前述のOさんでいろいろ昔を思い出す。Oさんは日本工営の大村精一さんだ。
93年に亡くなられているから享年57歳ぐらいか。僕より1歳ぐらいの違いなんですね。確かご自宅の近くの幼稚園で葬儀が行われたと思う。お手伝いに行った。高校生の息子さんがおられた。彼ももう35歳ぐらになっているのでしょうか。
あの頃は、僕も最初の副団長で行き盛んだった。38歳ぐらいかな。実質団長だったから、これからが楽しみだった。35歳ぐらいで最初の副団長候補にもなっていたが実現したのは3年後だった。
Oさんは新入社員の時の最初の部長だった。彼もまだ45歳だったようだが、貫禄はあったね。部員の殆どから総スカンだったが、自分は誠実に対応した。お陰で部員から総スカンだ。彼はお師匠さんだね。彼がハーバード学派の水資源システムのデザインという64年に出た本を渡してくれた。これを読んで理解するようにと。
まだ新入社員。雑用も含め全くの素人。毎日がストレスで大変だったけど、行き成り世界最高のレベルを期待されるという事態だ。K部長は当時マレーシアの水資源開発M/Pの団長で、彼からも直ぐ調査団の補助作業を手伝うように命令があった。新入社員が団員の英語チェックやって、その上報告書にも書かせて頂いた。今じゃ考えられない。業務調整なんてなかったから。OJTで始めて海外現場に派遣されたが実質専門家で相手国からは報酬を得ていた。すごいアレンジだね。
KさんやOさんは若手に兎に角水資源開発手法を伝授する意欲に満ちていた。彼らのお陰で今の自分が存在するのだ。彼らが会社からいなくなると惨めなことばかりだった。精鋭から可愛がられるといけないね。団長経験があれば通常会社はランクを下げたアサインはしないが、地獄の底まで叩き落とす。お陰で、今は団長から末端の団員まで自尊心を失うことなく喜んで仕事を受けることができる。持続的なコンサルの出来上がりである。
一方で、Oさんもかなり無茶な要求をすることもあり、矛盾を感じたこともある。インドネシア・スマトラ島の水力発電開発計画の無謀さとかね。まあ全て天才というわけじゃないね。
お陰で、上記の古典的原書は読破して今に至っている。誰もやらないでしょうね。おバカな自分だけである。
あのころはいろいろ奇人変人がいて面白かったね。今はどなたも平凡で目の輝きが無い。狐ととか狸が多い。
ブログというのは一応毎日書かないと意味が無い。ホームページのブログ的メッセージが持続的に発信する勢いと情熱が伝わってくるといいね。突然なくなるのではかなしいね。どんな方がどんなことを書くか楽しみではある。
さて、明日は大使館との夕食会だ。残業はなしですね。
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