for what they had done for Japan Province. I was allowed to go for two years and I think I understood a little of the feelings of missionaries.

To sum up, my life story is a story of gratitude to the Merciful Lord for having called me to follow in his footsteps, a cry-baby knowing nothing about Christianity, without disposition for carrying out big responsibilities, never thinking of doing such things, no ability for languages. When I went to Joigny, I had the privilege of sleeping in the bed used by St. Madeleine Sophie. Was it she who guided me?! John Govan said, “Gift of Faith is gift of Acceptance!” This is my conviction as I live day by day.

Yayoi Hayami rscj
Province of Japan

普段中々日本人のシスターの皆さんとはお話しする機会がないし、こうした自伝的なことにも触れることがないが、英語で知りえたことは幸いである。