2010年11月9日火曜日

909:PCMワークショップの無力さ

PCMがプロジェクトで採用されてからもう10年は経っていると思う。

僕自身はPCMには全く関心が無い。知り合いの中には、講習会など受けてPCMの資格を取っている者も何人かいる。彼らの活動も間接的に知っているし、専門を忘れて、PCMにどっぷりつかった者もいる。

プロジェクトでPCMワークショップを何回か見ているが、流石にPCMは凄いと感じたことは全くない。問題分析の課題の設定が余りにも雑駁で、本質的な課題を抽出して参加者全員で共有する手法としては馴染めない。

それでもPCMが採用されるメリットは何なのだろうか?

英語で喧々諤々議論できない日本人にとっては便利な道具かもね。議論して、本質的な課題をあぶり出し、さらけ出していき纏めていくより、参加者の思い付きな考えを書いてもらってペタンコ、ペタンコ張ってもらえば、後で纏めるのは楽だね。ただし、本質的な課題が出ない薄っぺらの発想だけでは無意味だね。それに極端に単純化させるプロセスでは、参加者を幼稚化させる。それと参加者に対して、実施者に都合のいい課題を誘導尋問するがごとく示すいい加減さも目立った。課題設定が間違っていたらどうするんでしょうね。まさに誘導尋問だね。

今日も久々参加したが、余りの幼稚さに改めて落胆した。コミュニティーレベルの住民に対するものだったら多少課題が鮮明になるんでしょうがね。

新規案件の導入の意味と具体の支援内容を絞り出すことには全くなっていなかった。

PCMはプロの計画屋には不向きだと改めて痛感した。

お遊び、イベント的なものだね。利害関係者としての立ち位置や係りが明確になってこないのも欠点だ。

以前より流行が覚めたとは云え、まだまだやってるんだね。10年経ったらもう少し進化してほしいが、ISOと同じで廃れていく運命を感じる。女性ならしょうがないが、男性が専門性を捨ててまでどっぷり浸かる代物ではない。計画論が全く展開されない。

専門を捨てちゃった知り合いは結局専門性はなかったんだね。コンサルを劣化させることは不幸なことだ。

仮に、ファシリテーターがかなり優秀だったらPCMも意味あるかも。技術士と同じで資格だけではプロにはなれないね。

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