2009年2月13日金曜日

92:トルコでの思い出2

92年にはトルコで3番目の案件に従事することになった。当時タンザニアとトルコ二つの案件のプロポーザルを書いていて、いずれかの責任者になってもよいと言われていた。いい時代だった。儲かっているのでドンブリ勘定でも問題なかった。

やはりトルコを選びトルコ案件を連続させた。場所は南部アダナのS川の洪水予警報システム計画であった。JICA案件3つ目で責任者であったがトルコ側の協力も得て充実した調査であった。

流域の流出解析と最適な洪水予警報システム網配置、洪水氾濫と洪水軽減ダム操作などそれまでの水力発電計画から少し専門領域を広げることができた。特に調査の総括的な仕事の最初の経験は意義深い。

調査員は若手が多くアンカラ、アダナなど毎日レストラン探訪が楽しかった。やはり若手が多いと冒険心があり面白い。一般にケバブと言われる羊の料理も地域ごとに種類が多く多分日本人ではかなりのケバブ料理を制覇したと思う。アダナケバブというミンチのケバブがあるがアダナには元祖の店がある(DSIアダナ支局のそば)。その支店がアンカラににあってよく行ったものである。アダナソフラシといい、ネジャーティベイ通りだ。今でもトルコ人のタクシー運転手にも通じるトルコ語を覚えているのもおかしなものだ。







アダナケバブも元々は中近東からのものだろう、地域ごとに特産の羊がある。今までの経験では、イラン、ウズベキスタンなどが非常にうまい。牛肉や豚肉に名産地があるのと同じである。ドネルケバブは世界に広がっていて日本でもおなじみだ。意外にうまいケバブは比国マニラのマニラホテルとマカティ・ブルゴス通りから直ぐのペルシャ料理店。マニラに行くと必ずどちらかに行く。

EIEやDSIとの交流もこのころが最高だった。先日書庫の総点検を行なった際にも懐かしい写真がワンサカでてきた。多くの方は引退されたのであろうか。E-mailを使い始めたのが1996年だから当時の方々とはまだ音信不通だ。

そろそろ今年あたりはトルコ案件を考えてみよう。世代は随分変わったかもしれない。

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