2009年7月6日月曜日

289:開発コンサルとして活躍された3人の日系人

先人たちの中でやはり日系人の人生は気になってしまう。子供のころからの気持ちで、ずっと忘れない。日系人というのはアウェーの最たるものだからだ。

海外で開発コンサルタントとして活躍されていた日系人と一緒にお仕事をさせていただいたのはお一人しかいない。ある会社には3人の勇者がおられた。

一人はベトナムの日系人で戦前ハノイのリセを卒業された方で、久保田豊さんが50年代にベトナムでの活動した際には大きく貢献された小田親さんだ。今もご健在で茨城県の海外実務のマニュアルにも登場しベトナム人への支援を行ったり、月1回ベトナム研究会を主催されているという。リセと言ってもピンとくる方は相当のお年だと思う。フランスの国立高等中学校で日本の旧制中学のようなものである。彼とは一度もお話したことがないが、ベトナムの戦前・戦中・戦後を知る生き証人のような方だ。

他のお二人はご兄弟でありハワイ出身と聞いている。どんなことがあってお二人が日本に来られ日本のコンサルタント会社に入られたかは全く知らない。設計や施工監理がご専門であるため現場でのご一緒は叶わなかった。確かご兄弟のどちらかには飲み屋でご一緒したが、日系人を感じさせるお言葉はなかった。他の日本人もおられたから遠慮されたか。

実際に一緒に仕事をした日系人はアメリカ本土のご出身で地域計画をご専門としていた。彼も相当なお年だったが、この方も殆どしゃべらない。

何で日系人はおしゃべりしないのか?と思ったが、これがまさに大方の日系人の姿なのだ。

以前も書いたが、

Quiet American

という本を読めば、日系人の性格である穏やかで物静かさが分かる。例え、英語、フランス語、ポルトガル語をしゃべろうとも日本人の美徳で、おしゃべりは少ない。若者でもそうなのだ。

彼らのご貢献も纏めてみたいが、何せ語ってくれるかが大問題である。

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