2010年12月25日土曜日

985:1941年12月の出来ごと

今日の朝は寒い。ベランダに置いてある温度計は2度を示している。

海外でのコンサルの仕事も殆ど南国なのだが、トルコや中央アジアの冬は特別な寒さだ。そんな辺境地での寒さを思い出した。

さて、年末年始まで暇だし、買ってから読んでいない洋書を整理し始めた。これからはデジタル化すべきだろうか。

まずは、日系アメリカ人の歴史事典。

中に年表があり、日系人に係る事件などが日時で記録されている。真珠湾攻撃があった1941年12月7日から12月末までの様子をここに記録してみよう。

12月7日:パールハーバーの米国海軍基地が攻撃された。ハワイでは直ちに戒厳令が発令された。

12月7日:FBIなどによりハワイ及び本土の日系人指導者が一斉に検挙され、8日午前6時半までには736人が検挙され、48時間では1291人に達した。

12月8日:ホノルル湾のサンド島に収容所が開設され、ハワイで検挙された潜在的危険人物が拘留された。15カ月間で565人が収容されたが、1943年3月1日には閉鎖され、1942年初頭から本土の収容所に移管されていた。

12月11日:西部方面防衛指令が発令。西海岸は交戦圏とされた。

12月19日:閣議にて、海軍長官はハワイ諸島の全ての日系人はオアフ島以外の島に収容すべきと発言。

12月22日:ライフ誌が日本人と中国人を見分ける方法の記事を掲載した。

12月27日:オアフ島の6歳以上全ての市民に指紋採取と登録が義務付けられた。

以上が1941年太平洋戦争が始まった12月の動きである。

クリスマスを楽しむどころではなかったのだろうね。

4年後1945年終戦の年の12月は平穏だったのだろうか、記録としては事件は何もない。

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