2008年12月26日金曜日

42:水資源コンサルになったわけ

80年代初頭に社会人になったが、大学院の2年間で海外で働くコンサルタントへの道をほぼ心に決めていた。しかし、高校卒業までは一貫としてジャーナリスト志望であり高校1年からニューズウェークを購読して英語漬けだった。FENは24時間かけっぱなし。そんな高校時代だったが、なぜか土木工学を目指すことになった。父親が県の農業土木屋だったせいもあるし、海外でのODAに参画していた母方の叔父の影響もあるかもしれない。大学・大学院と交通工学を専攻していた。

大学院では八十島さんが指導教授であった。修士論文は地下鉄路線網計画の歴史的考察だったか。八十島さんのODA調査経験談を面白く聞いたものである。先生の餞別の言葉は、

コンサルタントは、知らない、分からない、出来ないを即答するなかれ。電話一本で知恵を与えてくれる友人を持て。

であった。今は、インターネットが唯一の頼りで、世界中の専門家が知恵を与えてくれる。

そんなこんなでコンサル会社に。ただし物流から水流へと流れの質が変わった。経緯はさて置き、専門外の水商売に入ったということである。

この30年で1度だけプロジェクトで交通計画を実施したことがある。トルコの南東アナトリアで将来の物流と道路配置計画が必要で、MILPを使って20年後のあるべき生産拠点と規模と最適道路配置を求めた。中々面白い検討だったと今でも懐かしい。最初で最後の実務での交通計画である。

交通から水資源への急転換も面白かったが、それから30年。IWRMという奇妙奇天烈な課題に取り組むこととなった。久々に心理学でも勉強し直そうか?!

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