2009年7月3日金曜日

279:貴重な資料にワインで乾杯!!

アウェーでの現地作業はまず資料探しから始まるが、これがいつでも大変な作業である。1,2カ月掛けても収穫なしの場合も多い。

このブログでもデータや資料収集の困難さやある種の「奇跡」も紹介しているが、今日も奇跡みたいなことがあって最高にうれしい。

テータ探しの苦労話は切りがないが数例ご紹介しよう。

1.インドネシア・北スラべシ州の案件では地方事務所の水文班のデータシステムはすでに崩壊し、データ台帳は洪水の浸水で見るも無残な状況。CIDAが6年実施した技術プロジェクトの成果が唯一の頼りだった。誰も使っていない倉庫のような部屋にCIDAの6年の成果が眠っていた。2カ月掛けて精査。何とか計画に活かせるものにしたが、実データの入手はさらに困難。現場の電力公社支社やそのジャカルタ本店の研究所を回って実測データをゲット。3カ月目であった。

2.英語の資料がないといわれたダマスカスの水道公社では奇跡的にも担当部部長の個人書庫からソビエトの調査計画レポート英語版が全巻発掘され、後に繋いだ。これがないと調査団全体の作業が全滅。

3.サウジでは担当部長が世銀の水政策報告書をお願いしても出さない。休暇でドバイにいる副大臣にメールして直接懇願し、次の日には担当部長が渋々出してくれた。超トップダウンのお国柄。

4.中央アジア諸国やマーシャル諸島では現地政府機関では全くデータや資料が得られず、国際機関からの資料で何とか乗り切った。マーシャルでは現地での情報はローカルのゼネコンからだけだったが、鹿島建設の方のご紹介がなければ不可能だった。

5.マレーシアでは商社の方が資料収集にあたったがやる気なしで期待薄。独自に大学研究所から貴重な資料をゲット。商社マンは口と飲み屋のアレンジだけ。

6.レソトでは最新データ入手が困難で、幹事会社のSMECから「作業が終わるまで無償で作業せよ」、との恫喝があったが、南アのコンサルの協力で乗り切った。南アのイギリス人移民はやさしい。

7.トルコではクライアントのDSIからデータが得られず頓挫しそうになったが、別の政府機関の友人の協力で乗り切った。飲み仲間の人脈である。

8.別のインドネシア案件では既存ダムのF/SとD/Dの設計比較が主眼であり、いずれも同じコンサルが実施したため同コンサルのジャカルタ事務所の資料室を調べたがあまりにも古い資料のため見つけられなかった。さてどうしよう。現地の地方事務所の崩れかけている資料室でカビの生えている資料を汗をかきかき捜索。数時間後にやっとF/SとD/Dの図面が見つかった。頼んでもだれもそこまではしないだろう。

9.比国では地方事務所の過去の大事な資料はすべて倉庫に雑然とほったらかし。特に磁気データはカビが生えている。東京の専門家に聞いても古すぎて対応できずとのお答え。マニラの測量会社にお願いしてテープの解析をお願いした。2カ月してやっと水文データをゲット。これがなければ調査計画は崩壊しただろう。世銀の案件だったが、最悪な事前調査だ。

まだまだ事例はあるが兎に角いつもこうした苦労が毎回続く。人に頼めないところが難点である。自分で探して見つけ出すしつこさが必要である。刑事にでもなった気持であるが、ある種の快感でもある。

さて、今回は?2カ月経っても公式には何も資料は出してくれない。国際機関や個人的な関係から大分出てきてはいる。しかし、最重要資料が出てこない。

今日は省内で誰も使っていない計画局直属の閉職である資料室をやっと発見。以前から資料室はないかと他局に聞いてはいるが誰も教えてはくれない。管理部の人から聞いて早速探索。それにしても全く整理されていない。大臣から事務次官まで存在を知らないらしいし、計画局長も全く無関心らしい。悲しい組織だ。

良く調べるとこの国の水セクターの歴史的な宝庫だ。膨大にあり過ぎて一瞬困惑したが、次々に重要資料を発見。最新の省外未公開資料は係りの叔父さんが印刷したてのものを内緒でくれた。

1時間ほどおじさん(と言っても同じ年だそうだ)と雑談し、省内の人間関係、組織の問題など内部情報が得られた。外国人には中々省内のご事情など話してくれる人はいない。省内資料は一応この資料室に集まり地方支局まで配布されるらしいが、それだけらしい。

整理されていないので利用するする人はいないが、小生からみるとまさに宝物である。国際機関もまだ入手していないものが手に入ると最高にうれしい。この資料室は印刷物配布機能を持っているらしい。だから一般職員は殆ど入ることがなく、ドアには資料室などという名称はないのだ。

今日は大変な収穫日であった。南アの赤ワインを買ってホテルに戻る。目ざとくワインを見つけた省の水文地質屋が今度飲もうねと誘ってくれた。レソトでは毎週金曜の夕刻はfriday meetingといって豪州、アメリカ、南アの各コンサルが集まって飲み会が開かれていたのを思い出した。日本人は一人だけだったが。やっぱ、飲み会は必要だ。

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