2010年4月20日火曜日

636:高校の同窓会

中学は廃校になってしまったし、遠い昔の話だから名前を出してもいいが、高校となるとさし障りもあり匿名にしておこう。その高校から合同同窓会のお知らせが来たと妻からメールがあった。

去年は帰国後直ぐに中学の同期会があったので奇遇である。

70年代の高校だからまだ学生運動の名残があった。三島由紀夫事件、万博は高校1年生の時かな。マクドナルドが初めて銀座に登場し、カップヌードルが出始めた。ジーンズを買うのにアメ横行ったり、アイビーが流行してたかな。まだ原宿は普通の町だった。

有名私立進学高校を辞退し都立に行った。兎に角中学の3年間は埼玉の田舎から2時間半かけて通学していて、受かった私立は遠いので辞めた。今から思えば馬鹿な選択だけど、当時は通学時間に相当参っていた。大学受験の優位性なんて全く考える余裕がなかったんですね。いい加減で競争心のない埼玉県人でした。

高校時代はなにしてたんでしょうね。バイトと英語かな。高1でニューズウィークを読んでいたから気が狂っていましたね。FENは24時間かけっぱなし。兎に角、海外特派員になりたくてNHKに行きたかった。そのころNHKの海外特派員報告という番組があって引かれたね海外に。

アマチュア無線をやっていたから、毎日英語を話す機会はあった。そのころはオーストラリアが主で彼らの訛りは最初の英語会話でしたね。懐かしい。

そうそう、その高校の同窓会ですが、帰国後直ぐにある。合同だから果たして同学年の奴が来るかどうか分からないが青春時代を再確認するためにも出ると決めた。同学年の幹事は一応知っているし。名簿を送ってくれたんだけど、クラスに一人ぐらいは亡くなっている。55歳だからあり得るね。中学から一緒で建築士になった奴は脳梗塞になった。

先生もどうでしょうかね。80歳にはなっているね。結構東大出の先生が多くて実力があった気がする。英語の試験はいつも半分の時間以下で終わって部屋から出たかな。当然100点か悪くて95点ぐらいかな。中学で埋もれていた実力が急に出てきたころですね。

高3で土木に変えたので特派員にはなれなかったけど、まあジャーナリスト的な感覚は今でも持っている。

さて、明日で報告書は終わり、明後日から運用マニュアル作成に入る。最近の組織強化とか人材育成は土木工学とはあんまり関係ないから、専門って何なんでしょうね?

カウンセリングみたいな仕事ですね。ハードからどんどんソフト的な範疇になっている。偶には徹底的に解析業務をやりたいがそういう案件が少ないね。

高校の同窓会ではまたおじさん、おばさんに会うことになる。自分もおじさんだから同じだけど、せめて気持ちだけは若々しくありたい。

高校の同窓には有名人がいるので楽しみだ。

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