2009年7月4日土曜日

280:The Notorious Bettie Page

当地での最重要資料も入手し一段落である。物的な証拠がないと事情聴取も空回りする。

さて、主題の映画だが05年のアメリカ映画である。notoriousを和訳する難しさがあるらしく、日本では単にベティ・ペイジとなったようだ。「あ騒がせ」と訳した例があったが最悪な訳である。

50年代に彗星のように登場し7年間で消え去ったピンナップガールの半生を描いている。おおらかで天真爛漫な南部女性の話である。ナッシュビルというところが素直な女性というイメージが伝わってくる。

50年代のアメリカだからまだプレイボーイやペントハウス誌が登場する前である。ポルノ写真の制作の裏側がコミカルに描かれている。反面、社会からの反発は厳しく、ピンナップガールを転職としてしまったベティの受難と回心をテーマにしている。

ほぼ全編白黒で表現され50年代の雰囲気を再現している。カラー部分もあるが如何にも素人が8ミリで撮影している手法を採用している。

一見ふしだらな女性であるが実際は敬虔なクリスチャンであり、回心後の場面では伝道者としての彼女の活動で終わる。

彼女はnotoriousではないのだ、と言いたいがためにわざわざこの言葉が使われている感じがする。faithとはなにかを考えさせるエピソードであるが、こうした宗教的な意味合いが日本での題名に繋がっていかないもどかしさを感じる。

脱線だが、フィリピンのマニラやタイのバンコクには悪所がたくさんあり日本人も「単純に」エンジョイしているが、赤坂や銀座の高級ナイトクラブのような旧式のお店に行くとベティのように信心深い方がたくさんいる。確かに水商売は毛嫌いされる商売だが、天職だという職業的なプライドもあり教養もある。

マニラには「果林」という以前は日本人のママさんがおられた有名なお店があり、カラオケが繁盛する中でピアノバーを細々と続けていた。昔々はあの若王子さんも来ていた。赤坂あたりのクラブと同じで、コンサルや関連の商社やゼネコンも集まってしまうところだった。

流石に今では日本人ママさんも帰国され経営者も変わったため、カラオケ化している。閑散としているピアノバーフロアーが好きでカラオケのフロアーには行かないので、一人で占領状態である。いろんな女の子から様々な話が聞ける。何のために飲み屋に行っているかと反するが、彼女たちの日常、故郷の家族、ボーイフレンドとの関係、大学での勉強、芸能界情報、日本人客の噂話など、聞く一方の情報収集で表に出てこない貧困層のさまざまな諸相が分かる。飲んでエンジョイする場所だけではないのだ。何といっても一応まともな英語だからいい、これがインドネシアやヴェトナム、タイだと会話が成立しない場合が多い。脱線終了。

ベティも1950年代のMary Magdaleneであろうか。

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