2009年6月27日土曜日

267:Hiroshima St. in Iraq

中近東には長らく従事していて、ヨルダン、トルコ、イラン、シリア、サウジと続いている。

これらの国に囲まれているのがイラクである。03年には技術支援の基礎調査に参加しイラク全体の水資源を調査した。とは言え現地には行けないので国内での作業である。

いずれ行ってみたい国ではある。クルド人自治区の現状や過去の歴史は全く聞かないが、トルコやイラン側では多少聞こえてくる。

クルド人自治区のある町にはHiroshima通りという意外なストリートがある。なんで?

87年から88年ごろは、丁度イランイラク戦争中であり、サダムフセインのレジームである。大量の化学兵器がクルド人自治区に落とされ、多数の死者や被害者があった。

この事実は今日知った。それもイランのPressTVである。広島や長崎での原爆投下も同じ殺戮である。そうした共通点からHiroshima通りという名前がつけられたようだ。

クルド人はこれまで周辺国から厄介者という扱いを受けてきたが、トルコでは最近クルド語のテレビ放送が開始された。クルド人が多い南東アナトリア地域を専門とするテレビ放送は92年ころ開始されたと思う。それでもトルコ語であったから、クルド語の放送開始まで17年掛かっている。

アメリカ軍の主力がイラクからアフガンに移ろうとしているが、一体民間人がイラク各地を安心して移動できる日は来るのだろうか?

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