2012年12月27日木曜日

1467:「Sasuke」って残酷だなあ

かなり前にブログの入力方法が変わり、改行ができずに困っていたが、忙しくてそのままにしていた。最近、入力方法の改善点が分かり、やっと改行でき読みやすくなった。

さて、主題である。と言っても、ちょっと遠回りの脱線。

もう30年も前のこと。場所はギリシャのアテネ。ヨルダンの仕事だったが、ちょうどラマダン明けのお休みでギリシャに旅行した。ある夜に映画館に行った。野外の劇場で、やっていたのは、

They shoot horses, don't they?

休みなく踊り続ける選手権の映画。これがすごく残酷でね。今でも記憶している。ヨルダンに帰ってアメリカ人のエンジニアのボシュハルト氏に映画のことを伝えたら彼も以前見ていて、掛け声の「ヤウザ、ヤウザ」の意味を教えてもらったっけ。

さて本題。TBSのSasukeをさっき久々見たが、残酷さでは同じ。途中で「みなさんのおかげ」の物まねに変えてしまったほどだ。10年以上君臨していたオールスター(?)たちもすでに40代以上。第1ステージもかなり意図的に難易度が高く設定されてきた。オールスター全員が第1ステージで脱落。新人の20代の若手たちの台頭が目立ち、彼ら数人だけが第1ステージをクリアーした。40代と20代が同じレベルで戦うのは酷だ。40代もレジェンドの段階で終わっていればよかったのにね。テレビの企画に載せられた感がある。

それと、Sasukeに取りつかれて仕事まで捨てている若手の存在が気になる。それほどの価値があるんでしょうかね。しゃれが通じないほど難しくなっているのも残酷さをより感じてしまう。

テレビってある意味残酷ショーだなあ。早食い大食い大会もそう。経験値が通じないほど体力勝負。見ている人は面白いけどね。

コンサルは40代で一人前だし、この失われた20年のためか50代後半になってもプロとして仕事ができるのは幸いだ。体力じゃない経験値が勝負どころだしね。これが40代、50代の後輩に全敗するようになったら直ぐ引退だね。

さてさて、来年からクライアントの報酬制度が変わる。どの程度報酬が落ちるかはまだ確認していないが、何とか仕事が持続できるように頑張ろうか。2割減はちょっと厳しいかな。

それでもSasukeのような体力勝負の残酷さはないから幸いだ。

2012年12月15日土曜日

1466:気分は北カリフォルニアのクリスマス

土日の作業には、今までずっとNJのエッジウォーターのラジオ局を聞いていた。

選曲は60年代中心だから心地いい。CMやCNNニュースも適宜入り気分はNY。 偶々、北カリフォルニアのソノマ郡のラジオ局を聞く機会があり、昨日あたりからそれに切り替えた。もうクリスマスも1週間後。ソノマのラジオ局も今はクリスマス曲だけで選曲されていて、また最近のクリスマス曲も多くていいね。 CMやニュースも北カリフォルニアの馴染の地名や店名もあり懐かしい。

以前も書いたが、僕にとって英語はやはり北カリフォルニアが原点だ。 それと、一日3時間だけ毎日ウルフマンジャックショーが聞ける。これも以前FENでは当たり前だったが、最近はやっていないから、世界で唯一のラジオ局である。 また、ソノマ郡にはぺタルマ市があり、知る人は知っているアメリカン・グラフィティーの撮影現場だった。そんなこともあり、ソノマというのは懐かしい名前。最初に行ったのが1976年で、2回目は1982年で、最後は1985年。もうずいぶん昔のことだ。 さて、土日の作業に入る。

年越しの海外出張の可能性はまだ判明しない。別件の対応も開始した。

2012年12月9日日曜日

1465:仕事はさておき

ここずっとプロポ作成だった。結果はまだ出ない。失注すれば、クリスマスと年末年始は日本だ。それはそれでいいね。

去年は12月中旬から年を超えて3月まで南米だった。奥さんが出発前日にクリスマス、年末年始の簡単な料理を一式作ってくれたね。

さて、ココ塾のCMの話。新作ができたが、これまたシチュエーションといい、セリフといい、英語といい、出来が悪い。素人的にはいいんでしょうね。ころっとだまされるパターン。 渡辺健や伊勢谷友介は確かに一生懸命英語をセリフとしてしゃべっているが、いつも同じパターン。役に合わせて英語を変えてほしい。ココ塾CMの伊勢谷友介もいつもワンパターンだ。素人だねえ。 犬に向かってしゃべる可笑しさとセリフの陳腐さ。あんなセリフは実際映画でも現実でも使わないよ。英語の発音で精一杯で、役を演じていない。落語の「淀五郎」じゃないけど、役者は頑張ればいいわけではない。 CM制作に係るネイティブスタッフはいるんでしょうかね。 こういうCMを見て、ココ塾で何十万円を払っても、人の心に響く英語の習得は一生望めないだろう。

さて、日曜の作業に入ろう。

2012年11月15日木曜日

1464:Always on the go

神風解散とエコノミストは表現したが、昨日の解散宣言は見ていて感情的なものだった。理性的な意思決定とは言えまい。

このブログの名称は、良きガバナンスのための持続的な意思決定に向けて、だが、政治にも適用できまいか。 さて、案件も徐々に出てきている。総論を言えば、テクニカルな内容よりも、よりソフトでプログラム管理的な内容が目立つ。 プロジェクト管理では対応できないより包括的なもので、プログラム管理の応用ができるし、しなければ対応できないものだ。

クライアント側もプログラム管理の重要性を認識しているように思えるが、具体の対応手法はまだ確立されていない。PCMはもう劣化していると思うがいかがであろうか。

そろそろプロポ作成の準備にかかろう。失注を恐れず常に応札する気概が必要だ。

Always on the go この表現いいね。貧乏暇なしにも通じるかも。しかし、常に活動・前進するのはコンサルにとって最重要なのだ。止まったらそれでおしまい。

2012年11月12日月曜日

1463:国内コンサルは依然低迷中

久々に国内コンサルの知り合いからメールが届いた。大手コンサルの下請け中らしい。昔は儲かっていたらしいが、今はじり貧らしい。社員もかなり首にしたらしい。 それでも海外に行くよりはましだという。海外はさらに旅費日当が削減され、行くメリットは全くないと言っていた。 国内も低迷で、東北震災復興も事業が進まず、大手コンサルはすでに撤退で、地元業者が利を得るだけらしい。本当はそれでいいと思う。郡山の大学同期の社長もあと2年は儲かると言っていた。 国内コンも海外コンもじり貧では大変だね。負のスパイラルからは抜け出せない構造不況だ。 大手コンサルの下請けだけはしない方針でこれまで来たが、大正解だったし、これからもしない方針だ。おバカな大手の仕事だけはしたくない。死んでも。

2012年11月8日木曜日

1462:二人の留学生の不遇

日本の大学の国際化とランキングは各大学の大きな目標となっているが、大きな進展はない。結局、インドとか英語の堪能な留学生を育成してドクターを取らせれば、先生は英語での論文数も増えるので重宝だろう。ダダそれだけだ。 ドクターを日本で取って故郷に帰っても教職にはつけないし、教授なんて夢の夢だ。彼らが優秀で人脈があれば故郷で出世している。それができないほどみじめだから日本に来る。欧米なら教授にもなれるし、国に帰って教職に就くチャンスも多少はある。

さて、思いがけず、二人の知り合いからメールが来た。 一人目は、エジプト人のアリさん。彼も日本でドクターを取って、鹿島に行き、最大手コンサルに来た。その時からの知り合いだ。結果として退職し、いろいろ職探ししたが、かなり前に失業。脳溢血か何かでハンディーを負って就職できていない。今日のメールでは家も売ってしまったらしい。奥さんも離婚したいと言っているらしい。家族離散の可能性が高い。彼もどうしてか帰化してしまったので、エジプト人には戻れない。彼の妹が亡くなって帰国したいがお金がないので帰国できないらしい。最悪の状況だ。お助けする余裕もないので、祈るばかりだ。

もう一人は、タジク人のズーバイ。T大でドクターを取った。奥さんとタジクに戻ったが、お金がないらしい。最近T大に戻ったのでアルバイトを紹介してほしいとのメール。非常勤の月9万円の給与じゃ国に仕送りもできないらしい。彼もも困った時だけ連絡するので問題だ。恩義も感じないしね。 彼らのような不幸なドクター取得者も結構多いのではないかと思う。日本でドクターとっても評価されないのだ。プライドだけは強くなるだけだね。簡単にやりすぎるのも問題だ。厳しさがない。

最近、珍しく同じ調査で3人の日本人ドクターがいたが、不遇な感じを受けた。日本人が不遇なのだから留学生じゃとてもいい職にはつけない。 日本の大学の国際化で留学生を受け入れるのもいいが、彼らのその後の出世具合も調査すべきだろうね。サウジ政府は過去のアメリカ留学でドクターを取得した人の膨大なリストがあり、現在の職位も示している。これで大体、帰国後の出世具合が分かる。

2012年11月5日月曜日

1461:G国高級ホテルでの宗教儀式

去年の第2回目の出張は西アフリカのG国だった。

いろいろ地方にも行きG国の状況は掴んだ。地方都市もインフラが劣化している。 掴みきれないのは日本人の行動パターン。 最後の数日は首都の最高級ホテルに数日泊まったが、これはある方のご希望。何しろ200ドル以上するので無駄使い。 まあいっか、という気持ちでお付き合い。 兎に角びっくりしたのが、日本人の国際感覚。 最終日に外のレストランで食事したが、ある方が日本からソバを持参した。これをみんなで食べようということになった。国際機関の日本人の女性は準備に大変だ。 高級ホテルのテラス・レストラン。 我々の勝手な振る舞いにレストラン側も困惑気味。

高級ホテルのレストランで持ち込みそばのお食事会。どうみても国際人ではない。 そこで小生からレストランの責任者にそっとこう伝えた。 「日本人は海外で食事する時にはこうしてそばを食べてからメインに入るんですよ。ある種、宗教儀式ですから、ここは勘弁してくださいね。」 職員はうなづいた。 ガーナ人もしぶしぶ納得(?!)。無頓着な彼らはうまそうにおそばを食べていた。来てから2週間しか経っていないのに、おそばね。 コンサルのプロは死んでもしない儀式である。

2012年11月4日日曜日

1460:Challenges and Concerns

以前ある独法にいたが、そこで定期的に実践型英語研修を指導していたが、中年以上の職員は参加すると劣等感を感じるのが嫌でほとんど参加していなかった。ある部長経験者が一度参加した。その時の講義は、研修に対する「Hopes and Concerns」を参加者に聞いたが、その部長経験者は小生を馬鹿にして、「あんたはどう思うんだ?」と高飛車に質問してきた。難なく答えて、ではあなたは、と聞き返した。彼曰く、「数年後に定年だが、天下りの行先もなく、どうしたらいいものか?!」という答えだった。参加した一同もビックリ仰天。質問は、研修に関するもので、彼の第2の人生ではないのだ。ひょんなことから、彼の本当の悩みが暴露されてしまった。彼が首尾よく天下ったかは聞かない。 さて、主題だが、ある南太平洋国のIWRMの課題と懸案事項だ。表には左に課題、右に懸案事項が列記されている。ところがあまり差がない。一体、課題と懸案事項の違いは表現できるのだろうか? 課題があって、それを解決するための懸案事項と考えればいいのかね。IWRMというのは曖昧模糊なのだ。 チャレンジと言えば、比国の事例を思い出す。この案件はチャレンジだから、と関連する知事さんに言ったら、知事さん曰く、「実現できないんだね」、だって。チャレンジを必要以上に使うと難易度が強調されることもある。その知事さんの予想通り、案件は今も実現していない。 さて、そろそろ水資源の案件の公示はでてくるだろうか?まあ、ゆっくり待とう。

2012年10月28日日曜日

1459:最後の日曜日の作業

南洋から戻ってすでに2週間。最後の宿題の作業中である。 今年もあと2か月。今年中にもう1回出張があるかは来週決まる。 独立系になって4年。あっという間だったが、ささやかに業務が脈々と続いているのは幸いだ。仕事があるっていいことだね。 先週は南米の案件の関連で別のコンサルから問い合わせがあった。どんな質問が出てくるかは明日以降あるだろう。彼の仕事だから僕からは言うことはあまりないが、前回の僕の作業はかなり大変な内容だったから、彼もかなりの疑問があるのだろう。 とは言え、彼の仕事を手伝う義理はないので、適当にお付き合いする。 役務というのは、公示内容だけでは測りきれないので、難易度が高い案件も多い。自分自身も難易度の高い案件にあえて挑むことが多い。前任者に聞くのもあまり意味がないので、すべて自分で現地で解決することにしている。それが一番大切なことなのだが、安易に前任者に聞いてしまうのは自分にはできない。あくまで参考情報だけである。 特に、「評価分析」というのは専門家ではないので何をどう評価し、分析するのかがよくわからない。評価分析ばかりする人たちが多いが、専門性がなくて案件を評価する大胆さには頭が下がる。 さて、最後の日曜の作業に入るか。

2012年10月17日水曜日

1458:リンカーンの名言をコンサル的に理解すると

先週土曜に帰国。風邪の後の咳が続いている。肺炎ではないのだろうが、気になる。医者には行っていないが、ひどくなったら行くことにしよう。

さて、出張の宿題に取り掛かる。クライアントの責任者の方が非常にしっかりされているので助かる。次の案件も気になるところだが、まずは宿題を優先する。コンサルなら当たり前だね。 ネットからリンカーンの名言が取り上げられていた。コンサルにとっても参考になるので下記に示す。説明文もあったが、項目だけで理解できなければコンサルとは言えないので省略。カッコ内はコンサル的な理解。

1.成功の影に備えあり(プロポでの過去の類似案件は重要だね。3件の類似案件経験は結構大変なのだ。)

2.もがけ(失注してもくじけず、何度もチャレンジすることで道が開けるが、改善がないとすべて無駄)

3.誰かが成し遂げていることはつまり実現可能だと言うことだ(優秀な同業者の動向に留意かな)

4.良い評判に見合う自分になれ(評判はあとからついてくるので心配は要らない。いい評判は結構あるものだ)

5.価値のある年輪を刻め(これが結構難しい。だらだらと歳だけが過ぎないように。サラリーマンコンサルは特に注意)

6.物事の良い方に着眼せよ(クライアント側の立場で案件を評価分析すること。自分が優れた専門家だとは思わないこと) 7.日々、これ改善なり(死ぬまで勉強だ。案件のTOR変化に留意し常に改善努力) 細く長くコンサル稼業を続けるのには非常に参考になる名言である。

引退するまで続けよう。

2012年10月13日土曜日

1457:オークランドに戻る

現地から4時間でNZに到着。 ラウンジでのんびりしている。搭乗までまだ2時間もある。 成田までは11時間。かなり長い。 免税店も大したものがなく、タバコは見えないところに隠して売っている。それも1カートンだけ。変な国だ。 喫煙所は1か所で外。意外と吸う人は多い。女性もかなり多いのが特徴。 NZもAUSやカナダやアイルランドなどと同じで、英語圏だが田舎臭い。文化的なものが少ない。英語も変だしね。田舎の人たちと思えば理解できる。 現地でもNZ英語の影響はあるが、こちらはアメリカ英語で攻める。意外と影響力があるのは面白い。彼らも英語力を認識するからね。 また来るかはわからないけど、南太平洋の仕事はリゾート感覚があるので楽しいね。比国のセブ島やインドネシアのバリ島もそうだね。 さてと、お土産を買う時間はたっぷりある。やはり化粧品かな。今日はランコムで攻めようか。

2012年10月12日金曜日

1456:蟹で最後の晩餐

今日のフライトは深夜である。午前1時50分。まだ時間がある。 中華の唐城飯店で最後の夕飯とする。 今日のメインはカニ。カニのジンジャー和え。うまいね。 こういうカニはケニアのタマリンドやマレーシアがうまかった。ここでも今回で2度目。 最後はカニということで3人の意見がまとまった。 当地も明後日はお祭り。子供の日のような祭日である。 当地の人々は非常に穏やかで人柄がいい。茶目っ気もあるし。 日本人が失った多くのものを持っている。 プロジェクト的に言うともう来るチャンスはかなり少ない。 一期一会。 次はどこだろうかと、思うのはいつものことだ。

1455:2010年度・国際コンサルトップ200(日本編)

2年前の2010年に2009年度のENR版国際コンサルトップ200に入る日本のコンサルを紹介した。あれから2年。あの時は南部アフリカ出張中だった。 2010年度の結果を得たので、ここに紹介する。 日本は200社中で、10社。中国は21社で韓国は6社。割合はそれほど変化がない。 さて、順位だが、これも09年度に比べ変化なしといった具合だ。 29位:日揮、58位:NK、79位:千代田化工、82位:オリコン100位以下は、NJS,鹿島、三井住友、日本設計、日水コン、八千代。鹿島と三井住友は設計部門の業績である。 国際編についてはまた別途紹介するが、電力やアジア部門で中国のコンサルが入っている現状を見ると、日本のコンサルの国際化は結局不成功だったことが分かる。 ODAに甘んじた結果だろう。コンサル各社の経営陣も所詮サラリーマン上がり。大胆な経営は打ち出せない。情けない話である。国際開発ジャーナル的な国内だけの順位を比べても意味がない。井の中の蛙。 どの会社が先に出るのかと興味深いが、横並びの状態では国際開発コンサルタント会社として突出するのはまず無理だろう。 PCIはなかなか先鋭的な営業をやっていたが、不正がバレて廃業。惜しい会社だったね。オリコンも意外と伸びてはいない。PCIからの人材投入でもPCI本来の先鋭性は劣化してしまったようだ。 コンサルの将来は暗い。

1454:帰国日来る

いよいよ1か月の調査を終え岐路に着く。 午前はカウンターパートへのブリーフィング。午後はクライアントへの報告で終わり。 出発時間は明日早朝2時。したがって、ホテルは1日分払って10時過ぎまでいることとなる。 風邪をこじらせ、どうもしばらくなかったぜんそく気味の咳がでる。日本に帰ればなくなるかもしれない。ぜんそく気味の症状は03年以来だ。60歳前になるので健康には気を付けたいところだ。 朝1番で電力公社からデータが入る。これで最後の情報が整った。間に合ったね。 お昼は世話になった運転手に最後のお昼をご馳走し、夕飯はカニのジンジャー炒めで当地の食事の最後とする。 今回はコンサル3人が非常に友好的に作業をできた。主な理由は、お二人が経験豊富で専門家として優れていることだろう。前回はひどい状況で、他の二人の経験不足とそこからくる意地の張り合い。実力のない人は独りよがりで困る。そういう人が二人で連携してさらに状況は悪くなる。彼らの報告書は最低の出来だったと思う。技術士を売り物にするようなコンサルは最低である。地質屋も偏屈で使い物にならない。 今回は百戦錬磨のお二人で本当に幸いだった。人柄とか年の功とかあるね。 まずは無事に終わってよかった。まあ成田に着くまでは分からないけどね。 奥さんが成田まで来るので、帰りはおいしいラーメンでもいただくことにするか。今回は成田ヒルトンでの滞在はなしとする。

2012年10月11日木曜日

1453:帰国前日

とりあえず、収集すべきデータは集まった。若干不備はあるが、しょうがない。いつものことだ。 風邪を引いてから咳がまだでるので、ぜんそく気味になっているかなと思う。ホテルの部屋もジメジメしてかび臭い。これも影響している可能性もある。 ますますモームの短編小説の気分だね。雨。 奥さんの情報によれば、関東はやや寒くさわやかとのこと。いいですね。 11月ごろからクライアントの報酬が変わる。かなり目減りになるが、それに準じてやっていこう。会社での運営委員会での重要な議題でもある。2割減っても生きていける余裕はある。 コンサルは細々長くやっていくのがいい。ささやかな報酬でも満足。NGOさんみたいに変な理想主義に走らないことが大切。 と言って、会社に残って奴隷のように働かされる不自由はなしにしたいものだ。馬鹿な経営者に仕えるストレスはないので幸せだ。

2012年10月10日水曜日

1452:なぜ失注するのか

昨晩、日本のある先輩からメールが届いた。彼は中規模コンサル会社を定年で退社。個人で応札している方だ。

このところ失注続きで参っているとのこと。落ちる理由が分からないらしい。 4社中4位、5社中4位など考えもしない結果だそうだ。さぞ落胆していることだろう。

プロポの書きっぷりが問題なのではと想像する。見ればわかるでしょう、といった昔の書きっぷりでは今は評価されないのだ。 これでもかこれでもか、というほどに自分が適任であることを書かねばならない。それはかなり大変なことで、一つ一つの案件ごとに変わってくる。ワンパターンで書いていると全く評価してはいただけない。 彼にプロポの書き方を教えてもいいのだが、専門性がバッティングするので自分の受注のチャンスが減るというマイナス面があるので、なかなかお教えできないのが実情だ。

兎に角、失注したら、なぜなんだろう、どの会社のどなたが受注したのか、など徹底的に猛省し、プロポを改善する努力が必要だ。それを乗り切るとまた受注できるようになる。 65歳だからダメというのはまだ早い。何か原因があるはずだし、改善する余地はある。それでもだめなら、もうコンサル稼業の終焉を迎えたことを認識することだ。 小生も65歳まであと7年。1件1件ごとに全力で頑張りいい報告書を書くことに専念すれば、まだまだチャンスはあると思っている。

経験知見のある分野で失注も3位以下ではまず無理だと思うことも肝要。2位で失注したらまだまだチャンスはあると思っていい。40代、50代前半の世代に負けるようであれば、いずれチャンスはなくなるかもね。だけど、まだそういうことはあまりない。

先輩に、プロポを改善しないといけませんよ、とは言えないね。プライドが傷つくからね。

2012年10月9日火曜日

1451:上司が部下に言ってはいけない言葉だそうである

今日ネットで見た上司が部下に言ってはいけない言葉だそうだ。 10個ある。 (1)「オレがやるからいいよ」 (2)「お前はだからダメなんだよ」 (3)「言われたことだけをやっていればいいんだ」 (4)「ウチはそういう会社だから」 (5)「結果を出してから言え」 (6)「もっと会社のことを考えろ」 (7)「なぜそんなこともできないんだ?」 (8)「やる気あるの?」 (9)「言い訳するな」 (10)「勝手なことをするな」 こういう言い方をされたことはあんまりないが、今の時代はあるのだろうか? サラリーマンはつらいね。 うつ病になってしまうね。コンサル業界が活気のあった70,80年代。 今は昔だね。優しさばかりだと成長しないこともあるけどね。サラリーマンコンサルを卒業したものにはあんまり関係ないことかもしれないが、コンサルもある意味徒弟制度だし、師匠から怒られることもあるわな。怒られて成長するのも修業だね。ただ、「成道」を逸脱したパワハラはいけないね。

1450:帰国日まであと3日

朝まで断続的に降雨あり。10時時点では快晴。 水資源局から流量データを入手。6月から9月までの乾季基底流量が知りたかった。 あとは電力公社の水力発電所の運用記録がほしいが、どこの国でも電力会社はデータを外に出すのには簡単にはいかない。諦めてもいいデータだが、最後まで粘ってみよう。 カウンターパート機関の水公社からも入手すべきデータを待っているがまだ整理されていないようだ。これが最も大事なデータ。あと2日ほど待とう。 まあ何とかいつも通り終わりそうだ。前回のT国では最後の1日で最重要データが入手できたのだ。諦めは肝心だが、最後まで粘ることも大事。 明日は都市部部長がAUSから帰国予定。最後のインタビューが待っている。

2012年10月8日月曜日

1449:雨季に入る

先週から毎日断続的に降雨がある。今日も朝から雨。いよいよ雨季か。ちょうどいいタイミングで調査に来たようだ。この雨では現場には歩いては入れないし、四駆でも無理かも。 今週は依頼したデータを入手することと、追加の情報を得ること。AUSに出張中の部長の帰国を待つ。 土曜は主要な滝を3つ見学し、電力公社の唯一のダムおよび貯水池を見た。 09年の津波被害地区も大分復旧したが、依然として海岸近くに住居を建設している。 できれば、水源の濁度の程度を今週中にいくつか見たいと思っている。渓流の湧水付近でいつ濁水になるかが興味のあるところである。まだ1日程度の降雨では沢水の濁水化はない。 浄水場の管理人によれば、1週間以上降雨が続くと原水が濁るとコメントがあった。水公社技術部部員は知らないらしい。 9時半。担当職員はまだ出社していない。

2012年10月7日日曜日

1448:誕生日

58歳を迎えた。南太平洋の島で無事に迎えることができた。ちょっとコンサルとしての32年を振り返ってみよう。 81年に最大手コンサル会社に入社。水資源開発から始めて防災、水力開発などに携わった。最初の10年ほどは会社も景気がよく上司にも恵まれたが、バブル崩壊とともに会社の雰囲気は変貌し、劣化する一方。「成道」を失う人が多数派になってしまったのだ。最後の5年ほどは最悪だった。03年からは別会社に移り、合計2社の海外事業推進と人材育成に努めた。09年からはサラリーマンコンサルのみじめさと不遇さに呆れて、独立系でやってきた。まさに最終段階である。 こうして3段階のコンサル人生を振り返ると、この4年間のコンサル活動の自由闊達さが最高である。第1段階の23年間はある意味修行。第2段階は組織強化と人材育成の経験、そして第3段階はコンサルとしての力量発揮である。サラリーマンコンサルでは年間6か月程度の稼働率だったが、この4年間では7.5か月平均まで延びている。個人芸の成せる業である。 また、一つ一つの案件に誠心誠意対応することができる環境はいい。当然厳しい競争があるが、失注によって更なるプロポの作成に励むことができる。幅の広い専門分野に挑戦もできる。自分自身への挑戦でもある。 以前紹介したハーバードビジネスレビューで推奨されたビジネスマンの第2の生き方にも共通する。会社を変えるごとに成長し、さらに自分の専門性を磨いていくことが長続きするコンサルといえよう。 さらに言えば、奥さんや家族の支援があればこそ、と閉めよう。あと10数年この環境があることを期待して日々成長していたいものだ。サラリーマンコンサルの過去を懐かしむことはない。「成道」を逸したあの方々は、今どうしているのでしょうね??

2012年10月5日金曜日

1446:オフィスから5

朝から晴天。午前は渓流での流量測定に同行。昨日の降雨の影響はなく、もともと湧水だから濁りは全くない。別の水系からの浄水場の原水も濁りはなかった。 流量は、30リットル/秒。結構あるね。導水管の水理計算でもそれくらいとれる結果があったが、目測では精々20リットルかなと思ったが意外と流れている。 取水工については、いくつか助言を行った。 昼は行きつけの中華屋に。毎日行くから常連になってしまった。 明日は土曜日。島の東側のダムや南側の津波で被害を受けた地域を回る。 帰国まであと1週間。南国に慣れたところで、さわやかな秋の日本へ移動だ。

2012年10月4日木曜日

1445:オフィスから4

深夜から雨が続いている。本格的な雨季は11月だそうだが、9月下旬から雨の降り方が変わり、降雨時間が長くなった。 あと30分で気象局に行く。事前の情報はSOPACから得ているので、より詳細な情報があれば入手する予定である。あまり期待はしていない。 工事を進めるにあたっては、各月の降雨日数が必要となる。雨季には工事ができない。 午後の予定はない。アポなしで行ってみるか。アポなしの方が実入りが多いのがコンサル情報収集活動の常だ。

2012年10月3日水曜日

1444:オフィスから3

午前は水公社の別館に行く。 地方と都市の給水管理部が入っている。水公社の実務部隊指令室だ。 地方給水部では、給水車の運用状況を聞いた。 3つの給水方法があり、津波被害地区には特別待遇で毎日給水車がでている。 この国で言う「津波」とは2009年9月に南太平洋で発生した津波を言う。この国では100名以上が亡くなっていて、3年後の現在でも給水車が水道水をタンクで配っている。もちろん、ただである。 津波の被害を受けていない内陸部では、有料で水を配給する。また、水道料金を支払っている都市および地方の水利用者には、乾季の水不足時や工事などで水供給が止まった場合に無料で水を配給するようだ。 この国では、意外だが、屋根から雨水を貯める雨水貯留はほとんど見られない。普及していないようだ。 午後はスタッフの多くが調達に係るセミナー参加で不在。当方も動きが取れない。 明日は、気象局へ行く。

2012年10月2日火曜日

1443:オフィスから2

オフィス2日目である。心配していた情報収集だが、担当者も慣れていないため、どうしていいか分からなかったのでじっとしていたらしい。小生の方から事情を説明し、彼女の担当と別の機関に依頼する情報を明確にしたら安心した。 ここも計画はすべてコンサル任せだから水道公社に調査計画の専門家はほとんどいない状況だ。それは、比国などのアジアやアフリカでも同様なのだ。 朝方、内陸にあるホテルから海岸に出ると湾内にものすごい大きな豪華客船が停泊していた。南太平洋を回るクルーズ船であろうか。白人のご老人らが町に出ていた。いいねえ。いずれは、こうしたクルーズで観光したいものだ。まずはハワイ・クルーズかな。 さて、今日から順調に情報収集活動に入る。アポ次第だが。 あと1週間ちょっとだ。 ほとんどの情報は出発前に収集済み。ないデータに関しては、ないことが課題であると評価する。 渓流取水の難しさを論じるのは久しぶり。貯水池論という観点から論じると分かりやすいし、管路の水理的な通水能力も関係する。最適な管路の決定という問題だが、最低流量を期待値として扱う。流量データはないという仮定での話である。 これが結構厄介な問題なのだ。 さて、仕事にかかろう。11時に電力公社と協議だ。日銭を稼いでいる電力公社は結構流量や水位を観測しているのだ。水道公社より信頼できる。

2012年10月1日月曜日

1442:オフィスから

今日からカウンターパート機関のオフィスに常駐する。インターネットも利用可能で便利、ただし無線ではない。 いよいよ調査開始だが、スタッフの反応はあまり良くない。質問票、追加の質問などへの対応を相談したいが、スタッフが積極的ではない。先日行ってきた中近東の某国では、調整スタッフの反応はいいが、あまり成果がないという結果だった。 ここでは、協力姿勢も緩んでしまったか。幹部や上司にお願いしてもいいが、今しばらく待ってみよう。何か準備しているかもしれない。 1階裏の外の喫煙所では、総裁やオーストラリア人のアドバイザーに時々出くわす。そこでの非公式の会話も実際役に立つことが多い。日本のオフィスと同じようなものだ。ただし社長とは出くわさないのが違いか。

2012年9月30日日曜日

1441:日曜の朝

日曜の朝 昨日夕刻あたりからまた風邪がぶり返した。咳と鼻水。熱は収まっている。こんな症状は久しぶりである。熱が出てこない分幸いであろうか。日本の風邪薬があんまり効かないのか? ホテルの部屋も1階で南向きだが、日差しが入り込まず洗濯物も乾きにくい。南国特有でジメジメしていい感じはない。サマセット・モームの小説のようだ。 明日から2週間で帰国の予定で、作業内容も決まっているので淡々とやる。カウンターパートも現地踏査の時は元気がいいが、技術的なこととなると逃げてしまう傾向がある。ある意味エンジニアというよりテクニシャンかもしれないね。今でもオーストラリアやニュージーランドからのアドバイザーがいる水公社である。 一緒のコンサルからソ国の案件受注の話を聞いた。あそこはここと違ってマラリアが深刻。3年もいたら大変だ。ここはマラリアやデング熱もない楽園である。いいね。中小コンサルも大変なところでも頑張っているのは大変評価できる。ナイジェリアとかスーダンなど人が嫌う案件を目指すのは生きていくのにはいい考えである。自分自身もかなり難解な案件に挑むようにしている。本格狙いの役務なんかは大手に任しておけばいい。彼らが嫌う案件を志向すると道は開けるのだ。大手コンサルも最新の技術を持っているわけではない。要は、個人の力量が勝負である。 さてと、台風の進路が気になるところだ。子供たちが関西や静岡から帰ってくる頃。安全第1の方法を取るよう妻には助言している。

2012年9月29日土曜日

1440:土曜の朝

当地に来てから2回目の土日である。だいぶ、朝の雲が厚くなり、雲の流れも一層速くなっている。日本では宮古島に台風が来ているようだ。最大級とのこと。 足親指の痛みも消え、風邪もほぼ治ってきた。すこぶる快調である。海外での健康は非常に大切だし、風邪ぐらいで収まってくれるのは助かる。事故がないことも重要だ。 チ国のある案件の話が出た。確かNKがMPを“しぶしぶ”やったのはM先輩から以前聞いてはいたが、現状の話は知らなかった。NKも逃げる理由は分かるが、営業屋が仕切っているので赤字が出そうな案件は一切応札しない方針だそうだ。最大手として情けない話だが、タカビー的性格でもある。おいしい案件が多くあるはずもなく、経営的に余裕があるはずもないのだが。 最大手は、組織が肥大で、間接経費がバカにできない。役立たずの営業・事務屋がのさばっているから首を切れない。コンサルで赤が出る案件はそうはないのが普通だし、赤字が出ない工夫がないといけない。中小コンサルは必至でなんでもかんでも受注に挑んでいる。そういうチャレンジがもうなくなっている体質では若手や中堅の成長、すなわち会社の成長は期待できないだろう。難易度の高い案件ほど学ぶことは多い。 だからと言って、中小コンサルの実力があるかというとそうでもない。サ国の水資源なんて最低のコンサル集団だった。それでも持ち出しで追加作業を何か月もやって何とか許してもらう素人さは恥ずかしい。NKだったら団長さんは社内的に抹殺されるが、あの団長は定年してもまだいるらしい、チ国あたりに。恥というのを知らないというのは中小コンサルの特徴でもある。いちいち幹部の責任を取っていたら幹部連は全員いなくなってしまうのが中小の実態なのだ。 日本のコンサルの劣化はどうしようもない。若手の優秀な人たち(たぶんだが)がコンサル業界から去っていく傾向は益々強くなりそうだ。 80年代から、ずっといい仕事を新入社員の段階からさせてもらったのは感謝感激である。入社10年で、せっかく育った若手が辞めては大きな損失だ。10年たったら副団長ぐらいはできるのだから。コンサルよりクライアントの仕事が面白いと感じられては困るよね。給与的な差もあろう。コンサルとの差は、30代では年収で100万円以上はゆうにあるかも。50代では、300万円いじょうになる。

2012年9月27日木曜日

1439:捻挫と風邪

当地に来て10日経った。現地踏査で足の捻挫、ドライバーの風邪が移って一晩うなされ、今日にいたる。いずれも完治し、いよいよこれから本格的な調査に入る。 コンサルの仕事はこれからである。2週間。 続きは次に

2012年9月25日火曜日

1438:雨季の到来

当地に来て1週間ちょっと。数日前から朝晩スコールがあり、雨季の到来を想起させる。 南半球で6月ごろから乾季。6,7,8,9月の4か月ほど。10月に入ればかなり雨が降る。 渓流を2キロサンダルで歩き捻挫。ローカルの助言で靴よりもサンダルがいいと言われたが、普段サンダルで沢登はしないので、滑ったり転んだりで親指に打撲。昨日あたりまでびっこで歩いていた。 捻挫も治りかけだが、今度は風邪をひいた。久々の風邪である。 今日から本格的に資料収集。水資源関連省と水公社。人懐っこい人ばかりで助かる。 中国の無償で建設されたビルに複数の官庁などが入っているので助かる。 今日は水公社の一室(あるいは机)を貰いに行く。

2012年9月23日日曜日

1437:現地調査開始

現地に到着して5日目、最初の日曜日である。当地のインターネット事情はWIFIも完備されているが、ホテルではまだ使い放題ではない。アフリカ南部の赴任地と同じだった。長期で滞在するのであれば通信会社と長期契約するが、今回は1か月以内。ホテルで時間単位のプリペイドカードをかなり高い値段で買うしかない。1時間当たり7ドル。ただし、クレジットで支払う方式もあり20時間まで買うことができる。値段はまだ調べていないが割安にはなるだろう。 初日から会議や現地踏査で忙しく、インターネット事情も良くないので、これまでブログは怠けていた。調査内容は守秘義務があり具体に書けないが、作業はまあ概ね順調であろう。保守本流の水資源開発担当は2年ぶりだ。5社の競争に勝てたのは幸いである。この2年は、気候変動、流域保全、災害管理などの担当だったから、そろそろ水資源の仕事が出てこないか待っていたところだった。いい案件がいつ出てくるかは運任せしかない。コンサルは2つ以上の案件掛けもちは許されていない。 当地もそろそろ雨期に入ってきたようだ。朝晩スコールがある。ジメジメした季節になってきた。以前はNZの統治を受けていたし、地理的にも英語が普通に話されている地域というのは都合がいい。水道公社のエンジニアに女性が多いのが目立った。女性が賢いのだろうか。男性は若干心もとない感じを受けた。

2012年9月17日月曜日

1436:ANAラウンジより

3時間前にチェックインができたので、ラウンジで休憩。 アフリカ出張でよく利用したところだ。 アルコールは乗ってから。コーラで喉の渇きを潤す。 初めてのNZ航空も楽しみだ。 2か月ぶりに成田。修理したアタッシュケースもいいね。このタイプこそが海外出張に最適だ。 あと1時間でボーディング。 次はオークランドから。

2012年9月16日日曜日

1435:パッキング終わり

30年以上海外出張を数多く経験していても、やはり出発日前日のパッキングは落ち着かない。 何か忘れてないか、時間通りに成田に行けるか。。。など、必要以上に心配する。性格だね。 先ほどパッキングが終わる。前回、機内持ち込み用のバッグに液体が3個あり、成田で奥さんに持って帰ってもらった。 今回は液体はトランクに入れた。ヒル対策用のスプレーも入っている。 食生活はリゾートだし心配はないが、時々残業もあり、カップヌードルを7個ほど入れた。 昨日分かったことだが、調査対象地域の一つに興味深いことが判明。宝島で有名なスティーブンソンが亡くなったところだそうだ。記念館もあるだろう。 サマセット・モームとスティーブンソンの馴染のところだ。 明日の出発時間は午後7時。祭日だし、道路も空いていることだろう。 NZまでかなりある。到着は18日深夜。トランジットの2か国と調査対象国は今まで行ったことがないので新鮮だ。 帰りのNZでハロウィンかクリスマス用品が売っていると楽しいね。 さっきまでテレビでタクシー運転手の特集をやっていた。運ちゃんも大変だ。いつも大宮駅で自宅まで利用するが、話しかけて運ちゃんの人生を垣間見る機会がある。50代後半でいい仕事を継続してできる幸せをいつも感じている。 58歳で専門家でなければ途方に暮れているだろう。70歳までコンサルを続けるつもりだが、専門性というのはいかに大事か再認識している。 第2の人生こそが本当に人生と思えるこの頃である。まずは健康だけれど。

2012年9月15日土曜日

1434:来たー

夕刻に出発前の歯医者に。歩いて数分は助かる。 麻酔なしの最後の清掃治療。次は麻酔で歯茎の中を掃除だそうだ。帰国後に行く勇気がちょっとなくなる。 さて、待ちに待ったアタッシュケースの修理が終わり、宅急便で届く。1か月ほどかかったので冷や冷やだった。 長年使い続け、使い勝手もいいし、「もの」であっても仕事のパートナーだ。 同タイプのドイツ式盾形のアタッシュケースとしては3代目。次に買うときはやはり元祖のオファーマンかな? 修理も完璧で8000円なり。 もしものことを考え、別タイプのアタッシュケースも買ったが、やはりサイズといい、使い勝手は落ちる。精々クライアントと協議する時ぐらいか。ドイツ式は空路・陸路の移動中、現地協議、現地踏査のいずれでも持って行けるのだ。 ダレス鞄も最近なぜか流行っているが、ダイアル式のカギがない、大量の資料が入らない、パソコンを入れる余裕がない、など欠点が多い。V字に開く鞄がいいね。 さて、明日はいよいよパッキング。 トランクもそろそろ新品に時期かもしれない。容量はやはり100リットルを超えないといけない。

2012年9月14日金曜日

1433:出張まであと3日

現地に持参する資料をプリントアウトしてまとめた。今回は量的に少ないので助かる。 担当分野が狭いからであろう。今回は5社の競争だったが何とか1位であったようだ。負けたり勝ったりの日常だが、5社の競争も珍しい。古巣のコンサルの先輩も応札したようだが、今回は頂きました。 自分自身の専門も多岐にわたるが、今回の専門は30年ずっと続けている保守本流なのでそう簡単に負けると自信を失うが、取れてよかった。 持っていく備品も揃ったが、アタッシュケースの修理が今日できるので、明日明後日までに自宅に届く。長年使ったものだし、カギがついているので海外では便利なのだ。 2か月ぶりの出張でちょっと体が鈍っているので、気を引き締めたいものだ。 現地のホテルも海辺ではなく内陸の丘陵地帯のようだ。西洋人が暑さを避けて昔作ったようだ。町の繁華街に行くのには不便だが、ひっそりとして仕事はしやすいだろうか。 帰国したら10月中旬。58歳の誕生日は南太平洋だ。11,12月が残っているので、今年最後の案件参加もまだまだ可能性がある。年間3か国出張も珍しいが、4か国に行ければ記録になる。 コンサル稼業も案件間に時間も取れるのだが、なかなか休暇を取る余裕もないのである。いい案件がいつ出てくるかもしれないと思うと数週間休暇というのができない。こういう性格も直さないといつまで経っても観光で海外という機会はないかもね。

2012年9月11日火曜日

1432:出張まで6日

昨日は奥さんと一緒にデパートへ。 ジャングル踏査用の備品を購入。 特に山ビル対策用だ。帽子、ゲートルなど。登山用のシャツもなかなかよくできている。虫よけとか乾きやすい素材。 登山などする気は全くないが、水源地までアクセスがなくジャングルを歩行するらしいので、仕方がない。こういう現場はなくはないが珍しい。 地質屋さんや送電線屋と違って水文屋は山の中を歩かないので、今まではインドネシアで渓流に沿ってジャングルに入ったぐらいか。 ゲートルというのも初めて買った。gaiterと言うが、日本では昔からゲートルだったか。父方の祖父がしていたのを思い出した。帝国陸軍時代のものだったか。 登山用のゲートルはしゃれている。機能的だ。これでヒルも入ってこないだろうか。 そろそろ出張へのアドレナリンを出していこう。ニュージーランド航空のビジネスクラスはかなり快適だと聞いた。

2012年9月9日日曜日

1431:出張まで1週間

8年ぶりに歯医者に行った。自宅から歩いて5分。歯周病専門医だから年齢的な問題に対応してくれる。 実際、8年前より診断システムがIT化している。大学病院の先生だったようだし、最先端の治療がうかがえる。出張前に歯のチェックアップができた。 さて、夜はNHKの吉田茂のドラマを見る。昭和史的には面白い。以前見ていた「さかのぼる日本史」が参考になった。ただ、主役の選定が間違っていたようだ。 硫黄島の軍人やJALの営業マンと同じような英語の演技は止めてほしいね。主役の彼は何やっても英語では同じ。日本の役者の層が薄いのは問題だ。特に英語での演技をリアルに演じる人が少ない。吉田茂だよ。第2回目から白洲次郎の英語も聞けそうだが、同じ結果かもね。第3回以降は南太平洋のNHKプレミアムが見れることを期待するか。 マッカーサーと吉田の会話も不自然だ。脚本の出来が悪い。あんな直接的な会話を二人がするはずがない。両者の狡猾さが会話にでていない。NHKのドラマの英語会話はいつまでたってもダメだね。 さてさて、出張まで1週間。これから準備に入る。南米や中近東と違って英語が100%使えるからいいね。ストレスがないしね。 山ビル退治用のスプレーの名前が面白い。 「ヒル下がりのジョニー」

2012年9月3日月曜日

1430:事情説明できないコンサル

1か月強中近東で調査に当っていたがいたが、ご同業のコンサル二人の素人ぶりには参った。 説明能力が全くない。これで国際コンサルかと思ったぐらいだ。クライアントもこういう方々をコンサルとして雇わざるを得ないとは御可哀そうだ。 データや情報をくれと関連機関に言うのはいいが、背景説明が全くできない。詳細な協議もできず、ただただデータくれでは子供の使いだ。基本的に英語ができないことに起因するが、国際経験も不足しているのだろう。 ちょっと脱線するが、最近テレビで英語会話学校のCMをよく見る COCO塾?? もっともらしい設定で作ってある。しかし、設定が不自然で交渉としての会話として全く成立していない。役者の英語も詐欺師のようだ。発音も品性がない。人を説得させる英語ではない。 あんな雑駁で自己中な英語では、バラを100本持っていてもプロポーズは成功できないだろうね。 今度行く南太平洋でも、ご同業者がおられるが幸い百戦錬磨。変な気負いがないので助かる。

2012年8月31日金曜日

1429:出張まで2週間ちょっと

大体出張の準備はできた。 前回の中近東や南米と違って英語の国なので情報はたっぷり得た。 あと2週間とちょっとで成田を出る。兎に角、飛行機の移動が大好きだから遠くても気にならない。今回はニュージーランドとフィージーを経由するが、いずれも未知の国。空港しか行けないが、それなりに楽しめるだろう。 今回は奥さんがセミナー参加のため、一人で成田に行く。リムジンバスの発着所がタクシーで10分の距離だから快適だ。 修理中のアタッシュケースがまだ戻ってきていないことがちょっと心配。ドイツ式で立てたまま使える良さがある。オファーマンがほしいところだが、値段が高くて手が出ない。日本製の物まねのものだが、なかなか使い勝手がいい。ダレス鞄はちょっと好きになれないのだ。 作業的には、馴染の方が多いので現地でのコンサル間のトラブルもないだろう。前回はひどかった。

2012年8月28日火曜日

1428:南太平洋での避暑となるか

1か月半ほど前に中近東から戻ったが、それ以来30度を超す暑さの日本滞在である。 中近東では最高気温30度程度。湿気がないので暑さは厳しくないし、夜は標高800メートルのため涼しかった。 東京に戻ってからは、毎日30度を超す暑さに霹靂している。あと3週間で南太平洋に行くが、そこでの最高気温は29度。南太平洋での避暑となる。 06年にはマーシャル諸島のマジェロでの業務を行ったが、最高標高は精々10メートルだったか。今回はちょっと状況は違い火山島でできた島のため最高標高は1000メートルを超える。調査対象地域は概ね200から300メートル程度か。 それにしても日本よりは快適な場所といってよい。 NZからフィージー経由で行く。またアイランドホッパーである。 現地でのホテルは未定だが、たぶんリゾートホテルであろう。快適なことを期待している。どうなりますか。 山ビルがでるとの事前情報がある。ヒル対策も必要かと思っている。今までヒル対策を考えて出張したことがないが、行ってみてヒルがでるのは、スリランカとインドネシアだったか。僕自身には被害はなかった。水文屋は川の調査が主体だからジャングルの中には入らない。今回は水源までのアクセスが整備されていないジャングルなので若干気になっているのだ。 さて、昨日はあるコンサル仲間と池袋のビッグカメラで待ち合わせたが、彼が全く現れない。携帯も持ってこなかったので直ぐに帰った。あとから調べると池袋の西口にも店があったとわかった。紛らわしい待ち合わせ場所には気を付けたいものだ。彼も事情通だから会えばいろいろコンサル各社の事情を聞けたのだが残念だった。 日本の残暑もあと3週間限り。もう少しの辛抱である。

2012年8月27日月曜日

1427:24か国目の出張

1982年から業務での海外出張をしているが、次を入れると24か国目となる。地域別にまとめると、 アジア:11か国、中近東:4か国、ヨーロッパ:1か国、アフリカ:5か国、南米:1か国、太平洋諸国:2か国となる。 ずいぶん行ってきたと思うが、出張先の国の数はそれほどでもないことが分かる。 営業と違って、それなりの期間滞在し調査するためであろう。 最近は東南アジアがかなり減ってきて、アフリカを中心としての活動が増えている。南米がやっと1か国になった。太平洋諸国に対する技術援助もそれなりにあり、今回は6年ぶりの出張となる。 業務で行く海外は一期一会。連続して数年行くこともあるが、大概は1回限りも多い。 それでも16年ぶりに行くこともあり、それぞれ意味深い。 長期で行く国も2年ぐらいするといいも悪いも事情が分かってくるので、3年以降滞在するのも厭きてくることもある。適当に時期がずれ、違う案件ならば心機一転で気分を変えて進めることができる。 最大手コンサルで10年も同じダム現場にいた後輩がいるが、コンサルとしてのある種のセンスはなくなっているし、頑固さが身についているように思えた。 僕自身は、数年で違う国に行かないとマンネリ感覚に陥るので10年も同じ工事現場には居られない性分だ。 さて、次の案件の準備を進めよう。3週間後の出発となる。

2012年8月25日土曜日

1426:極小流域に挑む

すでに書いたことだが、30年以上コンサル業をしているが、国内でのコンサル活動は1件しかない。 82年当時か。 あのころは海外コンサル事業が保守本流であり、国内のコンサル部門はマイナーだった。内水排除の案件で、対象流域はわずか40km2。国内コンサルのある会社で解析ソフトを頂き、フォートランで走らせた。 あれから30年。今回は45km2程度の小流域での水資源開発計画を実施する。海外では珍しいことだ。 しかし、水文情報も少なく、水専門家としては遣り甲斐のある対象である。 去年の今頃はアフリカのガーナだったが、対象流域はガーナ全体の3分の2を占めるという大流域。コンサルというのは大変面白い商売。30年やっていても飽きないのは、案件は一つとして同じではないということだ。 それと、国によっていろいろ政治的な問題もあり、正論だけではうまく行かない。 祭りごとは汚れの中に「真」を見つけること。 昨日見た「剣客商売」で60歳の主人公が言っていた通りだ。 コンサルも剣客商売のようにのびのびと活動できるとコンサルらしさがでて面白い。 今はサラリーマンコンサルの方々のストレスを感じない心地よさをエンジョイしているしね。

2012年8月24日金曜日

1425:コンサル会社のパワハラ

ここ4年はサラリーマンコンサルではないので会社におけるパワハラの実態は見ていないが、昨日ちょっとした飲み会で最大手のコンサル会社のパワハラ事件のことを知った。 30年近いコンサルあるいは非コンサル会社のサラリーマン経験でもパワハラは日常茶飯事であったし、僕自身に対するパワハラも数多くあった。 クリスチャンであるためか、上司や先輩のパワハラで精神的に潰れることはなかったが、犯罪にもなるようなパワハラを受けたこともあった。企業におけるコンプライアンスの重視もあり、ここ10年ぐらいでコンサル会社でもコンプライアンス室も設置されたが、一般の企業に比べ機能しているようには見えなかった。 最大手コンサルの場合は10年近く前にコンプライアンス室ができたが、代々の室長自身がパワハラをやっている人物だから彼らに相談しても意味のないことは分かっていた。そういう問題のある人物がコンプライアンス室長になる会社組織に将来はない。 最近はどうも事態が変わってきたようだ。僕ら世代が会社の幹部になっているが、ついに同期がパワハラで訴えられる事例が出てきた。団塊の世代のひどさに僕らは耐えてきたが、僕らが幹部になるこの時代では、部下もパワハラ被害を訴えることになっている。同期をかばう気持ちはないが、ついにそういう時代になってきたようだ。 50歳を過ぎたらサラリーマンを卒業し、第2の人生を歩むことを推奨している。パワハラなんて組織の劣化を示すようなものだ。ストレスのないコンサルタント人生を歩みたいものだ。

2012年8月18日土曜日

1424:準備OK

グアムを経由して行く出張先も珍しかった。 2006年のことだ。 フィリピン・セブ島では島嶼特有の水文調査を行っていたが、本格的な島嶼の水文は初めてだった。 グアム島で一泊し、マーシャル諸島の首都マジェロまでアイランド・ホッピングした。 あれから6年。今度はもっと先だ。 高校生の時読んだサマセット・モームの小説の舞台である。 ニュージーランドのオークランドを経由する。初めてのNZでもある。 事前の資料収集は今日で終わった。 これから分析に移る。 中近東では大量破壊兵器などを扱っていたが、今回は保守本流のお仕事だ。水屋として。 英語が100%使える安心はない。ホテルもリゾートホテルだし、アメリカの放送局も見れるだろう。 アフリカがちょっと遠のいたが、まあいっか。先に来る案件を粛々と実施していこう。

2012年8月16日木曜日

1423:次は南太平洋

中近東から戻って1か月。宿題も終わり、のんびりしている。 次はどこか楽しみだったが、やっと決まった。 南太平洋。 中近東からは真逆の地だ。 プロテスタントが多数派だと聞いていたが、奥さんが調べたらカトリック教徒も多いらしい。 また、いい出会いがあるだろう。 さて、準備に入ろう。

2012年7月31日火曜日

1422:ブログ再開

2週間前に無事に帰国した。T航空のビジネスクラスはいいね。快適だった。機内で、4時間の長さの映画・ゴッドファーザーを見た。70年代見てからざっと40年後に見ると細部がよくわかる。たぶん、ノーカット版だろうか。10代と50代とでは理解度が全然違う。英語も98%理解できたのも40年のお勉強の成果。無駄に歳は取っていないんだね。字幕がない状態が一番いい。 さて帰国後だが、ずっと宿題作成で、ブログはちょっとお休みだった。 早速、次の案件の準備が始まる。 最近、本ブログのアクセスもIWRMの関連の記事に対して多くなったのに気づく。誰かさんがお勉強しようとしているのかな。とてもいいことだと思う。ただ、ブログは単にドアを開けた程度。その奥に膨大な情報が隠されている。 アフリカでは、マラウイとナイジェリアで水セクターMPが実施中だからか。マラウイも4月から作業開始で、そろそろ4か月が過ぎようとしている。第1回のプログレスレポートが出てきたころか?うまくできているだろうか? 日本のコンサルもIWRMを熟知し、うまく対応するプロは意外と少ない。じっくりお勉強する機会がないのだろう。場当たり的な対応ばかりだと無理だ。コンサル会社で管理職になると技術的には失速するのはどこも同じだからだ。そういう管理職が団長を務めると惨めな結果が待っているのが普通だ。いい参謀がいるといいが、今の時代では無理。30代の精鋭がいた時代はもうない。50代の団長、40代の副団長、30代の中堅で構成される精鋭部隊はもう最大手でも難しいのだ。ましてや、JVでの混合部隊ではね。 マラウイもナイジェリアもいい成果が出てくることを期待しているが、担当のコンサルの力量次第だね。 最大手コンサルのMさんやTさんあたりなら無条件で信頼できるが、他社だと誰がプロかは不明だ。 さて、私の次の案件はどこでしょうか? お楽しみというところ。今年は1月からずっと働いてきたから、夏休みでも取りたいが、いい案件に呼ばれると無視できない性格。 元気のでる、エーグルスを聞きながら、作業に入ろう!!

2012年7月14日土曜日

1421:いよいよ帰国

首都から移動しヨーロッパ側の商業都市から成田へ直行する。18時間後に成田着だ。 1か月程度だあっという間の出張だが、貴重な情報は最後の数日で得ることができた。 16年ぶりの当地も様変わりしたが、今の状態にリセットしてこれからのお付き合いを大事にしよう。 一期一会、とはよく言ったものだ。コンサルタントは海外で常に経験する。 また当地に来るかは、インシュアラーだ。 いつになっても当地の食事や人々は素晴らしい。文明文化がある。 アフリカは子供のような人が多く無邪気でいいが、この国に比べると奥が浅い。 16年たって、英語ができる人が増えた。これもいい傾向。 ある大学に行ったら、カウンターパート機関の元総裁がおられた。幸運の出会い。 元職員と総裁がいる大学のレベルは高い。実務と研究が一体になっている。最終日にお会いできるのは幸運以上のものを感じた。 戦前の資料から最新の資料まで頂いた。すごいよね。こういう時系列で過去の実績を整理できるのも実力があるからだ。この事実を日本に持って帰ることになる。 表面的な調査では絶対に入手できない代物である。 さて、そろそろチェックアウトしましょうか。

2012年7月13日金曜日

1420:いよいよ明日が最終日

今日は午前午後と協議があり動き回っていた。 しかし、昼ごはんはいいところで頂いた。初代大統領のお気に入りのレストランだ。メニューを開くと、彼が初代副大統領兼外務大臣とにこやかに食事をしている写真が載っている。 客層はやはりそれなりにお金がありそうな人が多い。 以前ここに来たことはないが、手前の数軒の中に以前2回ほど来たレストランを見つけた。 当地の人でもなかなか食べられないテスティ・ケバブを出すお店だ。ケバブと野菜を焼き物の中で煮込み、お客の目の前で焼き物を割る。取り出したケバブをお客のお皿に分けてくれるという特別なケバブ。 初代大統領のお気に入りのお店では、今日はタンドゥル・ケバブを頂いた。午後はコンサルとの協議なので、今回初めて昼ごはんにビールを一杯頂いた。 この首都も都市化が進み広大なオープンスペースがなくなっているが、さすがに初代大統領の旧家がある地域は開発はない。 午後、最大手コンサルに行って情報収集。アポなしで不安だったが、幸運にも社長に会えた。 その社長であるイスマイルは、20年前に一緒に調査をした本人。彼も僕と同じ58歳だが、さすがに社長的な貫禄があった。今日の午後避暑地での休暇に入る寸前。うまく会えたものだ。 それでも偉ぶるわけでもなく、会話は弾んだ。まさに旧友である。 その彼曰く、「もうすぐ引退する。今までできなかった趣味をしたい」 ピアノ、絵画などやってみたいということらしい。ちょっと引退は早いんじゃない、と聞いたが、35年働き続けたからもういいんだ、と。 昔のイスマイルの話し方や笑い方がよみがえってきた。 避暑地では、イギリスにいる長女も合流するらしい。 こういう生き方ができる彼らがうらやましいけれど、僕も65歳を過ぎたらちょっと考えてみよう。 いよいよ明日が最終日。

2012年7月11日水曜日

1419:帰国まであと4日

アルジャジーラを見ている。結構面白い。洗練されている。 8時までホテルのプールサイドで夕飯を食べていた。世銀とか欧米のコンサルとかが多い。 最後はナーネで閉めようかと思ったが、ナーネはなく、バナナリキュールで閉める。 この国の仕事もあと3日で終わる。16年ぶりの当地での仕事もエンジョイした。昨日は首都を離れM海の工業地帯まで遠征した。片道3時間。途中、海をフェリーで渡った。なかなかいい経験だ。 今日は県の機関で協議。所長はすこぶる知識がある。技術的にはトップレベルと感じた。この国もほかの国の例にもれず、個人の力量や知見に大きな差がある。 できる人を捕まえるセンスが必要だ。他の2人のコンサルは疲れ果てていて「老人」のようだ。こんなコンサルが本格調査に来たら最悪だね。お爺さんのような質疑応答。この1か月で疲れ果てている。 参ったね。 これがコンサルの実情だ。精鋭ではない。 紋切り型の質問じゃーね。相手の度肝を抜くよう質問がないとね。心に響く会話がない。 アジア的じゃー、無理だ。 最大手コンサル以下はこんな程度なんですね。 今日は久々商社マンと会った。こういう出会いは久しぶりだ。昔は必ずと言っていいほど商社マンと連携したものだ。 しかし、今の商社マンは情報取集がうまくはない。こちらから情報を提供したほどだ。昔の商社マンの力量は今はない。 日本の経済の低迷はひどい。コンサルだけでなく、ゼネコン、商社もプロがいない。ひどいねえ。 まあ、それだけこちらの商売の機会が増えるからいいか。 あと3日。調査の総括に入る。気を抜かずに行きましょう。

2012年7月8日日曜日

1418:日曜の買い物

ずっと仕事なので買い物の機会が少ない。今日は帰国間際のためお土産を買いにショッピングモールに出かけた。 出勤途中に並ぶショッピングモールのうち最大で高級感のあるアラマダ。10時に入ったが人はまばら。高級店しかないので、さすがに買い物客は少ない。スーパーがあるといいのにね。 まずは、VAKKO。本店より高級感がない。本店はお金持ちのお店。ここのモールは少し高級感が下がる。シルクのスカーフを買う。背広もいまいちかな。 次は、ボディーショップ。石鹸、シャンプー、ハンドクリームなどすべてギリシャからの輸入品。かなり高級感がある。値段は聞かず、店員さんのおばさんの奨めでまとめ買い。ヨーロッパの香りとセンスがある。石鹸は、ケーキのように大きく、切って量り売りのところがいい。うちの奥さんが喜びそうだ。ちょっと買いすぎたか?でも日本じゃ買えないからね。 ガラス製品はいまいちなので、今度バカラのクリスタル専門店に行ってみよう。 下町に移動。アダナ・ソフラスはまだ開いていなかったので、1949年創業の老舗に。アダナケバブはかなり辛くて最高。タクシーでホテルに戻る。 モールで買った地図で明日行くところを再確認。まあ日帰りでも大丈夫でしょう。 メールを開くとクマさんからメール。僕のメールを喜んでくれた。知人はほとんどお悔やみや心配のメールばかりで、僕の励ましのメールは気に入ってくれたようだ。奥さんのためにも強く生きることが大事だね。くよくよしていては天国の奥さんに怒られる。 彼も東京に来ることがあるようなので、会って朝まで飲むことにしよう。あるいは僕も暇だから京都まで行くかも。 さてと、昼寝でもしようか。

1417:明日はちょっと遠出

最後の日曜の朝。今日は5時おき。 朝ごはんでオムレツを食べて戻る。今日はのんびりしよう。 明日は早朝から車で移動。4時間ほどで調査対象地域に。高速道路ができて快適だろう。20年前は結構時間がかかった。 工業地域。石油精製、化学工場など、この国で最も大きいプラントが20個以上ある。やはり実際に見てみないといけない。 運転手が教育があり、助かる。彼も定年後運転手として働いている。英語・フランス語ができる教養人。お父さんは陸軍大将。すごいよね。 彼と昼ご飯を食べるのが習慣になった。いろいろうまいケバブを食べさせてもらっている。運転手との連携って非常に大切。現場や関係機関の場所を覚えてもらうまでが一段階。そこまで覚えてもらうとその後が効率いい。機転の利く運ちゃんだともっといい。 当地一番のVAKKOの背広も買いたいが今度にしよう。1200ドルでシルク入りのいいウール生地でできているのがいいね。日本だったら25万円以上するかも。前にも書いたが、背広はコンサルタントにとって制服。みじめな背広は着てはいけない。もちろん、シャツ、ネクタイ、靴も同様。 なんだかんだで、あと1週間で帰国だ。次の案件もいくつかあったが、今年も1月からずっと仕事。帰国したらちょっと休もう。夏休みだ。ただし、重要案件が出れば無視はできない。今年はいい案件が目白押しなのだ。具体は言えないけど。 さてと、CNNかBBCでも見ようか。

2012年7月7日土曜日

1416:クマさんのこと

土曜の作業も終わった。 5時。 20年前に調査に参加した、クマさんのこともこちらの水文屋が覚えていた。実際、クマさんは水文専門ではなかったが、いろいろ雑用にも対応してくれた。彼は農業土木の専門家。 当時社内の権力闘争があり、国内部門が海外部門を凌駕していて、海外農業部門がとばっちりを受けていじめで大変だったのだ。彼も水資源の案件に出されるという悲惨な状況だった。 彼はいいやつでね、当地の調査でもいろいろ場所を変えて毎晩飲んでいたのだ。彼も今から15年前に会社を辞めて奥さんの実家の近くで無謀にも農業を始めた。ある程度の成功を収めたのだが、今年のお正月に奥さんを失った。相当落ち込んだと思う。息子さんも農業を手伝うことになったが、やはり良きパートナーを失うのはつらいはずだ。 彼のブログも久々今日見たが、何とか気を取り戻した様子が見て取れた。 彼のところにもずっと行きたいと思って入るのだが、なかなか行けないのは残念だ。ブログで状況を知る程度しかできない。 今日は彼と20年前に行った当地からメールを送った。彼も懐かしく感じているかもしれないしね。帰国したら久々お米を頼んでみよう。

1415:最後の土日

木曜、金曜と20年ぶりの旧友と連ちゃんで会うことになり、ラクの飲み過ぎだ。20年前は調査団の若手中堅3人組と毎晩夕食後に飲んでいても平気だったのだが、やはり歳には勝てない。 木曜は、国家水利庁の伝説的な方とこのホテルで会って飲んだ。話は弾み最後の数十分の記憶がない。お金が減っているから食事代は払ったのだろう。 彼も今は73歳。ラクが入ると話は進んだ。彼も15年前に引退し、自分の会社を設立。この数年はその会社の仕事からも離れたという。3つのセカンドハウスを持っていて、季節ごとに移動しているそうだ。優雅ですねえ。 今は国家水利庁は水力発電事業は行わない。民間に任されているようだ。さびしいかぎりだ。次に来ることがあれば彼のセカンドハウスにお邪魔しよう。 さて、昨日は仕事で国家水利庁に再度行ったが、元電力調査庁の知り合いをあらためて探した。同庁はすでに廃止され国家水利庁に多くの職員が吸収され移動している。20年前に一緒に仕事をした仲間も移動していて20年ぶりに会うことができた。そこで水文調査部の部長の電話番号を知ることができ、早速連絡。なんでも、彼の息子さんが1年半ぶりに中国から戻ったので今日パーティーをするので来ないかというお誘い。前日の飲みすぎで相当参っていたが、やはり20年ぶりなので無理しても行くことにした。 彼の家はかなり中心部から離れているが、今は住宅街で大型ショッピングモールもある。彼の家に行くとご家族が迎えてくれた。彼の友人もいて、11時まで飲むことになった。20年前は赤ちゃんだった女の子も今は21歳。男の子は25歳ぐらいか。僕の子供と同じぐらいだね。 所謂、ここの家族料理がフルコースで出されて、おなか一杯になったが、パストゥルマ(羊の肉でできた生ハム)の味は最高。奥さんの顔はやっと思い出した。奥さんも同じ職場で働いていたのだ。長男も3歳ぐらいでオフィスで会っている。 彼の場合は、勤続25年で引退する制度だったので、52歳で退職している。今は63歳だからこの11年優雅な引退生活をしてきたようだ。ビジネスセンスもあったので土地の売買で儲かったのかな?!長男が2か月後に北京に戻るようなので、ぜひ東京にも来てねと伝えた。 僕自身58歳になってもずっと働いている。いつ引退するか今のところ分からないが、彼らの優雅な引退生活を聞くと日本は厳しいことが分かる。僕の親父は天下りもあり実質60数歳で引退し年金暮らし。それすら期待できない昨今の状況は深刻だ。65歳ぐらいまで精一杯働かないと生活が成り立たない。まあ何とかなると思うが、どうでしょうか。 さっきMIGROSで買いものをしてきたが、16年前位に住んでいた高層マンションも全面的な修復工事が行われている。それくらいの時間が流れたのだ。

2012年7月5日木曜日

1414:難しい案件だね

ここはアジアなんだけれど、違うんだなあ、他の国とは。 やればやるほど、案件の難しさを知る。 ただし、自分なら何とか乗り切ることは感覚的に分かる。ここの人の性格を知り尽くしていればいいのだが、アジア的なコンサルにはたぶん無理であろう。 イランやサウジなど中近東の案件を経験した人ならわかるかもしれない。 そういう精鋭はもうコンサル業界にはいないかもしれないね。さびしい限りだが。 自分自身、この国の経験は6件。8年間だから全体で2年ぐらいは駐在したかもしれない。 最初に当地に来たとき、三菱商事の方とフランクフルトから一緒だった。ルフトハンザからはビジネスクラスでは我々2名だけ。彼の話はすごかったね。僕は2度国外追放になっていましてねと、誇らしげに彼は言っていた。商社マンの精鋭だ。僕は初めてだったが、商社マンはすごいなと単純に感心した。 それから8年間、ずっと当地の案件に係った。電発さんも引き上げた。NKも今は案件がなくなった。今は当地の日本のコンサル事務所はない。さびしいもんだね。 それだけ、この国が成長したんだね。支援するものがない。 しかし、まだ支援案件はあると思う。そのために自分は今ここにいる。常にニーズに対応して成長だ。 しかしねえ、本格調査でどのコンサルが受けるんだろうか。それを受けて、成果が出るコンサル会社は見出せないかもしれないね。お人よしコンサルではねえ。 今の日本に、精鋭がいるかなあ?? 僕もほかにいろいろ案件があるから、この国に固執する必要はないけど、やはり来なければという思いは「ちょっと」はある。 どうなりますかねえ。この分では、今の案件は、アジア的な感覚では乗り切れないね。 まあ、少し様子見をしよう。

2012年7月3日火曜日

1413:今日も不思議なパーティー

先日、このホテルには相応しくない若者が集まった。聞けば、フランス系のインターナショナルハイスクールの卒業記念パーティーだとわかった。所謂、アメリカのプロム。でも、会場はこのホテルの地下のスペース。一般のパーティー会場ではない。 僕の見解では、地下であればパーティー自体が外に漏れないからある意味自由な環境が提供される。この国も開放的とはいえやはりイスラム国。外国系のハイスクールのプロムの会場はそれほどない。 今日はまた不思議な団体が地下のパーティー会場に入る。 政府高官、軍関係幹部、大使館関係者などなど。たぶん政治的なパーティーであろう。それにしてもこんな質素で小さいホテルで開かれる不思議はない。大臣級や大使もいるのだ。 あんまり公にできないパーティーが開かれているのだろう。察するところだが。 当地にもシェラトンやスイスホテルなど5星以上のホテルはたくさんあるのだが、こじんまりして外部にわからないこの環境がいいんでしょうな。 小生は地下のパーティー会場の上のプールサイドで夕食を一人で取る。 もうギャルソンベイにはおなじみの客となった。 最後のナーネリキュウルで閉める習慣も同じだ。チップをはずみ、彼もいい気分。 こんな小さなホテルでも面白いことが沢山あるのは楽しいね。 さてと、明日はまた協議。いろいろ情報が集まり情報分析が楽しい。堂々としたコンサルタントとして生きる活力がみなぎるな。これこそまさにコンサル冥利。最大手コンサルでもこういう伝統を継受しているのかな。今の活動ができるのも先人たちに感謝だ。とはいえ、団塊の世代は失格者が多いが。昭和一桁の世代は最高だったね。

1412:16年ぶりの再会

今日は午前午後関連機関を回り、午後遅くローカルコンサルの最大手会社に行く。 本調査にも関連するので行くことにしたが、今まで時間の余裕がなかったため今日になった。 16年前と20年前に一緒に仕事をした国家水利庁出身の方々だ。 まず会ったのは元国家水利庁長官。彼はいったい何歳なのだろう。たぶん80歳は超えているだろう。広い部屋にどっしりと座っていた。眼光だけは鋭い。元長官だけある。久保田豊会長とも新入社員のころ面談したが、眼光は鋭かった。 元長官も最大手コンサルの顧問か何かなのであろう。 次は、元職員でコンサルになった水文専門家。彼も僕よりは年をとっているいるだろうから、60歳を数年超える程度か。彼もパートナーとして働いている。中央アジアのトゥルキメスタンから戻ったばかりだ。 そして、元計画局長。彼も68歳だが元気だ。彼特有のしゃべり方は今でも変わらない。 こういう60歳以上の専門家が今でも現役でコンサル会社で働けることはいいね。日本では稀だ。NKのT技師長はそんな感じで今でも働いているね。 16年の月日の長さはあるが、彼らと雑談しているとすぐ昔の雰囲気に戻った。2週間後に帰国だが1度ぐらいは食事をしたいところだ。 この会社もこの20年で急成長。今では一等地に本社を構えている。目の前がスウィスホテル。 この会社も単なるローカルコンサルではなく中央アジアや中近東で国際的な活躍をしている。ただし、今の僕の専門には対応できないそうだ。やはり、最大手コンサルでも対応できない分野はあるわけだ。 しかし、古い友人ら会えたことはうれしい。せめて70歳ぐらいまでは仕事を続けることができれば幸いである。元長官の80歳には届かないけれど。

2012年7月2日月曜日

1411:エフェス・エクストラを頂く

夕食にはずっとラクを飲んでいるので、たまにはと思い、エフェソをスーパーで買った。エフェソもいろいろあり今回はエクストラでアルコール度は7.5%ある。 2005年から6年まで数回中央アジアに行ったが、その時に飲んだ旧ソビエト時代からあるビールを思い出した。結構効く。 おつまみはおなじみのドリトス。これはアフリカ、南米などどこにでもある。 BBCはボツワナ特集だ。アフリカもどんどん変わるね。去年まで行っていた国の大統領も変わった。そうそう南米の赴任国でも大統領が失脚したね。 話はそれるが、南米でお世話になった通訳の加藤君からメール。なんでも、田舎に行って人生初めてのデング熱にかかってしまったとのこと。つらいねえ。デング熱をもたらす蚊は普通都会なんだけどね。彼もかなりデング熱には詳しかったが、とうとうかかちゃったか。もう行きたくないと言っていたけど、行かないと仕事にならないから困ったね。 彼とよく行った首都の中華屋(ハッピースター)にも全然行っていないそうだ。一緒の専門家が昼飯は近くで済ませるタイプらしい。僕に付いていたときは、毎回レストランを変えていたし、時々は運転手を入れて3人でカフェにも行った。もちろん仕事はしたが、そういう仕事以外の楽しみにも付き合ってくれた。彼も31歳ぐらいかな。彼のお蔭で4か月の出張もいい評価を受けたのだ。感謝だね。 日系人入植地では3人で飲んだものだ。いい感じだったね。いい出会いもあるんですね。 今回の出張ではあんまり同行者がよくないので一人で食事や飲むことが多い。しょうがないね。いつも快適な人間関係ではない。 エフェソ・エクストラも効きがいいのでいいね。5%ぐらいでは酔わないからね。 このホテルでの夕食もシシケバブとラクが定番になっているが、最後はここの伝統的な食後酒ナーネで閉める。ボーイさん(当地ではギャルソンベイという)がまた来たかといつも迎えてくれるので心地いい。昨日は最後にミックス・フルーツ。一人での夕食もあんまりおもしろくないけどしょうがないね。 うちの奥さんと一緒だったらさぞ楽しいのにね。仕事を離れて観光でも来たいね。海外の仕事に嵌っちゃったことも観光旅行をしない理由かな。奥さんにはちょっとごめんなさいだ。

2012年7月1日日曜日

1410:ロジクールのスピーカーはいいね

午後1時。お昼はぬいた。さっきまで奥さんとスカイプで雑談。アフリカよりいいが、南米よりは悪い、そんな状況だ。スカイプの状況でその国のITのレベルが分かる。 南米の出張からパソコンの外付けスピーカーはロジクール製にした。左右一体型で賞状入れよりちょっと小さいサイズ。持ち運びも便利。USBだから電源も要らない。音質もまずまずだ。 ここ中近東でもまずはエーグルスから。英語の世界は快適だ。南米では苦労した。ここはまずまずの状況で、会う方の3分の1ほどは会話が成立する。 スピーカーがいいところは外部との遮断がないことだ。ヘッドフォンもスカイプ用に持ってきてはいるが、聞いていると外部と遮断してしまい苦痛だ。アフリカのホテルでヘッドフォンで聞いて作業していて、突然目の前にボーイさんが現れることがよくありビックリ仰天がよくあった。

1409:テレビチャンネルがすごい

今までの出張で一番テレビチャンネルが多かったのは、中央アジアのタジキスタンだったであろうか。100以上だからいい番組を見てもそれがどのチャンネルかすぐ忘れた。多すぎるのも不便だ。UNDPの宿舎でウォッカを飲みながら見ていた。 南米でも多かったが何せスペイン語のチャンネルがほとんどで見る気もしなかった。見ていたのは、日本のNHKと民放。ホテルオーナーの二男がネットに詳しく、日韓台の民放が見られるようにしていた。 当地も20年以上前は国営3局とCNNぐらいしかなく、民放は20年ぐらいから徐々に増え、16年後の今は100を超えている。すごいよね。このホテルではNHKは英語だけだから設定の問題もあるかな。ホテル側の対応の問題だ。 昨日あたりから暇が出てきたので、テレビもつけっぱなしにしている。CNNやBBCも久々だ。南部アフリカではBBCだけが世界情勢を見る唯一の放送だった。 しかし、情報量が多すぎるのも困りものかもしれないね。膨大に集めた資料も昨日あたりから精査しているが、結果として重要文書は10分の1程度だ。しかし、発散して集めない限りいい情報は引っかかってこない。これが情報収集分析のリスクである。 当地での最高クラスの研究者は知っているが、まだ会えていない。同僚の先生から連絡があり、彼は今はEUの仕事でイタリアにいてすぐには戻ってこないという。彼とはメールで交流することとなった。 さて、今日も感受性を研ぎ澄まして頑張ろう。

1408:リスク管理の課題

我々水セクターに係っていると当然自然災害に係ることになる。

水資源管理の範疇と認識している。 JICAさんでも水資源と防災が一つの部になっている。

これまで、洪水、渇水、豪雨、土石流といった自然災害に係ってきたが、南米では人為災害にも係った。森林伐採が土砂侵食や流出をもたらすケースである。環境汚染やダムの崩壊による洪水も人為災害の例だ。アメリカではダムブレイクもちゃんと人為災害として定義されている。 自然災害はその発生確率や規模・位置をシナリオとして設定しやすく、解析手法もほぼ確立している。

一方、人為災害の方はまだまだ一般的ではなく、ハザード、脆弱性、リスクの評価に標準的な事例はない。自然災害が人為災害を引き起こす事例もある。福島の例もそうだ。 地震が津波を引き起こし、最終的に原子力発電所の人為災害を引き起こした。人為災害が単独で発生する確率は大変低いが自然災害にトリガーされると被害は甚大になる。

コンサルも単純な課題を取り扱う機会はどんどん減っていて、複合的で複雑系の課題に取り組まなければならなくなった。歳を取るとお勉強は大変だが、そうした複雑系のお仕事を頂き、評価されることを期待して頑張っている。 日本の例も大事だが、世界の潮流にも留意したいところだ。

リスクの認識も4番目にはハザードモニタリングと予測というエレメントも入ることが持続性を高めることになる。洪水で考えるとわかりやすい。 さて、帰国まで2週間。当地での新しい友人たちとの共同作業が始まる。

2012年6月30日土曜日

1407:土曜の昼

近くのコンビニ(というか小規模のスーパー)MIGROSで買い物を済ませる。コーラ、ビール、タバコ、スナックなど。タバコは結構高い。ひと箱で300円以上か。政府の主導で公共施設内は絶対の禁煙。ホテルも部屋だけだ。もう中進国なのだ。 ビールはあまり飲まないのだが、アルコール度が高いエフェソを買う。 ホテルに戻って、久々の洗濯。ここでは洗剤が液体なので、仕方がないので石鹸で。南部アフリカや南米の出張でもしていたが、今回は毎日する時間がなかった。乾燥地帯だからすぐ乾いていい。 これまで3週間の面談記録を精査した。まずまずの成果は得られている。これから収束に向かう。発散から収束の過程が面白いのだ。 20年前にお世話になった国家電力庁計画部長のソイサル氏と電話連絡をする。彼は今地中海の避暑地にいるそうだ。来週月曜には首都に戻るので、それ以降に再度電話して会うことになった。97年に引退され15年になるが、お声の感じでは元気そうだ。60歳で定年とすると75歳ぐらいであろう。先日、現計画部長にあったが、ソイサル氏は当然超有名であった。この国のすべての河川を熟知していたのだ。現部長は僕より若い感じを受けた。 20年前は僕も計画局副局長のお部屋を借りていたのだ。局長と一緒にVIPの所内レストランで総裁らと毎日昼飯を食べたことが懐かしい。その頃の局長は今は当地最大手のコンサルに移籍し、今は中央アジアらしいと言っていた。この国のコンサルもサウジや中央アジア諸国の事業に係っているのだ。単純なMPやFS、DD、SVでは、もう日本のコンサルが必要にはなっていないのだ。コンサルも新しいニーズを模索しなくてはいけないね。 お隣のアフガニスタン大使館にハトが群がっている。南部アフリカで見た、カラスの集団はここにはいないようだ。

1406:土曜の朝

帰国まで2週間となった。情報収集項目が多いので大変だが、相手政府機関のお友達(上から下まで)もできて信頼してくれるので助かる。 不思議なことに日本人とは仲良くなる機会が少ないが、外国に行くと状況は全く違う。 日本語と英語のセンスの違いがるのかもしれない。 英語であれば積極的になれるのだ。不思議だね、これって。 この国の人とは24年前からの付き合いだが、大方の人とすぐ打ち解ける。20年も前のこともしっかり覚えてくれる。すごいよね。 これから20代の新人たちと共同作業を開始する。たったの2週間だが、一度は飲み屋にでも誘ってみよう。英語ができるからなおさらいい。 部長以上の幹部も軍人ような厳つい人(元々軍関係だったかもしれない)もいるが、小生の少しの現地語を聞き、いかつい顔にほほえみを浮かべていた。 来週月曜から政府機関のオフィスに常駐し、詳細な情報収集が始まる。周りの日本人を気にする必要がないのでストレスがない。 2003年まで一応精鋭チームで仕事をしていたが、03年から09年まではある意味素人集団をけん引していたころは大変だった。 最近は一人調査が多いので苦はなかったが、今回はちょっとね。 まあいいか。 当地の人たちとの協議は面白い。雑談もかなりあるが、それもまたいい情報につながる。 いまでも英語ができないコンサルも結構海外案件には多いのだ。クライアントには申し訳ないが、これがコンサル業界の実態だ。

2012年6月29日金曜日

1405:いよいよ活動開始

今日は無事に合意文書にサインでき一安心。これはクライアントサイドの安心。 我々コンサルはこれからが勝負。 あと2週間滞在する。すでに相手国政府機関の内部に侵入し、お友達も多い。 この組織では、僕の子供の世代が中心になっている。彼らとも話が進む。 僕自身は世代が違っても関係はない。要するに、組織が機能するためにはどうしたらいいかという課題を解決するだけだ。 熱意が必要だし、堂々としたコンサルの威信を出すしかない。と言って、威厳だけでは受け入れられない。 ここがコンサルの勝負どころ。 経験とセンスが問われる。 とは言え、クライアントにはわからない。コンサルの誠実な意識があるかないかだ。 ここは、アジアとは違う国。中進国だ。 ここでの滞在が続くかまたあるいは他国かはわからない。 一期一会の意味が深いね。 今日は突然のこの国の国歌を歌る機会があったが、僕が歌っているとさすがにこの国の人はびっくりしていたね。外国人がこの国歌を歌えるとは想像を超えていたのだろうね。 そういう、はなぜ技ができるのもプロのコンサルの一面かもしれないね。これはちょっと自画自賛だね。 でも大事なことかもしれない。コンサルの活動がこの国の人の心に響かなければ意味がない。国歌が歌えるかはは違うけどね。 心にずっしりと残るコンサルになりたいね。

2012年6月27日水曜日

1404:ホテルのパーティー

今日の作業も終了。帰国までまだ20日ほどあるが、ある意味重要な段階まで来た。 相手国機関の能力が全くないので心配だが、コンサルとしてはいかなる課題にも対応する立場なので、一応の成果が出るヒントは多い。プロですからね。 さて、夕刻になると着飾った若者のグループがホテル内に続々と入ってくる。 なんだろう?? ははー、高校の卒業記念パーティーだ。 アメリカで言えば、プロムだね。知っている人は知っているね。 フランス系のインターナショナル高校の卒業生の集団だ。ここのホテルは地下にパーティー会場を持っている。一応イスラムの国だから若者の開放的ななパーティー会場は少ない。隠れ家的だ。 近所に迷惑をかけないから丁度いいのだろう。 女の子も男の子も正装だ。男の子はやはり幼い。 当地では、アメリカンスクールもあるが、フレンチスクールもある。アッパーミドル以上の家庭の子弟が多い。 当地でも一般人とお金持ちの格差はかなり大きい。 こういうアッパーミドル以上の実態はなかなかつかみにくいが、偶然垣間見た諸相は貴重である。 僕の方は、プールサイドで一人遅い夕食を取り、ラクを2杯。最後はナーネ・リキュウルで閉める。ナーネリキュウールで閉める習慣も今はかなり少ない。外国人がナーネを頼むのはビックリ仰天なのだ。正式な夕食でしか想定しない。 昔のお仲間に感謝だ。 さて、宿題は明日の早朝にしようか。眠い。

2012年6月26日火曜日

1403:首都に戻る

昨日は夜遅く首都に戻った。故郷に帰ったようだ。 アフリカ南部の知人からメールあり、3年間の任務を終了されたようだ。 さて、これからホテルを出て会議に参加。 なかなか支援先のガバナンス能力が把握できず、支援内容の確定が難しい。 コンサルにとっては課題がなんであれ、技術的な支援はできるが、ボランティアではないので、我が国の支援政策に合致しなければC評価となってします。 我々コンサルはC評価になった案件をA評価にする役割もあり、成功例は数知れない。案件形成の初期段階から要請書作成にコンサルが係るとまずC評価になることはない。 対象国と我が国の橋渡しがさりげなくできれば一人前のコンサルと言えるのだ。 これが案外難しい。30年ぐらいの経験と知見が必要となる。20年程度ではまだまだひよっこである。 さて、そろそろ出発準備。

2012年6月25日月曜日

1402:B市調査最終日

B市調査の最終日。 夕刻に首都に戻る。 これから知事に会い、ある地域の実態調査に向かう。 こちらの職員は大変熱意もあり好感が持てる。 ただし、対象が新しい領域のため基礎的な作業プロセスと手法が全く分からないようだ。必要とされる技術支援内容が明確になった。詳細は書けないが。 まだ課題もあるが、それはコンサルの決定ではないので提案だけである。コンサルは意思決定者ではないのだ。あくまでオプションを考えること。それが重要である。 昨日の昼は当地名物のイスケンデレム・ケバブを頂く。うまい、うますぎる。 おかげで夕食はほとんど残してしまった。 首都の本部職員ともじっくり話せたのでよかった。えらいさんだけでは詳しい情報は入らない。コンサルは実質的な情報が最も大切なものである。

2012年6月24日日曜日

1401:B市の朝

当地は温泉で有名である。O帝国の最初の首都でもある。 このホテルは1935年にできたこの町でも古いホテルで、温泉スパで有名。ラマダンが7月20日ごろから始まるのか、夏休みか中東のお金持ちが集まっている。サウジの家族連れも多い。 朝は7時に朝食を取り、タクシーで町に行き買い物。 免税店で買ったタバコも尽きて、現地で最初の煙草を買う。ホテルには置いていなかったからだ。 この国の禁煙運動も徹底している。タバコもかなり高めになっている。 BBCを見ていると、直近に行ったP国の大統領が失脚したとのこと。元神父でもある大統領だったが、政策実行に成果がなかったのだ。 当地では隣国との関係が悪化しつつある。ダマスカスにも行って食生活などエンジョイしたが、もう当分行くこともないだろう。 さて、現地調査の準備にかかろう。

1400:B市での夕食

このブログも1400回を迎えた。2008年の11月からだ。3年半で1400回まで書いた持続性に感謝しよう。実際はもう少し書いているけれど、都合の悪い回は削除した。 このB市も約20年ぶりだ。I市向けの導水案件の調査で来たことがある。あの時は、国家水利庁の第1管区庁最高幹部も一緒だった。彼の名前は忘れたが、ライオンという意味だったと思う。 彼が僕と握手したら、突然、「あなたの手にはすごいパワーがある」と言っていた。へえー、そうなんだ。そんなことがあったっけ。 ホテルは最高級。レストランのヴェランダで一人ラクを頂き、ラムチョップを食べ、最後にナーネ・リキュウルを頂き、ギャルソンが、最後はトルココーヒーで閉めましょうと言ってくれた。チップははずんだ。 ラムチョップは、あんまり最高じゃなかったけれど、まずまずであった。これだけ長いことイスラム諸国で仕事をしていると羊の肉質は分かる。 ホテルは高台にあり、もうちょっと低い位置にあるレストランでは結婚式らしいパーティーがあり、ポップな音楽が聞こえてくる。 いい感じだね。こういう感じを満喫してこそ、この国での仕事の満足感があるのだ。 今晩は、ラクを2杯飲んで、終わりとする。 明日は遅いスタートだ。それまでお仕事をしよう。次の案件のこともあるし。 それにしてもコンサルにもピンキリがあり、どうしたもんでしょうね。この国で成果を上げるコンサルはいるんですかね、とやや悲観してします。堂々たるコンサルがいなくなっている。姑息な人ばかり。 当地はアジア諸国とは大違いなのだ。アフリカとも違うし南米とも大きな相違がある。アンビバレンスの国だ。 まあ、いいか。あんまり人のことを批判してもしょうがない。 わが道をクライアントの評価のもとに進もうではないか。 余裕のない状況ではいいアイデアも浮かんでこない。クライアントも正念場である。ただし、それについては批判はしない。 コンサルがクライアントを超える仕事を淡々とすればよろしい。そう思っている。 明日また頑張ろう。

2012年6月23日土曜日

1399:ホテルで待機

さすがに午後3時を過ぎ、ホテルのロビーも暑くなってきた。 あと1時間で空港に向かう。首都からB市までの距離は数百キロ。30分程度で着いてしまう。昔は車で行った。 ロビー用のネット接続パスワードをもらって、暇つぶし。 奥さんから情報ももらった。B市のホテルも良さそうだ。 ホテルのロビーから外が見えるが、高層マンションは16年前短期だが滞在したことがある。この辺は当時と変わらない住宅街。 このホテルも以前はアパートメントホテルで、長期滞在者用の建物だった。JICAの長期専門家が住んでいたことを思い出した。16年前はJICAさんの事務所も開いていなかったのだ。 あと45分ほどで空港に向かうか。空港までは土曜だから1時間かからないだろう。飛行機に乗っている時間が精々30分だから、それまでの待ち時間が退屈だ。 いろいろ調べると今回の調査対象に係る技術は1980年代にはこの国でもそれなりにやっていたようだが、それから25年。あまり成果とか実績が見えてこないのが不思議だ。 国家政策との係りもあろう。事業がなければ技術も進まない。それと、これまでの行政改革などで人材が離散した可能性もある。大学研究機関の成果も見えてこない。 不思議なことと言える。 90年代の国際機関が作ったガイドラインに、この国での80年代の成果が載っていて判明したのだ。 さて、B市に行ってなにか出てくるだろうか??

1398:B県に移動

ホテルでチェックアウトを済ませ、荷物の保管をお願いしてきた。3日間B県での作業があり今日から移動する。 B県は20年ほど前に行ったことがある。当時I市の渇水問題があり、180キロの導水計画のFSを行った。国家水利庁の第1管区庁の方と現地入りし、B市でもお世話になった。 今は国内空路も発達し、飛行機で行くことになった。高速鉄道もあり、そっちの方がいいと思うのだが選択できる立場ではない。 知事さんとも会うようだ。 パイロットプロジェクトの対象県であるのだ。山と海に恵まれた県だ。大規模自動車工場もある。ルノーだったかな。日本車は隣の県で作っている。 いろいろ現地で新情報も入るでしょう。 もっと田舎の県の状況を見たいので、別途お願いしてみよう。大都会や豊かな県だけでは全国の状況がつかめない。 2時にレイトチェックアウト。そのあと2時間半ほどはホテルで待機だ。 夕刻の便のためこうなった。 そろそろお昼の時間だ。またシシケバブかな。うまいので飽きない。

2012年6月22日金曜日

1397:コンサルにとって通訳とは

金曜午後5時。今週はあっという間に過ぎた。進捗はいい。 明日から3日間は地方都市に。この国の第4,5番目の大都市である。 さて、本題に入る。 当地で8年間6件のプロジェクトに参加したが、一切通訳を使うことがなかった。確かに通訳がいれば役に立つこともあるが、実務上翻訳以外通訳は使ったことがなかった。 今回クライアントの計らいで通訳がついている。どうも本格的なプロの通訳らしく、大学卒業後大学院で通訳を専攻した人だけである。2時間たつと交代という規則らしい。 南米でも日系人の通訳を使わせていただいたが、どうも今回と比べると実に効率的であった。今回も一見効率的だが無駄な面もある。機械的な翻訳では相手の真意とか行間の含みとかが伝わってこない。通訳の正確さだけではコンサルの仕事はできないのだ。片言でも英語で話してくれる方がコンサルにとっては情報収集がしやすい。 南米の時は、通訳といってもプロではなく失業してテンポラリーに通訳をしているにすぎない。何となく自信なさげだから、彼ともずっと雑談をして打ち解ける状況を作り出した。コンサルというのは情報収集活動だから、質問のセンスが問われる。単純で表面的な質問では本質には迫れない。徐々に彼がその感覚をつかんだようで、面談後に隠れた状況を説明してくれるのでずいぶん助かった。文献の翻訳はスペイン語だから機械翻訳で英語にすれば十分であったのだ。彼も最終的にコンサル的な感覚を身に着けたようだった。 さて、当地のプロの通訳はどうかというと、正確に通訳した内容は、通訳後ほとんど覚えていない。それがプロの通訳だそうだ。そこから得られる情報のつまらないこと。当地の人は多少は英語ができるから、8年間問題なく仕事ができたのだ。通訳の存在がうざいと感じ始めている。 ある時、2か所の面談を比較すると事実関係が違っている。通訳の人にどうして、と聞くと、通訳が仕事なので内容にコメントはしないのがルールだそうだ。 そんな通訳はもういらないと感じ始めている。 あと1週間ほどで3人のコンサルが別行動に入る。通訳の方からは、通訳必要ですか?、と聞かれているが、要りませんと答えている。 今日もEUと面談したが、別の国際機関では当然通訳は要らなかったのだが、クライアントの了解でついてきた。案の定、通訳は必要なかったが、EUの担当に名刺をあげて営業活動をしていた。 英語を専攻し、プロの通訳になることに異論はないが、主張や意思を失うことは、僕にはできないと思っている。 南米の通訳の人も今はまた違う日本人についているだろう。彼も意思があり主張ができる人だから、彼が担当する専門家がいい人であればいいなと期待している。人の意思を精神的に抹殺してしまう傲慢で不遜な専門家もいるので気を付けたいところだ。

2012年6月18日月曜日

1396:日曜の作業終了

夏時間ということも関係してか、8時半すぎて日が暮れてきた。 作業も終了。エフェスビールを飲んでいる。昼飯にタンドゥルケバブを鱈腹食べたので夕食は抜く。食事制限しないと太ってしまう。 このホテルも小さなホテル。お客も少なくていい。中庭に面しているので、プールサイドのレストランも見える。隣にはアフガニスタン大使館がある。いい環境だね。 20年前に完成したアタクレというタワーも寂れに寂れている。東京ではありえないのだが、中東の人にとってはタワーというのは厭きられるのだろうか。廃墟みたいだ。 この町も郊外に広がっていて、中心街は空洞化しているのかもしれないね。車文化だし、駐車場のないところは行かないのかもしれない。 でも、本当の下町は相変わらず人が多い。貧しい人には変わらない町であろうか。 車に関しての疑問が解けた。以前見かけた現地の車が消え、欧米および日本車や韓国車だけになっていたのでびっくりしたが、この国の現地生産車が無税で輸出できることから、ほぼすべての車が外国車名になったようだ。 逆に現地の財閥に対して現地車ブランドを復活して出してもいいんじゃないとお誘いがあるようだ。コチ財閥という。消費者が買うかどうかは分からないが。 16年以前のむかしにこだわらず、今の事情から慣れて行こうと思う。過去を懐かしむほど年寄ではないしね。 新しい友人関係も形成しよう!

2012年6月17日日曜日

1395:首都の散策2

さて、どこから始めようかと思案し、まずはシェラトンホテルに行こうと考えた。 地球の歩き方を持ってくることを忘れ、急遽奥さんから情報をもらった。いい連携だね。 シェラトンは堂々と立ってはいるが、なぜか閑散としている。お客もあんまりいない。20年前の感じはすでにない。ここは周辺地区に飲み屋が多くまずはシェラトンというのがタクシーで行くところだったのだ。 シェラトンからクズライ方面に歩いていくと、VAKKOが新本店を開いていた。本通りは高速道路化が進んだため、ここに本店を開いたようだ。なかなか高級感ある店構え。 紳士服も当地では最高級で値段が安い。20年前にはセルッティ1881の背広を買ったが、ウールにシルクが入っている背広が12万円だった。日本だと2倍はしたか。今でも当然着ている。 今はVAKKOのオリジナル製品が並んでいる。当然、シルク入り。値段も10万円程度。魅力的だね。また来よう。 VAKKO本店を過ぎると、16年前に開店した当地の最初のモール。KADEM。今は閑散としている。郊外にたくさんモールができているから日曜は寂しげだ。たぶんいつも閑散としているのだろう。 さらに下っていく。あんまり思い出せない通り。フランス系のスーパーで買い物。シャンプーを買う。これも成田で取られたから。 タクシーでホテル近くまで戻った。運ちゃんは1985年生まれだそうだ。もうそういう世代だね。 ウルファケバブ店で、今日はコンヤのタンドゥルケバブを頂く。本場のうまさは出ていないが許せる。今はどこのレストランでも食事の終わりにギャルソンが手にかけてくれたオーデコロンはなく、ウェットナプキンに変わっている。伝統的な習慣はなくなったか。 奥さんが教えてくれたお店も今度行ってみよう。まだうまい魚料理を食べていないのだ。B海峡沿いのシーフードは最高だったのだが、一人で行くのもねえ。今度は奥さんと来ようかね。

1394:日曜の朝

これで今度の出張も5分の1終わったことになる。1週間はあっという間だ。 去年はガーナの大学を回ったが、今回はこの国の地方の大学もまわる。 ガーナの大学も立派だが、世界的な水準では、ランクなしに等しいが、教授陣もプライドだけはあるらしい。研究者も野心家が多いから仕方がない。この国でも同じ。世界ランキングでは100位には遠く及ばない。アメリカあたりで博士号を取って帰ってきて英語のできる若手研究者もいるが、所詮2,3流のアメリカの大学だから知れている。 これまで30年ほど天才的な世界的な学者とお付き合いをさせていただいているので、ガーナでもこの国でも2流以下の研究者の下品さが見えてしまうのは困ったことだ。世界的に著名な学者ほど上品で穏やかなのだから。 ガーナでもこの国でも、精々ケンブリッジ、ハーバード、MITなどの出身者なら認めるけどね。ノースキャロライナとかコロラド州大、東大・京大とかじゃね。偏差値が40から50程度ですかね。彼らを見ていて、すごくみじめで哀れを感じてしまう。 日本ではポスドク問題もある。ドクターとっても日雇い労務者でしかない。 ドクターより、まずは人格形成が大切だ。クレメシュなんかは博士号なんて朝飯前だし、ドクター取ってから膨大な論文を書いているし、世界的な学会論文集に毎年採用されていたからすごい。彼の弟子で本当によかったよ。品性という共通項があったのだろう。 この間、関西だったかの大学が、Water Resources Researchにやっと載ったと大学全体で喜んでいたが、その程度では世界ランキングは30位止まりだ。 せめて、ドクター論文がアメリカ土木学会誌に載ってほしい。それが最低線。今は没落した国際水資源協会程度ではドクター論文として認めたくないね。N社の後輩がコロラド州大で博士号を取って、その論文を国際水資源協会の論文集に出したがたぶん適当な査読だったと思う。WRRでは査読に1年ほどかける。クレメシュとかコーネル大のラウスなどは毎年1度は載っていたからすごい。クレメシュはある意味哲学者だったしね。 ポスドクを救うなんて無駄だと思う。下野する覚悟で実務で頑張ればいい。まあ、それができないのが博士取得者の深刻な病気なのだが。博士号を取るまでの努力や時間を無駄にしたくないのだろう。医者や弁護士と同じだ。悲惨だね。 ガーナで思い出したが、R社が間抜けにも見事に失注した中部の都市計画の調査も進んでいるだろう。あそこも行ったが一目で都市計画の必要性を感じた。コンサルも頑張ってほしいね。違法で廃業したP社の残党がいるオリ社が取ったとか。

1393:ウルファケバブを食す

ウルファでのあの辛いケバブを食べたのは何年前だろうか。88年から89年頃まで滞在したので、23年前か。 アダナからディアルバクルあたりまでケバブの味付けは辛い。だから中部から西部の人はあんまり食さないのが普通だ。アダナケバブの支店はあったが、これほど南東部の味付けを主体にレストランが増えたのはどうしたことか。 さっきまでホテルのそばのウルファケバブの店にいた。コンヤのタンドゥルケバブもおいしそうだったが、ラムチョップを辛い味付けで頂いた。 うまいね。 お決まりのサラダ類も食べきれず、肉だけ全部頂いた。 ただ、住宅地のためかお酒がでない。ラクかエフェソが飲めれば最高なのだけれど。 コンビニでエフェソの缶ビールを買ったのでまあいいか。 成田で取り上げられた歯磨きのチューブがないため、機内でもらったもので過ごしていたが、さすがに1週間経ったので買った。 洗剤もほしかったが見当たらなかった。液体だけで洗剤の粉がない。 ウルファケバブ店のそばにはピデ屋さんもある。この国独特の小さなピザだ。もちろん普通のピザ屋もあるが、伝統的な小さなピデも昼飯には最高である。 一人というのもさびしいものだ。奥さんがいればねえ。最高なんだけれど。 とりあえず、1週間が過ぎた。体調はすこぶる良い。 ラクを飲みすぎるほど以前のような悪友コンサル仲間がいないのはさびしいが、年相応の動きをしよう。 20年前はこの国もインフレで国が潰れるかと思ったが、デノミをして、今はかなり景気がよさそうだ。 そういう国に援助をするのはもうそろそろ終わりになるかもしれない。 水力発電、地域開発、給水、防災と援助の中身が推移してきたが、それら全部に係った幸運はない。

2012年6月16日土曜日

1392:初めての散策

当地に来て最初の土曜日。 午後から町に出た。タクシーでケントホテルに。以前の定宿。20年ぶりだ。経営者が変わったと聞いていたが、ロビーは同じ感じが残っている。もう外国人が泊まるようなホテルではなくなったようだ。 なぜここに来たかというと、この定宿からクズライのレストラン街に行っていたルートを辿ろうということ。道の感じは思えている通り。当然店はほとんど変わっている。 20年ぶりに出所して町に出たのと似ているかな。 途中のCDショップでセゼン・アクスを買う。もうユーミンと同じような大御所だから、当然若い人には買われないからひっそりとあった。 クズライに来たらもうこれ以上は行けないので、タクシーでホテルに帰る。ホテルのそばの売店でコーラと水を買う。雑貨は50メートル先と教えてもらった。 レストランの種類で新種なのは、地方のウルファ・ケバブのお店が多い。それとガジアンテップ。昔は南東の田舎の料理を売りにしてはいなかったのだ。これもこの首都で南東部の人が増えたためか。単なる流行か。日本で沖縄料理が流行るのと似ているのか?この町の売りはドネル・ケバブだったのに。 このホテルの先にもあるので、今日行ってみようか。 レストランも店内での喫煙が全面禁止のため、屋外にテーブルを並べてあるのが多い。冬の寒いときにはどうするんだろうか。タバコ好きのこの国の人には不便この上ない。店の営業にも影響するだろう。 マックは萎み、バーガーキング全盛のようだ。KFCはない。 さて、明日は昔よく行ったシェラトンホテルに行ってみよう。

1391:アジア側首都に戻る

同行者との夕飯は不快なので一緒には食べていない。 さて、これから首都に戻る。やはり商業大都市よりは首都の町が過ごしやすい。 土日は頭を整理て、月曜からの協議に臨む。 いまのところ懸案事項はない。問題点はすべて報告してある。 守秘義務があるので具体のことは一切書けないが、いい案件になるように全力を尽くしたいと思っている。 これまで、何件か要請内容の不備があり、案件形成をストップさせたこともあるが、今回はどうか? 多少の修正は必要かもしれないね。 さて、そろそろ移動の用意でもするか。

1390:I市での調査終了

2日間のI市での調査を終えた。大学が2つと県及び市の本部との協議であった。 収穫は多い。 事前の文献調査で大方のことは知っていたが、会えばやはり知らない事実が見えてくる。 ヨーロッパ側とアジア側を結ぶ橋梁を渡るのは久しぶりだ。アジア側の大学は帝国時代に設立された由緒のある大学である。なかなか面白い話が聞けた。 展望台からの眺めも最高。海峡全体が見渡せる。気兼ねのない親しい仲間がいれば魚料理店に繰り出すのだが、残念なことに同行者との会話に心地よさが感じられないので彼らとの食事はしないことにした。 明日は昼には首都に戻る。土日はこれまでの調査の概要をまとめる。 首都に戻ったらケバブでも食べに行こう。あるいは魚かな。

2012年6月13日水曜日

1389:16年の長さ

午前から単独行動に入る。 やはり知った土地での行動は一人に限る。タクシーも使えるし、日本人の同行者に気を使う必要もない。 まず、郊外のある機関に行く。電力調査庁。残念ながら組織改革で水力や水文調査部門は別の国家水利庁に統合されたし、人員は水省にも移ったと聞いた。 タクシーで国家水利庁に向かう。 ここの建物も外見上は変わらないが、セキュリティーチェックもあり、また内装がよくなった。日本人ということでまずはえらいさんの秘書に連れて行かれた。そこからさらに気象関連部門に行く。 まだ、だれも知らない。そりゃそうだ。20年も前の仲間だ。ある気象関連部門の管理者と会うと、僕のことを知っているという。話を聞けば嘘ではない。 そうこうしていると、だんだんその当時の知り合いの名前がでてくる。彼が早速行先などを捜査しはじめた。何人かはさすがに定年で辞めている。若手も退職しコンサルとかやっている。 一番知りたかった元計画局部長のことが分かった。97年に退職し引退していた。彼と電話がつながり話ができた。来週以降に仲間を集めて会うことになる。中堅の技術者の家に遊びに行った時のかわいい女の子は今は大学卒業したそうだ。当時は英語ができなかったが今はできそうかな。 雑談をしていると面白い話が飛び込んだ。その話を今回の調査で知りたかったのだ。次の訪問時は総裁などえらいさんを通じて面談することになる。 16年ぶりの国家水利庁も省内は禁煙。外で吸っている職員には酷だね。 女性のキャリアも多く、当地では女性の社会進出が目立つ。午後の会議でも参加者の半分は女性管理職。顧問の大学教授も女性。聞いたら、彼女の指導教授は僕の知り合いの名誉教授だった。世界は狭い。 明日は早朝からヨーロッパ側に行く。ある工科大学や市庁などと協議予定。2泊して戻る。 いろんな省庁で協議をしているが、やはり国家水利庁の職員ほど気心が知れた方々はいない。土木工学を専攻した共通項は偉大だね。地質とか都市計画とか専攻している方々とは今一つ心が通じないのはなんででしょうね。 省庁の雰囲気というのはマクロに見ていると大きな違いを感じることに驚く。

1388:中東の夏

当地の標高は800メール以上であるので、朝夕は涼しく快適だ。昼間はさすがに気温も上がるが、湿度が低いため汗まみれにはならないから助かる。とは言っても、背広は着ていないしネクタイもしない。 今日の会議も朝から夕方までかかった。効率的にすれば3時間程度で終わるのだが、通訳を入れているので倍の時間がかかるのだ。 同業者の質問がだらだら続き、1時間半経っても終わる気配がない。一人で午前一杯使う気だ。英語力がないし質問内容も全く整理整頓されていない。一体何時間かかるんですかと聞いたら、逆切れした。前から彼の性格のいやらしさは同業者から聞いていたが、なるほどこれか、と思った。業界で有名な困ったチャンなのだ。 ちゃんと考えてやってますと、彼はいきり立って言うが、事前の説明や合意形成が全くない。独りよがりだし、人の話は鸚鵡返しでしかしない。会議のいい状況を作り出していくセンスが全くない。彼独自の質問もなし。これでよくコンサルが務まっている。個性も独自性もなく、人の話に不必要に割り込んでいる。一言で言えば、うざいのだ。 彼も会社を辞めて3年前に自分の会社を設立したようだが、受注率は高くはないそうだ。原因と結果がよく分かっていないようだ。自滅していかないことを祈念する。JVサブの経験で育った方に多いんだよね。幹事会社の経験がないとうまく会議を仕切っていく経験が非常に不足しているのだ。人として尊敬される力量と存在感がないのだ。 お馬鹿さんとは喧嘩しないと決めているが、こちらに不遜に介入してくる態度は100%叩かせていただく。実力のない人がやたらと仕切りたがるのはコンサルには向かない。T電の出向者にも同じような方が非常に多かったことを記憶している。 中東の夏を楽しく過ごせることだけを考えよう。人柄の良さでは定評の現地の方々との交流をエンジョイすることで乗り切ろう。

2012年6月12日火曜日

1387:首都の変貌2

昨日は夕食を食べに下町にタクシーで行った。昔だったら精々15分の距離だが、倍の30分以上かかった。首都の人口は16年前の250万人からたぶん400万人くらいになっているだろうか。のどかな200万人都市も住みづらい都市へと変貌した。 確かに、道路も整備され一見高速道路化しているが、人口増と車の増加には追い付いていない。元々、7つの丘に囲まれた町。最大都市のI市のようになってしまったようだ。地下鉄も整備中だが、機能していない。 さて、下町のレストランは24年前に初めて行ったロカンタシだ。小さなホテルの隣と理解していたが、レストランらしき店は見当たらない。ホテルの人に聞くと、行きたかったレストランは閉店し、その跡地にホテルができたそうだ。別の若者が手振り身振りで、子供のころに在ったが今はないことを教えてくれた。 さてどうしよう。以前定宿だったケントホテルの近くにアダナケバブの本場の味を守る店に向かった。ここは営業中と事前にチェックしてあったので、安心して向かった。店構えが変貌。公共の場での喫煙が禁止され、喫煙者向けのスペースを入り口の外に作ってあった。ケバブを焼くかまどのそばに座り昔の感じを懐かしんだ。 アダナケバブ、カブルガ(羊の骨付き肉)、サラダ、そしてラク。最後はナーネリキュールでしめる。16年ぶりの味は最高だったね。店の人も変わった外国人と思っていたが、すぐに打ち解けた。英語ができない人たちだが最高のギャルソンぶりを発揮してくれた。アルカダシだね。 朝5時半。大学の専門家から早速協議の日程についてメールが入る。なかなかやる気がある。来週の協議が楽しみである。 ラクを飲みすぎたが、幸い二日酔いもなく快調だ。朝飯までまだ1時間半あるのでBBCで見ようか。

2012年6月11日月曜日

1386:トランク到着

午前中はある有名大学で協議。当地では理系では有名大学の2つのうちの一つである。元々英語での教育を進めているだけに英語での協議ができる。通訳が暇そう。センター長は女性で若い。元気がいいね。ただし、研究的な成果はまだ出ていないのが実情である。しかし、元気がいいのは期待できるかも。 もう一人の女性は、知り合いの名誉教授の教え子で当地で博士号を取ってから東大でもう一つ博士号を得ている。お二人とも女性的なチャームを持っているのでいいね。日本人だと博士号を持っている女性はチャームを失っているのが普通だ。 担当分野で会いたい先生はいなかったので、別途コンタクトをお願いした。 次の協議はカウンターパート機関。予想した通り基礎的な知識はあるのだが、実務的な業務はなしに等しいことが分かった。本格調査ではゼロから進めることになろう。それもやりやすいという発想もある。国際機関の影響はまだなさそうだ。この機関でも女性の職員が多い。以前から多いことは承知していたが、16年でさらに女性の社会進出が進んでいるようだ。大学と同じように女性のチャームを感じる。日本人のようにキャリアウーマンは気取っていないのがよい。なんででしょうね。うちの奥さんは大変チャームがあるが、他の日本人女性でチャームを持っているのを見たことがない。 16年脳の奥底に閉まっていた現地語が湧き出てきた。 この国では通常英語が通じないことが課題であったが、この分では以前のように通訳なしでも行けそうだ。 現地に入りまだ初日。時差も感じないので楽だ。やはり16年ぶりにやってきたことが高揚感を高めているようだ。 さて、今日は初日ということもあり、連れの同業者をお連れして下町のロカンタシに行く予定だ。 飲みすぎないように注意しよう。 ホテルに帰ると重たいトランクが空港から届いていた。まずは安心。

1385:16年ぶりの首都の変貌

昨日夜首都に到着。 不運にもトランクが届かず。今日中に届けばと期待。積み残しがあったようだ。南部アフリカと同じ経験だが、ここは中進国。ありえない話でもある。 ホテルも小さいが快適そうだ。ホテル前の通りから50メートル行ったところのマンションに数か月住んでいた。今はもう引退した最大手コンサルの社長・会長になった方と住んでいた。彼も社長になりたいがために当地の所長をすぐ部下に交代し、そそくさと本社に帰ったのだった。その後会長にまで上り詰めたので一応成功だったようだ。小生が帰国する時に彼に小言を言ったら、小心者の彼は重たいトランクを玄関まで運んだっけ。あれから16年。 夜だったため、空港からホテルまでの景色ははっきりしなかったが、昔のような閑散とした風景はなくなった。道路、下町や山の手の雰囲気も見違えるほど改善されている。 トランクを取り戻さないと本格的な仕事はできないが、徐々に進んで行こうか。 鸚鵡のように、他の人が言ったことを繰り返し同じことしか言わないやりにくい同業者と一緒なのでストレスがたまる。実力も経験もないのに、仕切りたがるので困る。徐々に落ち込んでいくだろうが、嫌な人と一緒になったものだ。 さて、朝5時。朝ごはんの7時まで待つとしよう。トランクが無事に届くことを祈って。

2012年6月9日土曜日

1384:パッキング終了

最終的な日程表が届く。 先ほどトランクおよびバッグのパッキングが終わった。いつも通りなのだが、今回はちょっと事前の収集資料が多いので、他を簡略化した。 食料もなしに等しい。若干の夜食のインスタントラーメン。これも要らないのだが緊急用だ。 事前の資料も125編になった。厳選した資料だけハードコピー化して持っていく。 さっきテレビで2時間ほど今度行く国の特集があった。奥さんへの説明ができたが、基本的に扱う事象がワンパターンで、8年間で2年も滞在した国の魅力を紹介しているまでにはいっていない。 ネットで以前行ったレストランを検索したら、また1軒出てきた。下町のレストランで88年最初に訳も分からず行ったときに先発隊の方に連れて行ってもらったところだ。中近東も81年最初に行ったヨルダン以来2か国目で食事にも慣れていなかったころだ。その店に連れて行ってくれた方もずいぶん前にガンで亡くなった。彼は40歳前後で結婚間際に亡くなっている。熱血漢ということだけ覚えている。 首都の下町もずいぶん変わったことだろう。ホテルに着くのが夜の9時過ぎ。近くの飲み屋で一杯ぐらい飲めるかもしれないね。

1383:タクシー予約

バブルのころ、成田までは自宅からタクシーだった。経費として認められていたころだ。3万円くらいだったか。それが箱崎までとなり、最後はタクシー利用は認められなくなった。 この3年は奥さんが成田まで車で連れて行ってくれていたが、今回はリムジンバスとした。とはいえ、自宅から10分のところにリムジン出発点があるので便利だ。自宅から車で行き、駐車しておけばよい。今回は車の利用ができないためタクシーを予約。 タクシーの運ちゃんには申し訳ないが、経費節減のためだ。経費として計上してもよいが、やはり昨今3万円以上のタクシー代は無駄という意識になっちゃった。さびしい話だ。 バブルのころのどんぶり勘定というのも懐かしいものである。そういう気持ちのゆとりがあったころは、技術開発も盛んだったし、その成果としてコンサルサービスも最高級だったように感じる。88年に初めて本格的に出張したころは、トランクいっぱいに専門書を詰めて40キロの重さだった。現地のオフィスで専門書を並べるとちょっとした研究室。隣にいたHさん、今は最大手コンサルのただの社長、が「おー」と叫んだくらいの圧巻だったのだ。数か月の出張で成果を上げ、当時最先端の最適化手法を適用しモデルを完成させた。 今はネットの利用もでき、PDFファイルもあり、トランクいっぱいの資料を持っていく必要もなくなった。技術レベルが高まったかは疑問だが、荷物が軽くなったことは事実。 今回は事前の情報分析のおかげで、担当分野に関しても現地情報に関しても十分と考えている。あとは現地での確認。 明日は雨にならなければいいな、という心配だけだ。現地のホテルも以前住んでいた高層マンションの隣だし安心だ。 現地のタクシーの利用は快適だからいいね。

2012年6月7日木曜日

1382:コンサルの年齢的限界か?!

知人の地域計画系コンサル社長があと3年後の65歳で実務を離れるとのコメントが気になり、社員の取締役に聞いてみた。実務から離れる理由は体力的に団長は65歳が限界とのことだった。社長業に専念することもあるかもしれないが、実務を離れるとは社長職も辞すことなのだろうか。社長曰く、もっと大きな領域で国際開発に貢献するとのことだった。具体には知らない。社長が常に団長をしていては大変だ。次世代に引き継がせる勇断がないようだ。ご自分がトップでないと気が済まないし、自分を凌駕する優秀な社員は雇わない人だからね。この辺が、地球システム科学と大きく違う。社長と団長を兼務じゃね、会社は伸びない。 また、国際開発に評論は要らないと思う。実務にどこまで係るかがプロと思っているのは小生だけではない。日本工営にはT技師長が居られるが、彼はすでに74歳ぐらいか。嘱託として他の人にはできない専門職を熟している。 65歳はまだ若いはずだ。何か健康問題があるのかもしれない。親父さんが日本工営の社長だったから、社長とか団長という権威とかに固執しているのかもね。そういうのが本当のコンサルじゃないんだけどね。 コンサルの社長になって、辞職後に、実務の専門家的な仕事に復帰する人はまずいない。コンサルに社長職など、創業者でもない限り、要らないのである。 今の時代、久保田豊のような人はいないんだね。 数年先を行っている団塊の世代の生き方も様々だ。反面教師としていい勉強になるが、同じような「ザマ」にはなりたくないね。

1381:Sezen Aksuを聞きながら

かの地での音楽はまさに日本の演歌と同じであった。 中でも、Sezen Aksuは一番好きだった。今まさに彼女の音楽を聴きながら作業をしている。3日後にかの地に向かう高揚感が高まっている。 イスラム的な旋律と彼女独特のハスキーな声。 彼女は1954年生まれで僕と同じだ。80年代後半では、まさに絶好調だった。 それから16年今でも人気は落ちていないことが分かった。ユーミンと同じだ。 クズライ、チャンカヤの飲み屋は変わったであろうか。 調べたら、シーフードで有名だったヤカモズは健在だった。あそこのお魚は最高。 当時、日本人がよく来ていて、カイロのJBICさんも来ていたね。JICAさんはまだいなかった。 Sezenの歌声を聞いていると現地語が次々によみがえってくる。 悪友のOさんやN君が一緒だっらさぞ愉快な旅になるんだけれどねえ。今回は一人で行くことになりそうだ。

1380:あと3日

いよいよトランクに入れる荷物の選定だ。今回はちょっと紙の資料が多いので注意。現地で捨ててくるので、帰りはお土産を入れる。昔買った紅茶グラスを買おう。繊細なものだけに、昔のものはすべて破損してない。 さて、昨日は知り合いの先輩からメールあり。 情報によるとこれからミャンマーの案件が多くなりそうだ。ODAの再開である。今年の秋ぐらいから徐々に案件がでてくるようだ。NKとオリコンの勝負であろうが、オリコンが先陣を切っているようだ。PCI系のイケイケコンサルが復活してきたか。NKもジャングルファイターがいないようだ。 それにしても彼のメールは意味深い。あと数年でODAからおさらばするような書きっぷり。彼もあと3年で65歳になるが、年金生活にでもなるのか。 彼も会社設立して17年だから、あと3年で20年。もうODAも厭きたのだろうか。 あるいは健康に問題があるのだろうか。 いまどき65歳で引退はもったいないが、個々の人生もあろう。 小生はクライアントから受注できなくなった時が引退と考えている。

2012年6月5日火曜日

1379:あと5日で出発

出張準備も大方終了。あとは買い物かな。薬、若干の食糧、衣服を買うことになる。 昨日は奥さんと一緒にそば屋に行く。車で30分。A駅から直ぐだが、自宅からは車でないと無理。12時前だったがお客はいなかった。12時を過ぎるとほぼ満席。元々酒蔵だったようだ。ビールを飲んだら、冷酒も飲みたくなりグラスで一杯。なかなかうまい。2杯目は大吟醸を10年寝かしたお酒。グラスで1700円はいい値段だが、さすがにワインのような味わい。 出張前には、時間のある限り奥さんと外食。歳を取ると日本食もいいね。今度行く国はケバブが最高のところなので日本食を懐かしむ暇はないが、こうして日本食を味わう余裕も出てきたということか。歳なんだね。 午後はお昼にお酒を飲んだせいか、お昼寝の時間になってしまった。まあいっか。現地ではのんびりする時間もないからね。 とはいえ、現地のお酒ラクも最高だから飲みすぎることがないよう気を付けよう。ケバブだけでなく、お魚もうまいのだ。バルック。いぼカレイが通のお魚。値段も張るが、3,4人で食べると量もちょうどいい。 食前酒のナーネというリキュールもあったね。知っていると現地の人からビックリされるのだ。ヒルトンホテルのラウンジで飲む31年物のスコッチもいい。 34歳から42歳までの8年間を技術的にも生活面でもエンジョイした国に、57歳で出かけるのも奇遇だ。 1996年は出張国のオンパレードで、シリア、南アフリカ、レソト、トルコ、ブルガリア、タイ、と6か国を駆け巡った年であった。42歳ぐらいはそういう働き盛りだった。97年からは比律賓で2002年まで続いた。国を選べないコンサルでもあるが、今は行きたいところを選べる自由度がある。まさにコンサル冥利である。 かの地では、知り合いの大学の教授ももう名誉教授。新人の技術者らも出世しているかもね。 16年ぶりの出張で、彼らとの再会もあるだろう。今からお楽しみである。

2012年6月3日日曜日

1378:1週間後に成田発

70編の資料も結局気になることがあり100編に増えてしまった。本格調査並みだ。 最終的には担当分野の世界最先端の領域まで来てしまった。現地大学でもそれなりの成果が上がっているので安心だ。担当教授にもたどり着けた。 これで何とか当方の調査の成果もでることが確認された。準備周到なのが癖でね。 特に、キーワードは大事だ。今回もキーワードの連携で最新技術まで到達した。日本ではまだ誰も知らない。クライアントも。 最近はすべてのセクターで課題の複雑系化が目立つ。今回も一見違う領域がある言葉でつながった。感覚的には分かっていても、世界的な学問的な潮流が分からなかったが、先週の最後の資料収集で判明したのだった。 来週の今頃は、中国領内の空の上だ。成田のビジネスラウンジはANAのラウンジだと思う。あそこはJALより断然快適な空間だ。今から楽しみである。 今度行く第2の故郷の変貌もどうであろうか。1996年以前の定宿はまだあるようだが、クライアント決定のホテルは高台。土日でも散策して定宿付近を歩いてみよう。近くには、ケバブの有名店がまだあるのだ。カブルガを久々食べたいね。

2012年5月31日木曜日

1377:出発まで10日

国内での出張準備作業も終盤。資料のスクリーニングも終わったが、追加の資料がまた増えてそれらもチェックする必要性が出てきた。成田までのリムジンバスも予約した。今回は車ではない。偶にはいいか。午前発も久々なのでリムジンバスとした。 すでに6月。中近東は暑くなっていることだろう。 こんかいの担当は、anthropogenicというテーマだ。現地でもあまり進んでいない領域なので、定義から進めることとなる。赴任地では、理屈好きな人が多いので面白そうだ。 さて、アフリカ南部から昨日メールが来て、今年の水SWAPの方向が示された、今年は日本が開発パートナーを代表するので大変だね。お助けする機会も出てくるかもしれないが、いろいろ事情もあり参画できないこともあろう。 コンサルというのは、クライアントの判断でのアサイメントが普通だから、流れに任せて行こうと思う。今年は南米から始まり、中近東、そして次はどこになろうか。アジアの案件も今年出てくるようなので狙っていきますか。

2012年5月29日火曜日

1376:資料のスクリーニング

意外なことだが、他のコンサルさんの資料収集状況を垣間見ると不思議なことが多い。結論をいえば、資料不足。ほとんど関連資料の収集を行っていない。なんでやねん?たぶん、英語力と感性であろうか。我々コンサルと言っても最新の情報を持っているわけではない。ましてや、初めて行く赴任地の状況など無いに等しい。 それでもネットのおかげで膨大な情報(ほとんどは英語)が手に入る。調査開始段階では、発散しできるだけ多くの情報を収集し、ある程度収集した段階で資料のスクリーニングに入る。今がその段階。 そういった努力というか執念がないとクライアントの期待する調査はできないと思っている。今回も結局当該国以外の情報も集めてしまった。結果として重要な情報も得た。やはり、欧米の進んだ技術は役に立つ。特にガイドライン、マニュアル、ハンドブックなどは必需だ。 日本はどうかというと無駄ではないが、和文ということもあり、意外と応用できない。元々、欧米からの技術も入っているのでオリジナルでないこともあるのだ。 さて、いよいよ質問票の作成だ。これも意外と使えないことの方が多い。相手があることだしね。質問票で情報が入るならコンサルは要らないだろう。ヒアリングによる情報収集もセンスの違いで成果の差は大きい。聞く力だね。

2012年5月27日日曜日

1375:アマゾンさんに感謝

1時間前に無事にアマゾンからインクカートリッジが届く。70編の資料もすべてプリントできた。すべては現地に持っていかないが、事前にスクリーニングするにはやはりプリントアウトしておかないと効率性が落ちる。 通常カートリッジ1個で5000枚ほどプリントできるのだが、南米出張前と後でかなり消費していたため、今回の大量プリントに間に合わなかった。しかし、アマゾンさんに頼むと1日で配送してくれるので大変ありがたい。 専門書があと2編届いていないが、おまけという性格だから緊急性はない。 成田発は午前とのことだから久々早朝自宅を出ることになる。偶々、自宅の近くにリムジンバスの出発地点があるので便利だ。奥さんと一緒に行く。これまでは車で成田というのがふつうだったが今回はバス。まあこれも一興だね。 国際便でT航空を利用するのは初めてとなる。サービスのレベルが分からないが、一応期待している。T語が劣化していないか事前に確かめておこう。今回の調査では僕以外T国経験者はいないのだ。 さて、資料の精査に移ろうか。

1374:T電さんも大変だ

地に落ちた信頼、とT電さんの執行役員がテレビで言っていた。テレビ出演も次々に担当が変わる。そりゃそうだろう。社内でふんぞり返っている方々だからお客様担当の役員も出るのは針のむしろ。次はお前が行け、と言われて仕方なくというのが事情だろう。 T電にも知り合いが多い。先日ある人に会ったらいろいろ社内事情が聞けた。福島での業務も社内で手を上げさせたそうだ。ある知り合いも今は現地で除染作業の監理をやっているそうだ。本人もつらいだろうし家族も不安だそうだ。 40代はかなり参っているようで、特に給与が激減し住宅ローンや教育費が十分捻出できない。50代以降は負担が減っているので問題はなさそう。20代30代はすでに将来に不安。 T電にもいい人はいるが、大方は人間失格という方が多い。専門性は全くないのがふつう。さらに会社が失格状況という不幸はない。個人としての幸せを考えるはもう無理だ。コンサルの方が少しはましだろうか。

1373:サラリーマンコンサルは大変だ

ここ何日か、偶然3人のサラリーマンコンサルの先輩の近況を聞いた。Tさんはある準大手コンサル会社の部長さんだったが、定年で退職。部長時代も優秀じゃなくトラブル続き。団長をやっても失態でクライアントの信用を失った。会社も彼の責任は追及しないというお粗末さ。その彼も定年で去ったか。 Oさんも準大手のコンサル勤務して役務を中心にやっていた。やはり60歳で定年し退職。個人でコンサルやっているが失注続きで落ちこんでいる。クライアントの期待や信頼はなさそうだ。 Mさんは最大手コンサルの契約社員。すでに60歳を超えているが65歳になれば雇用形態も変わるし給与も激減するようだ。優秀な方で65歳を超えても素晴らしい仕事ができるだろう。それでも会社的には給与的に疎外されている。 サラリーマンコンサルというのも大変だ。60歳を超えれば職位もなくなり、給与も激減する。会社という看板がなければ自信喪失。 会社というのは個人が成長していく限られた環境だと思えばよろしい。会社から得られるものだけを考えることだ。もちろん、それでは出世はできないがコンサル稼業で出世はいらない。 60歳を超えて看板がなくても十分クライアントに信頼され継続的に専門家として仕事を続けられる状況を整備することが大事だ。 団塊の世代のような生き方はむしろ反面教師として学んできたので彼らのような失態はしたくない。 30代40代の方もそろそろ定年後のコンサル活動の持続性を真面目に考えなければならないだろう。会社を信じても仕方がない。 シニア人材室なんかで65歳まで待っていても腐るだけだ。

2012年5月26日土曜日

1372:アマゾンが頼り

A4コピー用紙を大量に手に入れたのは良かったが、100ページ以上の場合プリンターのインクに掠れが生じてきた。まだまだ大量の資料をプリントすることになるので、早速アマゾンさんにインクを2個注文。明日か明後日には着くね。 この手の注文ではいつもアマゾンさんにお世話になっている。 専門書も1冊頼んであるが、本なので出国前に手に入れられるか微妙なところだ。 首都で有名だった中華屋はもうないようだ。ただし、Aケバブの有名店は健在だ。あそこのケバブは最高。 イランやウズベクと同じようにヤギのいい産地を持っているからだ。

1371:空路とホテルが決まり

16年ぶりのT国。以前はヨーロッパ経由だったし、80年代は成田からアンカレッジ経由が普通だった。91年ソビエト崩壊でロシアを通過できるようになったね。 さて、首都のホテルも決まり。高台のG地区。以前はホテルはなかったが、新設ホテルがG地区に集中しているようだ。 資料が膨大なためA4サイズのコピー用紙がなくなった。カインズホームセンターにこれから行く。3000枚くらいは必要か。 資料のレビューでCP機関の課題が分かってきた。さすがにUNDPのレビューは信頼できる。CP機関作成のパワーポイントだけでは問題点はわからない。

2012年5月25日金曜日

1370:出張まで2週間

出張前の資料収集も終わり。70編ほどになった。十分すぎる量である。この作業をしないと現地で苦労する。クライアントからも資料を得ているが、10編ほどか。資料でクライアントに依存していてはコンサルとして失格。あと2週間で出発である。たぶん直行便だろうね。関空からかな。 古巣のコンサルで先輩だった方から今日メールあり、最近は受注状況も悪化しているということだ。60歳を超えると受注は大変なのだ。めげずに頑張ってほしい。常に改良・改善が必要だ。 僕が担当する分野は、これまでODAではほとんど実施していない分野で、途上国では未整備な状況である。精々先進国の数か国で整備されているに過ぎない。だから、遣り甲斐があるね。

2012年5月24日木曜日

1369:首都も様変わり

1988年、初めて行ったときは、先発していた調査団は南東地域の現場事務所にいた。首都で1泊し、国内線チケットをもらって現地入りする段取りだった。 空港から向かったホテルは下町。ローカルコンサルのアレンジだったため、外国人用ではなかった。調査責任者の方は現地も不慣れで最初の団長格だったため、生活環境つくりは失格。もっとましなホテルもはあったが、そこに定宿を移すのには数か月かかった。 その後ずっと定宿だったホテルも今はなさそうだ。その代り外資系や現地資本のホテルが乱立しているようだ。今回は選択の余地はかなりありそうで助かる。 ホテルの他大きく違った点は、大通り沿いに地下鉄ができたこと。16年の月日は大きい。あとはレストランがどうなったかも興味深い。何しろ世界三大料理のひとつ。うまいものはたくさんある。 あの当時はみなさん若かった。今はある都市地域計画系のコンサルの社長をしているH氏の短気を垣間見た。空港から数台のタクシーでホテルに入ったが、ホテルで支払う金額が通常の数倍。それでH氏は切れた。実際は数台分全部の値段だったのだが。あんな切れたHさんはその後見たことがない。同じ案件で水資源を担当した別のH氏も現場で運転手に切れたことがあった。彼も今は最大大手コンサル会社の社長だが、品のなさを見たのもそれが最初で最後。現場というのは人の本性を垣間見れるので面白い。

2012年5月23日水曜日

1368:トラベルガイドと地図購入

午後にクライアントの24年度新規採択案件表をもらいに行った。以前はこうした表は公式にはなく、杉戸町にある業者が主催のセミナーか何かに行くと有料でもらえたのだった。最近は、予定案件も事前に出ているし、こうして年間の採択案件表がいただけるので応札戦略上とても参考になる。どう分析したかはまだまだ現役なのでここでは書けない。 さて、お次は次に行く出張国のトラベルガイドと地図を新宿紀伊国屋で購入。地球の歩き方とlonely planet社のガイドブック。当該国の全国地図2種。16年も行かないと情報が劣化しているのが分かる。特にホテル情報。16年も経てば新しいホテルがあるのは当然。定宿もあるのだが、やはりインターネット利用が不可欠になる。 今の段階では、ホテルはクライアントが決めるし、空路も決定権がない。まあ何とかなるでしょう。 現地語もかなり劣化しているが、ガイドブックを見ていると、徐々に記憶の底に忘れていた言葉がよみがえってくる。 アマゾンから携帯用のプリンターのインクがさっき届いた。これも最低限必要で、現地での報告書作成には欠かせない。 そろそろ膨大な資料の分析を開始する。

2012年5月20日日曜日

1367:出張準備開始

次の出張まではまだ3週間ほどあるので余裕だが、これまで対象国での担当領域に関する技術支援は我が国としてはないので責任重要である。クライアントからの期待も大きい。 すでに基礎的な情報は得ているので、これから精査していこう。 調査対象の大学関係者にも知人がいるので安心だ。パイロット地点の都市も以前行っている。 懐かしい国ではある。何しろ16年ぶり。多くの人に出会ったし、彼らとの交流も熱かった。 この16年で航空事情も変わったので、当時はヨーロッパ経由が普通だった事情も今は変化しただろう。直行便もある。最終的な決定はクライアント任せだ。 16年前の案件ではおかしな経験もあった。すでに8年間5案件を経験しており、他の団員より現地事情もよく知っていた。そういう部下を信頼しうまく使うのが団長として普通だが、6件目の団長は嫉妬深く自己中。何かにつけて意地が悪い。仕事上の男の嫉妬ほどいやらしいものはないが、彼の気質は異常だった。彼の判断で、2回目以降の派遣は意図的にキャンセルさせられた。自分以上に目立つ部下は嫌いだったようだ。 そのことが切っ掛けで、それ以降当地には行くことがなかったわけだ。 その団長も出世競争に躍起になり、団長も部下に任せそそくさと帰国したのは面白い。赤門の後輩が自分より先に取締役になって焦ったのだ。帰国後、挽回して後輩より先に社長になった。その辺の動きはさすがだね。最終的には会長になり、今は引退した。後輩も社長になった。 社長にもなった方だが、現場サイドで個人的に見ると大したことがない。その程度の人だから社長になっても会社を大きく成長させることはなかった。赤門はその程度。 日本のコンサル会社なんて個人芸のある人は少ない。精々、創業者だけが偉人になっているに過ぎない。 久保田豊を超える人はいないのだ。

2012年5月19日土曜日

1366:いざ出陣

1か月ぶりのブログ更新である。

昨日から1年半ぶりに郡山に行った。大学同期のS君と飲んだ。彼もこの1年除染業務で忙しかったらしい。経営的にはバブルのようだ。郡山も地震で多くの建物が被害にあったようで解体業者も繁盛しているらしい。繁華街の陣屋もにぎわっていた。

さて、遅れていた出張時期も決まった。1か月遅れだろうか。結果として2か月の休暇となった。出張先は16年ぶりだ。88年から96年まで2年ほど滞在していた。当時の知り合いも生存しているだろうか。兎に角、懐かしい国に行くのは楽しい。食事もいいしね。これから少しずつレポートすることにする。

2012年4月21日土曜日

1365:土日の作業開始

4月も21日になっても肌寒いのも珍しい。

さて、次の案件はどこか。案件受注もご縁の関係もあり、なかなか予定通りにはいかない。ご縁があれば行くという感覚でよかろう。 たぶん、アフリカであろうとは思う。 アフリカも2つの水資源案件が進行中。関係者であろう方のアクセスも確認している。特に、水資源管理の成果が問われているので頑張ってほしい。南部アフリカの案件はすでに開始されており、西アフリカの案件は中間地点であろうか。 直近の南米の案件では、最後のセミナーで環境大臣が予定外に参加され、当方の環境行政に係る提言も直接大臣に言う機会があった。珍しいことではある。大臣クラスとの協議にビビッていてはコンサルは務まらない。僕の場合は、大臣から呼ばれたり、呼んでもいないのにセミナーにご参加されたりするので、大臣に会うことには無頓着だ。向こうからやってくるぐらいの実力を持ちたいものだ。

久々春の連休がある。大概は海外出張中だから連休中に日本にいるのも珍しいことだ。たぶん連休後にアフリカかというのが現在の予定かな。 ヨーロッパ経由で行けることも確認。西アフリカであれば何もドバイ経由でなくても便利な路線もあるようだ。96年が南部アフリカにヨーロッパ経由で行った最後の年だ。それ以来は経費節減とかでドバイ経由が普通になって、まさかヨーロッパ経由で行けることになってきたとは知らなかった。

さて、土日の作業に入ろうか。

2012年4月12日木曜日

1364:プロポ作成終了

久々のプロポ作成も終わった。 昨年クライアントのプロポ評価の方法が大きく変わり、段階的にプロポの内容も変えてきた。 その効果も前回でたので、今回も踏襲した。 こういうテクニックは絶対に公開しないが、個々に努力してほしいものだ。それでないと、いくら応札しても失注続きとなる。 引退したら、プロポ作成ガイドラインも書いてもいいが、いつになるか?70歳を超えても現役で、というのがモットーだから当分先だ。 日本工営に70歳を超えても専門家として頑張っている大先輩がおられる。 高柳さんだ。 三祐コンサルにも樋口元副社長が70歳を超えても現役で頑張っていたが、さすがに80歳を超えてご活躍が聞こえてこない。当然だね。 高柳さんはまだまだ現役だ。彼を超える人は最大手コンサルでもいないだろう。 大先輩に見本になる方がいるといいね。 僕も彼のように頑張りたいと思っている。 設計工事監理系のコンサルは70歳を超えたら無力だ。調査計画のセンスは全くないからね。given conditionsがないと何も進めない。課題を評価分析するセンスはない。こういう方々が部長以上に多くなって最大手コンサルの低迷が進んだ。団塊の世代は最悪だった。烏合の衆。 ましてや、政策戦略なんていう分野には全く手が出ない。大手コンサルなんて所詮こんな体たらくである。 個人的な力量がないサラリーマンコンサルの一生ってさびしい限りだ。

2012年4月11日水曜日

1363:プロポ作成も最終段階

いよいよ明日でプロポ作成も終わる。今日中に終わってもよかったが、ちょっと書くのを止めてある種のひらめきを期待して、最後の詰めは明日にした。 案の定、ある事柄のヒントが得られた。 方法論のヒントと関連機関の詳細が分かってきた。 まだクライアント側も実態を把握していないのであろう。指示書に不確実な事柄が多く見受けられるのだ。 その辺を明らかにするのがコンサルの役割だから当然のことだ。 なんか、もう調査が始まっている錯覚がある。 取れるか取れないかは神のみぞ知るだが、南米に続いていいプロポができそうだ。 そろそろプレゼンの準備もしなくてはいけない。 それは来週だ。

2012年4月9日月曜日

1362:プロポ作成も終盤

土日で業務実施方針を書き上げた。あとは類似案件。 この類似案件の記述が最も大事な情報である。これに手を抜くと受注はできないと思っていい。 幸い今回は3つとも類似性関連性が高いので十分な情報を書くことができる。関連する論文も入れた。 今週中にプロポを提出できそうだ。 受かるかどうかはわからない。競争相手との相対的な差違で決まる。 いろいろ受注のための対策もあるが、ここでは書かない。個人差があり、必ずしも他の方で成功するかはわからないからだ。 それに、まだ現役だから競争相手に技やコツを公開する気にはならない。生活がかかっている。 受注するかどうかは、ゼロか1の違い。2位以下はゼロなのだ。 還暦過ぎた先輩が歳のせいかあんまり受注できないと嘆いていたが、それは誤解だ。 歳よりも機動性とか報告書の書きっぷりが影響していると思う。 それに気づかない・認めない、という精神構造の劣化が問題と言える。 クライアントにアピールするプロポを書くこと。それしかない。 内部的な評判にも気を付けることだ。ブラックリストに載ってしまったらおしまいだ。 誠実な対応が必要だ。コンサルの悪口はいろいろ個人的にも聞こえてくる。それを自覚しないコンサルは失格。 傲慢でわがままで、観光気分で出張するコンサルも多いのだ。

2012年4月7日土曜日

1361:プロポ作成も中盤

花見はマンションの前の公園で済ました。風が強くお弁当を食べる雰囲気でもなかった。さて、新規案件のプロポ作成も久々だ。成功事例があるので、そのプロポの体裁をベースに書いている。 TORに若干手抜きが見られるが、そこは工夫して論理的に提案する。クライアントの不備に文句は言わない。当方でいい方向に誘導する。 プロポの内容については書けないが、南部アフリカで実施したプログラム管理の手法を適用する。 類似案件の記述についてはこの数年で改善した。以前とは全く違うアプローチである。これも言えないが。 クライアントの評価基準と評価方法もずいぶん変わった。そういった内部情報も配慮する。 政策提言も最近の傾向だ。コンサルには経験者が少ない実情があるので、競争はそれほど激しくはないが、万全の体制で臨んでいる。 来週一杯で完成できそうだ。

2012年4月5日木曜日

1360:宿題終了

南米出張の宿題も終わった。最後のピリオドを打つのは気持ちがいいものだ。 20年も前から総括をやっているので、サラリーマンコンサルだったら、この程度の仕事は新人に任せるのだが、一人調査団ではそうはいかない。それが不満というわけではなく、むしろ気持ちがよろしい。 次の案件の情報もすでに収集済みで、プロポ作成の戦略も決めている。 次々といい案件が出てくるのだが、公示時期も事前にわからないから、出てきた案件を優先する作戦にした。 南米から次はどこへ行くかはお楽しみだ。 昨今の状況でアジアの案件は少ない。特に東南アジアはもうないかもしれない。 アフリカあたりが有望だ。 せめて英語が使える国が希望だ。 昨日は以前在籍していた最大手コンサルの後輩がやっている御茶ノ水の中華屋で飲んだ。同社の仲間との飲み会。 結構同社の人が利用していると聞いた。 まあ何とか潰れないでいたので安心した。 明日からプロポ作成に入る。 プロポは受注して作業に入っている気持ちで書くこと。 それしかない。 アフリカ南部の全国版水資源調査の進捗はどうかな?まだ進捗は聞こえてこない。 烏合の衆のようなJVだからあまり期待はしていない。

2012年4月3日火曜日

1359:宿題とプロポ同時作業

風が強い。台風並みだ。 さて、南米の案件の宿題(というかサービス残業)もあとわずかになった。あと数日で終わりかな。報告書本文のお化粧と写真集だ。 と言っているうちに新規の案件公示が出た。 プロポ提出はまだ先だが、宿題と一緒に作業を進めることになった。まあ何とかなるだろう。 プロポ対象は、久々のあるセクターである。 具体のことは一切言えないが、またプロポを書ける幸せはない。落ちても受かっても、プロポ作成は楽しい。 特に、方法論や実施計画があると面白さは格別だ。またプロポ作成時に大量の情報を収集するのも取れた後に役に立つ。 すでに対象国の関連セクターの文献は集めた。英語はいいねえ。何百ページでも対応が可能。南米の時の西語の苦難は最悪だった。 通訳がする機械翻訳(西語から英語)も意味不明の場合があり、慣れるまで苦労したものだ。 さて、宿題にかかろうか。

2012年4月1日日曜日

1358:不況なんすかね

南米から帰国したらフローズン・マルガリータが飲みたくて、家族で行こうと予約の電話をしたら使われていないという。 調べたら閉店だった。 先日もサティーのレストラン街のタイ料理店もなくなっていた。トルコのケバブ店もなかった。 エスニック料理店もこの不況続きで閉店なんだね。さびしいものです。 まあ、東京に行けば何でもあるし不自由はないのだろうが、ここさいたま市では代替店がないので困る。 朝の報道番組に東電幹部が出ていた。勇気あるね、この人。叩かれるのが決まっている針のむしろ。 白々としゃべるところがまさに東電社員的。上から下まで腐っているからね。官僚的と言ったら官僚に悪いけど、そんな慇懃無礼。 東電社員もいろいろ個人的に知っているが、まともな人はほんの数人。 ざまあ見ろ、と言いたいところだが、これだけ不幸な状況になると同情する。 退職者も数倍になっているようだ。まともな人は辞めるね。当然の判断だ。 サラリーマンコンサルもそろそろ将来の人生設計を修正しないと無様な人生になるよ。 大きなお世話だが。

2012年3月31日土曜日

1357:CからAに

南米出張から戻り、1週間が過ぎた。 履行期限は無事に過ぎたが、サービスで追加作業を開始する。TOR以上の作業もずいぶんやってきたが、さらに追加作業をする。これもコンサルが信頼されるためには重要である。 大概は、TORの120%程度を行えばまずクライアントから信頼される。 昨年までのアフリカ出張では、6件の案件を形成し、すべて実施につながった。 今回は1件だけだ。 どちらが難しいかというと後者だ。 前者では、案件形成の最初から係っているため、日本サイドでC評価には絶対にならないように配慮することができる。 今回はC評価になってしまった案件の再評価でA評価にするのだから非常に難解なのである。 しかし、幸いA評価になるとのことで一安心。 C評価になった理由についてはいろいろあろう。具体には言えない。 したがって、慎重かつ大胆な発想が必要だった。 プロの技でもある。 さて、これからサービスの作業を開始しましょうか。

2012年3月23日金曜日

1356:ヒューストンの朝

アメリカ中部時間で午前6時過ぎ。

3か月半ぶりにヒューストン国際空港に。

100%英語の世界。落ち着くね。

サンパウロからアメリカで文明文化も100%に達した。まあ、ここは田舎だから大したことはないけど、アメリカ好きの小生にとっては最高なのである。

ただし、もうかなり眠い。あと3時間半で搭乗だ。

ショッピングもしようかな。大したものもないでしょうが、見るだけでも。

疲れてきたせいか、3つの手荷物の重みがずっしり感じる。歳だね。

とりあえずちょっと休憩だ。

1355:サンパウロ空港

まだ長旅は始まったばかり。サンパウロ空港でヒューストン行のユナイテッドのラウンジで書いている。

早めにチェックインできるので助かったが、これも荷物のスルーができなかったためだ。

やはり南米一の大都市。

英語も通じるし、文明がある。

この感じはアフリカでもそう。ヨハネスに来ると文明文化を感じるのと似ている。

ユナイテッドだからラウンジもいいね。食べ物が豊富。味もいい。

ネットはちょっと遅い。

荷物が重くないので疲れはでていない。これからだ。ヒューストンまでよく寝ることだね。

最後のお土産はヒューストンしてここでは買わない。買うものもないしね。

7時前でもう暗い。

ヴィザなしだがちょっと外には出た。入国のスタンプなしで出国スタンプとはいい加減な国だね。

さて、もうちょっと飲んで行こうか。

2012年3月22日木曜日

1354:空港から

午前中にクライアントにご挨拶。

今は空港のカフェ。ハバナである。ここにもずいぶんお世話になった。

ダブルエスプレッソ。

今日は雨模様だ。

サンパウロまで2時間半。まずは第1段階。サンパウロで6時間。

ヒューストンでもそのくらいか。

ビジネスクラスだから楽だね。

途中、調査対象地付近の空港に立ち寄る。胡散臭い金持ちや東洋人が乗り降りする。南米最大の模造品製造地。

あと1時間ほどでバイバイ。

さて、最後のエスプレッソを頂こう。

1353:作業最終日

3月21日午後8時。

朝が早かったせいか、眠い。

大臣と局長との協議を終えた。通訳を介してもスムーズに話ができた。これで自分ができればさぞ理解が深まるんだけどね。残念。

大臣はちょっとお病気のようだ。リスポンスが悪い。話が進むうちに笑も出てきた。

僕の年齢が分からなかったようで、年齢に関する質問もあった。57歳と告げるとびっくりしている。まあ、大体そういう印象だ。どうしてそんなに若いのかと聞くので、

「毎日若返りの薬を飲んでます」

と言ったら、マジで今度来るときは僕にも頂戴と申されていた。

午後は別の機関の計画局長。この局長も前回あった時にはリスポンスが悪かったが、今回は友好的だ。セミナーの資料で概要説明。よく理解してくれた。

成果を見せれば納得したようだ。この線で行くのでよろしくねとお願いした。部下の女性部長も了解した。

ただし、技術局長もやる気なので、2局の調整が必要だ。

環境庁は行かなかった。理由は書けないが。

今日は早く寝よう。30時間の移動。途中1泊しないのできついかな。南米出張は初めての田舎者だ。

シェラスコ、エンパナーダ、チーパなどなどうまかったね。うちの奥さんと日本で作ってみよう。

2012年3月21日水曜日

1352:教会はどこも閉じている

折角カトリック国に来ているのだが教会のごミサに行くチャンスがない。

土日は出かけないので平日しかないが、どこも閉まっている。

ダウンタウンのカテドラルも閉まっている。すでにミサはないそうだ。

カテドラルの裏は貧民街。治安が悪い。ミサ中の盗難があり、ミサ自体がなくなったという。

あれだけ貧しい比国でもカトリック教会はどこでも昼間は開いている。

南米の治安のいい国だが、おかしな話だ。

昨日も東部地域の県庁所在地の教会に行ったが、ミサ以外は閉じているという。

どんな理由か知らないが、残念なことだ。

アフリカ南部の国では、会議の始まりと最後はお祈りがある。

ここではどうかと聞くとないそうだ。

そんなもんですか。あまりカトリックが普通だとこうなるのか。

昨日も今日も政府幹部や県知事など神という言葉は出なかった。

一人だけ、ある市長からは僕のプレゼンででた聖フランシスコの平和の祈りに対してコメントがあった。

それだけ。

南米はカトリック国といってもさまざまなのだろう。

1351:セミナー終了

3月20日午後6時半。

現場より戻る。昨日と今日でセミナー開催。無事に終わる。

西語通訳のおかげで反応も良かった。

昨日は環境大臣の突然の参加があり、プレゼン中に内容をちょっと変更。通訳がビビッていたが、まあまあ乗り切った。2日目は2回目ということで通訳も落ち着き非常に効果的にやっていただいた。

こうした通訳との連携が重要だ。女の子で優秀で頭のいい通訳もいるが、こうした重要場面での力はやはり男性だね。機動力という能力である。男性はなかなかお勉強が苦手。資格とか興味ないし、見かけの能力では女性に負ける。

しかしねえ、土壇場での力量は未知数だ。そうした人材を育て上げるのもコンサルのお仕事。

プレゼン後、日系の長老が言っていた。

「通訳がうまかった。今までいろんな通訳を聞いたが、今回は95%まで正確だった。」

日系2世のK君も自信をつけただろう。お母さんに感謝だね。

いい成果が出たので、帰国後の追加作業までクライアントから頂いた。いいことです。信頼されているからこそ、最後の案件内容まで依頼されたことを意味する。

クライアントの満足が我々コンサルの満足である。

コンサルが持論だけ言ったところで案件は進まない。

明日は、ある省の大臣と会う。午後はまた違う公社の局長とも最終協議。

案件形成としては成功である。

22日はいよいよ3日間の移動開始。成田ヒルトンでは一泊し、長女の大学入学のパーティーだ。

2012年3月19日月曜日

1350:大学院同期死す

先ほど東京からメールが入る。

しばらく病気で入院していた大学院同期のK君が亡くなったとのこと。3日前のこと。

同じ同期のT君が2週間ぶりに病院に行くと、

「もう亡くなりました」

と言われたそうだ。

亡くなって2日後のことだったらしい。T君もこれまで同期の幹事としていろいろ同期会を開いてくれたし、K君のことも気にかけていて、K君の大学まで出かけて行っていた。

K君も去年あたり大学を休職し、在宅で治療にあたっていた。

K君は僕と同じぐらいだから58歳前後だと思う。大学院同期では唯一大学で教鞭を取っていた。

まだ若いね。無念だったと思う。当方は海外暮らしだから、これまで一度もお見舞いには行っていなかった。

K君やT君とは飲み仲間で院生室で集まると、神田の行きつけの飲み屋に行き騒いだもんだ。79年から80年。

K君は物知りで、知らないとは言わない人。学者肌だったね。だから大学に残ったわけだけれど。

独身だった。それが救いとは言わないけどね。

合掌

1349:フローズン・マルガリータが飲みたい

3月19日午後1時。

南米出張の最後の日曜日。

ハードコピー資料をすべて廃棄。秘密資料もあるので破く。

現地提出用のファイルをCDにコピー。

明日明後日のプレゼン資料のチェック。まだ最終西語原稿は通訳の人から届いていないが。

ホテルの部屋も片付いてきた。こういう瞬間がいいね。飛ぶ鳥跡を濁さず。

イーグルスを聞きながら書いている。南部アフリカ出張時と同じだ。

テキーラ・サンライズを聞いていると、フローズン・マルガリータが飲みたくなる。

帰国したら行きたいレストランリストもできているが、浦和のメキシコ料理屋も入っている。

昼間からテキーラを飲む贅沢を味わいたい。妻と子供たちと行くが、娘ももう大学生。

いずれお酒も飲みましょう。娘も結構お酒が飲める体質だしね。

ここのシェラスコもいいけど、メキシコ風の肉料理がやはりいい。

3か月のダイエットでだいぶ体重も減ったが、日本に帰るとうまいものが無限にあるので気をつけたいところだ。

さて、最後の日曜日をのんびり過ごそう。プレゼンは参加者を観察し、その場でアレンジし、メリハリをつける。

コンサルの実力はプレゼンで決まるのだ。

2012年3月17日土曜日

1348:西語から英語に戻るよ

3月17日土曜日午前7時半。

南米最後の土日に入る。いよいよ帰国だ。

明日明後日、現場で説明会をやる。ローカルコンサルがおバカなのでとんでもないプログラムにしてしまった。自分が目立つことばかり考えている。クライアントの意向やカウンターパート機関にも配慮していない。

こういうコンサルの存在は危険だ。今後は使わないことをクライアントに助言。

22日にここを経ち、サンパウロとヒューストンを経由して成田着が24日。

長い旅だが、仕事も首尾よく終え(説明会はおまけ)たので、途中の免税店も余裕で見られる。

西語での仕事も慣れたが、自分のアイデンティティーを失った。英語が極端に使えない国。南米で最悪と聞いた。

西語から英語に戻り、自分を取り戻したいね。

また南米に来るときは、少しはまともに西語を使いたいがたぶん無理。専門性だけ失わなければいいだろう。

今回のお土産はいろんなお菓子類。西語の分かる帰国子女のうちの奥さんに。

キャッサバの粉も買った。チーパの材料。日本で作るチーパもどうでしょうね。

1キロのキャッサバ粉も見かけは麻薬。マテ茶もマリファナに見えるから面白い。成田でトランクを開けられたら愉快だ。

さて、プレゼン資料の最終チェックをしようか。

2012年3月13日火曜日

1347:dos seminarios en dos regiones

午後7時。

午後に最終報告書を提出。

来週のプレゼン用パワーポイントを作成開始。以前、中間報告で作ったものに追加修正する。

2日あれば、西語訳もできるだろう。来週木曜に出国し、土曜に帰国する。長旅だ。成田のヒルトンで一泊。

しかし、来る時の荷物も減り、帰りは楽だ。仕事を終えたゆとりもあろう。

来週は2つの関連県庁で説明会を行う。45分間は意外と長いが、西語通訳があり、実質は20分程度か。

通訳との連携がうまくないと聞いている方もダレる。

この国のことわざとかインパクトのある雑談も適当に入れている。

流域は共同体ということ。

インクルーシブなアプローチ。

段階的なアプローチとトータルソリューション。

七人の侍に学ぶ組織論。

最も弱いものを共同体のアクターとして支援し、育成すること。

こんな感じでしょうか。

プレゼンはコンサルにとって最も大事なこと。報告書を書くだけではない。

今回は200ページも一人で書いたが、だれも読まないだろう。

45分間に全精力を費やすことができれば、いい成果が残るだろう。

ただし、西語しか通じない国。

聞いている側の心に響くプレゼンができればOKだ。

通訳さんのセンスも問われるが、事前に報告書とかプレゼン資料を訳してもらうので、それで感性を磨いてほしい。

通訳さん曰く、

「この報告書は読みやすいですねえ」

そうなんですね、だれでも理解できる報告書を書くのもプロの仕事です。

2012年3月10日土曜日

1346:debate, sin un minuto de la reunión

午後7時。停電が発生したが、すぐに復旧した。

最近、電力事情がひっ迫して過去最高のピーク発電を記録した。クーラーの普及が主たる理由である。

この間行った床屋の日系のおばさんが言っていた。

「この頃は安い電化製品があるので買う人が多い。」

すぐに復旧するのはアフリカとは違う。同じ内陸国で水主火従。火力はほんのわずかな点も共通。

世界級の水力ダムが2つもあるのだが、輸出用だから国内需要に対応できていない。何か矛盾があるのでしょうね。

NHKのニュースを見ていたら、例の震災後の政府対応では、議事録がないそうだ。

決定のプロセスもわからず、だれが決定したのかもわからない。

これでは無政府状態。

録音しておけばいいのにね。

オフレコで政治とは情けない。

西語では会議のことをreunionって言うんだね。

再会と英語では意味する。

今回も局長ら関係者と会議をしたが、再会できるかどうか???

2012年3月9日金曜日

1345:Con seguridad regresó a la capital

4時間ほどで現場から戻った。

南部への出張は2度目だが、アルゼンチン国境までは初めてだった。

収穫は多い。現場百遍とはよく言ったものだ。

ダム管理所で公団のポロシャツを買った。記念だね。

保護区も見せてもらったが、動物園。もう一つの公団よりは遅れているようだ。

しかし、ダム発電所やエレベーター式の魚道システム、水運システムなど見るものが多い。

世界級のダム発電所の管理エンジニアの対応もよい。作った後の管理運営というのはコンサルは不得意だが、いいものを見せていただくと勉強になる。一つの国で世界級のダムが二つというのも珍しいのだ。

日本製の機器の優秀さについてお世辞をいただいたので、

「Que honor」

と昨日映画で覚えた西語を使ったら、案内役のエンジニアが喜んでくれた。

最後は技術局長室で冷たいお水を頂く。

公団のプレスからインタビューを受けたが、当たり障りのないコメントした。言葉として変なコメントが残るとクライアントに迷惑がかかるので。

ダム近くの町でチーパを食べる。ここのチーパは有名だそうで、サイズは小さくもちもちっとした感触がいい。

明日からまた報告書の作成だ。大きな誤解があったので、かなり修正が必要だ。

2012年3月8日木曜日

1344:Los siete samuráis

アルゼンチン国境の町に来た。

初めてである。

いい街だね。

対岸はアルゼンチン。小さなマンハッタンのように見える。蜃気楼か??

今日の面談は意味深い。大きな間違いが回避できた。

日本料理屋で夕飯。

着いたのが4時過ぎ。

衛星放送を見ていた。

黒沢の7人の侍。

いいね。

南米で見る日本映画もいい。

この映画も全編見ることはなかった。

最初と最後が見れなかったが、楽しんだ。

首都ではテレビの画像が悪い。精々NHKが見れる程度。

ここでは全局見るに堪える程度の画像だ。

7人の侍は奥が深いし、見る人を飽きさせないエンターテイメントだ。

コンサルの調査団の構成に似ている。ただし、昔のこと。個性の多い、そして個性が尊重されていた。

今はどこの調査団も最低だ。団長は間抜け、副団長はおバカ。サラリーマンコンサルの典型。

団員に至っては仕事をする資格がない。

最低の調査団。クライアントに申し訳ないが、しょうがない。

7人の侍のような団員構成は昔のことだ。

最大手のコンサルでも屑ばかり。哲学とか信念とかがない。勉強もしていない。精々、芥屑同様の技術士とかTOIECの点数とかが勉強の目的だと。

中小では素人ばかりだ。

南米の田舎で思った。

7人の侍はどこにいる??お墓の中でしょうかね。

2012年3月6日火曜日

1343:Las citas de Señor Yutaka Kubota

クライアントに信頼されるべきコンサルの行動規範を思うと、日本工営創立者の久保田さんの名言を思い出した。

下記に記す。

「細かいことで私欲を出したり、無理に人を押しのけたりすることは感心できません。たまに赤字覚悟、損得勘定抜きの場合があってもいい。その方が相手側の信頼を得て、結局はプラスになって返ってきます。」

最大手コンサルにも、ずいぶん反面教師がいたね。

彼らも今はどうしているんでしょうね。

1342:hidalgo

最終報告書のドラフトを提出した。

48メガバイト。重たすぎるので、メールで送れなかったので持参した。

中間のパワーポイントで内容は十分把握して頂いていて、落としどころは了解されているので安心だ。

クライアントと信頼関係を作るのが重要で、クライアントに心配ばかりさせるのはコンサルとして失格である。

結構いるんですね、いい歳して怠けた団長が。サウジでもいたし、会社的にクライアントに許してもらっているケースがあまりにも多いんですね。本人はまるで知らん顔。YエンジのTさんはもう定年か。

さて、これから1週間で最終化。ただし、明後日から2日間は現場なので実質5日間でまとめる。

最終原稿のページナンバーを目次に入れて終わりだ。

お昼は下町のハッピー・スターで中華を頂く。もうこの店以外は行きたくないほどうまい。今日は韓国人で満席に近い。

途中、3人の日本人奥様方が入ってきた。日系じゃなく、日本人。見てすぐ分かる。髪型、化粧、服装。

外で待っているドライバーに聞くと、日本人学校の校長夫人とご友人だった。田舎出身者のようだ。

そのあと、韓国人経営の食材店で韓国製カップヌードル(韓国製で唯一辛くないラーメン)と隣のパン屋でガーリックトーストを買う。

どちらも品数が豊富だ。食パンは絶品で、日系入植地まで届いているという。

ただし、店の品格は全くない。韓国人に品性はいらないでしょう。あったら、こんなところで商売なんかできない。

パン屋の名前は、

Hidalgo

名前が白々しいが、味がいいので許します。

2012年3月5日月曜日

1341:Formulación de proyectos

午後7時過ぎ。

まだ日は暮れていない。最高気温はまだ35度に達している。なかなか涼しくはならないが、朝方はやや冷え込むようになった。

さて、最終章と前章に手を加え、とりあえずドラフトとして提出する。最終提出は12日としている。

案件形成はもっとも得意としているが、今回は1件のみという条件。

常々行っているのは、まず何が課題かということを見極める。

課題が分かれば、その解決するアプローチを考える。いろいろファクターがあろう。

援助が必要かも考える。

借款か無償か、あるいは開発調査か技プロか。

日本の援助モダリティーのメニューに合うのか。

アフリカの某国では、11件作り、6件が相手国政府から優先すべきと選定され、結果として6件すべてが実施に至った。

今回は1件のみ。

その案件の内容についてはじっくり取り掛かった。

単純な案件ではないからだ。類似案件がことごとく失敗しているからだ。

同じような案件形成ではまた失敗する。

あらゆる条件を考慮して、絞り込んでいく。

このプロセスがなかなか面白い。初期の情報収集過程はかなり大変だが。

東京サイドは最終的な案件の内容をすぐにでも知りたがる。当然だ、いろいろ事情がある。

その点には最大限考慮するが、やはりじっくり攻めていくのがベストだ。

その辺は帰ってから協議しよう。焦って安易に案件を形成するとあとでしくじるからだ。

実際、案件実施をどこがやるかの選定もかなり難しいのだ。その時は小生はここにはいない。またアフリカだね。

2012年3月4日日曜日

1340:capítulo final

午後6時半。今日の作業は終わり。

いよいよ最終章に入った。逆に言うと最終章を書き上げ、前章や書き残した部分に明日戻る。

目次を整理し直した。

あとは、参考資料の整理とか略語表、目次、表や図のリストなど雑用が残る。

それも楽しいのだ。

最終章は以前概略書いているので意外と楽だ。少し加筆する必要はまだある。

帰国日まで3週間。成田では久々ヒルトンに宿泊する。バーで働くバングラディッシュ人の人もまだいるかな?

さて、来週はまた現場に向かう。1泊だがメニューは多い。

まずは農協が実践している流域保全事業の見学。農協が主導とは興味深いのだ。日系やドイツ系の農協が経営するスーパーがすごいとの評判なので期待している。

次の日は、アルゼンチン国境河川に作られた世界級のダム見学。内部までかなり詳細に見学できることになっている。特権だね。

宿泊先は当地第2の都市。夕飯はみんなで日本食だ。シュラスコでもいいのだが、たまには日本食もいいことにしよう。現地の人にはなかなか行けないからね。

世界遺産もあるようだけれど、ちょっと道が違うので今回はパス。世界遺産で最も観光客が少ないところらしい。

農協が小農に対して行っているマイクロファイナンスの実態には興味深いので、今から楽しみである。技術援助の新しい方法論の模索である。

2012年3月3日土曜日

1339:consultor nacional

休み明けの金曜である。

朝早くクライアントの事務所に行き、ローカルコンサルが提出した報告書を頂く。

事前にローカルコンサルとは協議していたが、またも成果が乏しい。

乏しいというより、かなりのチョンボだ。

衛星画像を基にした土地利用図が荒いので改善を要求したのだが、結果として出てきた土地利用図は衛星画像を反映していない。

どうも手作業で適当に判別したようだ。

こちらは精度の高い土地利用図を別機関から入手済みだから、彼らのチョンボがすぐ分かってしまう。

何たることか!

これがローカル、最近はナショナル・コンサルタントとちょっと言い方が優しいが、こうしてチョンボをされるとやっぱりローカルはね、と期待感はなくなってしまう。

以前、インドネシアのハッサン・ヌーディン大学の研究者に依頼した時は、土壌侵食モデルもよく解析しており、土地利用図を手作業でするチョンボはなかった。責任者が素人だったこともあるが、南米のローカルコンサルの実力もなさそうだ。プレゼンだけはやけに偉そうなんだけれど。それだけで、中身がない。

できないことは、できないと言ってほしかったが、薄っぺらなプライドだけは強い。

困ったことだが、彼らの仕事はきちんと評価することとなる。

他にも否定的なコメントは多々あるのだが、ほめるところがない。現地情報もおおざっぱ。結局、こちらで新規に入手したほどだ。

インターナショナル・コンサルタントの違いを示すことができそうだ。

今日はある有名な国際NGOと協議したが、彼らは非常に有能で情報も豊富。小生が考える流域保全の考え方を詳細にメモを取っていた。

この国でまともな英語をしゃべる人も滅多にいなかったが、NGOの若手は英語も使える。

アフリカでもそうだが、意外とNGO職員はいい給料をもらっているので、実力者がいるようだ。

コンサルよりいい人材がNGOに流れることだけは避けたいものだ。

2012年3月2日金曜日

1338:Champon

朝から雨である。

アルゼンチン側から暑い雨雲が接近し、雨となった。

15階の窓からの眺めは壮観だ。

作業後、久々下のレストランに行き、ちゃんぽんを食べた。

いろいろ日本食もあるのだが、ちょっと気温が下がり暖かいものが食べたい時だけ行き、ちゃんぽんを食べる。

お店の名前が長崎特有だから、ちゃんぽんの出来がいい。

リンガーハットの味に負けないくらいだ。

店は祭日なのか現地人でいっぱいだ。日本人は少ない。

午後2時。

ちょっと昼寝でもしようか。作業も順調だしね。

最終章はまだ先だが、落としどころはすでにある。

それまでの材料を書いているに過ぎない。

農業、林業、環境、村落、などなど、ちゃんぽんのようにネタが広がっている。

最後にまとめだ。発散から収束。

これがコンサルタントのお仕事なんですね。

明日は長女の高校の卒業式。

いよいよ大学生活が始まるんだね。英語を専攻とは3番目の子供で親父さんの意思をちょっとばかし継いだかな。英語をどう使うかが楽しみだ。女子大のキャンパスというのもいいね。今から奥さんとのキャンパス近くのしゃれた山の手のレストランめぐりが楽しみだ。

2012年3月1日木曜日

1337:Sol de un héroe

本日は祭日である。

報告書作成にはちょうどいいタイミングだ。

土日までに、最後の2つの章を書く。

とはいえ、まだ中身は未完の部分も多いので、最終日は12日。

途中、現場にも行く予定だ。アルゼンチン国境のダムとある農協の流域保全活動。

帰国までいよいよ3週間。

何とか任務は終了できそうだ。いつもそういう感じで終わる。一期一会。

1週間前には80ページだった報告書も今は150ページ。重たいファイルになってしまった。43Mバイト。作業しづらい。

西語からここまでようやくたどり着いた感がある。初めての西語だもんね。

我ながらよくやった、と自画自賛。

今日は、英雄の日。

コンサルは英雄ではない。英雄を育てる影武者だ。

2012年2月29日水曜日

1336:saneamiento e hygiene

衛生にあたる英語としては、

sanitation

hygiene

がある。

water, sanitaion and hygiene

をWASH

として使う例はUNICEFである。

ある日本人の方が、sanitationとhygieneどう違うんでしょうね?

と言っていて、今度専門家に聞いてみると言っていた。

答えは簡単なのだ。

前者は、公共衛生施設などハードな意味合いがある。後者は、身近な行為(たとえば手を洗ったり消毒したり)や状況としてソフトな意味合いがあり、簡単に言えばきれいにすることを意味する。エチケットでもある。

日本人も英米人も意外とこの意味の違いを知らないのは不思議だった。

西語を使う人は大体この違いを理解しているのは面白い。

世銀のオフィスに行った帰りに、この違いを通訳の人に聞いたら、ちゃんと答えていた。

2012年2月25日土曜日

1335:Peluquería

金曜。

報告書作成の4日目である。若干遅れている。

森林再生プロジェクトの財務分析を入れたためだ。

水資源から流域保全、そして森林再生プロジェクトの財務分析まですることになった。

森林や林業とは無縁であったが、57歳で初めて林業に立ち向かう。

因果なもんですね。団長なら林業や森林再生の専門家に依頼すればいいことだが、一人調査団ではそうもいかない。

しかし、面白いものだ。

FIRRは17%とでた。いいね。

CDMなんかに惑わされるよりましだ。

昨日行った床屋さんは日系人。

日本で理容師の資格を取ったと申されていた。

海外では通常ホテルの美容院とかバーバーに行くが、今回は日系人コネクションで行くことになった。

さて、土日で後れを挽回しないとね。

再来週には、また大規模ダムの見学と森林再生プロジェクトの良例を見に行くからだ。

最終章の落としどころまではまだ長い。

2012年2月24日金曜日

1334:El cumplimiento de las leyes y reglamentos

報告書作成の2日目である。

実際はかなり前から書いていて、すでに80ページほどは書いている。異例のことだが。

しかし、目次の内容はまだまだあり、さらに追記することが多々ある。

今回の報告書で難儀なのは、法令の整理である。

中央アジアの某国でも経験したが、大統領令や省令がやたらに多いことだ。法律だけでも腐るほどあり、調べると関連する大統領令や省令がでてくる。

一般にこの国では、法令の遵守は期待できない。法令自体があまりにも簡単に作られることもあろう。

法律家ではないので、なかなか関連性が分からなかったが、2か月半もいるので何とかまとめられるようになった。

しかし、守られない法律を並び立てても意味がない。

重要な法令を整理して関係づけてまとめてみよう。

2012年2月23日木曜日

1333:Un mes para volver a casa

いよいよ帰国まで1か月となった。

昨日、目次案を作成し、今日まで予定通りに進んでいる。

こういう過程が大好きである。

概ね、2週間程度の期間で作業完了する予定だが、今回は2週間程度早めの日程で終了することを目指している。

ローカルコンサルの作業を監査する立場だが、彼らは10日程度遅く作業を終了するので、とりあえず当方の作業を終了させ、彼らの中間進捗を仮レビューし、彼らの作業終了時の成果をチェックし、レビューの修正加筆して帰国とする。ちょっと変速的。

今日彼らの進捗と成果過程を聞いたが、どうもお粗末なことになりそうだ。

具体のことは書けないが、彼らも経験のないことを適当に理解してやっているように感じる。西語のできない小生を言葉でごまかそうとしているが、それは絶対に許さない。

厳しいコメントをして帰ることにする。

帰国まで1か月はいつものことながらあっという間に過ぎる。

お土産も買っておかないとね。ハバナのお菓子がいいね。

明日は床屋さんに行く予定だ。日系のおばさんがいいよと推薦された。

2012年2月21日火曜日

1332:Sushi de Alcatraz

そこは広大なアメリカ大使館の裏にひっそりと建っている。

表札もない。古ぼけた2階建てのビルだが、人の出入りも少なく、一体どんな事務所なのだろうかと思えるほど静まり返っている。

事前に会う約束をしているので、いつも通り入り口の受付で会う相手の名前を告げた。

ガードマンは職員用の名簿を探している。探すほど無名の人ではないと思っていたので、いぶかしく思った。

何度探しても見当たらないと言う。まさかねえ。

隣の部屋から魔法使いのようなおばさんが出てきて、その人は2階だと言う。2階の部屋まで暗い廊下を魔法使いについていった。

ドアをノックしても反応はなし。

おかしいね、さっきまで電話していたのに。

仕方なく、入り口まで戻る。

1階の奥にいたはずだという話があり、ガードマンが先に行きドアをノックすると、会うべき人が出てきた。

その人はその機関ではかなり古株だから、ガードマンが知らないはずはないのだ。おかしなことが起こっている。

その方はずっとその機関で働いているが、今は「幽閉」されていると言われている。

幽閉というのもおかしいが、幹部からある意味嫌われ、首にはならずに左遷させられているそうだ。

そういう事情の方々が何人もひっそりと仕事もなく居る事務所だと言われている。

アルカトラス。

さすがにその方は事情通。昔のことをよく知っている。かなりの情報が得られた。

不気味な事務所に幽閉されていても自信たっぷり。ちょっと呆れた。

話の途中で今読んでいる本を紹介された。

Suzanne Visserの

Sushiという題名のサスペンス(2007年)

1997年、東京赤坂で起こった猟奇事件。人間を切り刻み、寿司のように。。。。

幽閉された仕事場で猟奇事件の本を読んでいる。

さすがに、アルカトラス・オフィスと言われる雰囲気があるね。

映画ハンニバルのようだ。

1331:Tamaño óptimo de la presa

Aさんのブログはたまに拝見しているが、ダムの最適規模について思いがけない考えを示されていてびっくりした。

「普通ダムは,高くすれば高くするほど経済性が良くなる,それをコントロールするのは,ダムサイトの地形地質と水没移住の規模です。ラオスのナムニエップを日本工営が規模縮小した時も,私は随分気を使いました。ダムサイトというのは,その国にとっては大きな財産なのです。それを小さくしろというのは,大変な話なのです。」

なるほど、ダムサイトと水没移住規模ですか。

何か忘れてませんか?

水文。あるいは長期的平均流量の推定と利用水量と貯水容量の関係。

これらをまず検討し、徐々に上記の条件などを入れて最適規模を絞り込んでいく。経済性をコントロールするのは水文というのが普通ではないのか。

普通といういい方が微妙だけどね。

若手のダム計画屋には誤解を与える可能性があるかも。

普通、タイやベトナム、中南米などでは、利用水量がかなり大きく設定され、その結果ダム高即ち貯水容量が過大になっているケースが多い。まれに、長期的平均流量を超える容量になっている間違いを起こしているケースもある。

最適ダム高の決定は、いわゆるパレートオプティマムであり、平均流量の7割程度になることが多い。長期的平均流量を考えずに、とにかくダムは高い方がよろしいという発想も昔はあった。

水文屋はいつまでたってもダム屋の補助なんでしょうかね。

2012年2月20日月曜日

1330:Historia de la inmigración japonesa

NHKプレミアムでブックレビューを見ている。特集は、

「蜩の記」

いい作品らしい。帰国したら読んでみよう。紹介本では、

「二流小説家」も良さそう。

こちらに来てから電子図書を1冊頼んでいる。珍しいことだが、日系移民入植当時の話なので急遽手に入れた。移住公団の方が書いた本は珍しい。作者の息子さんですか、とホテルの経営者の方に言われたのにはびっくりだった。

東京の本社からも日系移民の現状について書いてくれとも言われているが、ちょっと時間を下さいとお願いした。今回は西語からの情報収集が大変なので、書いている暇がないというのが理由だ。

とはいえ、こちらの日系移民社会のことは非常に興味もあり、いずれじっくりと書こうと思う。

特に興味深いのは、ハワイや米国の日系2世の時代が太平洋戦争前なのに対して、この国では、今まさに進行中ということ。たくさんの2世に会うと、戦前のハワイや加州などの日系人と会っているような錯覚に陥る。

通訳のKさんは都会派だが日本語のレベルが非常に高く、帰米二世のようだ。入植地の二世世代も同じように西語と日本語を同じように操るが、日本語の方が得意だと言っている。

同じ二世でも西語中心に暮らしている日系二世も多く、日本語は会話程度。3世になると日本語ができないことが多い。農牧省のM氏も全く日本語はできない。彼のような日系もアメリカには多かった。話し方やしぐさに日本人的なところがないのも同じだった。

実際、通訳ができる日系人が激減している。いずれ日系人の通訳はいなくなる可能性が高い。

困ったことに英語ができる日系以外の現地人がいないので、これから大変だ。

今回の出張で、日系社会の移行期に入っているのを観察する幸運を得たのだった。

1329:CNN en Español

ここのホテルは日系なのでNHKプレミアムやネットTVでの民放も見れるので、それはそれでいいのだが、やはり英語放送は入っていないのは不自由だ。

以前はBBCも少しの期間見れたが、画像の映りも悪く見る気がしなかった。

CNNは中南米向けの西語だけ。

大好きなCNNまで西語化されちゃうのはちょっと残念でもある。

こうして数か月間英語を聞くことも話すこともないと多少はストレスだ。

作業中にパソコンに入れてある英語の歌を聞いていて、やっとこさ馴染の言葉に触れて安心する始末である。

ここに来て数か月たったが、英語を話す人に会ったのは1回しかない。

政府機関や大学でも話す人は全くなし。

国際機関に勤める若い女性が話せたが、通訳の人に聞くと、彼女は首都にある英語学校に何年か通っていたとのこと。それでもちょっと実力は低いかな。お勉強家だけどね。

特別、英語を学ぼうとしなければ習う必要がどうもないらしい。周りの国ですら西語やポルトガル語だから、英語のニーズはゼロのようだ。

英字新聞ですら全くない。

ネット時代だから問題はないが、こうして英語の全く通じない国は南米では普通らしい。

ブラジル国境の町に先週行ったが、そこではポルトガル語が普通で、西語は2次的らしい。この国の人も住みにくいそうだ。英語よりポルトガル語が優勢というのも面白い。

ボンディア、ってポルトガル語ですからね。

1328:Chipa

首都から1時間ほど国道を走ると、この国のおなじみの伝統的パンが売られている。

中年おばさんたちの売り子がユニフォーム姿(ミニスカートが不釣り合いだが)で売っている。若い女性はいない。

この1時間程度のところというのがミソである。首都を離れる場合、トイレ休憩という意味もあるし、首都に着く手前1時間程度も最後の休憩ポイントである。

さて、伝統的パンは「チーパ」と言われる。町でも売られるし、家庭でも作られているのだろう。

アルミドン(キャッサバ粉デンプン)、ゆでマンディオカ(ゆでキャッサバ芋)、チーズ、卵を混ぜて牛乳でこねてオーブンまたはオーブントースターで焼いたものらしい。

チーズの酸味が強く、生地も硬いため、最初は馴染めなかったが、滞在が長くなるにしたがって、現場に行くときは必ず運転手に買ってねと頼む。朝早くごはんなしで1時間ぐらいのお腹には最適だ。

メキシコに長くいた妻に尋ねてもチーパは知らなかったので、この国独特なのかもしれない。

赴任した国の食材や食事に慣れるのは大事なことだ。風土に合ったものがおいしいのだから。

ベトナムなどでよくあることだが、コリアンダーになじめない日本人が多い。これが続くとベトナムそのものが嫌いになる。嫌いになって、病気なって帰国する方も少なくない。

食べ物が気に入れば、その国も好きになる。

2012年2月19日日曜日

1327:Sr. Y ha desaparecido.

1か月ほど前に元同僚のY氏と偶然会った。話したのは20年ぶりか。

彼も同じホテルに滞在していた。

ある水力発電所事業の監理のために、時々日本から派遣されている責任者(?)であった。

ちょっと関連するので、雑談しようと一度会った。それっきり忙しく、まあ最後に帰る直前にまた飲みましょうと約束していたが、そそくさと逃げるように彼は帰国したようだ。

あんまりいいことなしだったようだ。詳しくは書かないことにしよう。事業がうまく進まないことはよくあるのだ。

お互い大人だし、プロ中のプロのコンサルタント。立場は違っても堂々と会える器量がほしいものだと、ちょっと感じた。日本では最大手のコンサルタント会社も地に落ちたものだ。

それだけ社員は大変なんだと「お気の毒様」という哀れを感じてしまった。

今は激動の時代。それだけに会社にしがみついていくしか道はないのだろうが、コンサルタントとしての勇気や気概を失っては仕事をする意味がない。

その前に、正義感だけれど、それがありすぎると会社から追放される。しかし、追放されるほどの「勇者」でなくてはいけないのだ。個人の力量が期待されているのだ。会社名で実力は測れないさびしい時代だ。

目が死んでいる弱虫さんたちの会社では廃業がふさわしい。ちょっと言い過ぎだけどね。

アルフォンソ久保田豊さんが泣いているだろうね。

2012年2月18日土曜日

1326:プレガリア

昨日はI公団の調整局・貯水池および保護区部保護区課にお邪魔したが、課の入り口にさりげなくアシジの聖フランシスコの祈りが張られてあった。

自然と共に生きたフランシスコの精神と自然保護には共通点がある。

さすがに世界一のダム発電所の貯水池・流域を積極的に保全する公団の熱意と哲学が伝わってくる。

それでもやはり資金の豊かさも関係しているとは思うが。

Oración Sencilla de Francisco de Asís

Oh Señor, haz de mi un instrumento de tu paz:
Donde hay odio, que yo lleve el amor.
Donde hay ofensa, que yo lleve el perdón.
Donde hay discordia, que yo lleve la unión.
Donde hay duda, que yo lleve la fe.
Donde hay error, que yo lleve la verdad.
Donde hay desesperación, que yo lleve la esperanza.
Donde hay tristeza, que yo lleve la alegría.
Donde están las tinieblas, que yo lleve la luz.
Oh Maestro, haced que yo no busque tanto:
A ser consolado, sino a consolar.
A ser comprendido, sino a comprender.
A ser amado, sino a amar.
Porque:
Es dando, que se recibe;
Perdonando, que se es perdonado;
Muriendo en Ti, que nacemos a la Vida Eterna.

Francisco de Asís

1325:アスタ・ルネス

ブラジル国境からアルゼンチン国境まで戻る。

午前中は、県庁と公団で協議。いい成果が昨日から続く。

お昼はどこにしようか?

結局、うまいシェラスコを食べさせるレストランに。

interlagos grill

巨大な人口湖傍だからこういう名前がついたのだろう。

満席である。隣では公団の定年退職者のお別れパーティーが開かれている。いい感じのお別れ会に見える。

シェラスコももう4回目。食べ方を覚えた。10種類ほどの部位をちょっとづつためし食い。

うまい部位が見つかれば、それが来たら食べる。どうもこういう食べ方がよさそうだ。

それでもたくさんはいただけない。1か月に2回ぐらいが限界だ。

ブラジル国境の町も活気があるが、あんまり住みたいとは思わない。人種のるつぼで、犯罪のにおいがする。

南米一の密輸と違法製品生産の町とも聞いている。

5時間で、わがホテルに到着。

この町はのどかでいいね。

作業は明日にしよう。2月末までに報告書を書く予定だ。

2012年2月17日金曜日

1324:ラス・ティラピアス

ホテルに4時に入る。

今日は早朝から現場に向かう。まずは、C県庁での面談。多くの具体の質問に環境部長が詳細に答えてくれた。事前にローカルコンサルが面談し情報を得ていたはずだったが成果がなく、小職が直に面談することになった。

守秘義務があり具体は書けないが、まさに新情報のオンパレードだ。ローカルは、調査の意味を理解していない。

2番目の協議はI農協。その前にメノニータ系の食堂でお昼。

レストランの名前は、

Las Tilapias

だ。養殖したティラピアを出している。ボイルしたものとから揚げした2種がある。

どちらもうまい。ビュッフェで一人9ドル程度。周りのお客はほとんどメノニータである。普段農場なので見かけない彼らが家族と一緒に集まっている。壮観だ。最近はメノニータも俗化して独特の服は着ていない。アメリカやカナダではアミッシュという宗教的な自給自足の集団であった。

午後のI農協でもいい情報を得た。

理事長ら幹部も40代。日系2世であり、熱気が伝わってくる。

ここでもローカルコンサルが得ていなかった重要な情報を頂いた。

農協のスーパーで飲み物を買ってホテルに向かった。

大豆畑の入り口にある小さなこぎれいなホテルである。

無線LANもタダだし、快適。

夕飯まで作業をしようか。夕飯は定番の日系食堂。

一通りの和食がいただける。

大豆の刈取りはまだ本格的ではないらしい。本番はこれからだ。

明日は、ブラジル国境の県庁に向かう。

2012年2月16日木曜日

1323:カフェ・ハバナ

今日の天気予報では午後に雨が降るとのことだが、5時を過ぎてやっと雲行きが怪しくなってきた。

まだまだ真夏が続く。

ランチ後の時間にカフェに寄ることもある。

旧市街は寂れて、新市街の大規模ショッピングモールに洒落たカフェが多い。今日は隣国から進出したカフェ・ハバナのお店に行った。国家電力庁付近の出店だ。

この店の売りは甘ーいお菓子。コーヒーとお菓子1個のコンビがいい。

店に入ると東洋系の女性陣がいた。数人いると韓国系だとわかる。

常に一緒の通訳の方が、

「移民じゃないですね。たぶんKOICAのボランティアでしょう。」

なんで分かるの、と聞くと、

「ここの韓国系移民の女性は外ではこぎれいにして必ずお化粧するんです。」

なるほど、鋭い観察だ。

KOICAのボランティアも80人ほどいるらしい。

アフリカでも協力隊の団員の人が数人で、都市の高級レストランでお食事しているのを見たことがあるが、彼らも時には文化的な食事もしないとね。

ホテルに戻ると、磁気カード式のカギが紛失したことに気づく。

オフィスに忘れたことを期待しながら、ロビーで新しく作ってもらった。

明日から1泊で1か月ぶりに現場に行く。県庁を2か所、農協、イタイプ公団環境事務所を回ってくる。

大豆畑もほぼ刈取りが終わっているだろうか。

2012年2月15日水曜日

1322:イミグランテ コレアノ

帰国までかなり日数があるが、今回は報告書作成開始は早かった。

通常だと帰国前の2,3週間から書き始めるが、今回は2か月以上前から少しずつ書き始めている。

兎に角、作業範囲が膨大で2,3週間では終わらないだろうという推測があった。

なぜか。

西語の文献がほぼ95%だから、英語にしたり、最終的に和文にする時間のロスを考える必要があった。

予想通りかなり時間がかかる。すでに3分の2は書き上げたし、最終的な結論も出している。

さて、今日は韓国人の経営する食堂でお昼を食べた。ここの韓国料理はまさに韓国の家庭料理でソウルの下町で食べているような錯覚に陥る。ここは南米なのに。

お客はすべて韓国人。

彼らは近くの商売人かビジネスマンだろうか。

帰りに韓国人経営の食材店と隣のパン屋に寄った。

日系人のお店より品数が多い。韓国からコンテナ船で大量に運んでいるのだろう。アフリカの韓国人商人もそういうことをしていたと思う。

カップヌードル、ブラジル産のインスタントコーヒーなどを購入。

パン屋の出来はかなりいいらしい。僻地の日系人入植地でも売れているそうだ。まさにに日本の食パンである。

韓国人の移民はほとんど都会の自営業。南米で稼いで、メキシコ、そしてアメリカに向かうようだ。辛抱強いね。

この首都でも日系より韓国系の方が多いが、韓流スターのような風貌をした韓国人は一人もいない。

そういうものですね、現実は。

2012年2月14日火曜日

1321:コロニアス・ウニーダス

今日の作業は、この国の土地所有制度のまとめ。

小規模農家の半数以下が土地を所有していないという統計がある。彼らは土地所有の申請中とのこと。不思議なことだ。こうした統計をどう判断しようか。

さて、農協の話。

水資源に係ってきて31年。農協の活動を調査した経験は今までほとんどない。全国、地域、流域ごとの水資源開発あるいは保全計画には係っているが、民間セクターの一つである農協の活動をちょっと見たのは、比国のビコール川流域だったと思う。しかし、あんまり詳細には検討していない。単なる水利用組合だしね。

なぜなら、一般的に、農協が流域開発や保全に積極的に係る能力や熱意がないからである。

この国はちょっと事情が違うらしい。

農協が組合員に対して流域保全のための植林事業を財政的に支援している事例があるからだ。それだけではなかろうという予感があり、調べた。

農協が係る38個の流域保全計画が出てきた。さらに、農協連合会がFAOや林野庁と共同して全国的な森林再生計画を発表している。

農協の収益の一部を公共的に使うことが法律で定められているようである。

その最先端を進んでいるのが首題の農協なのだ。

彼らの活動には、資金面が豊かということ以上に、ある種の「哲学」を持っているように思える。

ある人が言っていたが、この流域単位で開発し保全するという考え方は日系入植者の経験を基にしているのだそうだ。

ますます、興味が出てきた。日本人の知恵がこの南米で活きているのだろうか。

帰国前には、現地を訪問する予定だ。

陸域、水域、そして湿地帯を入れて「流域」なのである。

水土の知、と日本では言っている。

アフリカで新たに全国水資源開発管理計画調査が開始されようとしている。係るコンサル各社(4社)に果たして「哲学」はあるのだろうか?

あることを期待している。その哲学を現地で移転してほしい。

2012年2月12日日曜日

1320:エンパナーダ

当地に来てしばらくは朝ごはんをホテルで食べていたが、マンネリもあり量も多いせいか食べる気がしなくなった。

そこで、毎朝国家電力庁のオフィスに向かう途中、エッソのコンビニでエンパナーダを買ってオフィスで食べる。

中南米あるいはスペインならどこにでもあるミートパイである。

当地ではいろんな種類があり楽しい。

一番好きなのが、牛肉と卵入り。チキンはちょっと味が弱い。

窯で焼いたものと油で揚げたものがあるが、好きなのは前者。

歳をとったせいかエンパナーダ一個で朝はちょうどいい。

昼は車両があるので、和食、中華、韓国などアジアンテイスト。

特に中華のハッピー・スターは最高で、横浜中華街並のうまさ。南米でもこの味がでるのはすごい。

小汚い韓国焼肉店の焼肉定食もいける。ソウルの下町かと思える店内。

和食もあんまりうまくはないが、ちゃんぽんだけはうまい。行けば必ずちゃんぽん。

土日の作業も順調だ。お昼はやはりエンパナーダで軽く。

こうした生活もまだまだ続くが、花粉が飛ばなくなった頃には帰国だろうか。

1319:ボンディア

ここ何か月かずっーと南米である。

31年コンサルしていて初めての南米というのは普通だ。

とにかく世界は広いし、案件も腐るほどあった。1度でも中南米の案件にアサインされれば経験者となり次もというケースがある。

僕自身は、アジア、アフリカ、中近東など、すべてそういう形で経験を積んでいった。だから南米経験はなかった。ずっと行きたいと思ってもいたし、妻が帰国子女でスペイン語が堪能。そういうこともあって1度はと期待したが今までなかった。

だから西語の能力なしで生活や仕事で英語を使う機会がゼロである。こういうのは案外初めてだ。

ロシア語圏と同じような状況である。ストレスでもある。

しかし、言葉は何とかなるものだ。通訳さんがいる。

膨大な西語は機械翻訳で英語化できる。これは最高に便利。

アフリカと違って文化もある。

ハバナというカフェも気に入っている。

ブラジルの影響が強く、おはようはボンディアだ。しゃれてるね。

ネットテレビでフジテレビを見る不思議。12時間差で朝夕がちょうど逆転。

娘の大学受験もそろそろ終盤だ。アフリカの時は二男の受験だったね。

1318:3か月半ぶりのブログ再開

去年の10月以来しばらくお勉強中のためこのブログは閉じていた。

仕事に集中するためと、少し休憩してプロのコンサルとして新たに進んでいく修業のため、ブログを閉じていた。

仕事も順調に進み再開を決心した。

何となく、久々落語を聞き、そう感じたからだ。

この3か月で面白い展開も出てきた。

またいろいろ書いてみたい。