2010年9月18日土曜日

793:インドネシア・ハイドロインベントリー調査

インドネシアと云えば、コンサル、ゼネコンなどにとっては途上国の中で最も楽に業績をあげた国ではなかろうか。生活面でも快適だったようだ。

小生がコンサル業界に入った80年代初頭までの20年間で、既に王国を築いていた。ジャカルタには最大の海外営業事務所があり、沢山の宿舎が整備され、次々と開始されるプロジェクトで多くの社員が出入りしていた。海外事業収益におけるベースフローだった。

80年代初頭はコンサル大手がいよいよ大手を振って国家的な水資源マスタープランに携わることができたころだ。それ以前には、韓国のFAOの案件で欧米の専門家から指導を受け、大先輩たちが初めての流域水資源開発調査を経験していて、その経験を基に、インドネシアやマレーシアなどで自らM/P調査計画を実施していて海外事業本部は活気に満ちていた。反面、設計や工事監理部門の方々は花形ではないため、僻み根性があったように感じた。これがその後会社組織の混乱と崩壊につながる心理的な切っ掛けだったことは不幸ではあった。

さて、インドネシアは水主火従であり、水力発電の割合は高い。80年代初頭に世銀融資によってハイドロ・インベントリー調査が大々的に行われた。調査計画としては最適化手法を取り入れ、電力の最適拡張計画を未熟ながら実施した。本計画で優先的に開発すべき案件が抽出され、プレF/SやF/Sが実施され、その後順調にD/DやS/Vが進んだ。コンサルにとってこれほど「うまみ」のあるプロセスはない。

96年には、さらに世銀融資で、インベントリーのアップデイトが実施された。残念ながらこのころから環境問題や財政力の悪化などネガティブな要因が増え、うまみのあるプロセスはほぼ崩壊した。王国の崩壊でもある。

今年からかこのインベントリー調査のアップデイトが行われていることを知っていたが、会社も違うし調査計画の内容は知りえなかった。最近はクライアントも水力発電の環境社会配慮には非常に敏感で、調査への助言委員会があり、その議論の議事録を拝見する機会を得た。

コンサルは前回前々回と同様であった。団長は後輩がやっている。彼も40代後半か?設計を得意とし、調査計画のプロではないが、彼もいい年だし、いよいよ団長になったことは良かったことだ。

議事録を読んで感じたが、彼も設計屋で、計画屋としてのセンスがあまり感じられない。環境で最も深刻な堆砂問題は避けている。インベントリーから優先的なプロジェクトを絞り込むプロセスが非常に雑だ。調査団員の質もあるので全て彼の責任じゃないが、やはり団長と云う立場は団員全ての取りまとめだからそれなりに責任は重い。もう団長を支える参謀的な人材はいないようだ。

国家的な開発計画だから環境影響評価も戦略的にすべきなのだ。所謂、SEA。電力施設拡張計画ももっとお勉強すべきだし、プロジェクト単位での評価だけでは足りない。

今から計画屋としてのお勉強を進めるのはちょっと遅いが、会社のため、自身のために頑張ってほしいものだ。こういう適材適所の不具合は、30年前の不幸の結果でもある。設計屋は計画屋には中々なり得ないのである。これについては以前述べた。

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