2012年10月28日日曜日

1459:最後の日曜日の作業

南洋から戻ってすでに2週間。最後の宿題の作業中である。 今年もあと2か月。今年中にもう1回出張があるかは来週決まる。 独立系になって4年。あっという間だったが、ささやかに業務が脈々と続いているのは幸いだ。仕事があるっていいことだね。 先週は南米の案件の関連で別のコンサルから問い合わせがあった。どんな質問が出てくるかは明日以降あるだろう。彼の仕事だから僕からは言うことはあまりないが、前回の僕の作業はかなり大変な内容だったから、彼もかなりの疑問があるのだろう。 とは言え、彼の仕事を手伝う義理はないので、適当にお付き合いする。 役務というのは、公示内容だけでは測りきれないので、難易度が高い案件も多い。自分自身も難易度の高い案件にあえて挑むことが多い。前任者に聞くのもあまり意味がないので、すべて自分で現地で解決することにしている。それが一番大切なことなのだが、安易に前任者に聞いてしまうのは自分にはできない。あくまで参考情報だけである。 特に、「評価分析」というのは専門家ではないので何をどう評価し、分析するのかがよくわからない。評価分析ばかりする人たちが多いが、専門性がなくて案件を評価する大胆さには頭が下がる。 さて、最後の日曜の作業に入るか。

2012年10月17日水曜日

1458:リンカーンの名言をコンサル的に理解すると

先週土曜に帰国。風邪の後の咳が続いている。肺炎ではないのだろうが、気になる。医者には行っていないが、ひどくなったら行くことにしよう。

さて、出張の宿題に取り掛かる。クライアントの責任者の方が非常にしっかりされているので助かる。次の案件も気になるところだが、まずは宿題を優先する。コンサルなら当たり前だね。 ネットからリンカーンの名言が取り上げられていた。コンサルにとっても参考になるので下記に示す。説明文もあったが、項目だけで理解できなければコンサルとは言えないので省略。カッコ内はコンサル的な理解。

1.成功の影に備えあり(プロポでの過去の類似案件は重要だね。3件の類似案件経験は結構大変なのだ。)

2.もがけ(失注してもくじけず、何度もチャレンジすることで道が開けるが、改善がないとすべて無駄)

3.誰かが成し遂げていることはつまり実現可能だと言うことだ(優秀な同業者の動向に留意かな)

4.良い評判に見合う自分になれ(評判はあとからついてくるので心配は要らない。いい評判は結構あるものだ)

5.価値のある年輪を刻め(これが結構難しい。だらだらと歳だけが過ぎないように。サラリーマンコンサルは特に注意)

6.物事の良い方に着眼せよ(クライアント側の立場で案件を評価分析すること。自分が優れた専門家だとは思わないこと) 7.日々、これ改善なり(死ぬまで勉強だ。案件のTOR変化に留意し常に改善努力) 細く長くコンサル稼業を続けるのには非常に参考になる名言である。

引退するまで続けよう。

2012年10月13日土曜日

1457:オークランドに戻る

現地から4時間でNZに到着。 ラウンジでのんびりしている。搭乗までまだ2時間もある。 成田までは11時間。かなり長い。 免税店も大したものがなく、タバコは見えないところに隠して売っている。それも1カートンだけ。変な国だ。 喫煙所は1か所で外。意外と吸う人は多い。女性もかなり多いのが特徴。 NZもAUSやカナダやアイルランドなどと同じで、英語圏だが田舎臭い。文化的なものが少ない。英語も変だしね。田舎の人たちと思えば理解できる。 現地でもNZ英語の影響はあるが、こちらはアメリカ英語で攻める。意外と影響力があるのは面白い。彼らも英語力を認識するからね。 また来るかはわからないけど、南太平洋の仕事はリゾート感覚があるので楽しいね。比国のセブ島やインドネシアのバリ島もそうだね。 さてと、お土産を買う時間はたっぷりある。やはり化粧品かな。今日はランコムで攻めようか。

2012年10月12日金曜日

1456:蟹で最後の晩餐

今日のフライトは深夜である。午前1時50分。まだ時間がある。 中華の唐城飯店で最後の夕飯とする。 今日のメインはカニ。カニのジンジャー和え。うまいね。 こういうカニはケニアのタマリンドやマレーシアがうまかった。ここでも今回で2度目。 最後はカニということで3人の意見がまとまった。 当地も明後日はお祭り。子供の日のような祭日である。 当地の人々は非常に穏やかで人柄がいい。茶目っ気もあるし。 日本人が失った多くのものを持っている。 プロジェクト的に言うともう来るチャンスはかなり少ない。 一期一会。 次はどこだろうかと、思うのはいつものことだ。

1455:2010年度・国際コンサルトップ200(日本編)

2年前の2010年に2009年度のENR版国際コンサルトップ200に入る日本のコンサルを紹介した。あれから2年。あの時は南部アフリカ出張中だった。 2010年度の結果を得たので、ここに紹介する。 日本は200社中で、10社。中国は21社で韓国は6社。割合はそれほど変化がない。 さて、順位だが、これも09年度に比べ変化なしといった具合だ。 29位:日揮、58位:NK、79位:千代田化工、82位:オリコン100位以下は、NJS,鹿島、三井住友、日本設計、日水コン、八千代。鹿島と三井住友は設計部門の業績である。 国際編についてはまた別途紹介するが、電力やアジア部門で中国のコンサルが入っている現状を見ると、日本のコンサルの国際化は結局不成功だったことが分かる。 ODAに甘んじた結果だろう。コンサル各社の経営陣も所詮サラリーマン上がり。大胆な経営は打ち出せない。情けない話である。国際開発ジャーナル的な国内だけの順位を比べても意味がない。井の中の蛙。 どの会社が先に出るのかと興味深いが、横並びの状態では国際開発コンサルタント会社として突出するのはまず無理だろう。 PCIはなかなか先鋭的な営業をやっていたが、不正がバレて廃業。惜しい会社だったね。オリコンも意外と伸びてはいない。PCIからの人材投入でもPCI本来の先鋭性は劣化してしまったようだ。 コンサルの将来は暗い。

1454:帰国日来る

いよいよ1か月の調査を終え岐路に着く。 午前はカウンターパートへのブリーフィング。午後はクライアントへの報告で終わり。 出発時間は明日早朝2時。したがって、ホテルは1日分払って10時過ぎまでいることとなる。 風邪をこじらせ、どうもしばらくなかったぜんそく気味の咳がでる。日本に帰ればなくなるかもしれない。ぜんそく気味の症状は03年以来だ。60歳前になるので健康には気を付けたいところだ。 朝1番で電力公社からデータが入る。これで最後の情報が整った。間に合ったね。 お昼は世話になった運転手に最後のお昼をご馳走し、夕飯はカニのジンジャー炒めで当地の食事の最後とする。 今回はコンサル3人が非常に友好的に作業をできた。主な理由は、お二人が経験豊富で専門家として優れていることだろう。前回はひどい状況で、他の二人の経験不足とそこからくる意地の張り合い。実力のない人は独りよがりで困る。そういう人が二人で連携してさらに状況は悪くなる。彼らの報告書は最低の出来だったと思う。技術士を売り物にするようなコンサルは最低である。地質屋も偏屈で使い物にならない。 今回は百戦錬磨のお二人で本当に幸いだった。人柄とか年の功とかあるね。 まずは無事に終わってよかった。まあ成田に着くまでは分からないけどね。 奥さんが成田まで来るので、帰りはおいしいラーメンでもいただくことにするか。今回は成田ヒルトンでの滞在はなしとする。

2012年10月11日木曜日

1453:帰国前日

とりあえず、収集すべきデータは集まった。若干不備はあるが、しょうがない。いつものことだ。 風邪を引いてから咳がまだでるので、ぜんそく気味になっているかなと思う。ホテルの部屋もジメジメしてかび臭い。これも影響している可能性もある。 ますますモームの短編小説の気分だね。雨。 奥さんの情報によれば、関東はやや寒くさわやかとのこと。いいですね。 11月ごろからクライアントの報酬が変わる。かなり目減りになるが、それに準じてやっていこう。会社での運営委員会での重要な議題でもある。2割減っても生きていける余裕はある。 コンサルは細々長くやっていくのがいい。ささやかな報酬でも満足。NGOさんみたいに変な理想主義に走らないことが大切。 と言って、会社に残って奴隷のように働かされる不自由はなしにしたいものだ。馬鹿な経営者に仕えるストレスはないので幸せだ。

2012年10月10日水曜日

1452:なぜ失注するのか

昨晩、日本のある先輩からメールが届いた。彼は中規模コンサル会社を定年で退社。個人で応札している方だ。

このところ失注続きで参っているとのこと。落ちる理由が分からないらしい。 4社中4位、5社中4位など考えもしない結果だそうだ。さぞ落胆していることだろう。

プロポの書きっぷりが問題なのではと想像する。見ればわかるでしょう、といった昔の書きっぷりでは今は評価されないのだ。 これでもかこれでもか、というほどに自分が適任であることを書かねばならない。それはかなり大変なことで、一つ一つの案件ごとに変わってくる。ワンパターンで書いていると全く評価してはいただけない。 彼にプロポの書き方を教えてもいいのだが、専門性がバッティングするので自分の受注のチャンスが減るというマイナス面があるので、なかなかお教えできないのが実情だ。

兎に角、失注したら、なぜなんだろう、どの会社のどなたが受注したのか、など徹底的に猛省し、プロポを改善する努力が必要だ。それを乗り切るとまた受注できるようになる。 65歳だからダメというのはまだ早い。何か原因があるはずだし、改善する余地はある。それでもだめなら、もうコンサル稼業の終焉を迎えたことを認識することだ。 小生も65歳まであと7年。1件1件ごとに全力で頑張りいい報告書を書くことに専念すれば、まだまだチャンスはあると思っている。

経験知見のある分野で失注も3位以下ではまず無理だと思うことも肝要。2位で失注したらまだまだチャンスはあると思っていい。40代、50代前半の世代に負けるようであれば、いずれチャンスはなくなるかもね。だけど、まだそういうことはあまりない。

先輩に、プロポを改善しないといけませんよ、とは言えないね。プライドが傷つくからね。

2012年10月9日火曜日

1451:上司が部下に言ってはいけない言葉だそうである

今日ネットで見た上司が部下に言ってはいけない言葉だそうだ。 10個ある。 (1)「オレがやるからいいよ」 (2)「お前はだからダメなんだよ」 (3)「言われたことだけをやっていればいいんだ」 (4)「ウチはそういう会社だから」 (5)「結果を出してから言え」 (6)「もっと会社のことを考えろ」 (7)「なぜそんなこともできないんだ?」 (8)「やる気あるの?」 (9)「言い訳するな」 (10)「勝手なことをするな」 こういう言い方をされたことはあんまりないが、今の時代はあるのだろうか? サラリーマンはつらいね。 うつ病になってしまうね。コンサル業界が活気のあった70,80年代。 今は昔だね。優しさばかりだと成長しないこともあるけどね。サラリーマンコンサルを卒業したものにはあんまり関係ないことかもしれないが、コンサルもある意味徒弟制度だし、師匠から怒られることもあるわな。怒られて成長するのも修業だね。ただ、「成道」を逸脱したパワハラはいけないね。

1450:帰国日まであと3日

朝まで断続的に降雨あり。10時時点では快晴。 水資源局から流量データを入手。6月から9月までの乾季基底流量が知りたかった。 あとは電力公社の水力発電所の運用記録がほしいが、どこの国でも電力会社はデータを外に出すのには簡単にはいかない。諦めてもいいデータだが、最後まで粘ってみよう。 カウンターパート機関の水公社からも入手すべきデータを待っているがまだ整理されていないようだ。これが最も大事なデータ。あと2日ほど待とう。 まあ何とかいつも通り終わりそうだ。前回のT国では最後の1日で最重要データが入手できたのだ。諦めは肝心だが、最後まで粘ることも大事。 明日は都市部部長がAUSから帰国予定。最後のインタビューが待っている。

2012年10月8日月曜日

1449:雨季に入る

先週から毎日断続的に降雨がある。今日も朝から雨。いよいよ雨季か。ちょうどいいタイミングで調査に来たようだ。この雨では現場には歩いては入れないし、四駆でも無理かも。 今週は依頼したデータを入手することと、追加の情報を得ること。AUSに出張中の部長の帰国を待つ。 土曜は主要な滝を3つ見学し、電力公社の唯一のダムおよび貯水池を見た。 09年の津波被害地区も大分復旧したが、依然として海岸近くに住居を建設している。 できれば、水源の濁度の程度を今週中にいくつか見たいと思っている。渓流の湧水付近でいつ濁水になるかが興味のあるところである。まだ1日程度の降雨では沢水の濁水化はない。 浄水場の管理人によれば、1週間以上降雨が続くと原水が濁るとコメントがあった。水公社技術部部員は知らないらしい。 9時半。担当職員はまだ出社していない。

2012年10月7日日曜日

1448:誕生日

58歳を迎えた。南太平洋の島で無事に迎えることができた。ちょっとコンサルとしての32年を振り返ってみよう。 81年に最大手コンサル会社に入社。水資源開発から始めて防災、水力開発などに携わった。最初の10年ほどは会社も景気がよく上司にも恵まれたが、バブル崩壊とともに会社の雰囲気は変貌し、劣化する一方。「成道」を失う人が多数派になってしまったのだ。最後の5年ほどは最悪だった。03年からは別会社に移り、合計2社の海外事業推進と人材育成に努めた。09年からはサラリーマンコンサルのみじめさと不遇さに呆れて、独立系でやってきた。まさに最終段階である。 こうして3段階のコンサル人生を振り返ると、この4年間のコンサル活動の自由闊達さが最高である。第1段階の23年間はある意味修行。第2段階は組織強化と人材育成の経験、そして第3段階はコンサルとしての力量発揮である。サラリーマンコンサルでは年間6か月程度の稼働率だったが、この4年間では7.5か月平均まで延びている。個人芸の成せる業である。 また、一つ一つの案件に誠心誠意対応することができる環境はいい。当然厳しい競争があるが、失注によって更なるプロポの作成に励むことができる。幅の広い専門分野に挑戦もできる。自分自身への挑戦でもある。 以前紹介したハーバードビジネスレビューで推奨されたビジネスマンの第2の生き方にも共通する。会社を変えるごとに成長し、さらに自分の専門性を磨いていくことが長続きするコンサルといえよう。 さらに言えば、奥さんや家族の支援があればこそ、と閉めよう。あと10数年この環境があることを期待して日々成長していたいものだ。サラリーマンコンサルの過去を懐かしむことはない。「成道」を逸したあの方々は、今どうしているのでしょうね??

2012年10月5日金曜日

1446:オフィスから5

朝から晴天。午前は渓流での流量測定に同行。昨日の降雨の影響はなく、もともと湧水だから濁りは全くない。別の水系からの浄水場の原水も濁りはなかった。 流量は、30リットル/秒。結構あるね。導水管の水理計算でもそれくらいとれる結果があったが、目測では精々20リットルかなと思ったが意外と流れている。 取水工については、いくつか助言を行った。 昼は行きつけの中華屋に。毎日行くから常連になってしまった。 明日は土曜日。島の東側のダムや南側の津波で被害を受けた地域を回る。 帰国まであと1週間。南国に慣れたところで、さわやかな秋の日本へ移動だ。

2012年10月4日木曜日

1445:オフィスから4

深夜から雨が続いている。本格的な雨季は11月だそうだが、9月下旬から雨の降り方が変わり、降雨時間が長くなった。 あと30分で気象局に行く。事前の情報はSOPACから得ているので、より詳細な情報があれば入手する予定である。あまり期待はしていない。 工事を進めるにあたっては、各月の降雨日数が必要となる。雨季には工事ができない。 午後の予定はない。アポなしで行ってみるか。アポなしの方が実入りが多いのがコンサル情報収集活動の常だ。

2012年10月3日水曜日

1444:オフィスから3

午前は水公社の別館に行く。 地方と都市の給水管理部が入っている。水公社の実務部隊指令室だ。 地方給水部では、給水車の運用状況を聞いた。 3つの給水方法があり、津波被害地区には特別待遇で毎日給水車がでている。 この国で言う「津波」とは2009年9月に南太平洋で発生した津波を言う。この国では100名以上が亡くなっていて、3年後の現在でも給水車が水道水をタンクで配っている。もちろん、ただである。 津波の被害を受けていない内陸部では、有料で水を配給する。また、水道料金を支払っている都市および地方の水利用者には、乾季の水不足時や工事などで水供給が止まった場合に無料で水を配給するようだ。 この国では、意外だが、屋根から雨水を貯める雨水貯留はほとんど見られない。普及していないようだ。 午後はスタッフの多くが調達に係るセミナー参加で不在。当方も動きが取れない。 明日は、気象局へ行く。

2012年10月2日火曜日

1443:オフィスから2

オフィス2日目である。心配していた情報収集だが、担当者も慣れていないため、どうしていいか分からなかったのでじっとしていたらしい。小生の方から事情を説明し、彼女の担当と別の機関に依頼する情報を明確にしたら安心した。 ここも計画はすべてコンサル任せだから水道公社に調査計画の専門家はほとんどいない状況だ。それは、比国などのアジアやアフリカでも同様なのだ。 朝方、内陸にあるホテルから海岸に出ると湾内にものすごい大きな豪華客船が停泊していた。南太平洋を回るクルーズ船であろうか。白人のご老人らが町に出ていた。いいねえ。いずれは、こうしたクルーズで観光したいものだ。まずはハワイ・クルーズかな。 さて、今日から順調に情報収集活動に入る。アポ次第だが。 あと1週間ちょっとだ。 ほとんどの情報は出発前に収集済み。ないデータに関しては、ないことが課題であると評価する。 渓流取水の難しさを論じるのは久しぶり。貯水池論という観点から論じると分かりやすいし、管路の水理的な通水能力も関係する。最適な管路の決定という問題だが、最低流量を期待値として扱う。流量データはないという仮定での話である。 これが結構厄介な問題なのだ。 さて、仕事にかかろう。11時に電力公社と協議だ。日銭を稼いでいる電力公社は結構流量や水位を観測しているのだ。水道公社より信頼できる。

2012年10月1日月曜日

1442:オフィスから

今日からカウンターパート機関のオフィスに常駐する。インターネットも利用可能で便利、ただし無線ではない。 いよいよ調査開始だが、スタッフの反応はあまり良くない。質問票、追加の質問などへの対応を相談したいが、スタッフが積極的ではない。先日行ってきた中近東の某国では、調整スタッフの反応はいいが、あまり成果がないという結果だった。 ここでは、協力姿勢も緩んでしまったか。幹部や上司にお願いしてもいいが、今しばらく待ってみよう。何か準備しているかもしれない。 1階裏の外の喫煙所では、総裁やオーストラリア人のアドバイザーに時々出くわす。そこでの非公式の会話も実際役に立つことが多い。日本のオフィスと同じようなものだ。ただし社長とは出くわさないのが違いか。