2009年6月22日月曜日

256:全国平均レベルという開発目標設定の矛盾

開発途上国の最貧地域を対象として水資源開発計画を実施することが多いが、時どきとんでもない開発目標を想定する団長がいる(というか過去にいた)。

計画対象地域の経済発展が目標年までに全国平均レベルにまで達する、という設定である。planning horinonが例え30年でも無理だろう。第一、過去何十年も最貧地域であるのに、将来平均値レベルに達しないことは子供でも分かる。さらにおかしいのは、同国の別の最貧地域でも同じ発想で平均値レベルにするという。益々おかしいことになる。

こうしたとんでもない地域計画がまかり通っていたかと思うとぞっとする。しかし、案外気がつかれないものなのだ。北海道や沖縄が30年後に全国平均にまで経済レベルが上がれば、開発庁は要らないだろう。

こうした矛盾は別の分野でもある。国際化が叫ばれている大学の改革である。世界的な大学ランキング競争があり、日本でも国際化によるランキングアップが目標とされている。しかしだ。国内の知名度や教育研究レベルのランキングは殆ど全く変わらない。国内でのランキングが上がらないのに世界で上がるわけがない。

地域計画も技術支援案件としては多少あるが、どうも信用できない。目標設定の根拠が乏しいのである。絵に描いた餅のようで、何でもありの様相である。過去に実施した地域計画の検証も殆どない。やりっぱなしという感じが強い。戦略性や実行計画もない。確かに地元の人はその場は期待するだろうが。言葉が躍っているだけなのだ。一見かっこいいし、開発コンサルの頂点に立っているというおごりもある。

水資源開発や管理も地域計画と密接な関係があるが、絵に描いた餅とお付き合いする気持ちにはなれない。計画とは常にinevitableなことに追いついていくことだとアメリカ人の計画屋が言っていたがその通りだと思う。

地質屋とマクロ経済屋は真逆の専門だが、見えないことに対して確信的なことを言う性格には共通点がある。山師とは良く言ったものだ。

実際データの積み上げができず右往左往している各専門家の結果が思わしくない時、それを察した非常に優秀な地域計画の団長がすばらしい独自の発想でストーリーや計画を作ってしまうこともあるので要注意である。水資源はそうした「創作」はできないのである。「ダムの位置や構造は変えられても水文量は変えられない」のが我々の調査計画の原点である。

一方、調査・計画と設計・施工監理には深くて大きい違いが存在する。では管理はどうかというと計画と一体であると思う。計画論は管理を想定しないとできないからである。今のコンサルが管理計画ができないのはそうしたことが整理されていないからである。また設計・工事監理屋が調査計画を行う専門性の無視が気になる。ある大手コンサルの技師長さんが「自分の会社の経営組織管理ができないのに他国の水資源管理計画をすることは無理だよね」と言ったが、まさに正論である。

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