2010年9月27日月曜日

818:落語から学ぶ師匠の姿

妻が借りてきてくれた落語のCDをダウンロードしたものを偶に聞いている。円生じゃなくて円蔵なんだけど話が面白い。つやのある円生もいいが、円蔵の臨場感がいいねえ。淀五郎という小噺で、歌舞伎を題材としている。弟子の芸を磨きあげる師匠とアドバイスをする別の師匠との関係が何ともいい感じなのだ。

30年もコンサルやっているといろんな先輩や上司がいるが、コンサルの場合は専門職だから職人的な師弟関係があるんですね。歌舞伎の稲荷町から名代に上り詰める過程とよく似ている。

下記に雰囲気だけ分かる内容を転記。

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円朝作「淀五郎(よどごろう)」によると。

 どの社会でも頭抜けるというのは容易な事ではありません。四代目市川団蔵は目黒に住んでいたので目黒団蔵と呼ばれ、意地悪団蔵、皮肉団蔵とも呼ばれていた。市村座の座頭をしていて、屋号を三河屋。名人でございました。

 忠臣蔵を上演することになりまして、大星由良之助と高師直(こうのもろのう)の二役は、団蔵が演じるとして、当時、塩冶判官(えんやはんがん)をさせたら並ぶものがないと言われていた紀の国屋沢村宗十郎が急病で倒れ、誰にするかで皆、頭を抱えてしまった。狂言を変えようかという話も出たが、団蔵の一声で、宗十郎の弟子の淀五郎に白羽の矢がたちます。歌舞伎の世界では階級制度が厳しかったが、名題に昇進、塩冶判官の役をもらった。これは、大抜擢です。

 初日、三段目松の廊下の刃傷を無事終えて、いよいよ、出物止めの四段目、切腹の場。
 中央に判官。短刀を腹につきたて、苦しい息の下、由良之助を待ちます。そこへ花道より由良之助が駆けつけ、主君の前で平伏し、最後をみとどけ、仇討ちを誓うという前半最大の見せ場でございます。
 団蔵演じる由良之助は、パタパタと花道を駆けてきたものの、花道の途中でぱたっと平伏したまま、一向に判官の方に近づこうとしません。 あまりの下手さに団蔵そこから動こうとはしません。淀五郎がしきりと「由良之助、待ちかねた、近う近う」と呼んでも、花道に座ったまま、「委細承知つかまつってござる」と動こうとしません。 「しくじった」と思ったがざわつく舞台を終わらせた。

 舞台も終わり、淀五郎が団蔵に挨拶に行くと、団蔵は淀五郎をしかりつけます。
「なんだい、あの演技は。ひどいね。あんな腹の切り方があるかい」
「どういうふうに切ったらよろしいのでしょうか」
「そうだねぇ。本当に切ってもらおうかね。下手な役者は死んでもらった方がイイ。死にな」。

 ひどい言われようですが、なにしろ相手は格が違う。淀五郎も自分の未熟は分かっているので、家に帰って、あれか、これかと工夫して二日目に挑みますが、やっぱり花道の途中で座ったまま、団蔵は舞台の方にやってきません。

 2日続けて恥をかかされた淀五郎は、若いだけに思いつめます。よし、こうなったら、明日、本当に腹を切ってやろう。その代り、あの皮肉な団蔵も生かしちゃおかねぇ。
 そう覚悟を決めると、淀五郎は、世話になった人に暇乞いをして歩き、栄屋中村秀鶴(仲蔵)のところを訪れます。事情を察した仲蔵は、淀五郎に稽古をつけてやります。

 一晩みっちり稽古して、翌日、一番で小屋に入り、今日は団蔵を叩き斬って自分も死のうと気負っていた。三段目、高師直・団蔵を本当に斬ってしまおうと思った。団蔵は本当に斬られるかと二度ほど思ったほどである。「一幕早いから我慢をしておこう」。その意気込みが凄く四段目、見違えるばかりに上達した淀五郎の演技に感服した団蔵は、見せ場の切腹の場面、いつものように花道七三に平伏。
 淀五郎演じる判官が苦しい息の下、由良之助を呼ぶ声に応じて、これぞ名人というにふさわしい演技で、つつつ~と傍に駆けつけます。淀五郎演じる判官は、駆けつけた由良之助に、
 「由良の助か~ッ」。
 見ると団蔵は花道に居ない。「畜生ッ、花道にも出てこないのか。でも、声はしたようだが」
ひょいと、脇を見ると三日目に居た。

「う~!待ちかねた~ッ」。

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日本工営に「久野一郎」という江戸っ子で天才肌の大兄がいたが、まさに意地悪団蔵のようなお師匠さんだったが、水資源専門家として大きく成長させていただいた恩人でありましたねえ。東大の経済と土木の両方を専攻した人でした。心根の素晴らしい方だった。娘さんがJALのCAになってお土産でもらったひょうきんな時計をうれしそうにしてたね。

コンサルの仕事上のお師匠さんとしては日本では唯一のお方である。今はどうしておられるかな?

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