2014年4月30日水曜日

2231:ヘミングウェーの流儀ですか

奥さんから数独のサイトを紹介された。本がない時の暇つぶしだ。結構面白い。さて、本の要旨もなかなかいいね。下記は、ヘミングウェー。

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今村楯夫『ヘミングウェイの流儀』の要旨から

・ヘミングウェイは、幼い頃からものを捨てずに大事に取っておく習慣があった。
汽車の切符やちょっとしたメモ書きの断片まで、手紙、写真、蔵書、手書き原稿、
校正ゲラ、もちろんアフリカでのサファリのトロフィとも言うべき動物の剥製、
サファリに使用した折りたたみ椅子に至るまで、遺された品々は数限りなくある。(そうなんだ、何かイメージ違うね)


・晩年親しく、旅をともにした若き友人、ホッチナーに、ヘミングウェイは次のように語っている。
「小説は作るものであり、自分が作り出すものは経験に根ざしている。
真の小説は、自分が知っていること、見たもの、身につけたのものすべてから書かなければならないのだ」(同意)


・第一次世界大戦から帰還したヘミングウェイが熱心に図書館に通い、
ヨーロッパ戦線について徹底して資料を読み漁ったのは、もちろん、
戦争と戦況を客観的に知りたいという願望が根底にあったであろう。(今はネットが資料収集の主流かな。基本的なことは変わらないと思う。1案件当り、少なくても数千ページは読むよね。英語だけだけど。日本語の情報で役に立つのはほんの数%だね)


・体験は限られていた。
資料収集と読書による正確な知識が限られた体験という空白を埋める鍵となる。
生涯、貪欲な読書家であったヘミングウェイは自らの無知によって生じる空白を知識によって埋め、
さらに新たな体験を求めてふたたび遊びに興じたように思われる。
それもまた鋭利な感性によって文字となる。(コンサルにも通じる発想だね)


・ヘミングウェイは大変な読書家だった。
キューバに遺された蔵書の正確な数は未だ確かではない。
博物館によると、約9000冊あるという。
リビングルームに隣接した図書室と称される部屋の両面の壁の床から天井まで、
書棚にびっしりと本が収められている。(アメリカはいいね。日本はなかなか書斎がない。僕、貧乏なんで、資料はほぼPDFファイルでパソコンに)


・ヘミングウェイは語る。
「作家は自分が書いていることを充分よく知っていて、分かっていることを省略したとしても、
作家が真実を書いている限り、読者は作家が実際に書いたと同様に、強くそれを感じることができるのだ」
続いて「氷山の一角説」を説く。
「氷山の動きがもつ威厳は、水面に現れている8分の1による」(すごく同意。報告書に書く内容は書けるうちの10%程度でしょうね。)


・時にヘミングウェイは無知を装い、読書など何もせず、
教養や上品さに欠けているような振る舞いをして生きた。
少なくとも人々の前ではそのような態度を見せた。(そう見せなくても、人は他人の苦労なんて想像できないのが普通だ。人間には、2面も3面もある)


・ヘミングウェイの息子は、少年時代、父親が有名な作家であることは知っていた。
しかし、朝10時ころには酒を片手にのんびりとくつろいでいる姿を日々、目にし、
「一体いつ仕事をするのか不思議に思った」と書いている。
後に、父親は朝、夜明けとともに起き、実は10時までにはすでに5時間ほど執筆していたことを知る。(僕もそうだったね。親父の仕事上の苦労とかは、30年以上たって知った)


・ヘミングウェイにとって、読むことは、書くこと同様に重要な習慣だった。
情報収集と息抜きを兼ねてたくさんの雑誌を定期購読していた。(そうなんだ)


・ヘミングウェイといわれて、まず酒を思い浮かべる人は多いだろう。
辛口のマティーニ、特製のフローズン・ダイキリ、モヒート、寝起きのシャンパン、
ペリエで割るウイスキーなど、ヘミングウェイと酒をめぐる話題は尽きない。(お酒はいいね。悪友もだんだん年取って朝まで飲み会をできる人はほとんどいなくなった。)

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今日の夕飯は、ビーフステークとManicaビール大瓶2本。2本目はさすがに残した。一人で飲むのは苦手だね。ビーフはうまかった。お手製のピリピリも最高。かなり辛い。


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