2012年6月22日金曜日

1397:コンサルにとって通訳とは

金曜午後5時。今週はあっという間に過ぎた。進捗はいい。 明日から3日間は地方都市に。この国の第4,5番目の大都市である。 さて、本題に入る。 当地で8年間6件のプロジェクトに参加したが、一切通訳を使うことがなかった。確かに通訳がいれば役に立つこともあるが、実務上翻訳以外通訳は使ったことがなかった。 今回クライアントの計らいで通訳がついている。どうも本格的なプロの通訳らしく、大学卒業後大学院で通訳を専攻した人だけである。2時間たつと交代という規則らしい。 南米でも日系人の通訳を使わせていただいたが、どうも今回と比べると実に効率的であった。今回も一見効率的だが無駄な面もある。機械的な翻訳では相手の真意とか行間の含みとかが伝わってこない。通訳の正確さだけではコンサルの仕事はできないのだ。片言でも英語で話してくれる方がコンサルにとっては情報収集がしやすい。 南米の時は、通訳といってもプロではなく失業してテンポラリーに通訳をしているにすぎない。何となく自信なさげだから、彼ともずっと雑談をして打ち解ける状況を作り出した。コンサルというのは情報収集活動だから、質問のセンスが問われる。単純で表面的な質問では本質には迫れない。徐々に彼がその感覚をつかんだようで、面談後に隠れた状況を説明してくれるのでずいぶん助かった。文献の翻訳はスペイン語だから機械翻訳で英語にすれば十分であったのだ。彼も最終的にコンサル的な感覚を身に着けたようだった。 さて、当地のプロの通訳はどうかというと、正確に通訳した内容は、通訳後ほとんど覚えていない。それがプロの通訳だそうだ。そこから得られる情報のつまらないこと。当地の人は多少は英語ができるから、8年間問題なく仕事ができたのだ。通訳の存在がうざいと感じ始めている。 ある時、2か所の面談を比較すると事実関係が違っている。通訳の人にどうして、と聞くと、通訳が仕事なので内容にコメントはしないのがルールだそうだ。 そんな通訳はもういらないと感じ始めている。 あと1週間ほどで3人のコンサルが別行動に入る。通訳の方からは、通訳必要ですか?、と聞かれているが、要りませんと答えている。 今日もEUと面談したが、別の国際機関では当然通訳は要らなかったのだが、クライアントの了解でついてきた。案の定、通訳は必要なかったが、EUの担当に名刺をあげて営業活動をしていた。 英語を専攻し、プロの通訳になることに異論はないが、主張や意思を失うことは、僕にはできないと思っている。 南米の通訳の人も今はまた違う日本人についているだろう。彼も意思があり主張ができる人だから、彼が担当する専門家がいい人であればいいなと期待している。人の意思を精神的に抹殺してしまう傲慢で不遜な専門家もいるので気を付けたいところだ。

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