前回・前々回でお二人の水文専門家の死去について書いた。
良く調べるとお二人は共同研究者でもあった。1986年から3年間カルダ―氏は南部アフリカにイギリス政府から派遣され長期専門家として赴任していた。当時C氏も水資源関連省の水文専門家だったから当然知り合うことになる。
86年は当該国で最初の全国水資源開発計画マスタープランが作成されたからカルダ―氏の赴任は時期的に最適だっただろう。C氏もまた30代だろうし、41歳のカルダ―氏との連携作業は熱気があったことだろう。
偶然お二人の業績を書くことになり、何かの因縁を感じる。
89年以来、関連省にはインハウスコンサルタントはいなかったわけであるし、小生の赴任がカルダ―氏の20年ぶりの後任者となるし、それが日本になったことにも意義深いものがある。
今はイギリスもNGOを通じた支援活動が主で、専門家派遣は実施していない。5年前にはUNESCOと共同で研究調査的な支援も行っているが事業実施には直接な関係はない。この調査にもカルダ―氏やC氏も関係しているのである。
こういったことは全く現地で知らされないことである。個人の業績は高いが組織として体系化されないのは残念なことである。
今後の支援も広くて深い情報収集活動ができないと表面的なことで終わってしまう。過去、現在、未来という繋がりを効果的に繋ぐことが専門家として重要である。
イアン・カルダ―氏の残した業績も将来に繋げていく必要がある。C氏も亡くなっているのだ。単に数年長期専門家として滞在しているだけでは無意味なことになりそうである。
0 件のコメント:
コメントを投稿