2014年5月12日月曜日

2271:久々の本の要旨

水木楊『出光佐三、反骨の言魂』の要旨から。

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出光佐三は、出光興産の創業者。(知らなかった)


・出光ほどたくさんの仇名をもらった男は例がない。
ヤンキー、海賊、国賊、無法者、一匹狼、アウトサイダー、
昭和の紀伊國屋文左衛門、火事場泥棒、ユダヤ商人、ゲリラ商人、怪商、
土俵際の勝負師、デマゴーグ、ニュースを作る男・・・、などだ。(すごいね、その数)


・出光には、若い頃から、余計な欲望をそぎ落としたような、ストイックなところがあった。
ケチではなかったが、老練だった。
お座敷の仲居さんはもちろん、板前、下足番にまで満遍なく礼を包んで渡させた。
渡すのは係にまかせたが、少なすぎても、多すぎても叱られた。
長い間の苦労で培った一種の秩序感覚があった。(社長クラスはそうでなきゃね)


・彼は社員に大幅な権限を与える代わりに、躾は厳しかった。
売上伝票の書き方はもちろんのこと、
床の掃除の仕方からドアの取っ手の磨き方まで、出光みずからうるさく指導した。
戦前までは、入社試験の問題も自分で作った。(同意。いつになっても業務調整など雑用は重要なのだ)


・終戦直後、茫然自失することなく立ち上がった経済人に、電力王といわれた松永安左エ門がいる。
国家統制に真っ向から反対して埼玉の山荘で隠遁生活に入っていた彼は、
終戦の知らせを聞いて、すくっと立ち上がり、こう言い放った。

「さあ、これからは、僕がアメリカと戦争する番だ」

側でこれを聞いていた新聞記者は、あっけに取られた。
翌年の正月、その新聞記者に松永は色紙を渡した。

「一年の計は元旦にあり、日本復興は即今にあり」(久保豊さんと同じだね、負けてもくじけない)


・終戦後、出光はこういった。
「800人を超える海外の社員は、最後に残った唯一の資本じゃないか。
『人間尊重』を唱えてきた出光が、たかが終戦ごときに慌てて、彼らを首になどしてはならん」(今の世の中でも通じるね。会社の危機で、優秀な社員を首切ってたら、社員は会社を見くびるでしょう。コンサルなんて人だけで食べているようなもの)


・物事を徹底するというのは出光の性格である。
いったん的を定めると、寝ても覚めてもそのことばかりを考える。
全社の全組織を使って、入手できる限りのあらゆる情報を集めた。
新聞の外電面に載る小さな記事も克明にスクラップした。(そういう幹部って今はいないね)


・出光は不思議な商人である。
商売にはもちろん熱心だが、もう一方で国家や民族のことを考える。
右手にソロバンを持っているが、左手では日の丸を掲げる。
大真面目の、心底からのナショナリストなのである。(上と同じ。やっぱ、戦前から戦中、戦後を生き抜いた経営者は凄い。今だって、危機なんだけどね。出る釘は打たれる。そして、打たれたものは会社を去り、さらに進化する)

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第3州での仕事も明日からだ。職員、いるかね。ガーナ行ってしまってたりして。。。

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