2013年5月31日金曜日

1592:偶然の人脈が新研究を進める

このブログでもずっと前に書いたが、大学院までの僕の専門は交通計画である。会社に入って水資源に変わった。実務では1度だけトルコで交通計画調査を行ったが、それだけだ。地域計画の案件で、すでに交通計画専門家はアサインが終了したので、副団長から任されて行った珍しい事例でもある。

さて、僕自身は研究者ではないが、研究的な調査も行っている。水文、水理、最適化手法などは研究的な課題満載だからだ。当然、お師匠さんがいるわけで、いろいろな世界最高の研究者に助けていただいた。

さてさて、ここからが本題。このブログで面白い検索があった。

「八十島義之助 アイスホッケー」

どうしてこのブログにたどり着いたかいうと、以前先生のことを書いていて、その中で先生がアイスホッケー部の部長だったと記述したため、それがキーワードになったためだ。

へー、面白い検索だなと思って、逆にその検索をしてみたら、

「景観工学の誕生と鈴木忠義・草稿 篠原 修」という論文が出てきた。

その中身を見てびっくり。戦後の東大土木教室の人物像・人間関係が、鈴木先生の研究過程とのかかわりで見事に描かれている。天才の最上先生のことも書かれていたね。

実に、面白い。こういう組織の人的つながりや裏話みたいなことをコンサル会社がまとめてくれると面白いね。社史のようなものでなく、社員史。いろんな技術的な問題と解決を実名で記録するのだ。社長だけの経験談では身近に感じないしね。コンサルはやばいこともあるから、実際書けないか?!

一例をいうと、久保田さんはマスカーブ法を信じないで、ハイドログラフだけで貯水池規模を検討したんだけれど、そのマスカーブ法を最初に適用したのは社内では誰だったのか?

もう30年以上になるけど、Mさんという東大土木出身の天才がいたんだけれど、ジャカルタで自殺してしまった。僕が入社して、取り組んだのが貯水池規模の最適運用と規模。Mさんがフォートランで作った動的計画法のプログラムは日本でも最初だと思うが、社内に理解できる人がいなかった。そのプログラムだと当時の大型計算機でも何時間もかかる。数学的に解くわけでないので、誤差が出る。その誤差を無くして数秒で解く方法を僕がクレメシュ先生から伝授されて解いた。その結果を東北電力の工学博士が見て、そんなことはできるはずがないと申された。

まあ研究や技術の問題だとそんな逸話が思い出される。

研究者には、師匠と弟子、という関係が続くから書けるのかもしれない。会社員にはなかなかそういう関係は持続的に継承されないね。

落語の、淀五郎や中村仲蔵を久々聞いてみたい気分だ。



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