2014年5月23日金曜日

2293:本の要旨:中曽根さんの巻

中曽根康弘『私の履歴書』の要旨

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・内務省入省まもなく、私は築地の勝鬨橋のたもとにあった海軍経理学校に入った。
大学在学中に受験して合格していた。
ただちに海軍主計中尉に命ぜられ、第六期補修学生を命ぜられた。(へー。)


・短期現役士官(二年現役制度)とは、旧制大学卒業者などを対象に特例で、
現役期間を2年間に限って採用した士官のこと。
2年間で現役期間を終えると予備役に編入され、軍務を去ることができる建前があった。(へー。)


・海軍経理学校でまず仕込まれたのは言葉である。
「君、僕」は「貴様、オレ」に変わった。
初めはぎこちなかったが、慣れというのは恐ろしいもので、いつの間にか身についていた。
この言葉が海軍運命共同体の一員にしていくのである。(海軍もそういう呼び名なんだ。)


・「スマートで目先がきいて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」
という言葉も最初に暗記させられた。(スマートさがまずくるのがいいね。)


・この二年現役制度は人気があった。
陸軍に行くと一等兵から始めて上等兵の靴を磨かなくてはならないが、
海軍の主計科は経理学校に入ると同等に中尉である。
海軍はこの特別優遇制度で優秀な人材を投網にかけてさらい、妨害したと陸軍から非難された。
帝国海軍は戦いに負けて消えたが、戦後、各界のリーダーに海軍魂を残した。(ですかね。ビジネスでもアポ時間5分前には必ず着席しているとかね。)


・私は政権の座についてから、戦後政治の総決算を唱え、行財政改革と国際国家日本を目指して、かなり大胆に政策を進めたが、各省庁や会社の首脳になっていた旧二年現役の諸君が支えてくれた。おそらく、このような運命共同体のブレーンに恵まれた首相は当分、出ないだろうと自負している。(なるほどねえ。)


・私は首相に就任するや、
「中曽根内閣は仕事師内閣である。あらゆるタブーに挑戦する」
と宣言した。
これは海軍の「荒天の時は風に向かえ。それが操鑑の要諦である」
という教えを援用したものである。(ですか。)


・首相となった最初の組閣で、私は二階堂幹事長、後藤田官房長官ら田中派の要人を起用し、
政権の中枢に据えたために、「田中曽根内閣」とか「ロッキード・シフト」とか、もの凄い反撃にあった。
が、私には、東郷司令長官がバルチック艦隊を前にして世人をアッと驚かせた、
敵に腹を見せる「丁字戦法」が頭にあった。
この組閣もある意味で戦機に投じたのである。(そういういい方もあるね。)


・派閥は老壮青の結合が重要で、特に新興派閥の場合は長老の存在が不可欠である。(コンサルの調査団もそうだね。団長、副団長、業務調整係り、の3人が優秀なら、多少団員におバカがいても大丈夫。団長がおバカでも、副団長と若手で乗り切ることもある。)


・政権の幕引きくらい難しいものはない。
渦中にあると、スリルを味わい、心痛し、気まずい思いもする。(コンサルという仕事の幕引きはいつになりますか。サラリーマンでなくて正解!!)


・誠に外交は手作りであり、
現代では特にその手作りによる首脳間の信頼とリーダーシップによって、
世界は動いているのである。(御意)


・レーガン大統領は常に西側チームのキャプテンの風格があり、
そのポケットに沢山のジョークや小話を隠し持ち、時にそれを披露して笑わせた。(今は昔だねえ。)

要旨作成者のコメント:いろいろ言われてきた中曽根元総理。
一年生議員のころから政権奪取に向けて、ずっとやるべき課題をノートに書いて準備していたそうだ。(社長になるまでで疲弊して、社長になったら何もできないコンサル会社社長も多いね。)

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要旨だけでも分かったつもりになっちゃうから不思議だね。

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