BBCでアメリカ副大統領のレバノン訪問を見て、VANさんのことを思い出した。
今でもトルコ・アンカラには日本食レストランは無いと思う。88年か89年にアンカラにできた新しいホテルであるエタップ・アルトゥネリに日本食レストランが入った。イスタンブールには2軒ほどあったが、内陸のアンカラでは画期的なことであった。兎に角、食材の確保が大変だ。ただ地中海からいいマグロが手に入る。
オーナーか雇われかは不明だが、VANさん(伴さんと勘違いしている人が多い)という物静かな女将が仕切っていた。板前さんも日本人という本格派である。とは言え、1食お酒込みで30ドル程度以上は払っていただろうか。それでも良く通ったものだった。
次第にVANさんのことが分かってきた。ベルギー人の旦那さんとレバノンで「東京レストラン」という当時有名な店を持っていたが、内戦もあり旦那さんを残してアンカラに来たとのこと。
1年後くらいか、2件目の案件参加で来たときは、もうアンカラの店も不調ということで店を閉めるので、最後に自宅でお刺身をご馳走しましょうということになった。会社の仲間と3人で近くのマンションにお邪魔してひと時を楽しんだ。
確か他の日本人女性も居られ彼女もレバノンに居たとのこと。VANさんはその後イラク・バクダッドの商社かなにかの食堂を任されてイラクに渡ったと人から聞いた。またレバノンのご主人も内戦で暗殺されたと聞く。VANさんのことは日本テレビでも紹介されたと思う。
その後、銀座にあるVANさんのお姉さんが経営するクラブにも3人で飲みに行った。VANさんは北海道のご出身だったことを知った。
あれから20年近く経つが、その後VANさんは無事にバクダッドを脱出されたであろうか?最後にお店に行った際にルーマニア人らしき怪しげな女性が店の外で板さんであろう日本人を探しに来ていた。どうも訳あり、と感じて立ち去ったことを覚えている。
レバノンの水資源管理調査も訳ありで中止されたという。中近東はどうも「訳あり」が多いところだ。
2年前にサウジのリヤドに滞在したが、在住日本人のなじみの日本食レストランが「東京レストラン」であった。まさかVANさんの店かと一瞬思ったが、女性が出られる国ではない。フィリピン系とのことだった。
中近東では東京レストランは有名な店であり、それにならって名付けたのであろう。
今でもVANさんの消息は聞かない。
これを書いた後ネットで調べると97年のどなたかなのベイルート旅行記に下記が紹介されていた。03年時の地球の歩き方にもベイルートの東京レストランはあった。
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マダム・ヴァンの戦争の話
在ベイルート時に知り合いだった、「東京レストラン」のオーナー、ヴァン・つゆさんを訪ねて、お話をうかがった。ヴァンさんは、25年ぶりの突然の訪問だったにもかかわらず、大変にあたたかいもてなしをして下さった。
ヴァンさんは、ベルギー人のご主人を「外国人狩り」で撃たれて亡くし、その後、一旦店をギリシャのアテネに移したが、商売がうまくいかないので、今度はイラクのバクダッドに移ったけれども、そちらも戦争になってしまい、結局またベイルートに戻って来た。そして、内戦中も果敢に店の営業を続けたのである。爆撃のあるときは、部屋にこもって、ビデオ映画などを見てやり過ごしたそうである。一度爆弾が建物の屋上をかすったときは、もうやられたと思ったほどの衝撃だったという。私が「あの壊れたビル群はミサイルですか」と聞いたところ、「空爆というのはなかったのよ。地上で撃ち合うだけ。砲弾でもろくなったビルが、強風やなんかで崩れちゃうのね」ということだった。しかし、レバノン人は根が明るく、のんきなので、銃撃戦が止めば、そのすきに皆街に出て、買い物などをしていたという。電気や水道が止まり、かなり困ることはあったが、物資に困ることはなく、キプロス経由で必要なものはいくらでも闇ルートで手に入れることができ、物価が日に日に高騰する現在より、戦時中はむしろ生活が楽だったという。
こうしたことをヴァンさんは静かに淡々と話すので、余計に私と母は衝撃を受けてしまった。ヴァンさんは、「私は日本の戦争も子供のとき体験したけど、こちらの戦争は、あんな陰惨さはなくて、からっとしていて、そういう意味では楽だった。むしろ男性の方がこういう状況には弱くて、外に出られない間、家の中で酒浸りになり、廃人のようになった人がたくさんいる」と話していた。
今、ヴァンさんは、以前の古い住居の立ち退き料(ベイルートでは、入居時の家賃が退去までずっと続くため、家主が古い住民を立ち退かせて建て替えをし、住民を入れ替えたかったらしい)を十数パーセントという高い利息で銀行に預け、その利息だけで今の住居の家賃を払っていけるので、店も維持していけるという。東京レストランは、刺身、すしからラーメンまで出す日本料理店だが、今は、雑誌で見て日本から応募して来たという若い板前さんもいて、地元のスノッブな若者がひいきにする店になっている。私たちがお邪魔したときも、携帯を持った若いおしゃれなビジネスマン風の男性が、モデルのように綺麗な女性とカウンターで刺身の盛り合わせを食べていた。ヴァンさんによると、「彼らはおしゃれだと思って食べてるだけで、本当はまだ刺身なんか苦手なのよ。だから、うすーく、切ってあげなきゃいけないの」と笑っていた。
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上記ではギリシャとなっていたがトルコであろう。今はどうされているか?
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