2009年11月15日日曜日

466:今川中学校・21期同期会備忘録

1970年卒業の今川中学校同期会に昨日参加した。40年ぶりだ。秋葉原の再開発地区の一角にあるイタ飯屋でまず1次会が開かれた。秋葉付近もしゃれたビル群ができ、レストランもいい感じだ。

以前書いたが、中1の同窓会は20歳ごろに一度参加したが同期会というのは今回が初めてである。40周年という節目だし影の薄い中学生時代の実情はどうだったのかを確認するためでもある。

案の定、親しい友はいなかったが、お酒が進むうちに徐々に昔の記憶がよみがえってきた。埼玉県の辺境地からの越境だから田舎者だし通学するだけで精一杯、だから何をするにも「可もなく不可もない」という体たらく。同級生の女の子と話をする精神的な余裕などなかった。こういう状態が大学卒業まで続いたから、長い人生の中では「失われた10年」の最も悲惨な3年間である。兎に角学校のお勉強は嫌いで早く大人になって仕事をしたいということばかり考えていた。

ご出席された先生は、国語の高木先生と理科の川村先生。お二人ともかなりいいお年だがお元気だ。高木先生は81歳だそうで親父と同じ昭和3年である。川村先生の思い出はスイートピーの花から始まる自然観察的な模写である。英語の先生はご出席されなかったが、当時は先進的なLL教室があったと思う。

萎縮していた中学時代は先生と気さくに話をすることはなく、40年経ってやっとこさ会話が成立。随分長い時間が流れたようだ。小生の記憶はないようだから先生からみれば存在感が全くなかったのだろう。実際、小学生時代の本来の明るさとか伸びやかさは越境と共に閉ざしてしまったからしょうがない。そういった社交性は今では復帰しているし、みんなの前での挨拶には参加者がビックリされたようだ。中学生から封印してしまった明るい性格は大学院からリハビリされたのだった。

しかし、同期の男性諸君も今はみな社会人としてそれぞれ地位を築いている。流石に昔から優秀だったし、55歳になっても気さくな性格には変わりがない。

2次会まで設定されていたが、結局4次会まであり久々お開きを惜しむ飲み会であった。女性陣も多数参加され40年前のお姿を思い出すには時間が少しかかった。当時はまともに会話したことがなかったが、今となってはまあ何とか会話が成立できるから社会人になったんだね。面白かったのは、中3の時にちょっとした事件がありそれをある女性が覚えていたことだ。小生が朝食なしで授業中に貧血になり保健室に向かう途中に別のクラスのドアを開けてしまい直後に廊下に倒れたことがあり、それを小生のエピソードとして記憶されていた女性がいたのだ。僕にとっては非常に恥ずかしいことだったしある意味トラウマになっていたがそれを覚えていたとは逆に愉快なことだった。

通学途中で良く会う同級生の女の子がいて気になっていたが、2次会から参加されていた。40年経ってもお綺麗で、女性を見る目はあったことが証明された。当然のことながら小生のことは全く記憶なし。当時の女の子は多分精神年齢的には数年上だから同期の男子なんて余程優秀かハンサムかスポーツ選手でなければ相手にはされなかった。

次の同期会は5年後の60歳とのこと。還暦だね。帝国ホテルあたりで豪華にやろうということになった。5年後が楽しみだ。

中1の時に風貌がちょっと似ていた堀君も小児外科の専門家になり誠実な人柄も変わらない。小生はこの30年のコンサルタント活動で海千山千の世界で揉まれ、国際やくざ稼業だ。自閉症気味の中学生はどこにいってしまったのか。あのころの恥ずかしさはもう消えてしまったのだろうか。

今は3人の子供たちの父親になった。彼らも夢とか願いを叶えてほしいが、日々の苦悩とか苦しさを乗り越えて成長してほしいな。若い時の苦行もいいもんだ。

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