イラン大統領選挙の結果についてはBBCでフォローしているが、クリントンのコメントも良識的なもので内政干渉的な過激なコメントは無い。3割の反対票を受け現大統領も内外ともに軟化していくことを期待している。
さて、主題である。
子供が将来何になりたいかはいろいろな要素があろうが、小生の場合は親父よりも叔父たちからの影響が多い。昔は親戚の叔父さん叔母さんと交流する機会が多く、何かと集まりがあったものである。
母方には二人の叔父がいたが、一人は応用化学が専門で昭和30年代には既にアジア各国で技術指導を行っていた。専門家派遣の先駆け的な存在であったのであろう。また、もう一人は先代からの水道業を引き継いでいたが、彼も賠償事業として建設されたインドネシア・ジャカルタのインドネシアホテルの水道部門に係っていた。賠償だから昭和38,9年であろうか。はるか昔だ。
従って小学校4年生ぐらいの時期には海外での彼らの活動に大変興味をもったのであった。さらに父方には義理の叔父さんが商船の船乗りであったため海外渡航から帰って、ジョニーウォーカーの赤、クラフトのカン入りチーズ、ハーシーのキスチョコなどのお土産と一緒に各地のことも聞かせてくれた。船乗りが港に着くと左側に歓楽街が多いなど、子供向けでない情報もあったが。
応用化学者の叔父の場合は技術移転というコンサル活動そのものであり、彼の影響は非常に強い。インドネシアでは最初のネシア語の教科書を作ったようだし、彼が技術顧問をしていたスラバヤ時代には、スリに財布をそのまま差し出した逸話が有名になり、当時の週刊誌に紹介されていた。
今思えば、父親のエンジニアとしての働きと天国の叔父たちの海外活動や技術指導などが複合的に作用して将来の海外コンサルタントを選択したのであろう。情報収集と分析についての興味、英語に対するこだわりはさらに海外での活動に作用している。
帰国子女である妻からは、
「埼玉の田舎で生まれ育ったのになぜ海外志向が高いのか」
と言われるが、上記のようなことなのである。
内向きの時代である現在、海外志向の若者はどこに向かっていくのだろうか?
正直言って、最初からコンサルになる必要はない。何年か他業種で修行してコンサルタントになる方が今の時代はいいのかもしれない。
蛇足だが、応用化学者の叔父は戦後いろいろな宗教に係ったそうだ。初期の創価学会など。最終的に彼が選んだのはイスラムだった。変わり者という日本での評価もなんのその、イスラムの黒いキャップを被って親戚の集まりにも来たものだ。もしかすると職業選択以上の精神的な影響も受けているかもしれない。
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