2010年10月8日金曜日

841:「安」は平和という意味か

今日は大使の帰任の送別会があったが、男子はダークスーツ着用という指示があったので不参加にした。通常はスーツ1着持って来るんだけれど、シャツとネクタイだけでこれまで大臣とかもOKだし、荷物になってしかも着用しないので、今回は持って来なかった。プロのコンサルタントとしては唯一の見栄があり、1000ドル以下のスーツは「制服」として着たくないんですね。

トランスポーター3の話は以前書いたが、誘拐された女性の首の後ろに刺青があり、「安」とう漢字だった。日本人だと安と見ると安いと思ってしまうので、変な漢字を意味もなく使うんだなと早とちりしたが、やっと意味が分かった。

今日見ていたTVドラマで台湾出身という男性が、

「安」はpeaceと意味すると言っていた。

なるほど、平和か。それなら刺青の意図が分かる。

さて、妻がまたいい題材をメールしてくれた。僕の洗礼名はアシジのフランシスコだが、有名な平和の祈りがある。

誕生日ということで、しっかり記録しておこう。86年にアシジから車で30分ほどのペルージアの大学で国際会議があり妻と3カ月の長男と滞在した。その大学で勉強したエジプト系イタリア人のハニー・ハッサンからわざわざメールで誕生日おめでとう、だって。彼は何で僕の誕生日を知っているのか不明だ。彼もアフリカ開銀職員を目指していたが、まだイギリスのコンサル会社で技術営業やっているようだ。

余談だが、今日は南アの聖公会の大主教だった有名なツツ氏の誕生日でもある。79歳だけれど元気だね。

Prayer of St. Francis

LORD,
make me an instrument of Your peace.
Where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.
O DIVINE MASTER,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood as to understand;
to be loved as to love;
for it is in giving that we receive;
it is in pardoning that we are pardoned;
and it is in dying that we are born to eternal life.

Saint Francis of Assisi

フランチェスコの平和の祈り

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。

アッシジのフランチェスコ

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