2013年4月19日金曜日

1493:大村精一さんのこと

コンサルという職業は、案件形成から工事管理(最近は、国家開発政策にも係る)までいろんな事業プロセスに係るが、マスコミに出るなど表立った活躍はない。影武者か忍者のような存在で、一般の人たちからの認識は全くない。アメリカはちょっと事情が違うが。

久保田豊さんのように財界にも広く顔がきき、パイオニア的なコンサル会社の創業者の場合は違うが、他は大方サラリーマンコンサルだから、社長になっても影は非常に薄い。精々、コンサル業界内だけの一時の有名人だ。退職したらただの老人。精々、地区会長さん程度のご活躍だけである。こういう人結構いる。

さて、ひょんなことから、「大村精一」さんを思い出した。このブログの633でも書いている。

1980年代半ば、彼は僕が所属する部の部長だった。天才肌で、思いつきでおおざっぱに指示する方。無手勝流。凡人の部下の評判は全く芳しくなかった。僕は、天才的な人が本能的に好きなので、大胆な発想には興味があったし、彼を毛嫌いする同僚には賛同しなかった。凡人の同僚たちも今は一応立派な経営者なんですけれど。

大村精一さんが、どこの出身かは知らない。ネット検索では、それらしいブログが一つだけある。

福岡県立香椎高等学校の同窓会「香綾会」公式サイトに彼の名前がある。しかし、同姓同名かもしれない。昭和29年に高校生だったという情報のみ。

さて、日本工営の元社長の高橋修さんは、大村さんの部下だったし、大村さんを尊敬していたことから工営のサイトで大村さんの業績を紹介している。そのこと自体は素晴らしいことだ。大村さんのことは大方の社員から忘れ去られている。彼は、1993年に56歳という若さで他界している。お葬式は、どこかのクリスチャン系の幼稚園だったから、彼も晩年クリスチャンになったか、あるいは奥さんがそうだったか?久保田豊さんはご家族がカトリックだから、お亡くなる直前に洗礼したかもね。そういう例は多い。

彼のような大胆な発想を持った社長がいたらなあ、といまでも思う。いまどきは全くいないからそう思うのかもしれない。

以上から、大村さんは1937年(昭和12年)生まれだとわかり、昭和29年時点では17歳。彼は九大土木出身だったことは分かっているので、香椎高等学校出身の可能性が非常に高い。

以前、今川中学の美術の先生だった出水操先生のこともこのブログで書いたが、ネットで出水先生のことを検索してここにたどり着かれた方もかなり多い。懐かしく尊敬している方々のことを実名で書くのも意味のあることかなと思っている。大村さんのこともそうだ。嫌な人のことはイニシャルだけど。

僕は、今年59歳だからすでに亡くなった大村さんを3歳超える。彼に匹敵する仕事をする向上心は持ってはいるが、実際どうかはまだ分からない。

アフリカでの今度の仕事は難易度が高く遣り甲斐があり、終わって帰ると60歳だ。大きな意味を持っている。

先人たち(全て故人なのは残念だけれど)の偉業を思い出し、元気を頂こう。

0 件のコメント: