2016年3月3日木曜日

2669:いよいよ出張手続きのもろもろが。。。

クライアント側に対する作業は、あと打合せのみ。出発日の数日前に行う予定。現地からも日程案がでてきた。概ね、対応できる。現場が長いね。首都の滞在は行きと帰りで4日ぐらいかな。


短期専門家で現場に長期滞在はあんまりない。大体首都の省内にいて、適宜地方の現場に行く。今回はほとんど現場。これもいいね。のんびりしてね。


現場は日系入植地で、機械化された大豆畑が広がっている。日系のスーパーや農協、レストランもあり、ちょっとした日本の田舎。日本語が飛び交っている。ホテルの名前も、XX旅館。以前も泊まった事があり、オーナーも感じがいい。夕食もついて、40ドルほどか。WIFIも当然あり。NHKも見れる。


今回は、4年前に調査している現場だから、安心だ。調査期間も十分すぎるほどある。こういうの結構珍しい。インドネシアのブランタスとかソロ川流域では、何十年にも亘ってプロジェクトがあるから、何度も同じプロジェクト現場に行くことはあるね。でも他の国では中々ね。


さてここで脱線。川崎駅東口。いやー、仲見世付近は歓楽街。大宮駅の歓楽街の数倍はあるかな。面的な広がり。夜の姿はまたすごいんでしょうね。今川中学のころ、川崎から通う学生もかなり多かった。なんとなく、東京に越境させる親の気持が分かるね。当時は、中学校には不良と呼ばれる集団もいて、中学校の環境はあまりよくなかった記憶がある。高校もね。埼玉だと川口や草加、東京だと足立区、葛飾区、江戸川区、大田区など。千葉だと市川や船橋。そして、神奈川だと川崎。そういうところから徐々に千代田区に越境入学という「非公式な」システムが成立した。そして、それがもっと先の地域に伝播した。それでも物理的に通いにくい市もあり、僕のいた埼玉県某市から神田まで1時間半以上かかった。だからそのころ(昭和40年代初め)東京まで通う中学生はほとんどいなかった。川崎から東京までは20分くらいか。らくだね。それなら楽に通えるね。僕の場合は結構大変で、十二指腸潰瘍になったほどだ。


さて、戻り。社内の手続きも開始。会社が違うと結構書式とか違うけど一度やれば慣れるでしょう。技術的なことはもう準備できたので安心だ。



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