2009年6月11日木曜日

236:信仰と生活(仕事)

今は昼休み中である。毎日オフィス街の中庭ではミサが開かれる。野外であるためミサの様子が伝わってくる。牧師のようであるから正式にはミサではないが、プロテスタントでは何というのであろうか。

フィリピンでは各政府関連機関の中に聖堂があり、同じようにごミサがある。イスラムの総本山サウジでは各オフィスにモスクのような空間があり、毎日5回お祈りの時間が設定されている。インドネシアとかマレーシアではそこまではいかない。

いずれにしても、開発途上国では宗教が生活の一部でありほぼすべての生活に影響を与えている。われわれ日本人にとってあまり身近に感じないし、精々イスラム信徒が日本に来ればブタが出ないようにするとか、お酒は一緒に飲まないという配慮ぐらいか。

実際彼らにとって海外でそういった配慮はあまり気にしないのである。それより日本人は何を信じて生きているのかという疑問の方が大きい。

一神教のカトリックにとってはイスラム教は排除するものではないと常に思っているし、イスラム教徒から排斥されたこともない。同じ神である。マレーシアでは最近カトリック教会でも神をアラーと言いかえる教会も出てきたくらいである。

だからと言って、日本人は無神論者では決してない。寧ろ萬の神を信じているかもしれないし、お葬式には従順である。その信仰心を海外でも保っていると良い。

そろそろ昼休みも終わりだ。

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