2009年5月21日木曜日

190:カザフ水力開発と水豊ダム発電所の関係

中央アジア地域の水力開発事業は綿花栽培用の灌漑用水確保と共に大規模になったが、初期の水力開発はカザフ共和国が最初であったらしい。詳しいことは知らない。

当時ソ連も戦後発電機器を生産するほど復興していなかったのだろうか、戦利品として各地から略奪的な行為を行ったらしい。その一つが現北朝鮮の水豊ダム発電所(工事期間は37年から44年の7年を要した)の発電機器である。東芝製の特注品で新工場まで作ったそうで一基の出力は100MW、当時としては世界最大級である。土木は確か間さんと西松さんだ。

48年ごろ、7基の発電所機器のうち5基ほど解体して運んだらしい。当時の証言者は知らないが文献からうかがい知れる。それらはどこに行ったのか?ある人の調査によれば、カザフスタンのある国際河川の水力発電所に利用されたとのこと。小生も2度カザフには行ったが誰もそうした古い話は知らなかった。当然だ。

日本のコンサルタントの「始祖」とでも言える久保田さんのご努力がひょんなことからカザフの水力開発に役だったのだろうか。

いずれ中国側から水豊ダム及び堰き止め湖を見たいものである。

久保田さんの自伝を読むと満州側と朝鮮側の責任者と協議し承諾されたと記されているが、満州側か朝鮮総督側の最高責任者であった小磯国昭の自伝を読むと、

「久保田技師と面談・協議」

とある。それほど意義深い電力開発事業であったのだろう。彼は昭和7年では関東軍参謀長、昭和10年では朝鮮軍司令官であったから、久保田さんと協議したのはいつだったか?工事が昭和12年開始であるので、調査期間を考えれば関東軍参謀長であったか?

小磯会がずっと続いていたが、どうも最近は開催のお知らせが来なくなった。ひ孫の時代になってしまったからであろうか。

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