2009年9月8日火曜日

411:ダナンの夜

今日のニュースでベトナム航空が関空からベトナム中部のダナンに直行便を就航する予定だそうだ。まずはチャーター便からか。

ベトナム古都のフエへの観光客やダナンの日系企業呼び込みもあるのだろう。ダナンには1度行ったことがある。サイゴンからの国内便だった。

05年ごろだろうか、ADBの水力開発T/Aのプロポ作成で現地踏査を実施した。元ADB職員の方とEVNの若手職員2人も同行した。元ADBの方はイギリス人で奥さんはタイ人だったか。既にADBを定年され比国に落ち着いている。ADB案件受注のためのコンサルタント会社のサポートを主に行っている。

彼のことは以前書いたかもしれないが、プロポ作成のプロ中のプロだ。彼からはADB案件のプロポの作り方を学んだ。人柄も素晴らしく飲んだりしながら昔話を伺ったり、それはそれは楽しいひと時だった。ドイツのコンサルとJVを組んでドイツからも営業屋が一人サイゴンまでやってきたが現場には理由をつけて来なかった。こりゃまずいな、と感じたのが不運の始まりだった。

小生は世銀の団長は既に経験済みだったが、アジ銀の団長はまだだったので受注は必死で取り組んだ。

ダナンではローカル用のホテルに滞在したが、食事はEVNの職員からいいところを紹介してもらって大いにダナン料理を楽しんだ。そうそう、そのレストランで手相占いのおばあちゃんが、「あなたの手相は実にすばらしい。」と言っていたのを以前書いたのだった。どうせ御世辞だろうと思ったが、今となれば当たっている。

さて、ダムサイトはダナンから車で3時間か。ダムサイトまではそれから歩いて2時間。アップダウンで体力のなさでダウンししまった。イギリス人のおっちゃんはビール腹でとても体力がなさそうだったが、ヨットで鍛えているらしく元気いっぱい。感心した。

ダナンに戻って一杯。ダナンは昔は南ベトナムだったから歓楽街もある。南に近い感じ。昔風のステージがあるナイトクラブで4人で騒いだ。二次会は川岸のカフェーでビール。次の日はサイゴンへの便が遅いので、海辺で食事。海中の生簀から新鮮な魚を刺身にして食べた。日本のワサビがあって中々イケた。

ところがダナンからの便が3時間以上遅れ空港で待たされた。湿気の多い空港で待つのはきつかったがイギリス人は持参した小説を淡々と読んでいる。僕はベトナム人と雑談。彼らもオーストラリアに行きたがっていた。南の人は今でも北を信じないし、待遇も悪いらしい。だから豪州なのか。

日本に帰って、ドイツのコンサルとマニラの彼と調整しながらプロポを書き上げた。上出来だった、と思っていたが、結果は2位。本命がいたから難しいと思ったが、イギリス人に言わせるとかなり接戦だたらしい。敗因は?、と聞くとドイツのコンサルが推した環境屋のCVの点が相当低かったらしい。団長以下水力開発チームは良かったらしい。そのドイツのコンサルは元々送電とか電力セクターに特化していたので、どうして環境チームにそのコンサルを押したのか解せなかったが、おバカな部長が何の判断もなくサイゴンで一緒に飲んだことのあるコンサルを押したのだった。こういうおバカなことができるのも素人だからか。

勝負に勝つことの意味を知らないのだ。1点でも相手に勝るプロポを書く訓練がないらしい。失注しても落胆することもないのでは絶対に勝てない世界なのに。

結局ADB案件の団長にはなれなかったが、今となっては良かったと思っている。縁がなかったのだ。

そのダナンにも直行便ができたら別件で行ってみよう。サイゴンやハノイとはまた違った風情がある。ベトナム人で日本人に帰化したグエンさんはサイゴンのお坊ちゃんでラサールの出身だが、お父さんはホテル王でだ何にもホテルを持っていたそうだ。しかし、サイゴン陥落後没収。家族一族は世界に離散した。フランス、カナダ、日本。

そういう悲惨なことは日本には全くない。移民しなくてはいけない状況にまでなっていないのは平和な証拠だ。

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