2009年8月23日日曜日

379:気にしない、気にしない

最近、うちの奥さんは「笑いのヨガ」という講習を受けて、早速地域の親しいお仲間から自身の経験を広める段階に入っている。昔から彼女は活動的で様々なことを同時にやり遂げている人だが、最近は周りの面倒とかも多く負荷のかかった緊張と疲労の毎日であった。

小生もさりげなくささやかな協力もさせてもらっているが、海外に出てしまうと精々メールか電話での精神的なサポートしかできないので申し訳ないことも多々ある。そうした忙しい中でも義理の両親である実家への思いやりもあって助かっている。お袋を毎年草津に連れて行ってもらうことももう何年も続いている。小生は殆ど海外勤務中なので参加はほとんどできないが、毎年の恒例である。お袋ももう80歳を向かえようとしているし、可能な限り行こうと考えてくれている。有難いことだと思う。誰かが率先してやらないと進まないことだから。

妻とも話すが、他者への気遣いとか思いやりが希薄になっている昨今の社会全般についてはたくさんの身近ない事例があって、ストレスを感じていることが多い。だからといって、いちいち怒ってはこちらがおかしくなってしまう。だから、そうしたストレスを感じないように、何事も気にしない、気にしない、という発想に変えようね、と話している。

妻も私も実際は非常に怒り易い性格だから、二人の喧嘩を目撃したら非常にビックリするかもしれない。しかし、通常は周りに怒りをぶつけることはまれである。だからストレスをためることになる。

人間も強い人には弱いが、弱い人には強い。猿と同じである。組織内では顕著で、嫌な経験は無数にある。コンサルでない人たちと一緒に仕事をすると彼らの横暴さは目に余る。商社、メーカー、電力会社などは最悪である。勿論コンサルにもたくさんいる。10人に1人くらいはとんでもない人がいて、自己の無能さを防衛するためには何でもするから怖い。

こうした輩を気にしていると自身が劣化していくので気にしないことにしている。どうせ彼らもいずれ自滅していくのだから。

そんなわけで、笑いのヨガも含め、気にしない気にしない運動を夫婦で展開している。ただし、不当な行動については法的に対応することにはしているが。

さて、日曜の作業に入ることにするか。

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