2013年11月20日水曜日

1921:不思議な発見

朝から作業。休日とは言え、ぼーっとしている暇はなさそうだ。

さすがに午後はちょっと休憩。読みかけの本を読む。

秋尾沙戸子著

ワシントンハイツ
GHQが東京に刻んだ戦後

新潮文庫

前回の渡航時に持参した本だが、読む暇もなく今回読んだ。以前からこのワシントンハイツには興味があったが資料もなく、この本を見つけた時は喜んだ。

今の代々木公園の敷地がワシントンハイツというアメリカ駐留軍家族住宅だ。戦後建設され東京オリンピック開催前に接収解除された。

解説は、僕の好きな片岡義男さんが書いている。彼も日系3世だからワシントンハイツには行っている。彼のおじいさんのことは彼も書いているが、日系2世のお父さんのことはほとんど書いていない。軍関係者だと思うのだが、確証はない。ただ、片岡さんのエッセイか何かでお父さんから軍用の腕時計を貰ったとある。下記に片岡義男の経歴を整理すると、

1940年昭和15年)、東京都生まれ。4歳まで東京で過ごし、戦時疎開で山口県の岩国に移り、5歳で終戦を迎える(広島に投下された原爆のきのこ雲を目撃、記憶している)。10歳のとき広島県のに移り、合わせて9年間瀬戸内で過ごして東京に戻る(13歳)。のち都立千歳高校を経て、早稲田大学法学部卒業。
祖父の片岡仁吉は山口県の周防大島出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は日系二世で、片岡義男自身も少年期にハワイに在住し、当地で教育を受けた経験がある。

日系2世のお父さんは戦前と戦後、どこで何をされていたんでしょうね?結構不思議なことなのだ、僕には。13歳からハワイに行って、16歳で日本の高校に入るたった3年余りで英語がネイティブ並みに身につくのだろうか?、とかね。かなりミステリアスな記述なのである。


本の中で、意外な事実を三つ知った。

一つは、我々国際開発コンサルタントにとっても関係するパシフィックコンサルタンツ創始者の一人であったアメリカの建築家アントニン・レーモン氏が、東京などに投下した焼夷弾の有効性検討のための日本家屋を立てていたこと。戦後すぐ、日本に戻り建築家として再開、パシコンの創始者にもなったのだ。秋尾さんの本にはそこまで書いていない。

二つ目は、ジャニーズ事務所の前身は、ワシントンハイツに住んでいたジャニー喜多川氏が近所の4人組と野球チームをやっていて、その縁からジャニーズ事務所を始めたらしい。喜多川氏も日系2世だ。

三つ目は、東京タワーの鉄筋材料は、朝鮮戦争で使われなくなった戦車のものを再利用したということ。知らなかったねえ。

次に読む、見る、本は、戦後GHQが摂取した建築物を扱った写真集。

ちなみに、僕の住むさいたま市の近所には、自衛隊の大宮駐屯地があるが、

昭和15年に陸軍造兵廠大宮製作所(光学レンズの製造・組立てなど)ができ、昭和20年の敗戦により米軍が進駐し、昭和32年に陸上自衛隊が駐屯を開始している。

場所に歴史ありだね。

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