2010年9月9日木曜日

779:ザ・パシフィック最終章

96年南アの領土内にあるレソトに赴任した。世銀の融資案件であるレソト高原導水プロジェクトである。この案件のことは以前少し書いた。

シカゴの有名コンサルタント会社であるハウザーから環境専門家が参加していた。彼とは気があってよく話をしていた。60歳は過ぎていただろうか。ある夜、彼が部屋に訪ねてきていろいろ昔話を聞かせてくれた。

いつ頃の話かは聞かなかったが、若い時名古屋にある小牧基地にいたという。ちょっと酔っぱらっていたのか、当時米兵向けの飲み屋のママさんの名前を何度も言っていた。僕は知らないと何度言ったことか。

ある時非常事態があり大変だったという。保管してある核弾頭に関して何か異常があったようだ。彼の年から逆算すると朝鮮戦争のころなのか。彼もその後除隊して大学に行ったのだろう。

82年にはヨルダンのダム工事現場でボスハルトというベクテルを定年で辞めたおっさんが奥さんと一緒にやってきた。彼は生粋のアメリカ人で言葉は非常に乱暴だったが、彼そして奥さんとも仲良しになっていた。彼からは素手で人を殺す技を伝授された。朝鮮戦争に行っていたと思うがはっきり覚えていない。

戦争で生き延びたアメリカ人と一緒に仕事をしたのは2回だけだ。流石に太平洋戦争を経験した人とは現場で会っていない。

さて、ザ・パシフィックも7,8回の硫黄島を見損ない、最終の9,10回をさっきまで見ていた。硫黄島は以前、父たちの星条旗を見たので良しとするか。

第9回は最後の沖縄戦、第10回は生き残った主人公たちが帰国し、祖国で再出発していく。実際モデルがいたから、最後に彼らの戦後の人生が簡単に紹介されて終わる。アメリカン・グラフィティー的な終わり方だ。

「生き延びた」人生というのがこの映画のテーマのように感じた。

我々は軍人ではないし海外で戦争をしているわけではないが、仕事で途上国に赴任し、仕事を終え、無事帰国する時は同じような気持ちを持つ。海外途上国の悲惨さや素朴さとは全く違う日本の生活に触れると。

太平洋戦争で米軍を陰で支えたMISの歴史書を読む暇がなかったから、そろそろ読むことにしよう。442連隊のように映画になることもなかった太平洋戦争の日系人情報部隊の活躍を知りたいし、きっと感情移入することだろうね。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

最近、貴殿のブログを読ませて頂いております。
778にはパシフィック最終章とありますが、東京では最終章は12日日曜日に放送ですがどうして見ているんですか????