2009年5月28日木曜日

200:問題のある男2

4時間前からウィンドウズ・サービスパック2のアップデイト中である。何しろ300メガバイト以上あり、日本であれば数十分で完了でも、ここではもう4時間経っても94%完了である。それでもダウンロードできるからまだましである。

さて、主題である。

中央大学教授の惨殺事件だ。事実を積み上げれば動機はかなり推測できるのだが、マスコミの断片的な情報はまどろっこしい。プロの犯罪心理官はいないのか。

容疑者は大学院に行きたかったのか。大学院に行くのに「君は性格が合わない」という理由を聞いたことがないが、どうもそういう理由を聞かされて就職することにしたらしい。大学院生でおとなしい人間はいくらでもいる。寧ろおとなしい学生が多いし、院卒が当たり前の社会である。

指導教授としてどうあるべきだったのか?仮に小生がその立場にあれば、

1.本人の意思を尊重して彼に選択させる。
2.大学院も推薦ではなく、受験させる。多分推薦されるほどの学力は無かったと思う。
3.その結果で本人を納得させる。落ちれば諦めもつくだろう。
4.たとえ就職が内定していても大学院に受かれば内定辞退もできるはずだ。
5.就職するしかないにしても、いつでも大学院受験はできると励ませばいい。

そういった助言はできるはずである。確かに学部時代から指導教授と親しく推薦で大学院に行き同じ研究室で師弟の関係を強化する学校もあろう。そうするとちょっと事情は違ってくる。就職も指導教授の成果と思われている大学なのか?

小生は推薦ではなく受験して大学院に行ったが、入る前に指導教授に相談したことも会ったこともない。

大学や学部、学科の性格というのも今回の事件に関係するかもしれない。繊細な工学ではない土木工学科ではありえないだろう。

それにしてもマスプロ大学の一学生に教師が無慈悲に殺されるとは殺伐した時代である。コミュニケーションの欠落は大学にまで及んでいるのか。精神の病んでいる学生がもしかしたら自分を殺すかもしれないと用心する必要があるのか。大学全体で考える(というか反省する)べきである。

コンサル会社でも多くの若手がうつ病で業界から去っている。課長レベルの後輩に聞くと隠れうつ病は何倍もいるようで、自分もそうかなと自問していた。今回の事件は他山の石ではない。部下からいじめられて自殺した上司が労災として認可された事例も時代を反映している。

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