2013年10月30日水曜日

1882:成田まで3日

いよいよ1か月の国内作業及び休暇も終わりに近づいた。

まだやるべきことも若干ある。

ドルへの換金。

最後の買い物。薬類の買い物がまだ残っている。

最後の協議。

家族との晩餐と実家への挨拶。

現地情報は刻一刻と入っているが、治安の悪化もあるようだ。これはどこの途上国も同じで、むしろ平和な方だ。スーダン、ナイジェリア、ケニアなど最悪な国もあるのだから、ましな方だ。

今回、初めてパソコンを2台持っていく。Windows7から8への移行のためだ。

さて、まずは銀行に行こうか。





2013年10月27日日曜日

1881:再渡航までちょうど6日

先週の土曜は、京都で奥さんと1泊した。清水寺でのピアノリサイタル。台風の影響もあり雨が降る中でのコンサート。会場が清水の舞台というちょっと変わったものだった。今回で9回目とのことだった。

昨日は1年ぶりに郡山の大学同期に会いに行って、深酒。かなり飲んだが、二日酔いも酷くなかった。出発前に、白子と牡蠣を食べたいと思っていたが、最初のお店で両方頂ける幸運を得た。

京都ではまだ紅葉が始まってなかったが、那須塩原でもまだ青葉が目立っていた。

いよいよ今度の土曜日に南部アフリカに再渡航だ。ヴィザ付の公用旅券も昨日ゲット。

今度は成田からシンガポールまでもエアバスA380に変更。朝11時の便のため、シンガポールでのトランジットも7時間以上となるが、ラウンジも快適なのでのんびり過ごせるだろう。

現地は雨季に入って気温も上昇だろう。

2013年10月24日木曜日

1880:再渡航まで1週間余り

10月もあっという間に過ぎた。

1週余りで再渡航だ。準備も順調に進んでいる。

11月中旬には、現地国では地方選挙があり多少の混乱が予想され、中旬の再渡航は禁止されている。僕は上旬だから再渡航はできる状態だ。

ポ語の翻訳版も出来上がり、翻訳者の質問対応を開始する。今回は大量の英文だから、彼も理解に苦しむ英語もあろう。しかし、100ページ以上の英文を2週間程度でポ語に翻訳する彼の能力は高い。

CPからの英文に対するコメントもまだ届かない。やはりポ語の報告書でないと理解は無理か?

エディーバウアーのデーパックは使用して5年目で修復の必要性が生じて今修理に出しているが、たまたま見つけた軍事用のデーパックを購入した。

登山用で有名なイギリスのKarrimor製。

Predator Patrol 45

容量は、45リットルで、サイドポケットは12.5リットル入りが2個ついている。全体では、70リットル。イギリス軍が正規に採用しているものだ。エディーバウアーの容量は、37リットルだから、その大きさは予想をはるかに超えていた。作戦行動で海外へという感じだね。

次回の出張も4か月を超える。3月中旬までだから当然年越しだ。

一昨年もパラグアイ出張で年越ししたが、奥さんが年越しそばやお雑煮など出張前に作ってくれた。今回も作ってもらう。

さて、最後の宿題を片付けよう。

2013年10月15日火曜日

1879:再渡航まで2週間

ゆったりと過ぎていく平和な日本の日々。

日本のテレビも新番組が出始めた。日本らしい。

あと2回しか見れないが、まあいっか。

Nコンも生で見れた。郡山2中と5中も金賞じゃなかったね。豊島岡女子中学校が金賞。5中が金賞と思ったけどね。

自由曲のミサ曲も審査員から厭きられたかな。中学生らしい素直な選曲が良かったのでしょうかね。

再渡航の準備は来週から。今度の土日は京都に。コンサートのためだ。祇園のレストランとバーは一応おさえた。

次の土日は郡山の陣屋で大学同期と1年ぶりに飲む。彼も毎回違ったお店を紹介してくれる。これも年一度の楽しみだ。

さて、台風の様子を見てみよう。







2013年10月12日土曜日

1878:再渡航まで3週間

次回の出張の準備も順調に進んでいる。再渡航の場合は現地情報をすでに把握しているので楽だ。

公用旅券とヴィザも手続き開始。20日過ぎにはできる。

航空券もOK。ドバイ経由も代案として検討したが、最終的にいつものシンガポールにした。それ自体は全く問題ないので。

2014年度の手帳、名刺用紙などもアマゾンで購入。いつもながらアマゾンに感謝。何でも簡単に手に入る。

登山用のデーパックも荷重オーバーで破損したので、修理に出した。5年目でかなり重いものを右の肩だけで背負っていたためだ。調査用の靴も4年ぶりにの新品に。

食材はまだ期間があるのでゆっくり選ぼう。ラーメンも新製品がでて楽しみだ。一人用のコーヒーパックも持って行こう。現地のDELTAも飽きた。


1か月の休暇も意外と短い。地方への旅行も2回計画している。京都と郡山。いずれも1泊だ。


さて、今日からNコンの全国大会が始まる。今日は高校の部。中学が最高に面白い。高校ぐらいだとあんまり感動がない。


今日中に申告用の会計処理を終わらせよう。ソフトがあるので簡単。10か月分のまとめも大変だが、こういう雑用も1981年以来33年やっているから苦はない。



2013年10月9日水曜日

1877:帰国報告会

昨日は、久々古巣の会社の同期会。

とは言え、参加者はほぼ中途退職者。

うち3人は、入社後10年ほどで他に移った海外事業本部の同期。

うち二人は、もう移籍した大会社から出向中とのこと。そういう世代だ。彼らも移籍してよりいい環境だったが、50歳を過ぎて55歳ぐらいになると出向ということになる。

いろんな同期や後輩の話もでた。噂話だね。

開催場所も同じ会社の後輩が経営する中華料理店。彼の同期も50歳前後か。部長や事業部長の立場になる後輩もいるが、彼ら自身その立場にふさわしくない実力と分かっているらしい。それだから、60歳や70歳を超える大先輩が引退できないらしい。大先輩の技術的指導で懸案事項に対応しているぐらいだ。悲しい現実だね。

ある後輩、開成高校出身で東大土木のW君もインドネシア人と結婚したが、最近離婚したようだ。国際結婚者もかなりいるが、これも悲しい現実がある。

パワハラで問題を起こした事務屋の同期も関連会社に飛ばされたそうだ。これも悲しいね。

さて、同期会も1次会でお開き。

今日、帰国報告会が午前にあったので、深酒はできなかった。帰国報告会も無事に終わり、しばらく休憩だ。

2013年10月7日月曜日

1876:観測気球と嫉妬の海を渡ること

変なタイトルだね。

久々LOFTに行き、面白いものを大人買い。

大したものではないが、新製品が多い。

変わったところでは、MAXのステンレス製の針。さびない針である。

さて、主題。

小泉元首相と小泉進次郎に関する言葉。前者は、元首相の原発廃止に係る発言が世論に対する観測気球であるという表現。

後者は、息子の進次郎氏の今後の荒波の表現。

いずれも面白い表現だ。

コンサル稼業でも、観測気球を上げてクライアント、CPやドナーの反応を診ることがあり重要なプロセスだ。

男の嫉妬は仕事がらみだから、嫉妬は根深い。何年も何十年も経って、嫉妬の海で難破することもあるのだ。難破の前に無事に別の船に移る予感が必要だ。僕の場合は3回あったが、難破せずに救難された。

前者は今後もあるが、後者はもう存在しないから楽だ。

2013年10月5日土曜日

1875:あまちゃんと半沢直樹

先月末に帰国して毎日のんびりしている。

テレビも5月上旬以来。

人気で社会現象化していた首題のドラマは見損なったので、関連の話題についていけないのが残念だ。

現実にはない状況が人気の原因か?

いずれのドラマも脚本と俳優の出来がいいのだろうし、視聴者の深層心理をつかんだんだね。映画ではよくあるが、テレビのドラマは難しい。

後者のドラマも組織に内在する悪に対抗する話だが、いつもながら主人公が組織内にとどまっている矛盾はあるね。嫌な会社は早くおさらばするのがよろしい。日本人らしいね。組織にこだわるのは。

前者については、主人公の女の子を別のバラエティーで見たが感じがいいね。

日本も表層的には平和そのものだが、アフリカに確かに存在する何かが深層的に足りないね。

何かって、言っても具体に表現できないけどね。

倍返し??

無意味に倍返ししなくても、ろくでもない組織は10年もすれば滅びるから心配ない。

「倍返し」なんていうのは、胸に秘めているぐらいでいいんだ。



2013年10月3日木曜日

1874:KZSTを聞きながら

日本の秋もいいね。

朝から快晴。

再渡航までに1個宿題を片付ける必要があり、今日から作業開始だ。

音楽は何にしようかと考えたが、ラジオがいい。

加州北部ソノマ郡のKZSTにする。

この局も久々だ。今年の初めごろ聞いていたか。その後南部アフリカの赴任地首都のFM局を聞いて縁起を担ぎ、無事に受注したね。

宿題はもうほとんど現地で作成済みなので淡々とするだけ。こういう時はラジオ局がいいね。緊張感がないので。

選曲が加州のベイエリアに似合っているし、時々ローカルニュースがあったり、コマーシャルがあったりと雰囲気は最高。

NJのエッジウォーターはまたの機会に。

そうそう先日アマゾンで購入したアメリカン・グラフィティーのCDはパソコンに入れた。これも時々聞いている。

やっぱ音楽はアメリカである。

さて、ゆったりと仕事を開始しよう。

2013年10月2日水曜日

1873:定年貧乏の恐怖

定年。

僕が最大手コンサルに無難に残っていたら、あと1年で60歳定年だ。65歳ぐらいまで残れるらしい。残れるというのは決して安心・安定な状況ではない。

60歳になって嘱託。給与は激減。月収30万ぐらいで、案件参加があれば増収となるらしいが、年収レベルでいえば、それでも半分以下であろうか。

60歳で定年し、会社を離れてもそれなりに生活できたのは、もうずいぶん過去のことだ。

定年になって退職金を頂いてもそれで80歳までは続かない。年金を入れてもだ。

それを定年貧乏、というらしい。

以前から個人で案件応札している方を多く見ているが、最近昔在籍していた最大手コンサルの知り合いの名前をちょくちょく見ることが多くなった。

しかし、その中で受注した人はまだ一人も見ていない。あれだけ優秀(?)であった最大手コンサルの人でも退職して個人コンサルになって応札しても受注できないのはなぜであろう??

クライアントが期待する能力と経験がないのだ。最大手コンサルで長らく仕事をしていても専門性は徐々になくなってしまうのが現実。団長バカ。

50歳前後でコンサル会社を勇敢に去ることを勧める。60歳まで会社に弱弱しく寄生・依存しているといいことはなにもない。80歳まではかなり長い人生だから。

追記:後日、ドクターXというテレビ・シリーズを見たが、まさに契約社員のプロの専門家という設定が痛快だ。組織に帰属する正社員のコンサルの無力を痛切に感じたね。

追記2:本ブログも1か月経ってかなりの検索によるアクセスがある。定年貧乏という言葉が定着しつつあるね。そういう状況には定着したくないけど。専門性と柔軟性を維持して、70歳過ぎても受注できるように頑張りましょう。

2013年10月1日火曜日

1872:久々の公用パスポート

今日は朝から外回り。

銀行での一括税金支払い。

三軒茶屋での戸籍抄本受領。

都内に戻り、会社でコピーと新役員との雑談。

いよいよ次回再渡航の公用パスポート及びビザの手続き開始。

写真も撮った。3枚必要で、残り1枚は記念。こういう写真は結構あり、時系列で見ていくと変化が面白い。

来月下旬には、パスポートとビザもできるだろう。前回の公用パスポートはいつだったろう?2005,6年ぐらいか。あのころは渡航の度に世田谷まで出かけていた。等々力出張所だったが、今回からは渋谷に近い三茶にした。

三茶もいい感じのところだね。昔は結構行ったが、最近はとんとご無沙汰。カトリック三軒茶屋教会もちょっと覗いてみたかったが、今回はスルー。

さて、必要書類をそろえよう。